弘法大師の生涯と教え 1・2

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 1.誕生霊瑞 (たんじょうれいずい)


 「天地開闢(かいびゃく)して人民の道そなわり、仏法この国に伝わって因果の理あきらかに、万民を安んじ助けたまうといえども、法の実義を談じ極理を述べたるのは秘密真言の一宗なのである。ここに弘法大師と名付けたてまつる大聖あり、御誕生の時、幼少の時代、 霊瑞奇特はなはだ多く、内外の書物を博覧し、真俗の奥旨をきわめられた。
師をもとめて異国に留学し、大日如来七代目の祖師、長安青龍寺(せいりゅうじ)の恵果(けいか)和尚について両部の曼荼羅をつたえ、経論道具をもたらして京都東寺にお納めになった。秘教を宣揚して衆生(しゅじょう)を導引すること仏法渡来以後はじめてのことである。その一々の行状まことに奇特であって、見る人は大師ご入定の高志を考え、懸命の報恩をいたさねばならない。
本朝真言の高祖 贈弘法大師は讃岐の国多度郡屏風浦の人である。親は佐伯直氏、佐伯氏は景行天皇の皇子稲脊入彦命の孫、阿良都別命の子、豊島が孝徳天皇の時佐伯の姓をたまわった。祖先が日本武尊の東征に随った功により讃岐の国に地をたまわり子孫は縣令となったのである。母阿刀氏、夢に天竺の聖人飛来して懐中に入ると見て懐妊せられた。光仁天皇の宝亀五年(774年)辛酉の日、合掌して御誕生あり、はなはだ安産であった。」
(以上引用)
 
上の絵は雲に乗った天竺の聖人が母君、玉寄御前のお腹に入る様を描いております。現在の四国、善通寺の御影堂の奥殿の在る場所といわれています。母君がご懐妊されてご誕生になられます。誕生霊瑞としてお釈迦様の例と似ております。


 2.童稚奇異 (どうちきい)


 「大師御年5・6才のころ、常に八葉の蓮花に坐って諸仏と物がたりする夢をご覧になったが、ご両親にもこのことをお話しにならなかった。ご両親は大師を可愛がられること掌中の玉のようで「とうともの」と申しあげた。12才になられた時、ご両親が「わが子は昔の仏弟子であろう。天竺の聖人ふところに入る夢を見て懐妊したので、仏門に入れて出家させよう」と語られるのをお聞きになって、大いによろこばれ、遊びにも土で仏像を作り草木で堂を造って安置し、礼拝することを常とせられた。」(以上引用)

御幼名を真魚(まお)といわれ、仏縁深いと感じられておられ遊びの中にも仏を造って拝まれていました。



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