ニュージーランド南島を行く(その2)

2005年1月14日

  

翌朝は夕焼けならぬ朝焼けだった。暗い湖が次第に明るくなり、やがて周辺の山々に朝日が当たり始めた(写真左、右)

    

私達が泊まったホテル(写真左)

ほうきのような草の根はたくさんの水を蓄えるそうだ(写真右)

    

夕日もそうだったが、朝日も地平線近くにあった。従って、ポプラ並木も私達二人の影もご覧のように長い(写真左、右)

    

ホテルの玄関先とそのロビー(写真左、右)

  

ここでもワインを作っていた。ホテル近くにはブドウ畑があり、その近くにはワインの醸造所があった。(写真上三枚)

    

ホテルの庭に飛んできた小鳥とオカトラノオに似た白い花(写真左、右)

8時30分

ハーストに向かって出発

ハースト峠にて小観光

途中ビジターセンターにて休憩

旅の風景(写真説明)

    

バスはホテルを出発した。この日も朝から良いお天気だった。

ホテルを出て間もなく峠にさしかかるとご覧のように青く澄んだ湖が見え始めた。

    

湖の側に臨時駐車し湖や周辺の景色を少しだけ見学(写真左)

ここからも雪をかぶったサザンアルプスの一部が見えていた(写真右)

    

湖の周辺には、こんな野草が咲いていた(写真左、右)

トイレ休憩で臨時駐車した店、ここはアイスクリームが美味しいことで有名な店だった(写真上)

    

店の中には開拓時代に使っていたと思われる農器具などが展示されていた(写真左、右)

マオイ族の歴史を学ぶビジターセンターにて(写真説明)

昼食前にビジターセンタに立ち寄った(写真上)

    

ビジターセンター周辺は湿地帯が多く、繊維の材料にもなったという植物がたくさん自生していた(写真左、右)

   

ここら一帯は先住民マオイ族の住むところであり、ヒスイ街道とも呼ばれている。

ビジターセンターの中には、このようなヒスイを使った武器や道具が展示されていた(写真左、右)

宝石として珍重されているヒスイだが、ここでは生活のためには欠かせない加工材料だったようだ。

 

ここらは南島でも西側に当たるところ、海から吹き寄せる風は大量の湿気を含んでおり降水量も非常に多い。

従って、東側に較べると非常に緑が濃い。(写真左、右)

    

平地から山間部に入ると一段と木々が多くなり、まるで密林のようだ。

深く切れ込んだ谷には急流が流れていた(写真左、右)

    

大量の水蒸気を含んだ海風は高い山にぶつかり大量の雲となる。

これらの雲は絶え間なく大量の雨を降らせる。(写真左、右)

その雨の量は信じられないような降水量だ。また、更に高い山には大量の雪となって降り積もる。

その量の多さが故に、温帯でありながらたくさんの氷河が出来ている。

    

マオイ族は、この地方のことを「アオテアロア」(雲のたなびくところ)と呼んでいる。

この表現そのままに、長く連なった長い長い雲が山の中腹を覆っていた。(写真左、右)

また、バスが通った道の一方の山からは幾筋もの長い滝が流れ落ちていた。

そして山腹のあちこちには、この雨の多さが故に何ヶ所もの表層雪崩のような崖崩れ箇所があった。

 

急流も山間部を抜けると、このように穏やかな流れとなる(写真左)

一方、この川のように氷河からの水は、緩やかな流になってもなお白く濁っていた(写真右)

ここで見かけた野生の鳩はとても大きかった。日本の鴉より大きく見えた(写真上)

12時頃

マスの養殖場があるレストランにて昼食(マスの焼き物)

昼食タイム(写真説明)

    

昼食はビジターセンターから少し走ったところにあった。この周辺一帯も広い湿地帯であった。

近くの川の水を引いて鱒を養殖していた。今日の昼食は、この鱒の大きな切り身をステーキにしたものだった。

レストラン内のカウンター周辺と昼食が終わった後のテーブル(写真左、右)

    

鱒の養殖場全景と養殖池の中の体長1メートル近い大きな鱒(写真左、右)

    

レストラン周辺の景色(写真左、右)

沖縄など南方で見るモクマオウの様に垂れ下がった姿が珍しい木(写真上)

午後

翡翠(ヒスイ)街道を北上しウエストランド国立公園へ

ウエストランド国立公園にてフランツ・ジェセフ氷河見学(すぐ近くまで行って見学)

マオイ族集落近くの海岸(写真説明)

    

この近くにはマオイ族の集落があった。

その建物の近くの海岸は、海が荒れたとき波によって大きくえぐられ、海岸を走る道路まで波によって

さらわれたとのことだった。やはり、ここでも温暖化による海面上昇の影響が出ているのだろうか。

この日は比較的穏やかな波であったようだ。(写真左、右)

    

海岸にあった大きな石はどれもきらきら光っていた。雲母を含んだ石だろうか。

それとも他の鉱物なのだろうか。(写真左)

海岸近くの植物は、この地方特有のものに見えた。それにしても枯れたようになっているのは

高潮の被害を受けたからだろうか(写真右)

さあ、いよいよ氷河見物(写真説明)

    

いよいよ、このツアー最大の楽しみである氷河見物に行った。

最初の氷河は「フォックス氷河」だった。

氷河近くの山は、この氷河が大きかった頃に削られたと思われる岩肌を露出した山があった(写真左、右)

    

氷河へ行く入り口に立っていた説明板(写真左)

ここもかつては氷河だったところだろうか。大きな石が大量に押し出されていた河原(写真右)

    

河原の一番奥に大きな氷の固まりとなった氷河の先端が見えていた。(写真左)

氷河は表面が土砂で汚れて黒くなっていたが、中は氷河特有の青い色をしていた(写真右)

    

バス停付近の岩山。如何にも固そうな岩であったが氷河で削られた崖は磨かれたように光っていた(写真左)

その崖の下を氷河から流れ出た冷たい水が流れていた(写真右)

この氷河は離れたところから見るとくの字に折れ曲がっていた(写真上)

    

周辺の山からは幾筋もの滝が流れ落ちていた。いずれも小さな氷河からのものだろうか(写真左)

駐車場周辺の景色(写真右)

    

氷河は崩れ落ち一部は氷の固まりのまま流れていた(写真左)

うずたかく積もった土砂はかつて氷河がこの近くまで伸びていた頃運んだものらしい。

その下には美しく澄んだ水が湧き出していた。(写真右)

    

次ぎに立ち寄ったのがフランツ・ジョセフ・グレーシアと名付けられた大きな氷河であった。

入り口近くに建てられていた看板(写真左)

周辺にはキンポウゲにも似た黄色い花がたくさん咲いていた(写真右)

   

   

迫力ある氷河の全体像。近くにいる人が小さく見えるほど大きな氷河であった。

私達はバスまで戻る時間を考えて、少し離れたところから見物し写真を写した。(上の写真四枚)

    

ここでも周辺の山からは幾筋もの滝が流れ落ちていた(写真左)

ここの河原で見た石はどれもクレヨンを塗ったように赤かった。その脇にはこんな白い可憐な花も咲いていた(写真右)

    

氷河への行き帰りの道。両側は足の踏み場もないほどに色んな植物が密集していた(写真左)

中には家内よりも大きな羊歯が幾本もあった(写真右)

    

幾層にもなった筋目が美しい大きな岩。その岩は手前で大きく折れ曲がっている(写真左)

えぐられたように削られた崖にはこのような茶色い苔が覆っていた(写真右)

    

菫(スミレ)だろうか、他の植物の葉陰から可愛い花がのぞいていた(写真左)

これはウツギの一種だろうか、白い花が群咲いていた(写真右)

    

中には、こんな蘭のような植物もあった。濃い紫色をした小さな実をたくさん付けていた(写真左)

山一面、赤く彩られた場所があった。クリスマスツリーと呼ばれ親しまれている花だ(写真右)

    

人間の身長より遙かに高い羊歯の群生(写真左)

氷河のところで見た赤い石。どうも苔の一種のように思えた(写真右)

16時頃

ホテル「フランツ・ジョセフ・グレーシャー」に到着

ホテルのある町に到着(写真説明)

一番に気がかりだったのは氷河見物のヘリコプターが飛べるかどうかであった。

私達のツアーでは氷河見物を予約したものが大勢いたが、ここまで天候が悪く延び延びになっていた。

この日の夕方は飛ぶことが出来ず、明日の朝が最後のチャンスとなった。

この町は氷河見物を目的にした観光の町であった。町の中にはヘリコプターの会社、ホテル、

お土産やさんなど、観光地らしい建物がたくさんあった。日本から来た観光客も幾らか見かけた。

    

左の写真は喫茶店のあるお土産屋さん、右の写真は棒の上に模型のヘリコプターを載せた氷河観光の

受付事務所(写真右)

    

私達の泊まったホテルの庭には、かつてニュージーランドにはたくさんいたという「モア」という

大きな鳥の銅像があった。これが実物大のものだとすると人間の背丈より大きな鳥だ。(写真左、右)

    

ホテルの庭は手入れが良く行き届いていた(写真左)

ロビーで食事前の時間を過ごす人達(写真右)

    

木の幹にこんな苔のようなものが付いていた(写真左)

これはクリスマスツリーという木の花、ほうき状になった雄しべが密生し遠くからでも赤く見える(写真右)

    

ホテル近くにも、こんな密林のようなところがたくさんあった(写真左)

また、ここでも樹のようになった羊歯(シダ)がたくさん生えていた(写真右)

    

道ばたに生えていた野草、豆科の植物のようだった(写真右)

ホテルの室内(写真右)

    

ホテルの設備(写真左、右)

2005年1月15日

朝食前

ヘリコプターに乗ってフォックス氷河見学

氷河の上に立つ(写真説明)

この日の朝、上空は厚い雲に覆われていた。残念ながらヘリは飛べそうになかった。

あきらめかけていたらツアーガイドの畠山さんから、これから出かけますとの連絡があった。

既に朝食を済ませた人達もいたようだが、私達夫婦は帰ってから食べることにしてヘリポートへ急いだ。

    

さあ、いよいよ出発だ。多少の緊張が走る。実は氷河見物も初めてなら、ヘリに乗るのも初めての経験だった。

先発の友人達を乗せたヘリは轟音を残して飛び去った。(写真左)

続いて我々の番だ。ヘリはパイロットを入れて6人乗りだった。(写真右)

    

ヘリは一気に上昇する。見る見るうちに眼下の景色が小さくなる(写真左)

道のない空を直線に飛ぶのだから早い。はや昨日、見学したフォックス氷河までやってきた。

切り立った岩山から激しく流れ落ちる雪解け水(写真右)

    

こうして真上から見ると下から見上げるのとは異なってすごい迫力だ。

氷河には無数の亀裂があり、これら無数の亀裂は青く氷河特有の色をしていた(写真左、右)

    

やがてヘリは氷河の一番上までやってきた。周辺の山頂は朝日に輝いていた(写真左)

ヘリは一気に雲の間を抜け、山頂に出た。一面の雲海であった(写真右)

ヘリの操縦席越しに周辺の景色を見ると、このように見える(写真上)

    

雲海に閉ざされた山々。山頂の一部だけがのぞいていた(写真左)

一方の側は雲海が切れ、すっかり晴れ上がった景色。どこまでも続く切り立った山々(写真右)

    

深い雪に閉ざされた山頂。既に雪は固まって氷になっていた。(写真左)

重さに絶えきれなくなった氷(圧雪)はひび割れて少しずつ動き始めている(写真右)

    

氷河の真上当たりから見下ろしたところ(写真左、右)

雄大なサザンアルプスの嶺々と手前はフォックス氷河(写真上)

先発隊の二機のヘリは既に着陸していた(写真上)

私達のヘリも先発隊の後を追うように氷河の上に降り立った(写真上)

氷河の上は想像以上に広く、降り積もった雪は既に凍って固い氷になっていた。

また、ここへはセスナ機も着陸するようで、氷上には着陸跡が残っていた。

ここが氷河の誕生の場所であった。表面は決して平坦ではなく凸凹で良く滑りとても歩きにくかった(写真上)

 

私達はともすれば足元をすくわれて滑りそうになるのを気にしつつ写真を写した(写真左、右)

決して仲良くて手を繋いでいるわけではない。こうしていないと足元の安定が保てないからだ(写真上)

頂上にこんな傘のような雲が懸かっていた。幻想的な自然が作り出す景色にただただ見とれていた。

    

氷河の生まれるところ、ここ大雪原は雪が氷となり、まるで氷の惑星に降り立ったような不思議な感じであった。(上の写真三枚)

    

(1)                                  (2)

    

(3)                                  (4)

    

(5)                                  (6)

(7)

山頂を埋め尽くすように大量に降り積もった雪はやがて氷へと変わっていく。

そして自らの重量に耐えきれなくなった氷は徐々に動き始める。(写真1,2)

流れ下る谷の勾配が急になると氷は大きく裂け、ご覧のように大きなひび割れ状態になる(写真3,4)

そして、周辺の岩をも削りながら更に下流へと押し出されていく。(写真5,6)

谷の勾配がなくなった当たりまで来ると、やがて先端は溶け川となって流れ下る(写真7)

私達を乗せたヘリは流れ下る氷河の上を飛んだ。その様子は足元にあり氷河の上を歩いているような

スケール感があった。

かつてはこの山も氷河に覆われていたのだろうか。むき出しの岩肌が削られたように滑らかであった(写真上)

    

流れ下った氷河の溶けた水は白く濁っている(写真左)

そして、平坦な場所まで流れ下ると、このような大河となる(写真右)

    

ヘリは氷河見物を終え着陸態勢に入った。ヘリポートはこのような河原のすぐ側にあった(写真左)

ヘリポートから町へ戻るにはこのようにジャングルにも似た道を通り抜けなければならない(写真右)

8時30分

朝食後、グレイマウスに向かって出発

途中、ロスという金の採掘場後を見学、かつてゴールドラッシュに湧いたところ

グレイマウスにて買い物及び昼食

13時45分

西海岸から東海岸へトランツ・アルバイン鉄道にて南島横断  

遠くサザンアルプスの雪山やルピナスの咲き乱れる線路沿いの景色、カンタベリー平野等を

車窓から見学(素晴らしい鉄道旅行だった)

18時30分

迎えのバスに乗って再びクライストチャーチ市のミレミアムホテルへ(第一日目の宿泊ホテル)

夕食は市内のレストラン「倉敷」にて和食

2005年1月16日

5時頃

バスにてクライストチャーチ空港へ

7時25分

ヴァージンブルー航空71便にてシドニーへ

10時30分

オーストラリアのシドニー港に着岸しているトパーズ号に合流

南島の人々

 かつてニュージーランドは先住民族マオリの島だった。ニュージーランドのことをマオリ語では

「アオテアロア」という。これは「雲のたなびくところ」と言った意味だそうで、かつて南島のマオリ

族がたくさん住んでいた翡翠(ヒスイ)街道周辺地域を指すようだ。関東以北や北海道にアイヌ

が名付けた地名が残っているのと同じような事だ。

 翡翠街道沿いに続く山並みには、山の中腹から山頂にかけて波打つように長い雲が延々と

続いていた。今まで見たこともないような珍しい景色で、まさにマオリ語の「アオテアロア」「雲の

たなびくところ」という表現がぴったりの場所だった。

 ニュージーランドの全人口はわずかに四百万人でその内の三分の二近くの人は北島に住ん

でいる。その内百三十万人が北島のオークランドに住んでいる。オークランドはニュージーランド

最大の都市だ。そして、南島最大の都市はクライストチャーチだそうで人口は三十五万人だと

の事であった。南島の大半の人は幾つかある大きな町に集中していて、旅をした地方が如何

に過疎地であったかということが良く分かるのではないだろうか。

 バスで島内を旅していても、めったに人の姿を見ることはない。私達が旅行したときは休暇中

で車の数が多いと言いながらもすれ違う車の数はきわめて少なかった。都市や都市近郊に住ん

でいる人を除いては、多くの人が牧畜を中心とする農業に従事しているようだ。しかし、延々と

続く牧場を見ていても目に入ってくるのは羊や牛ばかりであった。また、時折通り過ぎる町や村

も瞬く間に通り抜けてしまうような小さな集落ばかりだった。

 また、人口の少ない国では人と人の接触が少ないからだろうか、犯罪はきわめて少ないとの

事だった。

牧畜

 ニュージーランドは牧畜が盛んな国だ。私達が学校の地理で学んだ頃は人の数より羊の数

の方が多いと教えられた。むろん、その通りで私達が旅した南島の東半分はことごとく牧場で

あった。南島の東側の山はことごとく頂上に至るまで牧草地だった。

 カンタベリー平野という広大な平野も農作物を作っているのは一部だけで大半は牧草地のよ

うであった。これら平野部における牧草地には必ず防風林が作られていた。防風林は家畜に

とって夏場の木陰であり冬場には風雪を避けるための屋根であり壁であった。大半の家畜は

年中屋外で飼われているとの事で、これらの防風林は牧場の大切な施設のようだ。防風林に

使われている多くの木は松などの針葉樹であったが、中にはユーカリやポプラ等も植えられて

いた。

 最近は化学繊維に押されて羊毛の需要は落ちているとの事であった。最近は羊に代わって

鹿やダチョウ、南米のアルパカなど色んな家畜を飼っているようであった。特に鹿はたくさん飼

われているようで多くの場所で見かけた。角が漢方薬として輸出されているようだ。

 羊毛は現地でセーター等に加工され売られていた。どんな小さな土産物店でも羊毛製品は置

いてあった。しかし、値段は思ったより高かった。羊毛が豊富であるから安いというものではな

いらしい。店の人は安いのはみな中国当たりからの輸入品だと言っていた。

 一口に羊とは言っても多くの種類がいるようで、代表的なものは3種類だとの事であった。牧

場にいる大半の羊は雌と子羊で雄は種付け用の羊を除いて大半は処分されているとの事であ

った。ガイドさんが面白おかしく貴方なら雄に生まれますか雌に生まれますかと話していた。

 牛はホルスタインの姿をよく見かけたが、中には珍しい縞模様をした牛もいた。何という品種

だろうか。

 余談になるが、この島に動物はほとんどいなかったそうで、いま島にいる大半の動物は入植

者達が持ち込んだものだ。羊や牛や馬や犬、中には野生化しているウサギもいる。

 ニュージーランドで一番困っているのはオーストラリアから持ち込んだという有袋類のポッサム

の異常繁殖だ。天敵がいない快適な環境の中で実に5000万頭ものポッサムがいると言われ、

オーストラリアでは保護動物なのにニュージーランドでは害獣として扱われているとの事であった。

 そもそも、ポッサムが持ち込まれたのは毛を利用するためだ。ポッサムの毛は短毛なので羊

毛と一緒に紡ぎ毛織物に使われているとの事であった。

 また、この島固有の生物としてはモアと言う大型の鳥がいた。モアの仲間にはオーストラリア

のエミューやアフリカ大陸のダチョウがいる。しかし、これらの鳥よりは遙かに大型の鳥で先住

民達の食料として狩り尽くされたようだ。

 島の東半分が禿げ山なのは、モアを森から追い出すために火を放ったためと言われている。

その後にヨーロッパから白人達が入植者としてやってきた。そして、禿げ山を牧草地として利用

しているようだ。一度失ってしまった森は容易に元には戻らない。

 南島の気候は東と西とでは大きく異なるようだ。南島は南北にサザンアルプス山脈が縦断し

ているからだ。島の西側はタスマン海に面しており、海から吹き寄せる湿気を含んだ風は山脈

に大量の雨を降らせる。山間部では年間降雨量が15000ミリを越えると言われ、それらは雪

となって険しい岩山に降り積もる。そして根雪は次第に厚みを増していき、ついには氷河となる

ようだ。世界で温帯地域にある氷河はここニュージーランドの南島だけである。

 また、山脈は年中厚い雲に覆われており、南島の代表的な山であるマウントクックの頂上が

見えることはまれな事のようである。私達もついに山頂を見ることは出来なかった。

また、マウントクックのような高い山ばかりではなく低い山には鬱蒼とした温帯雨林が広がって

いた。温帯雨林には南島固有の多種多様な植物が昼なお暗い森を作っていた。熱帯雨林では

根元まで日光が届かないため草木が少なく見通しも良いと聞いていたが、ここの森は大木の

根元まで草木に覆われていた。

 中でも熱帯を思わせる植物は大きなシダであった。このシダはKORU(コル)と言ってマオリ・

カービング(原住民マオリが好んで用いた模様)の一つでもあった。また、ニュージーランド航空

の尾翼に描かれたマークもシダをデザイン化したものであった。このようにシダは冬になっても

枯れることなく成長を続けているようで、このことから新しい始まりとか成長と調和のシンボルと

して使われてきたようだ。

 かつて南島全部がこれらニュージーランド固有の植物に覆われていた時期もあったとのこと

で、今は保護のため伐採はおろか開発は一切禁じられているとの事であった。

 また、ニュージーランド政府は外来植物が持ち込まれる事を恐れて厳重な植物検疫を行って

いる。しかし、皮肉にも花好きな女性が持ち込んだというルピナスが至る所で花を開いていた。

これらは道の両脇を美しく彩り、遠くの雪山とともに絵葉書にもなっていた。その他、エンジや白

のジキタリスもたくさん咲いていた。ジキタリスはニュージーランド固有の植物だとの事であった。

 例年であれば、これらの花は終わっているはずなのに今年は60年ぶりの異常気象とかで山

にも雪が残っていたり開花も二週間近く遅れていたようだ。まるで私達の到着を待っていてくれ

たようであった。

 南島にはマウントクック国立公園やウエストランド国立公園など4つの国立公園があり、これ

ら全てが世界遺産に登録されている。私達は厚い雲に覆われた温帯雨林地帯を道の両脇に

見ながら旅をした。高い山からは降ったばかりの雨が幾筋もの滝となって流れ落ちていた。

 東側の乾燥しきった大地をいやと言うほど見てきた私達にとって心休まる景色だった。雲の

たなびくところ「アオテアロア」という、マオリの表現がぴったりの神秘的なところであった。

 タスマン海の湿気を含んだ風も高い山岳地帯に雨や雪を降らせた後は乾燥した空気になって

東側に吹き下ろす。従って、山林の消滅と牧場化によって東側は乾燥した大地が広がっていた。

今は冬に向けての牧草の栽培期となっていて、雨の代わりに大型の散水器が広い牧草地を潤

していた。また、刈り取られた牧草はロール状にして熟成を待っていた。

 羊たちは緑豊かな牧草地ではなく半ば乾燥した草原に追いやられて草を食べていた。東側の

山間部は幾重にも裸の山が続き、誰かが月の砂漠はこんな景色なのだろうかと言ったというの

も頷けるような景色だった。

 今回、私達は三カ所の氷河を見ることが出来た。最初に見たのはマウントクック国立公園内

にある氷河だった。ここの氷河は山中に大きく後退をしてしまい、山の中腹に先端部が見えて

いた。もちろん何の装備もない私達には近づくことの出来ない氷河だった。

 次に訪れたのはフォックス氷河だった。ここは氷河の先端部を間近に見ることが可能だった。

しかし、九の字に折れ曲がった氷河全体の姿を見ることは不可能だった。氷河近くの山は切り

立った崖になっていて氷河に削られたと思われる傷跡が生々しく残っていた。かつては、この

当たりまで氷河が来ていたことを容易に想像させた。今は氷河が運んできたと思われる大量の

土砂が峡谷に山のようになっていた。また、氷河が溶けだした川には小さな氷のかけらが幾つ

も浮かんで流れていた。

 最後に訪れたのはフランツジェセフ氷河だった。ここは駐車場から少し山の中を歩き木々の

間を抜けると広い河原に出た。河原には幾筋もの川が流れていた。右側の崖の上からは滝が

流れ落ちていた。その河原の一番奥に巨大な氷河の先端部が見えていた。私達は氷河の近く

まで歩いていった。時間さえあればもっと先まで行くことが出来たのだが途中で引き返した。

 多くの氷河で見られた事だが河原の石が赤くなっていた。どうも赤い苔で覆われているようで

あったが、何故こんな苔に覆われるようになったのか不思議だった。

 フォックス氷河は南島を離れる日に再びヘリコプターから見ることが出来た。上空から見下ろ

す氷河は大変な迫力があった。上流に降り積もった雪は次第に下流に向かって押し流される。

そのために幾筋ものクレバスが出来ていた。クレバスの表面は削られた土砂によって黒く汚れ

ていたが、その底は氷河特有の青く神秘的な色をしていた。

 下流から上流に遡るに連れてクレバスはなくなり、平坦な頂上部は朝日の中でまぶしいくらい

白く輝いていた。先発したヘリコプターが二機この雪原に着陸していた。上空からは小さな谷間

にしか見えなかった雪原だったが、セスナ機でさえ離着陸できるほどの広さがあった。雪原は

一度溶けて固まったように幾つもの浅い穴が出来て凸凹になっていた。

 私達は滑る雪原に何度も足を取られながら用心深く移動した。色々と場所を変えながら周辺

の景色やお互いの写真を撮り合った。むろん体験したこともなく、想像さえ出来なかった素晴ら

しい景色にいささか興奮していた。

湖と川

 南島には幾つもの川が流れていた。それらの多くは氷河が溶けたものであった。白く濁った川

は氷河に削られた岩が微粒子となって溶け込んだものだ。その川も下流になるに連れ微粒子

は沈降し、澄んだ水になっていた。

 また、氷河から流れ出た川は湖を満たしていた。これらの湖はミルキーブルーとでも言えば

良いのだろうか乳白色に濁った水は青白く、見る場所や太陽の位置によって様々な色に変化

して見えた。

 ニュージーランドの北島の湖は火山湖で南島の湖は氷河湖だそうで、湖の形も北島では丸く、

南島では長細い形をしているようだ。南島の湖の大半は、ずっと昔氷河が大きかった頃、山が

削られて出来た湖だとの事であった。そういえば氷河近くの山は氷河によって削られた思われ

る荒々しい岩肌がむき出しであった。

 氷河近くの石は幾層にも薄い層が重なった変成岩のようであった。この岩は比較的柔らかく

崩れやすい岩であった。従って、川や湖が白く濁っているのは、この岩が削られた微粒子なの

だ。

人々の暮らし

 ニュージーランドは日本の本州と九州を合わせた位の国土に、わずか四百万人の人しか住

んでいない。と言うことは実に過疎の国だ。そのために、レジャーランドのようなものは経営が

成り立たないとの事であった。

 従って、レジャーと言えば日本のものとは異なって、ヨットであり、キャンピングカーによる旅行

のようだった。私達が南島を訪れたときはクリスマスからお正月にかけての時期で、学校も休

みだとの事だった。従って、子供達はお父さんやお母さん達とキャンピングカーで気ままな旅を

楽しんでいるようだった。色んなキャンピングカーを置いたレンタル会社がクライストチャーチ郊

外にはたくさんあった。これらキャンピングカーは私達の行く先々ですれ違い、湖や川の畔や、

氷河近くでもたくさん見かけた。最後の宿泊地だったフランツ・ヨゼフの町には、これら旅行者

用のモーテルがたくさんあった。

 この国は貧しい国だと聞かされたが優雅に旅行やキャンプを楽しむ人達を見ていると、物が

あるなしやお金のあるなしが貧富の差ではないことが良く分かった。如何に心豊かに生きていく

かと言うことが本来の豊かさではないだろうか。そんな事を考えながら行き交うキャンピングカー

をバスの車窓から眺めていた。

 家一戸の値段にはピンからキリまであるようだった。グレイマウスにあった不動産屋のウイン

ドウには色んな家の価格が貼り出されていた。多くは平屋建ての家だった。小さな家は五百万

円から七百万円くらい、大きな高級住宅になると三千万円を超えるようなものもあった。しかし、

贅沢さえ言わなければ総じて安いようだ。

 この国の人達は身の丈にあったの暮らしをしているようで、新婚当時の安月給の時は小さな

家に住み、子供が増えるに連れて大きな家に引っ越すようだ。そして、子供達が家を離れてい

くと老人二人だけの生活に戻り、小さな家に移り住むのだとガイドさんは話していた。実に合理

的な生活スタイルではないだろうか。私達が通り抜けてきたところにも、そのようなお年寄り達

がたくさん住んでいるという小さな美しい町があった。

 クライストチャーチ周辺には都市ガスがないようで、煮炊きの多くは電気ヒーターを使っている

との事だった。また、暖房は最近まで石炭を炊いていたとの事であった。しかし、喘息など石炭

による公害が増え、薪を炊くように指導されているようだ。そう言えば郊外の牧場には大小の林

があってたくさんの木を植えていた。中には伐採したままのものもあった。これらが乾燥した後、

薪として売られているとの事でだった。まあ人口の少ない国だからこそ出来ることかも知れなか

った。

動植物と保護対策

この国の動物の大半は国外から持ち込まれたものだ。今はこの国の固有種を守ろうと懸命に

なっていた。そのために、動植物の持ち込みに関する検疫はとても厳しい。ポッサム等を始め

過去入植者が持ち込んだ動物は少なくない。

 ポッサムは国内に五千万頭もいると言われ、羊や牛を飼うために南島に限らず北島の環境

も作り替えてしまったようだ。生きていくために仕方なかった事とは言え、一度壊された環境は

容易に元には戻せない。

 こうしたニュージーランドの入植者とは異なるが、日本人は同じような事をやっていると言われ

ている。その一例が熱帯雨林の乱伐だ。東南アジアの森林の多くはラワン材を初めとする多く

の木材を日本へ輸出するために伐採されたと聞いている。

 ニュージーランドでは過去の反省から、残された南島の自然を守ろうとここを世界遺産に登録

した。車中からだったので間近に見ることは出来なかったが、スノータソックと言うい草のような

植物は長い根に大量の水を蓄える事が出きると言い、こんなユニークな植物も残っているよう

だ。

 しかし、森の中で大変目に付くのは遠目には椰子のようにも見える大きなシダではないだろう

か。このシダは冬でも枯れることはないそうで、その生命力がマオリのお守りであるKORUになっ

ているようだ。(コルについては牧畜のところに書いているので参考にして貰いたい)

ホテルとレストラン

 このツアーの目玉は何と言っても豪華な食事だった。第一日目の昼食はクライストチャーチ市

内を流れるきれいな川のほとりのレストラン「リバービュー」、ここは各人が皿を持って好きな料

理を取って食べるというビュフェスタイルの食事でだった。日本で言うところのバイキングスタイ

ルの食事だった。

 その日の夕食はクライストチャーチ市郊外のレストランだった。石造りの重厚な建物で中には

中世風の装飾がなされた立派なレストランだった。「サイン・オブ・ザ・タカヘ」と言い、ここには皇

族の紀宮様やクリントン前アメリカ大統領が訪れた事もあり、賀来千香子さんと宅麻伸さんが

結婚披露宴をしたという高級レストランだった。ここはクライストチャーチ市郊外の小高い丘の

中腹にあった。食事が終わった頃、太陽は西に傾き窓からは美しい夕焼けが見えた。ここでは

フルコースのディナーだった。東京に住んでいた事もあるという日本語が大変上手な支配人が

いた。

 二日目の朝食は宿泊先のミレミアムホテルだった。そして、昼食はデカポ湖畔のレストランだ

った。湖畔にあるレストランと言うことからレストランの名前も「コハン」だった。経営者は日本人

でスタッフの大半も日本人だった。私は松花堂弁当を食べ、家内はサーモン丼を食べた。特に

サーモン丼は有名らしく、ニュージーランド人も好んで食べるとの事だった。何もかもが日本風の

味付けで大変美味しかった。色んな観光バスが乗り入れており大勢のお客だった。

 夕食はワナカのホテルだった。ここでは海鮮バーベキューという変わったバーベキュー料理を

食べさせてくれた。白身の魚や小さなたこ、ムール貝の鉄板焼き等がメイン料理だった。

 三日目の朝食はこのホテルで済ませ、昼食はサーモンファームというマスを養殖しているとこ

ろで食べた。食堂のすぐそばには丸い池があり、この中でマスを養殖していた。このマスを丸ご

と一匹焼いたものが皿にのっていた。とても食べきれないほど大きかったが、あっさりとした味

で美味しかった。

 三日目の夜は宿泊先のホテルでの夕食だった。ここでは、この地ならでは肉料理のマトンだ

った。それも柔らかいラムだった。その他、肉以外にも色んなものが添えてあった。そんな訳で

ついつい食べ過ぎてしまいそうだったので、少しセーブしながら食べるようにした。

 四日目の朝は朝食を食べずに氷河見物に出た。従って、私達は帰ってきてからの食事だった。

既に食べ終わった人達もいてバラバラの食事になってしまった。さすがに夕食ほど色んなものは

並んでいなかったが、やはりビュッフェスタイルになっていた。色んなチーズがあったので、チー

ズ好きな私としてはうれしかった。

 四日目の昼食はグレイマウスという町のレストランだった。ここにはニュージーランド開拓時代

を再現したような家財道具が展示されていた。食事はレストランの女性が運んでくれた。デザー

トは果物だったが大好評でたちまちの内になくなってしまった。

 そして最後の夕食は再びクライストチャーチ市に戻って食べた。この日はホテルでの食事では

なく、市内にある和食レストラン「倉敷」だった。クライストチャーチ市は倉敷市と姉妹縁組を結ん

でいる。そんな事からこのレストランは作られたらしい。店のオーナーは二代目になっていたよ

うで倉敷のことは良く知らないとお店の人が話していた。スタッフの多くは日本人だった。

 残念だったのはお刺身が一番後に出てきた事だった。また、魚を食べる習慣が少ないのか

一匹付けの魚は一夜干しのシタビラメだった。本来なら煮付けの魚と言うところなのだろうが、

こればかりは仕方なかった。しかし、海の魚に飢えていた私達にとっては久々に満足のいく食事

だった。

 そして最後の朝食は早朝の出発だったので、どこから仕入れたのかおにぎり弁当だった。これ

を時間待ちの空港ロビーで食べた。外国に来ておにぎりとはいかにも日本人らしいと思いながら

美味しく頂いた。

買い物

 西海岸へ抜ける道は翡翠(ヒスイ)街道と呼ばれていた。昔からこの周辺では翡翠を産出し、

ダイヤモンドでなければ削れないと言うほど固いこの石は昔から武器や道具に利用されていた

ようだ。しゃもじのような珍しい形をした武器は部族の統率者のシンボルでもあったようだ。今は

装飾品として売られていた。

 私達はグレイマウスの宝石店で翡翠のペンダントをかった。このペンダントは夫婦であっても

相手に買って貰うものだという習慣があるようだ。お互いに買い与える事によってお互いの幸せ

が約束されるようだ。また、子供達の土産として買って帰った。

 釣り針の形をデザイン化したものは「幸運や船旅の安全」を祈願したもの、KORUというシダを

デザイン化したものは「新しい始まりとか成長や調和」を祈願したものだ。

 この国の代表的なお土産と言えば羊毛製品ではないだろうか。しかし、産地とは言え意外に

高く、簡単には買えないものが多かった。お店の人に聞くと「中国製のものを逆輸入したような

ものは安いですが、現地で加工し製品化したものは高いです」と話していた。「その代わり品質

は保証します」とも話していた。家内は船に冬物をほとんど持ってきていなかったのでカーディガ

ンを一枚買った。

 グレイマウスではお土産品の店の他、日用品を売っている店もあった。その一つに100円シ

ョップがあった。むろん100円ショップという看板は出ていなかったが、店内の品物は2ドル均一

の表示があった。多くは中国から輸入したものであった。

 また、変わった習慣だと思ったのは裸足で歩いている人が意外に多かった事だ。タヒチでは

よく見かけた姿だったが、ここでも同じような光景を見ようとは驚きだった。

南島横断 鉄道の旅

 今回の南島旅行の目玉は何と言っても旅行最後の鉄道旅行ではないだろうか。私達はグレ

イマウスでの昼食が終わった後、バスから鉄道に乗り換えてクライストチャーチを目指した。乗

ったのはトランツ・アルバイン鉄道だった。駅を出たときが出発時間という、実にのんびりとした

いい加減な鉄道だった。

 予定時間より遅れて出発した鉄道は南島を東西に分けている山岳地帯のいくつものトンネル

を抜けてやがて東海岸に広がる平野に出た。途中、幾つかの駅に停車したのだが駅名をまっ

たく記憶していない。

 グレイマウスを出発するとしばらく平原を走った。平原には牧場もあり牛や羊の姿を何度も見

た。そして、小さな駅に停車した。近くには大きな湖があった。次の駅は比較的長い時間停車し

ていた。単線なので行き交う列車を待っていたようだ。ここを出ると目の前に素晴らしい景色が

飛び込んできた。線路沿いに紫色の花がいっぱい咲いていた。素晴らしい景色だった。私達は

トロッコのような窓のない展望車にいたので、景色ばかりでなく甘い花の香りも直に味わうこと

が出来た。

 そして、この当たりから川が列車の右や左に見えるようになった。どうやら鉄道は川沿いに走

っているようだ。川は両サイドを山に挟まれていた。なだらかな山の向こうには雪を被ったまま

の高い山が見え隠れしていた。雄大で素晴らしい山岳地帯の眺めだった。

 そして、この路線の一番高いところにトンネルが連続して五つあった。このトンネルを抜けると

眼下に深い峡谷が見えた。遙か谷底を大きな川が流れていた。

 山岳地帯を抜けると、やがて列車は平坦な平原地帯へと入っていった。平原地帯になると東

海岸特有の広々とした畑や牧場だった。カンタベリー平野に帰って来たのだ。クライストチャー

チ市は、もう間近だった。

まとめ

 ニュージーランドは全人口を合わせてもわずかに四百万人という非常に過疎の国だ。私達は

南島しか見ていないので、すべてを語ることは出来ないが、人々は心落ち着くような自然の中で

心豊かに暮らしているように思えた。今まで幾つかの国々を見てきたが、住むのであればこの

国が一番落ち着けそうな気がした。また、白人が多い国でありながら、あまり意識することがな

かったのは彼らとの接触が少なかったからか、あるいはこの国の国民性なのだろうか。

 犯罪が非常に少ないと言うことも金銭や財産にこだわる人が少なく、人と人の摩擦が少ない

からではないだろうか。

 また、入植者が多い国でありながら過去の反省の上に立ち、外来種の持ち込みに異常とも思

えるほどの神経を遣い自然保護をしている。日本ではどれが在来種でどれが外来種か分から

ないほど動植物の混在は激しい。少し見習うべきではないだろうか。

 ともあれ、素晴らしい自然を心ゆくまで満喫できた旅であった。また、クライストチャーチ市は

非常に洗練された美しい町であった。まさに花咲き乱れる町だと言っても過言ではないくらい緑

豊かで美しい町であった。

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