トルコ


 

トルコミニデータ

共和国で言語はトルコ語 首都アンカラ
面積、77,9万キロ平方メイトル
日本の約2倍 北緯41度青森県とほぼ同じ位置 宗教は イスラム教
(99%)キリスト、ユダヤ教等
 
関西空港からイスタンブール直行便で12間30分 時差7時間サマータイム時
6時間遅れ。
通貨 トルコ・リラYTL=約97円

第一次世界大戦で敗北、オスマン帝国滅亡1923年(ケマル・パシャ)アタチュルク初代大統領がトルコ共和国の独立、政教分離・近代化に努めた後に彼は議会から「アタチュルク」(トルコの父)の称号を贈られた
日本とは親日感が深く友好な国である。

世界で唯一6本の尖塔(ミナレット)を持つモスク

イスタンブール
ブルーモスク

内部 丸天井とステンドグラス

アヤ・ソフイアモスク

イスタンブールは大小のモスクが多い。

巨大なドームと4つの鋭い尖塔を持つスレイマニエ・モスク(Süleymaniye Camii)は、金角湾の西岸にそびえ建ちイスタンブールのモスクの中でも最も美しいモスクと言われています。1550~1557年にオスマン帝国の黄金時代の有名な建築家シナンによって建てられたこのモスクは、丘の頂上にあって、中庭の四隅にそびえる4つの尖塔がその大きさを際立たせ、どこからでも人目を引きます。
内部のミフラブ(祈りのための壁のくぼみ)と説教壇はみごとな彫刻が施された白の大理石でできていて、美しいステンドガラスの窓から差し込む光は鮮やかな色に染められています。
 

スレイマニエモスクと内部丸天井 4つの尖塔は写真には入らない

直径30m高さ54mの巨大ドームが中央にそびえたつビサンチン建築の大聖堂。
現在は博物館として使われている。

公園をはさんでブルーモスクと向かい合っている

街で売られているアタチュルク肖像画入り国旗

トプカブ宮殿

ブルーのステンドグラスが美しい

地下宮殿 (イエレバタン貯水池)

ローマ帝国時代に造られた大地下貯水池、水道橋から引いた水はココに蓄えられ、トプカプ宮殿にも供給された、内部は装飾の施された約360本の柱でささえられている。
特にメドゥーサの顔が彫られた柱は有名。

ビザンティン様式の頭柱が付いた柱が、透き通った水面に、整然と立ち並ぶ姿は幻想的でした。
 この地下宮殿の奥の方に、2本の柱がメデゥーサの首を土台として建っている。 一つは、右の写真のように首が横になっており、もう一つは逆さまになっている。

メドゥーサの彫像柱

第2庭園入り口の表敬門

歴代の皇帝の住居で皇帝に贈答された宝物が展示されている 現在は宝物館で、黄金の刀剣や86カラット
のダイヤモンドなど目をみはる宝石類が並び、そのほかの建物にも貴重なコレクションが陳列されている、また庭園両奥からの海峡の眺望などが素晴らしい。

照明が水面に反射して黄金色でまぶしい

第2庭園左にはスルタン(皇帝)の生活の場であったハレムも残っている

館内は撮影禁止で残念!!!””

ダイヤモンドに魅せられて3回も入場した!!

ハレム

トプカプ宮殿よりボスボラス海峡を展望  マルマラ海と黒海を結ぶ

宝物館入り口

ホテルからのマルマラ海とイスタンブール市街

イスタンブール市街

第1ボスボラス大橋 イギリスが工事

第2ボスボラス大橋 日本が工事

H19/10

アンカラ

アタチュルクとは「トルコの父」の意味、第一次世界大戦に敗戦したトルコは、セーヴル条約によって滅亡の危機にさらされた。
そんなトルコを奇跡的に救った英雄「ムスタファ・ケマル・パシャ」が静かに眠る霊廟、今も国民的英雄とされ
厳重な警戒(持ち物検査)で国軍の衛兵が護っている。
  肖像画は紙幣にも使用されている・

塩湖

トゥズ湖

一面塩・見渡す限り塩 水辺まで大分距離があり 記念に塩と魔除けのギョロメを買う

金張りの天井

現在ココの地下に安置されている

カッパドキア

高さ数十メートルあるキノコ状等の奇岩群はまさに幻想的風景である
数百年前エルジェス山とハサン山が噴火して出来た凝灰岩層が長い年月をかけて侵食されて出来た、浸食し難い上層がキノコの傘になり、浸食しやすい下層部が円柱状に浸食され奇岩群が造形されている。

幻想・神秘的な奇岩群の自然景観は圧巻である

奇岩のあちこちには教会・修道院・洞窟住居がある、4世紀頃からキリスト教徒が住み信仰を守ていた当時のフレスコ画等も残っている

カイマルクには1964年に発見された地下8階の巨大な地下都市、イスラム教徒が迫害から逃れるためキリスト教徒が住んだ。中には居室、キチン・学校・教会等が
有り狭い通路で結ばれている、約1万5千人が暮らしていたと推定されている。

昼食の洞窟レストラン 内部が自然岩肌の文様で素晴らしく綺麗だ

ギョレメ谷

ラクダ岩

野外博物館   世界遺産

ウフララ渓谷

トルコは大理石の産地山から切り出していた

エフェソス

トルコでも指折りの古代遺跡群、ローマ時代の体育館、円形劇場、共同便所、図書館、首相官邸に相当する建築物、神殿等多彩で比較的綺麗に復元されている
2世紀以降港が土砂等で最高不能となってから衰退していった古代都市。

図書館 約1800年前12万冊の蔵書があったといわれている

古代のトイレ仕切りが無く用をたしながら会議もしていたようです でも水洗なのが驚き

当時の復元イベントが行われていた

勝利の女神・ニケ

円形劇場

アドリアヌス神殿

円形アーチが綺麗だ

聖母マリアの家

コンヤ  メブラーナ博物館  館内 撮影禁止

10世紀頃からアナトリア(小アジア)地方に多く建てられた現在のホテルやインとしての役割を果たす旅人達の宿のことをキャラバンサライ又は隊商宿と呼びます。らくだや馬やロバなどの動物の背中に荷物を乗せ、隊を組んで長い旅を続けていた商人達(キャラバン)にとって周辺に何もないようなところに建てられた宿は宮殿(サライ)のように大きく立派な建物としての印象を受けたことから、次第にキャラバンサライという名で呼ばれるようになりました。

キャラバンサライ  隊商宿   シルクロード等にある

メブラーナ教団の元 本拠地、教祖ルーミーの棺や彼の直筆コーランやマホメッドのあごひげの入った箱があり、ちさい穴からトルコの若い女性が匂いをかいでいた、私は何も感じなかった。

聖母マリアはイエスの死後に聖ヨハネと共にこの地に移り余生を送ったと言れている、このマリアの家の場所は長い間忘れられていました19世紀にドイツの修道女が場所や遺構を記録に残していました、その記録をもとにイズミールの司教がこの場所を突き止めマリアの家の跡に小さな教会がたてられ、マリア像が安置されて現在ではキリスト教徒の聖地となっている

マリア像撮影禁止

パムッカレ

パムッカレとはトルコ語で「綿の城」の意味で地中からしみでた温泉の石灰岩が崖を流れ純白の棚田のような景観が出来る不思議な趣きが有り、魅力的な美しさだ。

トロイの遺跡

ココの地に初めて集落出来たのが紀元前3000年頃青銅器文明の初期、それ以来繁栄と没落を繰り返し、アレクサンダー大王が神殿を奉納した、しかし長い年月の間この町は歴史と共に地中に埋もれてしまいました、その後ドイツ人シュリーマンがトロイの発堀に成功した。

木馬は1975年に造られた伝説上の木馬の複製で松の木で造られていて中に入れる

アジアとヨーロッパを分けるダーダネルス海峡

トルコ エーゲ海のサンセットで・・・ギュレ・ギュレ=さようなら・・・

スレイマニエモスク

稗田のおじさん

台座には古代の文字が刻まれている