クロアチア&スロベニア

H19/5・28〜6・4

関西空港=(フィンランド)ヘルシンキ=(スロヴェニア)リュブリヤーナ=ブレット=(クロアチア)・ザグレブ=プリトヴィツェ=シベニク= 
トロギル=スプリット=ドブロブニク=
(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)(モンテネグロ)コトル

帰路=ドブロブニク発=ザグレブ=アムステルダム(オランダ)=ヘルシンキ=関西空港着

行程  ( )は国名

スロヴェニアは四国位の面積の小さい国

 ブレット湖の湖畔のホテルに宿泊 到着時は雨であった。
山の緑を映し出す水面は青く輝きその周りに古城、小さな教会などが彩りを添えているスロベニア屈指の保養地でもある、ホテルの前の断崖に建つブレット城、・湖上の小島にバロック様式の聖マリア教会があり翌日小雨のなかボートで渡った、船上からの景観は一幅の絵のようだ。

ホテル前 小雨に煙るブレット城

聖マリア教会内部 鐘を鳴らすと幸運になれる。

スロベニアの首都リュブリャーナを見るとオーストリアの地方都市のように感じると思うが、第一次世界大戦後、ユーゴスラビアが作られるまでスロベニアはオーストリア領でだった、とりわけブレッド湖はオーストリアにあっても何ら不思議ではない風景だ。小さな湖に島が浮かび、背後にはユリアンアルプスが控え、まるで絵画のような美しい風景が広がっている今日は小雨で霧のユリアンアルプスが幻想的に観える。

GRAND HOTEL TOP LICE(トップ リチェ)

クロアチアの首都ザグレブ

クロアチア
カプトルとグラテツというふたつの集落がこの街の始まり、お互いにライバル関係にあったが17世紀に統合してザグレブとなり、1776年に首都が移されて発展した。都心には広場、公園、文化施設、高級料理店等、また二つの尖塔を持つゴシック大聖堂、マルコ教会、カプトルの丘から新旧の街が一望できる
世界中で一番短いケーブルカーがアッパータウンと下町を運行している、カプトルとグラテツの丘の中間にある町の中心の広場は、クロアチア独立運動家のイェラチッチの名前の広場があり広場の中央に彼の像が立っていて周囲にはカフェテリア、レストラン、デパート等で市民憩いの場として賑っていた、フリータイムで公園、など散策した。かなり治安は良いようでした。
ザグレブ中央駅夜景と昼

イェラチッチ広場

聖母被昇天教会 ザグレブのシンボル的存在高さ105mの尖塔、元々ロマネスク様式であったが
1242年モンゴル来襲により破壊されゴシック様式で再建された

聖マルコ教会

屋根を彩るモザイク装飾が美しく印象的

13世紀にゴシック様式で建てられ、18世紀に再建されて現在の形になった。1880年に造られたモザイクの屋根が特徴的。
3つの紋章がひとつになっているのがクロアチア王国の紋章右の城が描かれているのがザグレブ市の紋章です。

トミスラフ広場と夕食を食べたレストラン

(下は教会内部)

クロアチア国立劇場

カプトル地区の聖マリアの円柱

ザグレブの守護神聖マリア礼拝所

石の門内

アドリア海に面した都市 旧市街地(城壁)の街等自然景観が素晴らしい国

プリトヴィツエ国立公園

エメラルドグリーンの湖が16、大少90、を越える滝が数百メートルの高低差で形成されている。プリトヴィッツェ湖群国立公園は日本ではかなりマイナーかもしれないが、世界遺産にも登録されている、非常に美しい湖と滝がある国立公園だ。、1990年代の内戦の際に危機にさらされたが、再び整備されて毎年多くの人々がその美しい湖を一目見ようとやってきている上流地域は繊細な滝が足下を流れ、それが小さな湖にそそがれる。苔むした岩の間からしみ出す清流、木の間を縫うように流れる清流。それらはやがて一つの流れとなり、川となって、下流の湖にそそがれる。上流の繊細な流れと、下流のダイナミックな流れ。それらは全く異なった姿をしていて飽きることがない。生憎小雨まじりの中約3時間、トレッキングして園内のホテルに宿泊した、翌 早朝新緑の森を散策し数多くの野鳥の合唱を堪能した。  
公園内の神秘な美しさを言葉で表現するのは私には難しく出来ないので写真でご覧下さい。

シベニク&トロギル

クロアチアの都市では最古の町 古い教会が多い

聖ヤコブ大聖堂 ゴシックとルネサンス様式の両方を兼ね備えた     
造りに成っている
 世界遺産に登録されている                   

スプリット

クロアチア第2の都市で宮殿の一部は民家やカフェになっている 華麗なローマ遺跡が現存

ディオクレティアヌス宮殿遺跡

ローマ皇帝ディオクレティアヌスが退位後に余生を過ごしたスプリトの宮殿は、295年から10年の歳月をかけて建設された、アドリア海沿岸に残る最大のローマ遺跡です。7世紀初頭、廃墟となっていた宮殿に人が住み着き、町を形成していきました。9世紀には、コリント式の円柱に囲まれた霊廟が聖堂に改築され、13世紀にはロマネスク様式の鐘楼が加えられました。ユピテル神殿は洗礼堂に変えられ、壮大な城壁や列柱廊に囲まれた敷地内には、ゴシック、ルネサンス、バロック様式の建造物で埋まりました。しかし1991年、クロアチアの独立に際して起きた内戦でその多くが破壊されました。そして現在、ローマ遺跡は現在の街並みに溶け込みつつ、修復の完了を待っているのです  HP資料より
(ディオクレティアヌスの隠居所)
ディオクレティアヌス像と足この足を
さすると幸せに成ると言われているので 、足先が輝いている

近代的なスプリットの街

宮殿内部

宮殿内は狭い迷路のような路地が多い

魚市場

ドブロヴニク

(アドリア海の真珠と形容されている町)

クロアチアの最南端のドブロヴニク(旧市街地)は、13世紀以降に地中海の交易拠点として栄えた1667年
大地震で大きな被害を受け又1991年のユーゴスラビア内戦中破壊されましたが美しいゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式の教会 僧院、宮殿、噴水施設等市民の「自由と自治」の精神と共に大切に守って保存されている  (現在も保存、復元工事が行われていた。)

アドリア海沿岸の中心都市

レンガ色の屋根が美しい 旧市街地全景 世界遺産

旧市街地 城壁正面入り口 ピレ門

城壁内中央道リ

フランシスコ会修道院 院内にヨーロッパで3番目に古い薬局が有り付属の博物館には
修道院の宝物、や陶器の薬壷、処方箋、薬学書が展示されている

修道院の回廊

オノフリオ大噴水 湧き水利用

守護神聖ブラホ聖人

ミンチエタ要塞

大聖堂

大聖堂は沖合いで難破した英国王リチャード獅子心王が助けられ、お礼に建てたと言われる。12世紀にロマネスク様式で改築されたが、1667年の地震で倒壊した、その後イタリア人建築家らによってバロック様式で再建され1713年に現在の姿になった。
内部の宝物殿には数々の財宝が展示されている
工事中で見学出来なかった。

海側から見た旧市街地

ドブロブニク全景

展示館内、陶磁器の壷など

豪華客船が沖合いに停泊していたが 夕方出港した

コトル

(セルビア・モンテネグロ)

コトルはローマ都市アスクリビウムとして始まり、ビザンツ帝国、ハンガリー王国に支配されながらも一定の自治を保って繁栄しました。14世紀にセルビア王国のもと最盛期を迎えるも、やがてヴェネツィアの支配を受け、アドリア海の前線基地が置かれました。コトル湾に面した街は、周囲をすべて岩山に囲まれています。こうした地形に堅く守られているため、トルコ軍や海賊を撃退してコトルは栄えることができたのです。
街並みだけならクロアチアのドブロブニクに負けますが、コトルですごいのが背後の山に沿って築かれた城壁。銃眼がついた石造りの壁が、はるかな高みまで続いています。恐らく住民は町が襲撃を受けても、この山に立てこもって敵に向かうことができたのでしょう。上って行くとコトルと周辺の街、コトル湾が一望のもと。入り江があまりに深いので、いくら上っても外海は全く見えません。眼下に横たわる海が、まるで湖のように思えてしまいます

8世紀建造の時計塔 現在も動いている 正面入り口から

城壁正面入り口

山の斜面に築かれた城壁 万里の長城のようだ

クロアチア観光は短い行程で全域を観る事が出来ませんでしたが日本と違った美しい大自然、古都(旧市街地)要塞等
多くの世界遺産が国民によって保存されています、まだ日本人観光客は少ないようです、
内戦も終結し平和で安全な魅惑な国に成って我々観光客を迎えてくれました、これからの発展が期待されます。
稗田のおじさん

院内写真撮影禁止でしたので入り口の展示写真です

何処の城壁内も同じ急な階段と
狭い道

ブレット