幽霊船の作りかた
 
 外は嵐だった。どす黒い水面が、激しく波打つ。その間を縫うように、一隻の小さな客船が移動している。どこへ行く当てもなく漂う様は、遠くから見ればボロきれが浮いているように見えるのだろう。そして今、その船内の空気は、突然の非常事態により凍りついている。
 僕の乗った客船は、太平洋上で乗っ取られているのだ。
「動くな。全員その場へ座れ。一歩でも動けば撃つ。」
 驚くほど手際よく警備員を射殺し、驚くほど効率よく僕等を操舵室に集めたその侵入者は、やはり驚くほど冷静に話しつづけている。
「全員、財布と金目のものを出せ。」
 相手は一人だから、船員・乗客で力を合わせればどうにかなる。しかし、先ほど船内で行われた放送で、彼は言ったのだ。
『この船には、爆弾が仕掛けてある。』
 金目的の犯罪で爆弾というのは怪しいが、もし本当だとすれば、待っているのは大惨事だ。先ほどから犯人が沈着なのも、きっと何らかの自信があるからに違いない。
 僕達は渋々、金品を床に投げ出した。男がチラリとこちらを見る。心臓の鼓動がスピードを増す。
 大丈夫だ。既に船は航路を離れているから、助けが来るのももうすぐだ。暴風雨さえ病めば、空からだって船に突入できる。
 そう自分に言い聞かせた。尤も、助けが来たところで、男が自暴自棄になって爆弾を作動させればそれまでだが。
 とにかくじきに助けが来る。それまでの辛抱だ。
 
 そんなことを考えていると、突然、男に飛びかかった者がいた。見たところ、まだ10代の若者である。
「何を・・・」
 僕は思わず、声を出した。じっとしていれば、いつか助けられるのだ。それなのに、なぜいたずらに男を逆上させるような真似をするのか。自分の所為で全員の命が奪われる
・・・その可能性が、考えられないのか。
 恐らくは英雄気取りでやったのだろう。大人しく自首しろだとか、わけのわからない奇声を挙げている。今、自分が置かれている状況を、間違い無く理解していない。そう言えば見た目も、『今時の若者』とは少しズレている。
「うわぁぁぁ!」
 少年が突き飛ばされた。もはや、船内の視線はそこへ釘付けになっている。男が焦って爆弾を作動させないか心配しつつ、愚かな少年を嘲笑っている。人間など冷たいものだ。誰も少年の身は心配しない。
「手間取らせやがって・・・」
 男はゆっくりと、少年の頭に拳銃を突きつけた。公開処刑。その言葉が適当だろう。
「まァいい、貴様は見せしめだ。一人死のうが二人死のうが、もう金は手に入ったからな。」
 どうやらその程度で動揺するほど細い神経の持ち主ではないらしい。爆破されない。そう解ったとたん、乗客は再び目を背けはじめた。誰も少年を助けようとはしない。
 尤も、もし彼が美青年もしくは美女ならば、話は別かもしれないが。
「誰か助けて・・・ヒィッ、ママーっ!」
 英雄気取りの少年は今にも泣きそうな顔で、命乞いをし始めた。醜態を見せたが最後、乗客たちの同情は完全に取り払われた。
 そのときだった。
「うぁぁぁぁぁぁっ!」
 少年は咆哮を挙げると、乾坤一擲、男を思い切り突き飛ばした。
「!?」
 突然の事態に男は目を見開く。
 しかし、遅かった。
 次の瞬間、彼は機械の角で頭をぶつけ、そのまま気絶した。後頭部だから、致命傷だろう。
 意外な形で、今まで船を覆っていた、緊張と言う名の氷は溶けたのだ。
「・・・。」
 僅かな沈黙の後、その場にいた全員の頬が緩む。
「やった・・・」
 しかし、喜びの叫びが半ばのまま、場は一瞬にして沈黙へと逆戻りした。
 少年が、天井に向けて発砲したのだ。
「何だ。せっかく勇敢に戦ったのに、どいつもこいつもボクのことを無視しやがって。身勝手にも程がある!」
 身勝手なのはそっちだ。勝手に我々の生命を危険に晒し、勝手に暴れて、勝手に怒って・・・。
 言い返したかったが、いかんせん、相手は男から奪った拳銃を持っている。困惑の空気が、辺りを包んだ。
「こっちにはスイッチだってあるんだ。よし、こうなったらこちらにも考えがあるぞ・・・。」
 独り言のように言うと、彼は再び、天井に向けて発砲した。
「全員動くな。その場に黙って座れ!」
 渋々座ろうとした時、扉の方で若い女性が「ヒッ・・・」と、小さな叫びを発した。
 勿論、少年は見逃さなかった。
「喋るなといったはずだ。・・・お前らは疑ってるだろうけどな、ボクは本気だぞ!」
「やめろ!」
 女性の前に、青年が立ちふさがった。新婚だろうか。青年は両手を広げて、彼女を庇う姿勢をとった。
「撃つなら俺を撃てよ!」
 行動は似ているが、これは前者と違い、英雄気取りなどではないだろう。ただ純粋に、相手を想う気持ちから出た行動のようだった。
 しかしその勇敢な行動も、おおよそ恋心など理解できないであろう少年にとっては僅かな障害でしかなかった。
「黙れって言ってるだろう!」
 半狂乱気味に叫び、少年は躊躇いもなく引き金を引く。愚か者の凶弾により、勇敢な青年は一瞬で儚い命を散らせた。弾は確実に左胸を貫いていたのだ。
「ヒロ!」
 女性が覆い被さるようにして、青年の遺体を抱き上げた。鼓動は、止まったままだ。
    運命の人の涙。それが効果を発揮するのは、お伽話の中だけなのである。
 全員の非難の視線に、さすがに後ろめたさを感じたのか、少年は焦り気味に怒鳴る。
「お前もそうなりたいのか!?泣き続けるのなら、命は無いぞ!」
「命が何よ!」
 女性は、負けじと言い返した。
「・・・。」
 僅かな間、そして轟く銃声。
「うっ。」
 女性は、恋人と重なって倒れた。
 恐ろしい犯罪者。それは知能犯でも愉快犯でもなくて、後先考えぬ狂った奴だ。
 昔どこかで聞いたせりふを、僕は頭の中で復唱していた
 一度溶けた緊張の氷は、いまや再び船内を覆い尽くしているのだ。
 
 数時間が過ぎた。
 外は嵐のまま。少年は相変わらず、わけのわからぬ言葉で怒鳴り散らしている。もう慣れたが。
 問題は、助けがまだ来ないことだった。
 もしかしたらレーダーが壊れているのではないか。・・・そんな不安が、脳裏を掠めた。
 十分にありえる。この惨劇を開始した張本人である強盗男が、装置を破壊したのかもしれない。
 だとすれば、発見される可能性すら低くなってくる。今、船員は少年に従って、陸から離れた水域を旋回しているのだ。
「・・・まずい。」
 地下水脈に等しい僅かな声で、呟いた。
 船の規模からして、食糧はそう多くは積んでいないはずだ。船員・乗客が全員で食べれば、じきに食糧難となるだろう。
 そのとき、この船内で絶対的な支配権を持つ少年は、食い扶持を減らし始めるだろう。きっと、自分の食欲を満たすためだけに。
 そうすれば必然的に、一人ずつ乗客は減っていき・・・最後には少年も含めて、誰もいなくなる。
・・・何とかしなければ。もはや、立ち止まっている時間は無い。
 再び心臓の鼓動が早くなる。冷たい汗が、たらたらと顔を流れた。
 他の乗客や船員は、気付いていないのだろうか。それとも、運命を受け入れているのか。
・・・とにかく、やれるのは僕だけだ。
 僕しかいない。
 この船の中で、僕だけなのだ。
 僕こそが、この状況を救える唯一の人間だ。
 それに対して、奴はどうだ?勝手に暴走した挙句、将来のあるカップルを殺した。
 奴は悪魔だ。悪魔は・・・退治すべきだ。
 心臓がいっそう高鳴る。体が震え始める。眼が充血するのが、自分でもわかった。
「・・・腹が減ったな。」
 呟いた瞬間、少年の身体は宙を舞い、5mほど後ろへ叩きつけられた。
 蹴ったのは、僕だ。
 すぐさま、少年が落とした拳銃を拾い上げる。落とし主の顔は、恐怖に引きつっていた。
「ざまぁみろ。」
 自分でもなぜこんな言葉が出たのかわからなかったが、とにかく、僕は容赦なく引き金を引いた。刹那、少年の眉間に穴があいた。
「ハッハッハッハ。」
 自分がなぜ笑うのか、やはり解らない。理性を失うというのは、この状態をいうのだろう。
 気がつけば、僕は少年の屍の前で異様な笑い声を挙げていた。
「・・・。」
 無論、拍手も歓声も沸きあがらない。ただ向けられるのは、呆気にとられたような、しかし僅かに非難めいた眼差し。先ほど、少年に向けられていたそれである。
 船内の空気は依然、凍りついたままだった。

「・・・。」

 僕は静かに、2、3歩引いた。乗客の目には、僕が<狂った殺人鬼>として映っているのだ。少しでも隙を見せれば、安全確保の名のもとに捕縛される。もう誰も信じられない。自分以外が敵に見える。
 ・・・そういうことか。
 ハッと我に返って、思う。
 こうして、無限に続いていくのだ。
 この船が、誰もいない幽霊船になるまで・・・この密閉された、凍りついた空間の中で・・・死の連鎖は、続いていくのだ!
 思いつつも、僕は銃を掲げていた。
 そして、叫ぶ。
「動くな。全員その場に座れ!」
 

夏なので『ちょっと怖い話』。

ホラーにしては地味すぎるため、

ジャンルはホラー風心理サスペンスということで。

競作企画『こおる』参加作品なので、

張りつめた空気を『こおる』という表現で表してみたのですが、

果たしてこれでいいのでしょうか・・・。

むしろ「背筋が凍った!」とか感じていただければ、

作者として本望なのですが。無理ですかね。

あと、小説内での無駄な殺人は嫌いなので、

これからは少なくなると思います。

(2004.8.17)

モドル