東京の下町を歩く

巨大なビル群を背景にした隅田川の豊かな流れ

近くなった東京

 夜汽車に揺られながら何時間もかかって、やっとの思いでたどり着いた東京は、もうすっかり過去のものになって

しまいました。東京オリンピックに合わせて開業した東海道新幹線が出来、その後に山陽新幹線が出来て、岡山、

東京間の時間は確実に短縮されてきました。

 そして今は、岡山空港から東京羽田空港までは一時間、あっという間の時間で行き来が出来るようになりました。

今回、行きは日本航空JALに、帰りは全日空ANAに乗りました。行きも帰りも満席でした。料金が新幹線の料金と

大差ないと言うこともあって、利用者は次第に増えているようです。その上、岡山空港は駐車料金が無料です。これも

利用者にとって大きな魅力の一つではないでしょうか。

   

岡山空港(これは東京から乗って帰ったANAの旅客機)、右の写真は羽田空港の離発着風景

 私達はインターネットでチケットの予約をしました。料金を事前に払い込みますと多少は安くなりますが、当日、空港

の窓口に行って直接購入しても結構です。私達は行きも帰りも窓口に行きました。行きは受付カウンターで係の人が

パソコンの予約確認を行ってチケットを発行してくれました。帰りにはカウンターがありませんでした。その代わりに

操作画面とお金の払い込み、チケットの発行ポケットがある機械が並んでいました。操作に慣れていない人のために

案内係の女性もいます。係の人に聞きながら画面操作していくと、残席指定の表示や払い込み金額が表示されます。

画面の指示通り座席を指定し、表示されたお金を払い込むと、予約した飛行機の座席指定チケットが出てきます。

旅行会社を通す必要もなく、まるで電車の切符を買うように自分自身の手で航空チケットを買うことができるのです。

 本当に便利になったものです。日本の国内航空もアメリカ並になったようです。数年前、アメリカに行った時には驚いた

ものでした。乗り換えた国内路線は日本のバスのような感覚の扱いでした。スチュワーデスとは言っても、日本の

ように美人で洗練された女性ではなく、ごく普通のどこにでもいるようなおばさん達でした。アメリカでは国の大きさも

あって、早くから飛行機がバス代わりの交通手段だったのです。恐らくは料金が安くなればなるほど、鉄道に代わる

交通手段になっていくのではないでしょうか。

   

左の写真は羽田空港待合室ロビーの天井から下がったモビール

右の写真は帰途の機上から眺めた富士山の姿

東京下町散策第一日目 葛飾柴又を歩く

 葛飾柴又と言えばあの「フーテンの寅さん」と寅さんのおじさんやおばさんのいる「とらや」という、だんご屋さんを思い

浮かべるのではないでしょうか。

 柴又は東京の都心から少し離れています。帝釈天をお祀りしたお寺の門前町として開けたところです。駅前には、あの

おなじみのスタイルをした「寅さん」の銅像が建っています。門前町に一歩踏み込むと、狭い道の両脇にはだんご、

おつけもの、川魚料理の店が軒を連ねています。物珍しげに店先をのぞきながら歩いていくと、あっという間に帝釈天

に着いてしまいます。門前町とは言ってもそれくらい小さな通りなのです。

   

柴又駅の寅さんの銅像、右の写真は帝釈天の山門

 帝釈天自体もそれほど大きなお寺ではありません。大きな瓶(かめ)を伏せたような手洗いで両手を清めます。地下水

を汲み上げているのでしょうか。水の冷たさが心地よく感じられます。山門にも本堂にも見事な彫刻が施されています。

帝釈天の彫刻は一見の価値のあるものばかりです。

   

帝釈天山門に施された見事な彫刻の一部、右は帝釈天の広い境内

 お寺のお参りを済まして裏手に抜けますと「山本亭」に出ます。大正末期の雰囲気を色濃く残した和洋折衷の建物

です。中庭が美しく座敷にくつろいで庭を眺めながらお茶やところてんを味わう事が出来ます。私はところてんを家内は

冷やしぜんざいを味わいました。ところてんがこんなにおいしいものだとは知りませんでした。

(「山本亭」は実業家であった山本栄之助の所有していた建物です)

   

赤い毛氈が色鮮やかだった山本亭の長い廊下と手入れの行き届いた日本庭園

 「山本亭」を出ると「川甚」という有名な川魚料理の料亭の脇を通り江戸川に出ます。江戸川の堤防から眺める景色は

寅さんの映画や金八先生のテレビドラマ冒頭のシーンに良く似た景色です。なだらかな堤防を下ると「矢切の渡し」に

着きます。この日は人影も少なく舟も動いてはいませんでした。渡し場の柳の木が涼しげに風に揺られていました。

「連れて逃げてよ、付いておいでよ・・・♪」おなじみの歌謡曲のフレーズですが、景色はといえば、あまりにもあっけん

からんとしていて渡し船が繋いでなければ、ただの堤に過ぎないような寂しい佇まいです。

   

映画の一場面を思い出させる江戸川の土手と矢切の渡

 私達と同じように流れのすぐ側まで来て、すぐに引き返す人が多かったようです。私達も写真を二、三枚写して、ここを

後にしました。時間は正午を少し回っていました。門前町の「とらや」さんに入りました。表ではだんごを売っており中は

食堂になっていました。店内には一作目からの映画ビラや、この店を訪れた有名人達が書き残した色紙などが飾られて

いました。また、奥の方には映画の中でしばしば出てくる二階へ続く階段が添え書きと共に残されていました。

    

参道には色んなお店やさんが並んでいる、有名なとらやさんの食堂に貼られていた映画のスチール

 おなじみの草だんごはおみやげ用として箱に詰められ、たっぷりとあんこを塗られて店頭に並べられていました。

柴又では田舎臭さの残る古き良き時代の雰囲気がそのまま残っており、そこに暮らす人々の生活を間近に垣間見る

事が出来るような気がしました。

東京下町散策二日目 

深川界隈を歩く

 地下鉄大江戸線森下駅で下車し、地上に出るとむっとするような蒸し暑さでした。駅の近くのパン屋さんで朝食用の

パンを買って歩き始めました。地図を見て海だと勘違いしていたのは実は隅田川でした。

 隅田川に向かって歩いていると深川明神宮に着きました。そういえば街角のあちらこちらに夏祭りを知らせるビラが

貼ってありました。下町の派手なお祭りを想像していただけに質素なお宮の佇まいに驚きました。横に幼稚園があり、

お宮の境内と同じ敷地になっています。鳥居をくぐると両脇には車庫のような建物が並んでいます。大きな戸には

色鮮やかにお祭りのシーンが描かれていました。恐らくは御神輿が何基も収納されているのではないでしょうか。

 下町の風情を感じさせるような町並みが続きます。小さな会社があちらこちらで細々とした商売を続けているようです。

   

深川界隈の静かなたたずまいと清澄公園の入口にあったキササゲの実

大阪の下町でも見かけた風景です。こんな町の中を歩いていくとやがて芭蕉記念館に着きます。この周辺は松尾芭蕉が

こよなく愛した下町なのです。深川と言えば粋なことで知られた深川芸者でも有名なところです。船着き場があり、船宿が

あり、川魚料理の店があり、新内流しの三味線と歌が聞こえたりした、在りし日の江戸の情緒がここにはあったのです。

残念ながら今の深川でそれを感じる事は出来ません。

 芭蕉記念館の庭には芭蕉ゆかりの植物が所狭しと植えられていました。この日は平日でもあったせいか訪れる人も

なく静かな館内でした。芭蕉や芭蕉ゆかりの人達の遺品が展示されています。俳句をする人だけでなく一度は訪ねて

見たい記念館です。

   

こじんまりとまとまった芭蕉記念館の庭と近くにある芭蕉稲荷

 記念館の小さな庭を抜けると隅田川に抜けます。海抜0メートル地帯と言われるこの地帯は、増水や潮位の高いとき

のため堤防を高くしています。従って、コンクリート製の無粋な壁を登らないと川縁に出ることは出来ません。堤防の

外側には隅田川が流れ、川の畔は公園になっています。私達は高層ビルを背景にした東京の町を眺めながら遅い

朝食を取りました。この景色はなかなか捨てがたい景色です。川には艀(いかだ)が行き交い、大型の観光船も下って

いきます。都会の喧噪さとは異なった雰囲気のある景色でした。

   

隅田川には色んな船が行き交っている、右は芭蕉の銅像が置かれた芭蕉庵史跡展望公園

 芭蕉庵史跡展望庭園という小さな庭園には松尾芭蕉の銅像が建っています。ただそれだけの小さな小さな庭園です。

 ここを後にして小名木川の万年橋を渡ります。大鵬部屋、北の湖部屋等を見て清澄公園に向かいます。時間の関係

もあり公園には立ち寄っただけでした。公園を挟んで大きな通りの向かい側に深川らしい町並みが続きます。両脇の

家並みも古く、並木の緑も歴史を感じさせるような重厚さを感じさせました。いささかタイムスリップしたような感じでした。

   

近くには北の湖や大鵬部屋などがある。右の写真は江戸情緒の残る深川江戸資料館のある通り

通りを少し歩いたところに深川江戸資料館がありました。館内には当時の道具作りから始めたという江戸時代の下町

の家並みが再現されていました。船宿があり、米屋さんや八百屋があり、職人の長屋があります。どぶ板の細い路地

からは今にも子供達が飛び出してきそうな気がします。

 屋根の上にはのんびりと猫が横たわりニャオーと大きな声で鳴いています。館内は照明によって一日の移り変わりが

表現され、時には雷鳴が轟き稲光が走り、雨が降ってきます。雨とは言ってもスクリーン上に光によって再現されるの

ですが、面白い演出です。

   

深川江戸資料館内に忠実に再現された江戸時代の庶民の住まいがあった

 この資料館の何より良いのはそれぞれの家の中に入って座ってみることが出来ることです。大きな家とはいっても

表の商売道具を置いているところを除けば奥は四畳半とか六畳一間の小さな住まいです。今とは比較にならない狭さ

です。職人長屋では四畳一間にわずかばかりの世帯道具と言った雨露を凌ぐ程度の本当に小さな住まいなのです。

そういえば私達の子供時代も同じような生活であったような気がします。今の時代が分不相応な位、贅沢な暮らしを

しているのかも知れません。

佃島界隈を歩く

 資料館を出て清澄白河駅から地下鉄に乗り、月島駅に着きました。電車を降り地上に出ると方向を見失ってしまい

ました。どうやら目的地とは反対の方向に向かってしまったようでした。隅田川にぶつかった当たりで、この近くの

おかみさん達が立ち話をしていました。道を尋ねるとこの通りの反対側が住吉神社とのこと。堤防のほとりの緑地帯

入り口周辺には、たくさんの鉢植えが並んでいます。おかみさん達近所の人が土地を借りて置かせて貰っているとの

ことでした。手入れの行き届いた鉢植えが、それは見事でした。

   

おかみさん達の手入れが行き届いた鉢植えの数々

 燦々と照りつける夏の日射しの中を黙々と歩きました。古い家が並んでいます。わずかばかり離れたところには近代的

なマンションが建ち並んでいます。奇妙なコントラストです。さすがにあの強力な土地ブームもここまでは及ばなかった

ようです。ここまで来る間にバブルが崩壊し、あえなく失速してしまったようです。それでもマンション建設反対という

垂れ幕の下がっているところを見ると、その手は完全にゆるんだとは言えないようです。残したい町並みでもあり、

あの阪神大震災の事を考えると老朽化した建物が気にもなるところです。

   

今も残る昔からのたたずまいと懐かしさが漂う八百屋さんの店先

 佃島の神様、「住吉神社」は古い町並みの一番奥にありました。ここら辺に住んでいる人達は、少なくとも徳川家康

入府後間もなく大阪から来た人達の子孫です。いわばチャキチャキの江戸っ子です。「住吉神社」も「深川名神宮」と

同じように小さなお宮さんでした。元々が狭い土地ですから仕方のないことなのでしょう。気の早い江戸っ子はすでに

8月の夏祭りの準備を終えていました。幟を立てるという支柱は角が完全にすり減った、それでもまだ百年は使えそうな

太くて頑丈なものです。そして角々にはよしず張りの小屋が建てられ、佃煮屋の女将さんの話では獅子がしらや御神輿

を安置するためのものだとか。今にも笛や太鼓や威勢の良いかけ声が聞こえて来そうです。

   

佃島の住吉神社と右の写真は江戸時代から使われていたのではないかと思われるような幟を立てる柱

 ここに来たからには、やはりおみやげは佃煮です。よれよれになった暖簾の奥から出てきた女将さんは歯切れの良い

ベランメエ口調でした。さすがは江戸です。いや東京です。ここには江戸時代の息吹が今も残っています。決して媚びを

売ることもなく、さりとて冷たくもなく、さりげない応対が実に心地よいものでした。

佃島の古い町並みとは対照的な高層マンション

 佃煮を買ったら急におなかが空いてきました。少し町の中に引き返すと、「もんじゃ焼き通り」に出ます。実に数十軒

の「もんじゃ焼き屋」さんがあると言います。

 街角にいた「もんじゃ焼き道案内人」のお勧めという店を聞いて、そこに行ってみました。「海鮮もんじゃ」という店でした。

もんじゃ焼きを食べたのは二回目でした。香ばしい匂いを楽しみながら、熱々のもんじゃ焼きを「ふう、ふう」と言いながら

食べます。引っ込んでいた汗が又吹き出てきます。

 「海鮮もんじゃ」を後にして、東京の下町を訪ねる二日目の旅は終わりました。引き返した新宿の繁華街は人、人、人

で溢れていました。深川や佃島と言った下町の静けさと、この賑わいとが同じ東京のものとは思えませんでした。

   

佃島灯台を再現したものと隅田川と背景にあるビル群

第三日目、小江戸川越を歩く

 あわてて駆け込んだ西武新宿線の特急「小江戸号」で川越市に向かいました。小江戸とも言われている川越市は

埼玉県にあります。周辺を田園に取り囲まれた町です。東京から約30キロという距離にあって、昔から江戸とは密接な

関係があったようです。徳川幕府時代には譜代として多くの大老や老中を出した松平藩があったところです。川越は

名前にも現れているように川を流通の要として交通の要衝としても栄えたところです。周辺で取れる農産物を江戸に

運ぶという江戸の台所としての役割を持っていたようです。

(譜代大名 松平信綱公が城主となり今日の川越の基礎を築いた)

   

川越城本丸御殿入口と奥座敷の再現風景

 また、徳川家康ゆかりの地でもあります。家康の遺骸を日光に運ぶ途中、天海和尚がこの地で三日間祈祷をした

とも言われており、ミニチュアの東照宮とも言われる建物が今も残っています。

      

日光東照宮には及びもつかないがそれでも豪華な彫刻が施された仙波東照宮

 そして川越を何よりも有名にしているのは江戸時代、明治時代と二度に亘る大火災ではないでしょうか。二度の

火災とも町の中心部をほとんど焼失してしまうような大きなものでした。そのため商家は、こぞって大火にも耐えられる

ような建物を造りました。材木の露出部分がないように完全に土と漆喰で塗り固めてしまったのです。大屋根には

火事を威圧するかのような巨大な鬼瓦を載せています。そして漆喰の上は煤けたように真っ黒に塗られています。

こんな家が何件も軒を連ねているのです。

   

蔵造りというという独特の様式を持った巨大な大屋根を持つ建物群が見る人を圧倒する。

   

ここは交通の多い大通りに面しておりたくさんの車が行き交っている、右の写真は川越のシンボルとも言うべき時の鐘

 見所はたくさんありますが、他に上げるとすれば「お菓子屋さん通り」でしょうか。ここ川越は芋菓子の発祥の地でも

あります。サツマイモを使った色んなお菓子を作っています。また、昔懐かしいニッケ飴や芋飴もあります。こうした

駄菓子を売る店が小さな通りに十数軒並んでいます。そして繁華街では大正通と称して大正時代を模した店を作り、

客寄せをしています。

    

大正ロマン通りと称した通りには古き良き時代を感じさせるような町並みが、そして右の写真はお菓子屋さんが軒を連ねる横町

 確かに小江戸と言うのにふさわしい、昔と現代が面白くミックスした活気ある町でした。惜しむらくは観光資源である

古い家がほとんどメイン通りとなっている交通の頻繁な道路のほとりに建っていることです。従って、写真を写すにしても、

近くに行ってみるにしても、自動車の行き交うこの通りを横断しなくてはならないことです。これではせっかくの観光資源

が台無しのような気がします。

 倉敷の美観地区の蔵屋敷に比較すれば、遙かにスケールも大きく貴重な観光資源ですが、半分はこの交通事情の

ために損なわれています。出来れば付け替え道路を走らせて、この道を歩行者専用の道にすれば、もっと観光客を

呼ぶことが出来るのではないでしょうか。そうすれば、お菓子屋さんも増やすことが出来、観光とは縁のないお店も

観光関連の店として商売が出来るようになるのではないかと思うのですが。

   

川越富士見櫓跡と徳川家ゆかりのお寺「喜多院」

東京乗り物事情

東京モノレール

 羽田空港から都心へのアクセス方法には色んな方法がありますが、私達はモノレールを利用しました。羽田空港から

浜松町までです。比較的高いところを通りますから周辺の景色を楽しむことが出来ます。空港を離れ、東京湾周辺の

建物や様々な施設を眺めていますと間もなく浜松町に到着します。帰りも浜松町からモノレールを利用しました。

   

東京モノレール羽田駅乗り場と車中から眺めた景色

地下鉄

 何度乗り降りしても、なかなか慣れなかったのが地下鉄でした。東京の地下鉄の路線地図を眺めていますと、実に網の

目のように張り巡らされています。今回、主として利用した交通機関も地下鉄でした。一旦乗ってしまえば短時間で移動

できるのですが、地下鉄までのアクセスについては、どこの駅でも不便でした。通勤手段として毎日同じ路線を利用して

おられる方にとっては、こんなものだと思っておられるのでしょうが、私達のように地方から出てきたものには、階段の

登り降りだけでも大変でした。とにかく目的とするホームに行き着くまでが遠いのです。

 私達は新宿の都庁近くのエクシブが経営するホテルに三泊しました。その間、都営地下鉄大江戸線「都庁前」駅を

利用しました。平日は都庁の一階を通り抜け、土曜、日曜は都庁を迂回して行き交いました。

 以前、やはりこの近くのワシントンホテルに宿泊した時には新宿からホテルまで歩きました。どれくらいの距離だった

のか分かりませんが、この時も本当に歩き疲れました。特に大きな荷物を持っての移動は大変だったという記憶が

残っています。

西部鉄道とJR西武線

 川越に行く時には西武新宿線上野駅から特急「小江戸号」に乗って行きました。特急列車でもあり乗客も少なく大変

きれいな車両でした。停車駅も少ないので40数分位で新川越駅に着きました。駅から観光コースへのアクセスも大変

便利です。観光に出かける方へのお勧めは、断然この路線です。

 帰りはJR川越線を利用しました。JR川越駅は主要な観光コースから少し離れており、川越市の繁華街のはずれに

ありました。通勤快速でしたので通勤客等の乗り降りも多く、おまけに冷房の効きも悪く、乗車料金も安くはありません

でした。

JR山手線

 上野に行くには都営地下鉄大江戸線新宿駅からJR山手線に乗り換えます。おなじみの山手線です。大阪の環状線

のように、同じ路線をぐるぐると回っていますから、乗り過ごしても迷子になることはありません。線路周辺の景色も見て

いて飽きません。私にとっては一番馴染みのある路線です。しかし、今回利用することはあまりありませんでした。

新宿、渋谷界隈

 いつも賑わっているのが新宿や渋谷の駅周辺です。特に若者が多いようです。私達のように都会の生活や習慣に

慣れないものにとっては刺激が強すぎるようです。今回も人混みの中を何度か歩きましたが、人混みを縫って歩くだけ

で疲れてしまいました。

 渋谷周辺では夜になると楽器を持った若者達が演奏を始めます。この中の女性ばかり4人組のアカペラグループ

(Cry&Feelit)の歌を聞きました。CDも出していて一枚買いました。プロ活動をしながら、より多くの人にファンに

なって貰おうと街頭での活動も続けているようです。お医者さんのスタイルで歌っているグループや、一人でギター片手

に歌っている若者など色んな若者達がたくさんいます。

   

夜の渋谷駅前風景、夜更けても若者達の賑わいは変わりそうもない(女性アカペラグループ Cry & Feelit)

ロフトと東急ハンズ

 地方ではホームセンターが主流ですが、さすがは東京です。洗練されていて、どちらかというと女性向けのお店が

ロフトでしょうか。東急ハンズはより専門化した男性向けのお店のようです。ロフトには若い女性客が多いようです。

それに引き替え東急ハンズには勤め帰りのおじさん達もいて、工具や日曜大工のコーナーには男性客が多いよう

です。それこそ、ないものはないといった位に、一般的な工具から部品に至るまで何でも揃っています。専門店で

なければ買えないようなものもあります。私も掛け時計の部品と、斜めにも穴を空けることが出来るという外国製の

ドリルの刃を買いました。道具好きの私にとっては何時間いても見飽きないコーナーです。

高層建築とホームレス

 ニューヨークのエンパイヤステートビルのような形をした高層ビルが建設中でした。今も高層ビルが多い東京ですが、

これからも少しずつ増えていきそうです。土地の有効利用と言うことを考えれば一番良い方法なのかも知れません。

 新宿にある都庁周辺には高層ビルが集中しています。こんなビルとビルの谷間にもささやかな生活があります。

いつ起きて何をしている人達なのかは分かりませんが、たくさんのホームレスの人達が道縁で寝起きをしています。

上野公園でもたくさん見かけましたし、山手線の沿線でも川沿いの公園に青いシートの小さな小屋を見かけました。

東京のホームレスの人達をみんな集めたらどれくらいの人数になるのでしょうか。初めからホームレスであった人は

少ないはずです。この不況の中、仕事に就きたくても就けない人も、たくさんいるのではないでしょうか。東京という一見

華やかに見える都会にも、こんな社会から取り残されたような人達がたくさんいるのです。

朝の新宿、人通りもなく静かな大通り

上野公園、東京芸術大学、国立科学博物館、アフガニスタン展

  上野公園の自然は豊かです。あの暑い東京でもここだけは少しひんやりしています。木々が空を覆い薄暗くさえある

公園の中は、カラスの鳴き声さえなければ静です。この公園の入口近くに国立科学博物館があります。一度はのぞいて

みたいとずっと思っていました。気の進まない家内を説得して中に入りました。

 出来た当時は重厚で博物館と言うにふさわしい建物だったのでしょうが、今では却って使いにくく狭くさえ感じるように

なってしまったのではないでしょうか。日本を代表する科学博物館にしては、あまりにもお粗末と言わざるを得ません。

今回は夏休み期間中でもあり色んな特別企画もあるようです。

古い館内の入口には巨大な恐竜の骨格が展示されていた

 私はアメリカのボストンのサイエンスミュージアムを見たことがありましたので、ついついそれと比較してしまいます。

サイエンスミュージアムは見て触って体験して科学を知るといういかにも近代的な博物館でした。建物も広く大きく近代的

でした。出来れば古い建物は記念館として残し、どこか違う場所に新しいサイエンスミュージアムを建てて欲しいと思って

います。

   

旧東京音楽学校奏楽堂と公園内の噴水、上野公園は緑が豊かだ

 上野公園にはこの他にも国立西洋美術館、国立博物館など公共の建物がたくさんあります。そして公園の端には

東京芸術大学があり、アフガニスタン展を開催していました。この大学の学長はあの有名な日本画家の平山郁夫さん

です。平山さんはシルクロードをテーマにした絵をライフワークとしておられます。その関係で何度もアフガニスタンを

訪ねておられます。

 今回、タリバン達の手によって多くの仏教遺跡や美術品が壊されました。アフガンの復興と収蔵品の修復や散逸した

文化財を取り戻すために、今回の展覧会を企画されたと聞いています。自ら集められたものや密かに持ち出された

ものを全てアフガニスタンに返そうと考えておられます。アフガンのものはアフガンに、その思いがこの展覧会をきっかけ

に実れば良いのですが。

「えん」と「魚民」

 今回、息子達と一緒に「えん」という名の大衆酒場で一杯飲みました。着いた時間が遅かったせいかすでに満席との

ことで、一時間近く席が空くのを待ちました。さすがは東京です。次から次へとお客さんが絶えないのです。諦めて引き

返す人、私達のように気長に待つ人など様々です。

 辛抱強く待った甲斐あって、窓際の良い席に座ることが出来ました。十一階だと言うのに窓の外には小さな庭があり、

間接照明で照らされた緑が鮮やかでした。店内は民芸風の作りになっていて、天井はむき出しの配管や電気配線張り

巡らされているにも関わらず、真っ黒に塗ってあるので薄暗い照明の中ではほとんど目立ちません。心憎い演出です。

店員さんや賄いをする人もたくさんいるようです。

 しかし、雰囲気とは裏腹に料理の味は今ひとつで、料理法にも少し工夫が足りないように感じました。それでも、これだけ

お客さんが多いと言うことは、対象となる人の数が多いと言うことでしょうか。

 三日目の晩は「魚民」に行きました。「魚民」は全国チェーンのお店です。特に渋谷のお店は大きな店で売り上げも

チェーン店の中では群を抜いて多い店だそうです。この日も店内は大変賑わっていました。複合ビルの最上階近くに

あります。下の四階はパチンコ店になっていました。メニューにはポピュラーな料理もあり、オリジナルな料理もあり

実に多種多様です。先に飲んだ「えん」と比較しても決して見劣りはしないように感じました。また、店員さん達の接客

マナーも言うことはありませんでした。

                                                  2002年8月4日掲載

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