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身体と自由の解放区 −自由を謳歌する天使− サトウリツコ展に寄せて |
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アーティスト、サトウリツコの動向は常に注目を浴びている。生活と創作の基盤を岡山県倉敷市に置きながら、国内での個展、グループ展を年中行事のように淡々と、精力的にこなしている。 しかし、長いキャリアを誇る彼女の創作の歴史の中で、ここ数年の彼女の活躍は飛ぶ鳥を落とす勢いという言葉が似合うように、飛躍の一途を辿っている。それはまさに情報化社会の中で激しく、目まぐるしい進化、変化のようでもある。 近年では、活動の範囲は国内に留まらず、積極的に海外で作品発表をこなしており、現在、日本の平面、中でも絵画の部門においては、最も国際的に野心的な活動を見せている女性アーティストの一人として見るべきであろう。現状に甘んじることなく彼女の視線と視点は相互にリンクするように、常にポジティブでグローバルなスケールの作品である。 彼女は、アーティストの殆どが持っている極めて上昇志向の強い自信家でありながら、周囲に細かい気配りや神経の行き届いた配慮を示し、そのことは、彼女がアーティストとしての奥深さを物語る大事なキャラクターの部分をなしている。 彼女の作品は、人と人との関係性をテーマに、人物を好んで描いたものが多いが、中でも旅先で出会った人たちや叙情豊かな異国の人々の存在や交流は、創作活動の中で大事なモチーフとなり、またモチベーションをなしている。最近では、自ら第2の故里といい、精神をフラットにさせてくれるという自由の国・アメリカを象徴するマンガやイラストのキャラクターを引用したモチーフは、彼女がもう一つの活動拠点に選んだ異国の地であるアメリカを象徴するものであり、オマージュのようでもある。そのことは、身近な事柄に視線を向けようとする彼女のアーティストとしての姿勢そのものを垣間見せていて興味深いものである。 デフォルメされたモチーフは、いずれも予定調和的に画面の中に静かに佇むように描かれているものではなく、偶然性と偶発性とが画面の中で激しく絡み合い、そのせめぎあいの中から抜け出るかのような激しい筆跡を残しつつ、元気良く、明るく、自由奔放でダイナミックさを兼ね備えているものである。原色を巧みに使ったスイートな色彩と、豪快なマチエールを持ち合わせつつ、人間の持つ無邪気な童心を今一度観る者の心に呼び戻してくれるような独自のスタイルを確立させている。 抽象表現主義絵画のアクション・ぺインティングと芸術の日常化を目指したポップ・アートの持つ良質の部分を自身の嗅覚で嗅ぎ分け、それを独自の感性と解釈で自らのスタイルとして昇華させた平面世界を見事なほどに現出させている。今日ある現代絵画の主軸を担っている感があるコンセプチャル・アートに代表されるように、まず「いいたいことがある」という言葉や文字、記号が行き交う思考的に深刻さが漂うものではなく、「描きたいからその気持ちに素直に描く」という実にストレートで動物的ともいえるような直接的な解釈がなされた原初的欲求に従ったものである。 つまりは、対極をなす概念的なものへの感情放出の現れであり、自らが自らに対して課す飽くなき挑戦でもある。 目を引くようなビビットで闊達で解放感溢れる作品からは、束縛されるという妥協を決して許さない自由な意志と並行して、一方で確実に理性を伴うインテリジェンスな部分も同時に伝わってくる。その作品群を根底から支えているものは、単に油彩という旧態の一般的マテリアルに限らず、アクリル絵画、岩彩、木炭、パステル、樹脂、発砲スチロール、紙、合板といったそれぞれ異なる様々な素材を巧みに画面の中で結び付け、つなぎ合わせ、張り合わせることによって成立する独特の絵画世界である。個々のマテリアルは画面の中で生き生きと、それぞれの役目を果たすように見事に溶け込んでいる。 彼女の作品は、既成概念の自縛から脱出しながら、逃れるように独特の輝きを放ちながら確実な進化(深化)を続けている。常に観る人の視線を無視し、突き放しながらも、その一方で強く意識しつつ、そのせめぎ合いの中から、「絵画とは」「描くということとは」という既成の形式や行為そのものへの、ピュアでアイロニカルな問いかけ、メッセージを発しているのではなかろうか。 アーティスト・サトウリツコから目が離せない。 |
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岸本和明 (奈義町現代美術館主任学芸員) |