雑誌掲載記事
‘I’m sorry to be late.’と‘I’m sorry I’m late.’
――大修館「英語教育」
1994年2月号(FORUM欄)掲載
あるイギリス人が日本で出版した本(『日本人に共通する英語のミス121』
James H. M. Webb, The Japan Times)の中で,日本人に共通するミスの一つとして,I’m sorry to be late.を挙げ,「すでにしてしまった事について謝るときは後ろに節がくる」としていた。おそらく,それを受けてのことであろう,別の本(『別冊NHKラジオ英会話すぐに役立つQ’s & A’s』)で,ある読者が「I’m sorry to be late.は誤りか」という質問をしている。それに対して回答者は,「I’m sorry to be late.はI’m sorry I am late.のI am lateの部分が不定詞句化して単文となったもので,両者は同じ意味を表し」,「両構文とも普通に使われるもので,いずれも誤りではありません」と答えている。いったいどちらが正しいのであろうか。この点について少し興味があったので,私見を述べてみたい。
Practical English Usage(Michael Swan, p.340)には‘sorry is used with an infinitive when we apologize for something that we are doing or about to do’とし,‘When we apologize something that we have done, we use a perfect infinitive, or for + -ing, or a that-clause’(下線筆者)と書いてある。このI am lateをsomething that we are doingとみるか,something that we have doneとみるかであるが,‘School is over.’が「終わった状態にある」と考えられる(「英語語法大事典」,p.443)のと同様に,これもまた「遅刻した状態にある」と考えて「現在完了的」な用法と捉えるのが妥当であろう。すると,Swanの説明に従って‘I’m sorry I’m late.’に軍配が上がることになる。sorryには大きく分けて「謝罪」と「遺憾/同情」の二つの意味があるので注意が必要だが,手元の英英事典では「謝罪」の項目に次のような例文を挙げている。(以下,下線はすべて筆者)
(LASDE) Sorry, I’m late.
(COBUILD) I’m sorry I’m so late.
(OALD4) I’m sorry I’m late.
(LDOCE3) I’m sorry I lost my temper.
また,後ろに
to-不定詞(完了不定詞は除く)がくる例文を見ると,
(LASDE) He was sorry to hear the news of the accident.
(同情)(COBUILD) I’m sorry to say that the experiment has not been a success.
(遺憾)(OALD4) We’re sorry to hear of your father’s death.
(同情)I’m sorry to say that I won’t be able to accept the job.(遺憾)
I’m sorry to say that our efforts have failed.(遺憾)
と,いずれも「同情/遺憾」の表現であり「謝罪」ではない。また,「ロングマン口語英語活用教本」(
W.J.Ball, 松浪有他訳)には,「遅刻の謝罪は簡単に次のように言えばよい」として,
I’m sorry I’m late, but …[この後に理由が続く]
I apologize for being late, but …
の
2例がある。英会話の本(「系統的英米会話」旺文社1960, J.B.Harris他)にも
Excuse me for being late.
I’m sorry I kept you waiting (so long).
の例が見られ,
Cobuild English Usage(1992)では「過去に行った行為をわびる手段としてI’m sorryを用いる」という説明とともに,
I’m sorry I’m so late.
の文が例示されている。
以上,私の調べた英英辞典では,‘
I’m sorry to be late.’の表現は見つからなかった(ただし学習英和辞典にはこの例文を載せているものもある)。無論,辞書に見つからないからといって間違いとは言えないが,このように一方の表現のみが例示され,他方の例が見られないということからみると,両者が同じように扱われているとは考えがたい。複数のネイティブ・スピーカー(すべて米国人で大卒)に「遅刻の謝罪」としてどういう表現を使用するか尋ねると,いずれも「自分は‘I’m sorry to be late.’も‘I’m sorry I’m late.’も使うが,前者はformal situationで使い,後者は友人や家族の中で使う」ということであった。COBUILDにも,toの項目に,‘in polite greetings or apologies where you are expressing how you feel about the action of the verb’として,
Sorry to keep you waiting.
を載せている。結論として,この2文は「いずれも誤りではない」が,かといって全くの等価ではなく,そこには
formalとinformalの使い分けが存在するというのが真相であろう。
「腰が痛い」という表現
――大修館「英語教育」
1994年8月号(FORUM欄)掲載
「腰が痛い」に相当する英語表現として,サンライズ和英(
1992)はI have a pain in my hip.を,またライトハウス和英(1988)はI have a pain in the waist.を載せている。しかし手元にある他のほとんどの学習和英辞典では,このような場合の「腰」は,backまたはlower backと表現しているようである。また,次のような指摘もある。「『腰が痛い』というときの『腰』は“
ふつう我々が「腰をかがめる」「腰をひねる」などというとき,それは
waist周辺から下方のhipsにかけた背中側の範囲を漠然と頭に描いている。一方,backはspineに沿っての範囲をいうから「腰」よりは守備範囲が広い。また,waistは‘the part around the middle of the body between the stomach and the hips’(Oxford Wordpower Dictionary 1993)とあるように,胴の細くなった部分,すなわち,ベルトの当たる「胴回り」をいい,背中側に限定されない。そしてhipsは我々のいう「臀部」よりやや上方のどちらかというと体の側面を指す。つまり‘He stood with his hands on his hips.’(LDELC)とあるように「腰に手を当てた」時の「手の当たる場所」である。元来,「痛み」というものは,身体のいたるところに現れてくるものであるから,
waistやhipsに痛みがあっても不思議ではないかもしれない。しかし,我々が重い物を不用意に持ち上げた時に腰を痛めるのは,spineに異常をきたすからであり,学習辞書としてはやはりbackまたはlower backとすべきではなかろうか。アクティブ学習英英
(1992)のPAINの項目にはUSAGEとして,‘She felt a sudden pain in her back.’の文例を挙げている。数名の英語を母国語とする人たちに「重い物を持ったとき痛くなるのはどこか」と尋ねたところ,いずれも「backが痛くなる」と答え,「waistが痛くなるとは言わない」と答えた。LDELC(1992)には明確に‘You’ll make your back ache if you carry those heavy buckets.’(下線は筆者)と説明している。
単独で後の語を強調する副詞
――大修館「英語教育」
1995年2月号(FORUM欄)掲載
生徒に合衆国のフォークソングである‘
Cotton Fields’という曲を聞かせようと思ってカセットテープを取り出した。しかしあいにく歌詞が書かれた紙が見つからない。そこでやむなくテープを聞きながらディクテーションを始めた。ところが,どうしても聞き取れない個所が数カ所ある。その一つは,
I was [......] Arkansas.
というところであった。何度聞いても私には「ソブレン」と聞こえる。しかし,
sovereignでは意味をなさない。とうとう音を上げてALTに尋ねると,彼女の答えは,I was over in Arkansas.
であった。
wasのsとoverのoがリエゾンしていたために聞き取れなかったのだ。私のリスニング力不足もさることながら,このoverのような用法に慣れていないせいもあるのではないかと思った。そういえば,数年前ニュージーランド出身の
ALTと話していたとき,彼女がしきりにback home(またはback in New Zealand)と言っていたことを思い出した。「私の国では」という意味であるが,このbackはうしろのhomeを強調している。また,あるアメリカ人はup until nowを口癖のように使っていたことを記憶している。このような用法は,映画などでも数多く用いられている。例えば,こうしたbackの用法として次のような台詞がある。You know, when I was back in Squirrel hill, …(The Body Guard)
Getting a little nervous back there. (Die Hard 2)
You can’t wear those futuristic things back in 1885. (Back to the Future 3)
また,
overの例としては,We know what’s been going on over at your office. (JFK)
And there was another case six months ago over in New Brunswick…
(Anne of Green Gable)
などが見られる。
このような副詞は,
Oh, I am taking you and your friends back to Madrid. (The Sand of Time)
などのように動詞と連動している副詞とは区別されるべきものである。こうした副詞は,その後に続く「場所を示す副詞句」との関係を明らかにし,またそうすることによって結局それを強調しているのである。このことは
LDELCが,Back in Nigeria (where I come from) we used to play a lot of tennis.
という例文を挙げていることからもわかる。
学校英語では動詞句の一部として,
back, over, up, downなどの副詞が教えられている。しかし同時にこのような,「動詞から遊離して単独で使われる副詞の用法」についても充分指導しておく必要があるのではなかろうか。
――大修館「英語教育」
1995年3月(FORUM欄)掲載
かつて同僚の国語教師から,「映画を観ていたら登場人物が
Excuse us!と叫ぶと周囲の人達がすっといなくなったが,あれは『二人だけにしてほしい』という意味なのか」と尋ねられたことがある。「ジーニアス英和辞典」(1994)には「相手に触れたり,中座したり,人の前を通るとき,またくしゃみをした場合」に使うとしている。COBUILDには‘to indicate that you are about to leave the room, usually just for a short while’という説明が載せてある。いずれも「自分がその場から一時的に中座する」場合に用いられるのであって,「相手に中座を要求する」という説明はどこにも見られない。だから,「多分その場の状況でたまたま発せられた表現であり,決まったものではないのではないか」と答えておいた。しかし,先日‘The Hunt Is ON’(邦題「レッド・オクトーバーを追え」)を観ていたら,潜水艦の艦長が部下に向かって「大事な秘密の話があるので少し座をはずしてくれないか」という意味で,‘Chief, excuse us for a second’と言っている場面に遭遇した。映画「風と共に去りぬ」では,メラニー,スカーレット,バトラーの三人が話しているところへ別の人物がやってきて,メラニーに用事があるのできてもらえないかと頼むくだりがある。そして,スカーレットに向かって,‘
Will you excuse us, please?’と言うのだか,これは明らかに当人が中座する場合の表現である。どうやら,‘
Excuse us.’は状況に応じて「本人たち自身が中座することの許しを請う場合」と「周囲の人に座をはずしてほしいと要求する場合」があるらしい。いずれにしても,‘Excuse us.’という表現が,「相手に退席を求める場合にも用いられていることは事実であり,学習辞典にもそのことを触れておく必要があるのではないだろうか。
刑務所の話
――大修館「英語教育」
1998年1月(FORUM欄)掲載
先日知り合いのアメリカ人からおもしろい話を聞いた。彼がいきつけの酒場で酒を飲んでいたら中年のがっしりした体格の日本人が近寄ってきて英語で話しかけてきた。その英語がなかなか流暢だったので,アメリカにいたことがあるのかと尋ねると,“
Yeah, you know ‘San Quentin’? I was there for five years.”という。リーダーズ英和には,「San Quentin quail→JAILBAIT」とある。JAILBAITとは「性的魅力のある承諾年齢以下の少女《これと交渉をもてば刑務所行きとなる》」(同英和)ということだそうだ。これはまた別の意味で結構恐い話ではある。ただ,これだけではSan Quentinなるものがどういうものかわからない。この知人によると,これは凶悪犯罪者を専門に収容する刑務所で,カリフォルニアにあるという。この刑務所はアメリカ人ならばたいてい知っているものらしい。いわばアメリカ版「網走番外地」(もっとも網走番外地の方は現在観光名所の一つになっているにすぎないが)。だからSan Quentin quailは「おいしそうだが手を出したら網走番外地行きになる美少女」となる。The World Book Multimedia Encyclopedia(CD-ROM版)にはカルフォルニア最古の刑務所で1852年に創られ,約2,700人の収容に現在3,900人が詰め込まれているとある。正式名称はthe California State Prison at San Quentin。凶悪犯や再犯を繰り返す犯罪者を収容する施設であるが,劣悪な施設と人種間の緊張から所内での殺人,暴動,自殺がしばしば起こっているらしい。また,さらに「アメリカ日常語辞典」(田崎清忠,講談社)には「設備が悪く,イメージはきわめて暗い。今まで何回も閉鎖が提案されてきた」とも記されている。さて,件の知人はSan Quentinと聞いてギョっとして男を見ると,確かにその筋の人らしく頬には深い傷もあるし目つきも鋭い。彼の動揺を知ってか知らずか,男は「昔は結構無茶をやったよ」となつかしそうに言い,何やらスペイン語らしき言葉をしゃべった後,「これもムショで習ったんだ」と笑ったという。そこで,質問。「生きた外国語を格安にマスターできる方法は?」 答――アメリカの刑務所に行くこと。これが知人の話の「落ち」だった。
伊能忠敬に学ぶ
――岡山県「教育時報」
2000年3月(随想欄)掲載
頑固一徹そうな裃の老人が脇差を左に置き、右手に扇子を握りしめて前方を見つめている。日本史の教科書で見かける伊能忠敬である。私はこうした肖像画から、忠敬は武士だとばかり思っていた。実際はそうではない。彼は九十九里浜の漁師の番小屋に住んでいたともいわれ、不遇な少年時代を送ったが、十八歳で佐原(千葉県)の大商家伊能家の養子に入る。妻は四歳年上でしかも前夫の間に四つになる子供までいた。忠敬はよく家業に専念し、五十歳で長男に家督を譲る頃には七十五億円に達する財産を築いていた。当時の人々の平均寿命は四十歳であったから、五十歳での隠居はむしろ遅いくらいと言える。普通ならば隠居後は悠悠自適の生活に入り、俳句でもひねりながら趣味の世界に生きるということになるところだが、忠敬は違っていた。なんと彼は江戸に出て幕府天文方高橋至時の弟子となり、天文学を学び始めるのである。時に忠敬は五十一歳、先生の至時は実に二十一歳も年下の三十歳であった。しかし学問の上には年齢は関係ない。忠敬は至時を敬愛し、一方至時は彼を「推歩先生」と親しみを込めて呼んでいた。推歩とは「天体の運行を推測する」ことを意味する。やがて忠敬は「地球の大きさを知りたい」と思うようになる。そのためにはどうしても子午線一度の距離を正確に測る必要があった。幕府は費用百両のうち忠敬が八十両(千二百万円に相当する)を持つことで蝦夷地までの測量を許可した。そして一八00年、忠敬五十六歳の時に蝦夷地測量の旅に出る。その時に幕府が地方役人に対して示した彼の身分は「元百姓」。かくして大変な苦労の末、幕府に提出した地図は精巧を極め、幕府内は色めき立ったと言う。以後十七年間にわたる彼の測量人生が始まる。 彼の測量の基本は「歩測」。「二歩で一間」すなわち一歩が六十九センチになるように訓練し、自らを人間測量器と化すことで日本全国を「歩いて」測ったのである。その総歩数は井上ひさしによれば四千万歩。愚直とも言える伊能忠敬は決して鋭い頭脳の持ち主ではない。また彼は喘息などの持病もあり、頑強な体ではなかった。ではなぜ彼は莫大な資金を費やし、老体に鞭打って諸国を行脚したのだろうか。それはただ「地球の大きさを知りたい」という好奇心だったのである。 昨年で私も教職歴二十五年となった。いつの間にか人生のターニングポイントも過ぎてしまっている。教育のこと、英語学のこと、コンピュータのこと等まだまだ知りたいことが山積している。忠敬のような偉業は成し遂げられないにしても、せめて彼のように常に学ぶ心を持ち続けていたいものである。
※ 伊能忠敬については「読書案内」コーナーの「四千万歩の男」(井上ひさし)もご覧下さい。
学習英和辞典では頻度も考慮すべき
――大修館「英語青年」
2000年1月(EIGO CLUB欄)掲載
本誌11月号において土家裕樹氏が拙著「実践コーパス言語学」の中の be tired fromの記述について言及され,be tired fromの例もあるとのご指摘をいただいた。そこで我々がどうしてbe tired fromの件を書くに至ったいきさつからお話したい。大学受験に際し,be tired fromとbe tired ofの区別はよく教えられるものの一つである。しかるにLDOCE3,OALD5,COD9,Cobuild2などの主な英英辞典ではtired ofはあっても,tired fromが言及されていないことに気づいた。そこで自作のコーパスで調べると「ほとんど見つからなかった」(むろんfromの例がないわけではなく,我々のコーパスでも2例見つかったことは拙著p.38の表からもわかる)。ほとんどない表現に英語の基礎を学習すべき高校の段階でこれほど強調するのはどうかと考えたわけである。問題は用例の有無でなく頻度である。the Bank of Englishから5,000万語を抽出したCobuildDirect,それぞれ100万語のBrown CorpusとLOB Corpus,およびその現代版Frown CorpusとFLOB Corpusを用いてtiredの後にどういう語句がくるかを調べると次のようになる。
Cobuild | Brown/LOB | Frown/FLOB | |
of | 498 | 22 | 28 |
after | 31 | 3 | 0 |
from | 15 | 1 | 1 |
with | 10 | 0 | 0 |
for | 8 | 0 | 0 |
by | 5 | 0 | 0 |
because | 4 | 0 | 0 |
計 | 572 | 26 | 29 |
この数字を見るとofとfromには明らかに使用頻度の差があるといわざるを得ない。内容的には,ofは “to be bored” の意味で用いられ, “to lose energy” の意味の場合は文脈に依存して特に理由を挙げないか,そうでなければafterを用いて理由を述べることが多い。コロケーション辞典のBBI(1997)ではtiredの項に,“adj. 1. to get ~ 2. dead ~ 3. ~ of (I’m ~ of waiting)”とあり,tired fromの例を挙げてはいない。また,CGEL(Longman,1985)にはAdjective complementation by prepositional phraseの例が挙げられているが,後ろにfromがくるものとして,different, distant, distinct, free, remoteの例があっても,tiredの例はない。一方,後ろにofがくるものでparticipialの例として,convinced, scared, そしてtiredが挙げられている。他にPractical English Grammar(M.Swan), Undersanding Grammar(P.Roberts), Cobuild English Grammar, Longman English Grammar(Alexander), An Introduction to English Grammar(Greenbaum)など定評ある文法書では,ofやafterを挙げているものはあるが,fromを挙げているものはない。
我々は,頻度が少ないからといってbe tired fromが今では全く使用されていないと言っているのではないし,文法書にないからといって学習英和辞典に不要だと言っているのでもない。頻度を考慮しないで,be tired fromとbe tired ofとがパラレルに記述されることに疑問を感じるのである。
英語の勉強を始める人にまず最初におすすめする方法は?
――ダイヤモンド社「エグゼクティブ」
2000年4月(英語の達人がすすめる英語独習法完全指南欄)掲載[注] 「英語の達人がすすめる・・・」は雑誌編集の方がつけたので,私自身は決して自分を「達人」とは思っていません (^^ゞ
英語ができないのは「学校で役に立たない英語を習うからだ」とか「受験英語 ばかりやっているからだ」と思っていませんか。「学校英語」や「受験英語」が 果たしてそれほどひどいものなのでしょうか。これらの英語の中には確かに今 はあまり使われないような表現もありますが,その9割は今でも立派に役立つ 英語です。問題は,せっかくインプットした情報が外に引き出せないままに終わ っているということです。
そこで私は英語表現を学習したらそれを必ずアウトプットしてみることをすすめ ます。アウトプットの仕方としては「気の合う仲間と英語で話す」,「英会話学校 に行ったら学習した表現を意識的に使ってみる」などという方法がありますが, 「英語仲間」も「英会話学校」も無理という人はネイティブスピーカーがそばにい ると仮定して,その人と会話をしてみるというのはどうでしょう。私も通勤の車の 中でよくこの「シミュレーション会話」をしています。「今日はひとつ日本のお正月 について説明してやろう」などというふうに必ず「具体的な話題」を設定することが コツです。
さて,せっかく努力した受験勉強を英会話に生かさない手はありません。それに ピッタリの本があります。その名も「会話に生かす受験英語」(田中茂範,アルク, 1990)。サブタイトルは「青春の汗がいま輝く」。ちょっと気恥ずかしい感じも しますが,それだけで驚いてはいけません。表紙はなんと「巨人の星」です! この本の特徴は,受験勉強でよく学習する150の英語表現を100人のネイティ ブにアンケート調査を行い,実際にその表現がどのくらいの割合で使われいるかをグ ラフで表示している点です。
『ジョン・マンと呼ばれた男――漂流民中浜万次郎の生涯』
(宮永孝,集英社)
――大修館「英語教育」
1994年7月BOOK REVIES欄掲載
万次郎の実像を忠実に描く
中浜万次郎に関する本はすでに数多く出されているが,その多くは時代の要求に応じて脚色された万次郎像であるといえよう。本書では,著者自身が国内外の各地に赴き,現存する資料をつぶさに調査した上で,事実をもって語らしめるよう努力している。著者はまた,万次郎とともにホイットフィールド船長に助けられた3名の漁師仲間と見られる日本人がハワイに帰化した時の記録を,ハワイ州立公文書館にて発見している。
帰国後9年目に,万次郎は通訳として咸臨丸に乗船し,米国を再び訪問した。咸臨丸がサンフランシスコに入港した折,地元の新聞がその動静を報じた中に「文房具商は来訪者のひとりから,ウェブスターの辞典がほしい,とすばらしい英語でいわれたとき,少なからず驚いた。その者はこの辞典の値打ちをよく知っているようであった」とある。
咸臨丸の乗組員の中でこの当時辞典を購入した人物が二人いた。「すばらしい英語を話した」人物こそ万次郎であり,「この辞典の値打ちをよく知って」いた二人の人物こそ万次郎と,提督木村摂津守の従者福沢諭吉であった。「これが日本にウェブストルという字引の輸入の第一番」であったと諭吉は後に『福翁自伝』で述べている。
幕末といえども,身分差別が厳然として存在していた中で,一漁民が士分となり,幕臣に取り立てられていくのは異例中の異例である。とりわけ土佐藩は武士階級の中にも上士・郷士の差別があったほど保守的な土地柄であった。にもかかわらず万次郎を重用したのは,国防上彼の新しい知識(とりわけ英語や造船・航海技術)を必要としたからである。もっとも,彼が活躍したのは幕末から明治初年にかけての約
20年間,すなわち40歳前後までであった。その後は病を得て隠居するが,時代が彼の知識を必要としなくなったことを自覚したためであろうと著者は論じている。政治的作為的に作られた友好は壊れやすいが,草の根レベルで培われた素朴な絆はたやすく切れることはない。本書では万次郎自身はもとより,彼をとりまく人々の書簡が随所に出てくるが,いずれもが普段着の万次郎を髣髴とさせてくれる。そこには「時代を担う新知識を身につけた英雄」ではなく,ジョークを言っては周囲のアメリカ人にほのぼのとした気持ちを与える少年が,友人のためには自分の帰国を犠牲にしてもいいと主張する青年が,そして砂糖を片時も離せない義侠心に満ちた老人がいる。
真の友好とは何か,本当の思いやりとはどういうものか,そういったことを考えさせる一冊である。
英語の常識
――研究社「現代英語教育」
1995年12月号(特集 いい本みつけた)掲載
●これからの語法研究
田島松二編著『コンピュータ・コーパス利用による現代英米語法研究』(開文社
1995)
これからの語法研究においてコンピュータの利用が不可欠となることは間違いない。今年に入って日頃お世話になっている種々の英英辞典が改訂された。そしてそのいずれもが様々なコーパスを用い,コンピュータを駆使して編纂されたことを強調している。
従来,語法研究は研究者が日頃からコツコツとカードに集めた言語材料をもとに行われるのが常であった。そして今も研究者が資料を検討し,そこから事実を引き出すといった作業は基本的に変わっていないだろう。ただ,コンピュータの出現により,データの集積が驚くべき速さと規模でおこなわれるようになったのである。
本書は「コンピュータ・コーパス利用による」という表現からもわかるように,コーパスを用いてどのように語法研究を行うかということについて,一つの方向性を示した先駆的書物である。具体的にはアメリカの
BrownコーパスとイギリスのLobコーパスをもとに,独自のコーパスを加えて種々の語法について検証している。例えば,
cannot but doはcannot help doingよりも文語的であることはわかるが,それでは今現在その表現がどの程度使われているかということについては辞書はあまり答えてくれない。しかし,コーパスを使えば瞬時にそれがわかるのである。辞書なら編者の意見をそのまま信用するしかないことが,コーパスでは自分が直接に原材料をあたって頻度をチェックし,判断ができるのである。いわばネイティブ・スピーカーが絶えずそばにいて表現の是非を教えてくれるようなものである。本書は,これからの語法研究を考える英語教師にとって必読の書といえよう。
安藤貞雄/山田政美編『現代英米語法事典』(研究社
1995)
単語には,文の中における品詞としての役割の他に,その単語自身が持つ「固有の特性」のようなものがある。一例を挙げれば,
This steak isn’t delicious.
は非文である。
deliciousという単語は「おいしいことを前提にしている」内容の中でしか用いることができないからだ。本書は,これまでの辞書ではあまり触れられなかった単語の特性について,様々な角度から説明を試みた「単語の文法書」である。次の文はいずれも下線部に問題があるのだが,おわかりになるだろうか。
1. Each of them did not succeed.
2. There is an opportunity that will see him.
3. Every Dick’s thought is right.
本書の説明によると次のようになる。
1.
eachは肯定極性語(affirmative-polarity item)であり,否定の動詞とは共起しない。2.
chanceは「見込み」と「(好)機会」の意味があるが,opportunityには「見込み」の意味がない。
3.
everyは「普通名詞の所有格」なら前に置いてよいが,「固有名詞,人称名詞」なら後に置く。
本書が「辞典」ではなく「事典」となっているのは,その単語に関わる風物にも言及しているからである。例えば,
self-destruct「自らを破壊する」という語は,1960年代にテレビ映画Mission Impossible(スパイ大作戦)の中で用いられた,In five seconds this tape will self-destruct.(5秒後にこのテープは自動的に消滅する)という表現に由来することが記されている。日頃疑問を感じた時に本書を紐解くのもよいが,最初から通読していくことをお奨めしたい。必ずは今まで知らなかった数多くの知見に出くわすことだろう。
「現代英語・語法ノートU」(金子稔 教育出版)
――研究社「現代英語教育」
1998年7月号(新刊書評欄)
本書は,
30年以上にわたって英語専門雑誌で和文英訳の添削指導を続けてきた著者が,日頃の読書の中から気づいた語法の問題点を集めたものである。著者は日本語を英語に直すことを常に意識しつつ英書を読む方法を「英作文的読書」と名づけ,自ら実践を続けてきた。本書はその結果生まれたものである。すでに著者は『現代英語・語法ノート』(教育出版)を出しており,これはその続編である。今,コンピュータを使った語法研究がさかんになりつつある。莫大なデータ(コーパス)を準じに整理し,統計を出すには確かにコンピュータは便利な道具ではある。ただ,忘れてはならないことはどんなに機器が発達しようと,中身が伴わなければだめだということである。最近の論文の中にはコンピュータ利用であることを高々と謳いあげてはいるが,数字に振りまわされ強引な結論を導くものをよく目にする。その点で,本書は著者が日頃の読書の中から一つ一つ集めてきた資料をもとに書かれたものであり,地に足のついた研究である。本書のどの頁にも興味ある情報が満ちているがここでは,そのいくつかを紹介するにとどめたい。
We need an assistant I hope will be a great help to us.
という英文を見た場合,我々はWe need an assistant who will be a great help to us.の誤りと見る。しかし,こうした主格関係代名詞の省略は実際は随所に見られる。著者は,英語国民は「先行詞の直後に間(ま)を置かずに‘S+V’が続く」場合は本能的に関係代名詞を省略してしまうのではないかと推察する。日頃ともすると文字化された英文だけを基に語法研究がなされがちであるが,こうした音声面の考察も大切なことである。英作文において学生がおかす誤りには,日本語による影響を受けてしまったものが多い。例えば,
This is why …とThis is because …という相反する表現を混同してしまう学生が多いと著者はいう。I was late for class. ( ) my bus broke down on the way.の ( ) の中には,This is becauseを入れるべきであるのに,This is whyを入れてしまうというのだ。「理由」と「原因」が区別されていないのである。本書はその弁別法として‘This is because …’をSoで,‘This is because …’をBecauseで置きかえることを勧めているが,これは教室で利用できる説明である。広く知られている諺に‘
You can’t eat your cake and have it.’というのがある。これを‘It’s like having your cake and eating it.’といってしまった英国の大臣が英国の新聞の投書欄で非難された。諺や格言といったものは元来「免疫力」が強く,変形を許さないものであるが,著者によるとこの諺については「肯定形」で用いられる例もあり,一概に誤用とはいえないようだ。語法を考えていく上で,論者自身がどのような立場に立つのか――すなわち,prescriptive grammarの立場かdescriptive grammarの立場か――これは英語教育にも大きく関わる問題である。個人的な類推ではあるが,この諺に関する記述からも分かるように,本書の著者は厳格なprescriptive grammarianではないが,かといって安易にdescriptive grammarに組することもしないといった態度を保持しているように思われる。本書では随所に
OALD,LDOCE,COBUILD,CIDEなどからの引用が挙げられている。「もしこれらの辞典が存在しなかったら,本書を編むことは不可能であった」とまで述べられている。だが,英英辞典を盲目的に信頼しているわけではない。例えば,「さらに重要なことは」というのにmore importantlyをmore importantの代わりで使うのは‘This is considered incorrect in standard English and should be avoided.’とCOD2には説明されている。しかし,著者は「イギリス・ジャーナリズム界のdoyenとも呼んでもよい人物」でさえ,more importantlyを使用している例など様々な使用例を挙げ,「この用法はもはや正しい英語の表現として定着している」と断言する。すでに述べたように,コンピュータを使えば今やインターネットなどや市販の
CD-ROMから膨大な資料が手軽に手に入る時代である。しかしどんな資料であろうともそれをもとに新たな着想を生み出すには,日頃の問題意識がものをいう。読者は本書を読むことにより,単に語法の問題だけでなく,語法研究のあり方をも学ぶことであろう。「メモリー英語語源辞典」(中島節 編 大修館書店)
――大修館「英語教育」1997年6月号(Book Reviews欄)
今,語彙への関心が高まっている。言語教育理論においては,構造主義から認知主義心理学,コミュニカティブ・アプローチ,インプット仮説と流れは変わっていったが語彙は常にこうした流れの外に置かれてきた。 しかし現在,認知意味論などの分野を中心に「意味」や「語彙」へと流れの方向が変わりつつある。本辞典は,はからずもそうした流れの中で出版されたということに一つの大きな意味がある。 人間一人一人に独自の歴史があるように,現存する英単語にもそれぞれの歴史がある。こうした歴史を知れば,これまで無味乾燥に思えていた単語が大変身近なものに見えてくるものである。本辞典は「英単語の歴史」すなわち「語源」を中心に語彙の増強を目指すことを目的にして編纂された。 語源を基にした辞典はこれまでもあったが,本辞典の特徴は使用頻度が高く,興味深い語根を持つ基本語200語を「語根集団」としてまとめているということにある。たとえばfin-は「終わる」という意味の語根である。これからfinalくらいは連想できても,fine「すばらしい,罰金」は思いつかないであろう。「終わる→仕上げられた」から「すばらしい」が,また「終わる」→「罪に結末をつけるもの」から「罰金」が生まれたという。 とかく語源辞典というのは堅苦しいものになりがちだが,本辞典は約40箇所に囲み記事が設けられてあり,なかなか楽しい情報を提供してくれる。その一例を紹介しよう。 山茶花(サザンカ)は漢字から見ても「サンザカ」が本来正しい読み方であるが,後に発音が変化して「サザンカ」となった。これを「音位転換」という。英語の音位転換の例としては,「古英bridd→中英brid→bird」や「古英thurh→through」などがある。 見なれた単語でも実は思いがけない意味に由来することもある。「激しく手をたたいて俳優を舞台から追い出す」という意味だったexplodeが「万雷の拍手が起こる」に変わり,やがて「爆発する」となった。また,古代ゲルマンでは悪魔に吸い込まれると病気になると考えられていたため,「吸い込まれる」という意味のsickが「病気」に変化していった。 そしてstarは「広がっている」から「空に広がっているもの」になりやがて「星」を表わすようになったという。人気俳優の「スター」の方も実は「人気が広がっているもの」に由来するらしい。
『英語教育2015年1月号』第2特集
「ジーニアス英和辞典 第5版」にみる英和辞書の変化・英語の変化 高校生にユーザーフレンドリーな訳語・訳文へ 須賀 廣 ■最近の英和辞典の特徴
一口に英和辞典といっても,よく見ると様々な違いがある。使用されている活字が異なっているし,紙質も黄色っぽかったり,白っぽかったりする。一方,共通点もある。最近の学習英和辞典は赤と黒の二色刷りが多く,また「語法」「コミュニケーション」「語源」など様々なコラムを設けて特色を出そうとしている。とりわけ,昨今はコンピュータで処理された膨大なテキストデータの集積である「コーパス」を利用した辞書編纂が主流となっている。G5も独自に構築したコーパスやCOCA等の公開されているコーパスも利用して常に使用頻度をチェックし,頻度の高いものを優先する頻度主義をとっている。 ■徹底した語義の見直し
G5ではこれまでの語義を徹底して見直し,現実に使われている英文をもとに,それに合うような日本語の語義を考えた。例えば,G4のrestrainは,
restrain動(他)@〈人〉をとり抑える,抑制する…
となっていた(以後G4・G5の例示は必要な情報のみとする)。しかし,restrainという動詞の使われ方を見ると、単に〈人〉だけでなく〈動物〉にも用いて, He restrained his dog from biting.(彼は犬が かまないように抑えていた) などのようにも言う。そこで,G5では,
restrain動(他)@(力づくで)〈人・動物など〉を取り押さえる,抑制する…
とし,用例にも「restrain a dog (動き回らないように)犬を押さえつける」を入れた。 また、richlyという副詞では、G4は次のように記述されている。
richly副@ぜいたくに、豪華に. A十分に、完全に;たっぷりと.
そして語義Aの用例として、 a 〜 deserved
punishment(まったく当然な罰) が挙げられている。日本語でも「たっぷりお仕置きをする」などということもある。しかし、やはり「十分に、完全に;たっぷりと」という語義をこの用例に使用するにはやや無理がある。そこでG5では、
richly副@ぜいたくに、豪華に. A〈色・香り・味などが〉濃厚に. B十分に、完全に;たっぷりと. Cまったく、当然;完全に(thoroughly).
と語義を4つに分け、上記の用例がすんなりと和訳できるような訳語Cを追加した。 言葉足らずのために,ユーザーがイメージしにくいような語義もある。例えば次のようなものだ。
retractable形〈車輪などが〉引き込み式の,折りたたみ式の.
retractableとは,「刃,車輪,コードなどが使用後に格納できる」という形容詞であるが,このままではそうした意味を十分に伝えることができていない。そこで次のように記述を変えた。
retractable形〈車輪などが〉格納式の,引き込み式の;〈ナイフなどが〉折りたたみ式の.
細かいことではあるが,G5ではこのような語義の見直しを随所で行っている。ribという単語を見ると「牛肉などのあばら肉」を思い出す人も多いだろう。しかし,この単語には動詞として次のような意味もある。
――動他《やや古略式》@〈人〉を〔…のことで〕からかう,ひやかす(tease)〔about, over〕‖She likes to rib her father. 彼女は父親をからかうのが好きだ.
しかし,高校生がこれを見れば,おそらく「いじめなどで,同級生などを悪意を持ってからかう,ひやかす」と受け取るのではないか。だがこのribは用例からもわかるように,悪意は全くなく,むしろ親しさからくる行動なのだ。そこでG5では次のように注記を加えた。
―動他《やや古略式》@〈人〉を〔…のことで〕からかう,ひやかす(tease)《◆悪意のないからかい方を表わす》
さらに語義順についても再点検を行った。例えば,動詞のringはG4では以下のような語義になっていた。
ring2―動自@《英》〔人に/…について/…を呼ぶために〕電話をかける. A〈鐘・ベル・金属[ガラス]製品・電話などが〉鳴る,響く;〈らっぱなどが〉鳴り響く. B〈音・声などが〉〔場所に〕響き渡る,鳴り響く.
ジーニアスは米語優先としていることから,《英》の語義が第1語義となっているのはおかしい。現に,米語系の辞書はAを第1語義としているものが多い。そこでG5では,次のように少し修正を加えた上で語義順を替えている。
ring2―動自@〈鐘・ベル・金属[ガラス]製品・電話などが〉鳴る,響く;〈らっぱなどが〉鳴り響く. A〈音・声などが〉〔場所に〕響き渡る,鳴り響く; 《正式》〈場所などが〉〔音・声などで〕鳴り響く,響き渡る. B《英》〔人に/…について/…を呼ぶために〕電話をかける.
■用例の日本語訳の見直し
語義の後に必要に応じて示す用例は、できるだけ簡潔でかつその語義の使用法がわかるものが望ましい。また,その用例につける日本語訳もやはり学習者,とりわけ高校生にとって自然でこなれた日本語であるべきである。そういう観点から、用例の日本語訳が自然な日本語になっているかを見直した。 例えば、名詞rollの語義FはG4では次のようになっている。
roll 名 C F(体に付いた脂肪などの)たるみ、かたまり‖He had great rolls of fat around his waist. 彼のお腹には脂肪によるたるみがしっかりとついていた。
この「しっかりと」は「まじまじと」という意味で、時におどけて「あくびをしているところを先生にしっかりと見られてしまった」などのように使う。しかし、本用例は特にそうした状況で使われているわけではない。G5では、次のような一般的な表現に戻した。「彼のお腹のまわりには脂肪がたっぷりとついていた.」 また,G4では名詞のruleの語義@の用例に, It was once
against the rules to kick the ball in volleyball.(バレーボールではボールをけるのは以前は反則だった) を載せている。これは正しい訳語ではあるが,「は」が多用されてぎこちない日本語になっている。G5では「バレーボールでボールをけることは以前は反則だった」に直し,すっと読める日本語にした。 さらに,G4の名詞ruinの語義B「破滅の原因,禍根」ではその用例として, Gambling will be
「his
ruing [the ruing of him].(賭事のために彼は身の破滅を招くだろう) がある。しかし,この日本語はぎごちない。G5では「賭事で彼は身を滅ぼすだろう」というすっきりした日本語に変えた。 このように英和辞典の編集は単に英語のみならず,日本語に対する編集者の感性が問われるところがある。ジーニアスは本誌のquestion box欄などを通じてユーザーの声をフィードバックし,それによって育てられてきたという歴史を持っている。今後もお気づきの点を是非お教えいただき,さらにより良いものにしていきたい。
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