義父吉田勝太の和歌と倉敷カントリ−クラブ

吉田勝太は経済人として大成したのであるが、他方アララギ派の歌人として

歌集石鎚山(第一集)を出筆している。この中で土屋文明が推薦文をしたた

めている。それによると石鎚山には島木赤彦の精神が湿潤して、育成されて

いるとしている。

作者は此の歌集の始めに自筆で次の写真のような和歌を書いて長女に与え

ている。

[うつし世は今も昔もかなしくて国分寺の

塔たかくそびえぬ]

  『吉備王国の繁栄、そして天平の権勢の名残を止めるこの吉備路も

  今の姿はむしろ人の世の侘しさを感じる。

  勝太翁(伯父)は高く聳える五重の塔    に、 そうした物のあわれを歌に託して娘に送った。

  同じく鴨井君はあえて五重の塔を中心 からはずして周囲を取り巻くうつし世の

  喧騒から浮き出たこの静かなたたずまいの光の中に同じ物を感じた

  のではないだろうか。』 吉田晋作記

吉田は晩年に倉敷カントリークラブ(歌碑のあるゴルフ場)を作り、16番ホール

にある谷川を詠んだのが次の歌である。(倉敷カントリ−クラブに私も所属)

[いく度かつもる落ち葉にせかれつつ

よどみ流るるふゆ川のみつ]

ゆったりと流れる高梁川、巌も砕く谷川の急流などは、誰が見ても絵になり歌になる
景色であるが、このふゆ川は心して見なければ目につかない。あちらにぶつかり、
こちらで阻まれながらも、それでも流れを絶やさず、やがては大きな高梁川の流れの
縁の下の力持ちで生きている姿に目を向けた勝太翁の一見武骨そうに見えるなかにも
本心の心根の優しさの溢れた、味わい横溢した歌である。
                                      吉田晋作 記

私の所属する倉敷カントリークラブハウスと歌碑、そして其の短冊。

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