友情その熱きもの

 たった二人の友情がこんな大きな輪になろうとは誰が想像したであろうか。そもそもの始まりはT君が私の住んでいた

西富井の独身寮を訪ねて来てくれた事から始まる。彼はT電力に入社し、出向先であるK火力に勤務していた。どこで

どう調べたのか分からないのだが、私が倉敷に住んでいることを知って訪ねてくれたのだった。

 彼が訪ねて来てくれた日のことは、今でも鮮明に覚えている。「誰か訪ねて来ているぞ」という寮仲間の連絡を受けて

玄関に行ってみるとT君が立っていた。彼はその頃、クラウンだったか何だったか、とにかく大きな車に乗っていた。

その車で、これから飲みに行こうというのだ。その日は別に用事もなかったので、「よし行こう」と言うことになり、彼の

なじみのスナックに行った。かなり飲んで、そこを出てから二次会に行ったのか、それともそれで終わったのかは覚えて

いないが、とにかく彼の車で寮まで送ってもらった。飲酒運転などというやかましい事があまり言われていなかった頃の

事である。

 以来、彼との友情は今日まで続いている。その間、お互いに結婚したり、彼が転勤になったりと、様々な紆余曲折は

あったのだが、彼と僕との細く長いつきあいの中で、F君が加わりK君が加わりM君が加わりN君が加わって、その上、

女性のTさん(旧姓Fさん)Hさん(旧姓Uさん)Oさん(旧姓Wさん)等、倉敷周辺に住んでいる者や、勤務地がこちらに

ある中学校時代の同級生達が次々に加わって大きな会となった。

 そんな過程の中で自然に中学校時代の同窓会の話が出て、地元の同級生を通じて同窓会を開くことにまで発展した

のだった。この会は「倉敷同窓会」と名付け、今でも不定期的に小さな同窓会を開いている。同窓会とは言いながらも

ただ集まって飲むだけの会なのだが、同級生だというだけで何でこうまでうち解ける事が出来るのだろうか。それが

同級生や幼なじみの良さというものなのかも知れない。

 しかし、幸せは長くは続かないものだ。K社に勤めていたF君がある日突然亡くなってしまった。脳卒中だった。それも

他の病気の診察日であり、病院の待合室での出来事だった。年が明けたら同窓会を開こうと話していた矢先の事だった。

聞いたときにはショックで言葉も出ないくらいだった。彼が幹事となり彼の会社の施設で同窓会を開いたのが、つい昨日

のことのような気がしてならない。伝統ある会社の施設にふさわしく、古い建物に手入れの行き届いた日本庭園が

素晴らしい施設であった。静かで落ち着いた建物の座敷で暮れなずむ庭を長めながらの歓談は得も言われぬ良い気分

のものであった。

 恒例となっている二次会に行くと、いつも彼の得意な歌が始まる。彼は中学、高校とブラスバンドをやっていた。従って、

音感は確かなものであり、その上、声が良かった。このまま歌手しても十分通用するような歌唱力を持っていた。そんな

彼がある日を境に、この世から居なくなってしまった。

 中学校の同窓会を開く際、調べてくれた同窓生の消息の中にはF君と同じように早く亡くなった同級生もたくさんいた。

我々だっていつどのような事があっても、おかしくはないような年齢になっている。そう言う意味では年齢に於いて意義ある

同窓会であったかも知れない。同窓会は多くの仲間の協力や努力があって盛大に開催することが出来た。 

 こうした事がきっかけで幼友達のKちゃんやMちゃんに巡り会うことも出来た。本当に中学校の時以来の再会であった。

久々に神辺で顔を合わせKちゃんやMちゃんのお母さんに会ったり、懐かしい思い出の場所を訪ねて歩いたり、昔住んで

いた家の大家さんに再会したり、ほんのひとときタイムスリップしたような気持ちであった。遠い存在になりかけていた神辺

が急に近くの存在に感じ始められたのも、この頃の事であった。

 以来、気のあった仲間同士が寄り集まってミニチュアの同窓会を続けている。ある時はT君の勤務先の施設であったり、

ある年はN君の勤務先の施設と、仲間のお世話になりながら楽しい会を続けている。ミニチュア同窓会には京都や明石に

住んでいるMちゃんやTちゃんも参加してくれている。

感謝の言葉もない思いである。

 そして、とうとう小学校のクラス会まで開くことになった。2002年の年明けの事だった。小学校五、六年生の担任だった

S先生のクラスであった。クラス会には遠く大津からも参加してくれた。地元のHさんやIさんやには、いつもの事ながら

本当にお世話になったと感謝している。

 これら全てT君と僕の友情が始まりであった。友情というものは果てしなく大きく、また終わりのないものだと思っている。

そして、これからも同級生みんなの友情を大切にしていきたいと思っている。

                                                    2002年5月19日掲載     

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