語り足りない旅日記(ピースボートの旅 完結編)

旅立ちの日

私達の前の第46回の航海が大荒れの天候で帰港が大きく遅れてしまいました。本来ならば、

その航海ではカムチャッカに寄港する予定だったようですが海が荒れたために寄港出来ずに

帰ってきたようです。それでも東京晴海埠頭に帰ってくる時間は大幅に遅れました。

 そのために船は神戸港まで来ることが出来ず、私達はやむなく東京晴海埠頭までバスで移動

しました。もうあれから二年近くが過ぎようとしています。2004年の10月21日の事でした。

 また、神戸港に集まった私達の方も大変でした。神戸に集まる21日の前には、大型の台風

が西日本地方を通過したからです。ある人は途中の駅で足止めをくらい、ある人は暴風雨の

中を娘さんの自家用車で送って貰ったと聞いています。この台風は西日本地方に大雨をもた

らした台風で、洪水の中、孤立したバスの上で助けを待つ人達の姿が何度もニュースで映し

出されていました。

 私達夫婦は台風の被害を気にしつつ台風が来る前に家を出ました。神戸に住んでいる娘の

家で二日間を過ごし、台風一過の青空が見え始めた21日の朝早く神戸港に向かいました。

帰国後に聞いた話ですが、岡山県地方でも各地で大きな被害が出て、滅多に台風の被害など

聞いたこともない児島でも、各所に大きな被害が出ていました。幸い、我が家や近所に人の

被害などなかったのは幸いでした。

 神戸港に集まった日は、低気圧が通過した後で十月下旬とは言え蒸し暑い日でした。神戸港

には関西や中四国地方や九州から来た人達が大勢集まっていました。ここで参加者の点呼が

行われ、船が待つ東京までバスで移動しました。途中、琵琶湖の近くで昼食になりましたが、

船に着いたのは暗くなってからでした。おおよそ半日近くかかって移動したことになります。

 船は東京晴海埠頭に停泊していました。この日の宿舎は船の中でした。船の入り口近くには、

バンドマン達が歓迎の演奏をしていました。後になって分かった事ですが彼らはこの船専属の

バンドマン達でした。しかし、周辺に人影はなくバスで移動した私達だけが静かに乗り込みま

した。大きな船の中はがらんとしていて寂しいものでした。乗船した人の大半は、バスの長旅で

疲れていたのか、私達のように船の中を歩き回っているような人は居ませんでした。

 割り当てられた四階の部屋に入ると、家から送った山のような荷物が積み上げられていま

した。とりあえず寝る場所だけは何とかしなければなりませんでした。必要な荷物を取り出し

小さなロッカーと備え付けの小さなタンスの中に荷物を押し込みましたが、それでも納まりきら

なかった物はベッドの下にも押し込みました。こうしてやっと遅い夜を迎えました。

 ともあれ汗になっていましたのでシャワーを浴びました。お世辞にも立派な設備とは言えない

ような船室とシャワールームでした。シャワールームはトイレと洗面所兼用の小さな部屋でした。

この部屋で100余日過ごすのかと思ったら、いささかうんざりしてしました。シャワーを浴びたら

急激に眠くなってきました。こうして長い長い私たちの地球一周の旅は始まったのです。

 この船旅は出発の時こそ台風に追われ、台風に向かって進むような航海でしたが、まれに

みる好天に恵まれた旅でした。行く先々の全てが最高の天気で実にラッキーな旅でした。

様々な出会い

 私は、この旅を新たなる出会いの旅だったと思っています。定年後、半年もしない内の旅立ち

でした。定年後の計画も何もないまま、いきなり大きな旅に出たのです。この旅の中から新た

なる出会いが始まり、新たなる友人が出来、新たなる人生がスタートしたと言っても過言では

ありません。

 旅日記にも書いていますように、船の中での食事は大きなトパーズダイニングと言うところや

ヨットクラブというところでしました。そこでは自由に席を選ぶことが出来ました。若い人から

お年寄りまで様々な人が居ました。これらの人と入れ替わり立ち替わり一緒に食事をするわけ

ですから、当然の事ながら自己紹介があり、船に乗った経緯などの話が出ます。こうして顔見

知りになり、次ぎに会ったときにはもっと色んな話をするようになりました。こうして一人、また

一人と親しい友達が増えていきました。この辺の経緯については「地球一周旅日記」の方に

詳しく書いていますので呼んでみて下さい。

 また、船の中には水先案内人という講師や芸人さん達が次々に乗ってきます。彼らの自己

紹介が終わったら次は水先案内人パートナーという講座の準備や打合せをする仲間が募集

されます。その仲間になれば、そこには若者達がたくさん集まっていました。私は環境問題や

国際問題など興味がありましたので、幾人かのその関係の水先案内人のパートナーになりま

した。その度毎に若い仲間が増えていったのです。

 また、自主活動と称する趣味の集まりがありました。私はマジッククラブに入っていました。

家内はエアロビクスの指導をしていました。こうした活動を通じても多くの仲間が出来ました。

H.Yさんとの出会い

こうした仲間の一人がH.Yさんでした。彼女との出会いは出来過ぎた偶然が始まりでした。

スロービレッジという理想の田舎暮らしとは、どんな田舎なのだろうと言う事を若い人達と一緒

になって考えていた時、振り向くとそこにH.Yさんが興味深そうに聞き耳を立てていました。

聞けば彼女は看護婦さんをしていた事があり、戦前から保健婦の仕事をしていたと言います。

そして戦後はGHQの命令で農村の生活改善指導員をしていたという人でした。

 まったく持ってスロービレッジを構想するにはお誂えの人がいたのです。こうしてH.Yさんにも

仲間に加わっていただきスロービレッジ構想は何とかまとまりました。

 H.Yさんは定年後、鍼灸師の資格を取り鍼灸院をしていました。H.Yさんが講師になっての

「養生灸」の自主企画の資料作りのお手伝いをしたことで、ますます親しい関係になりました。

健康生きがいづくりアドバイザーの資格取得と出会い

帰国後、彼女からの手紙で彼女が「健康生きがいづくりアドバイザー」の資格を取った事を

知りました。そして私にも是非取るようにとのアドバイスがありました。その頃、帰国後の生活

もやっと落ち着き、定年後の生き方をどうしようかと考えていたときでした。

 これも何かの縁だと思い、地元で募集していた講座に申し込みました。この講座には私の

住んでいる地域からも何人かの人が受講していました。その内の一人が偶然にも私が投稿

している「みんなの雑記帳」という同好誌の仲間でした。彼も私より半年遅れで定年退職をした

という同世代の人でした。定年後をどうするのか聞いてみたところ私と同じように再就職は

せず、何か趣味を見つけたいと話していました。私の経験をあれこれ話している内に次第に

気心が知れるようになりました。

 それがきっかけで私が所属している児島文化協会に入って貰うことになりました。同じように

受講していた人の中にはY.AさんとH.Mさんが居ました。二人とも私の住んでいる児島の人

でした。この二人にも呼びかけて児島文化協会に入って貰いました。三人ともそれぞれに立派

な実績を持っている人で文化協会としても大きな戦力となりました。

活弁士「佐々木亜希子さん」と児島公演

 もう一つの出会いは、ある女性活弁士との出会いでした。佐々木亜希子さんという元NHKの

アナウンサーをしていたという若い女性です。この人が水先案内人の一人として船に乗って

きて、そのパートナーの一人になったのが家内でした。この時のパートナー達とは、私も一緒

に今も交流が続いています。佐々木さんとは、この時の出会いが縁で、児島でも活弁なるもの

を見て貰いたいという私の強い思い入れがあって、児島文化協会で取り組むことになりました。

おおよそ無理を承知で始めたことでしたが、やはり実現するまでには多くの紆余曲折がありま

した。

 佐々木さんが所属しているプロダクションとしては、ピースボートの中での知り合いだったと

言うことだけで児島の方まで出てくることには、かなり抵抗があったと思っています。私が上京

し、プロダクションの社長に会って初めて信頼して貰ったように思います。

 その時に私が泊まった鶯谷のホテルが偶然にも佐々木さん達が活弁シネマライブなるものを

始めた映画館の前でした。しかも、その隣の元キャバレーだったという建物は、大ヒットした

「シャルウイダンス」という映画の撮影に使われた建物でした。しかも宿泊したホテルはシネマ

ライブの打合せに使っていたと聞きました。偶然とは言え出来過ぎた偶然でした。そんな事が

あって何とか百五十名の入場者を集め、児島でのシネマライブは一応の成功を収めました。

第二回活弁シネマライブと仲間達

 一年目はプロダクション側の好意もあって格安料金で実現しましたが、社長と佐々木さんに

はいつも心苦しく思っていました。その後、単独での実施は難しいと思い他に一緒に取り組ん

でくれるようなところはないか探しましたが、なかなか見つかりませんでした。

 そんなわけで、二度目の上映会は諦めていました。ところが昨年、鑑賞した人の中から、

どうしても、もう一度観たいという人が現れて、その人達の情熱に後押しされて取り組むことに

なりました。その時、支援してくれたのが新しく増えた仲間達でした。「何とかなるよ、頑張って

みよう」という言葉に励まされ、実現可能な方法をもう一度模索することになりました。

 私一人では、いささか手に余るような大仕事でしたが、仲間が居ると言うことは実に心強い

ものです。新たらしい知恵も勇気も湧いてきました。こうして入場者数を増やし、多くの人に

見て貰うことによって採算も合うような方法を考えたのです。

 従って、今回は第一回目と異なり、数倍の規模で取り組むことになりました。本格的なポスター

やチラシや入場整理券も作りました。何よりも大きな会場になった時、大きなスクリーンで上映

できるのだろうかという事が問題でした。倉敷市のライフパークに聞いたらプロジェクターなら

大画面用があるとの事でした。このプロジェクターを使って試写をしてみると、大勢の観客に

対しても十分鑑賞に耐えることも分かりました。問題は難なく解決したのでした。一人でやって

きたことを三人でやる楽しさと頼もしさを感じながらの準備でした。

環境保護活動へのアプローチ

 さて、もう一つ話しておきたい事はCO2(二酸化炭素)の影響による地球温暖化等の環境

問題です。ピースボートは環境問題に関しても様々な提言を行っています。そのピースボート

の活動に対し一つだけ不満なことは、これらの取り組みの多くが海外に向けての取り組みだと

言うことです。ピースボートは国連にも評価を受けるようなNGOですが、だからと言って国内を

そのままにして国外にばかりというのは、私のように地元に根を下ろした活動をしてきたものに

とって何かしら不満に感じています。(国内ばかりというのは少し語弊があります。実際は東京

近辺など拠点となるところでは色んなイベントを行っていますし、二酸化炭素排出規制に関する

京都議定書の批准に関しても行動をしています。しかし、その運動に全国的な広がりがありま

せん。また、議会に向けての活動についても組織の中から候補者を出すとか、誰かを支援して

いるといったことを聞いたことがありません)

 従って、国外に向けて平和や環境保護を呼びかけるにしても、その足元で平和が脅かされる

ような状況にあり、CO2の削減目標が達成できないような状況の中で本来の活動と言えるの

でしょうか。私はピースボートスタッフに何度かこの質問を投げかけてみましたが何ら具体的な

回答はありませんでした。

田中優さんとの出会い

 それはさておき、ピースボートの航海中には水先案内人と称する様々な講師が乗り込んで

きて、その都度、色んな形での環境問題の提言がありました。その一人が田中優さんでした。

田中さんの研究は多岐に亘り、公務員の仕事の傍ら色んな本を出版されています。中でも

ダムの必要性に関しては現地に足を運んで調査したものだけに非常に説得力があります。

田中さんの調査によると多くのダムが底に土砂が堆積して水を溜めるという本来の機能が

なくなっているとの事でした。それよりも水田をもっと大切にして米作だけでなく水を溜めると

いう機能を見直した方が良いとも話しておられました。私自身も同じような考えを持っていた

だけに、大きく頷きながら聞いていました。

 また、講演会活動等でも活躍しておられます。田中さんの理論は誠に明快で、しかも多くの

統計資料に裏付けされた見事なものです。「環境と戦争」という一見かけ離れた現象に見える

ことでも、田中さんに語らせばなるほどと思うような説明になるのです。

 その一つはアメリカが世界で起こしている戦争についてです。アメリカの膨大な軍事費、その

軍事費の大半は日本などが買っている莫大な債権で賄われています。アメリカ人の何割かは

軍事産業に関わっていることや戦争の背景には石油の奪い合いがあると言うことを、改めて

再確認しました。

 戦争を回避するには脱石油、つまり石油に依存しない自然エネルギーや徹底した省エネで

解決できると言うこと等を色んな統計資料を元に説明されるので非常に分かりやすく説得力が

あります。

 その他、国際的な活動の広がりを持っているグリーンピースからも講師が乗ってきました。

こちらの話は環境問題に関心を持っている人ならたいてい知っているような話でしたが、環境

問題が如何に切迫した問題であるか良く分かりました。

 こうした話を聞き、更にはパタゴニアやニュージーランドなどでの氷河の縮小や消滅などの

現象を見ますと環境問題が差し迫った問題だと言うことが良く理解出来ました。帰国後、早速、

家にソーラー発電装置を設置しました。私達夫婦の年齢を考えると投資に見合うだけの発電

による回収が可能だろうかと考えましたが、船に乗る前にも一度検討したことでもあり、見聞き

したことに後押しをさせるような気持ちで踏み切りました。

 また、岡山県が募集していた「地球温暖化防止推進員」の資格も何度かの研修を受け拝命

しました。まだまだ具体的な活動を始めるには日が浅いですが、何か一つでも二つでもお役に

立てるような事が出来ればと思っています。仲間の中には環境を守るには身近な森を守ろうと

言うことでドングリやカシの木などの種から苗木を育て、広葉樹の森づくりに励んでおられる方

もいます。素晴らしい事だと思います。

 以上がピースボートで学び、話し足らなかった下船後の活動についてです。いずれにせよ、

ピースボートに乗ったことが大きな動機になっています。そして、これら全てがピースボートに

乗った事がきっかけとなって実現してきた事です。私の定年後に準備された新たなるステージ

の始まりでした。新しいステージには在職中とは異なる人達が次々に登場したのです。これら

一連の出来事に対し、今もって不思議な感に捕らわれています。

次のページには地元の同好誌「みんなの雑記帳」に投稿した旅行記を掲載しておきます。

また、新たなる活動に関しては新しいページを増やし紹介していきます。

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