悠久の哲学

 今回で三度目となる仏教講座です。過去二回の講座の時にも感じていたことですが、仏教の奥深さに今更ながら感心

しています。単なる宗教と言うだけでなく、人間そのものの本質に迫るような奥深さを感じます。

 日本に仏教が入って来たのはお釈迦様が亡くなって数百年が過ぎてからです。その頃の日本は戦乱に明け暮れる毎日

だったようです。天皇と天皇を取り巻く重臣達の間には骨肉の争いがありました。いつの時代も変わらない人間の欲望が

人間の弱さや醜さと絡み合って、どうしようもない権力争いの明け暮れとなっていました。

 聖徳太子はこんな状況の中に皇族の一人として生を受けました。子供の頃から、このような冷ややかな殺伐たる周辺の

状態を眺めて育ち、何とかしなければと思い悩んでおられたに違いないのです。太子が摂政の座に着かれた時、いち早く

取り組まれたのが政治体制の確立と平和の礎を築くことでした。

 仏教は教え諭すように人としてのあるべき道を説いています。それは決して押しつけではなく、自らが考え悟るように

し向けた教えです。人間は誰しも押しつけには反発を感じます。しかし、自分自身が自らの行いを振り返り納得したもの

であれば決して反発は感じません。従って、何かにぶつかったとき心から何かにすがりたいと思ったような時でないと素直

に自分の中に入っていきません。

 争いごとの全ては人間の欲から発しています。仏教はこの欲を否定することなく正面から受け止め、欲とうまく付き合って

いく方法を説いています。人間の本質を見抜いた上で書かれた教えで、禁欲を強いたものではありません。ここが仏教の

仏教たる所以ではないでしょうか。

 聖徳太子がどこまで仏教を理解され、建国間もない日本に取り入れようとされたのか定かではありません。しかし、仏教

のもつ素晴らしさを理解された上での導入だとすれば、その先見性には驚かざるを得ません。徳の高い聡明な太子であった

と言うことを考えれば、間違いなく人間というものの本質を見抜いた上での導入だったに違いないのです。

 こうして仏教は東洋の最果ての国、日本に来て様々な形で開花するのです。大陸からは鑑真をはじめ多くの高僧が訪れ、

日本からも空海を初めとする日本の頭脳とも言うべき人達が大陸に渡りました。仏教はお釈迦様の生まれたインドでも、

あるいは周辺諸国でも一時期見事に花開きましたが、持続することはありませんでした。中国でも朝鮮でも儒教の方が根を

下ろし長続きしませんでした。しかし、日本では少なくとも江戸時代までは日本の宗教として長くとどまることになったのです。

そして、仏教の要であるお寺はどこに行ってもあり、古くからその地方に於ける文化の中枢として大きな役割を任じて来ま

した。

 キリスト教やイスラム教の教義について詳しくは知りませんが、儒教と同じように人のあるべき道については戒律と言う

形で厳しく戒めているように感じています。その教えは具体的ではあるのですが、法律とあまり変わらないように思えます。

ここにキリスト教やイスラム教になじめぬ気持ちと教えの限界を感じるのです。何故、宗教であるのに争い事を止めることが

出来ないのか、何故、宗教間同士で争わなければならないのか。何故,魔女狩りのような事が起きたのか、常に疑問を

感じているところです。

 仏教でも天国と地獄の教えはありますが、これは後に仏教を広めるために考えた方便だと思います。確かに輪廻転生も

説いていますし、チベット仏教などには霊を祀るために、そのような事を説いています。しかし、それが仏教の本質だとは

思えません。キリスト教では死んだら神の元へ召されると教えています。イスラム教でも同じです。それは実に具体的で

直截な教えです。しかし、仏教ではあの世の話は全く出てきません。あると言うことすら肯定していません。それは本当の

哲学的な考え方から成り立っている宗教だからではないでしょうか。

 今の世は科学万能の時代のように見えます。全てのことは数字に置き換えられ確かな理論で組み立てられるようになって

います。しかし、肝心な人間自身については何一つ解明されていないのです。自分で自分の事が分からないのが実体です。

恐らくはいくら科学が進歩しても解明は出来ないのではないでしょうか。人間という摩訶不思議なもの、ましてや、その心の

内となると皆目分からないのが現実の姿なのです。

 しかし、仏教にはその当たりのことが明解に書かれています。すでに数千年前の昔に心という不思議な領域にスポットを

当て深遠なる考えを書き表しているのです。そして、日本に仏教がもたらされて以来、多くの高僧が仏教を理解するために

色んな角度からアプローチを試みています。

 その中に今回の講座の主人公である親鸞もいます。親鸞の教えや考えを親鸞の弟子が後にまとめた「歎異抄」というもの

があります。これが今回の講座のテーマです。先生は前回同様吉備国際大学の高橋正己先生です。率直言ってなかなか

難解な講座です。しかし、前回、前々回の講座と三回の話を聞いてきて、その体系的な奥深さには感心をしています。

 仏教は日本に来て独自の進化をしたのではないかと思っています。系譜を仏教に持つ、独自な文化として素晴らしい哲学

が花開いたのではないかと思っています。私達はともすれば外国のものや新しいものに目を奪われ勝ちですが、足下に

こんな素晴らしいものがあることに気付くべきではないでしょうか。確かに難解なところがありますので、誰かに解説をお願い

した方が良いかも分かりません。難解な事を承知の上でお勧めしたいのが仏教です。

                                                        2002年7月11日掲載      

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