(倉敷市児島稗田町岸ノ上に在ります)。
長寿の神様
磐長姫命ご神体は大きな磐の上に祭られています、この神様ほど目立たぬ方は他にいないのではないでしょうか
目立たぬどころか、むしろお気の毒のようです。主際神として祭られている神社も少ないようです。
磐長姫は大山祇神の娘で木華佐久耶姫の姉になり、磐長姫は醜女(しこめ)として語られ、木華佐久耶姫は美人として語られる。大山祇神は伊耶那岐命と伊邪那美命の子であり、天照大神、スサノウの尊の兄に当たる。
古事記
天孫(ニニギ命)が高千穂の峰に天降りした後・吾田の岬で絶世の美女に出会われた。誰の娘かと尋ねると、大山津見(祇)神の娘で名を木華乃佐久耶姫と答えた・またお前には姉妹があるかと問われ、姉の磐長姫がいますと答えた、結婚したいが如何かと聞かれ、私からわ申し上げられません、父大山祇神からお答え申しあげます。父は喜び姉の醜い磐長姫を副え多くの献上物とともにニニギノ命に捧った、命は醜い、磐長姫を見るなり親元に送り返した
神話では磐長姫のその後の消息も子孫についても解明されていないようです。
(通称岩神様と言われています)
石のように永久に生命があるように
(古事記より私の独談と偏見解釈です)
この神社裏山標高66,7メートル,約50センチ四方の花崗岩を用いた石積も見られる事などから従来磐長古墳とされていた発堀調査が1977年6月5日行われ、墳丘とみなされる高まりの北側および西側のトレンチ(壕)
とも表土下約20センチほどの流土が堆積しているのみで、その真下は風化花崗岩となり、遺構や遺物は全く検出されず、また石室等についても確認できないなど昔から磐長古墳とされていた事については、むしろ自然の地形の一部であると判断され、古墳と断定するには至らなかったと、埋蔵文化財発堀調査報告があります。
古墳発見か!!!!!!
平成9年6月
調査地稗田町字広免3890−1
参詣入口
おじさんの散歩