第四十七回ピースボート
地球一周船の旅(2)

ピースボートとは

 観光旅行も大変楽しかったのですが、何よりも楽しかったのは船内での生活でした。大抵の

人が百日もの間、何をしていたのですか。退屈だったのではないですかと聞かれます。そんな時、

どうお答えすれば良いのか言葉に窮してしまいます。質問された方の想像の中には、来る日も

来る日も何も見えない大海原を航行している船の姿しか浮かんでこないのではないかと思い

ます。そんなご質問にお答えする意味から、今回は決して退屈ではなかった船内生活について

書いてみます。

 ピースボートは平和や環境問題など色んなメッセージを世界に向けて発信しています。私達が

乗ったピースボートの最大の特徴はNGO組織が企画運営をしているところにあります。余談に

なりますが、非営利組織だとは言っても、姉妹組織のような旅行会社「ジャパングレース」が

代理業務をやっていますから、まったく非営利というわけではないと思われます。ピースボート

は発足当初から紛争地域に行って平和活動などを行ってきました。今は活動の範囲も広がり

エイズ問題、人種差別問題、貧困問題、環境問題、地雷撤去の問題、災害復旧支援等々多岐

に渡っています。

 私達が旅行中であった二〇〇四年十月二十一日から二〇〇五年一月三十日の間には二度

も大きな地震がありました。一度は新潟地方を襲った大地震です。そして、もう一度は世界的

規模のインドネシアのスマトラ沖の大地震でした。これら地震の時には船上でカンパ活動が

行われ、集まったお金は見舞金として被災地へ届けられました。

 その他にも国際エイズデーにはGETティーチャーという英語やスペイン語講座の先生達が

中心になってカンパ活動をしていました。また、ボランティアスタッフとして乗船していた若者が

描いた絵がコピーされ地雷撤去のためのカンパ金を集めるために売られていました。ユニーク

なものとしては自主企画の中でスナックを開き、売上金は地震の被災地へのカンパ金になって

いました。

 寄港地でのオプショナルツアーの中に現地交流が企画されているのもピースボートの特徴

ではないでしょうか。たとえば二番目の寄港地であるベトナムでは現地の若者達との大交流会

がありました。また、アフリカのケニアでは水先案内人として乗船したピーターさんが自分の

住んでいる村にツアー客を連れて行き現地の人との大交流会を体験させています。

 この船が着く国では過去や現在、何らかの問題を抱えていて、こうした問題をテーマにした

交流企画が組まれているようです。これらは乗船しているピースボートスタッフが担当し、乗船

までに計画を立て準備を進めて来たようです。そして、そのサポート役をしているのがピース

ボート専属の旅行会社ジャパングレースのようです。

一日の始まり

 それでは、船の一日を紹介したいと思います。船では朝七時になると船内放送があります。

朝食の準備が出来たというお知らせです。毎日欠かさず放送しているのはジャパングレースの

社員でもあり、トパーズ号の高級船員の一人でもあるAさんです。この人は船の食事の元締め

でもあり、食事の材料を調達しています。

 私達はこの放送によって目覚め食堂に行きます。むろん、目覚めの早い人やラジオ体操や

太極拳や柔軟体操をしている人はもっと早く起きています。私や家内も出来るだけ早く起きて

七階の長い廊下を何周も歩いていました。また、八階のデッキではジョギングをしている人も

いました。

 朝食の前には六階のレセプションか七階のピースボートセンター前に置かれた船内新聞を

取りに寄ります。そして、朝食は四階のトパーズダイニングルームか八階のヨットクラブに行き

ます。

 トパーズダイニングルームは一度に四、五百人は入れるような大きな食堂です。ここでは

主食としてご飯、お粥、パンがあります。その他、みそ汁、焼き魚、生卵、ゆで卵、目玉焼き、

ベーコン、ウインナー、佃煮、梅干し、ふりかけ、つけもの、野菜、果物、日によっては納豆が

ありました。

 一方、ヨットクラブの方は屋内、屋外を合わせると百人ぐらいの席はあるでしょうか。ここは

パンが主食の朝食になっていました。パンは三種類ありましたが、中でもクロワッサンが最も

人気がありました。パンの他にはチーズ、ハム、ジャム、バター、ミルク、ジュース、ヨーグルト、

果物、その他、コーヒー、紅茶でした。

一日の始まりは船内新聞から

 私達は船内新聞を読みながら食事をしていました。船内新聞は新聞局で作っていました。

新聞局はピースボートスタッフが中心になり、ボランティアスタッフがサポートする形で構成され

ていました。ほとんど毎日の事ですからその苦労は大変なものだったと思います。A3サイズの

紙の裏表に印刷されていました。表側には水先案内人の紹介や次の寄港地の記事や乗船客

のインタビュー記事等が印刷されていました。そして、裏側にはその日の自主企画や催し物が

会場毎に分けて書かれていました。スケジュールは分刻みと言っても過言ではないほど密度の

濃い内容になっていました。

 行事や催し物の主なものは水先案内人の講座、GETの先生による英語やスペイン語講座、

船内行事(たとえば運動会やクリスマスやお正月企画など)、そして、大半を占めるのはお客さん

自身が立ち上げた自主企画という色んな集まりです。

 ちなみに私はマジッククラブとPボート文クラブ、百姓したい人集まれと言った集まりに参加

していました。また、家内はエアロビクスやオカリナの練習に参加していました。エアロビクス

では自主企画の責任者の一人として指導をしていました。

 こうした集まりが毎日行われ、その上、船内行事が次から次へとありましたから退屈している

暇などまったくありませんでした。むろん、すべては参加自由ですからキャビンで寝ていても

デッキで日光浴をしていても、プールで泳いでいても、図書室で読書をしていても、気が向けば

シアターで映画を見ていても自由です。

 七階のフロアーには、この船の中心であるピースボートセンターや売店があり、図書室や

ミニ集会場等がありましたので、各種行事の準備や色んな集会、買い物客やピースボート

センター前の掲示板を見る人などで、毎日、大変な賑わいでした。

船の中は大にぎわい

 船内行事は安息日というお休みの日を除いて毎日のように色んな事が行われていました。

その一つは水先案内人という専門家による講座や公演です。水先案内人には政治、経済、

環境問題等の専門家や冒険家、色んなNGO団体の代表の他にプロの落語家お笑い芸人や

ジャグリングなどのパフォーマーがいました。水先案内人は日本人ばかりではありませんでした。

色んな国の人がいました。こんな人達が寄港地毎に乗り込んできて色んな講座や公演を行って

くれました。

 その一人が女性の落語家である古今亭菊千代さんでした。彼女は女性で初めて真打ちに

なった人で、もう何度もこの船に乗っているとの事でした。自分の高座だけでなく船内で募集

した弟子に小話やリレー落語等を教えていました。こういった講座をワークショップと言います。

 また、珍しいところでは女性の活弁士が古い活動写真を持って乗り込んできました。この活弁

に関してもワークショップが行われ、にわか活弁士がたくさん誕生しました。こうして習い覚えた

落語や活弁は発表会が開かれ、みんなに披露されました。家内は活弁のワークショップで

親しい仲間がたくさん出来ました。

 水先案内人には、それぞれ担当のピースボートスタッフがいます。また、船内からは水パと

いう水先案内人のパートナーが募集されます。パートナーになると水先案内人とピースボート

スタッフと一緒になって講座や公演の企画や準備、当日の司会や受付などを行います。私も

何人かの水先案内人のパートナーになりました。こうしたパートナーになると水先案内人と

親しく話を出来ることが何よりの楽しみでした。

 その他の船内行事で楽しかったのは何と言っても色んなお祭り企画ではないでしょうか。

GETの先生達が企画したハロウイン、ボランティアスタッフが中心になって企画実行した船上

の運動会、サンバカーニバル、ジャンボでナイト、ダンス甲子園、クリスマスパーティ、紅白歌

合戦、餅つきやお茶会などのお正月企画、ファッションショー、洋上の音楽会等々です。

 また、セイシェルやイースター島、タヒチ、パプアニューギニアといった寄港地では地元の

人達が民族音楽や踊りを披露してくれました。この他、プロの歌手の公演やトパーズ号専属

バンドと歌手による色んなショーがありましたから船上では毎日のように何かがありました。

 これを私達の日常に置き換えてみたらどうでしょうか。毎日どこかの講演やショーを見に

出かけることになります。すごいことです。船という限られた空間だからこそ出来ることかも

知れません。しかも、ほとんどの人が自分もその中に入って何かをするという参加型の企画

なのです。

 私はマジッククラブに入っていましたので二回ものマジックショーに参加しました。これが励み

になって毎日一生懸命練習しました。本当に充実した日々でした。その他、折り紙教室、絵画、

カラオケ、踊りやモーニングポエムという英語で詩を朗読するという変わった企画等もありました。

 こうして約百日間、来る日も来る日も朝早くから夜遅くまで船内は常に賑わっていました。

まるで竜宮城の中のようでした。こんな毎日でしたから、寄港地で大半の人が観光旅行へ

出かけてしまうと船の中はシーンと静まりかえっていました。そして、多くの人が日本に帰って

から当分の間、気が抜けたようになってしまいました。竜宮城から帰ってきた浦島太郎の

ような心境だったのです。

 この船に乗っていた乗客の半数近くは二十代から三十代前半の若者達でした。彼や彼女たち

は実にエネルギッシュでした。国内では怠惰な姿を見ることの多い若者達ですが、実にまじめで

どんな事にも真剣に取り組んでいました。また、私達シニア世代に対しても親しく接してくれま

した。それがうれしくて、ついついはまり込んでしまったのが私達夫婦でした。お陰で若者達の

中に友人がたくさん出来ました。

まだまだ終わらない一日

 自主企画、船内行事、公演や講座等と忙しく飛び回っていると、あっという間に一日が終わって

しまいます。一段落して太陽が西に傾く頃、デッキに出てみますと夕焼けで空が真っ赤に染まって

います。遥か下にある海面上では船に追われたトビウオが群になって四方八方に飛散していき

ます。夕焼けと水平線の雲、そしてトビウオの作り出す影は言葉では言い表せないほど幻想的

です。

 夕食は二班に分かれて行います。私達夫婦は後半食を希望していましたから十九時半から

でした。受付の男性や女性に案内されて席に着きますとボーイやウエイトレスが魚か肉か希望

を聞きに来ます。また、他の係はお酒の注文を聞きに来ます。お酒にはビール、日本酒、ワイン

がありました。これらの決済は全てボーディングカードという白い磁気カードで行います。こうして

ボーイやウエイトレスが運んでくれる料理を食べながら賑やかな食事になります。

 時には誕生会が行われます。親しい仲間とボーイやウエイトレスが一緒になって船が準備

してくれたケーキを前にハッピバースディツーユーを歌って祝ってくれます。家内も下船直前の

一月二十九日に誕生会がありました。前日の夜遅くには波へい(居酒屋)で多くの友人に祝って

貰い、その翌日には、ここトパーズダイニングルームで、ごく親しい数人の仲間に囲まれて

楽しい夕食を食べました。そして、特製のケーキで祝福して貰いました。

 夕食が終わると早速、夜の部が待っています。夜にも講座や公演がありました。また、船内

行事の多くも夜に行われました。すべての行事が終わって時計を見ると十一時や十二時と

いう事もありました。このまま部屋に帰るには何となく物足りない時には、波へいやヘミング

ウエイバーに寄って帰りました。ここへ行くと誰か知り合いがいました。また、ここでは船の

専属バンドが定期的に演奏をしていました。

おやすみなさい

 酔い覚ましに船首デッキに行ってみますと暗い夜空は満天の星でした。水平線よりわずか

上空に南十字座が輝いていました。船は赤道を越えて更に南下しているのです。こうして、

私達の一日はやっと終わりました。長い長い一日でした。船室にいるとわずかな振動と

ゆっくりとした前後左右の揺れを感じますが、船酔いになるような揺れではありません。

ゆりかごの中にいるようなゆったりとした心地よい揺れです。

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