シドニーという町を歩いて

2005年1月16日(日)

 私達は1月16日、午前十時頃、空路オーストラリアのシドニーに着いた。この日、出発地の

クライストチャーチ市内のミレミアムホテルでは午前四時十五分頃にモーニングコールがあった。

大急ぎで着替えや荷造りをして迎えのバスで早朝の空港に着いた。この日は空港のロビーで

朝日が昇るのを見た。美しい朝日だった。

 私達が乗った旅客機は経費節減のためだろうかクルーがわずか四人だけで機内サービスは

何もなく、飲み物さえも全て有料という珍しいものだった。そんなわけでバスに乗ったとき渡され

たおにぎり弁当が空腹を癒してくれた。

 旅客機の眼下には見るべきものは何もなく大海原や雲ばかりだった。約三時間半の空の旅

の後、シドニー空港に着いた。この間、日本との時差は二時間に短縮していた。空港に着いた

とき腕時計をシドニー時間に合わせた。

 シドニーへ着くといっきょに夏になった。しかし、湿度が低いのか耐えられないような暑さでは

なかった。オーストラリアはニュージーランドと同じように入国手続きの面倒な国だと聞いていた

ので、ここで時間がかかることは覚悟していた。しかし、四十人近い団体であることと、私達が

今朝ほど入港したピースボートの団体であることなどを説明し、一人一人の手荷物検査は免れ

た。私達はオーバーラウンドツアーの事前説明時から植物や果物、肉類等の持ち込みは厳禁

だと聞いていたので誰も違反をするようなものはいなかった。

 そんなわけで予定より少し早く迎えのバスに乗り込む事が出来た。バスは日曜日で賑わう市

内を走り抜けて港に着いた。いつも船に帰る度に思うことだが、ピースボートの姿を見ると何か

しらほっとして我が家に帰ってきたような感じがした。

 私達は部屋に荷物を置き、ここシドニーで土産物を買う段取りをした。今までの寄港地で買っ

てきたものやニュージーランドで買ってきたもの等を確認し足りないものをチェックした。こうして

地図を頼りに町へ出た。

 シドニーは実に坂の多い町だった。港から町の中心地までは上り坂になっていた。観光用の

地図では平面的にしか見えなかったので、港を離れた途端に自分達がどこにいるのかさえ分

からなくなってしまった。一度、港の駐車場近くで地図を開いて行きたいところを言って道を聞い

てみた。ここで聞いたとおりに歩いていると思っていたのに実はまったく反対方向に歩いていた。

 つたない英語で尋ね歩きをしているとき、娘さん二人を連れて歩いている男性に出会った。

彼らはメルボルンから来た人だったが、自分達も同じ方に行くからと親切に途中まで道案内を

してくれた。家内は今まで気後れして英語で話しかける事など出来なかったが、何度かの経験

から次第に自信がつき何とか話しかける事が出来るようになっていた。この日もほんの少ししか

話すことは出来ないと断りながら相手の男性や娘さんに話しかけていた。英語は使わなければ

進歩しないと言われている。分かってはいてもついつい気後れしてしまう事が多い。今回の旅行

では色んな機会があり、そんな事が少しだけでも英語を使うチャンスを増やしていた。

 さて、最初の目的地であるオペラハウスが見える港に着いた。ここは観光港らしくたくさんの

観光船が出入りしていた。早速、二、三枚写真を写した。海に向かって左側には大きな橋が見

えていた。私達は何の予備知識なく町に出てきたので、この橋が有名なハーバーブリッジだと

言うことさえ知らなかった。

 日曜日だったこともあって港周辺は大変な賑わいだった。色んな国籍の人や街頭芸人達が

いた。中にはアボリジニーの代表的な楽器であるジュリディデューを演奏している人もいた。

 港周辺を歩いていると「書き下ろし」をして資金稼ぎをしているニッシー達三人に会った。また、

マリコ達ピースボートスタッフも現地の友人なのだろうか四人で食事をしていた。私達は観光船

の発着場からビルの横を抜けガバメントハウスが建っている丘に登った。ここに立つとオペラ

ハウスが一望できた。この周辺一帯は広い公園になっていて、この国の歴史を眺めてきた巨木

が幾つもあった。それぞれの木には樹齢などを書いた札が立っていた。いずれも何らかの記念

樹に違いなかった。

 ガバメントハウスのフェンス沿いに歩き建物の正面に来た。建物の前で写真を撮り、トイレに

行きたくなったので道案内を見ながら坂道を下っていくと異様な鳴き声が聞こえてきた。見上げ

ると大きなコウモリが木の枝にたくさんぶら下がっていた。フルーツコウモリという種類だろうか。

公園の中にはコウモリ以外にも色んな鳥たちがいた。ここの人達にとっては珍しくないものなの

かも知れないが、私にとっては全てのものが珍しかった。

 私達が街へ出てきた目的はお土産を買うことだった。市の中心を目指して歩いていると私達

の地元である児島のY.Mさんに出会った。彼女も今回のピースボートに乗っていた。彼女から

お土産品を取りそろえた店があることを聞き、そこを目指すことにした。目印となるものは繁華

街にあるシドニータワーだった。私達はいささか歩き疲れていた。目的地は目の前だと分かって

いたが、すぐ近くのマクドナルドで一服した。

 そして、再び歩き始めた。目的の店はマクドナルドの目の前にあった。ここはお土産品専門の

スーパーマーケットのようだった。店内にはチョコレートを使った色んなお土産品がたくさん並ん

でいた。私達はトパーズ内の気温の事も考えて溶けやすいチョコレートをやめてクッキーの箱

入りを選んだ。

 たくさんの手荷物が出来たので市内観光は中止して、とりあえずトパーズ号まで帰ることにし

た。店内でJ.Kさんに出会った。彼女もこれから帰りたいと言うことだったので三人一緒に歩き

始めた。私達は港近くまでは帰り着いたものの複雑に交叉した道に迷ってしまい、なかなか船

にたどり着けなかった。

 この港周辺も大変な賑わいだった。後で知ったのだが、この周辺もシドニーでは有名な観光

地だったらしく日曜日だったこともあって大変な人出だった。大歓声でわき返っていたのは港内

での水上スキーによるショーが演じられていたからのようだった。ここはダーリングハーバーと

いうところだった。私達は水族館などを横に見ながらトパーズ号へたどり着いた。

 一度部屋へ戻り夕食を食べたが、これ以上町へ出ていく元気もなく、家内達と分かれて港の

建物の中で行われていた交流会を見学した。ここオーストラリアからは色んなNGOの人達が

参加して色んなパフォーマンスが行われた。ここではアボリジニの人達が授産事業で作ってい

るという民芸品等を売っていたので、私は装飾がきれいなブーメランを一つ買った。交流会は

まだ続いていたが、私は疲れていたので途中で切り上げて船に戻った。

 船に戻ってからはデッキから町の夜景を写真に撮り、ヘミングウエーバーでピアノやギター演

奏を聞きながら一杯飲んだ。ここへシドニーの街から一緒に戻ったJ.Kが来たので明日の観光

を約束した。部屋へ戻るとJ.Kさんと一緒だった家内も市内観光や買い物をして部屋に戻って

いた。こうして慌ただしいシドニーでの一日が終わった。

2005年1月17日(月)

 この日は早朝より雨が降っていた。市内観光も危ぶまれたがJ.Kさんと約束していたので、

ともかくトパーズダイニングルームに行ってみた。何かしら下船口から吹き込んでくる風は、夏

とは思えないような冷たさだった。雨のせいだろうか。

 何か上に羽織るものがなければ町を歩くことは出来ないような感じだったので食事後いったん

部屋に戻り八時四十五分頃下船口で待ち合わせることにした。幸い私達が歩き始めてからは

雨も止み曇り空となった。

 午前十一時が乗船リミットになっていたので、あまり遠くに行くわけにはいかなかった。空港で

貰った観光案内を見ると私達の船が停泊している港周辺もシドニー市内では有名な観光場所

だった。この周辺はコックルベイというところだった。

 この周辺には、たくさんのレストランやカフェが立ち並んでいた。また、時間の関係で中を見る

ことは出来なかったがシドニー水族館や国立海洋博物館等もあった。J.Kさんと私達三人は

ターミナルの建物を出てハーバーサイドに向かった。ここの横を通ってチャイニーズガーデンに

行ってみた。ここでトパーズ号の食堂で働いている王さんと出会った。彼はここがチャイニーズ

ガーデンだと言って喜んでいた。彼の出身地は上海とのことだった。

 ここには子供を対象にした遊園地があり、港の町らしく水を利用した色んなオブジェが作られ

ていた。出港まであまり時間がなかったので、遠くへ行くことはやめてゆっくりとした時間を過ご

した。

 こうして午前中の数時間を近場の観光で過ごしターミナルへ引き返した。帰船リミットが近く、

大勢の帰船客が列を作って待っていた。長い列が出来ていたのは危険物の持ち込み検査等

が厳しくなっていたからだった。

 こうして、わずかな滞在期間ではあったがシドニーの町を観光やショッピングをして過ごした。

トパーズ号は予定通り午前十二時にシドニーのダーリングハーバー・ワーフ8・パッセンジャー

ターミナルを離れた。折から霧雨が降り始めるといういささか寂しい出港となってしまった。いつ

もに変わらぬ賑やかで、それでいて何かしら一抹の寂しさを感じる出港風景だった。ここでも

数人の乗客が離脱と言って船を離れたし、ジャパングレースの社員や水先案内人のABOさん

達一家も下船した。

 やがてオペラハウスも霧雨の中に消えていった。雨が激しくなったので上甲板を引き上げ船

内に戻った。こうして夜を迎え船は外洋に出たのだろうか激しく揺れ始めた。これから船は一路、

最後の寄港地であるパプアニューギニアのラバウルに向かう。

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