お寺の歴史

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 倉敷市の郊外で現在はJR中庄駅の南、マスカット球場がありますが、そこから西へ2キロぐらい行ったところに西の院はあります。町内会は大寺(おおじ)といいます。熊野神社と性徳院と西の院の寺社が並んで緑の多い静かな環境となっています。
 西の院は元和元年(1615年)隣の性徳院の隠居寺として開創されたのが始まりとされています。開山は性徳院の第十世の増秀法印で現在地より北へ約1キロ離れた別府(べふ)町内でした。 寛文6年(1666年)備前岡山藩池田家の支藩であった生坂藩の領地にあったために池田光政公の寛政の廃仏政策が厳しくなり廃寺の運命にありました。当時の少なかったお檀家の方々が潰されては大変と現在の場所に移転して残しました。この場所は早島、旗本戸川藩の領地で難を逃れて今日があります。有り難い事です。
 その後、法灯は連綿として受け継がれ明治には西明院と合併が出来て早島町のお檀家が入檀されました。また、明治時代にはすぐ前の山が帯江銅山として開発されて賑わい多くの人々が集まり栄えました。寺の過去帳には坑夫の方など多くの名前が記載され、境内に帯江銅山関係者の供養塔がありご供養申し上げております。
 ところが大正になって鉱山が閉山となり寂れました。  昭和30年代に近くに大きな県営、市営、企業の中庄団地が造成されて再び賑やかになってきました。


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