読書紹介

【科学・心理】

私がこれまで読んでおもしろかったと思われた本を以下の紹介します。すべて私の独断と偏見によってかかれておりますが,何かのご参考になればと存じます。評価も私個人の判断であり,客観的なものではありません。また,すでに絶版のものもあるかもしれませんのでご承知おきください。

【インパクト指数】 私が面白いと感じた頁÷(総頁数÷100)つまり,その本を100頁に換算した場合,私が面白いと感じた頁がどのくらいあるかを示しています。この数字が大きいほどインパクトがあります。



『無限小』

アミーア・アレクサンダー著/本文307頁/2015年 8月28日第1刷/岩波書店/ISBN978-4-00-006049-3 C0041

【インパクト指数】20.3

【本文から】



◆図形も時間も「原子」からできている!

いかなる連続した大きさも,それが線であれ,面であれ,時間であれ,互いに独立した,無限に小さな原子でできているというのである。もしこの学説が正しければ,私たちの目には滑らかに映る線は,その実,無数の独立し,不可分である原子で構成されており,まるでネックレスの玉のように隣り合っていることになる。同様に,面は不可分な細い線が隣り合っており,時間は微小の瞬間が連なることによって成り立っている,等々というわけである。(略)1651年には彼ら(イエズス会の検閲者)の忍耐も限界に達していた。イエズス会の指導者たちは非公認の意見の息の根を止めることを決断し,教えることも,支持することも永久に禁じる学説のリストを作成した。不可分者の学説は,言うまでもないが,リストの中で最重要の位置にあった。(p.21)

※不可分者とは不可分である「原子」を指す。

◆「面」は並行する極細の「線」から,「立体」は重なり合う極薄の「面」から

どれほど滑らかであろうと,どの平面図形も実は隣り合わせに配列された極小の平行な線分でできている。そして,3次元の図形は,どれほど固体的に見えても,お互いに重なり合っている非常に薄い面分の積み重ね以外の何物でもない。このように最も薄い一枚は物質の最も小さな要素,すなわち原子と同等であり,カヴァリエリはこれを「不可分者」と呼んだ。(p.98)

◆ゆるぎなき秩序への脅威

幾何学がトップダウン数学だとしたら,不可分者の方法はボトムアップ数学だった。最も危険なのは,幾何学が厳密で,純粋で,疑いようもない真理であったのに対し,新しい方法はパラドクスと矛盾にあふれ,真実と同程度に誤謬へ導く可能性があった。イエズス会にとっては,不可分者が蔓延すれば,永遠にして比類なき幾何学の大殿堂が,不安定な土台の上に立てられた,今にも倒れそうなバベルの塔に置き換えられて,争いと不調和の場となってしまうだろう。(p.123)

◆「無限小の理論」は「微積分」へと発展した

ウォリスの読者の中で最も重要な人物はアイザック・ニュートンであった。23歳のニュートンは1665年に,流率論,すなわち彼流儀の無限小数学を考案したのだが,後年『無限の算術』が主なインスピレーションの源であったと明かしている。(p.302)

【私のコメント】

久々に知的興奮を味わうことができた。読んで得する,おすすめの本である。ガリレオの『天文対話』でコケにされたと思ったウルバヌス教皇が,ガリレオを迫害したとの説がある。本書は,ガリレオの転落は,主として,ローマで権力を取り戻したイエズス会の敵意によってもたらされたものだとする。整然とした幾何学を信条とするイエズス会とガリレオを筆頭とする「無限小の理論グループ」との戦いが,それぞれの時代の社会と密接に絡みあっていたという視点は,とても斬新で面白い。イエズス(Jesuit)会とイエス(Jesuat)会。たった1文字の違いだが,前者は「無限小」を迫害し,後者は「無限小」を主張した。


『スプーンと元素周期表』

サム・キーン著/本文443頁/2015年10月15日第1刷/早川ノンフィクション文庫/ISBN978-4-15-050447-2 C0143

【インパクト指数】12.0

【本文から】



◆電子の壁

原子をスポーツスタジアムほどに膨らませたとしても,陽子をたくさん持つ核さえフィールド中央に置かれたテニスボールほどの大きさにすぎず,電子にいたっては周囲を飛び回る針の頭ほどでしかない――だが,飛び回るのがあまりに速く,毎秒数え切れないほど何度もあなたに当たるので,あなたはスタジアムに入れないだろう。針の頭どころか固い壁のように感じるはずだ。そのため,原子どうしがぶつかっても,なかの核は口を出さず,電子だけが反応にかかわる。(p.29)

◆何度もリサイクルされた下剤,アンチモン

アンチモンの丸薬は下剤として重宝された。現代の錠剤とは違って,堅いアンチモン丸薬は腸で消化されなかったのだが,この丸薬はひじょうに価値が高いと見なされていて,当時の人は便をひっかきまわして回収しては再利用している。運のいい一族になると,下剤を父から子へと代々伝えまでしていた。どうやらこの効能のせいで,アンチモンは本当は毒なのに薬として多用された。モーツァルトの死因は高熱との闘病にあたってアンチモンを飲み過ぎたことに違いない。(p.34)

◆太陽系は超新星爆発の衝撃波が横切ったことで生じた

46億年ほどまえ,ある超新星爆発で発生した衝撃波が,幅24億キロという宇宙塵の平らな雲――かつて恒星だったものの少なくとも二個分の残骸――を突っ切った。塵の粒が超新星からの噴出物と混ざり合い,砲撃を受けた巨大な池のように至るところで渦ができ始めた。密度の高い雲の中央部は煮えたって太陽となり(つまり,太陽はかつての恒星の残り物からできている),惑星体も密になって塊になり始めた。(p.93)

【私のコメント】

周期表に載っている元素にまつわる話を集めた本だが,単なる化学本ではない。元素をめぐる様々な人間模様が実にうまく説明されている。理系でなくてもおもしろい。弟子の発見を横取りしたショックレー,大発見の窒素固定法よりも爆弾や毒ガスの製造に関心があったハーバー,女性であるがゆえになかなかその才能が認められず,ノーベル賞をとっても新聞に「サンディエゴのお母さん,ノーベル賞を受賞」と書かれたメイヤーなど興味深い話がいっぱい出てくる。


『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』

吉田たかよし著/本文197頁/2013年9月20日第1刷/講談社現代新書 2226/ISBN978−4−06−288226−2 C0240

【インパクト指数】22.8

【本文から】



◆ナトリウムの濃度の重要性

人体では,血液もリンパ液も,ナトリウムイオンの濃度が135〜145mEq/Lの範囲内に収まるよう,厳密にコントロールされているからです。もし,何らかの異常が生じてナトリウムインが増え過ぎたり減り過ぎたりすると,人体には深刻な症状がたちどころに現れ,最悪の場合,命を落としてしまいます。(略) 医者にとってナトリウムをは見落とすことが許されない重要なチェック項目なのです。(p.15)

◆オシッコは臭くない

便器が臭うのは,便器に特別な細菌が棲み着いているためです。細菌がオシッコに含まれている無臭の尿素を代謝して,くさいアンモニアを作っているのです。人体はエネルギーを使って肝臓で有害なアンモニアを無害な尿素に作り変えているのですが,細菌はその逆のことを行うことによりエネルギーを取り出して生きているわけです。(p.87)

◆人体はわざと余分な鉄分を取らないようにしている

私たちは,標準的な食事をしている場合,食物を通して1日に40ミリグラムから50ミリグラムの鉄を摂取しています。しかし,腸から吸収しているのは,そのうち,わずか1ミリグラム程度にすぎません。つまり,口にした鉄分の大半は,そのまま腸を素通りして,大便と一緒に捨てられてしまっているのです。これは,鉄という元素が人体にとって特に吸収しにくい性質を持っているからだというわけではありません。腸の粘膜の構造上,鉄の吸収率を高めることは容易です。むしろ,人体は,必要以上に鉄を取り込まないように,吸収率を抑制するメカニズムをわざわざ発達させたといえるのです。(p.184)

【私のコメント】

著者はちょっと珍しい経歴の持ち主だ。東大の工学系の大学院を出て,NHKアナウンサーになり,北里大学医学部に入り直して医師免許を取得し,受験生専門外来を開業している。そのため,本書の内容も,医学を理科的風味で味付けしたような感じになっている。鉄分は体内の細菌が最も欲しがっているものであり,貧血だからといって安易にFeのサプリメントを摂ることは要注意である。感染菌にエサをやっているようなものだからだ。


『まだ科学で解けない13の謎』

マイケル・ブルックス著/楡井浩一訳/本文332頁/2010年5月1日第1刷、2010年8月2日第5刷発行/草思社/ISBN978-4-7942-1757-8 C0040

【インパクト指数】10.8

【本文から】



◆微細構造定数α(1/137)

微細構造定数が大きな意味を持つのは、それがきわめて重要な物理学理論のひとつである量子電磁力学の、最も重要な定数だからだ。量子電磁力学は、荷電粒子、すなわち陽子や電子のありとあらゆる相互作用を支配する。また、量子論、相対性理論、電気学、磁気学を統合して、電磁気力の源を記述する。一方では(略)原子核の放射性崩壊などの現象を引き起こす”弱い力”とも結びつけられている。電磁気と”弱い力”は自然界の四つの基本的な力のうちふたつだから、αが宇宙空間で枢要な役割を果たしていると評するのは妥当だろう。(p.86)

◆常温核融合は「魔女狩り」されたが、それでよかったのか?

常温核融合の物語は、これまでのところ惨憺たる失敗の歴史だった。深遠な理論を探求する試みとして始まりながら、スキャンダル以上のものは生まず、人間性の最悪の側面(そして、科学というものの人間的な側面)ばかりを白日のもとにさらしてきた。しかし、物語はまだ終わっていない。むしろ、これから何か価値のあるものが生まれてきそうな兆しが見える。その新たな何かは、光と影の交錯する歴史を塗り替え、マーティン・フライシュマンとスタンレー・ボンズが科学界の奇人(キュリオシティ)になる前は、素朴な好奇心(キュリオシティ)の持ち主だったことを示して、わたしたちを喜ばせてくれることだろう。(p.114)

【私のコメント】

微細構造定数α、数字でいえば137分の1、一般には「137」。私はこの数字を我が車のナンバープレートにしたかった。(結局迷ったあげく、生まれ年の1951というしょうもない番号にしてしまった)ある科学者は、「死んで天国の門に行った時、神に何をききたいですか」との問いに、「わたしは、『神よ、いったいなぜ137なのですか』と聞きたい」と答えたと言う。この数字こそ、宇宙の根源を形作る定数なのだ。ファインマンは「この数値は、50年以上前に発見されて以来ずっと謎のままで、優秀な理論物理学者はみんな、この定数を部屋の壁に貼りつけて、頭を悩ませてきた」と言った(本書 p.96)。

本書はこの「微細構造定数α」の他に、暗黒物質、常温核融合、宇宙からの信号、さらには「なぜセックス(有性生殖)があるのか」など、いまだ科学で解明されていない13の謎をわかりやすく説明する。発売3ヶ月ですでに5刷という人気本である。


『異端の統計学 ベイズ』

シャロン・バーチュ・マグレイン著/冨永 星訳/本文449頁/2013年10月29日第1刷発行/草思社/ISBN978-4-7942-2001-1 C 0041

【インパクト指数】18.5

【本文から】



◆発見され,捨てられ,拾われる

トーマス・ベイズ師は1740年代にあるすばらしい発見をした。ところがどういうわけか本人は,のちに自分の名前を冠されることになるその発見を放り出した。やがてベイズよりはるかに有名だったピエール・シモン・ラプラスが,これと同じ内容を独自に再発見し,近代数学にふさわしい形にまとめて科学に応用した。だがラプラスは,やがてこれとは別の手法に関心を移した。20世紀の偉大な統計学者たちもベイズの法則に注目したが,中には,ベイズの手法やその信奉者たちをけなして叩きのめし,役立たずだと言い切る者もいた。しかしこの法則を使うと,ほかの手法では歯が立たない現実的な問題を解くことができた。この法則を使って,ドレフュス大尉の弁護人は大尉の無実を示し,保険会社は保険料率を決め,アラン・チューリングはドイツ軍の暗号エニグマを解いた。(略)ベイズの法則を支持する人々の多くは,この法則が科学にとっていかに大きな意味を持っているかを宗教的な覚醒とともに悟りながらも,ベイズの法則を使ったことを隠し,ほかの手法を用いたかのように装った。この手法の汚名がそそがれて,広く熱狂的に受け入れられるようになったのは,21世紀に入ってからのことだった。(p.21)

◆ベイジアンというよりラプラシアン

1781年には,ラプラスはベイズの法則という名前以外のこの法則のすべてを手中に収めていた。この法則の定式も方法論も見事な活用も,すべてピエール・シモン・ラプラスが成し遂げたものだ。(略)ラトガー大学のグレン・シェイファーは,「思うに,すべてを成し遂げたのはラプラスであって,わたしたちがあとからそれらをトーマス・ベイズのなかに読み取っているだけのことなのだろう。ラプラスはこの法則を近代的な言葉で表現した。ある意味で,すべてがラプラシアンなのだ」と述べている。

【私のコメント】

私が統計学に関心があるのは,その数学的な手法よりは,その発達の歴史にある。統計学に多大な貢献をしたチャールズ・ダーウィンの従弟のフランシス・ゴルトンは,その一方で優生学の父となった。この男は,実に鼻持ちならぬ奴で,町で向こうからやってくる女性をひそかに品定めして,ポケットの中で記録を取り,イギリスのどの地方に美人が多いか統計を取るようなこともしていた(お遊びだろうけど)。人種差別的な所もあり,ヒューマニストのダーウィンと異なり,人間的に下品な感じの男だ。その後継者のカール・ピアソンも優秀な統計学者であると同時にやはり優生学者だったし,ロナルド・フィッシャーもしかりである。統計学の発展の背景には,なぜかこうした「負の遺産」がある。

最近,図書館の統計学のコーナーなどで「ベイズ統計学」という言葉をしきりに目にするようになった。そしてこの本で,「ベイズ」がいかに「差別されて」きたかを知り,驚いた。これはまるで下村湖人の「次郎物語」や島原の「隠れキリシタン」のようではないか。しかし,不当な差別にもめげず,したたかに生き延びてきたのは,それが「役に立った」からである。今こそ,ベイズ統計学の価値を正当に評価してやりたい。ちなみに数学嫌いの皆さん,この本には数式が出てこないので大丈夫ですよ。


『量子革命――アインシュタインとボーア,偉大なる頭脳の激突』

マンジット・クマール著/青木薫訳/本文468頁/2013年3月30日初版/新潮社/ISBN978-4-10-506431-0 C0042

【インパクト指数】11.3

【本文から】



◆珠玉の論文とゴミの論文

「運動物体の電気力学について」と題する論文を読んだ人間のひとりが,『アナーレン・デア・フィジーク』の理論物理学の顧問を務めていた,マックス・プランクだった。プランクは即座に,彼が――アインシュタインでなく,彼が――のちに「相対性理論」と呼ぶことになるその理論の支持者となった。光の量子に関する論文については,プランクはその考え方に重大な問題を感じたが,論文を掲載することは認めた。プランクはそのとき,珠玉の論文とゴミ屑のような論文を同時に書くことのできるこの物理学者は,いったい何者だろうと思ったに違いない。(p.58)

◆2,3年くらい科学なしでやってやろうではないか

1933年5月16日,プランクは(略)ヒトラーに面会した。(略)ユダヤ人の科学者を十把ひとからげにして追い出すことは,ドイツのためにならないとプランクは言ったのだ。それを聞いて,ヒトラーは激高し始めた。「たとえ科学者のためだろうと,われわれの国家政策が取り消されたり,修正されたりすることはない。ユダヤ人科学者を免職すれば現代ドイツ科学が消滅するというなら,2,3年ぐらい,科学なしでやってやろうではないか!」(p.383)

◆研究室の備品は紙と鉛筆と屑籠

1933年10月に高等研究所にやってきたアインシュタインは,新しく自分の研究室となる部屋に案内されて,どんな備品が必要ですかと尋ねられ,「机かてテーブルと椅子,それと紙と鉛筆が必要です」と答え,こう言い添えた。「ああそうそう,大きな屑籠もね。間違ったものを全部放り込めるように」。

【私のコメント】

量子力学は本当にわかりにくい。というか,常識を超えている。たとえば二重スリットの実験で,単なる「粒子(または波)」でしかない「光子」がどうして,まるで感情を持つ我々のように,人間が設置したセンサーを「見破り」,センサーを付けたときと付けないときとで,その態度を変えるのか。量子力学は本当に頭がくらくらする。本書はそうした量子力学の誕生の歴史をわかりやすく教えてくれる。


『意識は傍観者である――脳の知られざる営み』

デイヴィッド・イーグルマン著/大田直子訳/本文297頁/2012年4月15日初版/早川書房/ISBN978-4-15-209292-2 C0045

【インパクト指数】19.2

【本文から】



◆自分の中の「何か」

1862年,スコットランドの数学者ジェームズ・クラーク・マックスウェルは,電気と磁気を統一する基本方程式を考えだした。しかし彼は死の床で,ちょっと変な告白をした。あの有名な方程式を発見したのは「自分のなかの何か」であって,自分ではないと言ったのだ。アイデアがどうして浮かんだのかはわからない,ただ降りてきたのだと認めている。(p.17)

◆自分の中の洞穴

ライプニッツは若いころ,ある日の朝だけで300行のラテン語の叙事詩を書きあげた。その後,計算法,二進法,いくつかの新しい哲学流派,政治理論,地質学の仮説,情報技術の基礎,運動エネルギーの方程式,そしてソフトウェアとハードウェアを区別する概念の最初の糸口を考え出した。これらのアイデアがすべて自分からあふれ出してきたことから,彼は――マックスウェルやブレイクやゲーテと同じように――自分のなかに深くてアクセスできない洞穴があるのかもしれないと思うようになったのだ。(p.25)

◆人は「他人に映る自分」を愛する傾向がある

2004年,心理学者のジョン・ジョーンズのチームが,ジョージア州ウォーカー郡とフロリダ州リバティー郡の婚姻の公記録1万5000件を調べた。そして実際に,名前の最初の文字が自分と同じ人と結婚している人の数は,偶然の一致にしては多すぎることがわかった。でもなぜだろう?重要なのは必ずしも文字ではない――むしろ,そのような配偶者はなんとなく自分自身を連想させるという事実だ。人は他人に映る自分を愛する傾向がある。心理学者はこれを無意識の自己愛,あるいはよく知っているものへの安心感だと解釈する――そしてそれを「潜在的自己中心性」と呼ぶ。(p.88)

【私のコメント】

私たちは自分が自分の主人であると思っている。コーヒーを飲むのも,ふとんに入るのも,すべて「自分がそうしようと思ったから」だと考えている。しかし,様々な実験がそうではないことを示している。実はかなりの部分が「あとづけ」なのだ。この本は,そうした「無意識」について目を開かせてくれる。著者はライス大学で英文学を学んだ後,ベイラー医科大学で神経科学の博士号を取るという「文理合体」の人物である。だからこそ,この本はおもしろい。


『人間らしさとはなにか?』

マイケル・S・ガザニガ著/柴田裕之訳/本文542頁/2010年3月10日発行/インタシフト/ISBN978-4-7726-9518-3 C0040

【インパクト指数】8.9

【本文から】



◆なぜ我々は群れるのか?

私たちは根っから社会的だ。その事実は動かしがたい。私たちの大きな脳は何よりも社会的な問題に対処するためにあるのであり,見たり,感じたり,熱力学の第二法則について熟考したりするためにあるのではない。(略)生き延びて繁栄するためには,私たちは社会的にならざるをえなかったのいうのが真相だ。(P.122)

◆起きている時間の8割は他人と一緒に雑談している

人は起きている時間の80パーセントを他者といっしょに過ごしていることが,さまざまな研究によってわかった。私たちは毎日平均して6〜12時間を,たいていは知り合いと1対1で,会話して過ごしている。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの社会心理学者ニコラス・エムラーは,会話の内容について研究し,80〜90パーセントは(略)世間話だということを突き止めた。(P.138)

【私のコメント】

この本は「人間らしさ」を,進化の観点を中心に説明しようとするものである。500頁を超える大作であり,読み応えのある本であるが,訳がしっかりしているので,スムーズに読める。「赤ん坊はわずか半年で(大人から見て)魅力的な顔を好んで見つめるようになる」などといった思いがけない事実が随所に出てくる。上に挙げたように,我々人間は「群れる」動物だ。厳しい環境の中で群れることで人間は対応してきた。一匹オオカミでは生き残れなかった。集団からはずれるということは,即,死を意味していたのだ。「いじめ」がなぜ問題であり,絶対にすべきことではないのか。それはこの集団に属していたいという人間の心の奥深くにある本能を打ち砕くからである。「シカト」をしたり,仲間外れにすることは,「死ね」といっていることと同等なのだ。


『インフォメーション――情報技術の人類史』

ジェイムズ・グリック著/楡井浩一訳/本文532頁/2013年1月15日発行/新潮社/ISBN978-4-10-506411-2 C0040

【インパクト指数】15.3

【本文から】



◆冗長さが実は情報伝達に役立っている

(アフリカの)トーキング・ドラムで,簡単な言い回しをする者はいなかった。鼓手は「家に戻れ」ではなく,こう言い表した。「両の足に,来た道を踏ませよ。両の脚に,来た道をたどらせよ。おのが両の足と脚をわれらがものなる村に立たせよ」(略)冗長さ――定義上は,効率の悪さ――が,混同を防ぐ手段になっている。つまり,正しい理解のための補足をしているわけだ。どの自然言語にも,冗長さが組み込まれている。だから,誤りだらけの文章でも理解できるし,うるさい室内であっても会話が成り立つ。(P.35)

◆OEDに載った新語

「Kool-Aid」が新語と認められたのは,OEDが商標名も載せる義務があると感じたからではなく(粉末即席清涼飲料のクール・エイド《当初の綴りは「Kool-Ade」》は,1927年にアメリカで商標登録されていた),「クール・エイドを飲むこと,転じて,全面的な服従あるいは忠誠の意を表すこと」という特殊な用法をもはや無視できなくなったからだった。この奇異な表現が人口に膾炙(かいしゃ)したのは,1978年にガイアナで起こった,カルト宗教団体による集団服毒事件でこの粉末飲料が使われたからであり,世界規模の通信が相当な密度で行われていることの表われだと言える。(P.90)

【私のコメント】

「情報」の歴史について書かれた本である。バベッジもエイダもシャノンも当然出てくる。しかし私には本書の冒頭の話がもっともおもしろかった。アフリカには森の中の伝達手段として「トーキング・ドラム」があった。2種の音を使い分けて情報を伝達するのである。このドラムが伝える情報は,実に冗長で,「すぐ来い」と言えばよいのに,上記のようなもってまわった言い方をする。しかし,冗長だからこそ,少々途中の情報が消えてしまっても,内容が伝わるのだ。「遊び」があるが故に,多少の情報の欠落に対しても「強い」のである。今,宇宙は結局は「情報」だと言われる。われわれの存在も突き詰めてみれば,「情報」にゆきつくのだ。本書は,人類がどのように情報と関わってきたかを興味深いエピソードを交えて語ってくれる。500頁を超える大作だが,面白い。


『5万年前――このとき人類の壮大な旅が始まった』

ニコラス・ウェイド著/沼尻由起子訳/本文344頁/2007年9月21日第1刷,2008年1月31日第4刷/イースト・プレス/ISBN978-4-87257-828-7

【インパクト指数】23.0

【本文から】



◆シラミのDNAから人類が服を着始めた時期を知る

遺伝学者の最近の研究成果を挙げよう。何と,人間がはじめて衣服を縫った時代を推定したのである。(略)人間が衣服を着はじめると,アタマジラミは失われた縄張りを奪還するチャンスととらえて,衣服のなかで生きていけるヒトジラミに進化した。(略)ヒトジラミがアタマジラミから進化しはじめたときのDNAの変異に着目すれば,人間が衣服を発明した時代を特定できるはずだった。(略)すると,ヒトジラミがはじめてアタマジラミから進化したのは,数千年の誤差はあるとしても,およそ7万2000年前であることが判明した。(P.12)

◆人類はたった150人から出発した

5万年前,アフリカ北東部の片隅で,少数の集団が故郷を離れようと準備していた。当時,世界はまだ更新世の氷河時代にあった。アフリカの大部分の地域では人口が減少し,人類の祖先集団はわずか5000人にまで減っていた。アフリカを出発しようとしていた集団は,幼児を含めてたった150人程度だったはずだ。(p.22)

【私のコメント】

この本を「社会」でなく「科学」のコーナーに入れた。それは随所に最新の科学的成果を盛り込んでいるからだ。インパクト指数の高さからも本書の価値がわかるだろう。買って損をしない本である。私は『ナショナルジオグラフィック』誌の「ジェノグラフィック・プロジェクト」に参加している。これは自分のDNAを提供すると,自分の祖先が5万年前にアフリカを出てからどういう経路をたどって現在の地に到達したかを分析してくれる(費用は1万円くらい)。私はハプログループOのM175に属し,父方の祖先はアフリカを出て東に向かい,中国を横切って日本にやってきている。いずれもDNAという「記録」を読み解くことで過去を知ることができるのだ。


『脳の科学史――フロイトから脳地図,MRIへ』

小泉英明著/角川SSC新書122/本文222頁/2011年3月25日第1刷/ISBN978-4-04-731545-7 C0247

【インパクト指数】14.0

【本文から】



◆文法に関係する遺伝子FOXP2

FOXP2は言語に関係する遺伝子で,そこに異常が起こると,発達障害として言語に問題が起きます。(略)チンパンジーも(略)わずかに異なっています。自閉症の場合もそこに異常があるケースがわかっています。(略)単語の羅列まではチンパンジーもボノボもわかると思われています(略)が,いわゆる主語,述語,修飾語などや,関係代名詞などがある文法構造は,持っていないのです。それをもつためには非常にわずかなことですが,遺伝子の塩基配列,それたたった2箇所違うだけで大きな働きをしているらしい,というところまでわかってきています。(p.172)

◆冬に備える動物は未来を考えているのか

越冬のためにいろいろなものを溜め込む小動物がいますが,(略)季節の変化とともに,食べ物を溜め込む習性が遺伝子の形で残っている可能性が強い。(略)たまたまそうした種が生き残って,ニッチな領域でうまく生存できたから,遺伝子として組み込まれているだけです。(p.175)

◆憎しみは人間特有の感情

自分の子どもがボスザルに殺されても,そのあとボスに従って一緒になると,もう殺された子ザルのことは忘れてしまう。憎しみの感情がないのです。これは記憶の問題で,憎しみという高次な感情を持たないために起こることです。人間特有の感情に一つが憎しみなのです。(p.209)

【私のコメント】

本書の中で「絶対音感はむしろ一般的で,相対音感の方が特殊である」という記述があります。音の絶対的な高さが平行移動しても「同じ音」だと感じられる「相対音感」こそ重要だというのです。管楽器などは吹いているうちに楽器が温まると微妙に音程が変化する。絶対音感を持つ音楽家はそうなると別の曲に思えてしまうのだという。著者は「絶対音感」は音楽家にとってはいらないものだと言い切る。ロダンはディスレクシアだったために,父親が心配して彼を彫刻の道に進ませたなど,脳に関するおもしろいエピソードが本書には載っている。


『人はなぜだまされるのか――進化心理学が解き明かす「心」の不思議』

石川幹人著/講談社ブルーバックス新書/2011年7月20日第1刷/

【インパクト指数】12.1

【本文から】



◆ランダムなデータの中に「規則性」を読み取ってしまう

イギリスの心理学者スーザン・ブラクモアは,超常現象を信じやすい人が,偶然変動するデータから規則的なパターンをより多く抽出する傾向を指摘している。占い好きは,ある事柄がたまたま偶然に起きると考えるよりも,それが何かの法則に従っているとみなしたいのだろう。(p.174)

◆ヒトは「他者の話を信じる」が基本

小規模の協力集団の中で私たちの心は,「他者の話を信じる」方向に進化した。信念共通化を行いやすいとう利点があるからだ。他者は協力集団のメンバーなので,まずは信じるほうが集団として有利なのである。(略)すでに多様化していると考えられるものの,依然として多くに人々の心には,「他者の話を信じる」という傾向が存在する。(略)しかし,数百人以上の規模で交流がおこなわれる社会になってしまった以上,最低限の懐疑を身につけておかないと,社会としてもマイナスである。(p.149)

◆幽霊を見たときはどうするか

幽霊が見えたり心霊写真がとれたりしたならば,社会的知能が働きすぎているのだな,と見なすのが適当だ。そのうえで,人間集団の協力関係を実現した生物進化の歴史に思いをはせれば,恐怖感を克服できるのではなかろうか。また,想像の基本的な役割を知り,鬼や妖精などと想像を膨らませすぎないことが重要だ。そうすれば,洗脳等の,悪意を持った行為を防止できよう。(p.131)

【私のコメント】

人はそもそも騙されやすいのだという。せいぜい100人程度の集団では,相手を疑うよりはまず信用する方が生存に有利だったからだ。仲間から「ライオンがいるぞ!」と言われたとき,まずは信用して逃げる。たとえ冗談であったとしても逃げた方が有利だ。人類は長い間こうした小規模集団の中で,「まずは相手の話を信用する」という方向に進化してきた。インターネットや飛行機などで不特定多数の人々とコミュニケーションをとるようになったのは,人類の歴史ではつい昨日のことだ。我々は「性善説を信じる」というのがデフォルトなのである。逆に言えば,グローバル化の社会においては,ある程度の懐疑性が必要となっているとも言える。


『進化から見た病気――「ダーウィン医学」のすすめ』

栃内新著,講談社ブルーバックス新書,2009年1月20日第1刷,ISBN978-4-06-257626-0 C0245

【インパクト指数】17.3

【本文から】



◆9550歳の松

樹木は長生きするものが多く知られており,日本では縄文杉と呼ばれる屋久杉のスギが,樹齢3000年くらいと言われている。これだけでも,生物の個体年齢としては破格なものであるが,最近スウェーデンのツンドラ地帯で9550歳のマツ(Noerway spruce:ノルウェーエゾマツ)が発見された。ただし,9550歳なのはこのマツの根の部分で,そこから延びている樹として認識される部分の年齢はせいぜい600歳と縄文杉より若い。(p.178)

◆死は次世代への贈り物

地球上で生物を作ることのために利用できる資源のほとんどは,すでに生物の身体として使われていたことを考えると,地球上に次の世代の生物が現れるためには,それまでに生きていた生物が利用していた資源を受け渡さなければならない。つまり,前の世代の死は常に次世代のエ氏物への贈り物になるのだ。(p.188)

◆なぜその遺伝子が今日まで伝わったかを考えよ

「病気の遺伝子を治療する」というような力ずくの対応をとるのではなく,患者の苦痛を取り除く対症療法をしながら,その遺伝子が今日まで伝えられてきた理由を,進化の観点から理解しておくことが,ヒトの病気の理解にもつながるというのが,ダーウィン医学の立場だ。(p.136)

【私のコメント】

ダーウィン医学についてはすでに本コーナーでもランドルフ・M・ネシー他著の『病気はなぜ,あるのか』を紹介した。我々にとって病気は実に忌むべきものであるが,しかし,ならば「それはなぜ今も存在する」のか? 「適者生存」を勝ち抜いてきたのが我々であるのなら,こうした生存に不利なものはとっくの昔に消えていていいのではないのか? 「今ある」ということは,見方を変えれば「必要としてある」のではないか? こうダーウィン医学は自問する。全くの発想の転換だ。発熱,嘔吐,咳,くしゃみ――これらの「不快感」は体がウイルスや細菌に反応して,体を正常のもどそうとしている過程である。いたずらに薬に頼らず,この不快感にしばらくは身を任せることが治癒につながるというのだ。ダーウィン医学は決して「鋭い切れ味」の学説ではないが,しかし説得力はある。


『運は数学にまかせなさい――確率・統計に学ぶ処世術』

ジェフリ・D・ローゼンタール著,ノンフィクション ハヤカワ文庫,2010年7月15日発行,ISBN978-4-15-050369-7

【インパクト指数】15.3

【本文から】



◆大数の法則

ランダムな出来事も度重なると,結果の割合は平均値にどんどん近づく。(略)これはたんなる推測ではなく,「大数(たいすう)の法則」と呼ばれる法則なのだ。この法則よれば,何であれランダムな事象を十分な回数繰り返すと,やがて幸運も不運も帳消しになり,ほぼ「適正な」平均値,つまり,真の確率に近い平均値が得られることになる。(p.50)

◆ロイヤル・フラッシュの確率は65万分の1

(西部劇で)ありがちなのは,手札がそろうと,ヒーローがロイヤルフラッシュ(同一組の10,ジャック,クイーン,キング,エースという組み合わせ)で勝つという場面だけれど,こんなことは,ほんとうに起きるのだろうか? 現実には5枚の手札の組み合わせは260万通り近くあるというのに,そのうちロイヤルフラッシュはたった4通りしかない。(略)ロイヤルフラッシュになる確率は260万分の4,つまり,65万分の1しかない。とんでもなく稀な出来事なのだ。(p.86)

◆ゲームに勝つコツ

運のゲームに勝つコツは三つある。第一に,ゲームを念入りに研究して,平均すれば勝ちになる戦略を見つけ出すこと。第二に,その戦略を何度も繰り返して実行すること。そして,第三に,辛抱強く待つことだ。いつかや,「大数の法則」があなたに勝利をもたらしてくれるはずなのだから。(p.110)

◆起こる確率がきわめて低い出来事は無視せよ

ランダム性にかかわる決断を下すときの第一のルールは,「起きる確率のきわめて低い出来事は,おおむね無視した方がいい」だ。これはなんとも単純なルールだけれども,たいていの人は守らない。(略)今週も誰かが(宝くじに)当選するかもしれない。けれど私が保証しよう。それは,けっしてあなたではない。(p.134)

◆ユニークな禁煙コマーシャル

1年間で落雷で死ぬ人は,アメリカ人のおよそ600万人に1人にすぎない。(略)ひどい雷雨の中,山のてっぺんに一人の女性が長い金属の棒を握り締めて立っている。雷さま,さあどうぞ,と言わんばかりだ。その彼女が,こう説明する。こんなことをするなんて,頭がおかしいと思うかもしれないけれど,タバコを吸う愚かさに比べたらなんでもありません,と。(p.197)

【私のコメント】

確率を扱った本だが,けっして難しくはない。数式はでないので怖がる必要もない。むしろ,確率にまつわる様々なエピソードが次々と出てくる。一例をいうと,第二次大戦中米国は極秘で原爆製造のマンハッタン計画を進めていた。しかし原爆を作動させるのに必要な濃縮ウランの量がどうしてもわからなかった。そこで彼らは誕生まもないコンピュータを使って連鎖反応と中性子の振る舞いをランダムにシミュレーションした。それをひたすら繰り返すうちに,原子爆弾の中で中性子が平均するとどのように振る舞い,そのうちのどれだけが出てくるかが,しだいに正確につかめてきた。そしてついに15キログラムという臨界量を算出した。これが「モンテカルロ・サンプリング法」を利用した最初のコンピュータ・シミュレーションとなった。


『赤ちゃんはどこまで人間なのか――心の理解の起源』

ポール・ブルーム著,ランダムハウス講談社,2006年2月8日第1刷,ISBN4-270-00119-4

【インパクト指数】8.5

【本文から】



◆人種は根深くて悪い考え

人種カテゴリーは生物界における不規則性と対応していない。亜種や系統がはっきり分けられていないし,種ごとの遺伝的な違いも最小限しかない。生物学者や人類学者が「人種などというものは存在しない」と言うのは,そのためなのだ。(略)人種的な分類は社会的,文化的な要因に大きく影響される。(略)もし親の一人がアフリカ出身で,もう一人がメキシコ出身だったら,その子どもは黒人だろうか?(略)そこから,人種は人工の産物であるとの重要な考え方が出てくる。つまり人種という概念は人間が作りだしたものであり,自然によるものではない,というものだ。(略)人類学者のローレンス・ヒルシュフェルトがこう記している。

「人種という考えは単なる悪い考えではない。根深く悪い考えなのだ」(p.70)

◆サイコパス

彼ら――そのほとんどは男性――は間抜けでも無知でもなく,自分の行動の結果を理解することができる。しかし,だからといって行動を変えることはない。彼らは道徳感情をまったく欠いているか,少なくとも普通の人々と同程度の道徳感情をもってはいないのだ。彼らは悪を行い,自分でもそれを認識している。(略)逮捕された連続殺人犯のテッド・ハンディは,人々が殺人をめぐって大騒ぎすることに困惑した。「だって,人間はたくさんいるじゃないか」

サイコパスは精神障害者として扱われているが,正式な病名は「反社会的人格障害」である。(略)サイコパスの原因は解明されていない。この障害は,早ければ子どものころに現れる。サイコパスは小動物に残虐な行為をし,常に嘘をつき,他者への同情や共感をほとんど表さない。(p.130)

◆1歳になると他者への共感が現れる

1歳の誕生日を迎える頃には,他者に真の共感を寄せることができるようになっている。1歳児は相手を助けようと,なだめるような声を上げて優しくなでる。この行動からは,他者の痛みが自分の痛みと異なることと,何が痛みを軽くするかを理解していることがわかる。(p.152)

【私のコメント】

小動物への残虐な行為から残虐な殺人――ときおりニュースで見ることだが,他者への共感,道徳感が完全に欠けた症例として本書でも触れられている。おそらく今後の研究で,心理学ではなく遺伝学・脳外科学がその原因を突きとめることだろう。本書は他者への共感がいつ現れるのか,またそれらが欠如した病気にどのようなものがあるかなどがわかりやすく説明されている。


『スパイス,爆薬,医療品――世界史を変えた17の化学物質』

P.ルクーター,J.バーレサン著,中央公論新社,2011年11月25日初版,ISBN978-4-12-004307-9

【インパクト指数】21.2

【本文から】



◆ナポレオン軍はボタンのせいで負けた?

なぜ,それまで勝ち続けていたナポレオン軍兵士がロシア遠征でつまづいたのか? (略) 驚くかもしれないが,ナポレオン軍の破滅は,ボタンの喪失のような小さなことに起因するかもしれない。(略)錫のボタンは,将校の外套から歩兵のズボンや上着にまで使われていた。温度が下がると光り輝く金属の錫は変化し始め,金属らしからぬもろい灰色の粉になってしまう。(略)彼らは,軍服のボタンがなくなり,寒さに耐えられなくなって,兵士として働けなくなったのではないか? ボタンの喪失は,両手が武器を運ぶより外套の前を合わせるのに使われたことを意味しないか? (p.6)

◆マゼランの世界一周で帰ったのはたった1割

1519年から1522年にわたるマゼランの世界一周航海では,90%以上の乗組員が生きて帰れなかった。その大部分は壊血病による。これはアスコルビン酸分子,すなわち食事から摂るビタミンCの不足で起きる恐ろしい病気である。(p.39)

◆古代ローマ貴族は鉛中毒だった

これ(酢酸鉛)はローマ帝国の時代,ワインを甘くするのに使われた。(略)一般に鉛の塩は甘いことが知られている。しかし(略)すべては有毒である。酢酸鉛は非常によく溶け,毒性はローマ人にははっきり分からなかった。(略)ローマ人はまたワインや他の飲み物を鉛の容器に入れていた。また鉛のパイプで水を家まで引いていた。鉛中毒は蓄積性である。鉛は神経系,生殖器官,その他の臓器を侵す。最初の中毒症状は,睡眠障害,食欲不振,いらだち,頭痛,腹痛,脱力感である。精神全体の不安定さと麻痺につながるの脳の障害も徐々に起こる。ある歴史家はローマ帝国の衰退を鉛中毒のせいにする。肯定ネロを含む多くの指導者がこうした症状を示したという記録があるからだ。(p.71)

【私のコメント】

またまたインパクト指数20を突破した本の出現である。本書は化学物質が人間の歴史にどのような役割を果たしたかについて書かれている。高校の化学の時間に習った「亀の甲」や化学式も出てくるがそれがわからなくても大丈夫だ。大航海時代を生んだ胡椒のピペリンやナツメグのイソオイゲノール,バイキングやマゼランを悩ませたビタミンC(アスコルビン酸)の不足,産業革命・南北戦争・爆薬・写真・映画・合成繊維など幅広い分野と関係するセルロース,奴隷貿易・チューインガム・ゴム・タイヤなどと関係するイソプレン・・・本書を読めば,こうした化学物質の発見がなければ今の文明はあり得なかったことがよくわかる。


『ファジィ・ロジック』

D・アクニール,P・フライバーガー著,新曜社,1995年3月15日第1刷,ISBN978-4-7885-0515-0

【インパクト指数】8.9

【本文から】



◆砂山のパラドックス――連鎖式推論

砂山から一粒の砂を取り去っても,そこには砂山がある。もう一粒取り去っても,それは砂山である。それを続けていけば,いつかは一粒の砂が残る。それはまだ砂山か。最後の一粒を取り去れば,そこには何もなくなる。そうなっても砂山か。山でないとすれば,いつ,それは砂山であることをやめたのか。(p.31) ◆存在するものはすべて連続する

パースは世界を真か偽にわける「善人と悪人へ二分する存在」を馬鹿にしていた。むしろ,存在するものはすべて連続していて,そうした連続が知識の基準となると考えていた。(p.34) ◆明日は雪が降るかもしれない

「明日は雪が降る」は真である。

この文の否定は,

「明日は雪は降らない」は真である。

ルファシェヴィッツは,これに別の文を加える。

「明日は雪が降る」かもしれない。

この文は1/2の値をもつ。この文の否定は,

「明日は雪は降らない」かもしれない。

この文も1/2の値をもつ。当然,1/2=1/2だから「文=否定文」だとわかる。(略)家が半分できたということは,家は半分できていないということだ。(p.37)

◆脳は情報を「圧縮して」理解する

人間の脳もたえず感覚器官からの情報を要約している。細部からなる膨大な量の情報を認知できる大きさに圧縮しているのだ。たとえば,人間の網膜を作っているおびただしい光を感じる細胞は,脳が読み解くにはあまりもに多すぎる情報を受けとめている。そこで,流れ込む情報をふるいにかけ,圧縮する方策がとられる。要約するのである。(p.61)

【私のコメント】

西洋は基本的に二分法を好む。白か黒か,きっぱりしたいのだ。灰色などと言う「あいまい」な存在は認めたくない。湾岸戦争でブッシュは世界に向けて何といったか。「アメリカ側につくのか,それともテロの側につくのか」と二者択一を迫った。しかし東洋にはこの伝統はない。むしろ日本はあいまいさを芸術の域まで磨き上げた。「それはどのくらいの時間かかりますか」という問いに,「2時間かかります」という答え方はきっぱりし過ぎていて日本的ではない,「2時間ほどかかります」が正しい。本書にはこのような西洋と東洋の違いについても詳しく触れている。ファジィ理論は,むしろそうした「あいまいさ」を積極的に表現し,「数値的に」表していこうとする。たとえば身長1m75cmで線を引く。これより高ければ「背が高い」,低ければ「背が低い」と二分法ではなる。わずか1cm上回って1m76cmの人でも「背が高い」となってしまうのだ。しかしファジィ理論では,たとえば「0.6だけ背が高い」というような言い方になる。


『いのちのはじまり いのちのおわり』

坂元志歩著,化学同人社,2010年1月31日第1刷,ISBN978-4-7598-1294-7

【インパクト指数】15.2

【本文から】



◆SRYが男性化を決定する 受精後7週目頃に,生殖腺の細胞でY染色体上にあるSRYという遺伝子がはたらき始めると,男の子へと成長を始めることになる。SRYは精巣決定遺伝子と呼ばれ,こおn遺伝子がはたらくと,その下位にある遺伝子のスイッチが次つぎと入り,生殖腺が精巣へと変化していく。(略)たとえ,細胞がXY型(男性型)でY染色体をもっていたとしても,もしSRY遺伝子がはたらかなければ,身体は女性になる。(p.13)

◆動的平衡

アメリカの分子生物学者であるルドルフ・シェーンハイマー博士のマウスの実験によれば,3日間で,身体を構成する半分以上の物質が入れ換わる。シェーンハイマー博士が発見した「動的平衡」と呼ばれる事実だ。(須賀注 福岡伸一氏の『動的平衡 』を参照)(p.17)

◆生き物の細胞で最大のものは卵子,最小は精子

生きものがつくる細胞のなかで,卵子は最も大きな細胞であり,精子は通常最も小さい細胞である。(p.23)

◆胎児期にできた脳のしわは一生変わらない

受精後6ヵ月くらいまでの胎児の脳は,表面がツルツルしている。(略)受精後25週目ころには,ニューロンの形成,移動,連結が進み,皮質は折りたたまれ始める。多数の神経繊維で結ばれた領域の間が強く引っ張られて「回」という隆起になり,弱くつながった領域が「溝」になる。こうして,しわや溝の位置が固定され,生涯にわたって変わることはない。(略)しわや溝などの大脳皮質全体の形状が,考えている以上に私たちの性格や性質を支配している可能性がある。(p.186)

◆脳のニューロンは死ぬまで生き続ける

ニューロンはほかの多くの細胞とは異なり,一度成熟すると,個体の一生の間同じ細胞が生き続けることが多い。(略)つまり,100歳の老人の脳のほとんどは,100歳の神経細胞によって構成されている。(p.188)

【私のコメント】

私はこの本の1頁にある記述に驚いた。私は卵子も精子と同じく女性の閉経まではたえず作られ続けて行くものとばかり思っていた。実はそうではない。本書によると,卵子(卵原細胞)は,女性がまだ母親の胎内にいるときに500万個作られ,その後は二度と生産されない。しかも,この500万個は誕生時には200万個,思春期までには4万個にまで減り,50歳くらいで0になる。しかも,生殖可能な時期に排卵されるのはたった400個だというのだ。男性が一生に約1兆個作る精子と異なり,卵子は貴重な存在なのだ。この本は,こうした我々が知らなかった事実を教えてくれる。


『グラハム・ベル 空白の12日間の謎』

セス・シュルマン著,吉田三知訳,日経BP社,2010年9月27日第1刷,ISBN978-4-8222-9439-8

【インパクト指数】8.8

【本文から】



◆「ワトソン君,来てくれ。用があるんだ」はウソ

この電話誕生の瞬間の話を,キャッソンと同じような形で描いている文献も,講話も,新聞記事も,これが起こったはずの1870年代にはまったく見あたらなかった。私が使える情報源すべて調べて,ベル自身さえも,今日では有名になっている,この話を公に語ったことは一度もなかったことを確認した。(p.249)

◆いったん定着したイメージは容易には変えられない

世間一般には,ベルは電話の唯一の発明者として記憶されている。(略)彼に不利な証拠が次々と法廷で明らかになったにもかかわらず,ベルが独力で電話を発明したという伝説がいったいどうして無傷で生き残れたのか,わたしにはどうしても腑に落ちない。(略)大勢のさまざまな研究者たちが100年以上にわたり,記録を訂正しようと力を注いで絶えず猛攻撃をかけているにもかかわらず,大衆が持っているベルは偉大な人物だというイメージがこれほどまでに揺るぎないのはどうしてか,ということだ。(p.237)

◆ベルはグレイの特許を盗み見て,自分のものとして申請した

グレイの特許クレームの3頁目にある,彼が描いた自身の発明品の略図を見て,わたしは(略)ショックを受けたのである。わたしはすぐさま,これとほとんどまったく同じ図をつい先日,見たばかりだと気づいたのだ――それも,ベルの実験ノートのなかで。これが何を意味するかは瞬間的にわかった。(略)ベルはワシントンへの旅からボストンの実験室に戻って,それまで続けてきた一連の系統だった探究を放棄して,競争相手の発明をほぼそっくり自分のノートに描いたのだ。

◆ベルはその発明の核となる原理を,後で思いついたかのように申請書に「手書き」で書き加えた

この(ベルの出願特許)の原本では,ひとつのパラグラフが,ベルのものと思われる筆跡で,左側の余白に書き込まれている。(略)これぞまさしく,電話を可能にした強力なクレームであり,このクレームがあったからこそ,(略)最終的にはどの法廷もベルの特許を支持したのであった。(略)イギリスの技術者,ジョン・キングズバリが早くも1915年に次のように述べている。

発明者が,自分の発明の要となる特徴を,最後の瞬間まで見落としているなど,あまりに妙ではないか?(p.219)

【私のコメント】

多数のノーベル賞受賞者を輩出しているあの「ベル研究所」にまで,名前が使われているアレクサンダー・グラハム・ベルだが,もう100年以上にもわたって,「電話機発明の父」については取りざたされてきた。本書はそれをさらに強く裏づけるものである。ベルがワシントンの特許庁に行って,特許審査官ウィルバーに100ドル紙幣を渡し,ライバルであったイライシャ・グレイの仮特許を1時間かけて見た。これは特許審査官ウィルバー本人が供述書にこのように述べ,署名しているのだ。そもそもベルは,裕福な企業家のパトロンにして,当時使われていた電信機を使って複数の情報を送れないかという研究をしていた。彼は音声の伝達装置については全く考えてもいなかったのだ。それが突如,特許申請の直前に音声伝達方式が「手書きで」書き込まれている。過ちを正すに遅すぎるということはない。科学や歴史,いやいかなる分野であろうとも,新事実が明らかになった場合は,是正されるのは当然だろう――電話機を明したのはグラハム・ベルではない。


『「はやぶさ」式思考法――日本を復活させる24の提言』

川口淳一郎著,飛鳥新社,2011年2月13日第1刷,ISBN978-4-86410-063-2

【インパクト指数】18.2

【本文から】



◆卑屈にならない

この(NASAとの)交渉過程で,一つだけ私が肝に銘じていたことがあります。それは卑屈にならないこと。NASAは宇宙開発の大先輩であり,巨人ではあるけれど,私たちも国家プロジェクトとして日の丸を背負っていました。何かを御願いするだけだと頭を下げ続けることになります。そうではなく「私たちはこういう提供ができるから,この部分で力を貸してほしい」という姿勢を貫きました。私たちが心の底から「はやぶさ」の成功を誇れる所以です。(p.175)

◆遠くとも,光が見えていれば歩いて行ける

税収が落ち込み,社会福祉に行き詰まるのは,少子化が原因と言われますが,少子化を招いているのは,将来に対する不安でしょう。今はなんとか暮らしているけれど,この先どうなってしまうのだろうかという不安。これを解消すること,つまり「日本の未来は明るい」と感じてもらうことを,少子化対策の基本とすべきです。そのためにどうしたらいいかと言ったら「投資」しかありません。今は苦しいかもしれないけれど,10年,20年後には,この投資が開花する時代が来る。そう思ったら頑張れます。遠くとも,光が見えていれば歩いていけるのです。遠くの光を「燃料がもったいない」と言って消してはいけません。(p.219)

【私のコメント】

あれほどのトラブルに見舞われながらも,「はやぶさ」は帰ってきました。これまでの失敗に学び,「はやぶさ」では一つのトラブルが起きてもそれが全体に波及しないような工夫がなされていたのです。「想定外」はどんなときでも起こり得るのです。大切なことはどんなことが起きてもそれを致命傷にさせない,ネットワーク的な工夫が大切です。本書は「はやぶさ」プロジェクト・マネージャーの川口淳一郎氏が「はやぶさ」の経験を踏まえて,日本の将来について提言しています。


『科学は歴史をどう変えてきたか――その力・証拠・情熱』

マイケル・モーズリー,ジョン・リンチ著,久芳清彦訳,東京書籍,2011年8月22日第1刷,ISBN978-4-487-80525-9

【インパクト指数】12.7

【本文から】



◆ショックレーという男

ウィリアム・ショックレーという物理学者がいた。第二次大戦末期にアメリカ軍が日本本土に上陸した場合には,多数の犠牲者を出すとの報告をまとめ,原爆投下の決定に影響を与えた人物でもある。(略)素ックレーは研究者としては文句なしに一流だったが,辛抱の厚い上司とはとても言えない面があった。1947年,開発チームがトランジスタの試作に成功し特許を申請する際,部下はショックレーの名前をわざわざ外していた。これを知ったショックレーは屈辱を晴らそうと,ホテルに泊まり込んで4週間後にはよろ頑丈で実用的なトランジスタの設計を仕上げてしまった。これが今日使われているトランジスタの元になったものである。(p.94)

◆ミルクココアを発明した男

カカオを(ジャマイカの)島民は薬用として飲んでいた。(アイルランドの医師兼植物学者ハンス・)スローンはその効能について「胃のむかつき,消化不良に効く」と記している。ミルクと混ぜて飲んだところ大変おいしかったので,ロンドンに帰ってから「胃がすっきりする」飲み物として特許を申請した。スローンはこの特許によって莫大な収入を得た。その後,菓子メーカー,キャドバリー家が買い受け,同家は現在,優良な菓子メーカーになっている。(p.102)

◆わたしたちは偶然ここにいる

かりに時計の針を生命が生まれた太古の時代に戻して,もう一度,生物の進化と地球の変化をあるがままに任せてみたら,私たちがここにこうしていられるかは,はなはだ疑問である。冗談で言うのではない。私たちは,偶然ここにたどり着いたのだ。(p.138)

【私のコメント】

2011年3月11日の津波による福島原発の事故によって,私たちはあらためて放射能の恐ろしさを学んだ。実は1898年,キュリー夫妻がラジウムを発見した。ラジウムを短時間浴びると放射能の害に対抗して,体は赤血球を増やす。これを我々は「元気になった」と感じる。そこで商売に長けた連中が,何と(ラジウム入りの)「放射能練り歯磨き」「美容クリーム」「錠剤」「ラジウム炭酸水」などを売り出したのだ。ぴつtバーグのある起業家はラジソールという銘柄のラジウム水を毎日愛飲しているうちに,あごの骨が溶けだし,苦しみもだえて死んだ――本書では,他にも,たとえばフロイトやイェーツは精力増強のため死刑囚の睾丸を移植してもらったなどという,奇妙なエピソードも語られている。


『たまたま――日常に潜む「偶然」を科学する』

レナード・ムロディナウ著,田中三彦訳,ダイヤモンド社,2009年9月17日第1刷,ISBN978-4-478-0052-4 C0033

【インパクト指数】11.8

【本文から】



◆叱ることは褒めることより有効か?

「私は,見事な操縦には,訓練生たちをしばしば暖かく褒めてきましたが,すると次回は決まって悪くなります。(略)また下手な操縦には生徒たちを怒鳴りつけてきましたが,おしなべて次回は操縦が改善されます。ですから,報酬はうまくいくが罰はそうではない,などと仰らないでください。私の経験はそれと合致しません」。他の教官たちもみな同意見だった。(略)一方,カーネマンは,報酬は罰よりうまくいくことを証明した動物実を信じていた。(略)そして突然ひらめいた――怒鳴ったあと改善が見られるのは確かだが,見かけと違い,怒鳴ったことが改善をもたらしたのではないのだ,と。(略)その答えは,「平均回帰」と呼ばれる現象にある。平均回帰とは,どんな一連のランダムな現象いおいても,ある特別な事象のあとには純粋の偶然により,十中八九,ありきたりの事象が起こる,というもの。(p.14)

◆能力があっても,すぐに成功には結びつかない

ジョン・グリシャムの『評決のとき』の原稿は26の出版社にはねられた。彼の第二原稿『法律事務所』が出版社の気を引いたのは,ハリウッドに流れていたその海賊版が60万ドルの映画放映権を引き出したあとにすぎなかった。(略)またJ・K・ローリングの『ハリー・ポッター』の最初の原稿は9社にはねられた。(略)すべての分野の成功者が,ほとんど例外なく,ある特定の人間集団――けっして諦めない人間集団――の一員であるのはそのためだ。ことの大小を問わず,仕事での成功,投資での成功,決断での成功など,われわれの身に起こることの多くは,技量,準備,勤勉の結果であるのと同じぐらい,ランダムな要素の結果でもある。つまり,われわれが認識している世界は,その根底をなす人間や状況の直接的な表れではない。そうではなく,それは予見できない,あるいは絶え間なく変化する外力のランダムな作用によってぼかされた像だ。能力は問題ではない,と言ってるのではない。能力は成功の確率を増す要素の一つである。しかし行動と結果の結びつきは,われわれが願うほど直接的ではない。だから,過去を理解するのは容易ではないし,未来を予測するのもそうだ。どちらについても,表面的な解釈を超えて考えることが有用だ。(p.18)

【私のコメント】

私は教育の世界に身を置いてきたが,つくづく「人間,努力3割,運7割」と思うようになった。もちろん努力は必要だ。これなくして夢は達成できないのは事実だ。しかし,努力したからといって成功するとは限らないのも,誰もが経験則として理解していることだろう。我々は単なる偶然をともすると,理屈をつけて「必然」とみなしてしまいがちだ。人間は物事に理由をつけたがる動物だからだ。本書は,日常に潜む「ランダム」をわかりやすく紹介してくれる。第二次世界大戦中に,ロンドンに落とされたドイツのV2ロケットの着地点を見ると,明らかに意図的であり,V2ロケットの制御能力,ひいてはドイツの技術が想像を絶するほど進んでいるように見えた。後にロンドン市を576の区画に区分し,V2着地点との関係を数学的に検証した結果,全体的なパターンは「ランダム」な分布と一致していたなどのエピソードが満載である。本書はその他にも,「たまたま収税史の仕事をしていたラボアジェは,フランス革命で断頭台の露と消えたが,ラプラスは『王室への抑えきれない嫌悪』を表明したラプラスは共和国家から新しい特権を手に入れた。そしてナポレオンが皇帝になると,若かりし頃にナポレオンが砲兵隊への入隊を審査したこともあり,ただちに共和主義をかなぐりすてて伯爵の称号を与えられた。ところが1813年にブルボン王朝が復活すると,前年には「ナポレオン大皇帝」に献呈していた自著の中で,ナポレオンを叩いた」などのおもしろいエピソードもある。また,ラボアジェがギロチン台に上る寸前に,助手に向かって「切り落とされた頭が言葉をいくつしゃべろうとするかを数えるように」と言ったとされているなどという話も載っている。


『スプーンと元素周期表――「最も簡潔な人類史」への手引き』

サム・キーン著,松井信彦訳,早川書房,2011年6月25日初版,ISBN978-4-15-209221-2 C0043

【インパクト指数】10.1

【本文から】



◆メンデレーエフの人生にまつわるれやこれやに歴史家や科学者が興味を膨らませたのもよくわかる。言うまでもないが,あの周期表をつくっていなかったら,彼の一生は今ごろ誰の記憶にも残っていなかったに違いない。メンデレーエフの仕事はよく,進化論にかんするダーウィンの仕事や,相対性理論にかんするアインシュタインの仕事と並べられる。三人とも,事を何から何まで自力で成し遂げたわけではないが,そのほとんどを,ほかの科学者よりエレガントにやってのけた。(p.68)

◆1919年,ハーバーは空席になっていた1918年のノーベル化学賞を受賞しており,(ノーベル賞は大戦中は中断されていた),彼の肥料は戦時中の飢餓から多くのドイツ国民を救えなかったにもかかわらず,授賞理由は窒素からアンモニアを合成するプロセスの発明だった。一方,翌年には国際戦犯として裁かれており,その理由は何十万という人を死傷させ,何百万という人を恐怖に陥れた化学戦を遂行したかどだった――まったく相反する,自分の栄光を自ら貶めるような話である。(p.108)

◆14世紀の日本でのこと,ある刀鍛冶が鉄にモリブデンを振りまいて,かの島国の武士がほかのどれより欲しがった日本刀を作りあげた。その刃は決して鈍(なま)ったりこぼれたりしなかったという。だが,この日本のウルカーヌスは秘伝とともにしんでしまい,その技は500年以上失われたままだ――優れた技術が必ずしも広まるわけではなく,廃れてしまうことが多いという一つの証と言える。(p.110)

【私のコメント】

本書は単なる元素の説明ではなく,元素にまつわる実に様々な人間臭いエピソードを集めたものである。「アルミニウム」はかつては金よりも高価だったので,ナポレオン三世は特別な客にはアルミの食器を,それ以外の客には金製の食器を出したとか,現在1オンス(約28キログラム)単位で買える最も貴重な(よって高価な)元素は,金や銀ではなく,「ロジウム」であるなどという話もある。文系理系を問わず楽しめる本である。


『人間はどこから来たのか,どこへ行くのか』

高間大介著,角川文庫,2010年6月25日初版,ISBN978-4-04-394359-3 C0195

【インパクト指数】15.5

【本文から】



◆ネッカー・キューブで二つの立方体が交互に入れ替わって見える理由

いったいなぜ,そんな切り替えが起きるのか。(略)「ゾウリムシのような単細胞生物に共通する生命一般からの類推なんですけど」と断ったうえで,(理化学研究所の)山口(陽子)さんはこう説明してくれた。「生きるということは,絶えず変化する環境のなかで,生命システムを維持・発展することです。自らと環境との関係をつくり続ける営みともいえます。だから,どんな生物でも,周囲のいろいろなところに注意を向けて生活をしてきたわけです」(p.5)

◆「家族」ができた理由

隠れる場所の少ない草原で,これといった武器を持たないヒトの祖先は肉食獣にたびたび襲われたのではないか。特に襲われたのは子どもだったはずだ。そのため,死亡率が高くなった人類は,それを補うために多産にならざるを得なかったのではないか。次々と子どもを産む戦略は当然,子育ての負担が格段に大きくなることを意味する。私たちの祖先は巨大な脳を持つ前から,もはや母親だけで育てることは無理になっていたと考えられるのだ。そこで,少しずつ家族という絆を強め,集団で育てるという選択が広まっていったのだろう。(p.56)

【私のコメント】

本書のタイトルはゴーギャンの代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」からヒントを得たものである。 著者はNHKチーフプロデューサーで,「サイエンス ZERO 『シリーズ ヒトの謎に迫る」をもとに本書は構成されている。それぞれの分野の最先端にいる科学者にインタビューをして,ヒトに関する様々な不思議の謎を解こうと試みている。ほとんどはまだ仮説の段階ではあるが,非常におもしろい。


『明日をどこまで計算できるか?』

デイヴィッド・オレル著,太田直子他訳,早川書房,2010年1月25日初版,ISBN978-4-15-209105-5 C0040

【インパクト指数】8.8

【本文から】



◆人類の歴史の大半をとおして,占星術も天気予報も同一の専門家によって行われてきた。人間も大気も煎じつめれば本質は同じというわけだ。17世紀の天文学者ヨハネス・ケプラーは,大学の学費をこうして占星術師をつとめることで稼ぎ出し,じつのところ生涯の大半をこの稼ぎに頼った。(p.14)

◆紀元423年,アリストファネスは『雲』と題する喜劇を書いた。喜劇の主人公はやはり「ソクラテス」といい,彼は雲その他の自然現象を神より崇拝した。(略)この戯曲によってソクラテスはまず面白がられ,次いで哀れなアンチヒーローとなった。『雲』が発表されてから24年後,ソクラテスは異端の神を信じ,若者を堕落させた罪により裁判にかけられた。おそらく,告訴人たちは戯曲の登場人物と現実の人物を混同していたのだろう。(p.46)

◆あるものに自由意思があるかどうかと考える場合,そのものの挙動をどの程度まで予測可能と考えるかにかかっていることが多い。あるシステムが完全に予測可能な場合,あるいは完全にランダムである場合には,私たちは,そのシステムが外からの力を受けていると仮定しがちである。しかし,もしシステムが中間的な状態で動いていて,その挙動には認識可能なある種のパターンや秩序があるものの,予測はまだ難しい場合には,私たちは,そのシステムが独立して動いていると考える。(p.120)

【私のコメント】

本書は「予測」の歴史について語られている。天気予報も予測の一つであるが,これは19世紀半ば,かつてダーウィンが乗ったビーグル号の船長であったロバート・フィッツロイ大将が世界で初めてロンドンの新聞に掲載した(p.141)。彼は船乗りに暴風雨を警告するためにこれを考えたのである。もっともその精度はおして知るべしだった。20世紀に入っても,天気予報の計算を行うためには64,000人の「コンピュータ」が必要と考えられていた。ここで言う「コンピュータ」とは「計算する人」という意味である。天気予報の精度は現在非常に高まっているが,しかし一週間以上先となるととたんに精度が落ちてくる。スーパーコンピュータが使える現在においてもなお,予測は難しいのだ。


『単純な脳,複雑な「私」』

池谷祐二著,朝日出版社,2009年5月15日発行 ISBN978-4-255-00432-7 C0095

【インパクト指数】8.0

【本文から】



◆吊り橋の上は高所ですよね。だから緊張するわけです。高所恐怖症じゃなくても多少ドキドキする。そうしてドキドキしているときに告白されたりすると,脳はおバカさんなので,そのドキドキしている理由を勘違いしてしまう。「あれ,自分はときめいているのか?」とね。つまり,本当は吊り橋が怖くてドキドキしているのに,「告白してきたあの人が魅力的だから,私はこんなにドキドキしているんだ」と早とちりする。そして,相手に好意を持ってしまうんです。(p.58)

◆「正しい」というのは,「それが自分にとって心地いい」かどうかなんだよね。その方が精神的に安定するから。それを無意識に求めちゃう。つまり,「好き」か「嫌い」かだ。自分が「心地よく」感じて,「好感」を覚えるものを,僕らは「正しい」と判断しやすい。(p.120)

【私のコメント】

著者はすでにアメリカの高校生を相手に脳について講義をして,それを「進化しすぎた脳」という本にまとめている。今度は,日本の高校生9名に講義をして,それを起こしたのが本書である。私自身は「対談」や「講義録」形式の本はあまり好きではないのだが,この本はおもしろかった。実例を示しながら,脳(心)の働く仕組みをわかりやすく解説している。


『代替医療のトリック』

サイモン・シン&エツィアート・エルンスト著,青木薫訳,新潮社,2010年1月30日発行 ISBN978-4-10-539305-2 C0047

【インパクト指数】9.1

【本文から】



◆ナイチンゲールは,献身的な従軍看護婦であるだけでなく,優秀な統計学者でもあった。(略)フローレンスはイタリア語,ギリシャ語,歴史,そしてとりわけ数学を学んでいた。実際彼女は,ジェイムズ・スルゲスターやアーサー・ケイリーなど,イギリスでも第一級の数学者たちの指導を受けていたのだ。そのおかげでナイチンゲールは,衛生状態の改善によって生存率が向上したという自らの主張を裏づけるために,数学で身をつけた力を発揮して,社会統計学を利用することができた。(p.46)

◆統計が得意だったおかげで,ナイチンゲールは政府を説得し,一連の医療改革がどれほど重要かをわからせることができた。たとえば,当時は多くの人が,看護婦の養成など時間の無駄だと論じていた。なぜなら,訓練を受けた看護婦の世話を受けた患者のほうが,訓練を受けていない者の世話を受けた患者よりも,死亡率は高かったからだ。しかしナイチンゲールは,重篤な患者は,訓練を受けた看護婦のいる病棟に送られることが多いことを指摘した。もしも二つのグループの結果を比較したいのなら,患者は二つのグループにランダムに割り振られていなければならない。そこでナイチンゲールが,訓練を受けた看護婦と,そうでない看護婦に,患者をランダムに割り振って臨床試験を行ってみたところ,訓練された看護婦の世話を受けた患者のグループは,訓練されていない者の世話を受けたグループより,はるかによい経過をたどることが明らかになった。(p.47)

◆彼(毛沢東)の主治医だったリー・ジースイは,『毛沢東の私生活』という回想録のなかで,「漢方医療を奨励すべきだということは確信しているが,個人的には漢方を信用していない。私は漢方の治療は受けない」という毛自身の言葉を紹介している。(p.67)

◆ホメオパシーでは,30Cはごく普通の希釈だが,これははじめの母液が百倍に希釈されるプロセスが,30回繰り返されるということだ。つまり母液は,1,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000倍に希釈される。(略)問題は,1グラムの母液にはたかだか1,000,000,000,000,000,000,000,000ほどの分子しか含まれていないということだ。(略)極端に希釈された溶液には,はじめの母液に含まれていた分子は1個も含まれていない。(略)30Cレメディーに有効成分の分子が1個含まれている確率は,十億分の一の十億分の一の十億分の一である。換言すれば,30Cホメオパシー・レメディーは,ほぼ確実にただの水だということになる。(p.131)

【私のコメント】

サイモン・シンの本はどれもおもしろいのだが,今回はやや切れ味がないように感じられるのは共著のせいか。それでも十分なインパクト指数ではある。ホメオパシー,カイロプラクティック,鍼はいずれもほとんどがプラセボ効果というのが本書の結論である。ウェストミンスター大学は,まともな分野で多くの学位を出しているが,一方,代替医療の学位を14種類も出している(本書 p.320)。 著者は,大学でホメオパシーを教えることは,「まじない師」を養成しているのと同じだと断言する。本書のp.190に引用しているカール・セイガンの次の言葉は示唆に富む。

「ひとつは,どれほど奇妙だったり直観に反したりしても,新しいアイデアには心を開いておくこと。そしてもうひとつは,古いか新しいかによらず,どんなアイデアも懐疑的に厳しく吟味することだ。そうすることで,深い真実を深いナンセンスからより分けるのである。」


『進化の存在証明』

リチャード・ドーキンス著,垂水雄二訳,早川書房,2009年11月25日初版 ISBN978-4-15-209090-4 C0045

【インパクト指数】9.7

【本文から】



◆イヌの家畜化から私たちはどんな教訓を学ぶべきなのだろう? (略)驚くほど少数の遺伝子しかかかわっていないかもしれない。しかし変化はあまりにも大きい――犬種の相違はあまりにも劇的である――のだから,数世紀どころではなく何百万年をかけた進化がどうなるか想像がつくだろう。たった数世紀,あるいは数十年で(犬種のように)これほどの進化的な変化がもたらされるのなら,1億年あるいは10億年という年月があればどれほどのことが達成できるか,ちょっと考えてみてほしい。(p.91)

◆ダーウィンの特別な天才あってこそ,自然が選択実行者(エージェント)役を果たすことができると気づくのが可能になったのだ。人為淘汰については誰もが,少なくとも,農場や庭園,ドッグ・ショーやハト小屋でなにがしかの経験をもつ人なら誰もが知っていた。しかし,選抜実行者(エージェント)がかならずしもいなくともいいことにはじめて気づいたのはダーウィンだった。自然淘汰は生き残り――あるいは生き残りの失敗――によって自動的におこなうことができる。(p.125)

◆J・B・S・ホールデンは,進化論の反証になるような観察事実お例を挙げてくれと求められたときに,よく知られた返答をした。「先カンブリア時代からの化石のウサギが見つかることだ!」。そんなウサギは見つかっていないし,まぎれもない時代錯誤の化石など,どんな種類のものであれ見つかっていない。(p.231)

【私のコメント】

「アメリカ人の40%以上は,人間が他の動物から進化したことを否定」しているという(本書p.52)。ドーキンスはやりきれないという気持ちで,いまさらあほらしいと半分思いつつもこの「進化の証明(原題は The Greatest Show on Earth)」を書いた。彼は中東でなお続く自爆テロなどに触発されて,過激にも「神は妄想である」という本も出している。本書は,進化は誰が見ても否定できない事実であることをこれでもかという例を挙げつつ,見事に論証している。


『数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ』

イーヴァル・エクランド著,南條郁子訳,みすず書房,2010年12月28日発行 ISBN978-4-7942-1793-6 C0040

【インパクト指数】14.7

【本文から】



◆ギリシャ哲学では(略)真に完全なものは変化しない。育つこともなければ衰えることもない。不変にして永遠である。プラトン哲学では,完全なものこそが存在する。それだけが真の実在なのだ。わたしたちが生きている間に見る者は,これらイデアのあわれな反射,壁に映った影にすぎない。ただわたしたちは死後,それらの現物(オリジナル)を見つめること,つまり永遠の真,永遠の善,永遠の美を見ることをゆるされ,のちの生にその記憶の一部をもっていく。わたしたちは数学的心理を「発見」するのではない。この世の外にあるその世界を通過したちき見たものの記憶が蘇るのだ。(略)プラトン哲学においては,真理は発見するものではなく,思い出すものである。(p.16)

◆すべてを同じ一瞬で裁断した宇宙の輪切りを想像することは可能だろうか。ピサ聖堂の大燭台が揺れの途中で止まり,皇帝の足が歩みの途中で止まり,惑星が軌道上で止まり,銀河が渦巻きの途中で止まり,すべてが一瞬に凍りついたような全宇宙の断面。そういうものを想像することにもし意味があるとすれば,宇宙の全歴史はそのよう断面を時間の順に重ねたものになるだろう。ちょうど動画が何枚もの写真を時間の順に重ねてできているように。(p.25)

◆だから宇宙には,粗悪なもの,不毛なもの,死んだものは一つとしてなく,渾沌も,混乱もたんなる見せかけにすぎない。それは少し離れた所から池を眺めるとそのように見えるのに似ている。つまり混乱した動きと,池の魚がいわばうようよしているのが見えるだけで,魚そものものが見えていないのである。(ライプニッツ『単子論」)(p.71)

【私のコメント】

まずタイトルがおもしろい。「最善世界」とはライプニッツが言いだした言葉だ。全能の神が(いろいろな選択肢の中であえて)この世を作ったからには,この世は「最善の世界」であるはずだ――この発言で死後彼は徹底的に馬鹿にされた。殺人,いじめ,虐待が渦巻くこの世のどこが「最善」なのかと人々は笑った。しかし彼がいいたかったのは違う。なるほど個々には様々な矛盾を抱えているのは事実だ。しかし,トータルではこの世は最善なのである。ライプニッツはこう言いたかったのだ。彼を世に誤解させた犯人は,ボルテールである。彼はライプニッツの「最善世界」を,モーペルチュイのものと混同してしまったのだ。ボルテールはライプニッツに対して取り返しのつかないミスをしてしまった。


『心をつくる――脳が生み出す心の世界』

クリス・フリス著,大堀壽男訳,岩波書店,2009年5月28日発行 ISBN978-4-00-006312-8 C0045

【インパクト指数】8.0

【本文から】



◆どんな集団でもそうだが,科学者にも身分の上下というものがある。心理学者は底辺に近いあたりにいる。(略)学者のパーティーでは「で,あなたの御専門は?」と聞かれるのは宿命である。(略)「で,あなたの御専門は?」と尋ねる声がした。(略)この人物は物理学科の新しい学科長だ。まずいことに,「私は認知神経科学をやっています」という答えは時間かせぎにしかならない。(略)すぐに彼女は「ああ,あなた心理学者ね」と合点する。顔には例のメッセージが書いてある――「ホンモノの科学をやったらどうよ?」と。(p.1)

◆私たちの感覚が健全で脳が正常い働いているとして,物理世界に直接アクセスしているわけではない。私たちはそのように感じるが,それは脳が創り出した錯覚なのだ。(p.50)

◆私が知覚しているのは,外の世界から目や耳や指に入ってくる粗雑で曖昧な手がかりではない。私が知覚しているのはもっと豊かな世界だ――それはこうした粗雑な信号が過去の経験という財産と結合してできた一幅の絵のようなものである。(p.167)

◆人の目には盲点と呼ばれる光の受容体が存在しない部分がある。ここは網膜から脳(視神経)へ感覚信号を伝えている神経線維が束ねられる場所なので受容体が入る余地がない。視野の欠けた部分は脳が補ってしまうので人は盲点に気づかないだけだ。脳は盲点に隣接している部分からの信号を利用して欠けた情報を埋め合わせるのである。(p.170)

【私のコメント】

私たちが日常知覚している周囲の世界は,感覚器官が捉えた粗雑な情報を受け取った脳が,過去の情報に照らし合わせて見事に描き上げた「作品」である。私はこれを理解したことで,おおげさな表現をすれば「人生観が変わった」気がした。本来は私たちは暗く,匂いも音も味も存在しない物質世界の中に存在しているのだが,私たちの感覚器官がそうした電磁波や音波や化学物質を認知し,脳に送り,脳はそれらを色・音・香り・味と解釈してくれているおかげで,私たちは楽しい日常を送ることができているのだ。食塩(塩化ナトリウム)自体が「からい」という性質を持っているわけではなく,赤色はそもそも赤い性質を持っているわけではない。それらはただの物質であったり,電磁波であるにすぎない。そうした「クオリア」を感じるのは,私たちの脳がそれを創り出しているからである。


『137――物理学者パウリの錬金術・数被術・ユング心理学をめぐる生涯』

アーサー・I・ミラー著,坂本芳久訳,草思社,2010年12月28日発行 ISBN978-4-7942-1793-6 C0040

【インパクト指数】7.7

【本文から】



◆微細構造は,言ってみれば各波長の光の特徴を表す指紋やDNAのようなものなのだ。その微細構造を決定しているのが137という数だったので,ゾンマーフェルトはこれを「微細構造定数」と呼んだ(実を言うと,微細構造定数の価は1/137なのだが,物理学者たちは便宜上,137といえば微細構造を指すとしていた)。(略)137という数がそれほど重要なものなら,相対性理論や量子論を記述する数字から導くことができるはずではないだろうか。だが,物理学者たちが困惑したことに,だれも微細構造定数を理論から導くことができなかった。微細構造定数が絶妙としか言いようのない値になっていて,そのおかげで,地球上の生命の存在が可能になったことも明らかになった。したがって,物理学者たちが微細構造定数を「神秘数」と呼ぶようになったのも当然だった。(P.13)

◆ウォルフガング・パウリには不思議なことがついてまわった。パウリが研究者の道を歩みはじめた当初から,彼が実験室に入ってくると実験装置がひとりでに動かなくなってしまうことに,同僚たちはいやでも気づかざるをえなかった。「パウリ効果」と呼ばれるようになったとはいえ,そんなものが存在するはずもないのは明らかだった。単なる偶然に違いない。それにもかかわらず,同じような現象が何度となく生じた。(P.45)

◆西欧では,出来事は因果的過程を通して次から次に連続的に展開していくと考えるのがふつうである。だがユングは,出来事と出来事のつながりは縦方向だけでなく,横方向にも伸びている――ある瞬間に世界中で生じるあらゆる出来事は,巨大なネットワークのようなもののなかで互いにつながっている――と確信していた。(P.298)

◆ユングは共時性の科学的根拠として,量子物理学から導かれるきわめて劇的な結果の一つを持ちだしていた。原子レヴェルで生じる過程では,時空内の位置を示す座標とその現象の因果的記述は互いにあい入れない関係いあるというのがそれである。どちらか一方を正確に表すことができても,両方を同時に正確に表すことができないのだ。(略)パウリから科学に知識を得たユングは,量子物理学がmたらすこれらの結果は,時空内での出来事と出来事には因果的連鎖以外の結びつきもありうることを示しているのだと解釈した。(P.302) ◆パウリは,もしユングがまったく意味をなさない物理学の論文などを発表し,自説の裏づけとしてパウリの名を持ち出すことになれば,自分の名声に傷がつくのではないかと不安だったのだ。だが,ユングとパウリの議論は非常に実り多いものだったので,中途半端な状態で打ち切る分けにいかなかった。とりわけパウリをとらえたのは,量子力学と心理学との架け橋を見つけるという考えである。その鍵が共時性にあるのは確かだった。(P.305)

【私のコメント】

本書はある種の危なさを感じながらも,ユングに惹かれていくパウリの心情がうまく描かれている。結局パウリは最後までユングを信頼していた。1958年,パウリが激しい胃痛を起こしてチューリヒの赤十字病院に担ぎ込まれた。友人が見舞いにいくと,パウリは興奮して「この病室の番号を見たか?」と聞いた。気づかなかったと友人が答えると,パウリはうめくように「137号室だ!」といった。「私がここから生きて外に出ることはない」。10日後パウリはすい臓がんのためその病院で死んだ。

私が岡山の三省堂書店で,表紙に大きく「137」と書かれた本書を買った時,私の横で若い女性が文房具のようなものを買っていた。私が本書をレジのカウンターにポンと置いたまさにその瞬間,隣にいたもう一人のレジ係がその若い客に向かってこう言っているのが聞こえてきた。「137円になります」! なんとこれもまたユングの言う「シンクロニシティ(共時性)」なのだろうか?


『不運の方程式――あなたの「ついてない!」を科学する』

ピーター・J・ベントリー著,三枝小夜子訳,新潮社,2010年5月25日発行 ISBN978-4-10-506181-4 C0098

【インパクト指数】12.5

【本文から】



◆鳥の糞は,島をつくるだけでなく,世界の生態系において重要な役割を果たしている。海鳥の糞は,毎年1万〜10万トンのリンを海から陸に移動させているのだ。水鳥は,湿地の窒素お40パーセントとリンの70パーセントを海から移動させていると考えられている。土地を肥沃にするこうした鳥たちがいなかったら,多くの環境は栄養分が不足し,植物が生えることができなかっただろう。(P.71)

◆近年,考古学者が,スウェーデンのオールスト島にある狩猟採集小屋の遺跡の床に,カバノキの樹脂の塊が三つ落ちているのを発見した。樹脂には噛んだあとがあり,その歯型から,噛んでいたのはティーンエイジャーだったことが明らかになった。9000年前のガムである。(P.110)

【私のコメント】

本書は,このコーナーの2つ下で紹介しているアッカーマンの「からだの一日」に切り口がそっくりである。ある人の朝から晩までの一日の出来事を題材に,科学的な説明が加えられている。しかし,この本の場合は対象は「からだ」ではなく,「ついていない出来事」である。この本の主人公は気の毒に朝から晩までさまざまな不運に見舞われる。浴室で転倒したり,ガソリンのレギュラーと軽油を間違えたりさんざんだ。それら一つ一つについて,科学的には何が生じたのかが筆者の豊富な取材力を元に説明が加えられていく。この本の原題は "The Undercoverd Scientist"つまり「覆面科学者」――著者は,ちょっとした不運に見舞われたとき,「ついてない!」で片づけずに,どうしてそうなるのかを調べてみる人をこう呼んでいる。科学的知識について得るところの多い本である。


『ミドルワールド』

マーク・ホウ著,三井恵津子訳,紀伊国屋,2009年10月25日初版 ISBN978-4-15-209080-5 C0045

【インパクト指数】7.8

【本文から】



◆この本は,ヒトの髪の毛の太さの100分の1から10分の1の大きさをもったものが住む世界の物語である。(略)ほとんどの科学者――大科学者でさえも――が,そんな中途半端なスケールのところで重要なことが怒っているとは,思ってもみなかった。(P.24)

【私のコメント】

マクロ(宇宙)やミクロ(原子)に関する本はたくさんある。しかし,その中間にある世界にこそ重要なものがあると著者はいう。18世紀にスコットランドの植物学者ロバート・ブラウンが発見した「ブラウン運動」を土台に,さまざまな科学者のエピソードをまじえて「ミドルワールド」について語られている。


『からだの一日』

ジェニファー・アッカーマン著,鍛原多恵子訳,早川書房,2009年10月25日初版 ISBN978-4-15-209080-5 C0045

【インパクト指数】16.0

【本文から】



◆私たちの抜け目のない祖先は夜の闇に乗じて生き延びた。闇の中では視覚より聴覚がものを言う。長い時を経て,彼らは時間次元に関する情報を加味した,きわめて精緻な聴覚系を進化させた。現在,私たちの耳は一秒の数分の一という長さの一連の音を正しい順番で聞きわけ,音源の空間位置を知ることができる。(P.53)

◆あとからやってくる筋肉痛は,筋肉にできた微小な裂け目が1〜2日後に炎症を起こすために起きる。小さな裂け目を補修しようと駆けつけた白血球が,痛み――損傷と休息の必要性を知らせるメカニズム――を感じさせる化学物質を放出するのだ。(P.195)

【私のコメント】

本書は,我われ人間の一日の行動をもとに,私たちの体の中ではどのような仕組みが働いているかをわかりやすく説明している。学ぶところの多い本である。


『孤独の科学』

ジョン・T・カシオポ&ウィリアム・パトリック著,柴田裕之訳,河出書房新社,2010年1月30日初版 ISBN978-4-309-24506-5 C0011

【インパクト指数】7.3

【本文から】



◆孤立感を覚えない人などいない。空腹感や身体的な痛みと無縁ではいられないのと同じだ。(略)しかし,いったんそれが引き起こされると,孤独感が生む自己防衛型の思考(孤独感に歪められた社会的認知)のせいで,些細な社会的事柄がすべて大問題に思えてしまう。(P.52)

◆人々を動揺させ,その自己調節能力を奪うのは,各自の人生の初期のころに,そして人類の歴史のごく初期のころに起源を持つ恐れだ。その圧倒的な恐れとは,どうしようもない深刻な孤独を感じることに対する恐怖なのだ。(P.75)

◆社会がどれぼど豊かになりテクノロジーが向上したといっても,一皮むけば人間は,6万年前,雷雨におびえ肩を寄せ合っていたか弱い生き物のままなのだ。(P.78)

◆私たちが互いに依存するのは,たんに心遣いや慰めのためなどではなく,生存そのもののためなのだ。(P.278)

【私のコメント】

時々誰もが襲われる不安感や孤独感。しかし,この孤独感は遠く人類がアフリカを出る前にインプットされたものなのである。群れからはずれれば,死を意味していた状況から我われの脳はまだ脱していないのである。「孤独」は単に憂鬱な気持ちを表すのでなく,我々の認知能力を低下させ,時には生存に関わるほどの有害なものなのである。本書は,認知科学の観点から,誰もが直面する「孤独」をどう乗り越えるかを教えてくれる。ポイントは「たとえ些細ではあっても,社会とのつながりを持つ」ということである。


『つぎはぎだらけの脳と心――脳の進化は,いかに愛,記憶,夢,神をもたらしたのか?』

デイビッド・J・リンデン著,夏目大訳,インターシフト社,2009年9月30日第1刷 ISBN978-4-7726-9516-9 NDC401

【インパクト指数】14.2

【本文から】



◆我々の脳は完璧なものでも,非のうちどころのないものでもないし,ゼロから十分な吟味の上で作られたものでもない。実際には,すべてが間に合わせ,その場しのぎ,寄せ集め,次善の策の産物なのだ。(略)その場しのぎの対策だけで作られたにもかかわらず,我々はこれだけの思考力と感情を持ち得た,などと考えるのは正しくない。真実はまったくの逆で,進化の道筋が曲がりくねっていたからこそ,その場しのぎの対策の寄せ集めだったからこそ,我々は今のような姿になったと考えるべきなのである。(P.323)

【私のコメント】

これまた面白い本である。別の著者によって書かれた『脳はあり合わせの材料から生まれた』(ゲアリー・マーカス)という類書もあるが,この本の方が先。ただ両者の視点は異なる。この本は愛,記憶,夢,神などを時にはかなり専門的に取り上げるが,理解しやすい。特に,巻末で,せわしく動く眼球運動の脳が「補正」して物語を作り上げるように,宗教も左脳が無関係の記憶の断片をつなぎ合わせて作り上げた物語であるという話は面白かった。今アメリカで起きている疑似科学「インテリジェント・デザイン」のどこが間違っているかを指摘しているところも見逃せない。


『脳は眠らない――夢を生みだす脳のしくみ』

アンドレア・ロック著,伊藤和子訳,ランダムハウス講談社,2009年8月5日第1刷 ISBN978-4-270-00523-1

C0040

【インパクト指数】14.0

【本文から】



◆夢は強い感情を伴うことが多い。ホブソンらは被験者の報告から感情に関するデータを集めてみた。その結果,三つの感情が夢の中で感じる感情の70%を占めていることがわかった。最もよく見られるのは不安で,高揚感と怒りがそれに続く。愛情やエロティックな感情,恥,罪悪感などはあまり出てこず,被験者の報告ではいずれも五%足らずにすぎなかった。(P.54)

◆「あなたの見ている世界が一連のニューロンの活性化パターンによって生じたイメージにすぎないとわかれば,心身問題にはもう決着がついたようなものだ」と,ホブソンは言う。

【私のコメント】

著者は科学者でなく,医療系ジャーナリスト。そのため,取材先の科学者の著書(例えばホブソンの『夢に迷う脳――夜ごと心はどこへ行く』朝日出版社など)と重なり合う部分も多いが,新たな情報ももちろんある。「なぜ夢をみるのか」については,まだ結論は出ていない。夢の中で「逃げるか戦うか」の訓練をしているのだとか,情報の整理をしているのだとかいろんな説がある。ただ,言えるのは,夢そのものには大きな意味はなく,睡眠中に脳がある作業を行っていることから出る「副産物」にすぎないということだ。フロイトのようにそれに深い意味を持たせることは無意味である。


『動的平衡――生命はなぜそこに宿るのか』

福岡伸一著,2009年2月25日初版第1刷,2009年3月24日第4刷 ISBN978-4-86324-012-4 C0045

【インパクト指数】8.8

【本文から】



◆生体を構成している分子は,すべて高速で分解され,食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り換えられ,更新され続けているのである。(略)ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステム」という回答である。(P.232)

【私のコメント】

◆絶えず入れ替わり,もとのままではない――これはなにも鴨長明が見た鴨川だけではない。私たちの体も分子単位でみると数日で新旧が入れ替わっているのだ。私たちが絶えず物を食べ続けなければならない理由はそこにある。分子単位でみれば数日後の私たちはもはや現在の私たちではない。「生きている」とはそうした絶えず変化する動的な平衡状態をいうのだ。身体を単なる部品と見るカルティジャン(デカルト派の人々)は間違っている。本書はそう訴える。福岡氏はベストセラー「生物と無生物の間」(講談社現代新書)の著者。


『人は原子,世界は物理法則で動く――社会物理学で読み解く人間行動』

マーク・ブキャナン著,阪本秀久訳,2009年6月20日第1版第1刷 ISBN978-4-8269-0155-0 C00470

【インパクト指数】15.8

【本文から】



◆人を「原子」,すなわち社会的世界の基本的構成要素である「社会の原子(social atom)」と見なせば,集団のレベルでは,人々の性格とほとんど関係のない大規模なパターンが出現すると考えていいだろう。(p.30)

【私のコメント】

◆原題は"The Social Atom"(社会の原子)。これまで社会科学はとても「科学的」とは言えない手法で対象を分析しようとしてきた。人間というのはなかなかその行動が推測(計算)しがたいものであり,数学や物理学にはなじまないというイメージがある。しかし,本書の筆者はそうではないという。確かに個々の人間は様々な性格を有するが,それを大きな社会の構成要素(原子)と見なせば,そこには非常に単純化できるパターンが見えてくるという。筆者は他の著書においても「べき乗則」の重要性を強調しているが,本書でも然り。なにしろ,元「ネイチャー」編集者のマーク・ブキャナンである。非常に論理的かつ素人にわかりやすく説明できる能力はさすがだ。邦訳もこなれている。ぜひ彼の他書「歴史の方程式」(早川書房),「複雑な世界,単純な法則」(草思社)も一読してほしい。


『アンティキテラ――古代ギリシアのコンピュータ』

ジョー・マーチャント著,木村博江訳,2009年5月15日第1刷 ISBN978-4-16-371430-1 C0098

【インパクト指数】4.7

【本文から】



◆コントス船長とその乗組員が海底に眠るアンティキテラの機械を引き揚げて以来,百年以上経たいま,機械の謎がようやく解明された。その木造りの箱の横にあるハンドルを回した者は,宇宙のあるじになれた。過去でも未来でも,自分が見たい時間の天空の動きを,見ることができたのだ。表側の針は12宮の中で移り変わる太陽,月,惑星の位置を示し,月の満ち欠けを教えた。裏側の螺旋の文字盤は太陽暦と太陰暦の組み合わせで年と月を示し,食の時期を教えた。(p.243)

【私のコメント】

◆1900年地中海のアンティキラ島付近の海底から奇妙な機械がダイバーによって引き揚げられた。その機械には複雑な歯車の構造があった。しかもそれは紀元前2世紀のものというのだ。これは時計の発明より1400年早い。古代ギリシャにそのような記述はどこにも出てこない。学者たちの謎の解明レースが始まった。そこには裏切り,絶望などさまざまな人生模様が繰り広げられていく。まだ研究は続いているものの,結局はこの機械はアルキメデスの生まれ故郷,シラクサで作られた過去や未来の「天体運行表示機」だった。私はこの機械の謎の解明の面白さだけでなく,科学者間の人間模様がおもしろかった。


『動物と人間の世界認識』

日高敏隆著,ちくま学芸文庫840,2007年9月10日第1刷 ISBN978-4-480-09097-3 C0145

【インパクト指数】11.8

【本文から】



◆この部屋にハエが飛び込んできたとすると,ハエにとって関心があるのは,食べ物と飲み物だけである。ハエから見ると,それだけがぴかっと光って見える。しかし,テーブルとか椅子とか,そんなものはどうでもよろしい。本棚,読書台,そんなものには何の関心もない。それはほとんど灰色である。しかし,ハエは光に向かって飛んでいく性質があるから,上から照っている電灯が輝いていることはわかる。だから,電灯が上から照っていて,点々といくつかの飲み物とか食べ物がある,それだけである。他のものは何も存在していないに等しい。(p.42)

【私のコメント】

◆動物から見れば,我々人間が見ている世界とはかなり違った世界が見えている。彼らは彼らなりの進化の過程で獲得した方法で世界を見ているのだ。1930年代にドイツの行動動物学者ユクスキュルが「環世界」を唱えたとき,誰も彼に注意を払わなかった。しかしその考えは実に革新的なものであった。本書はユクスキュルの考えを中心に,人間も含めて地球の動物たちはそれぞれの種が独自の世界を見ていることをわかりやすく教えてくれる。ネコが,ただ紙に書いた他のネコの線画にさえ反応するということは驚きだった。


『健康・老化・寿命』

黒木登志夫著,中公新書1898,2007年5月25日発行 ISBN978-4-12-101898-4 C1247

【インパクト指数】10.0

【本文から】



◆世の中で未来ほど不確かなものはないにもかかわらず,死ぬことだけは100パーセント確実である。それが明日なのか,30年後なのかを知らないだけだ。それ故に,死を意識的に遠ざけ,いつまでも命があるように振る舞うことができるにすぎない。しかし,いつか,すべての人に別れのときが訪れる。避けようのない,生き物としての掟なのだ。(p.208)

【私のコメント】

◆つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを――在原業平

本書は歴史と生物進化の視点から,書かれた医学物語である。病原微生物の発見エピソードや生活習慣病によって生じる病気についてわかりやすく述べられている。得るところも多い。


『脳はあり合わせの材料から生まれた』

ゲアリー・マーカス著,鍛原多恵子訳,早川書房,2009年1月25日初版 ISBN978-4-15-208997-7 C0045

【インパクト指数】17.6

【本文から】



◆自然がクルージ(見かけの良くない間に合わせの機能)をつくるのは,その所産が完璧かエレガントかを自然は気にも留めないからである。有用でさえあれば,それは生き残って数を増やす。役に立たなければ,死に絶える。よい結果を生む遺伝子は繁殖し,それができない遺伝子は滅びる。ただそれだけのことなのである。問題は美ではなく適合性なのだ。(p.15)

【私のコメント】

◆高校生のとき「世界史」の最初の授業で先生が,「人類が誕生し,直立し,火を使うことを覚え,やがて農耕するようになりました」といって,「さてこれで人類史の99%が終わりました」といったとき,私は軽い驚きを感じた。長い人類の歴史から見れば,文明以後の歴史は「ごく最近」のことなのだ。私たちの脳もその中で進化してきたことを考えると,そんなに急に過去を忘れることなどできるわけがない。そういうわけで我々はいまだに長かった過去の遺産をひきずって生きている。

◆アメリカ合衆国で「黒人」の大統領が出るまでなぜかくも長く待たねばならなかったのか。それは我々の脳が「危機感が大きれば大きいほど,見慣れたものにしがみつく」傾向があるからだ。似たような顔をした人種や民族に親近感を抱き,そうでないものには疑念を持ってしまうのは,脳の進化を考えると「まだ」やむをえないところもある。進化はそんなに急には進まないからだ。「似たものは味方,異なるものは敵」――進化の上ではこうした反応が生き残るチャンスを増やしてきたことだろう。しかし,今やそうした古い脳が我々の考え方を制限しているのだ。ダイエットを決心しながらも,目の前にあるお菓子につい手がでてしまうのは,かつての「食べられる時に食べておく」ことが生き残るチャンスを増やしていた時代から,我々の脳がまだ十分脱却できていないからだ。

◆本書には,Aという行為の直前に,それとは何の関係もなく行われたBという行為が,Aという行為の判断に無意識のうちの影響を与える「プライミング」という様々な実験例も紹介されている。結局,我々の不可解な行動の原因の多くは,「古い脳に間に合わせ的に継ぎ足されてきた脳」にあることを本書はくわしく説いている。


『調香師の手帖』

中村祥二著,朝日文庫,200年12月30日第1版 ISBN978-4-334-02-261583-1 C0195

【インパクト指数】6.7

【本文から】



◆調香の判定に自信が持てるようになるまでには,相当の修練を要する。修練で最も大切なことは,まずその分野の最高級品の香料から「かぎ込んで」いくことである。「良い香りとは何か」を自分の身につけることである。決して質の低い香料から取り組んではならない。このことは,すべての天然香料に通ずる鉄則だ。最高級品は,混ぜものがなく,採取,製造工程も注意深く行われてて,本物以外のにおいが入る可能性が少ない。それが身につけば,それか外れるにおいは,すべてが異臭なのである。(P.75)

【私のコメント】

かつて「授業実践の天才」斎藤喜博は,子どもを教育する場合には「一流のものを与えるべき」だと言った。まだ経験の乏しい子どもたちに二流,三流のものを見せると彼らはそれが最高のものだと思ってしまい,その後の鑑賞能力が阻害されるからだ。本書の著者はまさにそれと同じことを言っている。

私は「におい(嗅覚)」に関心がある。嗅覚は視覚などのよりももっと本能に近いものであるし,脳の中で処理される場所も本能に近い所にあると聞いた。本書の著者は資生堂で長らく調香師として数多くの香水を開発されてきた人である。本書は以前に出た「香りの世界をさぐる」に大幅加筆されたもの。日本語には「におい」を表現する語彙は少ないと嘆きながらも,調香師がよく使う「シトラス・ノート」「ウッドィ・ノート」「オリエンタル・ノート」などはどういう香りのことなのかを詳しく説明してくれる。「加齢臭」他「におい」に関心のある方にはおすすめ。


『できそこないの男たち』

福岡伸一著,光文社新書371,2008年10月20日初版第1版,2008年11月10日第2刷 ISBN978-4-334-03474-0 C0425

【インパクト指数】4.2

【本文から】



◆こう言い換えることができる。男性は,生命の基本仕様である女性を作りかえて出来上がったものである。だから,ところどころに急場しのぎの,不細工な仕上がり具合になっているところがあると。実際,女性の身体にはすべてのものが備わっており,男性の身体はそれを取捨選択しかつ改変したものにすぎない。基本仕様として備わっていたミュラー管とウォルフ管。男性はミュラー管を敢えて殺し,ウォルフ管を促成して生殖器官とした。(略) アダムがイブを作ったのではない。イブがアダムを作り出したのである。(P.166)

【私のコメント】

子どもの頃から私は,なぜ男性(自分)に乳首があるのか不思議でならなかった。そして最近になって,それは自分が母親の胎内で男になるか女になるか未決定の時期からすでにできていたことを知った。ひょっとすると生命は男でなく女が基本なのでは?本書はその通りだという。地球に生命が誕生してから10億年もの間,生物の性はたった一つ――すべてがメスだった。生命はまずメスとして発生し,オスは,そのメスの系譜の「使い走り」にすぎない。著者は分子生物学の専門家。目から鱗の本である。


『オオカミ少女はいなかった――心理学の神話をめぐる冒険』

鈴木光太郎著,新曜社,2008年9月29日初版第1版,2008年12月22日初版第5刷 ISBN978-4-7885-1124-8 C1011

【インパクト指数】9.7

【本文から】



◆アマラとカマラはいたのだろう。シングのもとには,メモ程度の日記もあったかもしれない。しかし,シングの記録は,誇張や脚色したものか,新たにこしらえたものだ。少なくとも写真は,記述に合うように演出しながら撮ったものである。(略)アマラとカマラの話は,日本では小学校の道徳の教材としても使われているし,高校の倫理の教科書にも載っていることがある。つまり,教育現場では,既成事実として教えられている。(P.30-33)

【私のコメント】

心理学界には「都市伝説」のように根も葉もない話が「事実」として流布しているものがいろいろある。「オオカミ少女」の話,「サブリミナル広告でポップコーンが売れた」という話,「シリル・バートによる一卵性双生児の研究データねつ造」,そして「サピア=ウォーフ仮説」。わたしは,恥ずかしながら「サピア=ウォーフ仮説」をまともに信じていた。人間には生育環境がいかに大切かを教えるために,必ず「アマラとカマラ」の話が引用されるのをよく目にしてきた。しかし,これらは事実ではないというのだ。本書は単なる暴露本ではない。本来あるべき心理学とは何かを真剣に問うものである。久し振りの良書。


『ブルバキとグロタンディーク』

アミール・D・アクゼル著,水谷淳訳,日経BP社,2007年10月22日第1版1刷,ISBN978-4-8222-8332-2

【インパクト指数】6.9

【本文から】



◆ヴェイユは新たな友人に(略)ポルデヴィア科学アカデミー会員であるブルバキという名の数学者による,架空の研究の総説論文を書いてみたらどうかと勧めた。
コーサンビーはその話に乗って,完全に架空の内容で『ブルバキの第二定理の一般化について』というタイトルの論文を書き,それを≪アグラおよびアウド・アラハバード州科学アカデミー紀報≫に掲載してもらった。論文には,「この定理は,革命時に毒殺された無名のロシア人数学者D・ブルバキによるものである」と記されていた。(P.76)

【私のコメント】

私は恥ずかしながら,「ニコラ・ブルバキ」は実在の個人であると思っていた。実はこれは若いフランス人数学者たちが悪ふざけから作り出した架空の数学者の名前である。しかし,この優秀な数学者グループは,やがて真剣に「ユークリッドの『原論』のように今後2000年は持つような新しい『原論』を作ろう」と考え,ブルバキの名前でどんどん本を出していく(ブルバキ自身は,フランスに実在したギリシャ系将軍の名前であった)。そしてついに,このグループの活動が20世紀の構造主義を生み出し,言語学,心理学,経済学,社会学その他多くの分野に大きな影響を与えることになるのだ。ピレネー山脈の森の中に姿をくらました鬼才数学者グロタンディークとブルバキ集団との関わりを説明しながら,ブルバキ集団の隆盛と衰退を本書は描く。秋の夜長に読むのに最適の一冊である。


『メンデレーエフ 元素の謎を解く』

ポール・ストラザーン著,稲田あつ子他訳,バベル・プレス書房,2006年4月30日初版第1版,ISBN4--89449-043-9

【インパクト指数】7.2

【本文から】



◆メンデレーエフが妙案を思いついたのは,この時点だったに違いない。元素の問題と,好きなカードゲーム「ペイシェンス」との関連がひらめいたのだ。彼は白紙のカードを何枚も取り出し,それに元素の名前を書き始めた。(P.309)

【私のコメント】

本書なメンデレーエフの伝記ではない。むしろ,化学史といったほうが内容的に正しい。本書はミレトスのタレスに始まり,元素の発見から周期表に至る壮大な化学史なのである。映画「アラビアのロレンス」がロレンスがオートバイ事故を起こすシーンから始まるように,本書はプロローグがメンデレーエフが大発見をする一歩手前から始まる。そしてギリシャ,ヨーロッパと時間と空間が変遷し,再びメンデレーエフの周期表の発見へと流れ込んでいくのである。なかなか読みごたえのある本だ。


『ガリレオの指――現代科学を動かす10大理論』

ピータ・アトキンス著,斉藤隆央訳,早川書房,2004年12月31日初版,ISBN4-15-208612-2 C0040

【インパクト指数】6.7

【本文から】



◆人間にとって,虫垂は病気になって死をもたらすおそれがあるから,危険因子だ。虫垂が感染症に罹って腫れると虫垂炎になり,(略)さらなる腫脹をもたらす。(略)虫垂が小さいとこのプロセスが進行しやすくなるため,現状維持より縮小するほうが危険という意味で,虫垂炎は大きな虫垂を維持する選択圧となっている。したがって,危険はあっても進化の過程で虫垂をなくすのはきわめて難しいのである。(P.37)

◆ガリレオが明らかにしたように,科学の進歩には,ふつう具体性から抽象性への移行がともなう。それによって適用範囲が広くなるからだ。衣服はたくさんあるが,人間の骨格は基本的に一種類しかない。だから骨格を知れば,衣服をまとった姿を見た場合よりはるかに多くのことが理解できる。(P.116)

【私のコメント】

本書を開くと,ガラスのコップに入ったミイラ化したガリレオの右手の中指の写真がある。科学研究への新しい方向性をこの指が指示したという象徴的な意味を込めているのだ。本書は「進化」「DNA]「エネルギー」「原子」「宇宙論」などさまざまな分野を紹介しながら,科学的に考えることの大切さを教えてくれる。高校生程度の理解力があれば,十分理解できる内容である。


『盲目の時計職人――自然淘汰は偶然か』

リチャード・ドーキンス著,中嶋康裕他訳,早川書房,2004年3月31日初版,ISBN4-15-208557-6

【インパクト指数】5.8

【本文から】



◆自然淘汰は盲目の時計職人である。盲目であるというのは,それが見通しをもたず,結果についてのもくろみをもたず,めざす目的がないからだ。しかしそれでも,現在みることのできる自然淘汰の結果は,まるで腕のいい時計職人によってデザインされたかのような外観,デザインとプランをもつかのような錯覚で,圧倒的な印象をわれわれに与えている。(P.46)

◆われわれは,人間生活にとって役に立つであろう可能性の範囲内で,危険率や見込みを頭のなかで計算する力を身につけている。これは,たとえば(略)川を泳いで渡ろうとしたときに溺れてしまうといったレベルの危険率のことである。これらの容認できる危険というのは,数十年というわれわれの寿命に釣り合っている。もし,われわれが100万年も生きるということが生物学的に可能であり,またそうしたいと望むなら,危険率をまったく別なふうに評価すべきである。たとえば,50万年間,毎日道路を横断していれば,そのうち車に轢かれるにきまっているだろうから,道路は横切らない習慣を身につけなくてはならない。(P.265)

【私のコメント】

リチャード・ドーキンスはグールドと同じく,難しい内容を数式を使わずに素人にわかりやすく説明するという術にたけている。これは本人自身がその内容を十分理解し,かつ読者の状況をよく知っていなければできない。相当に頭のいい人のようだ。上記の二つ目の話は,生命誕生は奇跡という人もいるが,それはつい我々の寿命のようなスケールで考えるからで,何十億年という気の遠くなるようなスケールで見るとその確率もかなり違ってくるという話の中で述べられたものだ。グールドは死んだが,ドーキンスはグールドと思想的ににはかなり近いものの,グールドの宗教へのやや柔軟な対応を批判している。


『モナ・リザと数学――ダ・ヴィンチの芸術と科学」』

ビューレント・アータレイ著,高木隆司・佐柳信男訳,化学同人,2006年5月1第1刷,ISBN4-7598-1058-7

【インパクト指数】13.8

【本文から】



◆人体のなかでも,レオナルドはとくにある器官に見せられた。(略)眼球である。(略)眼球の内部は液状であるため正確に切断することは難しい。そこでレオナルドは,固ゆで卵を擬固剤にして眼球を固定する方法を発明した(眼球を白身に沈めて丸ごとゆでる方法である)。(p.229)

◆レオナルドの生き様から得られる教訓をあげればきりがない――何事もあたり前だと思わず,試してから納得せよ。何歳になっても己を磨くことをあきらめず,書物をよく読み,読書するときには批判的な視点を忘れないことだそまた,わからない単語があれば辞書を引いて語彙を増やそうとする姿勢も忘れるな。メモ帳をもち歩き,目に入った印象的なものをスケッチせよ。(P.310)

【私のコメント】

レオナルドの業績はあまりにも多岐にわたり,あまりにも秀でているため,筆者は「いろいろな分野に秀でていた10人以上の人物が,同じ『レオナルド・ダ・ヴィンチ』という名前で活動していたのではないかと疑いたくなるほどである」と書いている。しかし,実際のレオナルドは私生児であり,正規の教育は受けていない。彼は独学の人である。初めて耳にする単語はメモしておいて後で調べたという。彼は膨大なメモを残したのだが,そのほとんどは散逸してしまった。


『人類進化の700万年――書き換えられる「ヒトの起源」』

三井誠著,講談社現代新書1805,2005年9月20日第1刷,ISBN4-06-149805-3

【インパクト指数】8.7

【本文から】



◆前適応という進化の現象が教えてくれるのは,何かの特徴が進化したときに,その特徴が全面的に開花するまでに時間差がありうるということだ。たまたま保温効果に役だっていた羽毛が,数百万あるいは数千万年後に,「飛ぶ」という開花を遂げた。
「すぐには役立たなくても時を経て開花する」というのは,何か教訓めいている。逆にいえば,新たな進化の可能性はそれまでの状態に大きく左右されるということだ。
「過去の呪縛から逃れるのは難しい」ということでもある。(P.59)

◆英国の研究チームは2001年,言語能力に障害のある人が持つ遺伝子の変異を探し出した。この変異を持つ人は,一般的な知能は変わりないが,発話能力や文法を理解する能力に障害が出るという。「FOXP2]と呼ばれるこの遺伝子は,言語能力に欠かせないようだ。(P.211)

【私のコメント】

「ナショナル・ジオグラフィック」誌が今「Genographic Project」というプロジェクトをIBM社と提携して進めている。これは世界中の人々からDNAサンプルを送ってもらい,彼らの祖先がアフリカを出てからどういう経路を経て現在の地にたどりついたかをDNAから探ろうという計画だ。サンプルが集まれば集まるほどその経路はより明確になっていく。1万円ほどでDNA回収キットを購入し,サンプルを送るとそれを分析して祖先がやってきた経路を教えてくれる。私もさっそく参加した。現在私のDNAは分析の過程にある。まもなく結果が出るだろう。

本書はこうした分子生物学だけでなく,これまでわかっている最新の資料をもとにわれわれの祖先がどこからきたのかを教えてくる。新書であるが,得るところが多い本である。著者は読売新聞記者でサイエンスライター。


『皮膚感覚の不思議』

(山口創著,講談社ブルーバックスB1538,2006年10月20日第1刷,ISBN4-06-257531-0

【インパクト指数】15.8

【本文から】



◆たとえば,目の前にあるコップをつかんで口に運ぶとする。このとき,目の前にあるコップの大きさを見て,どのように手を伸ばすか,という行為が引き出される。そしてコップに手が届いて触れたとき,その表面の状態やコップの硬さ(薄い紙やプラスチックのコップかなど)によってそれを握る強さがコントロールされる。そのときに重要なのが触覚の情報だということになる。最適の強さで各指の圧をコントロールしてコップをつかみ,こぼれないように口へと運ぶのも,触覚があるからこそできる。(P.46)

◆ミミズや昆虫が痒そうにしているのを見たことがないが,魚や両生類以上の動物は痒がるようである。その機能は,皮膚についたノミや蚊,寄生虫などの存在を知らせ,引っ掻いていち早く取り去ることにあったのだろう。しかし,感染症を克服しつつある現代人には,皮膚の寄生虫の存在を知る必要はほとんどなくなってしまった。目的を失ったからといって,いったん生み出されてしまった感覚は,簡単になくすことはできない。そうだとすると痒みは,現代に生きる私たちにとってはあまり意味のない,単なるやっかいな感覚だと考えることもできる。(P.123)

【私のコメント】

ロボットを作る上で最も難しいのは,われわれ人間がふだん何気なくいとも簡単にやっている行為を真似することであるという。コップに手を伸ばしてそれを最適の強さでつかみ,口に運ぶということはロボットにとっては至難のわざである。著者は,そうした行為には皮膚感覚が重要な役割を果たしているのだという。皮膚は視覚や聴覚などと比べて,どちらかというとマイナーなイメージがあるが,実は非常に重要な感覚であることが本書を読んでよくわかった。久しぶりにインパクト指数2桁の本。


『5万年前――このとき人類の壮大な旅が始まった』(ニコラス・ウェイド著,イースト・プレス社,2007年9月21日第1刷,ISBN978-4-87257-828-7

【インパクト指数】8.4

【本文から】



◆5万年前,アフリカ北東部の片隅で,少数の集団が故郷を離れようと準備していた。(略)アフリカを出発しようとしていた集団は,幼児も含めてたった150人程度だったはずだ。(P.22)

◆5万年前にアフリカを出てから3万年前まで,どこもかしこも人類は同じような外見だった。(略)4万5000年前にヨーロッパに到着した現生人類も,黒い皮膚などアフリカ人の特徴を保っていたはずだ。(P.123)

【私のコメント】

人類の起源を問う「出アフリカ説」と「多地域進化説」の対立は長かったが,ゲノム分析により軍配は「出アフリカ説」に上がった。わずか5万年前にアフリカを出た150人ほどの集団が,全人類の祖先である。人類の肌の色は,毛を失った当初は青白く,やがて黒い皮膚となり,それぞれの地域に適応したさまざまな色に変化していった。ヨーロッパ人も最初は「黒かった」というのも面白い。5万年――地質学的にみればほんの昨日のことだ。皮膚の色をあれこれと言うのは馬鹿げている。また,一方,たった5万年という短い期間にかくも外見上変化する進化の多様性にも驚かされる。本書には「人類の祖先が話していた母語には世界最古の集団,アフリカのサン族の舌打ち音があった」「人類は農耕を開始する前に定住していた」など面白い話がたくさん紹介されている。


『「におい」と「かおり」の正体』(外崎肇一著,青春出版社,2004年5月15日第1刷,ISBN4-413-04093-7

【インパクト指数】11.3

【本文から】



◆このジャスミンのにおいの主成分は「スカトール」という物質で,じつは糞便のにおいと同じ成分である。糞便愛好を表わすスカトロは,このスカトールからきている。どうしてこのような香りの違いが出るのかというと,単に濃度が高いから低いからというだけの違いである。濃いスカトールは悪臭だが,それを希釈していくとだんだんジャスミンのにおいになっていくわけだ。(P.22)

◆バニラは,老化によって極端に感じられなくなる香りである。普通,60歳を過ぎれば多くの人に嗅覚の低下が現れる。バニラのにおいは,とくにその低下が著しいものとして知られる。(略)年輩の人でも濃度が薄いバニラを感知できた人は,おおむねスポーツなどを趣味とするアクティブな人が多かったことを指摘しておこう。(P.132)

【私のコメント】

「におい」は他の感覚と比べて特別な存在である。より本能に近いといっていいだろう。しかし,このにおいの研究が実は他の視覚,聴覚,味覚などの研究と比べてかなり遅れているという。数値化が難しいということもその原因に一つなのであろう。ほとんどの動物はバナナのにおいを好むとか,犬はバラやスミレのにおいは好むが,ジャスミンやオレンジのにおいは嫌う,さらにはヒトの精子にもにおいのセンサーがあり,花の香りに反応する――など,本書はにおいに関するおもしろい情報が満載されている。


『夢に迷う脳――夜ごと心はどこへ行く』(J・アラン・ホブソン著,池谷裕二監訳,池谷香訳,朝日出版社,2007年7月18日初版第1刷,ISBN978-4-255-00400-6

【インパクト指数】8.9

【本文から】



◆夢は精神錯乱に似ているということではない。精神錯乱そのものなのだ。夢は精神疾患のモデルなどではない。精神疾患そのものなのだ。ただし,健康な精神疾患なのである。(P.79)

◆200もの夢の報告文を採取し,被験者に1文1文,その折々に感じた情動を判別してもらい,さまざまな情動の平均発生率を算出してみた。打率首位に輝いたのはやはり不安で,3割2分1厘だった。(略)すべての情動率を眺めてみると,全体に対する不快な情動の割合は68.1パーセント,つまり全体の三分の二以上を占める。「楽しい夢を見たい」と望んでも,3回に1回しか見ることはできない。(P.238)

【私のコメント】

何らかの理由で,自分のメールアドレスを紙に書こうとするのだが,インクが漏れたり,ペンが紙にひっかかったりして,何度書こうと失敗する。紙を変えたり,ペンを変えたりしてもだめだ――これは私が昨夜見た夢である。とにかく,忘れものをしたり,大切なものを紛失したりと,常に「焦っている」夢を見ることが,私には多い。

筆者は,夢は精神錯乱そのものであるという。薬物中毒患者が妄想を見ているときの脳の状態と,我々が夢を見ているときの脳の状態はそっくりらしい。我々は皆,睡眠時には精神異常者となっているのだ。健常者は毎朝,覚醒して現実に戻るが,脳に異常のある人は,そのまま夢と現実が並行していくのである。

ではなぜ夢を見るのか――残念ながらはっきりとわかっていない。夢を見ながら覚醒時のときの対応をシミュレーションしているという説を紹介しているが,私には納得できない。おっちょこちょいの私が現実世界で困らないように,毎晩夢の中で「焦らせて」シミュレーションしてくれているというのなら,余計な御世話だ。「明晰夢」の説明がつかないと筆者は書いているが,できれば夢は常に楽しいものを見たい。久々のおもしろい本である。


『人類最後のタブー――バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは』(リー・M・シルヴァー著,楡井浩一訳,NHK出版,2007年3月31日,第1版,ISBN978-4-14-081186-3

【インパクト指数】7.3

【本文から】



◆「ヒトとチンパンジーの遺伝子がそれほど似ているなら,人間の男性がチンパンジーの雌を妊娠させることも可能なんじゃないですか? ロバとウマをかけ合わせるみたいに」
学生の狙いどおり,笑い声が男性を中心に起こった,とはいえ,これは本気の回答を要する鋭い質問だと思ったので,わたしはこう答えた。
「チンパンジーとヒトは染色体の面で非常に似通っているので,科学者の大部分が,この二種交配による子どもは生存可能だと考えています」(P.119)

◆ここでわたしが(妊娠中反対論者に)異議を唱えたいのは,そういう(胚の)魂を前提とする神学ではない。わたしは単に,たまたま異なる意見を持っているにすぎない。意義を唱えるのはむしろ,自分たちの見解が信仰に基礎を置いていることを隠して,非宗教的立場に対する優位を確保するために科学を不当に利用する,その欺瞞的な態度だ。(P.150)

【私のコメント】

バイオテクノロジーがどんどん進歩している現在,生命に関する様々な倫理的問題を提起する本である。例えば,体の上部は「二人」だが,下半身は「一人」である奇形児に分離手術を施す場合,上部を「どちら」にするか誰がどのように決めるのか,などといった具体例が実例を紹介しつつ問題提起される。また,自分の卵子とチンパンジーの精子を受精させたあと,自分の子宮で育つかを観察して卒業論文にしたいと申し出てきた女子大生のショッキングな話なども紹介されている。


『虹の解体――いかにして科学は驚異への扉を開いたか』(リチャード・ドーキンス著,福岡伸一訳,早川書房,2001年3月31日,初版,ISBN4-15-2084341-7

【インパクト指数】7.3

【本文から】



◆あるときマイケル・ファラデーが同じ質問を受けた。科学はいったい何にやくだっているのか,と。ファラデーはこう質問しかえした。「では,生まれたばかりの赤ん坊はいったい何に役だっていますか」。(P.21)

◆統計学者は,偽陽性の誤謬(間違った肯定)と偽陰性の誤謬(間違った否定)を区別して扱っている。これは,それぞれ“タイプ1の誤り”,“タイプ2の誤り”とも呼ばれる。タイプ2の誤り,つまり偽陰性は,実際はパターンが存在するのに,それを検出できない場合のことである。タイプ1の誤り,つまり偽陽性は,その逆,すなわち,実際にはランダムな現象以外のなにものでもないのに,何らかのパターンがあると結論づけてしまうことである。(P.230)

【私のコメント】

ニュートンがプリズムを用いて,白光を7色の解体したとき,詩人キーツは「虹の持つ詩情を破壊した」と非難した。科学を文学の対極にあるもとの考えたり,逆に科学に実利的なもののみを追い求めることは間違いであると,著者ドーキンスは主張する。原題は "UNWEAVING THE RAINBOW" ,すなわち,「虹をほどくこと」。だいぶ前に途中まで読んでおいたものだが,「神は妄想である」を読んだ後,再び取り出して読み終えた。


『元気な脳をとりもどす』(ダニエル・G・エイメン著,早川直子訳,NHK出版,2006年12月25日,第1刷,ISBN4-14-081163-3

【インパクト指数】6.8

【本文から】



◆米国小児科学会は,「若いサッカー選手がヘディングの反復練習をすることについて,『少なければ少ないほどよい』というのが私たちの見解である」と警告した。小児科医たちは,サッカーの試合中にヘディングプレーよりも,フォワードやディフェンスの選手たちがやるような,頭をボールにくりかえし打ちつけるヘディングの練習のほうを心配している。同じような年齢と環境の人たちを集め,サッカーをしていた成人としていなかった成人を比較した研究が,ノルウェーと米国でそれぞれ行われた。ノルウェーの研究では,サッカーをしていた成人106人のうち,81パーセントに注意力,集中力,記憶力,判断力において軽度から重度にわたる低下が認められた。米国の研究でも,注意力と集中力の欠陥が群を抜いて多く見られたのは,ヘディングをもっとも多く練習した人たちだったという。(P.51)

【私のコメント】

頭をコツンと打っただけで,数百万の脳細胞が死滅する。そんな話を聞いたことがある。実際はどれほどかはわからないが,筆者の話では,我々の脳を取り巻く環境はあまりいい状態ではないらしい。脳は脳髄液の中に浮遊しているが,頭蓋骨は内部から見るとかなりゴツゴツしていて,鋭い突起もあるので,ヘディングなどをすると,脳がそれらにぶつかってかなり損傷を受けるという。筆者はSPECT撮影による脳画像を治療に生かせる脳科学者であり精神科医でもある。ただ,巻末で脳に良いサプリメントとして「総合ビタミン剤,ビタミンC,魚油,アセチルLカルニチン,αリポ酸,コエンザイムQ10」などを勧めているが,このへんはいま一つ信用しかねる。


『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』(ウェンディ・ムーア著,矢野真千子訳,河出書房新社,2007年4月30日,初版,ISBN978-4-309-20476-5

【インパクト指数】伝記のため評価不能

【本文から】



◆ハンターは当時確立されていたやり方すべてをまずは疑ってかかり,よりよい方法の仮説を立て,その仮説が正しいかどうかを詳細な観察と調査,実験をとおして確認した。自説を人間に試す前にまず動物で実験するようにし,自分が手術室でほどこした処置については,患者のその後の経過の観察を欠かさなかった。患者が死んでしまったときは,検死解剖をして原因を追求した。こうして学んだことをもとに,やり方を少しずつ変えては結果を確かめ,さらに研究するという,二百年後の現代に匹敵する科学研究の姿勢で臨んだ。弟子たちにもその原則を叩きこんだ。ハンターの愛弟子の一人に,のちに天然痘ワクチンを開発したエドワード・ジェンナーがいる。(P.21)

【私のコメント】

ジョン・ハンターは,昼は兄ウィリアムを手伝って解剖教室で見事な標本を作り,夜は墓泥棒などいかがわしいルートから死体を手に入れることに手腕を発揮した。何千体という豊富な解剖経験を基に,やがて彼は時代を先んじる外科医となっていく。原題は「The Knife Man」。望んだ死体は必ず手に入れるという男。妊婦の体からまさに誕生寸前の胎児の解剖図は芸術的なまでに美しい(ただし直接これを描いたのは画家)。「ドリトル先生」や「ジキル博士とハイド氏」のモデルになった男の奇想天外な人生である。麻酔のない当時の外科の様子や,内科医よりずっと低く見られていた外科医の社会的地位なども描かれている。


『神は妄想である――宗教との決別』(リチャード・ドーキンス著,早川書房,2007年5月25日,初版,ISBN978-4-15-208826-0

【インパクト指数】5.3

【本文から】

◆宗教上の信念は,それが宗教上の信念であるというだけの理由で尊重されなければならないという原則を受け入れているかぎり,私たちはオサマ・ビン・ラディンや自爆テロ犯が抱いている信念を尊重しないわけにはいかない。ではどうすればいいのか,といえば,こうして力説する必要もないほど自明なことだが,宗教上の信念というものをフリーパスで尊重するという原則を放棄するこである。それこそが,私がもてるかぎりの力をつくして,いわゆる「過激主義的な」信仰に対してだけでなく,信仰そのものに対して人々に警告を発する理由の一つなのである。(P.448)

【私のコメント】

タイトルからして過激だ。しかし,原題は "The God Delusion"だから間違いない。ドーキンスをしてここまで言わしめるものは何か?

宗教がからむとすべてがフリーパスになる――ドーキンスはそうした現状に警告を発する。「私は無神論者である」と公言することがアメリカ社会では憚られる――ドーキンスはそれはおかしくないかと警告を発する。原理主義者が横行するイスラムやアメリカを見るとき,自爆テロが続発する現在,考えさせられる本である。


『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著,講談社現代新書,2007年5月20日,第1刷>

【インパクト指数】3.2

【本文から】

◆肉体というものについて,私たちは自らの感覚として,外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし,分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は,たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも,それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり,常に分子を外部から与えないと,出て行く分子との収支が合わなくなる。(P.163)

【私のコメント】

「テセウスの船」という哲学的問題がある。ギリシャ神話に出てくるテセウスはクレタ島へ行って怪物ミノタウルスを退治する。当時の船は壊れやすく,航海の途中で壊れた部分を新しいものに交換しながら進むのだが,テセウスの船の場合,怪物退治を終えてギリシャの港に帰ったときには,船のすべての部品が新しいものに交換されていた。さて,このテセウスの船は,出帆時の船と「同じもの」だろうか?

我々の体も絶えず分子単位で修復が繰り返され,数年もすればすべての細胞は新しいものに入れ替わる。それでは今の私は数年前の私と「同じもの」なのだろうか?

本書は,ワトソンとクリックの「カンニング」によるノーベル賞獲得や,野口英世の現代の評価,研究上のすさまじいまでの競争など興味深い話が盛りだくさんである。上記の「私たち生命体は,高速で入れ替わっている,ゆるい『淀み』でしかない」という指摘もおもしろい。


『匂いの身体論――体臭と無臭志向』(鈴木隆著,八坂書店,1998年7月10日,初版第1刷>

【インパクト指数】10.8

【本文から】

◆どんなに潔癖症でも,いくら頻繁にからだを洗い流していても,人間の皮膚上には細菌が住みついていて,無菌状態でいることは不可能である。われわれにできるのは洗ったり,抗菌剤を用いるなどして,せいぜいその繁殖を抑えることだけのようだ。(P.40)

◆麝香がこんなにもてはやされてきたのは,アンドロステノールのフェロモンとしての力が弱まり,本来の性フェロモンとしての役割を果たさなくなったものの,その匂いに対する好みと脳に与える作用だけが残り,アンドロステノールに似た匂いをいつしか好むようになったためとは考えられないだろうか。言わば,フェロモンの代用品としてのムスクであり,ムスクにアンドロステノールが似ているのではなく,アンドロステノールにムスクが似ていたからこその話である。(P.136)

【私のコメント】

女性の汗に多く含まれるアンドロステノールは弱いムスク臭を持っている。一方,男性の汗にはアンドロステロンが多く含まれる。アンドロステノールは男性には鎮静,女性には覚醒作用があり,逆にアンデロステロンは男性には覚醒,女性には鎮静作用がある。もっとも女性には,男性の匂いのアンデロステロンが,「不快なにおい」と感じられることが多いらしい。匂いというのは,濃度や他の匂いとの複合作用で大きく印象が変わるものらしい。例えば,本書の中で(P.96),そのままでは動物園の檻の中のような糞便に似た匂いの「シベット・アブソリュート」という天然香料も,それを希釈していくと,花の匂いに似た芳香を持つようになるということが紹介されている。そもそも,今のように水洗が普及する以前,すなわち昭和の時代では周囲はもっと糞尿の臭いに満ちていたし,それが普通であった。トイレは汲み取り式で,用便中はアンモニア臭の刺激で目が痛くなったことを思い出す。そして今やデオドラントの時代。匂いは文化と共にある。


『香りの世界をさぐる』(中村祥二著,朝日新書378,1989年5月20日,第1刷>

【インパクト指数】5.3

【本文から】

◆ある香りをつけている女性を,その香りだけを頼りに嗅覚で追いながら,探し当てることができるだろうか。パーヒューマーにとっては,答えはイエスである。鼻先に注意を集中してみると,どの方向から香りがくるかが分かる。何回か繰り返しているうちに,方向が確かになってくる。イヌは,ヒトの百万〜1千万倍も敏感で,いとも簡単にやっていることなのだが,私たちパーヒューマーも,訓練によって,普通の人の百倍くらいはかぎ分けることができるようになる。(P.63)

◆香水や香料を意味する英語の perfume は,ラテン語の per fumum(煙を通して)を語源としている。香りは,神に接近する手段と説明されてきた。香りが人の心に作用する効果を考えると,古代国家の成立のとき,政治(まつりごと)を行なう者は,香煙によって祭壇の前にひれ伏す人々の心を和らげ,国家統一を容易にするのに役立てた。香料は政治の小道具だったと私は思う。(P.86)

【私のコメント】

もともと「匂い」に関心があったが,先日観た映画『パヒューム――ある人殺しの物語』でさらに関心が高まった(もっとも,この映画自体は単なるフィクション)。匂いに関係するのは,脳の中でも最も古い部位。それだけ本能に近いということか。日本にも「香道」の伝統があったのだから,もっと匂いに関心を持ってもいいのではないか。「ヒトの嗅覚は退化して,鈍感になっていると思う人がいるかもしれないが,そうではない。ヒトは視覚に頼りすぎるために嗅覚の使い方をおろそかにしていて,その能力を十分に引き出していないのである」と本書にも書かれている。


『宇宙飛行士は早く老ける?』(ジョーン・ヴァーニカス著,白崎修一訳,朝日新書805,2006年9月25日)

【インパクト指数】4.0

【本文から】

◆これまで続けてきたベッド上安静の研究目的は「重力の影響を斥(しりぞ)けた状態において,宇宙飛行士とベッド上安静の健康なボランティアは,なぜ以上に早く歳をとってしまうのか」を解明することでした。しかし,私はこのとき,私が答えたいと思っている問題は「高齢者の肉体的な変化は,はたして年齢を重ねた結果だけなのだろうか。重力と何か関係があるのではないだろうか」であることに,気づきました。(P.26)

◆歳をとれば家族や友人たちや身の回りにいる人たちからは,ゆっくり過ごすように勧められるようになります。そして,ある年齢に達すると仕事を辞めて,身体を使わなくなってしまい,その結果,重力の恩恵をあまり受けない生活に入ってしまいます。そうです。重力はいつもそこにあるにもかかわらず,それを活用しないかぎり,健康にとって意味がないばかりでなく,むしろ悪者になってしまうのです。現代の生活習慣に身体を慣らしてしまった人は,重力の恩恵を避けて生活しているようなものです。(P.27)

【私のコメント】

筆者は元NASAライフサイエンス部門の責任者。宇宙から帰還する(無重力から重力のある場所に帰還する)宇宙飛行士の様子が,老化の症状とそっくりであることに気づいた著者が,重力と老化の関係を解明していく物語である。我々地球上の生物はこの地球の重力の中で進化してきたのであり,重力が我々の健康に多大な影響を及ぼしていることは確かだ。地球上では無重力状態は経験しにくいが,しかしそれに近い状態は作れる。それはベッドに横になることである。老人にとって寝たきりになることがいかに良くないことかがこの本を読めばわかる。健康について新たな視点から考えることができる本である。


『天才と分裂病の進化論』(デイヴィッド・ホロビン著,金沢泰子訳,新潮社,2002年7月30日)

【インパクト指数】14.3

【本文から】

◆分裂病あるいは分裂病型人格の患者のリストはきわめて長い。有名な名前を少数あげるだけでその内容が推測できるだろう。音楽家ではドニゼッティ,シューマン,ベートーベン,ベルリオーズ,シューベルト,ワグナー。作家ではボードレール,ストリンドベリ,スウィフト,シェリー,ヘルダーリン,コント,ポー,ジョイス,ゴーゴリ,ハイネ,テニソン,カフカ,プルースト,ハクスレイ。哲学者では,カント,ウイトゲンスタイン,パスカル。科学者,発明家では,アインシュタイン,ファラデイ,コペルニクス,リンネ,アンペール,エジソン,メンデル,ダーウィン。人類に対しもっとも高度な貢献をしたにもかかわらず分裂病型人格を発現した人々のごく一部である。(P.182)

【私のコメント】

本書は「精神分裂病」が「統合失調症」に変更する直前に出版されたものである。統合失調症は3〜4個の遺伝子が関係する病気であり,すべてがそろった場合でも発症は二分の一である。逆に,いくつかの遺伝子を持ち,人格的に統合失調症的な人物がかえって創造的な業績を残している。しかもこの病気は地域や人種に全く偏りがなく,どの国,どの人種であってもその発生率は1%弱である。このことから,筆者は14万年前から8万年前に我々の祖先が統合失調症を獲得し,そのことが新人類誕生を招いたのではないかと推測する。非常に非常に面白い説である。


『万物の尺度を求めて――メートル法を定めた子午線大計測』(ケン・オールダー著,吉田三知世訳,早川書房社,2006年3月31日初版)

【インパクト指数】4.5

【本文から】

◆1792年6月――フランス王政の末期,「革命による平等」という新しい希望を中心に世界が回りはじめたころ――二人の天文学者が,途方もない使命を帯びて正反対の方向へと旅立った。(略)彼らの使命は世界の大きさを測ること(略)であった。(略)そして彼らの仕事は,この新しい単位,「メートル」を,北極から赤道までの距離の一千万分の一の長さとして決定することであった。

【私のコメント】

この本は,1メートルすなわち地球の子午線の4分の1の1000万分の1を測るべく生涯をかけた二人の男の物語である。ただ,その時期が悪かった。出発したとき王政だったが,途中で革命がおきてしまい,彼らの後ろ盾がなくなってしまうのである。ただ,話が冗漫すぎて途中で飽きてくるかも。


『デカルトの暗号手稿』(アミール・D・アクゼル著,水谷淳訳,早川書房社,2006年0月30日初版)

【インパクト指数】9.4

【本文から】

◆2001年にストラスブール大学のエドゥバール・メールが,ソルホンヌ大学での博士論文をもとに書いた本の中で,それまで研究されてこなかった数多くの一次資料を分析した。彼の研究から浮かび上がった全体像によって,デカルトが薔薇十字団の思想に深く影響を受けていたことはほぼ疑いようがなくなった。(P.108)

◆なぜデカルトは,大勢の人が飢えや戦いで死んでいく,このような恐ろしい戦争の場にやってきたのだろうか?(略)デカルトは,常に軍隊組織や軍事施設に魅了されていた。(略)デカルトは空中での弾丸の弾道に興味を持ち,重力下での物体の落下を研究していた。(略)デカルトは人生に関してできる限りのことを学びたいと思っており,ラ・ロシェルの包囲戦はそうした学習の一環だったのだ。

【私のコメント】

原題は"Descartes' Secret Notebook"。私は本書のタイトルを見て,例の「ダヴィンチなんとか」の類の「トンデモ本」の一種と思っていた。しかし,よく見ると作者はアクゼルではないか。「天才数学者たちが挑んだ最大の難問」「『無限』に魅入られた天才数学者たち」「量子のからみあう宇宙」「フーコーの振り子」の著者である。この著者なら根拠のない話は絶対書かない。読んでみると期待通りの内容であった。アクゼルはなんとあのライプニッツ自身が書き写したデカルトの「秘密のノート」を直接読んでこの本を著した。なぜ,ライプニッツがデカルトの秘密のノートを克明に書写したのか――当時ライプニッツのアイデアはデカルトを剽窃したものだといううわさが立てられていた。彼はそうでないことを証明するためにもデカルトの全ての著作をチェックする必要があったのだ。

チョムスキーは自分のことを「カーティージャン(デカルト主義者)」と明言したが,デカルトの考え方には確かに魅かれるものがある。デカルトが当時の学者たちの秘密グループであった「薔薇十字友愛団」のメンバーであったことを思わせる記述もある。とってもおもしろい本なので一読の価値あり。


『サイボーグとして生きる』(マイケル・コロスト著,椿正晴訳,ソフトバンククリエイティブ社,2006年7月13日初版第1刷)

【インパクト指数】物語のため測定不可

【本文から】

◆コンピューターチップの演算処理能力と脳のすぐれた可塑性のおかげで再び電話が使えるようになったのだ。電話がかかってくれば,ぼくは相手との会話を楽しむ。携帯電話と人工内耳システムを介して音素が出入りするなかで,ぼくらは冗談を言って笑ったり,近況を知らせ合ったり,何かを約束したりする。電話で聞く音声は相変わらず金属的でかぼそく,雑音も入るが,少し努力すれば必要な言葉はだいたい聞き取れる。ぼくは,「耳は死んだけど,こいつは使える」と考えながら,電話をきることがある。そのようなとき,自分はいったん亡霊となりながらも,コンピューターのおかげでサイボーグとして復活したことをあらためて実感する。(p.155-156)

【私のコメント】

原題は"How Becoming Part Computer Made Me More Human(一部をコンピュータ化することで自分がいかにより人間らしくなったか)"である。

「サイボーグ」とは「体の全部または一部が電気機械装置で置き換えられた人間」のことであり,感情を持たない機械そのものの「ロボット」とは異なる。著者はそうした定義で自らをサイボーグと呼ぶ。入れ歯は「電気機械装置」ではないので,入れ歯をしている人は「サイボーグ」ではないが,心臓ペースメーカーを装着している人は「サイボーグ」である。

本書は,失聴のため人工内耳の埋め込み手術を受けた人の体験談である。アメリカではすでにかなり多くの人がこうした手術を受けているらしい。人工内耳の利点はソフトを換えることでバージョンアップがはかれるということだ。

かのベートーベンをも失聴に追いやった「耳硬化症」という難病に悩む知人がいる。今は補聴器でなんとかやっているが,やがて完全に失聴するのではないかと不安に思っている。できればこの本を紹介したいのだが,ただ,「サイボーグ」という言葉のイメージがあまりにも強烈であるため,相手が傷つくのでないかと思い,今ひとつ決断できずにいる。


『ビッグバン宇宙論 上下』(サイモン・シン著,青木薫訳,新潮社,2006年6月25日)

【インパクト指数】10.0

【本文から】

◆1997年にイギリスで発刊された2ポンド硬貨には,ギザギザの縁のところに「巨人たちの肩の上に立って」という言葉が刻まれた。この言葉はニュートンが同僚の科学者ロバート・フックに宛てた手紙から採ったもので,ニュートンはそこで次のように書いている。「もしも私がほかの人たちよりも遠くを見たとすれば,それは巨人たちの肩の上に立ったおかげなのです」これはニュートンが,自分のアイディアはガリレオやピュタゴラスなど,なだたる先人たちのアイディアの上に築かれていることを認めた謙虚な言葉のように見える。しかし実際は,これは背骨が曲がってひどく屈んでいたフックの身体をそれとなく指し示す,悪意に満ちた表現だった。ニュートンは,フックは肉体的に巨人ではないことを思い至らせ,知性においてもまた巨人ではないことをほのめかしたのである。(上 p.138)

◆ビッグバン・モデルによれば,「最初,すべての物質とエネルギーは一点に集中していた」 その後,ビッグバンが起こった。「ビッグバン」という言葉はともかくも大爆発を意味し,実際,爆発を思い浮かべるのはそれほど的はずれではない。しかしビッグバンは,空間の中で何かが爆発したのではなく,空間が爆発したのである。同様に,ビッグバンは時間の中で何かが爆発したのではなく,時間が爆発したのである。空間と時間はどちらも,ビッグバンの瞬間に作られたのだ。(下 p.230)

【私のコメント】

サイモン・シンの書く本は文句なく面白くそしてわかりやすい。青木氏の翻訳も立派だ。私はこのコンビの本は必ず買うことにしている。この本は「ビッグバン理論」がどのようにして認められていったかをわかりやすく説明してくれる。ビッグバン理論が認められるきっかけとなった「宇宙マイクロ波背景放射」の発見が,どうしても除去できない「雑音」をなんとかつきとめようとした二人の電波天文学者の怪我の功名であったというくだりなども面白い。

それにしても,「巨人の肩の上」の発言がフックへの露骨な差別発言だったとは。天才ニュートンの持つ変質狂的いやらしさがよく表れている。彼はフックのあと王立協会会長になったとき,フックの痕跡を徹底的に破壊したが,よほどフックが嫌いだったのだろう。


『素数の音楽』(マーカス・デュ・ソートイ著,冨永星訳,新潮社,2005年8月30日)

【インパクト指数】7.6

【本文から】

◆素数理解に貢献した数学者には,長寿を全うした人が多い。(略)数学者たちは,リーマン予想を証明した人間は不死身になると冗談を飛ばしている。(P.470)

◆リーマン予想を解けば100万ドルの褒美がもらえるのに,それでも恐れをなしてこの名うての難問題を敬遠する数学者は多い。リーマン,ヒルベルト,ハーディー,セルバーグ,コンヌ・・・じつに多くの偉大な人々が,リーマン予想を解こうとして挫折した。(略)リーマン予想が解決されないまま200年がすぎるだろうと考える人は多い。(略)リーマン予想は間違っているという人もいる。さらには,すでに解かれているのに,数学界の権威筋が秘密にしているだけだという人もいる。この予想を解こうとして気がふれた人もいる。(P.472)

【私のコメント】

「ζ(x)=1/1のx乗+1/2のx乗+1/3のx乗+・・・+1/nのx乗+・・・・」を「ゼータ(ζ)関数」というのだが,この x のところが複素数(高校で習った a+bi というやつ)になっているものを「リーマンのゼータ関数」という(ゼータ関数には他にも『オイラーのゼータ関数』などいろいろある)。この無限和となっている関数が a と b の値によっては互いに打ち消しあって最後には「ζ(x)=0」となる場合がある。そのときの複素数(a+bi)を挙げていくと「1/2+14.135i,1/2+21.022i,1/2+25.011i・・・」となる。そこでリーマンはこの関数が0になる場合,その複素数のaにあたる部分(これを「実部」という)は必ず1/2であるという予想を立てた。これが「リーマン予想」である。コンピュータを駆使して現在のところ100億個まではリーマンの予想通りになっている。しかしもしかすると101億個目で1/2をはずれる数字が出るかもしれない。今求められているは「すべてに数においてリーマン予想が成り立つ」という「証明」なのである。

本書は実は数学的知識を全く持ち合わせていなくても楽しめる。リーマン予想とは何なのかさえ理解できなくてもよい。そんなふうにかかれているので文系人間を自認されている方でも十分おもしろい。

ちなみに今なぜ「リーマン予想」が「熱い」のかというと,これが「素数」と絡んでいるからだ。素数とは自分自身以外では割り切ることのできない数字である。83×97=8051は電卓があれは数秒でできる。しかし,8051を83と97に分解する(素因数分解)することはかなり時間がかかる。100桁の数を因数分解するとなると今のところ不可能といってよいほどの長い時間がかかる。実はインターネット上の暗号はこの「因数分解」の難しさを利用して作られているのだ。現在のところ高度な機密性が求められる場合は600万桁の数字が利用されているという。リーマン予想の証明はこの暗号システムが維持できるかということにも深く関わってくるのだ。




『人類が知っていることすべての短い歴史』(ビル・フライソン著,楡井浩一訳,NHK出版,2006年3月25日第1刷)

【インパクト指数】16.0

【本文から】

◆進化を,大型化,複雑化への道――言い換えれば,わたしたち人間へと行きつく終わりなき進歩の連続――と考えるのは,人間の自然な衝動だろう。しかし,それは自惚れだ。進化の真の多様性は小さい規模で起こっている。わたしたち大きな者は,偶然の産物,めずらしい分派なのだ。生物の23の主な部門のうち,肉眼で見ることができるのはたった三つ――植物,動物,菌類――で,そのなかにさえ,顕微鏡を使わなければ見えないものがある。それどころか,ウォーズによると,地球上の生物量――植物も含む地球上のすべての現存量の合計――の80パーセント,ことによるとそれ以上が,微生物で占められているという。世界は微小な生命たちのもので,それは,昔からずっと変わらないのだ。

【私のコメント】

インパクト指数2桁の本にふさわしい内容である。手に取ると635ページのやや大部な本だが,やさしく書かれた科学史なので一気に読める。本書を読めば,宇宙誕生以来われわれが今なぜここにこうしているのかがわかるだろう。

最近の研究では,細菌はこれまで考えられていた以上に古くからすでに存在していた可能性があるといわれている。何十億年ものあいだ脈々と命をバトンタッチしてきているしたたかな生命だ。彼らの歴史に比べたら人間の歴史なんか比較の対象にはならない。これまでの歴史から考えれば人類が滅亡した後も彼らは何事もなかったかのように依然として命のバトンタッチを続けていくことだろう。




『われら以外の人類――猿人からネアンデルタール人まで』(内村直之著,朝日新聞社,2005年9月25日第1刷)

【インパクト指数】5.1

【本文から】

◆2003年,この(指輪物語の)ホビットとほぼ同じ大きさの小さなヒトの化石がインドネシアの島で見つかりました。女性で身長は1メートルほど,頭の大きさもグレープフルーツ程度,私たちの3分の1以下の容量の脳しかもたないという小ささです。生きていた時代を知って驚きました。1万8000年前といいますから,もう私たちのホモ・サピエンスはとっくに登場していて,文化をつくり始めていたころです。私たちは同じ時間,空間をこの小さな人たちと共有していたはずなのです。 (P.4)

◆ホモ属進化の初期に肉の味を覚えていなかったら,ネアンデルタール人もわれわれも今,存在していなかった可能性が大きいのです。そのようなことで何百万年ものあとのステイタスが決まるなんて,進化とは面白いものです。(P.186)

【私のコメント】

現在,ヒトという種に属すと考えられているものは全部で19種もあるという。中でも2003年,インドネシアで見つかった骨はホモ・サピエンスと隣り合って共存していた「われら以外の人類」であったというから,これはたいへんなニュースである。本書は猿人からネアンデルタール人に至るまで,われらとは別の人類についてわかりやすく解説してくれる。本書の中で特に私が面白いと思ったのは,ストリンガーという学生が「自分の手を汚して発掘をする」のではなく,ヨーロッパ中の自然史博物館に展示されている「すでに誰かが発掘してくれた」ネアンデルタール人とクロマニヨン人の骨をつぶさに調べ,それらを多変量解析で比較研究するという,それまで誰もやったことのない手法を用い,「ネアンデルタール人はクロマニヨン人によって置き換わった」という研究論文を発表したという事実だ。方法論の独創性がものを言う話である。




『パラレルワールド』(ミチオ・カク著,斉藤隆央訳,NHK出版,2006年1月25日第1刷)

【インパクト指数】11.0

【本文から】

◆あなたの周囲には,遠くの局から放送されている何百もの電波が飛び交っている。(略)ところが,ラジオをつけると,一度にひとつの周波数の電波しか聞こえない。他の周波数は干渉性を失い,位相が一致しなくなっている。(略)同じように,この宇宙でわれわれは,物理的な現実に対応する周波数を「受信」している。ところが,実は,同じ部屋の中でわれわれと共存して進行している現実が無数にある。ただし,われわれにはそんな現実が「受信」できない。(P.206)

◆現在,多くの物理学者は,万物の背後には単純かつエレガントで有無を言わせぬ理論があるが,それは十分に奇想天外で非常識であってこそ正しいと考えている。(P.226)

◆私自身は,宇宙のあまりの大きさに気が滅入るどころが,この世界のそばにまったく別の世界があるという考えにわくわくさせられる。(P.427)

【私のコメント】

この本はいわゆる「トンデモ本」ではない。日系の著者はニューヨーク市立大学理論物理学教授で超ひも理論の権威である。本書には数式は一切出てこない。これほど難しい理論をこれほどわかりやすく語る著者に力量には感嘆する。とはいっても私はこの本のすべてを理解したというわけではない。ただ,博覧強記の著者が様々な文学作品を例にあげて上手に説明するのでとても楽しく読める本である。インパクト指数2桁の本に久々出会った。




『ダーウィンと家族の絆――長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ』(ランドル・ケインズ著,渡辺政隆・松下展子訳,白日社,2003年12月10日1版1刷)

【インパクト指数】5・6

【本文から】

◆スノー(妻エマの姪)がダイニングにいると,チャールズが「唐突に」彼女に近づいてきたという。そして,「まるでずっとそのことを考えていたかのように,何の前置きもなく話し始めたのです。『人はみな,生まれながらにして神の存在を信じたいと思うものだけれど,ぼくは,人間のあらゆる感情はその萌芽を動物の中に見つけられるということを調べてきたので,そういう考えを受け入れることができないのだよ』と」。(P.546)

◆チャールズは,神や超自然的な霊の存在について議論するのは時間の浪費であるとも語った。「人に許されている時間は限られているのだから,有効に使ったほうがいい」。この世と人類のためにしなければならないことがあり,自然がまだまだ多くの謎を残しているうちは,自然現象以外の目的に割く時間は有効に使うべきだというのである。(P.548)

【私のコメント】

ビーグル号に乗り込むとき,チャールズ・ダーウィンは牧師になることを考えていた。そしてビーグル号を降りるとき,彼の考えは全く変わっていた。彼は家族と日曜日に教会に行っても,彼一人は教会に入らずに外で待っていたという。その点で敬虔なキリスト教徒であった妻エマとの間には「辛い溝」があった。ただ賢明で温厚なダーウィンは自分が唯物論者であることを明確にすることの危険を十分理解していた。ただ,ダーウィンは臨終で何度も「ああ神様」と叫んだと娘のエティが述べているのだが…。

本書の著者はダーウィンの玄孫(孫の孫)にあたる。チャールズの愛娘アニーが持っていた文箱を実家の物置で発見し,このアニーの死こそダーウィンに進化論を実感させたのではないかと考える。アニーは利発でかわいい少女で,決して神の罰を受けるような子ではなかった。アニーの死は「自然のきまぐれ(自然淘汰)」とダーウィンは考えて自分を納得させようとする。本書はダーウィンに近しい人によって書かれた本であり,生身のダーウィンが描かれている。




『あなたのなかのサル――霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』(フランス・ドゥ・ヴァール,早川書房,2005年12月15日初版)

【インパクト指数】10.4

【本文から】

◆1979年,インド南部のバンガロールで開かれた学会で,日本の霊長類学者である杉山幸丸が,衝撃的な報告を行なった。それはラングールのオスが,それまでのリーダーを駆逐してメスのハーレムをのっとると,かならず赤ん坊を皆殺しにするという事実だった。(略)だが学会の出席者は誰ひとりとして,それが新しい歴史の1ページであることに気がつかなかった。杉山の報告に,会場は恐ろしいほど静まりかえる。(P.134)

◆キドゴは心臓を悪くしていたせいで体力が落ち,おとなのオスらしいスタミナも自信も失っていた。ミルウォーキー動物園のボノボコロニーに連れてこられた当初,キドゴは慣れない建物のなかですっかり混乱していた。トンネルのあちらからこちらに移動するように飼育係が指示しても,とまどうばかりだ。しばらくすると,ほかの数頭のボノボがキドゴに近づき,彼の手を取って行き先を案内した。つまりボノボたちは,飼育係の意図と,キドゴの窮状をどちらも理解していたことになる。(P.221)

【私のコメント】

この本の帯には「ケンカっ早くて冷酷なチンパンジー,なんでもHで解決するボノボ,あなたはどっち寄り 答え→どっちも!」とある。つまり我々人間はチンパンジーの暴力性とボノボの平和主義を併せ持っているというのだ。この本の内容を一言でいうとそういうことになる。我々はともすると,人間だけが他の動物よりもはるかに優れたものと勘違いしている。しかしこの本を読めば,すでに他者への共感や,鏡を見て自己認識ができる類人猿と我々がいかに近いかがよくわかるだろう。上記の杉山だが,その後10年間学会から無視されつづけた。しかしやがて子殺しが霊長類はもとより,クマ,イルカ,プレーリードック,鳥類などでも次々の事例が発見され,彼の正しさが認められるようになる。もっともボノボには子殺しは見られない。




『火の女 シャトレ侯爵夫人』(辻由美,新評論,2004)

【インパクト指数】4.7

【本文から】

◆18世紀フランスの貴族社会ほど,「不品行」が大手を振ってあるいていた社会の例は,歴史上,おそらく,それほど多くないだろう。どんな文化圏の,どんな厳しい戒律のもとでも,不倫の愛は存在した。いつの時代でも,男が妻以外に愛人をもつことを,社会は黙認してきた。だが,既婚の女の恋愛がこれほど自由だったことは,たぶん珍しいだろう。(P.76)

【私のコメント】

私は前々から不思議に思っていたことがある。18世紀のヨーロッパ上流社会ではなぜ既婚女性である○○侯爵夫人が夫以外の愛人をあれほどおおっぴらに持てたのかということだ。夫は妻の浮気に何も感じなかったのだろうか。実はこの時期はまれに見る自由恋愛の時代であったのだ。もちろんルールはある。夫の体面を傷つけるようなおおっぴらなことはやってはいけない(たとえば愛人の子どもを産むなど)というルールだ。これさえわきまえておけば,どうせ夫も同じことをしているわけなのだ。シャトレ侯爵夫人は数学とラテン語にたけ,あの難解なニュートンの「プリンキピア」を注釈入りのフランス語に訳したというのだ。しかもこの訳書は今でも売られているのだという。本書は,ヴォルテールとの交際を基盤に,シャトレ侯爵夫人の男性遍歴が語られている。ちなみに,「火の女」とは男を愛したらとことんまでいかねばすまない彼女の性格と,彼女自身が表した「火」に関する論文をかけている。




『コスモス・オディッセイ――酸素原子が語る宇宙の物語』(ローレンス・M・クラウス,はやしまさる訳,紀伊国屋書店,2003)

【インパクト指数】7.6

【本文から】

◆この本は,私たちはみな星屑の子供であるという認識から生まれた。私たちの体を形づくる原子はそれぞれ,かつて,ある恒星の内部にあった。その恒星は,いつの日か私たちが生まれるよう生き,そして死んだのだ。しかし,同時に私たちは地球の子供でもあるという事実を見失いかねない。私たちの体を形づくる原子のひとつひとつが体内にとどまっているのは,その位置によって数分だったり数年だったりするが,ともかくいっときにすぎない。(p.272)

◆宇宙を野球ボールのサイズにまで圧縮すると,総エネルギーのうち,今日のすべての銀河を形づくる物質のすべての質量と結びついている部分の割合は,およそ10−23,つまりおよそ10兆分の一の1兆分の一だ!(この放射は高圧で,膨張する宇宙に働きかけ,数千年でそのエネルギーは消え去り,取るに足らなくなって,今日の宇宙では物質が優位を占めている。)つまり,今日普通一個の原子が占めている空間に当時,詰め込まれていた物質の静止質量は地球の質量程度だったが,放射エネルギーを含めると,この空間が抱えていたエネルギーは,これよりもずっと大きかったことになる。実は,これは現在見える宇宙全体のエネルギーに相当するエネルギーだ。
一個の原子に詰め込まれた宇宙!(p.20)

【私のコメント】

原題は"An Odyssey from the Big Bang to Life on earth...and Beyond"である。「ビッグバンから地球の生命・・・そして未来へのオディッセイ」という意味だ。堂々巡りになるが,もし本当に宇宙がビッグバンで誕生したのなら,その前は何だったのだということが気になる。また,宇宙が野球のボールくらいの大きさだったというのなら,どうして地球を始めとする宇宙の膨大な物質がそのような小さな空間に詰め込めるというのか。

この本では,何と野球のボールどころか,小さな原子一個の空間に全宇宙を詰め込むことも可能だというのだ。その場合,もはや「物質」は存在しない。ほとんどが放射エネルギーという形で存在するという。この手の話はあまりにも数字が膨大すぎてどうも感覚がつかめない。しかしおもしろい。




『人生,寝たもの勝ち』(ポール・マーティン,奥原由希子訳,ソニー・マガジンズ,2004)

【インパクト指数】17.7

【本文から】

◆眠りはヒトの専売特許ではない。(略)多細胞生物に共通の特徴だ。昆虫,軟体動物,魚,両生類,鳥,哺乳類をはじめ,あらゆる種類の動物に眠りが観察されている。

◆睡眠剥奪が極限に達するとなにが起きるのだろう。(略)ただの噂話のたぐいをべつにすれば,ヒトから強制的に睡眠を奪うと死にいたるかを科学的に検証した例は無い。たとえ科学者からそのような実験の申請があっても,倫理委員会が難色を示すだろう。だがヒト以外の種であれば,はっきりした証拠がある。動物は実験で睡眠を奪われつづけると,最後には必ず死ぬ。そして,ヒトがそれとは根本的に違うという根拠はどこにも無い。

◆われわれはみな眠っているあいだに勃起する――あなたも,わたしも(ええ,そうですとも),アメリカ大統領も,お隣さんも。(略)睡眠中のペニスの勃起はあらゆる年齢の健全な男性に,子宮内の胎児にさえ起こる。(略)夜間勃起は健全かつありふれた現象だ。夜間のペニスの勃起は昼間のそれとは違い,年をとっても頻度や周径がさほど低下しない。したがってこの点にかんして,中年後期の男性の勃起能力は20代前半のそれと変わらない。(略)通常,中年男性には一晩に3〜4回の夜間勃起があり,1回の勃起はおよそ30分続く。

【私のコメント】

久しぶりに,ものすごく面白い本に出くわした。このような本は20冊買って1冊あるかないかだ。この本は睡眠を研究する科学者が書いた本である。原題は Counting Sheep だが,邦題がこれまたおもしろい。訳もこなれていて読みやすい。睡眠というものが単なる休息などという生易しいものではなく,我々の生死を左右するものであることは理解しておいていいだろう。ヒトを電気もなく,日が暮れると暗くなる状態に置くと,たいてい8時間の睡眠に落ち着くという。あなたは8時間寝てますか?




『パラドックス大全――世にも不思議な逆説パズル』(ウィリアム・パウンドストーン,松浦俊輔訳,青土社,2004)

【インパクト指数】6.0

【本文から】

◆時間に関する思考実験で最も有名なものは,1921年,バートランド・ラッセルが考えたものである。世界が5分前にできたとしよう。記憶や「以前の」出来事の痕跡も,造物主のいたずらとして5分前に作られたのである。そうでないことを,どうやって証明するのだろう。それはできないとラッセルは言う。ラッセルと論争しようという人は少ないだろう。同じ論法で,どんな反論も打ち砕けてしまうからだ

◆砂山を思い浮かべ,そこから砂を一粒取り去ろう。過去の経験に基づいて,砂粒を一つ取り除けば砂山でないはないものが残るようなことがありうるか。もちろんない。すると砂山から始めて,一粒ずつ砂を取り除いていこう。いずれ山は小さくなって一個の砂粒になるだろう。それでも砂山でなければならない。最後の粒を取れば何も残らない。その何もないところもやはり砂山でなければならない。

【私のコメント】

ゼノンいわく,粟粒を一粒落としても音はしない。しかし枡いっぱいの粟粒を落とすと音がするのはなぜか。この手の話を「積み重ねの逆説」というらしい。上記の二つ目の話もそれにあたる。砂山から砂を一粒とっても,やはり砂山である。しかし,それを延々と続けると,最後には砂粒が一つだけのこる。それも「砂山」というのか。もしそうでないとすれば,「砂山はいつ砂山であることをやめたのか」。本書は「テセウスの船」「トムソンのランプ」「抜き打ちテスト」「囚人のジレンマ」など古今東西のさまざまな逆説を解説する。最初の「演繹と帰納」の話はためになる。




『ジェイムズ・ハットン――地球の年齢を発見した科学者』(ジャック・レプチェック,平野和子訳,春秋社,2004)

【インパクト指数】3.9

【本文から】

◆今日,ハットンが着想し,ライエルが体系だてた地球観は「斉一説」と呼ばれており,その後の地質学や生物進化論に多大な影響を与えてきた。しかしながら,その影響力の大きさにもかかわらず,最初に斉一説の骨子を生みだしたジェイムズ・ハットンという人物と,彼が何を考えたのかは,まったくと言っていいほど,正しくは理解されていない。

◆ジェイムズ・ハットンは,なぜ地質学者以外にほとんど知られていないのだろうか?(略)ジェイムズ・ハットンは,意思を伝える巧みな才をもたなかったという事実がある。(略)欠陥の多い書き方は,ハットンが本の執筆にあたっていたときに身体の不調に苦しんでいたことと相まって,拙速に走らせる原因となった。単に長大だというだけでなく,『地球の理論』には,ほかの言語で書かれた他人の作品からの仰々しい箇所が含まれている。手に負えない本というだけで今日では読んでもらえないだろうし,当時も広く読まれたわけではなかった。

【私のコメント】

本書は,天地創造によって地球が作られてから6000年であると広く信じられていた時代に,地球は膨大な時間の中で徐々に変化してきたと主張した地質学の父ジェイムズ・ハットンについて書かれたものである。彼はエディンバラを中心に活動し,ライエルやダーウィンに影響を与えた。「斉一説」と「進化論」の接点を考える上でも本書は示唆に富む。

ただ,私は本書を読んで次のようなメールを春秋社に送ったのだが,何の応答もない。すばらしい本であるのに,誠意のなさが気になる。

---------送付したメール 2004.11.3-----------

春秋社 編集部 殿 (あて先が違うようでしたら,お手数ですが,編集部の方へ ご転送いただければと存じます)

今,「ジェイムズ・ハットン」(ジャック・レプチェック著,平野和子訳,春秋社,2004)を読み終えました。サイモン・ウィンチェスターの「世界を変えた地図」や「クラカトアの大噴火」を読んだところだったので,とても興味深く読みました。ライエルは有名なのに「斉一説」の本家本元であるジェイムズ・ハットンの知名度が今ひとつであるのは不公平に思えます。

ところで,本文の中でいくつか気になった点がありました。

@p.53 「ホリールッド宮殿」
Holyrood を「ホリールッド」と表現されていますが,やはり一般に言われているように「ホリールード」ではないでしょうか。三省堂の「固有名詞英語発音辞典」 には「Holyrood (in Scotland) holiru:d」とありますし,Longman Dictionary of English Language and Cultureにも「Holyrood Palace /holiru:d 〜」としています。

A同頁
最後の行に「いまではこの城は軍事目的に使用されている。」とありますが,この「いまでは」は21世紀のことでしょうか。とても「軍事目的」に使用されているようには思えませんが・・・。それともこの「いまでは」は18世紀のことをいっているのでしょうか。

Bp.74 2〜4行目
ハットンの指導にあたっていた師は,法律が彼に向いていないことをすぐさま悟り,彼にもっと適したほかの仕事を考えたほうがよいとアドバイスしたとありますが,「誰に」アドバイスしたのでしょうか。目的語が見えません。文脈からすると,――ハットンの指導にあたっていた師は,法律が彼に向いていないことをすぐさま悟り,彼にもっと適したほかの仕事を考えたほうがよいとアドバイスした――となるのではと思われますが。

以上,疑問に思った次第です。

-----------------メール終了---------------


『世界を変えた地図―ウィリアム・スミスと地質学の誕生』(サイモン・ウィンチェスター,野中邦子訳,早川書房,2004)

【インパクト指数】5.9

【本文から】

◆彼は人と違っていた。視点が人とは違っていたのだ。彼だけがやがて,運河のルートに沿った田園地帯の美しい景色が変貌していくことには意味があると気づき,それがサマセットの地下世界を知るのに重要な情報だと確信するにいたった。天分―ろくな教育も受けていない農家の息子にしては思いがけない天分だった――に恵まれた彼は,ただこの変化に目をとめただけではなかった。彼はまっさきに,この変化の原因をつきとめられるかもしれない――ぜひ,つきとめたい,たぶん重要なことがらだから――と考えたのだ。(p.107)

◆彼ら(イギリス地質学会初代会長グリーノウらを指す)はある計画に着手し,それがやがてスミスを破滅に追いやった。彼らは自分たちで新しい大規模な地質図を作るべきだと決めたのだ。(略)あつかましくも先手を取ろうとした無知な田舎者(ウィリアム・スミスを指す)をこれ以上思い上がらせないよう,止めの一撃を加えなければいけない。(p.260)

【私のコメント】

本書は,OED誕生の話を描いた「博士と狂人」の著者が書いた力作である。階級社会の中でその才能が認められなかったばかりか,出来たばかりの地質学会からその業績を盗まれさえした男,ウィリアム・スミスの話である。彼は,これほど恵まれない男はあるのだろうかと思える人生を歩むが,老境に入ってからやっとその名誉が回復される。ケンブリッジ大学のウッドワード記念講座教授アダム・セジヴィックがスミスに送ったスピーチは感動的で,つい私は目頭が熱くなってしまった^^; 印刷屋の丁稚から学者になったマイケル・ファラデー,天才時計職人ジョン・ハリソン,化石女と呼ばれたメアリー・アニング,そしてこのウィリアム・スミス・・・私はこうした,階級社会のイギリスで差別に屈せずにがんばった才能ある人たちのことになるとどういうわけか熱くなるのだ。

当学会の最初の受賞者としてイギリス地質学会の父にメダルを贈ることは,子としての私たちの義務であります・・・(アダム・セジヴィック)



『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則』(スチュアート・カウフマン,米沢冨美子訳,日本経済新聞社,1999,2000)

【インパクト指数】3.3

【本文から】

◆どうにか読者を説得して,生命が複雑な化学系の本来の性質であることを,わかったもらいたいと考えている。化学スープの中で分子の種類の数がある閾値を超えると,自己を維持する反応のネットワーク―自己触媒的な物質代謝―が,突然生ずるであろうことをぜひとも納得してほしいのである。

◆一万個のボタンが,木でできた床の上にばらまかているところを想像してみよう。ランダムに二つのボタンを選んで,それらを糸でつなぐ。こんどはこのペアを床に置き,さらに二つのボタンをランダムに選ぶ。そして,それを取り上げ糸でつなぐ。(略)一対のボタンをランダムに選んで糸でつなぐ作業を続けていると,しばらくして,ボタンはより大きなかたまり,つまりクラスターへと相互に連結されるようになる。(略)糸とボタンの比が0.5を超えると,相転移が生ずる。この点において,「巨大クラスター」が突然形成されるのである。(略)糸とボタンとの比が0.5を超えると,突然,ほとんどのクラスターが交差的に連結されるようになり,一つの巨大なクラスターが形成されるのである。(略)一万個のボタンを用いたとすれば,巨大な成分は,糸がおよそ5000本になったとき出現するであろう。

◆この巨大なクラスターは不可思議なものではない。それが出現するのは当然なことである。ランダムグラフに関して予想されている性質である。これと類似した以下のような現象が,生命の起源についての理論の中に現れる。化学反応系において,十分多くの反応が触媒作用を受けると,触媒された反応の非常に大きな織物が突然「結晶化」する。こうした織物は,ほぼ確実に自己触媒的であることがわかる。そして,ほぼ確実に自己維持的である。生きているのである。

【私のコメント】

530ページにもなる本書は決して読みやすいものではない。しかし,じっくり読めば得るところの大きな本である。中でも,このボタンと糸の話は,グラフ理論に基づくものであるが,非常に示唆的である。熱力学第2法則によれば,エントロピーは増大の方向へと常に向かい,秩序から無秩序へと向かうという。しかし,それではどうして生命のような秩序が生じたかが説明できない。そこにこの自己組織化の理論である。一定の閾(しきい)値を超えたとき,そこに突然それまでになかった秩序が生じるというのだ。しかも,それはグラフで表すと,自動車教習所内の「クランク道路」のようにほぼ90度で曲がるグラフとなる。「徐々に」ではなく,ある点を境に「突然」目の前に現れるのだ。カウフマンは「進化においては,自己組織化とダーウィン的な自然淘汰との両方の役割を認めなければならない」と述べている。本書のインパクト指数はやや低いが,これは本書がたいくつなものであるというのではなく,私が後半の内容を十分読みきれていないせいである。


『DNA』(ジェームス・D・ワトソン/アンドリュー・ベリー,青木薫訳,講談社,2003)

【インパクト指数】8.2

【本文から】

◆私が遺伝子に夢中になったのは,シカゴ大学の三年生のときだった。それまでは,将来は博物学者になろうと思い,自分の育ったシカゴの下町,サウスサイドの喧騒とはまったく違った環境で研究することを楽しみにしていた。そんな私が心変わりをしたのは,忘れがたい教師がいたからというわけではなく,1944年に出た『生命とは何か』という小さな本に感動したからだ。著者は,オーストリア生まれで,波動力学の父と言われるエルヴェイン・シュレーディンガーである。

◆DNA分子の本質は,彼ら(化学者)ではなく,大学生レベルの知識すらもたない生物学者と物理学者の二人組によって発見されてしまったのである。しかし逆説的ではあるが,少なくとも部分的には,無知は成功の鍵だった。最初に二重らせんにたどりついたのがクリックとわたしだったのは,当時の大多数の化学者が,DNA分子は大きすぎるため化学的分析では理解できないと考えていたからなのだ。

【私のコメント】

本書はクリックとともにDNAの構造を発見したジェームス・ワトソンによって書かれたものである。DNA構造発見からヒトゲノム解析まで,彼の関わった様々な体験が自説をまじえて語られている。彼は声高に遺伝子組み替え食品への警告を叫ぶ環境論者には批判的である。また,『ベル・カーブ』に対してもJ・グールドと異なり,一定の評価を与えている。そうした点で,私にはどちらかというと保守的という印象を受けるが,実際は何が真理であるかを感情を交えずに見ていこうする科学者の姿勢なのかもしれない。ただ,ちょっと気になるのは,巻末の注に「私のIQは122というなかなか立派な値だが,とくに優秀というわけではない。私は11歳のとき,先生の机の上にあったリストを盗み見してこれを知った」とある。知能テストによるIQは生涯不変のものではない。その点ではJ・グールドの『人間の測りまちがい』の方が正しい。


『数量化革命』(アルフレッド・W・クロスビー,小沢千重子訳,紀伊国屋書店,2003)

【インパクト指数】9.9

【本文から】

◆ものごとを数量的に考える兆しが現れたのは,西ヨーロッパの人口と経済成長が最初のピークに達した1300年前後のことだった。この兆しは,西ヨーロッパ社会が相次ぐ恐怖に見舞われた14世紀を通じて,消えることはなかった。この100年の間に人口は激減し,戦争は恒常化した。

◆13世紀後半から16世紀にかけて西ヨーロッパの文化は知覚に混乱をきたした状態にあり,落胆の沼でもがいていた。現実世界を認知し,説明するために伝統的に用いてきた思考様式は,しだいにその主要な機能を果たさなくなっていた。(略)西ヨーロッパ人はきわめてゆっくりと,ためらいがちに−−しばしば商業に関連した−−事実に基づいて,現実世界を新しい見方で見るようになりはじめた。こうして形成された世界像を「新しいモデル」と名づけよう。「新しいモデル」のきわだった特徴は,正確さと物理的現象の数量的把握,そして数学を,はるかに重視していることである。

【私のコメント】

「ヨーロッパ帝国主義」がかくも成功した原因は何であったか。その追求をライフワークとしている著者がいきついた解答の一つが,「数量化」である。4大文明のかげてパッとしなかった西ヨーロッパが13世紀あたりから力をつけてついには世界を席巻するにいたったのはなぜか。著者はそれをテクノロジーの発達とと片づけるのではなく,その根本的原因として「数量」に基づく認知革命にあったのではないかと説く。おもしろい発想である。ただ,後半は私にはちょっと飽きる。


『『数学の密かな愉しみ--人間世界を数字で読む」』(K・C・コール,大貫昌子訳,白揚社,1999,2000)

【インパクト指数】9.6

【本文から】

◆カリフォルニア大学バークレー校の地質学者レイモンド・ジーンロスは,次のような方法で膨大な数の力を学生に示し,あっといわせるのが得意だ。まずチョークで黒板の端から端まで一本の線をひき,こっちの端をゼロ,向こうの端を1兆とする。次いで学生に10億がどのあたりになるか,線を引かせてみると,たいていの者はゼロと1兆とのあいだの三分の一あたりに印をつける。ところが10億など実はゼロの印とたいしてはなれていないのだ。p.33

◆「覆り点」は,少数のものが多数に圧倒されているようなものものの状況にも現れるらしい。たとえば物理学教室の女子学生は,その数がクラスの(あるいは学部の)15パーセント程度に増えるまでは,孤立してなんとなく居心地が悪い。ところが15パーセントの時点で雰囲気ががらりと変わり,物理学はよそよそしく冷たい縄張りから一転して(必ずしも暖かくないまでも)住み心地のよい環境になるという。p.97

◆父や母の肩車にのってパレードを見物したことのある人は,観点を変えるということが,どんなに強力なことかよく知っているはずだ。第三の次元へと180センチメートルばかり上によじ登ってみると,どうだろう。新しい視界が開け,ほんのちょっと前まで見えなかった領域が,にわかにはっきり見えてくる。

【私のコメント】

本書は数字をテーマに扱ったものではあるが,数式のようなものはほとんど出てこない。数字というものは一見,「科学的で論理的」のような顔をしているので,私たちはついつい数字でいわれると「正しいもの」と勘違いしてしまう。「私の住む通りの車はすべてBMWだ」というのを聞いて,驚いてはいけない。その通りにある車の台数はたった1台ということもありうるからだ。文系理系を問わず(というより,わたしはこのような分け方は誤りだと思うのだが),本書はためになる。


『ユーザーイリュージョン--意識という幻想』(トール・ノーレットランダーシュ,柴田裕之訳紀伊国屋書店,2002)

【インパクト指数】8.4

【本文から】

◆意識はその持ち主に,世界像と,その世界における能動的主体としの自己像を提示する。しかし,いずれの像も徹底的に編集されている。感覚像は大幅に編集されているため,意識が生じる約0.5秒前から,体のほかの部分がその感覚の影響を受けていることを,意識は知らない。意識は,閾下知覚もそれに対する反応も,すべて隠す。同様に,自らの行為について抱くイメージも歪められている。意識は,行為を始めているのが自分であるような顔をするが,実際は違う。現実には,意識が生じる前にすでに物事は始まっている。p.295

【私のコメント】

この本はデンマークで13万部売れたという。日本の人口比で換算すると250万部のベストセラーだ。日本ではつまらない恋愛本がベストセラーとなっているというのに。この本は,多くの科学的業績が数多く引用されており,決して読みやすい本ではない。それが250万部に匹敵する売れ行きを見せるデンマークという国が実にうらやましい。

この本が紹介する数々の事実は驚きに見たものばかりだ。たとえば,「私は自分の車できました」というとき,その車が白の4ドアセダンのカローラで昨年買った中古であるというような説明はしない。それらを「自分の車」という言葉に「圧縮」して相手に伝える。私をよく知っている相手は「自分の車」という言葉を受け取るとそれを頭の中で「解凍」して,正しいイメージを描く。コミュニケーションというのは発話している言葉そのものよりも,それを作り出すために切り取られた「外情報」がむしろ重要だというのだ。

中でも驚くべき事実は,刺激が脳に伝わり脳が活動を始めてから,「意識」が立ち上がるまでに「0.5秒」かかるということだ。このことはあらゆる実験によって証明されている。私たちは日常の行動はすべて自分の意志で行っていると固く信じている。しかし,私たちが何か行動を起こすとき,まず脳が活動し,その「0.5秒後」に意識が生まれるのだ。「そんなことはない,自分は思った瞬間に行動している」と主張する人もいるだろう。実は,この0.5秒を埋め合わせするために,意識は0.5秒さかのぼって「帳尻を合わせている」というのだ。何かをしようとするとき,まず無意識下で活動がはじまり,その0.5秒後に意識が生まれ,意識はあたかもそれ以前から自分で考えていたかのように0.5秒繰り上げるというのだ。

パソコン上の不要なファイルはデスクトップにあるごみ箱のアイコンにドロー&ドロップする。しかし,この「ごみ箱」はただユーザーの便宜のために作られた幻想にすぎない。コンピュータの実態はおそろしい量の0と1の羅列である。しかし,我々はそこにあたかもごみ箱があるかのように不要なファイルを捨てる。我々をとりまく世界は,我々自身の「意識」も含めて,すべて実態は「幻想」なのだ。本書のタイトル「ユーザーイリュージョン」はここからきている。さらに興味のある方は,このコーナーにある『人はなぜ感じるのか』の書評をごらんいただきたい。


『メアリー・アニングの冒険--恐竜学をひらいた女化石屋』(吉川惣司・矢島道子,朝日新聞社,2003)

【インパクト指数】2.2

【本文から】

◆She selles sea shells sitting on the sea shore. (彼女は海岸に座って貝殻を売る)
これはよくメアリーのことを歌ったといわれる。もちろん単なることば遊びにすぎないが,もしモデルがいるとしたら彼女ほどふさわしい人物もいない。

◆メアリーはいつごろからか「フォッシル・ウーマン」という異名で呼ばれるようになった。化石婦人あるいは化石女。簡潔にして直截そしてユーモラスだ。それが愛称であれ別称であれ,彼女にこれほどふさわしいものもあるまい。いずれのしろメアリーは平然と受け容れていたようである。

【私のコメント】

今なお厳然と存在するイギリスの階級社会。1830年代,イギリス南部のドーセット海岸に住む無学で貧乏な化石売りの女となれば,学会からははるか離れた存在と考えられていたことだろう。この女性が当時としては最先端の学問であった地質学を独学でマスターし,堂々と大学教授の論文についての誤りを指摘していたというのだ。

この本は魚竜イクチオサウルスの化石の発見者メアリー・アーニングについての初めての伝記である。著者がかつての虫プロのアニメーターと古生物学者という取り合わせもおもしろい。

私はこの本に触発され,この冬(2004年1月)にロンドンの自然史博物館へ行って,この目で彼女の発掘したイクチオサウルスを見てきた。冬のロンドンは午後四時にはすでに暗く,展示場所の照明も今ひとつで,他のコーナーよりも観客が少なかった。しかし,彼女の成し遂げた業績を褒め称えるかのようにその肖像画と説明が大きく張り出されているのをみてなぜかほっとした。


『視覚の文法』(ドナルド・D・ホフマン,原淳子/望月弘子訳,紀伊国屋書店2003)

【インパクト指数】4.5

【本文から】

◆目に入ってくる像それ自体は,高さと幅しかない二次元のものである。ということは,与えられた像からは,それぞれ異なる無数の三次元世界を構築することが可能であり,子供たちはそれぞれ別個の三次元世界を構築しても,なんの不思議もないわけだ。(略)子供はどうやって,構築可能な無数の視覚世界から,他の子供たちと同じような視覚世界を選び出しているのだろうか?(略)選ぶべき視覚世界を決定する法則を,生まれながらにしてすでにもっていたとしたら,構築は可能だ。(略)生後1年のうちに子供を視覚の天才にし,目に入ってくる像の無限のあいまいさにもかかわらず,健常な大人と同じ視覚構築をおこなえるようにする,こうした生来の法則のことを,私は”普遍的視覚の法則”と呼んでいる。この普遍的視覚の法則は,言語学者ノーム・チョムスキーによって提唱された,かの有名な普遍的文法の法則と同じようなものである。

【私のコメント】

私たちが物を見るとき,目に入った像がそのままビデオのように脳に送られて脳内でリアルタイムで映写されているとなんとなく思っている。実際はそうではなく,網膜に上下さかさまに映し出された像は多くの部分に分解され,脳のさまざまな部分に送られ,そこで「一定の法則」に基いて再構築される。本来は二次元の像が「一定の法則」に基き,三次元のものとして「解釈」される。それではどうして,私が構築する像とあなたが構築する像が同じであるのか,すなわち,私の見ているものとあなたが見ているものがどうして同じものであるのか。それはわたしたちが「同じ法則」を用いて解釈しているからである。著者はこの「法則」を「文法」と呼び,それはチョムスキーの普遍文法のように,生まれながらに持っているものであるという。そして,視覚に限らず,聴覚,触覚などすべての感覚も,それぞれの「文法」に基いて脳内で再構築されているのだという。本書ではこの「文法」としての35の法則について,様々な図とともに,説得力のある解説を行っている。脳が人類共通の普遍法則を持っていて,それにもとづいて感覚器官から入る情報を処理しているというのは実に興味深いことだ。


『地中生命の驚異』(デヴィッド・W・ウォルフ,長野敬/赤松眞紀,青土社,2003)

【インパクト指数】5.9

【本文から】

◆新しい発見のためには,地底深く潜ってみるには及ばない。たとえばちょっと裏庭に出て,雑草の根のあたりの土を二本の指でつまみ上げてみよう。10億に近い生物個体,ことによると一万種ほどの微生物を手にしていることになるだろう。(略)一つまみの土でこれだけなのだ。標準的に健全な土をてのひらいっぱいすくえば,そこには全地球の人口より多い生物がいて,何百マイルの菌糸が延びている。(p.10)

◆水素は宇宙の全物質の90パーセント以上,人体の原子数の60パーセント以上を占める。水素はすべて,150億年前に起きた「ビッグバン」の激しい爆発によって形成された。(略)1983年に元素の起源に関する研究でノーベル賞を受賞したウィリアム:ファウラーは次のように言う。「我々はみな,文字通り星屑の小さなかけらにすぎない」。(p.35)

◆地球における生命の起源を探し求める我々は,最近一連の魅力的な発見をした。地中何千フィートという深さで酸素も光もない高温高圧の場所に繁栄する微生物の社会があったのだ。(略)今では「暗黒食物連鎖」の根底で不思議な代謝を行う微生物こそ,地球最初の生命形態の直系の子孫かもしれないと考える科学者もいる。(p.54)

【私のコメント】

この本は,この下にある『病原菌はヒトより勤勉で賢い』という本と関連がある。これまで我々は生命は太陽の恵みのおかげであると教えられてきた。しかし,地下数百マイルの酸素も光もない岩盤の間で生息する細菌が見つかったのだ。こうして地下に生息する生物の量は,地上で生息する生物の量をはるかにしのぐという計算もある。これまで暗黒の世界だった黄泉の世界が,生命に満ちた世界であることがわかってきたのだ。やっぱり細菌はただものではない。この本により,私の細菌に対する畏敬の念がさらに深まった。光も酸素も必要としない生命体の存在は,火星にも生命がある可能性を示唆しているようにも思われる。


『病原菌はヒトより勤勉で賢い』(本田武司,三五館,2000)

【インパクト指数】5.0

【本文から】

◆大事なことは,自然界にいるほとんどすべての細菌は,ヒトに病気を起こすことがない"非病原性菌"であるということである。ヒトが名前を付けた細菌のうちの99パーセントは,非病原性菌であるといわれている。(p.71)

◆私たちの体のことをまず考えてみると,外界につながる臓器,たとえば皮膚はもちろんのこと,鼻,口,気道,消化管,泌尿系などさまざまな外界に開いた臓器では,それぞれの部位に特有な微生物,特に細菌がすみついて,フローラ(細菌叢)を形成している。この常在細菌叢と呼ばれる微生物群(一人の人間の体を作っている全細胞数より多く,10の14乗個に及ぶ微生物が一人の人間に住みついている)は,私たちの生きている限り,私たちの体と共に生き,さまざまな影響を及ぼす。(p.81)

◆胃潰瘍の発生は,ストレスと胃酸で説明されてきた。(略)しかし,最近ではこれが見事,ウソであったことがわかり,愕然としている。それでは,胃潰瘍の本当の原因は,何だというのか。それは,ヒリコバクター・ピロリといわれる細菌である。胃潰瘍は感染症だったということになる。(p.120)

◆病原菌は,自分自身の子孫を増やすため,あるいは維持するためという生物としての当然の行為をした結果だるか,あるいは偶然に人間の体内の中に無理やり取り込まれたために,もがき苦しんで(?)早く脱出しようとすることが,感染症という病気であるかもしれない,と筆者は考えている。(p.149)

【私のコメント】

人間の全細胞60兆個をはるかに越える600兆もの細菌がたった一人の体内に存在する。皮膚1センチメートル四方だけでも数万〜数十万の細菌が住みついている。さらに言えば,我々が日々排泄する便の半分は細菌である。こうした事実を知ると,もはや[抗菌」を売り物にしている様々な製品が無駄な努力のように思えてきた。要するに,私たちは細菌だらけの世界にいるのだ。人類が出現するはるか以前から地球に存在し,おそらく人類滅亡後も地球の住民でありつづけるであろう,この大先輩である細菌を敵とみなすこと自体が誤りなのだ。自然の環境や自分の健康のバランスをとりながら,この「大先輩」といかにうまくつきあっていくかが大切なのだろう。私はこれまで,「人間は他の動物といかに違うか(賢いか)」を強調する傲慢な言い方にうさんくさいものを常々感じてきた。そうした意味で本書のタイトルがとても気に入っている。


『心はどのように遺伝するか』(安藤寿康,講談社ブルーバックス,2000)

【インパクト指数】10.2

【本文から】

◆心理テストのもつこの人工性を指摘するだけで,鬼の首を取ったように心理テストにかかわる議論全体を無意味なものと決めつける論客がしばしばいる。進化生物学者として著名なスティーヴン・J・グールドなどはその一人だ。彼はIQ検査が測っている知能なるものが,統計学的に構成されたものであり,いかなる実体としての意味もないことを強調して,そこから知能遺伝論を批判するという手法をとっている。この種の論法は,人間の心理的形質の遺伝の問題をイデオロギー論争の中に位置づけようとする人のとる常套手段であり,いまだに多くの人に説得力を持って受け入れられているらしい。

◆遺伝の効果に対する環境の効果は,加算的,あるいは相互作用的だと考えればよい。加算的であるとは,遺伝の資質に関係なく与えられた教育環境の効果が加算されるということである。遺伝的に劣った人でも教育環境が十分によく与えられれば,学習成績を上げる可能性もあるということである。

【私のコメント】

行動遺伝学者によるおもしろい本である。"nature vs. nurture(生まれか育ちか)"は古くて新しい問題として,タイム誌(アジア版,2003年6月2日号)にも取り上げられた。「生まれ」派として,カント,ゴートン,ローレンツ,チョムスキー,「育ち」派としてロック,パブロフ,フロイト,ボアズが挙げられていた。本書の記述のほとんどが私にとって納得のいくものであった。我々の行動や感情,そして様々な能力が遺伝子の制約を受けていることは間違いない。ただ本書でも取り上げられているが,遺伝学がともすると優生学のように差別心に根ざした理論の道具として用いられた過去がある。それは統計学の歴史と重なる。IQにおいても間違った利用が多々なされてきた。グールドが批判しているのもそういうことだと思う(ちなみに,私もスピアマンのgの存在は信用していない)。このように遺伝の話はどうしても感情的になりやすいが,常に真理を求めていこうとする著者の態度には好感がもている。


『フロイト先生のウソ』(R/デーゲン/赤根洋子訳,文春文庫,2003/2002)

【インパクト指数】6.1

【本文から】

◆「30年以上にわたって研究を続けてきたが,膨大なデータから引き出せる結論は次の一点に尽きる。心理療法によってよくなる人もいるが,かえって悪くなる場合も多い。多くの症例について調査すると,この相反する効果が相殺されて差し引きゼロとなる」とアメリカの心理学者テレンス・W・キャンベル は述べている。(p.23)

◆抑圧されたドラウマがもとで精神障害が引き起こされる---サイコスリラーなどではよくあることだが---などということは,まず絶対にないと言って間違いない。(p.79)

◆ある綿密な分析結果によれば,自分が受けた虐待の恨みをわが子で「晴らす」人は三分の一しかいない,あとの三分のニは家庭の残酷な「伝統」を引き継がないということである。(p.103)

◆「多重人格などというものは存在しない」とアメリカの心理学者で科学ジャーナリストのロバート・A・ベーカーは述べている。「詳しく分析された症例はすべて,治療者のやらせだったと判明している」

【私のコメント】

20世紀の2大幻想は「マルクス主義」と「フロイトの精神分析」であるという。最近,精神分析の旗色が悪い。アメリカの医学界では「神経症」という言葉が使われなくなったと聞く。精神分析や心理療法ではなかなか治らなかった患者が,プロザックを処方するとまたたくまに治ったなどということが続出して,精神分析への信頼が薄らいでいるという。そもそも現在ある精神の異常が,抑圧された過去に原因があるとするのはあくまで一つの理論であり,十分な検証が必要であったはずだ。私も現実はもっと physical なものではないかと考えていた。この本は,我々の持っている様々な「常識」を次々とくつがえす。臨死体験すら,そのすべてが側頭葉への刺激で再現できるという。いずれにせよ,どんな理論であろうとも「反証可能性」のない理論は疑ってかかれということだろう。


『病気はなぜ,あるのか』(ランドルフ・M・ネシー,ジョージ・C・ウィリアムズ/長谷川眞理子・長谷川寿一・青木千里訳,新曜社,2001/2002)

【インパクト指数】10.0

【本文から】

◆蚊に刺されるとかゆいのは,単に昆虫のいやらしさというだけなのだろうか。それは,私たちの血液が確実に流れ続けるようにするために蚊が使っている化学物質の偶然の結果であるだけなのかもしれないが,それは,また,将来,また蚊に刺されないようするための私たちの適応なのかもしれない。蚊に刺されるのをまったく気にかけない人がいたらどうなるか,想像してほしい。そして,蚊に刺されたことに気づかないようだったなら,蚊がどれほど成功するか,想像してほしい!(p.50)

◆残念ながら,人々の気分をよくさせることは,必ずしも健康を向上させ,他の長期的な利益を確保するものではない。(略)自然淘汰には,人間を幸せにしようとするつもりはなく,長期に見た私たちの利益に,嫌な経験が役立っていることがよくある。症状が出るのを抑える前に,その起源とどんな機能があるのかをまず理解するように試みるべきだ。

◆もし進化が賢明な計画をもとに進んでいくものだったならば,新しい呼吸システムは初めから設計し直された,賢明なシステムになったであろう。しかし,進化は賢明な計画を立てない。それは常に,すでにあるものをわずかばかりに修正して進むのである。

【私のコメント】

この本は最近生まれたばかりの「ダーウィン医学(進化医学)」について書かれた初めての概説書である。これまでの医学を進化論の立場から見直そうという新しい発想である。元来嫌なもの,抑えるべきものと考えられてきた発熱やくしゃみなどが,実は我々が進化の中で獲得してきた防衛戦略であることがわかってきた。そもそも「病気はなぜ,あるのか(原題は"Why We Get Sick")」。個体を死に追いやるような病気は,当然,進化の過程で淘汰させるはずではなかったのか?いや逆に,進化の競争を勝ち抜いてきたからにはどんな忌むべき病気にも何らかの存在意義(進化上の利点)があったのではないか。この本は病気というものを何億年という進化の過程の中から見直そうという非常に興味深い考え方から書かれている。

ただふと思ったのだが,この本の邦題は「誰がために鐘は鳴る」的誤りを犯しているのではないだろうか。ヘミングウェイの"For Whom The Bell Tolls"のWhomは疑問詞ではなく関係代名詞であり,文字通りに訳せば「鐘が鳴りわたる人」である。この本の原題の"Why We Get Sick"も疑問文ではない。疑問文なら"Why Do We Get Sick?"となるからだ。このWhyは関係代名詞で,the reason why の短縮形と考えられる。だから「私たちが病気になる理由」というのがより原題に即したものだろう。もっとも,読者の注意を引くかという見栄えの点から言えば,ヘミングウェイの場合もこの本の場合も今のままの方がいいのかもしれない。


『新ネットワーク思考』(アルバート・ラズロ・バラバシ/青木薫訳,NHK出版,2002)

【インパクト指数】12.2

【本文から】

◆パウロの努力はなぜ実ったのだろうか?(略)パウロがその後十二年間に歩いた距離は二万キロに及んだ。しかし彼はランダムに歩き回ったわけではない。キリスト教がもっとも効率よく芽生え,広がるような,人物,場所,大きなコミュニティーを訪れたのである。神学と社会的ネットワークの両方を効果的に活用したパウロは,キリスト教の最初にして最大のセールスマンだった。

◆収益の80パーセントは従業員の20パーセントがあげている。(略)犯罪の80パーセントは,犯罪者の20パーセントが犯している,などと。80対20の法則は,みな同じことを述べているにすぎない。要するに,われわれがやることの五分の四には意味がないということだ。

◆ハブは,マーケティングの世界では「オピニオン・リーダー」,「パワフルユーザー」,「インフルエンサー」などと呼ばれ,平均的な人たちに比べて製品についての情報交換を活発に行っている。こういう人たちは,無数の社会的リンクを利用して革新者の行動にいち早く目をつけ,自分をそれを採用する。ハブ自身が革新者である必要はないけれども,彼らに採用してもらえるかどうかは,アイディアや新機軸が普及するかどうかの大きな鍵になる。

【私のコメント】

ネットワーク理論はオイラーに始まる。エルデシュ=レーニイたちがそれを発展させたが,彼らの理論ではネットワークの世界は平均的でランダムであるというものであった。ほとんどのノードが平均的な数のリンクを張っているというものである。著者はインターネットの世界では少数の「ハブ(非常に多くのリンクをはっているもの)」と大多数のノード(あまり他からのアクセスがないホームページ)から成り立っており,これはインターネットに限らず,社会におけるヒューマンネットワークなどにも言えると論じている。地方の空港が閉鎖されても全体に大きな変化は与えないが,関西空港や成田空港が閉鎖されると日本全体の空の便が麻痺する。関空や成田は一般の空港に比べてはるかに多くのリンクを持っているからである。当たり前のことではあるが,改めていわれると納得してしまう。この本は様々な考え方に応用できそうだ。


『サルとすし職人』(フランス・ドゥ・ヴァール/西田利貞・藤井留美訳,原書房,2002)

【インパクト指数】7.9

【本文から】

◆紀元前570年の昔,クセノファネスがホメロスの叙事詩を非難したのも,神々を人間のように扱っているという理由だった。もし馬に絵心があれば,彼らの描く神は馬そっくりだろう,とクセノファネスは揶揄した。(p.37)

◆進化に関する(コンラート・)ローレンツの概念にはいろいろなレッテルが貼られているが,それ以上に私がつらいのは,彼が書いた民族差別的な文章である。あれほど動物に愛情を注いだ人が,なぜその愛を人間に向けられなかったのか? ローレンツは,家畜化と同じく文明も自然の堕落と考えた。その結果,文明に対する最大規模の一撃が行われようとしているとき,火に油を注いでしまった。人間ローレンツと科学者ローレンツを分けることは不可能なので,私自身が彼に抱く複雑な感情も振り払うことはできない。(p.108)

◆それにしても,ホールステッドはなぜここまで無礼な振るまいにでたのか?なぜ自分の国に帰ってすぐ,今西の見解のみならず日本文化全体をこきおろす論文を書いたのか?あげくに『ネイチャー』までがその論文を掲載し,「今西錦司の著作が日本で高い人気を誇っている事実は,日本社会への興味深い洞察となるのか?」という太鼓持ち的な見出しをつけたのはなぜか?一連のできごとが洞察を与えてくれるとしたら,それはホールステッドの性格についてだろう。

◆今西錦司は,長寿の動物をフィールドで観察するすべての研究者から,尽きせぬ感謝の念を捧げられてしかるべきだ。なぜなら彼は観察に有効なたったひとつのアプローチの種をまいた人物だからだ。その背景には,東洋的な集団重視の考え方と,個体のアイデンティティを尊重する姿勢があった。しかしいっぽうで,今西はダーウィン進化論の枠組みが持つ力を軽視するか,誤解しており,それゆえ必要とされていた変化を妨げてしまった。(p.122)

【私のコメント】

著者はオランダ人の動物行動学者。今西錦司についてはその理論については同意できないがならも,サルの個体に名前をつけてその行動を観察するという手法は今西にはじまるとして正しく評価している。

1985年メキシコ大地震の際,瓦礫の下から生存者を発見するために働いていたジャーマン・シェパードたちが,くる日もくる日も死体ばかりがでてくるので,みるみるやる気を失い,ついには食事も食べなくなってしまった。そこで救助隊の一人が一計を案じて,「生存者」を装い瓦礫の下に隠れた。それを救助犬が「発見」すると,彼らは全身で喜びを表現し,その後俄然やる気が出てきたという。普通,動物は「ごほうび」を目的に芸を演じるのであり,自分のやっている行動がどういう意味を持つかは理解していない。しかし,この犬たちは,「生きた人間を助ける」という自らの目的を明らかに理解しているように思われた。本書にはこのような興味深いエピソードも盛り込まれている。教えられるところの多い本である。


『遺伝子があなたをそうさせる−喫煙からダイエットまで』(ディーン・ヘイマー,ピーター・コープランド/吉田利子訳,草思社,2002)

【インパクト指数】11.4

【本文から】

◆数百組の双子について研究したトマス・J・ブチャード・ジュニアと仲間の研究者は,別々に育てられた一卵性双生児はともに育った一卵性双生児と同じくらいよく似ているという結論を出した。この研究の衝撃は大きく,1988年に発表されたときには,信じられないと断言した人々もいた。一度も会ったことがないのに,同じ家庭で育った兄弟姉妹のようによく似てるなんてありえない,と思われたからだ。だが,事実は強力だった。遺伝子は人の身体つきや容貌を決めるのに力があるだけでなく,どう行動し,感じ,どんな人生経験をするかまで影響を及ぼすことが示されたのである。研究者は,生まれが育ちを凌駕しているケースをつぎつぎに発見した。

◆ヴァージニア大学で7歳の双子350組を調べた研究では,内気,臆病,抑制的な行動の50パーセントは遺伝だと推計されている。

【私のコメント】

カッコウには托卵という行動がある。他の鳥の巣に自分の卵を産みつけて育てさせるのだ。しかも,驚くべきことにこの卵は本来の鳥の卵より数日はやくかえって,まだ目も開いていないカッコウの雛がそばにあるすべての卵を巣から落としてしまうのだ。こうした行為は雛が誰からも学んだものではなく,遺伝的にプログラムされているものである。そうであるなら,人間とても自分の判断で行っていると思っている行為が実は遺伝的にプログラムされているものを単に実行しているに過ぎないこともあるのではないだろうか。それがこの本を読んでますます確信するようになった。

著者の一人ヘイマーは分子遺伝学のパイオニア。1933年に「ゲイ遺伝子」を発見し話題となった。「氏か育ちか」ということについての著者の回答は「どちらも」という一般的な結論なのではあるが,どちらかというと「氏(遺伝)」の方にややバイアスがかかっている。ただ一つ気になったのは,スティーブン・J・グールドがあれほど批判した「スピアマンのg (人間には総合的な能力のものさしであるg 因子があるという説)」の存在を肯定しているという点である。


『<標準>の哲学--スタンダード・テクノロジーの300年』(橋本毅彦,講談社選書メチエ,2002)

【インパクト指数】7.9

【本文から】

  ◆銃の心臓部である発火装置を構成する50個の部品,それらと形状寸法が寸分違わず同一であるようにもう1セット製作する。そうすれば,最初のセットともう一つのセットと対応する部品を自由に交換しても,発火装置を同じように組み立てることができる。これが互換性部品の意味である。18世紀末に生きている(トーマス・)ジェファーソンにとって,こんな特徴をもつ銃など見たことも聞いたこともなかった。これで修理が非常に容易になる。彼はそう直観した。

◆種子島藩主の種子島時尭(トキタカ)は鍛冶職人の八坂金兵衛に,ポルトガル人から贈られた火縄銃の模造を命じた。金兵衛は筒などは作ることができたが,銃尾の尾栓とよばれるネジの作り方がわからない。ボルトの役割を果たす雄ネジについてはなんとか作れても,ナットの役割を果たす銃尾の雌ネジの作り方は見当もつかなかった。

◆(キーボードの)QWERTY配列は,典型的なデファクト・スタンダードである。(略)レミントン社によって互換性技術に基いて製造されたQWERTY式タイプライターは,多く売れることによってさらに安くなっていく。こうしてQWERTY式のタイプライターが普及し,そのようなタイプライターを有する企業の数が増えると,そのキー配列の打ち方に慣れようとするタイピストの数も増えていく。初期には他の配列もあったが,レミントン社のタイプが市場を支配し,QWERTY配列を選ぶタイピストが増えたことで淘汰されてしまった。こうしてQWERTY式は「事実上の標準」にのし上がったわけである。

【私のコメント】

今年(2002年)ついにソニーはベータのビデオテープの製造を中止したというニュースを聞いた時,えっまだ作っていたの?と思った。
市場にβとVHSの両方が並んでいた当時,私は迷わずβを選んだ。当時としては結構な値段でβマックスのビデオ機器を買ったのである。オープンリールからカセットテープへの移行が示しているように,世の中はより小さいものへと動いている。βはVHSより小さい。それに何しろソニーである。音質もよい。これが売れないわけはないと思ったのだ。ところがあにはからんや,VHSの勝利となったのはごらんの通りだ。VHSが事実上の標準(デファクト・スタンダード)となったのだ。最初はほんのささいな差であったものが,やがてはひっくり返すことのできない差になってしまう。これがデファクト・スタンダードの怖いところだ。QWERTYはわざとタイプのスピードを落とすような配列であり,ドボラク式の方が二倍以上のスピードで打てることがわかっている。しかし,それが普及しない。いったん身に付けてしまうと人はさらに別のキー配列を覚える気がしなくなるものである。一太郎派がいつまでも一太郎ファンであるのも同じだ。


『人間この信じやすきもの』(T.ギロビッチ/守一雄・守秀子訳,新曜社,1993)

【インパクト指数】9.8

【本文から】

  ◆「逆方向行きのバスばかり多く来る」というように感じることは,正のできごとと負のできごとの非対称性という観点からは,特に興味深い。負のできごとは,正のできごとと違って,蓄積され易いという性質がある。逆方向行きのバスの方が多いように感じてしまうのは,現に,自分の行きたい方向へ行くバスが1台来るまでの間に,逆方向行きのバスがたくさん来るのを見ることが多いからである。この逆は決して起こらない。逆方向行きのバスが1台来る間に,自分の行きたい方向のバスが何台も来るのを見ることはありえない。なぜなら,自分の行きたい方向行きのバスが1台来れば,それに乗ってしまうからである。こうした非対称性のために,私たちは「悪いことの連続」をしばしば経験することはあっても,良いことを同じように連続して経験することはない。ところが,この事実に気づかないでいると,まるで世の中は自分に冷酷にできているかのように感じられてしまうのである。(p.111)

◆テレビなどのニュース・メディアは,取り上げた問題の重大さをアピールするために,その問題に苦しむ人々の生々しい証言を利用する。こうした手法は,視聴者に,自分が同じような境遇に置かれたらどうなるかを想像させるためにきわめて有効である。そうした境遇に苦しむ人々への同情心も湧きやすい。しかしながら,そうした問題がどの程度人々の間に広がっているかを知る上で,彼らへの同情は関係ないはずである。(略)どんなに感動的な証言であっても,それは,その人ひとりの経験を述べたものにすぎない。(p.183)

◆あるアマチュア俳優がたまたま旅行中にロンドンの劇場に入って,高校時代の演劇部の顧問の先生にばったり出会ったとする。なんとも不思議な偶然の出会いである。だが,劇場で出会ったのが高校時代の演劇の共演者であったとしても同様に不思議な偶然と感じられるであろうし,代役者であったとしても同様である。また,出会った都市が,ロンドンでなく,アテネであっても,パリであっても,ローマであっても同じことである。さらには,出会った場所も,劇場ではなく,オペラハウスでも,博物館でも,飲み屋でも,同じように不思議な偶然の出会いと感じられたに違いない。
このように少し冷静に考えてみれば,それぞれの偶然が生じる確率は確かに小さいかも知れないが,それぞれの確率の和集合はかなり高いものであることがわかるはずである。それにもかかわらず,不思議な偶然が重なったときに,同様のできごとのすべての和集合ではなく,その積集合の方を評価してしまう直観的傾向があるために,私たちはびっくりしてしまうのである。(p.300)

【私のコメント】

例えば私がある日の午後,教室で生徒に教科書に出てきたモンシロチョウの話をしていたとする。すると,突然窓からモンシロチョウがヒラヒラと飛んできて私が手にしている教科書の先に止まったとする。この偶然を一体どう説明すればよいのか。ユングはこうした偶然を「共時性」と呼び,全くの偶然とは考えなかった。この二つの出来事にはなんらかの関連を感じていたのである。

本書はこうした態度とは全く別の立場に立つ。筆者は「共時性」などは認めない。一見,たいへんな偶然と思えるものが,実はかなり起こる確率の高いものであったり,無意識に自分の都合のいいように解釈してしまう傾向を多数の例をあがて指摘する。原題は How We Know What Isn't So. ---The Fallibility of Human Reason in Everyday Life. 「そうでないことをどのようにして知るか---人間の理性の危うさ」である。そういえば「何とかのゆらぎ」なんて本があった。私も一時乏しい理性が少しではあるがゆらぎそうになったが,Sという人物が実はインチキ魔術師であり,大変いかがわしい男であることを別の本で知り,「洗脳」から救われた。あぶない,あぶない。


『人はなぜ感じるのか』(ビクター・S・ジョンストン,長谷川眞理子訳,日経BP社,2001)

【インパクト指数】10.9

【本文から】

  ◆もしも,腐った卵が嫌な匂いを発し,組織が傷つくと痛みがかじられ,砂糖は甘いのだとすると,それは硫化水素ガスが嫌な匂いを持っているからではなく,皮膚に針が突き刺さったとき,そこから痛みが解き放たれるからではなく,砂糖分子の属性が甘いからなのではない。そうではなくて,人間の脳が,遺伝子の存続にとって有利であったり不利であったりするこの世の出来事について,一般的な快感や不快感を形成できるような神経組織を進化させてきたからなのだ。(P.26)

◆甘さは砂糖分子の性質なのではない。それは,進化で生じた脳の創発的性質なのだ。こんな感覚が起こると,それが生物学的にどれほど重要か理解していなくても,その進化的な起源を知らなくても,この感覚を生じさせた出来事をただちに評価することになる。(P.27)

◆たいていの人は,世界は光や色や音や甘い味や嫌な匂いや醜いものや美しいものに満ちあふれていると思っているが,それは間違いなく,大いなる幻想である。確かにこの世界は,電磁波や空気の圧力や,水や空気に解けた化学物質に満ちあふれているが,生物のいない世界は,真っ暗で音もなく,味もなく,匂いもない。すべての意識的経験は,生物学的な脳の創発的性質であり,この脳の外部には存在しない。(P.269)

【私のコメント】

私は砂糖が甘いから甘く感じ,マリリン・モンローはナイスボディだからセクシーなのだと思っていた。しかし,それはすべて幻想だというのだ。これは何も比喩的な意味で言っているのではなく,文字通りの意味でいっているのだ。我々は特定の電磁波を赤や緑に感じているが,実はこの両者の差は1500億分の1メートルという波長の違いに他ならない。これはほとんど同じといっていい。しかし,人間はその差を区別するように進化してきたのだ。我々は生存に有利なものを「選択的」に色・匂い・音として「感じて」いるのだ。実際の世界はただ闇であり,味も匂いもない。すべてが進化の過程で獲得され,我々の脳の中でのみ感じるものである。

私は以上の事実を知り,愕然とした。当たり前であったことが実は当たり前ではなかった。おもわず,息をのむような現実である。やや大げさに言えば世界観が変わる本である。


『暗号』(サイモン・シン,青木薫訳,新潮社,2001)

【インパクト指数】8.4

【本文から】

  ◆バスラ,クーファ,バグダードには大規模な神学の学問所が設立され,コーランに述べられたムハンマドの啓示が子細に吟味された。神学者たちは啓示を年代順に並べることに関心を持ち,そのために,それぞれの啓示に含まれる単語の出現頻度を調べた。というのは,単語には古いものもあれば新しいものもあり,新しい単語を多く含む啓示は年代的に新しいはずだからである。(P.37)

◆何人かの暗号解読者と会ったチャーチルは,かくも価値ある情報を提供してくれているのが,なんとも異様な面々であることに驚かされた。そこのは数学者や言語学者のみならず,焼き物の名人,元プラハ美術館の学芸員,全英チェス大会のチャンピオン,トランプのブリッジの名人などがいたからである。チャーチルは,秘密検察局の局長であったサー・スチュワート・メンジーズに向ってつぶやくようにこう言った。「八方手をつくせとは言ったが,ここまで文字通りにやるとはな」(P.244)

◆外部の人間にとってナヴァホ語がどれだけ難解かを熟知していたジョンストンは,ナヴァホ語が(他のどのアメリカ先住民の言葉でもよいが)解読不能の暗号になることに気づいたのである。もしも太平洋戦線の各部隊が,無線オペレーターとして二名ずつのアメリカ先住民を採用すれば,通信の安全が保証されるのではないだろうか?(P.263)

◆たかが素因数を求めるぐらい,そんなに時間がかかるはずがないと思う読者もいるだろう。そんな読者のために次の問題を出しておこう。わたしは十秒ほどで1709023という数字を作った。読者は電卓を使ってこの数の素因数を求めてみてほしい。おそらく答えが出るまでには午後いっぱいかかるだろう。(P.367)

◆PGPで暗号化されたたった一つのメッセージを解読するために,世界中にあるおよそニ億六千万台のパーソナル・コンピューターを投入したとしても,解読には平均して宇宙の年齢の一千二百万倍の時間がかかると推定されている。(P.420)

【私のコメント】

サイモン・シンの書く本は実にわかりやすい。難しいことをかくもわかりやすく表現できるのはよほど頭のよい人なんだろう。どんなに巧みに隠しても文字というものはその言語の中で出現頻度や他の文字との関係(これを「連接特徴」という)で独特の痕跡を残す。これが暗号解読の手がかりとなるのだ。コーパスに関心を持つ私は,イスラム教神学者たちが,コーランの研究過程で単語の出現頻度を調べていることにたいへん興味を抱いた。


『白亜紀に夜がくる』(ジェームズ・ローレンス・パウエル,寺嶋英志・瀬戸口烈司訳,青土社,2001)

【インパクト指数】4.1

【本文から】

◆地質学者にとって,隕石衝突説は,大陸移動説よりも飲み込むのがはるかに難しい,ということが明らかになった。というのは,この学説はデウス・エクス・マキナ[古代ギリシャ演劇で急場の解決に登場する宙乗りの神]に訴えているからであり,地質学者たちが通常研究し考えるやり方とはまさに正反対であったからである。(P.25)

◆ 衝突説は,進化の駆動力が最適者の生存ではなくて最幸運者の生存であるかもしれない可能性を,生物学者たちが考慮するよう要求しているのである。(P.25)

◆大変動に訴えるということはそうした地質学の重要な成功を裏切ることである,すなわち,地質学的時間の広大な長さなかではすべてのことが達成可能であるという認識を裏切ることである。(P.67)

◆アルヴァレス説が優れていた点は,またそれが非常に有効であると判明したわけは,大量絶滅に関する多くの他の諸説とは対照的に,それが試験されうるということである。もしアルヴァレス父子が誤っていて彼らの学説が間違っているなら,証拠がそのことを示すはずである。(P.108)

◆アルヴァレス説がもたらした最も有益な副産物のひとつは,前例のないほどにさまざまな分野の科学者たちを一堂に集めたそのやり方であった。たとえば花粉専門家は,恐竜専門家や化学者や物理学者や天文学者と同じ部屋のなかで,超新星や貴金属や衝突爆発や大量絶滅を議論している自分に初めて気づいた。(P.255)

◆ルイス・アルヴァレスは戦いを好んだので,やられたらその分またやりかえした。(略)「私は古生物学者について悪口は言いたくないが,彼らは実際にそれほど良い科学者ではない。彼らはどちらかと言えば切手収集家に近いのだ」。(P.278)

◆科学者なら誰よりもよく知っているように,もしあなたの論点を証明するための唯一の方法が統計の使用であるならば,あなたは窮地に陥るからである−とくにもしあなたが統計学者でなければなおさらである。統計によって生きることは,統計によって死ぬ危険を冒すことである。(P.338)

【私のコメント】

いまでこそ常識になっている隕石による恐竜絶滅説も,地質学者にとっては噴飯物の説であった。この本はアルヴァレス父子の科学者がひょんなことから6500万年前の隕石衝突とそれによる恐竜絶滅のシナリオを見出していく。ときには暴言を吐きながらすさまじい泥試合を演じる科学者たち。彼らもやはり人間なのである。この本は本文も大変おもしろいのだが,私が最も興味を引かれたのは,翻訳者による「あとがき」であった。翻訳者の一人寺嶋氏はアルヴァレス説が実は原爆体験に直接の関わりを持つのではないかと調べていく過程で本書に出会ったという。実はルイス・アルヴァレスは第二次世界大戦で広島に原爆が投下されたとき,エノラ・ゲイとともに飛んでいた観測機から,それを見届けた科学者でもあったのだ!


『ケンブリッジ・クインテット』(ジョン・L・キャスティ,新潮社,藤原正彦・藤原美子訳,2000)

【インパクト指数】2.9

【本文から】

◆チューリングは逆襲した。「あなた方は暗に,人間が他のどんな創造物よりまさっている,と信じたがっているようですね。(略)しかし私が知る限り,人間の方がすぐれているという証拠はないのです。」(P.95)

◆「言葉は,子どもが母国語に触れることで生じる。母国語の鋳型だけが活発化し,他の鋳型はそのまま,ということでしょうか」とホールデインが尋ねた。「まあそういうことです」とチューリングは同意した。(P.149)

◆「では生物と無生物の機能の違いは新陳代謝,自己修復力,複製能力の三つにあるとおっしゃるのですね」とホールデンは尋ねた。「そうです」とシュレーディンガーが認めた。

【私のコメント】

1949年英国ケンブリッジに5人の知の巨人が集まった。C・P・スノウ,ヴィトゲンシュタイン,ホールデン,シュレーディンガーそしてチューリング。食卓を囲みながら彼らは議論を戦わせる。それぞれの巨人についての深い見識がなければ書けないフィクションである。著者は『パラダイムの迷宮』を書いたジョン・L・キャスティ,訳は『心は孤独な数学者』の藤原正彦と藤原美子氏でである。


『確率で言えば』(ジョン・A・パウロス,松浦俊輔訳,青土社,2001)

【インパクト指数】7.7

【本文から】

◆合衆国憲法に,ルインスキー・セックス・スキャンダルの予言が暗号化されているというのだ。おそらく合衆国の始祖たちが入れたもので,この権威ある歴史文書の中には,ビル(Bill)とモニカ(Monica)という語にある10字が,規則正しい間隔で並んでいる。(略)憲法のある特定のところで,bの76文字後ろにiがあり,その76字後ろにlがあり・・・というふうに続き,最後にcの76字後ろにMonicaのaに達する。(P.80)

◆やはり十分評価されていない事実は,無作為に選んだ二つの量の間に統計的相関を探せば,どんな量であっても,必ず何らかの有意な関係が見つかるという事実である。信じている宗教と首回りの関係でもいいし,ユーモアのセンスと仕事上の地位でもいいし,もしかすると一年に消費されるスイート・コーンの量と,学歴でもいいかもしれない。(P.197)

◆私に思い浮かぶサミュエル・ベケットが書いたものは,私の目にはいつもどことなく数学的なものに見える。ベケットの『ワット』は,ヒュー・ケナーがコンピュータ言語のパスカルに移したほどである。(P.205)

◆物語にある劇的なところや人間性が科学や統計の研究を強化し,逆に科学や統計の厳密で淡々とした視点が,物語が感傷的な些事やおおげさな賞賛に陥らないようにしてくれる。見立てや類推は,数学や科学の理解を文字通りに解釈したときの狭さを広げてくれるし,数学の計算や制約は,文学的な想像力を地に足のついたものにしてくれる。

【私のコメント】

これはインチキ科学のトンデモ本ではない。むしろ逆である。合衆国憲法にBillとMonicaの文字が発見できるというのは事実だが,その人が「ある意図」を持って探せば,聖書をはじめどんな本の中にでも「目的の語」を発見する確率は大変高いことを本書はきちんと説明している。最後の引用にもあるように,本書は「文系」と「理系」が手を組めばいかに魅力的なものになるかを教えてくれる。なお,本書は数学に関する本ではありながら,数式は出てこないことを申し添えておきたい。


『パンダの親指(上・下)』(スティーヴン・J・グールド,浦本昌紀他訳,早川書房,1996)☆☆☆☆☆

【インパクト指数】 11.2

【本文から】

◆ウォレスは過剰淘汰主義者で,自然淘汰の作用を生物形態のあらゆる微妙なあやのうちに認めたがらないダーウィンを責めたてていたが,ヒトの脳を前にしたとき,急に立ち止まったのである。ウォレスの主張によると,われわれの知性や徳性は自然淘汰の産物であるはずがない。そして,自然淘汰が進化の唯一の道であるからには,なんらかのより高次の力−−はっきり言えば神−−が生物改良のうちでもこの最も新しく偉大なものをつくりあげるためには介在しているにちがいない。(略)ダーウィンは,ウォレスが終着地点まで来て急に方向転換をしたことにまさしく唖然とした。(上 P.72)

◆進化生物学の最高の聖者であるチャールズ・ダーウィンは,帰納主義者とユリイカ主義者の両方の好例として挙げられることがある。私は以下に,これらの解釈はどちらも的はずれであることを述べ,自然淘汰説に向ったダーウィン自身の長い長い冒険旅行(オデュッセイア)について近年得られた知見が,ダーウィンの中間的な行き方を立証していることを論じてみたい。(上 P.86)

◆自然淘汰はビーグル号の諸事実をただ解釈しただけでは出てこない。その後,2年にわたる思索と苦闘のなかから現われてくる。その跡は過去20年間に発見されて出版された一連のノートブックににじみ出ている。これらのノートを読むと,ダーウィンはいくつもの理論を検証したり,断念したり,多くの怪しげな手がかりを求めたりしていたことがわかる−−後年になって,ダーウィンが虚心に多数の事実を記録していたと主張したのはそういうことだ。ダーウィンはいつも意味と洞察を探りながら,哲学者や詩人や経済学者の著作を読んでいた。(上 P.90)

【私のコメント】

ここしばらくグールドの作品が現われることをごかんべん願いたい。彼の本はたいへん刺激的で,ものの考え方に対する示唆に富む記述が多いのだ。
ウォレスは最後のところで「ヒト」を特別視する思想から抜け出せず,脱落してしまった。上の引用にもあるように,ダーウィンは自然淘汰の着想を得るまでには専門外のさまざまな本を読み,いわばブレーンストーミングをしていたのである。進化は徐々に起こるのではない。融点に達したとき鉄が突然液化するように,進化も長い待機の時間のあと「量から質への転換」が突然に起こるものだ(下 P.18)というのがグールドの主張である。
この本には他にも,「大きさの如何にかかわらず(ヒトをのぞく)哺乳類はすべて一生の間に約2億回,息をすることがわかる。心臓はおよそ8億回拍動することになる。小型哺乳類は速く息をするけれども短期間しか生きない(下 P.191)」などのおもしろいエピソードもある。(ただし,ヒトだけはなぜかその3倍生きる)



『ダーウィン以来』(スティーヴン・J・グールド,浦本昌紀他訳,早川書房,1995)☆☆☆☆☆

【インパクト指数】5.8

【本文から】

◆なぜ彼(ダーウィン)は自分の理論を発表するのを20年以上もおくらせたのだろうか。(略)恐怖心という消極的な要素が大きな役割を果たしたにちがいない。(略)ダーウィンはいったい何を恐れたのだろうか。(略)これらのノートには,進化それ自体よりもはるかに異端的であると彼が感じたあるものについて,それを彼は信じながらも信じていることを人に知られることを恐れていた,ということを示す多くの記述が含まれている。そのあるものとは,哲学としての唯物論であり,物質があらゆる存在の素材であって,すべての心的・精神的現象は物質の副産物であるという仮定である。精神がたとえどれほど複雑で力があろうともそれは単に脳の産物にすぎない,という主張以上に西欧思想の最も深い伝統にとって衝撃的なものはなかった。(P.30)

◆マルクスはのちに『資本論』第二巻にダーウィンに捧げる献辞をつけたい,と申し入れたが,ダーウィンは,自分が読んでいない著作に賛意を表しているような印象を与えることは望まないといって,丁重にことわっている。(P.35)

◆この悪名高い理論(社会ダーウィニズム)は,さまざまな人種や文化を,進化上の到達度という架空の水準で格付けし,驚くほどのことではないが,ヨーロッパの白人に最高位に据え,彼らが征服した植民地に住む人々を最下位に置いた。今日でもこの考えは,「われわれ人間は,この地球という惑星に住んでいる100万種以上にのぼる他の生物と同じ仲間なのではなくて,それらを支配しているのだ」というわれわれの信念,地球的規模におけるわれわれの思い上がり,を生み出している何よりの要素となって尾を引いている。

【私のコメント】

これまた,おもしろい本である。ダーウィンが最も知られることを恐れていたものが「進化論」ではなく,「唯物論」であったとは衝撃的であった。ましてマルクスに影響を与えていたことは知らなかった。グールドは自身がユダヤ人であるということから,差別について常に敏感に反応する。そして著書のいたるところでなんども「進化」は「進歩」ではないことを強調する。はるか昔に生まれた単細胞生物がやがて多細胞生物となり,そして哺乳類,人類へと「進化(進歩)」してきたと多くの人が考える。グールドはそれが間違いだという。それでは現存する細菌はどうなのか。彼らもまた進化の試練を生き延びてきたのではないのかとグールドはいうのだ。



『人間の測りまちがい−差別の科学史』(スティーヴン・J・グールド,鈴木善次他訳,河出書房新社,2000)☆☆☆☆☆

【インパクト指数】8.2

【本文から】

◆R・M・ヤーキーズは第1次大戦の時,陸軍を説得して175万人の軍人をテストし,遺伝決定論者の主張を正当化したが,1924年にはそれが劣等な遺伝子を持つ国からの移民の数を低くおさえると移民制限法を導くことになった。IQの遺伝決定論はアメリカが自ら考え出したものである。(P.227)

◆大胆にもターマンたちは過去の著名人のIQの復元を試み,一冊のぶ厚い本を出版した。それは,過去についてのばかげた研究の中でも最も珍奇なものである。(略)マイケル・ファラデーは,かろうじて105を与えられた。使い走り少年としての信用と,何事にも疑問を持つという性格がわずかに考慮され,両親の不利な地位を補ったのである。(略)卑賤の生まれであり,子ども時代について皆目知られていないシェークスピアの得点は,当然100以下になってしまう。そこでコックスは(略)シェークスピアの場合には除外せざるを得なかった。(P.268)

◆われわれは『ベル・カーブ』の学説と戦わねばならない。なぜならば,それが誤りであり,もし条例化されればあらゆる人々の知能を正しく育むすべての機会を摘み取ってしまうだろうから。(P.474)

【私のコメント】

この夏(2000年)に読んだ最も感銘を受けた書物である。4900円は確かに高いがその内容は1万円だしても惜しくないものだった。「人の知能は生得のものであり,その一般的知能は単一の数値(例えばスピアマンのg)で計ることができ,その数値に基づいて人間を序列化できる。そしてその数値は一生不変である」こうした信念のもとに知能テストや因子分析は開発されていった。そして一旦は破綻したはずのこうした説が1994年『ベル・カーブ』(R・ヘーンシュタイン,C・マリー)としてよみがえったというのだ。それに対するグールドの言葉が上記の最後の引用文である。グールドがこのようにいうのには訳がある。例えば,シンガポールのリー・クアン・ユーは出生率をより高めるために,高学歴の女性に報償を与える優生学的プログラムの制度化を考えるなど,現在でも優生学の亡霊ははいかいしているのである。

「白人」という言葉が,どうして英語ではCaucasian(コーカサス人)というのか,つまりなぜロシアの山脈の名前がつけられているのか前々から不思議に思っていた。しかしこの本の最後を読んでそれがわかった。それはこの山脈のふもとに最も美しい人種が生まれ,そこが人類発祥の地と考えるドイツのナチュラリスト,ブルーメンバッハが命名したものであった。彼はリンネの弟子であったが,頭蓋骨の形から人種に序列をつけて,もっとも形が美しく知的道徳的にすぐれた(と考える)ものを「コーカサス人」そして2ランク目に「アメリカン・インディアン」と「マレイ人」,3ランク目に「東洋人」と「アフリカ人」とした。いやはやこのように人種をさまざまなものによってランク付けしようとする白人の熱意にはあきれるばかりだ。本書にはこうした「骨相学」などについても詳しく述べられている。



『「知」の欺瞞』(アラン・ソーカル&ジャン・ブリクモン,田崎晴明他訳,岩波書店,2000)☆☆☆☆☆

【インパクト指数】9.6

【本文から】

◆解析学や量子力学について無知なのはなんら恥ずかしいことではないと強調しておこう。われわれが批判しているのは,一部の著名な知識人が,実際には一般向けの解説書で仕入れた程度の知識しか持ち合わせていないのに,難しいテーマについて深遠な思想を展開しているかのようにみせかけていることなのだ。(P.8)

◆「そこで,その結果として,われわれの用いている代数にしたがって,この意味作用を計算すると,S(記号表現)/s(記号内容)=s(言表されたもの), S=(-1)によって,s=√-1が得られる」(ラカン1960年セミナーから)
こうなると,ラカンは読者をからかっているとしか思えない。たとえ彼の「代数」になんらかの意味があるとしても,式の中の「記号内容」,「記号表現」「言表されたもの」は数ではないし,式の中の(勝手に選んだ記号としかみなしようがない)水平な線が分数を表現しているわけでもない。ラカンの「計算」は,ただの空想の産物に過ぎない。(P.37)

◆扱っている内容自体の性質のために難しくなった言説と,わざとわかりにくい書き方をして,中身がないことや凡庸なことを用心深く隠そうとしている言説には,雲泥の差がある。

◆このようなテクストは,読み方に応じて,正しいがかなり当たり前の主張か,過激だが明らかに誤った主張かのいずれかにある。そして多くの場合,このような曖昧さは著者が意図して持ち込んだと考えざるをえない。実際,こういう書き方をしておくと学問的な論争の際大いに有利である。過激な解釈の方は,比較的経験の浅い聴衆や読者の気をひくのに役立つ。そして,この解釈がばかげていることが露見したら,すぐに,自分は誤解されたと弁解して無害な方の解釈に撤退することができるのだ。

【私のコメント】

ラカン,クリステヴァ,ラトゥールなどポストモダンの人たちの書いたものは難しい。「我々の複雑で,超静的で,ウイルス的な系はもっっぱら指数的次元(それが指数関数的不安定性であり安定性であれ)に,偏心性もしくは離心性に,不貞のフラクタルな・・・」(ボードリヤール)などという文章が理解できない自分はひょっとすると馬鹿ではないかと思ってしまう。でも安心して欲しい。こうした文章は,数理物理学の専門家が読んでも,「まったく意味のない文章の中に,科学用語や擬似科学用語が高濃度につめこまれている」だけというのだ。

愚かな人間には見えないという服を王様が着ていた。誰もが自分が馬鹿と思われたくないので見えるふりをしていた。しかし子供が「王様は裸だ!」といった瞬間,誰もが「なーんだ,他の人にも見えなかったのか」と悟った。この本は,それを悟らせてくれる本であり,こけおどしの書物にだまされるなという警鐘でもある。ソーカル事件(これについては東北大の黒木氏のサイトが詳しい)のソーカルのやり方は汚いという声もあるが,書いている本人すらわからない文章を垂れ流ししてきた連中の方がもっと汚いのではなかろうか。



『ファジィ・ロジック』(D・マクニール&P・フライバーガー,田中啓子訳,新曜社,1995)☆☆☆☆

【インパクト指数】6.8

【本文から】

◆砂山から一粒の砂を取り去っても,そこには砂山がある。もう一粒取り去っても,そこは砂山である。それを続けていけば,いつかは一粒の砂が残る。それはまだ砂山か。最後の一粒を取り去れば,そこには何もなくなる。そうなっても砂山か。砂山でないとすれば,いつ,それは砂山であることをやめたか。(P.32)

◆ザデーは複雑な分野のいたるところにあいまいな概念があふれていることに気づいた。たとえば,法律のおける猥褻や精神異常,医学における関節炎や動脈硬化や精神分裂症,経済学における景気後退や価値や効用,言語学のおける文法や意味,システム理論における安定性や適応性,哲学における知性や想像力,どれもがあいまいな概念である。ファジィ集合は,それらすべてを記述することができる。(P.60)

◆数年前,筆者の一人がたまたま,ビバリーヒルズのレストランでメル・ブルックスのそばに座った。ウェイトレスが来て,彼にその晩の特別メニューを告げた。オードブルには,片面を焼き片面は生のハマチが用意できますが,と彼女は言った。それを聞いて彼は叫んだ。「おいおい,それはなんだ。『スシ』か『スシじゃない』のか,はっきりしろよ」。アリストテレス以来2300年,私たちが脈々と受け継いできた「クラス分け」の思想がメル・フルックスにそう叫ばせたのだ。(P.72)

◆日本で最初にファジィ製品を売り出したとき,メーカーはその商品名に「fuzzy」の日本語訳である「あいまい」を使った。消費者の反応ははかばかしくなかった。そこで会社は名前を「ファジィ」に変えた。「ファジィ」は英語の音をそのまま書き表したもので,大半の日本人にとっては馴染みのない意味不明のことばだった。すると商品は飛ぶように売れ出した。(P.211)

【私のコメント】

1964年ロトフィ・ザデーが初めてファジィ理論の論文を書いたとき,アメリカの学会は全く相手にしなかった。「ファジィ」という言葉がアリストテレス以来論理性・明晰性を重視する「科学的」思考に反するものだったからである。そして30年。結局その価値を認め,それを応用して地下鉄や電化製品を作り出したのは日本人だった。スパスパと二元論で切り捨てていくのは確かに気持ちのいいものではあるが,考えてみると我々の周囲のほとんどの現象は「ファジィ」なものばかりである。春が連続していくうちにいつのまにか夏になっている。この本は「ファジィ理論」の入門書ではない。「ファジィ理論」がどのように評価されてきたかを語る「ファジィ理論」の苦難の歴史である。



『放浪の天才数学者エルデシュ』(ポール・ホフマン,平石律子訳,草思社,2000)☆☆☆☆

【インパクト指数】6.6

【本文から】

◆485人の共著者を持つエルデシュは,数学者として史上最も共著が多い。この幸運な485人は,数学界の巨匠エルデシュといっしょに論文を書いたという意味で,エルデシュ番号1を与えられている。エルデシュ番号2は,エルデシュ番号1を持つ数学者と共著を発表した人につけられ,エルデシュ番号3はエルデシュ番号2を持つ人と共著がある人を指す。アインシュタインはエルデシュ番号2であり,エルデシュ番号の最大数はこれまでのところ7である。(p.18)

◆エルデシュ語には特別な語彙があった。「SF(注:supreme fascist=エルデシュを苦しめる神のこと)」「エプシロン(注:子供のこと)」だけではなく,「ボス(女性)」「奴隷(男性)」「捕獲された(結婚した)」「解放された(離婚した)」「再捕獲された(再婚した)」「雑音(音楽)」「毒(アルコール)」「説教する(数学の講義をする)」「サム(米国)」「ジョー(ソ連)」などである。だれかが「死んだ」とエルデシュが言うときには,そのだれかが数学をやめたことを意味した。人が死んだときには「去った」と言った。(p.12)

◆エルデシュはひとりでこっそりと研究を続けたワイルズの態度を許さなかった。ワイルズが数学界全体を巻きこんで研究していたら,定理はもっと早く証明できていたかもしれないとエルデシュは思っていた。(p.200)

◆フェルマーの難問を41歳で葬ったワイルズは,すぐれた数学を証明できるのは若者だけだという法則の歓迎すべき例外としていっそうもてはやされた。(略)「かれが年寄りだというなら,わしはどうなるね?化石か?」エルデシュは竜を退治したことに関してワイルズを賞賛したが,証明を理解したふりをしようとはしなかった。そして問題を解く7年のあいだ,ワイルズが一度としてコンピュータを使わなかったと知って喜んだ。(p.218)

[私のコメント]

エルデシュについてはかつてNHKで放映されたことがある。その中でピーター・フランクルが「エルデシュ番号」のことを話していた。エルデシュがフェルマーの最終定理を証明したワイルズと異なる点は,彼は常に数学の疑問を他の数学者と共有しようとしたことである。485人の数学者と1000本以上の論文を発表したが,ある意味ではこうして彼は多くの後進を育てていたといえるだろう。エルデシュは自分の靴のひもさえ満足に結べない人ではあったが,数学に関しては偉大な教師であった。70歳を越えてからも1週間に1本は論文を書いたといわれている。1996年83歳のエルデシュはワルシャワで開かれたセミナーで講義中,心臓発作で倒れ亡くなった。これこそは彼の望んでいた死に方だった。

なお,エルデシュ・ナンバーについて興味のある方はオークランド大学グロスマン教授の
エルデシュ・ナンバ・プロジェクト・サイト
をご覧下さい。



『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン,青木薫訳,新潮社,2000)☆☆☆☆

【インパクト指数】6.8

【本文から】

◆オイラーは聴衆の前に立ち,もったいぶったようすでこう述べた。
「閣下,(a+b^n)/n=x,ゆえに神は存在します。いかがか!」
代数学の素養のないディドローがヨーロッパ随一の数学者に反論できるはずもなく,彼は無言でその場を立ち去った。(p.112)

◆天文学者と物理学者と数学者がスコットランドで休暇を過ごしていたときのこと,列車の窓からふと原っぱを眺めると,一頭の黒い羊が目にとまった。天文学者がこう言った。「これはおもしろい。スコットランドの羊は黒いのだ」物理学者がこう応じた。「何を言うか。スコットランドの羊の中には黒いものがいるということじゃないか」数学者は天を仰ぐと,歌うようにこう言った。「スコットランドには少なくとも一つの原っぱが存在し,その原っぱには少なくとも一頭の羊が含まれ,その羊の少なくとも一方の面は黒いということさ」(p.174)

◆谷山=志村予想は未証明の予想だったにもかかわらず,もしもそれが証明されたら何が言えるか,という推測のかたちで,何百もの論文が登場していた。そうした論文では「谷山−志村予想が成り立つと仮定すると・・・」という言葉に続いて,未解決の問題の解き方が述べられてゆく。(略)谷山=志村という一つの予想を土台として,まるまる一つの新しい構造物ができあがっていったのである。しかしこの予想が証明されないうちは,いつなんどき,そのすべてが崩壊してもおかしくはなかった。(p.244)

◆科学ジャーナリストがワイルズの証明を絶賛する一方で,それと不可分の関係にある谷山=志村予想が証明されたことに触れる記事はほとんどなかった。1950年代にワイルズの研究の種を蒔いた2人の日本人数学者,谷山豊と志村五郎の貢献を語ろうとする者はいなかったのである。谷山は37年前に自殺していたが,志村は今も健在で,その予想が証明される時代に居合わせた。

【私のコメント】

本書はアンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理をいかにして解いたかということを語っているのだが,それに付随するさまざまな数学上のエピソードが随所にちりばめられ読者の興味を引き付ける。幸いなことに難しい数式はほとんど登場しない(^^ゞ。 紆余曲折を経ながらも結局ワイルズは,1908年ドイツの資産家ヴォルフスケールがフェルマーの最終定理を最初に証明したものに10万マルク(現在の価値に換算すると15億円を越える)を与えるとした「ヴォルフスケール賞」を獲得した。もっともワイルズが手にした時の金額は貨幣価値の下落のために500万円程度になっていた。しかし,この賞を得たということは,ワイルズが厳しい検査を経た上での真のフェルマーの最終定理の証明者であることを示している。

ワイルズが定理を証明する大きな基礎となったのは谷山=志村予想であったが,この日本人についてはほとんど触れられていないと著者は憤慨する。著者がインド系イギリス人であることにも関係するのかもしれないが,なんと本書では谷山,志村の2人の日本人数学者のためにわざわざ1章分を割いている。そうした意味でも好感の持てる一冊である。



『アシモフの科学者伝』(アイザック・アシモフ,木村繁訳,小学館,1995)☆☆☆☆

【インパクト指数】6.8

【本文から】

◆晩年,ハーベイはこう述べている。「私はファブリキウスと共によくこう言ったものだ。『経験によって結論が否定されるならば,その結論はそっくり沈黙させるべきだ』と。いまの時代にとりわけ幅をきかせている悪弊は,論理的な証拠がまったくないままに,憶測あるいはうわべだけの論理にもとづいた単なる幻想を,明らかな真実であるかのように押しつけることである」

◆戦争が終わってから,ドイツのロケット専門家たちは,アメリカに連れてこられたが,ロケット工学について質問されたとき,彼らは,驚いて目を見張った。なぜアメリカ人たちは,そのような質問を(アメリカ人である)ゴダードにしなかったのか,むしろ,彼らのほうがその理由を知りたがった。そのときは,もやは遅すぎた。ゴダードは,1945年8月10日,原子力の夜明けのころに死んでいた。

【私のコメント】

本書は,アルキメデスからアインシュタインまで科学者のおもしろいエピソードを紹介する。まじめにこつこつとロケットの研究を続けるロバート・ゴダードをアメリカは馬鹿にし続け,一方彼の著書から多くを学んだドイツではロケット工学がさかんになったというエピソードは身につまされる話だ。  随所に挟まれている吉永良正氏のコラムもおもしろい。



『脳の中の幽霊』(V.S.ラマチャンドラン,角川書店,1999) ☆☆☆☆☆

【インパクト指数】10.7

【本文から】

◆アリストテレスは自然現象の鋭い観察者だったが,実験をする,すなわち推測してそれを系統的に検証するという発想をもっていなかった。たとえば彼は,女性は男性よりも歯の数が少ないと信じていた。この説が正しいことを実証する,あるいは反証をあげるつもりがあれば,ある程度の数の男女に口を開けてもらって歯の数を数えるだけでできたはずだ。近代的な実験科学はガリレオとともにはじまった。(略)ガリレオ以前は,重い物体の方が軽い物体よりも速く落ちるとだれもが信じていた。そしてたった5分の実験で,その誤りが立証された。

【私のコメント】

事故などで手や足を切断した人が,依然として,ないはずの手や足を感じ,痛みに悩むことがある。脳の中にある記憶が消されていないためだ。著者は鏡を用いた簡単な装置で患者の悩みを解決する。本書のタイトルはこうした事実からつけられた。本書は方法論を模索する私にとって大きな示唆を与えてくれた。実験による検証ということの大切さを,また,何も高価な装置なくてもアイデアによって画期的な検証ができることを本書は教えてくれた。



『進化とはなんだろうか』(長谷川眞理子,岩波ジュニア新書323,1999) ☆☆☆☆

【インパクト指数】7.5

【本文から】

◆自然淘汰が,適応を生みだすように「目的をもって」働いているという誤解です。(略)そもそも生き物の間に存在する変異は,環境とは無関係に生じてくるものです。変異は遺伝子の配列に生じるものですが,遺伝子は,まわりの環境がどうなっているかなど知るよしもありません。

◆無性生殖では,一匹の親からどんどん子が生まれるのに対し,有性生殖では,二匹の親がいっしょになって,やっと一匹の子を作るのですから,ここには,本質的に二倍の手間がかかっていることになります。これを,有性生殖の二倍のコストと呼びます。(P.170)

【私のコメント】

本書は高校生対象として書かれたものであるが,大人が読んでも十分おもしろい。二倍のコストがかかるにもかかわらずどうして地上には有性生殖生物が繁栄しているのか。それは遺伝子に組替えによって,子が親とは少しずつちがった遺伝子を受け取ることにある。それでは子が親と少しずつ違うことにどんな利点があるのか。「これこそ,今でもまだ解かれていない,現代生物学の最大の謎の一つなのです」と著者はいう。



『科学の目 科学のこころ』(長谷川眞理子,岩波新書623,1999) ☆☆☆☆☆

【本文から】

◆コンコルドは,開発の最中に,たとえそれができ上がったとしても採算の取れないしろものであることが判明してしまった。つまり,これ以上努力を続けて作り上げたとしても,しょせん,それは使いものにならないのである。使いものにならない以上,これまでの投資にかかわらず,そんなものはやめるべきだったのだ。このように,過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると考えることを,コンコルドの誤りと呼ぶ。(p.14)

◆先日,わが大学の法学部学生に,「水力発電ではどのようにして電気を発生させるか」という質問をしたところ,「水を水素と酸素に分けるときに出る熱を利用する」などという突拍子もない答えが続出したが,中に,「そんなことは知らなくてもよい」という答えがあった。これは問題である。(p.57)

◆手足や顔のような左右対称の構造は,本来,遺伝学的にはきっちり対称になるように設計されているはずだが,発生の途中のさまざまな悪条件や事故,疾病などによって,本来の完全な対称は達成されないことが多い。そこで,これらの構造に関して,きちんと対称になっている個体がいたとしたら,その対称性は,発生途上の厳しい条件にも関わらず達成されたのだから,その個体が遺伝的に非常に強いことを物語っているのかもしれない。そうだとすると,雌は,配偶者の選り好みをするときに,雄の形質の対称性のゆらぎに着目しているかもしれないのである。(p.24)

【私のコメント】

久しぶりにとてもおもしろい本に出くわした。私は読書中におもしろい箇所に出会ったら必ずそのページの端を折り曲げておくことにしている。だからこの折曲がりが多いほど私にとっておもしろい本ということになる。本書は208ページ中18ヶ所もの「折り曲がり」があった。上に挙げた3つの事項もその中の一部である。女性がハンサムな男性を求めるのも無意識のうちに遺伝的に強い男性を求めているからなのだろうか?



『ファラデー』(小山慶太,講談社学術文庫,1999) ☆☆☆☆

【本文から】

◆そもそも学校へ通ったのが,初等教育の段階だけであった。したがって,微分方程式なんか,まるで知らずに生涯を押し通している。事実--これも後でもう一度触れるが--ファラデーのおびただしい論文に目を通しても,数式を目にすることは,ほとんどない。(p.15)

◆電極(delctrode),電気分解(electrolysis),イオン(ion),<略>といった用語はすべて,このときファラデーによって提唱されてものである。<略>科学に新しい言葉を導入するときは,ギリシア語がよく利用された。<略>しかし,高等教育を受けなかったファラデーには,そうした古典に関する知識は乏しかった。そこで,ファラデーは,ケンブリッジの哲学者ヒューウェルに教えを請い,彼の助言を入れて,さきほど紹介した用語を提案したのである。(pp.116-118)

【私のコメント】

研究は対象を命名し,他との個別化をはかることから始まる。確かにファラデーは数式を用いなかったが,その代わりに言葉を厳格に定義し,数学のように論理的に論文を書いていったのである。彼の論文の作り方もユニークだ。彼は克明に実験日誌をつけ,最後にそれらをまとめて論文にしたのである。だから彼が何を疑問に思い,それをどうやって解決していったのかという思考過程がよくわかるのである。マイケル・ファラデーについては他にも伝記がでているが,本書はコンパクトによくまとまって描かれている。



『マンガ ユング深層心理学入門』(石田おさむ,講談社,1997) ☆☆☆

【本文から】

◆ユングの偉大な発見は,無意識の深い層の中に,全人類に共通する普遍的無意識を見出したことにある。

【私のコメント】

ユングについて全く知識を持たない人が最初に読むのには最適の本である。 このマンガで全体のイメージを把握することは非常に有意義だと思う。



『ユング』

(アンソニー・スティーヴンズ,講談社,1995)☆☆☆☆

【本文から】

◆子どもは世界とのあらゆる関係を打ち立てる作業に積極的に参加していのであって,「新生児の心は白紙であり,その中にはまったく何もないと考えるのは誤り」であると(ユングは主張した)。私たちの内部には生まれつきそなわった心の構造があり,そのおかげで私たちは独自の体験をするのである。

【私のコメント】

構造人類学者のレヴィ・ストロースや言語学者のチョムスキーなど,これまで多くの分野の学問が,上記の元型の仮説と似たような概念を提唱して きた。しかし,その際にユングの名が言及されることはまずないと著者は いう。著作は難解だといわれるユングだが,この本は(1)を読んだ人に是非すすめたい。非常にわかりやすく示唆に富む。



>『精神医学とナチズム』(小俣和一郎,講談社,1997)☆☆☆

【本文から】

◆ナチスの最初のガス室殺人は,アウシュヴィッツをはじめとする強制収容所において行われたのではない。それはアイシュヴィッツに先立つこと二年 以上も前に,州立精神病院において行われ,しかもその最初の犠牲者は,ユダヤ人ではなく,精神障害者だったのである。

◆食糧制限による計画的な(精神障害者の)餓死は,抹殺施設に限らず多数の精神病院で広く行われていた。そのために,すべての食事から徹底的に脂肪分だけを取り除いた特別の献立が,安楽死組織委員の一人プファン・ミューラーの手で考案された。

【私のコメント】

これはナチスが行った精神障害者への迫害とそれに荷担した医者や知識人の歴史である。積極的ではなかったとはいえ,一時はナチスと接近したといわれるユングについても触れられている。もっとも,(2)の本ではそれが否定されているので読み合わせてみるのもおもしろい。



『心は孤独な数学者』(藤原正彦,新潮社,1997)☆☆☆

【本文から】

◆いかなる天才といえども,無から有を産むことはできない。必ず手本がいる。人間の頭はそのようにできている。人類最高の智者ニュートンにおいてもしかりである。微分法ではフェルマー,積分法ではワリス,両者の関係についてはバロー,という手本があった。

◆たった350万ほど,静岡県ほどの人口の小国(アイルランド)が,これだけ傑出した文人を輩出したということは尋常ではない。さらにこれら文人がみな,人口50万ほどのダブリンで生まれたことを考えると,イギリス人が何と言おうと,ダブリンはまさに文学史上の特異点なのである。

【私のコメント】

万有引力のニュートン,四元数のニュートンそして膨大な謎の公式を残して32歳で死んだラマヌジャン。著者はこの三人の天才数学者の生地に赴き,それぞれの偉業を回想する。私はとりわけラマヌジャンに興味を持った。貧乏なインド人の若者がケンブリッジ大学に招かれる。アインシュタ インがいなくても特殊相対性理論は2年以内に発見されただろうといわれているが,ラマヌジャンがいなかったら彼の公式群に匹敵するものは100年近くたった今日でも発見されていないということである。おもしろいのはそうした公式は自分の信じているナーマギリ女神から授かったと彼 自身が述べている点である。



『「複雑系」とはなにか』(吉永良正,講談社現代新書,1997)☆☆☆☆

【本文から】

◆世の中にはときとして,こういうどうしようもなく頭の切れる人間がいるものだ。しかし,頭が切れることは科学者として大成する必要条件ではあっても十分条件ではない。不幸なことに,彼ら"天才"たちは往々にしてこのことに対して無自覚である。そこまで頭が回らない。その意味では, やっぱり頭が悪いのかもしれない。たとえば,次のような感想を書き残していることからも,この人(ウォルフラム)のある種の"知恵"のなさを推して知るべきであろう。先述したようにノイマンがセル・オートマンの着想を得る際に決定的なアドバイスを与えた往年の大数学者スタニスラウ・ ウラムとの会見の印象である。

◆「彼と話しても,もう老人になりかけで面白くなかった。彼が何を言っていたかはっきり覚えていない。よい印象を与えようとがんばっていたようだが,すごく退屈で厄介だった」(「人工生命」)

【私のコメント】

「複雑系」という流行語のため,へそ曲がりな私はこういうタイトルの本を極力避けてきたが,この本は文句なしにおもしろかった。動物の群れの自然な動きをアニメーションで描くプログラムを作るため,墓場のカラスも群れを何日も観察しつづけたクレイグ・レイノルズの話など面白い エピソードが満載である。



『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上・下)』(杉浦明平,岩波文庫,1954)☆☆☆☆

【本文から】

◆食欲をなくして食べることが健康に害があるごとく,欲望を伴なわぬ勉強は記憶をそこない,記憶したことを保存しない。

◆君が手にふるる水は過ぎし水の最後のものにして,来るべき水の最初のものである。現在という時もまたかくのごとし。

◆どのように霊魂がその肉体の中に住んでいるか見たくおもうひとは,どのようにその肉体がその日常の住居を使用しているか を観察するがよい。つまり,住居に秩序がなく乱雑である場合には,その霊魂の支配する肉体も無秩序で乱雑であるだろう。

【私のコメント】

上記の最後のものなどは,学校で掃除をさぼる生徒に与えるのに適している。この本はパスカルのパンセのように賢人の知恵の 言葉に満ちている。眠りの前に適当なページを読んでみるのもいいのではないだろうか。



『背信の科学者たち』(W.ブロード/N.ウェード著,牧野賢治訳,化学同人,1988)☆☆☆☆

【本文から】

◆プトレマイオスは"古代の最も偉大な天文学者"として知られている。しかし,彼の観測の大部分はエジプトの海岸で 夜間行われたのではなく,白昼,アレクサンドリアの大図書館で行われた。彼は図書館でギリシャの天文学者の研究を 解析し,自分が行った研究であると主張した。

◆名誉や仲間の尊敬をかち得たいという願望は,科学の初期の頃から存在するものであり,科学者らは,一つの理論を 普及させるために,取り繕ってみようとか,事実無根のデータさえも捏造したい,という誘惑にかられてきた。

【私のコメント】

本書がガリレイ,ニュートン,メンデルから現代にいたるまでの様々な科学者の捏造データや剽窃論文が取り上げられている。 とりわけ有名なアルサブティ事件にスペースが割かれているのはわかるが,一方で野口英世についても言及がなされている ことに対して意外に思われる方もいるかもしれない。野口はアルサブティのように剽窃をしたわけではないが,ロックフェ ラー研究所という権威を背景に論文がフリーパスをしてしまった例として挙げられている。「パスツールやコッホの研究は時 の試練に耐えたが,野口の研究はそうではなかった・・・彼の死から約50年後,彼の業績の総括的な評価が行われたが,ほ とんどの研究がその価値を失っていた」。野口のいたペンシルバニア大学に彼の痕跡が全く見られなかった(1990年私の体験)ことか らもわかるように,彼の評価は海外では驚くほど低い。「研究者がいかに優秀であっても,科学上の報告に対しては充分な検 討がなされなければならないと言えるかも知れない」と野口の業績調査にあたった評論家が述べたという。



『だれが原子をみたか』(江沢洋,岩波書店,1976)☆☆☆☆

【本文から】

◆パルメニデスは「目や耳や舌などに支配されてはいけない。理性によって私の論証を判断せよ」と言い張った。観察にもとづく推論をしりぞけたのである。

◆(i)演繹の結果が,そのときまでに行われたどの実験にも矛盾しないこと。また,引き出せるかぎりの予言が新しい実験によりすべて確かめられること。

(ii)原理の中に矛盾が含まれていないこと。

このような手順の研究に用いられる原理を「仮説」とよぶ。(略)研究のこういう進め方を「仮説と実験の方法」とよぶ。

【私のコメント】

この本は「物は何からできているのか」について数千年にわたる人類の様々な考え方を紹介しつつ次第に本質に迫って行く過程をわかりやすく説明している。中高生向けに書かれた本であるが大人が読んでも十分勉強になる。とりわけフランシス・ベーコンの帰納法とデカルトの演繹法のところが面白い。



『理系のための研究生活ガイド』(坪田一男,講談社ブルーバックス,1997)☆☆☆☆☆

【本文から】

◆研究生活にはお師匠さんが必要だ。自分の研究の先生と考えてもいいし,研究生活全体のロールモデルと考えてもいい。とにかく積極的に師匠を探し,自分からアプローチしていくことが大切だ。

◆インパクトファクターとは,そのジャーナルに掲載された一編の論文が,次の年に平均してどのくらい他の論文に引用されたかを示す。たとえばScienceのインパクトファクターは21.9(1995年度)。

【私のコメント】

この本はハウ・ツーものである。研究テーマの選び方,ボスの選び方等々,実に細かく説明してくれる。これまでこの種の本は「建前論」が多かった。この本はどのページも実体験に基づいたもので,無駄や建前は一切ない。ジャーナルがインパクトファクターという数値で評価されている点も,この本ではじめて知った。「理系のための」とあるが,文系でも十分ためになる。むしろ文系の人々に読んで欲しい。



『フォン・ノイマンの生涯』(ノーマン・マクレイ著,渡辺正他訳,朝日出版社,1998)☆☆☆

【本文から】

◆英語の百科事典もあさって,興味をもった項目を一語一句覚え,フリーメーソン運動,初期哲学史,ジャンヌ-ダルク裁判,南北戦争のいきさつなどをつぶさに知っていた。

◆言葉や数学記号には抜群のセンスがあったのに,人の顔を覚えるのは下手だった。自分を知っている人を自分のほうは知らない,そんな事態に生涯悩まされる。

◆「いちばんおしいところをとる人」という非難もあるが,それは優れた精神にふさわしい行為だろう。

【私のコメント】

私はフィラデルフィアのペンシルバニア大学で世界初のコンピュータ「エニアック」を見た。このコンピュータはもともとペンシルバニア大学のモークリー&エッカート達が開発を始めたものだが,途中でノイマンが加わった。そして現在のコンピュータは「ノイマン型」コンピュータと呼ばれ,エッカート達の名前はない。人のアイデアをさらっては,あっという間にそれを発展させてしまう男といわれた。ただ,もし彼がいなければ今日のコンピュータは存在したかは疑わしいと本書はいう。



『われ思う,故にわれ間違う』(ジャン=ピエール・ランタン著,丸岡高弘訳,産業図書,1996)☆☆☆☆

【本文から】

◆アリストテレスはオールラウンドな科学的天才の原型とでも言うべき人物で,形而上学や文法の論文のみならず,天文学,論理学,数学,物理学,気象学,地質学,生物学,動物学,植物学,解剖学,生理学,生物種の分類など,あらゆるものについて書物を書いている。(略)しかし,彼にも間違いはある。(略)まず,世界の中心に不動の地球があり,星々はその周りをまわっているとする「地球中心主義的」宇宙観が執拗につづいたのはアリストテレスのせいである。

◆こうして100万年前のわれらの祖先が見つかった。では人間の揺籃の地はアジアだったのだろうか?これは自分たちの文明に非常な誇りをもっていたヨーロッパ人には何かうっとうしいところがある。ヨーロッパで,もっと古い祖先を見つけたい!熱狂的愛国心の影響力はあまりにも強すぎ,その夢はあまりにも魅惑的である。だからこの夢は,科学史の中でももっとも有名なペテンによって現実となる。ピルトダウン人である。

【私のコメント】

ピタゴラス,コペルニクス,ダーウィン,キュリー,パスツール,アインシュタイン。天才たちは次々と誤りをおかした。本書はこうした誤りの数々をユーモアをもって解説してくれる。しかし,科学が進歩し,知の体系が構築できるのはそうした誤りのおかげであることも忘れてはならない。



『経度への兆戦』 (デーヴァ・ソベル著,藤井留美訳,翔泳社,1997)☆☆☆☆

【本文から】

◆ハリソンは正式な教育を受けて折らず,時計職人の弟子入りして修業した経験もないのに,摩擦のほとんどない,したがって注油も掃除も必要ない時計を作りあげた。

◆科学界のエリートたちは,ハリソンの魔法の箱を相手にしなかった。(略)「機械職人」よりも天文学者を優遇するために,たびたび規則を変更した。


【私のコメント】

地球儀を思い浮かべてみて欲しい。「緯度」は赤道に平行にいわば地球を等間隔で横にスライスしている。しかし「経度」は地球を縦にスライスしており,赤道のあたりが最も長く,極に近づくほど短くなる。つまり,一定ではない。とりわけ目印のない大海原で自分の位置を知ることは並大抵のことではない。イギリスは1741年,正確に経度を測定する方法を発見したものに二万ポンドの賞金を与えると発表した。そして無名のジョン・ハリソンは当時どんなに精巧な時計でも一日数分遅れたり進んだりするのが当たり前だったにもかかわらず,一ヶ月でたった一秒の誤差しか生まない驚異的時計を開発した。この時計を使えば経度の測定は可能になるのだが,経度委員会は学歴のないハリソンを認めようとはしなかった。いったい,学問とは何か。科学とは何か。ただ学歴だけしかない無能な学者と,経験と工夫と知性から優れたものを生み出している職人とどちらが「真の科学者」なのか,「人類に貢献しているもの」であるかを考えさせられる本である。



『あなたも狙え!ノーベル賞』(石田寅夫,化学同人,1995)☆☆☆

【本文から】

◆あなたが大学教授ならば,創造性にそれほど富んでいなくても,今度の夏休みに実験室を人に貸すだけで,ノーベル賞がもらえるかもしれない。(略)

「研究の,先が見えたら,部屋貸して,名前をつけて,ノーベル賞」


【私のコメント】

ノーベル賞は著しく人類の貢献に尽くした科学者に与えられる賞である。しかし,実際は努力だけではなく,運も必要であることがわかる。本書は,99人の科学者がどのようにしてノーベル賞を手にしたかをおもしろおかしく語ってくれる。それぞれの話の終わりにつけられている川柳がおもしろい。軽妙なタッチで書かれてはいるが,むろん簡単に誰でもとれる賞ではない。常にそのことに関心をもち,セレンディピティ(普通の人なら見過してしまいそうなことでも,その重要性に気づくことのできる準備された心)を持っていなければどんなことでも成功に結びつかないであろう。





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