友歩会2004・真備

偉大なるミステリー作家、横溝正史さんが住んでいた横溝邸の前にて

 2004年3月21日、日曜日、この日は薄曇りの肌寒いお天気でした。天気予報では下り坂との事

でしたが、何とか解散するまでは雨に降られることもありませんでした。友歩会としては、今年の歩き

初めでした。本来の歩き初めは、2月29日に予定していたのですが、友歩会としては珍しく雨で流れ

てしまいました。(この日の午後は回復しました)

    

井原線川辺宿駅を後にして歩き始めた。農道の辻にはこんな石仏があった。

    

農家の庭の片隅に咲いていたラッパ水仙、そして道べりのオオイヌノフグリ

    

俗に言うホトケノザとアセビの花

民家の庭も野辺の小道も春の花でいっぱいだ。

 先に下見をしておいた井原線の川辺宿駅を出発点にしていましたので、ここに全員が集合しました。

地元、真備町からも5人参加してくれました。車を駐車し、早速、ふるさと歴史館に電話をしてみました。

地元のボランティアガイドの人に、今日のガイドを頼んでいたからです。ガイドの人はすでに来ており、

電話があるのを待っていてくれたようでした。

 川辺宿駅からふるさと歴史館まではたんぼ道でした。車の通行も少なく、開き始めた春の草花を

見ながらのウオーキングでした。のんびりとした春の田舎町の景色でした。ふるさと歴史館までは

約30分、そこには、森田さんというウエルカムガイドの方が待っていてくれる事になっていました。

 ふるさと歴史館の玄関には、初老の紳士が立っておられました。この方が森田さんでした。挨拶を

交わし、早速ふるさと歴史館の中へ案内されました。庭に面した明るいロビーには、映画の写真が

いっぱい飾ってありました。戦前から近年に至る横溝さんの小説を映画化したものでした。最近作は、

豊川悦司が金田一耕助になったものでした。歴代の金田一耕助をみると、様々な俳優がいました。

役所広司、高倉健、石坂浩二、古谷一行、変わり種では渥美清さん等もいました。また、終戦直後

の映画には片岡千恵蔵と言った時代劇俳優なども出演していました。戦後しばらくは、GHQの命令

で時代劇の撮影が出来なかったからだそうです。そんなわけで、有名俳優もミステリー映画に出演

していたようです。

 隣の展示室には横溝さんが使っていたという机や執筆道具などが展示してありました。机の横には、

奥さんの直筆による俳句がそっと添えられていました。亡くなられた横溝さんに対する奥さんの思いが

伝わってくるような二句でした。

              片づきし夫の机やこつもごり

              触れさせぬ夫の書斎や年詰る

    

ロビーで森田さんから丁寧な説明をお聞きした。お世話になりました。

    

ふるさと歴史館には古文書などがたくさん展示されていた。

そして、往時の川辺宿駅の模型が展示されていた。

横溝正史さんが愛用していた机や身の回り品。

この机から多くの作品が生まれてきた。

 また、この地には岡田藩という一万石余りの小さな藩がありました。ふるさと歴史館の横にある小高い

丘に藩の建物(陣屋)があったようです。藩主は伊東氏と言い、明治4年の廃藩置県になるまでの10代

250年間続いた藩です。国替えもなかった珍しい藩です。

 藩内には川辺宿がありました。ここは、高梁川と小田川の土砂が堆積して出来た中州に人が住み着

いたのが始まりだそうです。この地を支配した伊東氏は藩祖から4代までの40年間を、この地で過ごし

ました。その時、西国各藩の参勤交代のために本陣や脇本陣を作りました。その後、交通量が増えるに

連れて道沿い(山陽道)には茶屋や旅籠が増えていったようです。参勤交代の大藩が宿泊するときには、

臨時の旅籠として一般の民家も使われたようです。また、大雨が降って川止めとなったときには、領内の

お寺も宿舎として開放されたようです。館内には数百万円かけて作ったという宿場町の小さな模型が

展示してありました。

 森田さんの説明によりますと、ふるさと歴史館を作ったのは、館内に展示されている古文書を一ヶ所に

集めて管理するのが目的だったようです。個人が持っていては散逸してしまいます。森田さん自身も

考古学には造詣が深く、この地方の郷土史家として調査員としての活動を続けておられます。

 私達は森田さんの案内で、ここを出て周辺の案内をして貰いました。今はただの崩れかけた小さな丘と

なっているところから建物の礎石が出てくる等、思わぬところから新しい発見がたくさんあるそうです。

ここは言うまでもなく、彼の吉備真備のふるさとなのです。従って、歴史的には非常に古く、調査を

すすめれば色んな歴史的遺物が出てくるに違いありません。

    

かつて陣屋があったという小高い丘、ここには小さな神社があった。

鴨が群れる大池のほとりに安置された石仏。

    

かつて大きなお寺があったと言うところ、今は礎石の跡だけが残っていた。

昼食をさせていただいた小さなお寺の境内。

    

お寺の境内には大きな白木蓮の木があった。

そして、横溝邸の部屋からは今しも横溝さんが出てきそうな雰囲気だった。

 時間を見ると、お昼を過ぎていました。森田さんに、このまま説明を続けて貰うわけにもいきませんので、

ここでお礼を言い帰って貰うことにしました。森田さんのお世話で、お寺の境内で食事をさせて貰いました。

 食事が終わると、すぐ下にある横溝邸を訪問し、一気に箭田(やた)の方まで足を伸ばしてみることに

しました。

 箭田はタケノコで有名なところです。周辺は大きな竹林の連続でした。さすがは有名なタケノコの産地

です。そして、一山越えてしばらく歩くと「まきび公園」がありました。ここには中国風の建物が二棟あり、

中には観光物産が展示販売されていました。また、建物の周辺には中国風の庭園が作られていて、

異国情緒ある公園になっていました。観光物産の中には、地元で産する竹を使ったものがたくさん

ありました。また、地元の人がロクロで竹のコップを作っていました。

    

何故こんなところに鳥居が・・・周辺には神社も見当たらないのだが。

箭田地区は竹の産地だ。山また山は竹林ばかり。

    

ネコヤナギそしてタンポポと春の息吹を感じさせてくれる花々。

    

枯れ草の間にそっと花開いた可憐なスミレ、そして小さな川には青々とした草が生い茂っていた。

    

まきび公園にある竹工房では地元のお年寄り達が色んな竹製品を製作販売していた。

ろくろからは見事な竹製のコップが作る出されていく。

    

まきび公園に隣接する吉備寺、吉備真備の菩提寺だと言われている。

そして、特徴ある反り返った屋根と赤い柱のまきび記念館。

    

公園の山の手にある広場で記念写真

これは鉄の固まりだろうか、一抱えもありそうな大きな石が置かれていた。(この近くからは鉄鉱石を産出したと言われている)

 ここで一休みして帰路につきました。小田川の堤防まで出て、ここを何キロも歩きました。堤防から

眺めると小田川には水の流れがほとんどなく、たくさんの木が生えていました。元々、流れの少ない

川のようです。鶯の鳴き声がこれらの木々から聞こえてきます。すでに「ホーホケキョ」と達者な鳴き声

です。こうして川辺宿駅に着くまで、ずっと鶯の声と一緒でした。

    

小田川の堤防近くには大規模な浄化設備が建設中だった。

そして井原線が行き交うのどかな田園地帯。

再び川辺宿駅に到着、柔軟体操で体をほぐした後、解散。

 川辺宿駅近くで小田川と井原線が合流します。小田川の堤防を下りると駅まではあと一息でした。

この日は二万歩以上歩いていました。午後からウオーキングの距離を大幅に伸ばしていました。

駅で地元から参加した人と別れて解散しました。高梁川の堤防の上ではツバメが飛んでいました。

もうツバメたちもやってきたのです。本格的な春は、すぐそこまで来ていました。

 今回は地元ガイドの人を頼んで横溝正史のミステリー遊歩道を選んだのですが、みんなには

あまり関心がなかったようです。少し残念でした。

                                          2004年5月4日掲載

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