四方差(しほうざし)より遠く寒霞渓全体を眺む 

「二十四の瞳」で全国に知られるようになった小豆島は岡山県の沖合に浮かぶ島である。

瀬戸内海の島の中では淡路島に次ぐ大きさで、いったん上陸すると、ここが島であることを

感じさせないくらい大きな島である。

 家内と私は11月19日、20日と、この島を旅行した。近くにありながら交通が不便なために、

一度は行ってみたいと思いながら、なかなか実現しなかったところである。

 島内には御大師様ゆかりの小豆島八十八ヶ所があり、年中多くのお遍路さんで賑わっている。

今回はインターネットで島の見所を検索し、旅館も「旅ネット」と言うサイトから検索、予約した。

又、連絡船には岡山港から乗ったのだが、これもインターネットで検索し、料金割引のある両備運輸の

フェリーにした。船の割引はホームページをプリントアウトしたものを切符売り場の窓口に持って

行くと往復料金割引となった。余談になるが、こうしてみると、インターネットも随分利用分野が

広がったものだ。こうして、インターネットで見所を検索し、プリントアウトした観光案内を持ち、

カーナビのついた自家用車で小豆島に上陸した。私達のカーフェリーは土庄港に入港した。

 そこから一気に寒霞渓を目指した。素晴らしい観光道路(小豆島スカイライン)が目的地にまで

続いている。道の周辺は秋真っ盛りであった。私達は何も知らずに一気に山頂にある駐車場を目指した。   

ここのケーブルカーは山頂と下にある駐車場を結んでいるのだが、私達は山頂から下山して

しまうような格好になってしまった。通常ケーブルカーを利用する人達とは逆コースであった。

 いったん下山してみると、山頂からの客よりは遥かにたくさんの人が列を作っていた。これでは

山頂に戻るには一時間以上も待たなければ乗れそうもないので、あきらめて歩いて戻ることにした。

山頂までの遊歩道は舗装されており、木々の間からは紅葉や奇岩の姿を垣間見る事が出来る。

    

左はケーブルカー乗車口、右は紅葉の間から見える奇峰

要所要所には、これら見所の説明書きも立っている。幾人かの人とすれ違ったが、みんな山頂から

下りてくる人ばかりで、私達のように下から歩いて行く人は滅多にいないようである。

しかし、こうやって遠回りしたおかげで、ケーブルカーでは味わえない自然と素晴らしい景色にも

出会うことが出来た。そして紅葉も十分すぎるほど堪能できた。健脚の人にはお勧めのコースである。

 寒霞渓は想像していた景色とは全く異なっていた。瀬戸内海の多くの島は花崗岩の島である。

しかし、安山岩を主とする山は長い年月の間に雨風に浸食され、孤立した峰となり、自然が作り出した

芸術作品のような姿形をしていた。奇岩と言うにふさわしいようなものが実にたくさんある。

それら奇岩の裾を彩るように赤や黄色の紅葉が取り囲んでいる。

     

左は奇岩とも奇峰とも言えるような山、右は寒霞渓山頂(眼下には海が見える)

 私達は寒霞渓の景色を十分楽しんだ後、下山して四方指(しほうざし)を目指した。途中野生の

猿がたくさん道路に出てきていた。野生とは言いながら人との接触が多いせいか、人が近づいても

いっこうに恐れる様子はない。群をなして路上に捨てられたゴミをあさっている。

 四方指とはよく言ったもので、ここに立てばほとんど四方の景色が見渡せる。特に寒霞渓は

一望のもとにある。眼下には幾重にも重なった紅葉の山や谷が広がっている。遠くには瀬戸内海も

展望できる。素晴らしい景色を目の前にしながら、持ってきた弁当を食べた。この上の贅沢はない。

    

四方差より眼下の紅葉を眺める

 四方差を後に、明日は雨かも知れないという事だったので、この日、出来るだけ多くのところを

回ってみることにした。下山してオリーブ公園に行ってみた。ここは国内のオリーブ栽培発祥の

地だと言うことで、原木である木が今でも立派に実を付けている。園内には色んな種類の

オリーブが植えてある。黒く色付いた実は絞って油をとる。熟れていないものは灰汁抜きをした後に、

塩水につけたものを食べる。酒のおつまみにも良いとのことだ。私も一袋買ってみた。青臭さはなく、

わずかにオリーブ油の味わいがして、この味が酒には合うのかも知れない。

      

左は見えにくいが黒く熟したオリーブの実、右はオリーブの原木の側で

 オリーブの木はこの島のシンボルツリーにもなっている。道路のほとりには街路樹としてたくさん

植えてある。これらにもたくさんの実が付いていた。収穫したものは一カ所に集めて、搾油した後、

精油してあちらこちらの土産物店で売っている。小豆島は周辺を海に囲まれているので、冬も暖かく、

そんな気候がオリーブの原産地に似ているのかも知れない。

 オリーブ公園を後にして「二十四の瞳」で有名な岬の分教場に行ってみることにした。

オリーブ公園からは随分離れている。醤油で有名な内海町を通り、海縁の道を走るとやがて

映画村が見えてくる。本当の分教場は映画村の少し手前の狭い道縁にある。映画村の中は多くの

観光客で賑わっていた。観光バスも数台並んでいた。小豆島に来て、ここを訪れない人はいないだろう。

ここは田中裕子主演の二十四の瞳の撮影が行われたときのオープンセットがそのまま残されている。

学校だけではなく、当時の島の生活を再現した町並みも作られている。この中に立つと、タイムスリップを

したような感じだ。大半の家はそれぞれみやげ物や食べ物の店になっていて、こればかりは少し

興ざめであった。しかし、観光収入の事を考えれば仕方のないことなのかも知れない。

    

教室のある建物とその廊下(私達世代には懐かしい学校の姿)

 分教場の中は大勢の人でごった返していた。撮影の舞台となった教室には時間割表なども貼ってあり、

今でも撮影に使うことの出来そうな、当時のままの姿で保存されていた。隣の教室には映画撮影時の

スナップ写真がたくさん貼ってあり、最初の映画、高峰秀子主演のポスター等も貼ってあった。

そう言えば、この映画も主演者を変えて撮影されているのだ。

 映画の原作者である「壺井栄」記念館に入ってみた。館内には、彼女の夫「壺井繁治」の作品と

ともに、たくさんの書物や遺品が展示されていた。こうしてみると、壺井栄自身も彼女の夫「繁治」の

プロレタリア文学の影響を少なからず受けていたように見受けられる。壺井繁治は詩人であった。

 驚いたのは壺井作品の多くが映画化されていたと言うことだ。見たこともない吉永小百合主演の

映画などもたくさんあって大変興味深かった。映画村には常設館もある。

子供の頃走っていたボンネットバス

 記念館を出た頃は既に日は西に傾いていた。あれほど大勢の人だったのが、嘘のように静かに

なっていた。私達は映画村を出て、道を隔てた向かい側の土産物屋に入ってみた。

ここには珍しいものを売っていた。太刀魚の干物だ。太刀魚はここの海でたくさん取れると聞いている。

店の人の話だと今年は不漁なのだそうだ。何しろ水温が高く、餌になる小イワシが少なく、それを

追ってくる太刀魚も少ないとのことだった。従って、大きさも例年のものよりだいぶ小振りだとの事だった。

味は良いとのことで、一袋買ってみた。焼いて食べたが、塩味も手頃で油も乗っていておいしかった。

 ここ内海町は醤油の町であるとともに佃煮の町でもあった。町の中にもみやげ物の佃煮の看板が

たくさん目に付く。私達は映画村の中の製造直売をしている店で、出来たてだという佃煮を買ってみた。

おいしそうな昆布の佃煮だった。

 夕闇迫る頃、ここを後にした。駐車場には既に車はほとんどいなかった。海岸の細い道を抜けて

再び内海町の繁華街に出た。この頃から周辺は急に暗くなり、海辺にわずかな暮れ残った晩秋の

光りが残っているだけだった。私達は再び船で来た土庄港まで引き返した。今夜の宿泊はここの近くの

ホテルだった。魚市場と直結した新鮮な魚料理がメインだと言うことだった。古いホテルだった。

団体が二組ほど泊まっていた。ホテルは少ない人員で切り回していると見えて忙しそうであった。

ともあれ疲れをとるために、団体が出た後をねらって、風呂に行ってみた。思った通り、風呂は

貸し切り状態であった。既に団体の人達は宴会でも始まったのだろうか。一人ゆっくりと風呂に

つかり疲れをほぐして部屋に戻ると食事の準備はまだだった。忙しくて手が回らないのだろうか。

しばらくして、先ほどの年取った仲居さんが来て準備を始めた。食事は値段からすると、こんなものかと

思う程度のもので、とても魚市場と直結しているようには思えなかった。茶碗蒸しも少しぬるかった。

インターネットの割引予約では文句は言えないのかも知れないが、ホテルの経営も大変らしい。

ここの人の話では島内の大きなホテルも倒産が相次いでいるのだという。日帰り客が多くなった

のが原因の一つだと言っていた。そう言えば、このホテルに来る途中でも、大きなホテルが何軒か

閉鎖状態となっていた。ここにも不況の波はひたひたと押し寄せているようであった。

 翌日はあいにくの雨だった。大半の観光地は昨日見ていたのでがっかりすることはなかった。

ホテルで聞いた宝生院をカーナビでセットし、しんぱくの大木を見に行くことにした。宝生院に

着いた頃、雨は小降りになっていた。上天気とはいかないが、何とか持ちそうな天気だった。

この大木は一本の木で大きな森を作っていた。それほどに見事な大木であった。しんぱくという木は

カイズカイブキに似ている。同じ種類の木だそうだ。それにしてもこの大きさは何だろう。それも

いきいきとしていて、今なお成長し続けている。倒れないように枝には大きな支柱が何本も立ててある。

大事にされているのだろう。この木を見ただけでも小豆島の歴史の古さを十分感じる事が出来る。

宝生院の大シンパク(境内を埋め尽くす大きさ)

 宝生院を後にして、今も残っている伝統芸能である農村歌舞伎の舞台を見に行った。

田舎道をしばらく走ると大きな看板が立っていた。肥土山農村歌舞伎場である。今の季節は訪れる

人もなく、ひっそりとしていた。桟敷は舞台に向いて傾斜しており、芝居見物の人はここにござでも

敷いて座るのであろうか。屋根は藁葺きであり、いかにも農村歌舞伎の舞台らしい雰囲気だった。

ここを出て、もう一つの舞台、中山農村歌舞伎場を見に行った。もう少し田舎道を走ったところの

道沿いにある。うっかり見落として、地元の人に聞いて引き返した。ここは先ほどの舞台より少し

小さかった。作りはあまり変わらない。この舞台で演じられる芝居とはいったいどんなものなのだろうか。

機会があれば一度は見に来たいものだ。

歌舞伎小屋(立っているところが見物席)

 私達は更に奥にある千枚田を見に行った。傾斜のある細い道を登っていくと、車一台がやっと

といった狭い道になる。その道の手前で引き返したのだが、耕して天にいたるとはよく言ったもので、

小さな田圃が傾斜地に何段も積み上げられていた。日本の山間部に行けば大なり小なり

目にすることの出来る風景である。先人達の勤勉さと血の出るような努力が偲ばれる。

耕して天に至る(千枚田の景色)

 私達はこの後、小豆島民族資料館に行き、小豆島の地場産業の漁業や醤油作りの道具などを見た。

この日は平日であったためか、訪れる人もなくひっそりとしたものだった。資料館は海の側にあり、

海岸はきれいに整備された海水浴場のようであった。

 ここから小豆島ふる里村を経て、誓願時の大ソテツを見に行った。お寺の境内には大きなソテツが

枝を四方に伸ばしていた。見事な大木である。不思議だと思ったのはこの木が一本の幹から

枝を伸ばしていることであった。ソテツを目にする事は多いのだが、たいていの場合は何本かが

ひと固まりになっている。ところが、ここの大ソテツは大きな幹一本から枝を四方に伸ばしているように

見えるのだ。宝生院の大シンパク同様、これも又見事な大木であった。

誓願時の大ソテツ(これ又見事な大木である)

 この頃になると薄日が射し始めていた。周辺は広い田圃になっている。

収穫を終えた田圃が秋の日射しの中で目の前に広がっていた。静かな島の秋景色である。

誓願時の大ソテツを最後に島内観光を終わり、土庄港に向かった。島内には他の見所もあるようで、

もう一度は訪れて見たい観光地であった。


   小豆島旅行関連リンク

       両備運輸(岡山港と小豆島土庄港を結ぶカーフェリー)  料金割引がある。

       小豆島情報ステーション  観光案内他

       旅の窓口  宿泊予約

       二十四の瞳映画村

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