同窓会「鞆紀行」

鞆城跡から眺めた鞆港の景色

 「縁は異なもの味なもの」と言います。また、人と人の縁は「一期一会」という言葉でも表されています。私達、中学校

時代の同級生は故郷を離れて生活していた者同士の小さな集まりがきっかけとなって、今は大きな同窓会に発展しま

した。その後、その時の有志が今も交流を続けています。

 今年は山陰へ旅行しよういうことになっていました。しかし、山陰の予約していた宿が取れなかった事から急遽、地元

福山の周辺で開くことになりました。今までの小旅行を兼ねた同窓会を振り返って見ますと、ミニ同窓会の発祥の地とも

いうべき倉敷から始まり、二回目は小学校の修学旅行コースであった広島、宮島、岩国へ行き、三回目は岡山県の森林

公園や奥津温泉、蒜山コースでした。そして四回目の今年となったわけです。

 第一日目の参加者、その日の晩の参加者、明くる日の参加者と参加メンバーは少しずつ異なりましたが、晩の交流会

では総勢二十一名が参加して盛大な同窓会となりました。

 第一日目は福山駅に集合し鞆に向かいました。宿泊先の鞆シーサイドホテルに駐車し、渡し船で仙酔島に向かいま

した。この島は風光が明美であるばかりでなく、地質学的にも非常に珍しい島だそうです。島のあちらこちらに露出した

地層には、まるで火山の溶岩ような赤茶けた岩が露出し、断層が見られ、この島の地質学的な歴史が刻まれています。

また、島の周辺を散策する道も整備され、周辺の景色を楽しみながら散策することが出来ます。

   

仙酔島の海岸線を巡る遊歩道、左の写真は火山の噴出跡にも見えるような岩

   

仙酔島の山頂付近から見下ろした景色、道縁には愛らしい野菊も咲いていた

 島をほぼ半周したところに古びた建物があります。広島大学の研究施設だったところだとかで魚でも飼っていたので

しょうか、建物の中には小さな水槽がたくさんあります。この水槽を竈替わりにして製塩が行われていました。製塩とは

いっても大きな平釜に塩水を入れて重油バーナーで炊き詰めて作るという至って簡単な方法でした。その他、天日干し

でも作っていました。にがり分を抜いた口当たりの良い塩が作られています。島内の国民宿舎では調理にこの塩を使い、

おみやげにも売っています。

盛んに湯気を立てて海水が沸騰している。見学をしながら説明を聞いている同窓生

天然の塩には塩辛いと言うよりはわずかに甘みさえ感じる

   

大きな平釜の海水をバーナーで煮立たせている。右は出来た塩、これから更ににがり分を抜いている。

   

ビニールハウスの中で天日による乾燥もしている。結晶となって固まっている塩

 この建物の横から山に登り、山越えで元来た道へ戻りました。一山越えて坂道を下りたところに国民宿舎があります。

この建物も何年か前に大改装を行い、見違えるようにきれいになっていました。ここで後から来た人達と合流し昼食に

しました。昼間から大変なご馳走でした。このままでは夕食が食べられそうにありません。

山越えの道の途中にあった紅葉、見事な紅葉が晴れた晩秋の青空に映えていた

   

山頂付近から見下ろした仙酔島周辺の素晴らしい眺め

 ひととき歓談をして再び渡し船で鞆の街に戻りました。そこから海岸山千手院福禅寺の対潮楼へ行きました。ここの

窓を開け放すと先程の仙酔島や弁天島が一望できる眺望の素晴らしいところです。名物和尚さんの説明によりますと、

窓から見える景色全体が一年の暦となっているのだとの事でした。夏至の時には太陽がこの位置から昇り、月はこの

位置から昇るとか、聞けばなるほど、先人の知恵には感心させられる事ばかりです。

  

対潮楼の住職の説明は流暢で面白い、建物の中には歴史あるものが展示されている。

対潮楼の建物、入口はこのようにお堂になっている

   

海よりの窓を開け放すとこのように180度のパノラマのような景色が広がる

 対潮楼を出たところで今日のガイドさんが待っていてくれました。地元のボランティアの人です。ガイドさんの案内で

鞆城跡に建つ鞆の浦歴史民族資料館に行き、そこを出て坂本龍馬にもゆかりのあるという「いろは丸舘」などを見て

歩きました。この古い港の辺りにはいかにも古くから天然の良港として栄えたという面影が随所に残っています。鞆は

古くから開けた港町です。万葉歌人の大伴旅人を初め歴史上の人物がたくさん行き来しています。

    

通りに面した立派な古い商家の建物、文化財として保存されている、

右の写真は一時、鞆に滞在したという足利義昭が住んでいた屋敷の庭の一部、今は民家の庭となっている

鞆の秋祭りチョーサイで使われている御神輿

   

鞆の浦港は天然の良港です。

大きく深く入り込んだ港は風待ち、潮待ちの港としては最も適していたようだ。今は漁船の基地港となっている

右の写真の階段状の物を雁木という、潮の満ち干に関係なく船への乗り降りが出来る

   

港の近くに祀られていた小さなお社、鞆港の歴史を感じさせる。右は一歩路地裏に入ると目にする景色。

がっしりとした石垣は、これからも百年は保ちそうだ。そして腰板には船に使われていた物が再使用されている。

昔の人の物を大事にする心が伝わってくる。

    

漁船が繋がれている向かい側の景色、古い灯台といろは館。

いろは館は幕末の志士、坂本龍馬ゆかりの建物だ。この辺の眺めは全て絵になるような景色ばかりだ

 ここ鞆には昔から有名なものに保命酒があります。保命酒を作っていたという太田家が修復されて一般公開されて

います。この家には三条実美ら尊皇攘夷派の公家達が宿泊したとも言われています。玄関先の網代天井など豪商と

しての当時の栄華が偲ばれます。盛時には十数軒もあったという保命酒の蔵元も今は数軒に減っています。保命酒と

いうのは養命酒として全国ネットで売られている薬用酒の原型となったお酒です。従って、本家本元だけあってお酒の

中に入っている薬草の種類も養命酒よりは二種類も多いそうです。とても甘いお酒です。水割りやソーダ割にして飲む

と爽やかで飲みやすいようです。私達はここで酒粕を買ったり、みりんを買ったり、もちろん保命酒もたくさん買いました。

    

薬酒である保命酒の造り酒屋の玄関にある網代天井、そして奥には三条実美も茶を楽しんだという茶室がある

当時の豪商の生活が偲ばれる

    

保命酒に入っている生薬の数々、そして出来た酒はこんな瓶に入れられてお客さんに小売りされていた

酒蔵の一部、大きな備前焼の瓶がいくつも並んでいた。

 ここを出て古いお寺の通りを通って向かったのは沼名前神社でした。この神社は非常に格式の高い神社だと言われ

ています。また、平安時代の延喜式という書物にも出てくるくらい古い神社でもあります。今でこそ鞆の街そのものは

ひなびた港町になってしまいましたが、その昔、海の交通の要衝だった頃には、たいそう賑わった神社だったのでは

ないでしょうか。本殿も火災で焼け落ち、今は鉄筋コンクリート製の建物に変わっています。しかし、山門や能舞台

には昔のままの姿が色濃く残っています。特に能舞台は太閤秀吉も能を舞ったと言い伝えられています。神社では

今でも年間を通じて色んな行事が行われているようです。

    

沼名前神社山門と裏山にかかっていた鰯雲

    

この神社の格式の高さはこの山門にあると言われている。右の写真は秀吉も舞ったと言われている由緒ある能舞台

 沼名前神社の参拝と見学を終わった頃には夕日も西へ大きく傾き、冬の早い日暮れを感じさせるような冷たい海風

が吹き始めました。今日半日案内をして下さったガイドさんにお礼を言い、ここで別れました。私達は再び街に引き返し、

もう一軒保命酒の蔵元に行きました。また、ここで聞き酒をさせて貰い、そのついでに土産も買いました。同じように見え

ても味は微妙に違うようです。

   

もう一軒と言って立ち寄った保命酒の蔵元、表には立派な古い看板が掛かっていた。

 そして、いささか歩き疲れた足でホテルに引き返しました。車から持ってきた荷物を下ろし、今晩の交流会の準備が

始まりました。ホテルの支配人さんの話を聞くのもそこそこに部屋に入りました。すでに今晩参加の三人が来ていました。

みんな服を着替えて早速入浴です。ゆっくりと旅の疲れをほぐした後、宴会場での賑やかな交流会です。

 日帰りでの参加も到着しました。開会の挨拶の中で、今回準備してくれたMさんを初めとして地元の仲間達にお礼を

述べておきました。S君の乾杯で宴会の開始です。二時間たっぷり大いに盛り上がった後、部屋に戻って二次会が

始まりました。この日、体調のすぐれない者や風邪気味な人もいたようですが、その割には良く飲み、良く食べ、良く

しゃべったのではないでしょうか。話は大いに盛り上がり、次回開催の話も出ていたようです。

 明くる日の早朝は支配人さんに聞いていたように屋上の露天風呂に行ってみました。ここから眺める朝日は素晴ら

しい眺めだとのことでした。湯に入ったり出たりしながら待つこと三十分、やっと東の空が赤く輝き始めました。素晴ら

しい日の出です。この季節、弁天島の右辺りから太陽が登るようです。見ている間にどんどん高くなっていきます。

 こうして日の出を眺め、部屋に戻って服を着替え、今日の行動開始となりました。それぞれの車に分乗して今日の

最初のコース、松永の日本はきもの博物館と日本郷土玩具博物館へ行きました。子供達が小さかった頃、一度だけ

来たことがありました。その後、きれいに整備され、更に玩具博物館まで出来ていました。なかなか立派で良くここまで

蒐集出来たものだと感心するばかりです。単なる見せ物と言うだけではなく、学術的にも価値の高いものだと感じました。

松永というところは製塩も盛んでしたが、海に近いという地の利を生かし、色んなところから原木を搬入し下駄を作って

いました。この下駄工場の跡を利用して、はきもの博物館を作ったのがここの始まりです。庭には岡本太郎さん作に

なる、大きな足の形をしたモニュメントがあります。時間がないのでゆっくり見ることが出来ませんでしたが、郷土玩具

博物館も見応えのある施設でした。

   

松永にある日本はきもの博物館の入口、左は当時事務所として使われていた古い建物、右は岡本太郎氏の作品(足形をしている)

   

左は下駄を作る機械、右は更に昔、職人さんの手によって作られていた当時の道具の数々

   

隣にある日本郷土玩具博物館の一角、これは又ユニークな作品、革靴で人の顔を作っている

 ここを出て少し時間があるとのことで、明王院に行くことになりました。明王院の建物は二つとも古い木造建築で国宝

に指定されています。赤い建物が秋の青空に映えて色鮮やかです。この日は七五三だと言うこともあって着飾った子供

達がお参りに訪れていました。明王院の隣に稲荷神社があるとのことでした。草戸千軒という遺跡がこの近くにあります

が、この地の財力が如何にすごかったかが、この建造物を見ても分かります。境内の紅葉や銀杏は丁度見頃でした。

みんなで記念写真を撮り、ここを後にしました。

   

歴史的にも由緒ある明王院の建物、左は本堂、右は五重塔、いずれも国宝に指定されている。

   

明王院の境内にある池のほとりではみんなで記念撮影を、秋真っ盛りの紅葉が素晴らしい。

 次は福山のキャッスルホテルでの昼食です。女性幹事ならではの、きめ細かい計画が行き届いています。感謝感謝

です。ここの昼食はバイキング形式になっていました。小生自身は多少コンディションが悪かったことと昨晩の酒のせい

もあって余り食事はすすみませんでした。昼食を終え、次の目的地、福山城の下にある広島県立歴史博物館に行きま

した。ここを訪れるのは初めてでした。以前から一度は来てみたいと思っていたところです。博物館の周辺はきれいに

整備されきれいな公園になっています。正面にはふくやま美術館があります。その左には日本庭園があります。ここから

お城に上がっていくこともできます。紅葉の間からは福山城の天守閣が見えます。博物館では特別展と常設展がありま

した。特別展は尾道の西国寺寺宝展をしていました。常設展の方は草戸千軒の遺跡から発掘されたものや、当時の

家並みの一部を再現したものがありました。建物群はリアルに復元されており目を見張るものがあります。ふとその時代

に迷い込んだような錯覚さえ覚えます。

    

天守閣が周辺を見下ろすように建っている。その下にある日本庭園、そしてまん中の写真も由緒ある建造物だと聞いている

   

まさに鎌倉時代にタイムスリップしたような再現建物の数々、素晴らしい展示物だ。

今、家の陰から人が飛び出てきても不思議ではないような気がする。

 今日の見学はここまででした。再び駐車場へ戻り、私達倉敷から来た者三人はKちゃんに送って貰い、自家用車を

置いてきたスーパーの駐車場へ引き返しました。そして、帰途に着きました。神辺経由で井原まで戻るというKちゃんと

途中で分かれ高速道路へ入りました。長いようで短かった二日間の交流会が終わりました。この場を借りてお世話に

なった皆さんのお礼を述べさせて貰います。本当にありがとう御座いました。又の再会を楽しみにしています。

                                                   2002年12月14日掲載


参考サイト

日本はきもの博物館、日本郷土玩具博物館

福山観光情報(鞆の浦、明王院、広島県立歴史博物館)

広島県立歴史博物館(草戸千軒)

明王院

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