読書紹介

【教育】

私がこれまで読んでおもしろかったと思われた本を以下の紹介します。すべて私の独断と偏見によってかかれておりますが,何かのご参考になればと存じます。

【インパクト指数】 この数字は,その本を100頁に換算した場合,私が面白いと感じた頁がどのくらいあるかを示しています。計算方法は(私が面白いと感じた頁)÷(総頁数÷100)です。数字が大きいほどインパクトがあります。



『アメリカ下層教育現場」(林壮一著,光文社新書332,2008)

【インパクト指数】ノンフィクションのため測定不能

【本文から】

◆数分後,私は赴任1日目だというのに,怒鳴り声を上げねばならなかった。
「お前ら,黒板に向かって横一列に並んで座れ!!」(略)
「トイレに行きたい」と数人が立ち上がる。ポケットからMP3プレイイヤーを取り出して聴き始める者,何も告げずに教室から出て行く者,眠り出す者,クラスメイトの髪を熱心に梳かし始める女子学生,ハッキー・サック(小さな布の玉を地面に落とさないように蹴りあう遊び)に夢中になり出す男子5人,UNOを机の上に並べる女子3名・・・と,目を疑う光景が広がっていった。(P.26)

【私のコメント】

1996年に筆者はアメリカに渡った。ノンフィクション作家として書きたいテーマがあった。8時間で日給5000円というわずかな日銭を稼ぐためにメジャーリーグのレポートの仕事をしていた。そんな折,リノ市内で最も学力の低い子供たちが集まる,レインシャドウ・クミュニティ・チャーター・ハイスクールで日本文化を教える教職の話が舞い込んだ。その初日の授業が上記のような状況であった。これは日本の教育困難校の状況とよく似ている。著者はなんとか生徒とのコミュニケーションを図りながら人間関係を築いていく。結局は校長との折り合いが悪くやめることになるが,生徒との心を巧みにつかんでいる過程は日本の教育者にも参考になるだろう。



『ロケットボーイズ』(ホーマー・ヒッカム・ジュニア,武者圭子訳,草思社,2000)

【インパクト指数】小説風なので測定不能

【本文から】

◆「父さんは,どうしてぼくのことが好きじゃないの?」
おもわずそう訊いてしまってから,ぼくは自分でも驚いた。たぶんずっと前から,無意識に訊いてみたいと思っていたことだったのだろう。
母は頬でも殴られたような顔をした。しばらくだまり込んで,ぼくのした質問の意味を考えているようだった。(上巻 p.75)

◆「父さん,言っとくけど,この腐った穴のような町から出て行けたら,ぼくは二度とここへは戻らないからね」
父を傷つける言い方だった。そしてじっさい,父は傷ついたようだった。息を吸うと,手をあげかけた。ぼくは待った。言いすぎたのだ。ところが父は殴らなかった。かわりに手を膝におろして言った。
「おまえがコールウッドのことを,そんなふうに言うとは信じられん」
ぼくは即座に後悔していた。なんてことを言ってしまったんだろう?(下巻 p.185)

◆「このロケットは,どうしても父さんに飛ばしてほしいんだ」
父の顔にうれしそうな表情がひろがった。(略)父が点火レバーをまわす。コーク31号は,爆発したようなすさまじい音とともに打ちあがった。(略)ふと気づくと,驚いたことに父が粉炭の基地をはねまわっていた。帽子を手にもって振りながら,空に向って叫んでいる。「こりゃすごい!すごいぞ!」
(略)「すごいよ,父さん」激しく咳き込んで,体を揺らしている父を抱きかかえたまま,ぼくは言った。「父さんが打ち上げたロケットが,これまででいちばんすごかった」(下巻 p.305-6)

【私のコメント】

この本はよくあるサクセス・ストーリーだろうと思って読み始めた。しかし読んでいくうちにそうではないことに気づいた。これはツルゲーネフの「父と子」であり,映画「スタンド・バイ・ミー」ではないか。
「スタンド・バイ・ミー」では,アメフト選手の長男を失って失意のどん底にある両親を持つ少年が登場する。両親の心はいつも彼でなく長男を見ている。そして彼は,父が彼に向って「おまえが代わりに死ねばよかったんだ」という恐ろしい夢を見る。

この本の主人公は近眼でスポーツおんちであるため,花形アメフト選手の兄のそばでは父の覚えもよくない。しかし,母親の後押しもあって,ロケットという手段を通じて彼なりの自立が高まり,ついに父と子の和解がおとずれる。この本を「教育」の分野に入れたのはそういうことからだ。

私も中学生だったころ,思春期のエネルギーがコントロールできず,何もかもがムシャクシャしていた。そしてある日ついには父に向って,
「お父ちゃんはね,給料だけ持って帰ればいいんだよ!」
といってしまった。小学校の学歴しかない父が苦労してやっと得た公務員の職だ。6人家族を養うために,転勤もできず多くの仲間が昇進していくのをただ見ているしかなかった。そういう父に私はひどい言葉を投げつけたのだ。この本の主人公のように,私は父の手がとんでくるのを目をつぶって待った。しかし,なにもおこらなかった。おそるおそる父を見ると,父はさびしそうに笑いながら,
「そうか,給料だけ持って帰ればいいのか・・・」
といった。これは殴られるより私にはこたえた。

この本は映画化され,「遠い空の向こうに」という邦題で2000年2月に日本でも公開された。



『ヘレン・ケラーはどう教育されたか−サリバン先生の記録−』(サリバン,明治図書,1996)

【インパクト指数】10.4

【本文から】

◆子どもは生まれたときすでに人類すべての経験を内部に潜在的に受けついでもっているという説を私はますます確信するようになりました。これらの経験は写真のネガのようなもので,ことばが記憶された像を現像しあらわなものにするのです。(P.60)

◆私は常に「あなたは知的なことばや道徳的なことばの意味をどうやって彼女に教えたのですか?」という質問を受けた。私はそれは説明よりも連想や反復によって教えられたのだと考える。特に,彼女のことばの知識が少なくて説明することが不可能であった初期の授業ではそうである。(P.98)

◆女の子がつぎのように書きました,「私は新しい服をもっています。それはきれいな服です。お母さんがかわいい新しい服を作りました。私はお母さんが好きです」。(略)私は彼女(教師)に,新しい服について書いた少女は,実際にその服が好きなのかどうか尋ねました。彼女は,「いいえ,そうではないと思います。でも,子どもたちは自分に関することについて書く方が学びやすいのです」と言いました。それはまったく機械的でむずかしいことだと思われましたので,私は子どもたちがかわいそうになりました。

【私のコメント】

かつて,映画 "The Miracle Worker" (邦題「奇跡の人」)の題名,すなわち,「奇跡を作り出す人」とはヘレン自身ではなくサリバン先生のことなのだと知って驚いたことがある。
本書はDELL社「The Story of My Life」の中のサリバン女史の手紙の部分を訳したものである。ヘレン自身の自伝も感動的であるが,教師の立場から見た考え方もたいへん示唆に富む。上記のようにサリバンはチョムスキーの普遍文法やユングの元型といった観念にも通ずるような意見をすでに述べているし,本書の随所に見られる考察は今でも十分通じるところがあり,実に示唆的である。



『父性の復権』(林道義,中公新書,1996)☆☆☆☆

【本文から】

◆家族がバラバラになってしまわないためには,父親が中心にいて,原理・原則を示すことが必要である。父親がしっかりした価値観を持ち,中心となる原理を示すならば,その家族は父親を中心にしっかりとまとまることができる。

◆(父親が示す)中心となる理念は,善いものであれば,何でもよい。つまりプラスの価値を示すものであればよい。「平和を大切に」でもよいし,「皆仲良く,愛し合うことを大切に」「どんな小さな命も大切に」でもよいし,「奉仕の精神」「誠実」「質実剛健」「謙譲」「努力」など,いろいろな理念がありうる。大切なのは,抽象的な高い原理を示し,それを中心にして家族の生活全体を構成することである。

【私のコメント】

長い教師生活の中で問題行動を起こした生徒の家庭を訪問することが何度もあった。家庭の状況は一見様々に見えるが,そこには共通するパターンがあった。「父親の影の薄さ」である。母親はいるが父親の存在が全く感じられないのである。これは一体なんなのか。そうした疑問に一つの答えを本書は与えてくれた。本書はベストセラーとなったが,果たして本書がどのように読まれたかはなはだ不安である。

私は「やはり前から言っていた通り,子供は叩いて育てねばならんのだよ」という人が出現することを恐れる。本書の言っているのはそういうことではない。むしろ逆である。理念を示し,家庭の大黒柱となるには家族の尊敬を勝ち得ねばならない。単なる暴力親父では失格である。



『父性で育てよ』(林道義,PHP,1998)☆☆☆

【本文から】

◆総じて今の先生は叱り方が下手である。叱らねばならないときがある,という意識を持った教育の訓練を経てきていないからである。先生を教育する教育学の教授たちが,叱り方について研究し教える必要性を意識してこなかった。

◆石原(慎太郎)氏は,私の「司令塔」という言葉を,「母親より父親の方が重い存在だ」という自分の主張を裏付けるために使っているが,私は「母親より父親の方が重い存在だ」とは決して思っていない。母親も父親も,子どもにとっては同様に重い存在である。子どもや家族に対する責任は,父親も母親も同じように負っているし,負うべきものである。

◆石原(慎太郎)氏の「スパルタ教育」礼賛論は,男の強がりの匂いがする。真に男らしい男,真に父性のある人間は,暴力や強制を恥と感じるはずである。もちろん殴ることが100バーセント必要ないとか,いけないなどというのではない。

【私のコメント】

本書は「父性の復権」の実践編である。細かいところでは賛同しかねるところもあるが,おおむね林氏の言い分は当を得ているように感じられる。



『偏見の構造』(我妻洋・米山俊直,NHKブックス,1967)☆☆☆

【本文から】

◆偏見や差別は,親やおとなたちの言動のはしはしに現われ,子供たちに伝わり,子供は成長の過程において,徐々にそれを学ぶ。お客さまにはおじきをして,「今日は」とか「いらっしゃいませ」とかいうべきであることを学ぶのと同じように,子供は,偏見を学ぶ。

◆偏見が社会基準であり,それなりの強制力を持つ限り,あえてそれに反対することには,著しい自我の強さを必要とする。

【私のコメント】

本書はかなり以前に出版されたものである。しかし,今読み返しても得るところが多い。差別はどのようにして形成されるのか。日本人がこれまで持ってきた様々な偏見や差別を,社会心理学の立場から実にうまく説明されている。適切でわかりやすい例を挙げることにより,とかく難しくなりがちなテーマをうまく説明してくれる。私は本書のおかげで,差別問題について生徒に客観的・科学的に,説得力のある説明をすることができた。





読書案内トップへ
Home Pageへ

Copyright (C) 1998 Hiroshi Suga All Rights Reserved.