井の頭恩賜公園・ディズニーシー・山中湖

東京へ

 2004年4月12日、岡山空港から東京に向かった。この時間帯の東京便はいつ乗っても満席状態だ。

幸い月曜だったからか駐車場の方は空いていて、空港ロビー近くの駐車場へ駐車出来た。約一時間の

フライトで羽田空港に着いた。羽田空港から京浜急行で渋谷まで行き、そこから京王線で三鷹台に向か

った。この日の天候は晴れ、夏日を思わせるような日だった。

 三鷹台へは午前11時頃に着いた。駅には息子が迎えに来てくれていた。重い荷物を自転車の荷台に

載せ、彼のアパートに向かった。三鷹台の駅からは歩道さえない狭い道路を歩いた。これでも主要道路

なのか、人や自転車や車が行き交い、大変危険な道だった。

 息子の住まいは玉川上水沿いの住宅地にあった。三鷹台周辺は国木田独歩や有島武郎等、文豪と

言われる人達が住んでいたところで、今でも静かな住宅地だった。特に息子の住まいがある牟礼と言う

ところには畑も残っており、渋谷から電車で15分という場所にしては、如何にも田舎然としたところで

あった。

 玉川上水は路面から深く切れ込んだ細い流れだった。両岸には大木が林立していた。葉が茂る夏場など

は、薄暗くさえ感じられるのではないだろうか。私達が訪れた時には、大枝が切り払われ葉も落ちていた

ので明るかった。

 その川の両岸には歩道があり、通学路や散歩道、生活道路として使われていた。息子が借りている

ワンルームマンションでさえ家賃は7万円もする。従って、この周辺の土地価格はかなり高いのでは

ないだろうか。敷地いっぱいに建てている家が多いのもやむを得ないことだと思われる。

    

三鷹の街の中をこんな川が流れていた。水の流れは少なかったが周辺はまるで森のようだった。

そして、川のほとりにはこんな可憐な花も咲いていた。(諸葛菜の花)

    

周辺にはまだ畑が残っていた。東京の繁華街からそう遠くないところに、こんな景色があろうとは驚きだった。

    

玉川上水の両側には、こんな道があった。この当たりに住んでいる人達の生活道路でもあり散歩道でもあった。

そして道沿いは住宅地だった。次第に宅地開発が進んでいるようだ。

三鷹の森ジブリ美術館

 子供達に人気のあるネコバスはこの美術館にある。美術館は息子が住んでいる牟礼から玉川上水

沿いに歩いていくことが出来る場所にある。玉川上水沿いに歩いていくと井の頭恩賜公園に着く。

 この美術館は入場者を制限するために一日4回の入れ替えを行っている。従って、事前にローソンで

チケットを買い時間を待たなければならない。私達はこの日の最終回である16時からを予約していた。

それまでの間、公園内や吉祥寺界隈を歩いた。

 公園は広大な敷地を持っている。そして、園内には大きな池があった。私達が訪れた時は新緑の

季節だった。その新緑が水に影を落としてとてもきれいだった。園内には弁天様がまつられていた。

弁天様の赤い建物ともみじの新緑と池に映った周辺の景色の美しさをどう表現したら良いのだろう。

すでに桜はすっかり散っていた。すべてが大木である。池には花びらがびっしりと芥のように浮かび、

池の端に吹き寄せられていた。

 古い公園なので桜の木以外にも多くの木々が巨木になっていた。公園のはずれは吉祥寺の街だった。

公園近くの通りには、アジアやアフリカ等の輸入雑貨の店や喫茶店が並んでいて若い人達で溢れていた。

通りに面した喫茶店は実に開放的で、アメリカやヨーロッパの街角を思い出させるような雰囲気だった。

 ジブリ美術館はアニメ映画の歴史やアニメ映画の作り方などを、ジブリ作品の主人公達を使って紹介

していた。アニメを作るのは大変な仕事だ。子供の頃見たぱらぱら漫画に大変驚いた記憶がある。一枚

一枚の絵が微妙に変化していて、それが連続でめくられると動きのある絵になる。従って、絵の変化を

小さくすれば小さくすればするほど自然に近い動きになる。その代わり作業は大変だ。これを1シーン毎

に専属の人が時間を計りながら書いていくのだそうだ。アニメ作りの作業場を再現した部屋には、使い

切って小さくなった鉛筆がたくさん置いてあった。その作業が如何に大変だったかを物語るものだ。

 また、アニメ作品それぞれに特有のカラーを使っているということを耳にしたのも初めての事でした。

従って、使用する絵の具は作り替えて使っているそうだ。

 ジブリ作品は「風の谷のナウシカ」や近作の「千と千尋の神隠し」など、多くの作品を世に送り出している。

それらには一貫したテーマがある。自然と人間が共存する社会を作っていこうというテーマだ。私達は

ジブリ作品が面白いと言うだけでなく、作品のこの問いかけに真摯に答えているだろうか。

 ジブリ美術館を出た頃には大きく日は西に傾いていた。歩き疲れた足を引きずりながら元来た道を

引き返した。玉川上水沿いの道は、朝方と表情を変えていた。川沿いの木は、ことごとく枝を切り払われて

いたが、それでもなお森らしい姿を保っていた。そして、道の両脇には分譲地として家が建ち並んでいた。

    

井の頭恩賜公園は広大な敷地を有する公園だ。公園の中には大きな池がある。新緑が池に映えてとてもきれいだった。

その池の一角に弁財天をお祀りした社がある。その近くに架かった橋の上で親子仲良く。

    

古い公園だと言うことは、これらの大木を見れば分かる。何と言っても春は桜、秋は紅葉だろうか。

広大な井の頭池には散ったばかりの桜の花びらがたくさん浮いていた。

    

公園を抜けると吉祥寺へ続く。ここは若者の街のようだ。しゃれた感覚のお店が軒を連ねている。

そして街角には開放的な喫茶店があった。ここで私達はひとときを過ごし、三鷹の森ジブリ美術館へ向かった。

    

公園からの元来た道を引き返し、再び井の頭公園を通ってジブリ美術館へ

    

ジブリ美術館の屋上ではロボット兵が私達を見下ろしていた。屋上には草木が茂り小さな林になっていた。

東京ディズニーシー

 東京ディズニーランドには子供達が小さかった頃、一度遊びにきた事があった。あれから十数年が

過ぎていた。今は東京ディズニーランドの横に東京ディズニーシーが出来ている。そして、それぞれを

結ぶモノレールカーが循環線として走っている。JR舞浜駅を下車し、モノレールカーに乗り換えると

眼下にはディズニーランドらしい景色が広がってくる。

 入場券を見せて中へ入ると、目の前には大きな地球儀が水の上に浮いているようなモニュメントが

あった。そして、建物の中を通り抜けると、そこには大きな人工の池が広がっていた。人工の池とは

言いながら、とても大きな池で、向こう岸に立っている人達が小さく見える。そして、更に池の向こうには

火山が聳えていた。火山はいつも白い煙をはいていた。

 この日、私達は出来るだけ多くのショーやイベントを見ようと思っていた。この日は平日であったことと

お天気が悪く肌寒い日だった。そればかりが理由ではないのだろうが、各会場への入場も乗り物への

乗車もほとんど待ち時間の必要がなかった。そんなわけで、予定していた以上のものを見たり乗ったり

出来た。実にラッキーだった。

 午後には中央の池でショーがあった。高速で走り回るウオーターバイクが引っ張る連凧は素晴らしく

見応えのあるものだった。そして夜のショーは更に素晴らしかった。ファイナルイベントとして特別に企画

されたものであった。

ディズニーシー7つのテーマポート

 東京ディズニーシーは七つのテーマポートで構成されている。入口を入り建物の長い通路を抜けると

目の前に大きな人工の池が広がっている。ここが南フランスの港町をロマンティックに演出した「メディテ

レーニアンハーバー」だ。

 そして大きな池の向こうには巨大な人口の火山が聳えている。その火山の下にあるトンネルをくぐり

抜けると、そこには謎の天才科学者ネモ船長の秘密基地である「ミステリアスアイランド」がある。

 そこを横目に見て更に奥へ進むと急に視界が開ける。そして目の前には「アラビアンコースト」と名付け

られたアラビア風の建物群が見えてくる。「アラビアンコースト」はディズニー映画「アラジン」に出てくる

魔人ジーニーが作り出す「アラビアンナイト」の魅惑的な世界だ。

 その手前には「マーメイドラグーン」がある。人魚姫や美しい海底をテーマにした夢のように美しい世界だ。

 そして一番奥には南米のインカ遺跡を連想させるような建物が立っている。「ロストリバーデルタ」だ。

 ここを通り過ぎると未来の世界に迷い込んだような一角に出くわす。これが未来のマリーナを創造した

「ポートディスカバリー」だ。さあストームライダーに乗ってハリケーンの目の中に飛び込んでみよう。

 遠くからでも煙が見える大きな客船。これがアメリカンウオーターフロントのポートだ。巨大客船の前では

出港の準備が慌ただしく行われている。これから旅立とうとしている人達はきれいに着飾ってみんな

うきうきしている。そんな港の雰囲気がショーで存分に楽しめる。

    

ディズニーリゾートラインというモノレールカーがディズニーシーやディズニーランドを結んで循環している。

左はホームへモノレールカーが入ってきたところ。そして、モノレールカーの車内の吊革はミッキーマウスだった。

    

左はディズニーへ遊びに来た人達が利用しているホテルが集まったところ。

ディズニーシーの入口ゲートを抜けると大きな地球が吹き上げる水の上に浮いていた。

    

建物の長く暗い通路を抜けると目の前に広々とした景色が広がる。そして、黒い地肌をむき出しにした火山が聳えていた。

ミステリアスアイランドの先にある、おいしいと評判のギョウザドッグ売り場。長い列が出来ていた。

この日は少し寒かっただけにホットドッグの温かさが心地よかった。

    

ミステリアスアイランドの一角、ここは海底2万マイルで有名なネモ船長の基地だ。

そして、ミステリアスアイランドを抜けるとマーメイドランドが見えてくる。ここで一枚「はい、チーズ」

    

おとぎの国のアラビアンコーストだ。大きなモスクを思わせるような建物の前ではアラビアンナイトとお姫様が待っていてくれた。

    

ここは未来都市を思わせるような港町。不思議な形の建物が幾つも建っているポートディスカバリーだ。

    

アメリカのボストンでもこんな建物や街を見た。そんな古き良き時代のアメリカの街角風景だ。

そしてお昼にはメディテレーニアンハーバーであでやかで勇壮な水上ショーが行われた。

疾走するウオーターバイクが引っ張る連凧は素晴らしく迫力があった。

    

ベニスのゴンドラに似たボートはゆっくりと水路を進む。その間に舳先に立った若者の話が笑いを誘う。

乗り合わせたお客さんを退屈させない楽しい会話だ。

そして、アメリカンウオーターフロントでは、出港前のコロンビア号が停泊していた。

その前でミッキーマウスやドナルドダックなど、ディズニーの人気者達が繰り広げる華やかなショーが行われていた。

山中湖と富士山

 山中湖畔に着いた頃にはぽつぽつと雨が降り始めていた。とにかく昼ご飯にしようと湖畔にある食堂

「さんさい」に入った。ここのお勧めは手打ちそばや「ほうとう鍋」だった。息子は天そばを頼んだ。私達

夫婦はほうとう鍋を頼んだ。天ぷらそばのかき揚げは驚くほどの大きさだった。「ほうとう鍋」は野菜中心

の具がたくさん入っていた。ここら当たりは武田信玄ゆかりの地なので、おみやげ品として「ほうとう」を

あちらこちらの土産もの屋でたくさん売っていた。

 店を出た頃から山中湖畔は本格的な雨になってしまった。富士山はすぐ近くにあるはずなのだが、厚い

雲に覆われてしまい、まったく姿が見えなかった。仕方なく、予定を変更して山中湖高村美術館へ行くこと

にした。ここはユニークな美術館で、日本画やアールヌーヴォの美術品の他に、クラシックカーをたくさん

展示していた。美術館の一階から三階までロールスロイス等、世界の名車と言われるものがたくさん

あった。クラシックカーに関心がある人ばかりでなく、関心のない人にも是非見て頂きたい展示物だ。

 また、アールヌーヴォ関連の展示品は、ガラス製品の他、絵画など見応えのある作品がたくさんあった。

また、日本画部門は富士山が間近に見える場所らしく富士山を写生した色んな作家の作品が展示されて

いた。また、日本画壇を代表する川合玉堂等大家と言われる人達の力作が展示されていた。

 アールヌーヴォ(新しい芸術)は、19世紀にヨーロッパで広がった新しい芸術の流れで、当時、発刊されて

いたル・ジャポン・アルティスティク(芸術日本)という雑誌の影響を受けたものである。これをアールデコと

言いパリのプロヴァンスを中心に広がっていった。それまでの機械的なもの、工業的なものへの反発と、

自然なもの、植物的なものへの回帰であった。明治以降、日本から流出していった品物や浮世絵などの

影響を強く受けたと言われている。

    

カーファンならたまらないような名車と言われたクラシックカーが展示されていた。

これらは新車のように磨かれて、今でも走れそうな車ばかりだった。

これはトヨタパブリカと言って国産車の中では長く愛された大衆車であった。

私が免許を取得して間がないころ親友が譲ってくれた車でもあった。

 私達はここを出てXIV山中湖に向かった。レンタカーにはカーナビが付いていたが、残念ながらXIV

山中湖は表示されなかった。電話で聞いたが要領を得ず車をUターンさせる時、空き地の入り口に

置かれた丸い石にあわや乗り上げてしまう寸前だった。そんなハプニングもあったが予定時間よりは

早く着いた。何かしら三人とも疲れていて、ベッドに潜り込んだ途端に寝てしまった。

 一時間以上寝ただろうか。目が覚めたら18時を回っていた。食事時間は19時からだったので少し

ホテル内を散策してみることにした。ここの作りはXIV蓼科によく似ていた。

 夕食は和食を予約しておいた。XIVの食事は料理も器も立派だ。その上、従業員の接客マナーが良い。

夕食をゆっくり済ませ部屋に戻って飲み直す事にした。窓の外はすっかり暗くなっていた。夕方十分

睡眠をとったからか珍しく眠くならなかった。久々に息子をまじえゆっくりと話をした。話の中で感じる

息子の成長が頼もしかった。

    

この日、山中湖周辺は雨だった。雨に濡れたXIV山中湖の玄関口。

そして、親子水入らずの夕食、今夜のメニューはXIV自慢の日本料理だった。

 翌朝は外が明るくなって目が覚めた。カーテンを開けると昨晩の激しい雨はすっかりやんでいた。そして

山の斜面から真っ白に光る富士山の山頂がのぞいていた。富士山は意外に近くに見えた。早速、外に

出てみると本館と私達の部屋がある建物の間から富士山と山中湖が一望出来た。ホテルの女性従業員

が「今日の富士山」としてインターネットにアップロードする富士山を撮影していた。私達はもっと広がりの

ある景色が見たくなってホテルの周辺を歩いてみた。結局、本館の裏側の庭から見る富士山や山中湖

が一番きれいに見えた。

    

翌朝はすっかり雨も止んで紺碧の空と言う表現がぴったりの晴天だった。青空をバックにした富士山はやはり日本一の山だ。

私達夫婦は早速行動を開始した。こうしてXIV周辺を一周し、あらゆる場所からの美しい富士山を楽しんだ。

 いったん部屋に帰り、息子を起こして朝食に行った。食事の場所は開放的な明るい部屋だった。朝食は

バイキングだった。朝食を食べながらゆっくりとした時間が流れていく。

 朝食を済ませたら今日の行動開始だ。初めに山中湖の上にある展望台に行った。既に数台の車がいて

幾組かの団体で賑わっていた。ここからの展望はさらに素晴らしかった。昨日の雨が空の汚れを落として

青空が広がっていた。その空に富士山目指して幾筋もの飛行雲が流れていた。

    

XIV山中湖を出て富士山の眺望が楽しめる場所まで行ってみた。

既に何組もの人達が来ていてカメラを構えていた。私達も富士山を背景にして記念写真をパチリ。

    

山中湖周辺では辛夷(こぶし)や桜が咲いていた。湖畔近くに下りた頃から少し雲が懸かり始めていた。

    

山中湖畔で親子や夫婦のカップルになって写真を写した。

ここで写真を写して  植物園を目指した。しかし、春まだ浅いこの地方では花の時期には早すぎた。仕方

がないので、往復の時間の事を考えて富士スバルラインを通って富士山の五合目まで行くことにした。

私は二度目だったが、家内も息子も初めてだった。途中から山頂に雲がかかり始めた。高い山の気象は

変わりやすい。せっかくの富士山も雲がかかってしまったのでは何にもならない。しかし、雲がかかって

いたのはほんの一部で五合目の駐車場からは山頂も山中湖や周辺の景色もよく見えた。

 地元の人の話では、こんなにきれいに見える時は一年に数えるほどしかないとの事だった。昨日の大雨

が汚れをきれいに洗い流してくれたのだろうか。また、五合目から先の登山口には雪がたくさん積もって

いた。五合目は外人さん達の団体で大変な賑わいだった。こうして素晴らしい景色を十分堪能して下山

した。富士山の厳しい冬もやっと終わり、雪が融けた麓には、新緑の季節がすぐそこまで来ていた。

    

富士スバルラインを上って行くに連れ富士山は間近に迫ってくる。

そして、いよいよ五合目近くになると富士山の姿はこんなに扁平な形になってしまった。

    

五合目から上は雪だった。しかし、お天気が良かったからかさほどの寒さは感じなかった。

    

五合目登山口付近から山頂を仰ぐ。

 私達は本栖湖に向かった。途中、風穴に立ち寄った。風穴は激しい火山活動の際、流れ出した溶岩の

中のガスが抜け出た時の穴です。穴の中には天井から落ちてくる水がつららになり、地面には鍾乳洞で

見る石筍のように氷柱が立っていた。この穴は、昔、氷の貯蔵庫としても使われていたらしい。風穴は、

自然に出来たものではあっても鍾乳洞とは趣の異なる穴であった。

 穴の周辺には溶岩に根を下ろした木々が繁茂して広い森になっていた。いわゆる青木ヶ原樹海である。

一度足を踏み入れたら容易に抜け出せないと言われている。自殺者が好んで選ぶ場所である。ここから

本栖湖はすぐ近くだった。

    

青木ヶ原樹海の入口近くには、こんなに大きな洞穴があった。

風穴は溶岩と一緒に噴出した火山性のガスが抜けた跡だと言われている。

    

風穴の中は温度が低く天然の氷室だった。

そして、樹海では溶岩の上に根を下ろした木々が倒れないように互いの根を絡ませていた。

 本栖湖は富士五湖の中で一番西にある。せっかく遠い本栖湖まで来たのだが、この頃、既に富士山の

大半は雲の中に隠れてしまっていた。本栖湖に影を落とした富士山は五千円札裏側の図柄に使われて

いる。以前、会社の同僚達と来た時に見た富士山が、まさしくその景色だった。その時はコスモスを入れた

富士山を写真に写している。その時の撮影場所がどこであったのか忘れかけていたが、今回、再確認する

ことが出来た。やはりトンネルを出たところであった。湖畔には桜が咲き、辛夷が咲いていた。

 私達はここを後にして引き返した。途中、道の駅で休憩をした。そして、少し遅い昼食をとり仮眠した。

その間に風が出てきたのか富士山にかかっていた雲がみるみるうちに消えていった。そして再び雄大な

富士山を見ることが出来た。ここから見る富士山は、山中湖から見る富士山とは趣を異にしていた。

すでに午後3時を少し回っていた。私達はここを後にして一挙に中央高速へ車を走らせた。

    

本栖湖からの富士山は五千円札の図柄に使われている。

その景色を楽しみにして来たのだが、御覧のように厚い雲の中に隠れていた。

そして、本栖湖から帰る途中、立ち寄った道の駅では雲が切れ再び姿を見せた午後の富士山を見た。

品川と泉岳寺

 東京も最後の日になってしまった。やはり慣れぬ場所での寝起きは疲れてしまう。それだけ年をとった

という事だろうか。この日は息子も仕事で私達も夕方の便で帰ることにしていた。夫婦して寝泊まりさせて

貰った御礼に家内は洗濯、小生は風呂とトイレ掃除をした。

 こうして、昼近くにここを後にした。疲れた体に荷物はことのほか重かった。いったん渋谷に出て山手線

で品川に向かった。格別目的があったわけではなかったが、時間待ちのための手頃な場所がなかった

からだ。

 家内はデパートに行きたいと言うことだったので昼食後分かれて行動することにした。私は町の中を散歩

しながら行けたら泉岳寺まで行ってみたいと思っていた。しかし、レストランで聞いた話ではかなり時間が

かかるような事を言っていたので、予定した時間内に行けるかどうか不安だった。

 ここも東京の中では緑の多いところで、大通りから少し中へはいると古い家が多くお寺も多かった。

そんな一つが泉岳寺だった。歩いているうちに近くまで来ていたようで、倉敷へも来たこともあるという

中年の女性に案内して貰い泉岳寺へ着いた。泉岳寺では地元の奉賛会の人達が線香を売っていた。

お参りをする人はここで線香を買い、赤穂浪士一人一人のお墓に線香を手向ける。私は時間が

なかったのでお参りは諦めようかと思ったが、せっかくここまで来たのだからと大急ぎでお参りをした。

こうして汗をかきながら駅に引き返し、一休みして空港に向かった。

    

品川の駅前から高輪プリンスホテルに向かった。そして、裏町へ入るとこんな坂道があった。

この先はかつて本多家や井伊家の下屋敷などがあったところ。今は高輪公園になっている。

    

品川は古い町です。街の中にはたくさんのお寺があった。

その内の一つが東禅寺です。この寺は英国公使館として使われた事もあった。

    

高輪警察署(茶色の建物)の横には灯台のような建物があった。消防署の建物だった。

そして、目的地だった泉岳寺へ着いた。泉岳寺の山門が木の陰から見えていた。

この奥が赤穂浪士ゆかりの墓地になっている。この奥で線香を買ってお参りをした。

終わりに

 私達の旅はいつもの事ながらどん欲な好奇心と足にものを言わせて歩き回る旅である。今回も井の頭

恩賜公園の往復と公園内の散策、そしてジブリ美術館見学と歩数にして二万歩余り一日に歩いた。

 そして、今度は東京ディズニーシーの見物、ここでもどん欲に全てのテーマポートを回り、おまけに昼も

夜もショーを見て帰った。この日はあいにくの曇り空ではあったが一滴の雨も落ちることなく、また、平日

でもあったからか人も少なく、どのテーマポートも待ち時間なく入れた事は幸いであった。

 今回何よりだったのは、季節と天候に恵まれた事であった。季節は春から初夏にかけての一番爽やかな

季節であった。そして山中湖へ着いた夜は雨だったが、翌朝はからりと晴れ上がり素晴らしい富士山を

見ることが出来た。季節とお天気とに感謝をしながら締めくくりとしたい。

                                              2004年7月13日掲載

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