鴻の鳥
コウノトリ0006号
巣立ちして一度も親元へ里帰りせず放浪の旅を続けている逞しい♀
兵庫県豊岡市福田地区 識別 番号 0006
2008年4月19日豊岡のコウノトリの郷の巣塔でJ0389♂とJ0384♀の子で・同年6月22日巣立ちした。
2009年8月26日再々飛来・7月31日山口県で確認以来
2008年10月25日倉敷市尾原の山里に飛来しているのを確認
夕陽に照らされて
2009年1月再飛来時はペイントが薄れて自然の色に成りかけていた
2009年8月26日 羽は純白の美鳥になり再々飛来した。
大空を舞う
池の大きな倒木に
犬など散歩の人が多くゆっくり採餌出来ない状態・
簡単な観察記録写真掲載し更新します |
2010年2月12日木見の川で確認以来行方が分からない。
2010年7月27日木見地区で飛翔姿確認
2010年8月3日ビオトープへ飛来
2010年6月島根県雲南市上島町の水田にいる情報あり。
H22年7月27日倉敷木見地区で飛翔姿確認
2014年9月29日飛来= 10月15日旅立ち
2013年10月12日飛来 10/25豊岡へ里帰り
215年10日月7日再飛来
2013年10月末岡山市北区に飛来
006号28日豊岡帰省か
元祖 鴻の郷
倉敷市児島地区に鴻の鳥との関わりがある由緒ある神社がある、下之町鴻八幡宮である ・ 神社の由来より
昔・鴻尋常小学校(現在琴浦西小)。鴻銀行等「鴻」の付いた名前が歴史に刻まれている児島にコウノトリが飛来したのは不思議ではないようにも思われる。
岡山市内に10数羽飛来2013年10月末
2010年8月3日
006号念願のビオトープへ飛来
215年10月28にj0116♀初飛来
H25年11月9日岡山市北区で
鴻八幡宮の社名の由来については、備前藩古文書の『吉備温故秘録』『備陽記』に不思議な伝承が記されています。
「この宮を鴻の宮と云う。昔この宮に大蛇がいた。又、宮山に鴻の鳥が多く巣を設け、社殿を糞で穢し、特に雛のいるときは参拝者は大蛇同様鳥も恐れていた。氏子供は嘆き、このままでは太鼓の音も絶えてわびしくなるばかりである。誠に御神力があるならば、この難から助け給えと祈った。するとその夜、氏子の夢の中に氏神が現れ、東南東の天を見るようにとお告げがあった。そこで氏子供は不思議に思いながら、神前に坐り、心を静かに待っていると、神殿が震動して大蛇が現れ、鴻の鳥の巣のある大木に登って行ったので戦いになった。鴻の鳥は次第に多く群れ集まり、遂に大蛇を突き殺した。それより、この宮を「鴻の宮」と云った。」
この伝説から、当鴻八幡宮の氏子区域、即ち「上村」「下村」「田の口村」「引網村」(現在の上の町、下の町、田の口、唐琴)を鴻の郷と言うようになります。昭和となって地域の発展と共に社務所、神饌所、神庫等を新築し、境内を整備し神社経営の基礎を固め、昭和19年県社に昇格しました。
明治の初めより産業、厄除けの守護神、現代は陸海空の交通安全、また安産の守神として信仰を集めています
飛来当時の写真
羽に黄色のペイントがマーキングされ自然らしくないが・・・
2008年10〜11月の飛来時は野鳥愛好カメラマンで山里の池の土手が連日賑った。
2010年1月 倉敷で越年してくれました餌の少ない冬場、川の土手を散歩する人が多く4キロ位離れた池と川を行き来して
採餌に励んでいます。近くの鉄塔に非難したり人が少なくなる夕暮れまで・・自然界に生きる厳しさを感じます・