下北半島・東北

新緑の東北と下北半島の旅

東京駅から、東北新幹線(はやて19号)で盛岡へ。ここで同じ列車に連結されている秋田こまち19号へ乗り換える
(はやて号は切り離されるため。) 

秋田駅から約1時間で男鹿半島の男鹿温泉郷へ・・・

男鹿温泉郷入り口で悪い子はいねが~のなまはげが歓迎

まはげとは、秋田が誇る雪国の民俗行事である。行事は男鹿半島において、12月31日の夜か1月15日の夜に行われている。村の若者らが仮面仮装のスタイルで、鬼のようななまはげ面を被り、藁(わら)製のケラミノやケダシ、脛布(はばき)を着けて、素足に藁沓(わらぐつ)を履き、手に木製の出刃包丁を携えてこつぜんとやって来る。
このなまはげ行事は、年の折目としての年越の晩に神が訪れ人々に祝福を与えるという形をとっている。この場合のなまはげ自体は、年に一度やって来る一種の歳神(年神)なのである

翌日五能線のJR十二湖駅より鰺ヶ沢駅まで(リゾートしらがみ号)に乗車、車窓より曇天であったが日本海 沿岸の奇岩等風光明媚な景色を堪能した。

鰺ヶ沢駅よりバスでシジミで有名な十三湖を観て津軽半島・竜飛岬へ・・・
ここで、津軽海峡冬景色(石川さゆり唄)の碑又珍しい国道339号の階段国道、(362段)?を歩いて海岸まで降りる

JR十二湖駅

しらかみ青池

その他、しらかみ橅・クマゲラ編成などある

七つ瀧

車窓よりの景観

(神秘的な青池は時間の都合で見学できず残念!)

JR 鯵ヶ沢駅

竜飛岬

津軽海峡冬景色の碑・前のボタンを押すとメロデーが流れる

風が強い所なので風力発電装置が多い。

階段国道339号・自転車・自動車は通行不能

階段国道を降りた港この海面下200メートルに津軽海峡線が通っている。1988年(昭和63年3月13日開通)

青森市を抜けて馬門温泉へ

まかど温泉ホテルに飾ってあるねぶた

白神山からの湧き水、殿様もカンロ・カンロと称えた、呑んでみて美味しい水であった。

道の駅お殿水

全長338.2m、階段数362段の階段だ。「登山道」が国道という道は何本か存在するのだが、さすがに「階段」そのものが国道に指定されているのは全国探しても竜飛崎の国道339号線だけである。数ある3ケタ国道の中でも異色な『道』なのだ。階段では、一般のバイク・車で上り下りすることは出来ない。

 なぜ階段が国道に指定されたか、その経緯はよく分かっていない。
一説には、ルート設定時に担当者が現地ではなく地図上でルートを選定したという話があるが、これも真偽のほどは不明である。

ココから鰺ヶ沢まで乗車

むつハマナスラインを通って佐井港へ

仏ケ浦

仏ヶ浦」とは、如来の首、五百羅漢、一ツ仏、親子岩、十三仏観音岩、天竜岩、蓮華岩、地蔵堂、極楽浜、などの名前が付けられた岩々の総称を指す

仏ケ浦まで高速船で30分・・・

風雪厳しい津軽海峡の荒波で長い年月をかけ、自然が作り上げた、、大自然の偉大さ 、奇岩断崖美の絶景にしばし感動!・・・

遊覧船

本州最北端

大間崎

北緯41度33分、本州最北端の岬
大間崎と、北海道との距離はわずか17.5km

晴れた日には、函館市内の建物まで、くっきりと見えるそうです

本マグロの一本釣りで有名

モニュメント

霊場 恐 山

日本三大霊山 の一つに数えられ硫黄臭荒涼とした風景はその名に恥じない

悪人には、この橋が針の山に見えて
渡れないと言われる太鼓橋

三途川

開山は貞観4年(862年)開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である滋覚大師円仁862年、慈覚大師円仁は唐に留学中夢で「東へ向かうこと三十余日、霊山ありその地に仏道をひろめよ」との夢のお告げに従い、諸国を行脚そして辿り着いたのが、この地恐山であると言われている

後方は宇曽利湖

宇曽利湖畔のその場所は極楽浜と呼ばれている

血の池地獄

滋覚大師堂

本尊安置地蔵殿

六大地蔵

本堂

総門

山門

無間地獄

八角円堂

火山ガスが噴出している岩肌 危険標識

滋覚大師像

総門左に

地獄谷より総門を見る

H20/5/30 気温8度

入山は・まずこの橋を渡る 車は車道で~

古牧温泉

水に浮かぶ露天風呂、青森ヒバの香に癒される

ねぶた

三陸鉄道

久慈駅より田野畑駅まで太平洋のリアス海岸を観て浄土浜へ

一ツ仏

五百羅漢

帆かけ岩

鳳鳴山

浮湯

浄土ケ浜

小雨の陸中海岸

羅賀荘より

カッパ沼と桂松庵茶室

ホテルロビーの

 浄土ヶ浜の地名は、天和年間(1681~1684)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」 と感嘆したことから名付けられたと言われています。

陸中海岸国立公園の中心をなす浄土ヶ浜は鋭くとがった白い石英粗面岩が林立し、一つ一つ違った表情を見せて海岸を彩ります。松の緑と岩肌の白、海の群青とのコントラストはまさに絶景だ

極楽浄土を思わす光景

最終日 岩手のホテル 森の風(鶯宿)

中尊寺

中尊寺は、嘉祥3年(850)、天台宗の高僧、慈覚大師円仁によって、この地に弘台寿院という寺が開かれたことに始まるといわれています。 長治2年(1105)より、奥州藤原氏初代清衡公によって多くの堂塔伽藍が建立されました。清衡公は、前九年の合戦によって父を失い、後三年の合戦によって妻子を失うという波乱の半生をかえりみて、戦争で命を失った敵・味方の人々、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争のない平和で平等な社会をつくりたいと願いました。そしてそのためには、この地に高い文化と教養を根づかせ、さげすみによってくり返された東北地方の悲しい歴史を克服する必要がありました。「中尊寺」の寺号は、東北地方の中心という意味とも、また、たとえ辺境とされる地にあっても、今立っているその場所こそが自分にとって法界(仏さまの世界)の中心である、という意味が込められているともいわれています。この時代の唯一の建造物である金色堂には、この地方の産物である金のほか、南海産の貝や木材がふんだんに使われ、また経蔵には金や銀をつかって書写された「中尊寺経」や中国から輸入された「宋版一切経」が納められ、現在に伝えられています

H20年7月世界遺産登録予定

讃衡蔵

奥州藤原氏の遺宝・国宝・重要文化財等3000点以上収蔵され公開されている。 
       
撮影禁止

本堂

旧覆い堂

金色堂

芭蕉句碑

 弁慶堂

鐘楼

門前

ゆめやかた

弁慶の墓

夢やかたで昼食 東北新幹線 一の関駅から「やまびこ56号」で東京駅へ 
「東北秘境5日間」フルムーンの旅おつきあい有り難うございました                      
                    
                                

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稗田のおじさん

如来の首

右奥仁王の顔と闘鶏門

陸から見た天龍岩

蓬莱岩