遙かなる東欧の旅1

 私達夫婦は、私の定年旅行と言うことで一昨年(1999年秋)東欧の旅に出かけました。

私達夫婦が定年旅行を検討していた時、たまたま「森くに江と行くハンガリーとチェコの旅」と

いう企画がありました。山陽放送のアナウンサーである森くに江さんが主催する東欧旅行の

企画でした。総勢29名がハンガリー航空のチャーター便で岡山空港から出発しました。

 これらの国が、かって共産圏の国であった頃から、私には大変興味のある国でした。何故

興味を持つようになったのかは定かではありません。中学生の頃から、地理や歴史の勉強の

中で、何故か印象に残る国になっていました。

 そんなわけで、 多くの人がヨーロッパ旅行と言えばフランスやイタリアやイギリスを選ぶ中、

あえて東欧のこれらの国々を選んだのでした。


チェコもハンガリーも過去の歴史を引きずりながら生きている国だ

写真左から二番目の女性が今回のツアーの案内役だったカタリナさん

彼女自身はハンガリーに住み、親戚はみんなスロヴァキアにと分かれ分かれで暮らしている

 お手元にヨーロッパの地図があれば開いて頂きたいと思います。この地図の右の方に東欧

諸国の国々があります。長く共産圏であったこれらの国々は、解放後、急速に西欧化しつつ

あります。今やかつて共産圏であった様子など少しも残っていません。特にチェコの首都で

あるプラハに行ってみて、そのことを強く感じました。

 ハンガリーも積極的に外国資本を取り入れて、資本主義国として歩み始めているようです。

ハンガリーの首都ブタペスト市内でも、ソニーやパナソニック、トヨタといった日本企業の看板が

目につきますし、積極的に外国資本を取り入れて入るようです。少なくとも表向きは、かつて

この国が共産圏の国であったとは見えませんでした。

 人種的にはドイツ、フランス、イタリアなどの白人系はもとよりスラブ系、イラン系等と言った

様々な人種が混血しているように見えます。ハンガリーやチェコは歴史的な視点で眺めると、

古くは民族大移動の中から民族同士の衝突や融合を幾度となく繰り返しながら、国造りをして

きたようです。

 そして、第一次世界大戦や第二次世界大戦の暗い陰を背負って生きて来た人達でもあります。

現地ガイドをしてくれたカタリンさんも、親戚や知人の多くは川向こうのスロバキアに住んでいて

自由に行き来すら出来ないという境遇にありました。東欧諸国の国々が共通に持っている暗い

過去を背負って生きている人達でした。経済的に豊かになったとか、共産主義から解放された

からと言って、過去の歴史から完全には切り離されていないことを強く感じた旅でもありました。

 今もなお、近隣においては、セルビア人とアルバニア人の争いはありますし、ルーマニアの

貧困は終わっていません。栄光に輝くハクスブルク家の時代と、長く厳しい東西対立の冷戦時代、

歴史の光と陰とが複雑に交錯し、これらの国を形作っているようです。


宿泊したホテルの前に広がる景色

ドナウ川の向こうはブタ地区小高い丘の上にはマーチャーシュ教会や王宮、漁夫の砦など有名な遺跡が多い

ドナウ川を挟んで右がブタ地区左がペスト地区

両眼には歴史的建造物が林立している

夜のドナウ川沿いの景色

ナイトクルーズの船から眺めた経済大学の建物

ドナウ川に懸かる鎖橋(写真中央)王宮の庭から眺めたペスト地区の景色

 私達一行の旅はハンガリーの首都ブタペストから始まりました。

『私は長い夢を見ていた。農夫としてハンガリーの地に生まれ 、ヒツジを追い畑を耕し、

    ハンガリーの大地にどっかと根を下ろし生きている自分の姿を・・・』

 ハンガリーはマジャール人の国です。かつて、周辺の国の人達がフン族の国だと思い込み、

フン族の国フンガリーと言っていたのが、いつしかハンガリーと言う国名になったとのことです。

しかし、本当はフン族ではなくマジャール人が作った国なのです。かつて、スラブ系の遊牧民族

であったマジャール人達が、この地に移動をしてきて、部族国家を統一したのが国の起源だと

言われています。ガイドのカタリンさんの説明によると、ローマ字が入るまではくさび形文字を使い、

語源もヨーロッパ諸国とは全く異なる言葉を使っていたそうです。どちらかというと文法などは

日本語に近いそうです。

 そんな関係からか、日本人に対してはとても親しみを持っており、マーケットのおばさん達の

中には街を行く東洋人を見かけたら、あなたは日本人ですか中国人ですかと尋ね、日本人だと

答えると抱きしめて熱いキッスをしてくれると言います。お世辞とはいえ、うれしい話です。顔立ち

や目の色は変わってしまっていても、遠い祖先の血はつながっているいるのだとカタリナさんは

話してくれました。

    

古い建築物であるマーチャーシュ教会と教会の中、壮麗な装飾が中にも外にも施されている

 街の中には、重厚な彫刻を施した建物が大変たくさん目に付きます。近代的な建物は最近建設

されたホテル等、ほんの一握りの建物に過ぎません。街を歩く人達の服装を変え、自動車などの

乗り物を隠してしまえば、そのまま中世に逆戻りしてもおかしくないような街の景色なのです。

 多くの商店も、こういった建物をそのまま利用しており、日本の商店街や街の風景とは全く異なり

ます。歴史的な建造物も多く、教会や国会議事堂、今は博物館として利用されている宮殿等、目を

見張るような壮大で、かつ絢爛豪華な建物が多いのも特徴です。日本のような地味な建物を見慣

れている私達にとっては、圧倒されるような強烈なイメージです。こういう建造物を見ていると、多く

の歴史的変遷を経て、なお今日ある、この国の人々の強烈なエネルギーを感じずにはいられま

せん。

    

左はブタ地区の王宮に向かうケーブルカー

中の写真は建国の祖イシュトバーン王等の英雄をたたえた建国千年祈念碑

右は国会議事堂正面

ドナウ川の川沿いにある国会議事堂の金色燦然たる議会室

正面の両サイドには大きな絵が飾られている。

 マジャール人はキリスト教が入ってくるまで、自然を崇拝する宗教だったと言います。自然崇拝

は、私達日本人に今も残っています。訊いてみた訳ではありませが、ハンガリーの人達と私達には

宗教感やものの考え方にも、どこか共通点があるかも知れません。

   

隣国スロヴァキアとの国境沿いにあるエステルゴム教会

川沿いのがけの上に建っている巨大な歴史的建造物

教会の中には極彩色の壁画が描かれている

   

古い町並みの残るセンテンドレ広場、ここから国内のあちらこちらへと道が繋がっている

右の写真は途中食事をしたレストラン、共産圏時代政府の要人の別荘だった

ハンガリーのゲレデ宮殿(国宝とも言うべき建物)

ソ連軍が軍の施設として使用していたため、荒れ果てていた

表側の白い壁は修理されたもの、修理前は側面のようにぼろぼろだった

 ジプシーの奏でる哀愁を帯びたあの懐かしい音楽の響きは、私達日本人の心の琴線に触れる

ような気がします。ハンガリーでの歓迎晩餐会やハンガリー最後の夜の歌と踊り、プラハの夜の

歌と踊り、すべては民族の伝統として受け継がれてきたものやジプシーのものです。これらは宮廷

や教会では、決して奏でられることのなかった民衆そのものの歌や踊りではないでしょうか。西洋の

ものの多くは宗教音楽として発達をしてきましたが、民衆の間には、きっと長くこんな素朴な歌や踊

りが受け継がれてきたのだと思います。時に激しく、時に哀愁を帯び、時に軽やかに踊り続けられ

ます。

   

左は歓迎晩餐会での風景、右はナイトクルーズの船の中

心地よい酔いが異国情緒をいやが上にも高める

 シンバルやバグパイプ、オーストラリアのアボリジニが作るバンブーにも似た長い笛等の民族

楽器が独特の哀愁をおびたメロディーを奏でます。ビールとワインの心地よい酔いが、身体を駆け

抜けていきます。遠い国に来て疎外感を感じないのは何故なのでしょうか。

 建物も音楽もキリスト教的なものと民族的なものが、長い長い歴史の中でミックスされているよう

に見受けられます。それはスメタナが作曲した有名な「モルダウ」に最も良く表されているように思い

ます。

そしてドボルザークの「新世界」もアメリカで作曲されたとは言え、彼の心の中には、ボヘミアの雄大

な自然と、当時まだ未開であったアメリカ大陸の景色の中に、あい共通するものを感じていたの

ではないでしょうか。

 ブタペスト市内を一歩離れると、そこにはなだらかな起伏が連なるボヘミアの大地が広がります。

山並みは遙か彼方にあり、平原には深い森が散在します。道の両脇には広々とした畑が広がって

います。まるで北海道の景色を見ているようです。

広大なハンガリーの大地、なだらかな起伏の景色が続く


モルダウ川に懸かる歴史的建造物のカレル橋から眺めたプラハ城一帯

『旅人は馬の背に揺られていた。空には満天の星が輝いていた。しかし、ゆくあてのない孤独な

                     旅であった・・・』

 ブタペストからチェコの首都プラハを訪れました。私達日本人の目から見れば、ハンガリーの人も

チェコの人も何ら異なるところはないように見えます。しかし、姿形は同じに見えても、話す言葉も

違えば考え方も異なります。それぞれの国の存在をそれぞれの国の人々が強く意識しています。

 そう言えば、ボヘミアンガラスの買い物ツアーの際、多くのガラス細工の中にチャフラフスカの

サイン入りだというガラス製品を飾った棚がありました。説明を聞いた時には、何のことかピンと

きませんでした。そう言えば、かつて、チェコが共産圏の国であった頃、体操の花と言えば、

チャフラフスカであったことをすっかり忘れていました。今もなお、チャフラフスカはチェコの英雄で

あり誇りなのです。

   

聖ヴィート大聖堂の重厚な外観と建物の中のステンドグラス

   

プラハ城と広場を挟んで向かいにある建物

 壮大なプラハ城と聖ヴィート教会の建物群、今日も、お城は政務等に使用されているようです。

そして、プラハ城や教会を背にした裏町の黄金小路を抜けるとカレル橋に出ます。カレル橋を渡って

しばらく歩くと旧市街広場に出ます。

 京都と姉妹都市縁組みをしているというプラハですが、この近辺の建物の多くは18世紀頃建て

られたものであり、由緒あるものばかりのようです。巧みな彫刻で飾られた建物の建ち並ぶ様に

圧倒されながら街の中を歩きました。かつてプラハが東ヨーロッパの文化の中心であった時代も

あったということも十分うなずけます。

  

プラハの中心地とも言うべきイジー広場に面したところ

建物の博覧会とも言われるほど各時代を代表するような様式の建物が並んでいる

中央は聖イジー教会、左は有名な旧市庁舎のからくり時計

 私達日本人観光客には一見同じように見える街並みですが、よく見るとプラハとブタペストとは

異なる街の姿をしています。ただ、両都市の遺跡や建造物を見て共通して言えることなのですが、

両国とも、こういった昔の街並みや遺跡をとても大切にしているという事です。むしろ自らの文化

遺産として誇りに思っているということではないでしょうか。

   

プラハから遠く離れた森の中に聳えるコノピュチェ城とお城に続く道

城の主が集めたという武器や獣の剥製がところ狭しと展示されている

 ハンガリーのゲデレ宮殿も第二次世界大戦後、宮殿をソ連軍の宿舎に利用され、見る影もなく

荒れ果てていました。ソ連軍が撤収後は、建物の外壁を修理し、建物の中は上塗りされたペンキ

をはぎおとし、建築当時の地肌を出して、その頃と同じ様な色に塗装をし直していました。宮殿内

の調度品も周辺各国に散逸していたものを、少しずつ買い戻しているそうです。

 チェコも同じように、昔からの有名な建造物や遺跡を次々に修復しています。修復の方法も、古い

絵や写真などを元にして、昔のままに復元しています。遺跡の上に新しい建物を造るときには当時

の壁を新しい壁の一部に取り込んだり、発掘した古い遺跡を建物の中にすっぽり取り込んで、外

から見えるようにガラス張りの部屋にしたり、いろいろと工夫をしています。我が国なども遺跡保存

の方法として見習うべきところがあるように思いました。

 ヴィシュフラド(プラハ旧城)の跡には巨大な塀が残っています。ここも、あちらこちら修理中で

した。この大きな塀の中には教会があり、教会の墓地は歴史に名を残した人達がたくさん葬られて

います。有名な詩人や作曲家のドボルザーク、スメタナ等も、ここに眠っています。

 教会の裏手は塀となっており、塀の上は広い散歩道になっています。ここから望むモルダウ川の

景色は最高です。夕闇迫る川には、練習に励む若者達がボートを浮かべ、鉄橋には時折、列車が

行き交い、川岸を散歩する人が小さく見えます。まさにスメタナの愛したモルダウの景色そのものの

ように思えます。

  

スメタナやドヴォルザーク等有名な人達がたくさん葬られている墓地

右はスメタナがこよなく愛したと言われているモルダウ川の周辺

 城壁の眼下には「チムチムチェリー」の映画のように、赤い瓦の家が立ち並び、煙突からは白い煙

が出ています。まるで童話の世界そのものです。

 道ばたには大きなトチの実が落ちており、リスが木から降りてきて様子をうかがっています。雁が

頭上を渡り、冬の間近いことを感じます。ナナカマドは真っ赤に熟れて枝が重そうに垂れ下がって

います。樅の木に似た木の枝には、見たこともない真っ赤な実がいっぱいついています。

 そんな美しい穏やかなプラハ郊外のたたずまいが、この周辺にずっと広がっていました。


 チェコにはモルダウ川、ハンガリーにはドナウ川という大きな川が流れています。この川の景色も

街並み同様、どこか似ているところがありながら、よく見ると何となく異なっています。ハンガリーと

チェコ、共に小さな国でありながら、それぞれに異なった文化と歴史があるからでしょうか。

ハンガリーとチェコ(国)       ブタペストとプラハ(両国の首都)

 手先の器用さではハンガリー、チェコいずれの国も甲乙つけがたいように思います。ハンガリーは

刺繍やヘレンド陶器、チェコはボヘミアンガラス細工、それらは彼らの手先が非常に器用であること

を表しているように思えます。刺繍などは気が遠くなるほどの手間暇をかけて作られています。

これら工芸品は芸術品と行っても良いくらい素晴らしいものばかりです。ハンガリーでは、何処に

行っても刺繍や手編みの服飾品等を売っています。

      

ハンガリーはワインの国、チェコはビールの国、ビールで乾杯

チェコでのナイトディナー、ジプシーの奏でる音楽と歌と踊りに酔いしれる

 チェコもハンガリーも解放後、急速に工業立国を目指しているようですが、この器用さを生かせ

ば、先進工業国に追いつくのも、そう難しいことではないような気がします。

 ハンガリーは葡萄酒、チェコはビールが有名です。長い歴史の中で作り上げてきた伝統の味

です。どちらの国の国土もよく似ています。なだらかな起伏の大地と遠くに山並みが続いています。

どこか北海道の景色に似ているような気がします。小麦やジャガイモやトウモロコシ、ブドウなどを

栽培しているようです。

 元はと言えば、どちらの国も農業国のようです。確かに、国を発展させるには工業化も必要です

が、これだけの美しく雄大な大地を工業化のために捨てるのは、もったいないような気がします。

もともと、両国は農業国として発展してきた国ですから、今後も農業を中心に、公害のない軽工業等

で発展していく方が望ましのではないだろうかと思ったりもしました。

 しかし、一旦知った豊かな生活の味は、なかなか忘れられないものです。近隣国に経済的に豊か

なフランスやドイツ、イタリアなどの国があれば、国民の目は、自然にそちらを向いてしまうことで

しょう。その兆は、プラハに向かう朝の車の渋滞やブタペスト市内の目抜き通りを走る車の混雑にも

現れているように思えます。ハンガリー国内では、ぼろ車や年式の古い車も走っていますが、新車

も少なくありません。携帯電話を使っている人も結構目につきます。人々の生活も急速に変化して

いるようです。

 ハンガリーもチェコも、川向こうや、山一つ越えれば、ドイツなどの先進国ですから、金さえあれば

何でも手にはいるのです。以上が一週間に渡って旅行した東欧の旅の報告です。

 この文章を締めくくるに当たって、今回訪れたハンガリーやチェコがこれからも平和であることを心

から祈っています。できれば、旧ハクスブルク家の当主の願いのように、一日も早く、国境のない

ヨーロッパが実現でき、宗教上の対立も民族間の対立もない平和な日が来ることを祈っています。


 1週間の旅は、あっと言う間に終わってしまいました。私にとって旅の楽しみは、美しい景色を見た

り、珍しいものを見たり、おいしいものを食べたり飲んだりすることにもあるのですが、やはり、その

国に住んでいる人達の生活を少しでも、かいま見るのが何よりも楽しみです。次のページには、

そんな旅で見聞きした事を少しだけ書いてみます。

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