読書紹介

【英語】

私がこれまで読んでおもしろかったと思われた本を以下の紹介します。すべて私の独断と偏見によってかかれておりますが,何かのご参考になればと存じます。評価も(最高は☆☆☆☆☆)私個人の判断であり,客観的なものではありません。

【インパクト指数】 私が面白いと感じた頁÷(総頁数÷100)つまり,その本を100頁に換算した場合,私が面白いと感じた頁がどのくらいあるかを示しています。この数字が大きいほどインパクトがあります。



『シェイクスピアについて僕らが知りえたすべてのこと』


ビル・ブライソン著,小田島則子訳,NHK出版,2008年12月20日第1刷9:54 2011/07/10

【インパクト指数】13.4

【本文から】

◆シェイクスピアは百万語近い言葉を残したのに,自筆による言葉はたった14語しか残っていない。サインが6つ(これで12語)と遺言書にある「by me (私が書いた)」の計14語。(p.18)

◆今の私たちには,彼の名前をどう綴るのが一番いいのかもわからないが。が,彼自身もよくわかっていなかったようだ。なぜなら,現存するサインは二つとして同じ綴りのものがないのだから(今残っているさいんは Willm Shaksp, William Shakespe, Wm Shakspe, William Shakspere, Willm Shakspere, William Shakspeare の6つだ。おもしろいことに,彼が用いなかった綴り Shakespeare こそ,今現在広く使われているものである)。(p.19)

◆当時英語はまだ地位が低く,なんとか這い上がろうとしている最中だった。(略)1605年にオックスフォード大学ボドリーアン図書館には約8000冊の蔵書が収められていたが,そのうち英語で書かれたものはたったの36冊だった。(略)英語がその誕生地で最高の地位にまで登りつめて行った陰には,シェイクスピアをはじめとする当時の作家たちの力が少なからず働いている。「ウィリアム・シェイクスピアの誕生はラテン語で記録されているが,死んだときの記録は<ウィリアム・シェイクスピア・ゲントルマン>と英語になっているのがいい証拠だ」とスナリー・ウェルズは語っている。(p.151)

【私のコメント】

シェイクスピアの伝記は事実が5%,憶測が95%だと言われる。それほど資料が少ないのだ。しかし,その時代,その地位から考えると,シェイクスピアの資料はむしろ残っている方だという。本書は,シェイクスピア研究において,何がわかっており,何がわかっていないのかを一度整理するという意味で,非常におもしろい本である。照明もマイクもない時代,つつましい舞台装置で「時代背景,昼夜の別,寒暖の差,緊迫の度合い…」等々すべては,作家の技量と観客の想像力にかかっていたのだ。シェイクスピアはたった5行の台詞の中にそうしたことをすべて盛り込む才能を持っていた(p.100)。本書にはシェイクスピアは「書くのが早く,原稿がきれい」で有名だったとか,彼のほとんどすべての作品に最低1つや2つは解釈しきれない個所があるなどのエピソードもある。たとえば『リア王』の中に台詞「魔よけの聖者が荒野を三たび,巡って出会った悪夢の魔女と,その9匹の子分」は今でも解釈不能だという。




『オックスフォード英語大辞典物語』(サイモン・ウィンチェスター,苅部恒徳訳,研究社,2004)

【インパクト指数】9.9

【本文から】

◆すべての辞書を淘汰する辞書を制作するという骨の折れる先駆的な全工程がようやく始動した。それは1860年5月12日だった。そして参加者の大部分は彼らの仕事は今後10年以内に実を結ぶだろうと思ったのだが,この偉大な作品が最後に日の目を見るまでその開始日から実際は68年と3週間かかることになった。(p.76)

◆ついに,1914年になってようやく彼は本当に欲しかったものを手に入れた。彼とブラドリーはオックスフォード大学そのものから名誉文学博士の学位を授与された。(略)このすべてが,14歳で学校をやめ,銀行で働くために故郷を離れた,国境地帯出身の生地屋の息子に対するものだった。

【私のコメント】

読む前から面白い本だという予感がした。なにしろ書いているのが,あの「世界を変えた地図―ウィリアム・スミスと地質学の誕生」の著者であり,「博士と狂人」の著者であるサイモン・ウィンチェスターなのだから。そして期待に違わず満足するものであった。OEDといえばどうしてもジェイムズ・マリーとなるが,この本は彼を中心にしながらももっと広範囲な状況をカバーしている。OEDの出版がひょっとするとケンブリッジもしくはマクミラン,つまりOEDでなくCEDもしくはMEDとなる可能性もあったという事実に驚かされる。また,個人的な関心であるが,このジェイムズ・マリーもまた,貴族ではなく,マイケル・ファラデーなどと同じく庶民の出身であり,満足な教育も受けていないにも関わらず,階級社会のイギリスで大きな実績を残したということにも驚きを禁じえない。

ただ,せっかく楽しませてもらったのに申し訳ないが,読んでも意味のわからない箇所がいくつかあった。例えば,

・・・断固として規範的な言語の権威者の支配下で暮らす人たちは,彼らが読みなれている本と構造のひどく異なる本を閲読することは,どれほど賢明なことか少し自信が持てなかったと,不親切であっても考えねばならないからだ。(p.149)
とか,
・・・と言うダスティーの苦情の手紙が高波のように押し寄せて,疑いをかけないマリーを水浸しにした。(p.211)
あるいは,
それからブラドリー,クレイギー,アニアンズはアッシュモリアン博物館の旧館に統合され,死別の喪に服しているサニーサイドの人たちと別れた。(p.281) 

《注》
「それからブラドリー,グレイギー,アニナンズはもはやアッシュモリアン博物館の旧館に統合されてしまったためにやむなく死別の喪に服しているサニーサイドの人たちと分かれた。」とコンマを位置を少し変えると分かりやすいのかな,と素人ながら思う。

というくだりである。もっともこちらの読解力不足ということもある。


『ウエブスター大辞典物語』(ハバート.C.モートン著,土肥一夫他訳,大修館書店,1999)☆☆☆☆

【インパクト指数】 11.6

(本文から)

◆この辞書が刊行されたのは,折りしも大学の英語学科内において言語学系の教員と文学系の教員とが陰険な関係にあった時期だったのは,メリアム社にとって不幸なことであった。言語学者は不当に自分たちの優位を主張しているとして,文学系教員は憤りを覚えていたのである。文献学はまだ許せた。しかし,構造主義言語学は自然科学的で,文学に対して敵意をむき出しにしているように感じられた。(略)(文学系教員には) 英語という言語の保護,そして深く根付いた文化的伝統が,今まさに危機に瀕していると思われていたのである。『ウエブスター第三版』はこのどちらも損ねる辞書とみなされ,その編者フィリップ・バブコック・ゴーブは批判の矢面に立たされたのである。(P.4)

◆(ゴーブは)十分納得のいくようなレベルでの意見の相違に基づいて,学識ある書評者から批判されることはあるだろうと予想していた。実際,ゴーブを最も指示する人たちからもそのような批判を受けた。けれども辞書の本質や歴史に関する知識がほとんどなく,辞書編纂に関わる論争をイデオロギー戦争に持って行こうとするような中傷者によってもっぱら自分の辞書の価値が判断されようなどとは夢にも思っていなかった。(P.12)

◆ゴーブはよくMaori(マオリ族)の定義を引き合いに出した。 one of the aborigines of New Zealand.... They are vigorous and athletic, tall in stature, and *pleasing in features, and brave and warlike*. (ニュージーランドの原住民のひとつ。...強壮で体格ががっしりとしていて,身長が高く,見た目に愛嬌があり,勇敢で,戦い好きの民族。)「一体誰にとって見た目に愛嬌があるのか。おそらくマオリ族の人と一部の西洋人にとってだろう。でもホッテントット族ならどう思うだろうか」とゴーブなら問うだろう。(P.121)

(私のコメント)

この本は実に面白い。英語教師に限らず日常辞書にお世話になっている方は是非読んでいただきたい。言葉の用法を判断するのは辞書ではなく,それを日常使っている人々自身である。今でこそ辞書編纂は「規範」ではなく「記述」であることは当たり前であるが,ゴーブの時代では辞典には(とりわけウェブスター辞典に対しては)「規範や権威」が求められていた。そのため「記述」に徹しようとするゴーブの考えが余りにも進んでいたために彼は不当な非難を受けてしまった。中でも ain't を記載したことに対する「ニューヨーク・タイムズ」の不当な攻撃は常軌を逸するものがある。([注]どういうわけかこの新聞は,これまで先見の明のない独断的な論評で,後には正しいと認められる多くの理論に対し攻撃を加えてきた経歴がある。例えば1903年の社説で,航空機産業の先駆者サミュエル・ラングレーに対し「時間と金を浪費する飛行船実験を続けることで科学者としての真の偉大さを危険にさらすべきではない。人生は短いのだ」と「諭し」たり,隕石衝突による恐竜絶滅を唱えるアルヴァレス論文が発表されるや,1985年の社説で「これからは地球の出来事の原因は占星家に任せるべきだろう」と揶揄したりしている。)現在次々と出版されている英英辞典がまさしくゴーブの考えに沿って記述されていることをみれば,彼は一体どういう感慨を抱くだろうか。



『英語のソーシャルスキル』(鶴田庸子/ボール・ロシター/ティム・クルトン共著,大修館書店,1988)☆☆☆☆

(本文から)

◆Can you ...?
Could you ...?
Do you think you could ...?
I don't suppose you could ....
Do you think you could bossibly ...?
You couldn't (possibly) ..., could you?
I was wondering if you could ....
I was wondering if you could possibly ....
上にあるものほど強い表現で,下にいくほど弱くなる。

◆英語社会では,人は誰でも自分のことは自分でできる自立の存在で,また,自由意志をもっているという考えがある。相手の気持ちを確かめないで, してあげるのは相手の自立性と自由意志を無視した行為と解釈される。また,人と人は対等な関係にあるという考えがあり,「仕える」という自分を 低める姿勢は相手を低めるのと同じくらい相手には居心地の悪いこととなる。

(私のコメント)

丁寧さの問題に本格的に取り組んだ本である。私も「丁寧さ」の問題で岡山朝日高校の鷹家秀史先生と研究をしたことがあるが,これが意外とやっかい である。Pleaseをつけたからといって丁寧になるとは限らない。Won't you ...?というような否定疑問は尊大な響きを与えることがある等々。今, 最も求められていることは,「使える英語」を身に付けることではなく,「適切な英語」を学ぶことであると思う。 今日もまた,日本のどこかの学校でhad betterやmustを乱用する日本人教師に顔をしかめているALTが何人もいるに違いない。



『データに見る現代英語表現・構文の使い方』(田中重範,アルク,1990)☆☆☆☆

(本文から)

◆ He's no more knowledgeable about computers than I am.

「私同様彼はコンピュータの知識がない」

ビジネスレター(69%) くだけた会話(94%) 改まった会話(88%)

no more ... thanは会話体でも,なんら問題なく使われているようである。

(私のコメント)

受験に出るからやむなく教えるものの,本当にこんな表現は使うのだろうかと首をかしげることがよくある。 この本はそれに明快に答えてくれる。本書は100人のネイティブ・スピーカーからのアンケート結果をもと に,その表現の使用度を%で表している。上記のように書き言葉のように思えるものが意外と使われていいたり, 口語だと思っていたものがあまり使われていなかったりで多々教えられるところが多い。本書があれば罪悪感を 感じないで自信を持って英語を教えることができる。姉妹編に内容をもっと分かりやすくした高校生向きの「会話に生かす 受験英語」がある。



『英文読解のストラテジー』(天満美智子,大修館書店,1989)☆☆☆☆

(本文から)

◆スキーマにはいくつもの変数があり,人は読み進む過程においてまだ特定しきれない変数については,文脈あるいは自分の もつ常識的知識による推論に基づいて代表的,典型的な値で仮に補っておき,あとでより詳しい状況などが判明した際に, それを修正していく。このように仮に埋め補っておく代表的な値,典型的な値をデフォルト値といい,「とりあえずの穴 埋め値」などとも呼ばれる。

(私のコメント)

本書は著者が認知心理学,言語心理学および人工知能の分野からの刺激を受け,その手法を英文読解に活用しようとした本である。 本書が出てすでに久しいが,その内容は少しも古びてはいない。この手の本はともすると理論のみに終始しがちで あるが,本書はまさに実践的である。後編には教室で応用できる例がたくさん紹介されている。



『英語英文学研究とコンピュータ』(齋藤俊雄編,英潮社,1992)☆☆

(本文から)

◆スタイルを詳しく分析したい時は,語りと登場人物の談話を分けることが極めて重要だと言われている。 正確に言えば,Cup of Gold(スタインベック)の語彙を全て統計学的に分析しても,Steinbeck自身の 語りの特徴を記述しているとはいえない。

(私のコメント)

☆を2個にしているのは,決してこの本の価値を軽んじているからではない。むしろ逆でこの本が 高度に専門的であり一般の読者には理解されにくいと思ったからである。ただ,巻頭のほうには BrownコーパスやLOBコーパスなど既存の主なコーパスについて分かりやすく解説がなされている。 後半は古英語・中英語をコンピュータで分析したいと思われる人には必読の本であろう。


『英語参考書の誤りとその原因をつく』(河上道生,大修館書店,1993)☆☆☆☆

(本文から)

◆結論から言えば,従節の動詞を主節の動詞の過去形に一致させても,それは従節の内容がいまもtrueであるか,validであるかという問題とは無関係である。
1. Barnwell said he was ill.
という文では彼がまだ病気か,もう治ったか知るすべはない。(Paul Roberts,Understanding Grammar,§149)。今でもtrueやvalidであることでも過去形にする例は多い。
2. You saidsaid just now I was honest.

(私のコメント)

「今もそうである事柄については,主節の動詞が過去であっても時制の一致をしない」ということを我々は学び,そしてそれを生徒に伝えているのではないか。我々が学び参考書にも書かれていた事柄が。本当に現実の英語を反映しているかどうかを今一度問い直す必要がある。日本の英語教育の中にはもう何十年来脈々と受け継がれてきた「伝統的誤解」がかなりあるように思われる。本書は数多くの例をあげてこうした問題点を浮き彫りにしている。本書を読めば日頃いかに我々が誤った出題をしてきたかが痛感させられる。



『英文法解説』(江川泰一郎,金子書房,1991)☆☆☆☆

(本文から)

◆What did you say your name was?(お名前は何と言いましたか)
I thought you were an Englishman.(あなたを英国人だと思っていました)
となるのが自然な英語である(Long, Sentence, p.167)。理屈で考えると,相手が目の前にいるのだから,それぞれ your name is と you are an Englishman のほうがよさそうである。現に is と are でも文法的に誤りではないが,惰性で時制を一致させるのが,英語の一般的傾向なのである。(略)「時制の一致は機械的に行なわれる」ということである。私自身は以前から「時制の一致」を「惰性の一致」と呼ぶことにしている。

(私のコメント)

日本の学習者向けの英文法書には首をかしげざるを得ない記述が多いが,本書は信頼できる数少ない学習参考書の一つである。改訂三版は前のと比べてかなり刷新されているので古いのをお持ちの方は,この改訂三版に買いかえることをお薦めする。



『入試ハイレベル攻略 英誤を診る』(G.ワトキンス著 富岡龍明訳,河合出版,1992)☆☆☆

(本文から)

◆日本では,永遠の真理は,現在時制で述べなければならないと説かれている。

◎Galileo was the first man to realize that the Earth goes round the sun.

しかし,永遠の真理を表わす場合,過去形も正しく・・・(略)

(私のコメント)

受験生向けの参考書としてこれは特筆すべき本である。教師としても学ぶべきところが多い。自らが教えていることに何の疑問も抱かず,ただ知識の受け売りだけをしている教師は,こうした参考書で学習する生徒から質問を受ければ,赤恥をかくことになるだろう。



『教師のためのロイヤル英文法』(綿貫陽・淀縄光洋・Mark F. Petersen,旺文社,1994)☆☆☆☆

(本文から)

◆<that か which か>
事物については,that と which は交換して用いられるが,that のほうが口語的であると解説しているものが,特に学習文法書に多い。米系の語法辞典などは,正式な場合以外は,どちらを用いてもよいという傾向にある。

(私のコメント)

さまざまな参考資料をもとに,教える側の立場から書かれた文法書である。どいう点に注意して指導すべきがが詳しく解説されている。とりわけ巻末の「主要参考文献一覧」は参考になる。



『Practical English Usage』(Michael Swan,Oxford,1995)☆☆☆☆

(本文から)

◆We do not normally use could to say that somebody managed to do something on one occation. Instead, we use was/were able, managed or succeeded (in...ing).

How many eggs were you able to get? (NOT ...could you get?)

(私のコメント)

I could learn a lot during the two years I spent in England.

という英語がなぜ誤りであるかを説明しきれる英語教師は多くないのではないだろうか。(最近まで,私もその一人でした(^_^;))can = be able to...という説明するだけでは誤解を生じさせる。「『一回きりの事柄を成し遂げた』という場合にはcould は使えない」という情報もできれば教えたい。本書はPEUの愛称で親しまれてきたが,この度の改訂版でかなり内容が刷新され,分厚くなった。古いバージョンをお持ちの方はバージョンアップされたい。



『COLLINS COBUILD EGLIHSH USAGE』(Edt. John Sinclair,HarperCollins,1992)☆☆☆☆

(本文から)

◆You use could or a past form of be able to to talk about ability in the past.

He could run faster than anyone else.
A lot of them couldn't read or write.
I wasn't able to do these quizzes.

If you say that someone was able to do something, you usually mean that they had the ability to do it and they did it. Could does not have this meaning.

After treatment he was able to return to work.
The farmer were able to pay the new wages.

(私のコメント)

PEUと説明の仕方が異なるが,単に「能力があった」ということと「能力があり,それを使って成し遂げた」ということの間に違いを設けているのである。本書を通読した友人がいるが,それだけの価値がある本である。John Sinclair が編集者というだけでも信頼できる本であることがわかる。



『英語基本形容詞・副詞辞典』(小西友七編,研究社出版,1989)☆☆☆☆

(本文から)

◆過去の「継続的能力」は can, be able to によって表わされる:She could [was able to] sing like an angel when she was a kid.--Swan 彼女は子供の頃天使のような声で歌うことができた. able では sing という行為が実際になされたという含みがあるが,Perkins (Modal Expressions,p.68)によるとこの could と able の違いは able に先行する be にその原因があるとしている。(略)
一方,過去の1回かぎりの行為の成就を表す場合には通例 could は使えず,文脈に応じて be able to, manage to, succeed in..., 単純過去形などを用いる[Quirk et al., p.232].

(私のコメント)

かなり大部の辞典で,一冊1万5千円くらいする。個人用として持つのは躊躇するかもしれないが,語法を本格的にやろうとする人には必携の書である。論文などでしばしば言及される辞典の一つ。



『英語基本動詞辞典』(小西友七編,研究社出版,1985)☆☆☆☆

(本文から)

◆ride--一般に「馬に乗る」ことを意味するが,get on や mount のように「乗る」「またがる」動作を示すよりも,「馬にまたがって行く」という運動を意味する。発展的に「馬」以外の動物や car, bus, train, bicycle などの乗り物についても用いる。この語は「(乗客として)乗って運ばれて行く」ことを強調し,馬や自転車などに乗る場合を除いて通例その行程が自分の自由にならないことをいう。この点で,自分で運転する意の drive と対比される。

(私のコメント)

これも小西先生編の辞典。これは「形容詞・副詞辞典」よりコンパクト。得るところが多く,英語教師必携の辞典の一つといえよう。





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