ゴーギャンが愛した島タヒチ

2005年1月4日(火)

 トパーズ号は朝早く予定通りタヒチ沖に着いた。当たり前と言ってしまえばそれまでの事だが

いつもの事ながらとても正確な運航であった。目が覚めて船内テレビを点けてみると外はまだ

暗いようであった。

 私は昨日のことを書いていなかったのでパソコンを立ち上げ入力を始めた。こうして約一時間

後、再度船内テレビを点けてみると外はすっかり明るくなっていた。昨晩も時差があったのだが

私達二人は時計の針を一時間遅らせることを忘れていた。そんなわけで、お互いに正確な時間

が分からなかった。後で分かった事だが、いつもの起床時間よりどうやら一時間早かったようだ。

 パソコンへの入力は途中までだったが、家内に促されて上甲板へ行ってみた。すでに大勢の

人が出てきていて次第に近くなるタヒチを見ていた。

 太陽は雲の中にあったが雲間から幾筋かの光りが放射状に洩れていた。また、タヒチの山が

光りを遮り、薄い靄の中を帯状に走っていた。もう少しすれば太陽は顔を出すばかりの状態だっ

た。また、タヒチの高い山には雲が懸かっていた。富士山に懸かる雲と同じような傘雲であった。

周辺の雲は周辺が赤く縁取られていた。とても幻想的な眺めだった。そして太陽が顔を出し周

辺の景色は一挙に明るくなった。

夜明け前の海の彼方に(写真説明)

船首の上甲板に出てみると夜明け前の海の彼方にタヒチらしい島影が見えた。いよいよ着いたぞ。

    

空には雲が懸かっていた。しかし、気になるようなお天気ではなかった。さあ、待ちに待ったタヒチだ。(写真左)

この島は、火山の噴火によって出来た島だと言うことが遠くからも分かるような形をしていた。(写真右)

    

雲間からは強烈な太陽の光が漏れていた。光りははっきり分かるほど筋状になっていた。(写真左)

空気中には光りの帯が出来るほど水蒸気が多いのだろうか。(写真右)

    

太陽はすでに水平線から離れていたが依然として雲の中だった。(写真左)

目を転ずると奇妙な形をした島が見えていた。どうやらこれが海の古城と呼ばれているモーレア島らしい。(写真右)

    

素晴らしい南国の夜明けだった。イースター島のような暗さがなかった。(写真左右)

船腹にパイロットと書かれたボートが近づいてきた。どうやら水先案内のボートのようだ。(写真上)

 タヒチは緑豊かな島であった。しかし、開発は山の中腹近くまで行われ、あちらこちらに開発

途中と思われる造成地が赤い山肌を見せていた。また、少し離れたところにはモーレア島と思

われる島があった。こちらは逆光の中で黒いシルエットになっていた。

 モーレア島は海の古城と言われているように切り立った細長い山がいくつもあった。タヒチ本

島も両端は、なだらかなスロープになっているが真ん中は大きくえぐられたようになっていた。私

には火山島だった頃、爆裂噴火により島の中央部が吹き飛んだのではないかと思えた。モーレ

ア島の奇妙な山の形は火山活動によるものであることは後になって聞いた。余談になるがモー

レア島内には火山活動で出来た石がたくさん転がっていた。

 私は朝の景色を何枚も写真に写した後、朝食を食べにヨットクラブへ行った。すでに家内は知

人と一緒に食事を始めていた。屋外のテーブルだったので日が高くなるに連れジリジリと焼け付

くような暑さに変わっていった。

 船はいよいよ着岸間近だった。湾内で大きく方向を変えタグボートに船腹を押されて着岸した。

モーレア島ツアーの集合時間は午前十一時十分であった。時間的には相当余裕があった。昨

晩準備中であった荷物をバッグに詰め出発準備は終わった。

いよいよ入港、ゴーギャンの愛した島タヒチが目の前にあった。(写真説明)

  

山には薄い靄が懸かっていた。トパーズ号のスピードが落ちるに連れムットするような暑さが襲ってきた。

やはり気温だけでなく湿度もかなり高いようだ。

今まで空調の利いた船内にいた私達は久々に日本の夏を思い出していた。(写真左右)

    

湾内は実に穏やかだった。海岸に立ち並ぶ家々を見てここも近代化の波が押し寄せていることを感じていた。(写真左右)

    

太陽の強烈な光りを避けるのに役に立ったベトナムの傘。(写真左)

デッキから身を乗り出すようにして着岸する埠頭を見下ろしていた。(写真右)

    

タグボートがトパーズ号の船腹を押して無事に着岸。(写真左右)

    

となりの島モーレア島との間を行き来する連絡船。(写真左)

空の青さと海の蒼さはタヒチのものだ。(写真右)

    

港周辺の景色。さすが観光の島だけあってどこを見ても絵になるような景色ばかりだ。(写真左右)

    

空や海の蒼さが白い船体を引き立たせている。(写真左)

空にはタヒチを飛び立った飛行機が。(写真右)

 再び船上デッキに出てみると船の外ではタヒチの人達が来て歓迎の歌を歌っていた。その前

でトパーズ号のクルーであるブルガリア人の姉妹やインドの男性が踊っていた。私達は部屋へ

戻りボーディングカードを持って船外に出てみた。タヒチ上陸の第一歩であった。家内は姉妹と

一緒に踊り始めた。タヒチの女性が白い花を一輪手渡してくれた。とても良い香りのする花であ

った。私は姉妹と一緒に踊っている家内の写真を何枚か写した。

 海辺に行ってみると小さな魚が群れていた。それらに混じって色鮮やかな魚や黒い大きな魚

もいた。港の中とは思えないほど水は澄んでいた。また、岸辺の石には珊瑚がたくさん着いて

いた。やはりここは熱帯の海だった。小魚は手を差し出せば掬うことも出来るような手近にいた。

そして、小さな波に乗っては岸壁の石の上に打ち上げられて跳ねていた。そして次の波が来る

とまた、水の中へと戻っていった。まったく人を恐れるような様子はなかった。

ようこそタヒチへ(写真説明)

    

トパーズ号の後部デッキには敬意を表して訪問国であるタヒチの国旗。(写真左)

船の下では赤い衣装の女性達が歓迎の歌を歌っていた。(写真右)

    

トパーズダイニングにいる人気ウエイトレスやウエイターが早速踊っていた。その中に入って家内も。(写真左右)

    

そして、みんなで記念写真。(写真左右)

    

今日の送迎バス。このバスでタヒチ市内観光の人達は街と港を往復した。

だいだい色のシャツを着ているのはピースボートスタッフの人達。(写真左)

バスの横で家内。(写真右)

港の海も非常にきれいだった。澄んだ水の中にはたくさんの魚が群れていた。そして海底には珊瑚もあった。(写真上)

 私達は荷物を持ってブロードウエイショーラウンジに集合した。そして、時間を見計らって船外

に出た。そこにはバスが待っていた。ツアーリーダーのGさんにツアーバウチャーを渡してバス

に乗った。モーレア島行きの連絡船までは、ほんの五分もかからないくらいの距離だった。

 私達は手渡された昼食用のサンドイッチと水を持ってバスに乗った。港には双胴船のフェリー

が停泊していた。この船に乗ると船首部分の客室に腰を下ろした。船が港を離れると早速昼食

にした。私達が食事をしている間にタヒチ本島は見る見る小さくなり次第にモーレア島が近づい

てきた。遠くから見ると小さな島のように思えたが緑豊かな大きな島であった。

さあ、モーレア島へ!!(写真説明)

    

モーレア島行きのフェリーボート乗降口。入り口にMOOREAと書いてある。(写真左)

同じタイプの船。すべて双胴船だ。(写真右)

  

これはモーレア島から戻ってきた船。(写真左)

私達が乗った船の船内。(写真右)

  

さあ、モーレア島が近くなったぞ。(写真左)

いよいよ着岸。MOOREAの看板が見える。(写真右)

    

港の売店、さすが南国の島、色んなフルーツが並んでいた。(写真左)

さあ、バスに乗って出発だ。ホテルまではこのバスで。(写真右)

 島の大半はプライベートビーチだとの事であった。迎えのバスの車窓の景色は素晴らしかった。

マングロープや椰子の木々の間から見える海は遠くに珊瑚が作った環礁があり、その内側は

浅い海になっていてエメラルドグリーンに輝いていた。素晴らしくきれいな海だった。

 港から十五分くらいでホテルに着いた。「モーレア・パール・リゾート」という比較的新しいホテル

であった。お正月シーズンでもあり欧米からの旅行者は比較的少ないそうで、このシーズンなら

日本からの往復の航空料金と五泊ぐらいの滞在費でも二十五万円位の格安ツアーがあるとの

事であった。私達以外にも日本人らしき旅行者を何人か見かけた。

 このホテルにはフランス人と結婚し、この島に来たというリエさんという女性がいた。彼女が現

地コーディネーターとして私達の世話をしてくれた。フロントのある建物の前には大きな石像が

あった。また、フロントの後ろには大きな彫刻と、その下には水槽があり熱帯魚がたくさん泳い

でいた。私達はホテルのフロント前で今日からのレクチャーを受け部屋の鍵を受け取った。

 残念ながら部屋は海寄りではなく庭の奥にある二階建てのアパート形式の建物であった。ホ

テル内には大きく分けて三種類の宿泊施設があった。文字通り海上コテージと呼ばれているも

ので海の中にコンクリートの杭を立て、その上に一戸建ての建物が乗ったもの。この建物と建

物の間は木製の廊下で繋がれていた。また、少し内陸部に建てられた一戸建ての建物、そして

私達が宿泊した一番安いと思われる建物だった。

着いたところは「モーレア・パール・リゾート」というホテル(写真説明)

島内の海岸はほとんどがプライベートビーチとなっていて、このホテルも専属の海岸を持っていた。

比較的新しいホテルのようで私達以外にも日本人観光客が泊まっていた。

私達が訪れた時期はヨーロッパからの観光客が少ない時期とかで比較的安価に泊まれるようだ。

    

高い天井と爽やかな風が吹き抜ける開放的な空間。正面がサービスカウンターになっていた。(写真左)

早速、タヒチの女性にレイを懸けて貰い歓迎を受けた。(写真右)

    

満面笑みのピースサイン。(写真左)

二人、豪華な籐の椅子に腰をかけ記念撮影。(写真右)

    

ツアーリーダー(左)とこのホテル専属の案内係の日本女性(右)

今日から明日までのレクチャーを受けた。(写真右)

    

ホテルの入り口、きれいな花に囲まれて大きな看板が。(写真左右)

    

ホテル前の大きな道路とホテル横の椰子林(写真左右)

    

道路脇には九官鳥に似た鳥が。(写真左)

ハイビスカスの深紅が眩しい。(写真右)

    

どの花を見ても南国の花らしく色鮮やかだ。(写真左右)

    

これは両替をしたタヒチの通貨。(写真左右)

 私達の部屋は一階の111号室だった。部屋の中は素朴な作りの木製の家具で統一されてい

た。部屋のあちらこちらには心配りの花が置いてあった。また、大きなガラス戸の外は広い庭

でハイビスカスなど色んな植物が植えられていた。また、見上げるように大きな椰子が風になび

いていた。また、部屋の入り口周辺にも色んな植物が植えてあり色とりどりの花が咲いていた。

 椰子の向こうには切り立った山があった。山は雲がかかって見えなくなったり、また姿を見せ

たり始終変化を繰り返していた。海から吹いてくる風は高い椰子の葉先を揺らし、子供の頃夢

見ていた南国の景色そのままの姿だった。のんびりと心落ち着く眺めだった。

モーレア・パール・リゾート(写真説明)

    

部屋のベッドメークの上にはこんな花が置いてあった。その他にもテーブルやベッド脇の棚の上にも。(写真左右)

    

レースのカーテンの外には爽やかな風が吹いて背の高い椰子の木の葉が大きく揺れていた。

ゆったりとした時が流れていく。静かな午後の一時だ。(写真左右)

    

棚の上に置かれていたハイビスカスの花と歓迎に貰った花のレイ。(写真左)

ホテルにはプライベートビーチだけでなく海水を引き込んだプールもあった。(写真右)

    

海の上に作られたコテージ(写真左)と、広い庭園の中に点在するコテージ。(写真右)

    

陸上の一戸建てのコテージ周辺は色んな花で彩られていた。(写真左)

これはプールの側にあった木になっていた実。銀杏のような形が面白い。(写真右)

    

ホテルの入り口や園内のあちらこちらに置かれていた石像。

イースター島のモアイなどと何らかの関係があるのだろうか(写真左右)

    

芝生の上で餌を食べていた鳩(日本の山鳩より一回り小さい)(写真左)

高い椰子の木にはいっぱい実が付いていた。(写真右)

 私達は早速着替えを済ませ海岸へ出てみた。しかし、海岸には白い泡が浮いて濁っていた。

とても泳ぐ気にはなれないような海だった。その時、お年寄り夫婦が海から帰ってきて珊瑚礁で

何かに刺されたと行って指を押さえていた。見ると指先に黒い棘がたくさん刺さっていた。どうや

ら紫ウニの針のようだった。私達はどこへでも入るわけにはいかないと思い、入っても良い場所

を聞くために彼女たちと一緒にフロントに行った。リエさんがいたが病院へ行った方が良いとの

判断で急遽ツアーコンダクターのGさんを呼んだ。こんなごたごたがあったのでリエさんからの

アドバイスを聞くのに時間がかかってしまった。どうやら怪我をした人は自分たちだけの判断で

不用意に海に入り込んで怪我をしたようであった。

 私達は外人さん達が大勢甲羅干しをしている海岸で泳ぐことにした。ここは海上コテージと海

岸の間にある小さな海岸であった。海の底は珊瑚が砕けて出来たきめ細かい白い砂であった。

この砂浜にも小さな珊瑚がたくさんあり、この隙間へ小さな魚たちが出入りしていた。魚の種類

は少なかったが南国の海らしい眺めであった。色鮮やかな魚はカワハギの仲間であろうか。中

には盛んに砂を口に含んでは吐き出している魚もいた。また、針のように細い魚も泳いでいた。

 カヌーを借りて沖まで行った知人がライフジャケットとカヌーやパドルを貸してくれた。怖がる家

内を説得しやっとの思いで乗せたのだが、どうしても沖に出ることをいやがった。仕方なくカヌー

は返却せざるを得なかった。その内にホテルの係員が果物を持って来てくれた。パイナップルと

椰子の果肉だった。椰子の果肉は固くてほんのりとした甘みがあった。また、パイナップルは甘

みと酸味が乾いた口に心地よかった。

    

海岸には外人さん達が多かった。みんな海に入らずに椅子の上で昼寝をしたり本を読んでいた。(写真左)

コテージの前で泳ぎ始めた家内。(写真右)

 こうして甲羅干しや泳ぎを繰り返して部屋へ戻った。快い疲れだった。私達はシャワーや着替

えを済ませて町へ行ってみることにした。既に何人もの人が泳ぐことより買い物を楽しんでいた。

ここは町と言うほどのものではなく、商店などの建物が幾つか集まっている場所だった。これら

の建物の中に銀行や郵便局があることを知ったのは翌日の事だった。外見的には普通の店と

変わらない建物だったので気が付かなかったのだ。

 行き帰りの道のほとりには民家と思われるような家が建ち並び、庭には南国の花が咲き乱れ

ていた。中にはイチジクに似た葉に松笠を大きくしたような青い実がたくさん付いている木があ

った。この木は、タヒチのコインの模様としても使われていた。恐らくタヒチを代表するような植物

なのではないだろうか。また、どの椰子もたわわに実を付け、落ちた椰子の実からは芽が出て

いた。

 これらの木々の根元には奇妙な穴がたくさんあった。よくよく見ると穴の中からは大きな陸生

の蟹が顔を出していた。どうやら、これらの穴はこの大きな蟹が掘ったものらしい。

モーレア島の町歩き(写真説明)

    

町と言うほど大きなものではなかったが、商店や郵便局などがあるところまで散歩がてらに歩いていった。

途中の家々には色んな花が咲いていた。(写真左)そして、椰子の木にはたくさん実が付いていた。(写真右)

  

店の中には入らなかったが、こんな洒落た建物もあった。(写真左)

ネムノキに実に良く似た花が咲いていた。(写真右)

    

この赤い花も葉を見るとアカシアの葉に似ていたので豆科の植物だろう。(写真左)

そして、この島ではあちらこちらで見かけた丸い実だがドッチボール位の大きなものもあった。

この国の硬貨にはこの実が刻まれていた。(写真右)

この花は何だろう。赤い色が鮮やかだった。(写真上)

    

椰子の実が落ちて芽が出ていた。(写真左)

道のほとりに生えていた花。(写真右)

    

道の脇でたくさん見かけた穴は、この蟹が掘ったものだった。(写真左右)

 私達はみやげ物店で絵葉書を買った。部屋に戻り夕食までには十分すぎるほどの時間があ

ったので便りを書いた。便りを書き終えて夕暮れの浜辺に出てみると夕日は既に雲の陰に入っ

ていた。海上コテージの珊瑚周辺にはオレンジや青色の色鮮やかな魚が泳いでいた。沖から

は絶え間なく海鳴りが聞こえていた。この海鳴りは沖の環礁に波がぶつかる音だった。海上の

雲は赤く染まり、やがて暗闇の中へ溶け込んでいった。

 夕食の集合場所に行くと、ほとんどの人が集まっていた。ここでも少しレクチャーを受け夕食

会場へ移動した。そこは庭やプールに面した実に開放的な場所だった。部屋にもいたようだが、

ここにもたくさんの蚊がいるようであった。スカートや短パンの人は蚊に刺されて困っているよう

だった。

ホテル内の紹介(写真説明)

    

水上コテージ。絵になる眺めだ。(写真左)

私達のコテージの前で。(写真右)

    

私達が食事をしている側まで来て止まった小鳥。(写真左)

これは他の場所でも見かけた鳩。(写真右)

    

私達の歓迎用のレイにも使われていた花。匂いがとても良い。(写真左)

ピンクのハイビスカス。とてもきれいだった。(写真右)

紫色をした花。(写真上)

    

夕暮れになると空の雲は赤く染まってとてもきれいだった。(写真左右)

私達が夕食を食べた食堂。蚊がいたのでムードが台無しだった。(写真上)

    

食堂の横にあったバー。気の合う仲間同士。(写真左右)

 夕食の時に出たヒナノビールはタヒチ特産のビールでビンに貼られたラベルに人気があるよ

うであった。私達も記念に瓶から二枚剥がし持ち帰った。

 夕食後、空を見上げると星がたくさん光っていた。しかし、庭の照明が明るすぎて期待したほ

ど星は見えなかった。かろうじてオリオン座が分かるくらいのものであった。

 私達はする事もなく早々とベッドに入ってしまった。今日の疲れが心地よい眠りを誘い、一挙

に深い眠りに入ってしまった。

2005年1月5日(水)

 カーテンを開けてみると今朝も良く晴れていた。ホテルのすぐそばにある山にもほとんど雲は

懸かっていなかった。私達が訪れる前日までは激しい雨が一日中降っていたらしい。従って、海

の水を入れているプールも濁り、むろん海も濁っていたようだ。それが、まるで私達を歓迎して

くれるかのように良いお天気に変わっていた。同行した誰もが気持ち悪く思うくらい、寄港地毎

に良いお天気が続いていた。こんな船旅も珍しいのではないのだろうか。

 私達は薄明かりの中で着替えを済ませホテルの敷地内を散歩した。既にホテルの関係者も

働き始めていた。海上のコテージ周辺に行ってみると太陽はまだ雲の中だったが、周辺の雲は

赤く縁取られていた。すがすがしい朝の景色だった。沖の環礁には大波がうち寄せ絶え間なく

轟々と海鳴りがしていた。そして砕けた波が環礁を白く縁取っていた。しばらくはぼんやりと景色

に見とれていた。

 私達は海上コテージをつなぐ通路を行き来しながら、場所を変える毎に変化する景色を楽し

んでいた。その内にツアー同行者の早起き組が出てきた。昨日は濁っていて良く見えなかった

海の中も色とりどりの魚がたくさん群れていた。また、小魚の集団が群になって海面を泳ぎ回っ

ていた。中には記録映画で見たようなチョウチョ魚やエンゼルフィッシュ等も泳いでいた。珊瑚

に付いた餌を取ろうとして体を横にすると、黒と黄色の縦縞模様がくっきり見えて思わず何度も

シャッターを押してしまった。海の中と周辺の景色を心ゆくまで楽しんで部屋に戻った。庭には

ハイビスカスなどの花が新たに開いていた。

朝のホテル内(写真説明)

    

空が明るくなり始めたが陸上コテージも海上コテージもまだ眠っていた。(写真左右)

海上コテージを繋ぐ廊下にて。(写真上)

    

太陽が海上を離れると雲間から筋状の光りが走っていた。(写真左)

遠くには早くも入道雲が出来ていた。(写真右)

    

@                             A

    

B                             C

早朝の澄んだ水の中では色とりどりの魚が泳いでいた。(写真@ABC

    

いよいよ太陽は高くなって来た。何だか今日も暑くなりそうだった。(写真左右)

    

いつも沖の方ではごうごうと海鳴りの音がしていた。

この音は沖の珊瑚礁の端に打ち寄せる波が砕ける音だった。(写真左右)

沖では雨でも降っているのだろうか。虹が出ていた。(写真左)

   

@                              A

 

B                              C

今日一日が始まったホテル内の景色。(写真@ABC

 朝食はビュフェ形式だった。色んな食べ物が並んでいた。どれも味わってみたいものばかり

だった。特にフルーツはいつも取り遅れて口にすることが出来なかったので今日は一番に皿に

載せた。最近のツアーでは夫婦が別々に取ると食べきれないので、手分けして出来るだけ色ん

なものを取るようにしていた。この日も同じようにしたのだが何しろ品数が多くて食べ過ぎだった。

 食事後は早速泳ぐことにした。家内は食後でもありゆっくりしたいと思っていたようだが、私が

着替えを始めると渋々と付いてきた。実は昨晩の夕食時、家内は仲良くなったOさんに浮き輪を

借りて、勇気を出して泳いでみるように励まされていたのだ。家内はプールで泳ぎを覚えかなり

泳げるようになっていたのだが、この旅行まで海で泳いだ経験がなく、何となく恐怖心を抱いて

いた。特に海岸近くの珊瑚から一挙に深い海になるところを見て怖がっていた。しかし、魚が見

たければここで泳ぐしかない。従って、浮き輪を着けていれば安全だと励まされたのだった。私

はホテルでライフジャケットを借り着けていた。準備万端整えて海上コテージの最先端にある

ステージから階段伝いに恐る恐る海に入ってみた。

 私も最初は海に流れがあるようで、感覚を確かめるまでは階段の手摺りを離すことが出来な

かった。慣れて来るに従って沖の方へ泳いで行けるようになった。沖だとは言え常に階段を視

野に入れておくように注意はしていた。

 ここは珊瑚礁で場所によっては足がつくくらい浅いところもあった。深い海と珊瑚の切れ目周

辺に驚くほどたくさんの魚たちが泳いでいた。私は持ってきたパンを小さくちぎって海中へ撒き

始めた。しばらくすると餌だと気付いた魚が次々に集まり始めた。私は家内に見せたくて家内を

呼ぶとすぐ側に来ていた。こうして二十分くらいであろうか、持っていたパンをすべて魚たちに

与えてしまった。その後、何度か海へ入るたびに指を差し出すと餌と間違えた魚たちが指先を

つつきに来るようになった。魚たちを見ていると無性に可愛かった。いつまでも海の中で魚たち

と一緒にいたかった。

 一度ステージに上がったのだが、海の中の方が温かくもう一度海に入った。しばらくすると空

は急に曇ってきて今にも降りそうなお天気になった。こうなると風のせいか海も濁ってきて視界

が悪くなってしまった。仕方なく諦めて部屋へ戻ることにした。空想の世界であった色んな魚に

出会うことが出来、珊瑚礁の海を心ゆくまで味わうことが出来て大満足だった。

 部屋へ戻り着替えを済ませカメラを持って庭に出た。太陽は既に高くなり南国特有の蒸し暑さ

に戻っていた。先ほどまでの雲はどこかへ行き、南国特有の明るい景色に戻っていた。私は広

いホテルの庭をくまなく歩き回り色んな植物や花の写真を写した。家内は庭に面した部屋の中

で持ってきた本を読んでいた。

 私は、水上コテージ周辺でもう一度、魚の写真を撮りたくて朝泳いだ海へ行ってみた。すると

そこに顔見知りが二人来ていた。ピースボートスタッフのSさんと高校一年生のNという女の子

だった。Sさんの姿をしばらく見なかったので船を降りたのかと思っていたら、私同様パタゴニア

のトレッキング以降、大風邪を引いて部屋に引きこもったままだったようだ。点滴を数回受けた

と話していた。私よりも、ずっと重症だったようだ。二人は沖の環礁近くまで泳いできたと話して

いた。SさんはともかくNのこの小さな体のどこにそんな力があるのだろうと驚いてしまった。

 SさんとNの泳ぐ姿を写真に写していたときタヒチの若い男女がここへ来た。写真を撮らせて

欲しいと頼むと即座にOKだった。二人は仲良く肩を寄せ合ってポーズをしてくれた。彼女の方

にタヒチアンかと尋ねると、そうだと答えてくれた。二人ともタヒチの男女だった。

 海は周期的に澄んだり濁ったりしているようだ。何が原因なのだろうか。二人が海から上がる

というので私達の部屋でシャワーを浴びるように勧めた。二人は大変喜んでいた。こうして私達

の111号室へ案内し、チェックアウトまで時間はあまりなかったがシャワーをさせてあげた。

 そして、一緒に部屋を出た。その後、二人とは玄関の手前で別れた。私達はホテルの一室に

荷物を置き、再集合の十二時まで自由に時間を過ごすことになった。

 私達はホテルに切手がないと聞いていたので、リエさんに聞いた町の郵便局へ行くことにした。

郵便局は昨日買い物に行った商店街の一角にあった。手持ちのお金が足らないように思えた

ので銀行に行った。さんざん待たされた挙げ句、今日は交換できない日だとの事であった。道路

を渡った向かい側に両替所があると教えられた。そこでは手数料が必要だった。ホテルに帰り

経緯を話してみるとホテルでは手数料は取っていないとの事であった。両替所の係員が盛んに

カウンター上の表を指さして念押しをしていたのは、手数料がこれくらい必要だがそれで良いか

と尋ねていたのだと、この時になって分かった。従って、昨日ホテルで二十ドル交換したときの

受取額とこの日両替所で受け取った額には大きな開きがあった。約五百タヒチフラン位の手数

料を取られていた。

 すっかり両替で時間がかかってしまった。家内は郵便局の中で私の帰りを待っていた。郵便

局の中でもかなり待たされた。私達の前の人は受付の人とどうやら世間話をしているようだった。

このように、ここは実にのんびりとしたところだった。両替やさんざん待たされてあげく、料金は

封書も絵葉書も同じ料金だった。従って、両替は必要なく手持ちの金で十分だったのだ。両替

で苦労したことも両替で損したことも勉強と思い諦めた。

 ちなみに島内の人はほとんどの人が裸足だった。ここへ来るときの船内でも裸足の人を何人

か見かけ不思議に思っていた。そう言えばガビさんもトパースの船内を裸足で歩いていた。ガビ

さんのデモンストレーションかと思っていたのだが、そうではなかったようだ。モーレア島内では

銀行に来る人も郵便局で待っている人もみんな裸足だった。裸足でないのは私達旅行者か白

人だけであった。ここはゴーギャンの時代からみんな同じスタイルのようだ。私達の子供時代の

ゴム草履姿を思い出し、何となく懐かしく嬉しい気持ちになった。

 郵便局からの帰りに霧雨が降り近くの山は霞んでいた。しかし、傘をさすほどの雨ではなかっ

た。南国の高温が濡れた体をすぐ乾かせてしまった。雨と言うにはほんのわずかでホテルに帰

り着くまでにはやんでいた。

 昼食は昨晩と同じコース料理だった。昨晩のメインディッシュはマグロのステーキだったが、

今日は牛肉のステーキだった。和牛のステーキには及ばなかったが柔らかくて美味しかった。

 昼食後二時半までには時間があった。私達は名残惜しさを感じて再び水上コテージへ行った。

すると白人夫婦がパンを海面に投げていた。その餌に小魚が盛り上がるように群がっていた。

そして瞬く間に食べ尽くしてしまった。その内Oさんが水着に着替えて泳ぎに来た。そしてパンを

魚にやり始めた。今朝と同じように底の方にいた大きな魚が集まってきた。そして、海は少しず

つ澄んできた。この海岸は相変わらず澄んだり濁ったりを繰り返しているようだった。

 私は家内と別れ、残り少なくなった滞在時間を使ってホテル内の写真を写した。ホテルの端

の海岸では、この島の子供達が五人くらい遊んでいた。あまりにも楽しそうなのでカメラを向け

るとみんなでポーズをしてくれた。明るくて人なつっこそうな子供達だった。

庭園の花(写真説明)

すが、南国である。どこを見ても南国らしい色鮮やかな花が咲いていた。

    

海へ入った後、持ってきた本を読んでいる家内。くつろぎの午後の一時。(写真左)

今日迎えるお客さんのために摘んでいるのだろうか。ハイビスカスの花を摘んでいる女性。(写真右)

    

花だけではない。こんな実もあった。(写真左右)

    

@                        A

    

B                     C

    

D                         E

    

F                             G

    

H                         I

    

J                      K

L

BCDEはハイビスカス。

    

海上コテージの前で泳いでいたタヒチの若い男女。写真を撮らせて欲しいというと喜んで応じてくれた。(写真左)

海上コテージの近くまでアウトリガーのあるカヌーが近づいてきた。(写真右)

 

海の中に長くはりだした海上コテージ。(写真左)

お昼近くになると浅くなっている沖合の珊瑚礁はコバルトブルーになっていた。(写真右)

    

港でも見かけたこの小さな魚、名は何というのだろう。

たくさん群れていて餌になるものを見つけると、餌の奪い合いで盛り上がるように折り重なっていた。(写真左右)

    

コテージの午後は強烈な太陽の下で色を失い白く光っていた。(写真左右)

    

小さな町には郵便局、銀行、両替商、商店などが一カ所に集まっていた。(写真左)

これは、町へ行く途中の奥まったところにあった南国らしい色鮮やかな布を売っているお店。(写真右)

    

道縁の民家の軒先にあった木の実。(写真左)

ホテルのサービスカウンター上の彫刻。(写真右)

    

コテージとコテージ先端にあったビーチパラソル。私達はここから海に入った。(写真左右)

    

プライベートビーチとは言いながら地元の子供達にとっては関係ないらしい。

タヒチの子供達がたくさん遊んでいた。カメラを向けるとみんな集まってポーズをとってくれた。(写真左右)

 こうして色んな思い出が出来たホテルを後にした。ホテルを出る前には現地通貨が多少余っ

ていたので記念にと黒真珠のネックレスを買った。小さな黒真珠一個だけというシンプルなもの

であった。ちなみに黒真珠はここの特産品でもあった。

 港に着くと色んな島内観光のツアー客が集まっていた。外人やタヒチアンや私達と同じピース

ボートの人達だった。船は高速船なので屋上のデッキにいると吹き飛ばされそうになるくらい風

が強かった。遠ざかるモーレア島の珊瑚礁がブルーに輝き、今まで見たこともないほど鮮やか

な色だった。これこそ南国の海の色ではないだろうか。

アットという間の二日間(写真説明)

アットいう間に二日間は過ぎてしまった。名残を惜しみながらホテルを後にした。

 

ホテルを離れ港が近くなるとタヒチ本島が沖合に見えていた。(写真左)

港には既に船が着いていて私達を待っていた。(写真右)

    

さようならモーレア島、私達は船上の人となった。(写真左右)

 

もう一艘の僚船が先に出発した。(写真左)

その後を追って私達の船も出発した。島の沖合にはこんな珊瑚礁が広がっていた。(写真右)

 

モーレア島がどんどん遠ざかりタヒチ本島が目の前にあった。(写真左右)

    

心地よい船上の風に吹かれながらも強烈な太陽にジリジリと焼かれていた。(写真左)

もう二度と来ることはないかも知れないモーレア島。(写真右)

    

船内の装飾二つ。(写真左右)

 私がデッキに上がったり下りたりを繰り返している内に船はパペーテの港に着いた。ここで家

内とも別れ町の見学に出かけた。私が歩いたのは町のほんの一部であった。店構えこそ小さい

が繁華街があり、外見的には普通の町と変わらなかった。島の中心部を見る限りゴーギャンが

描いたようなタヒチらしさはまったく感じられなかった。町からの帰りにパイナップルの良い香り

が周辺に漂っていた。見るとトラックにパイナップルを満載していた。これからどこへ運ぶのだろ

うか。ここのパイナップルはとても甘くて美味しい。帰船リミットは夕方の五時だったが早めに船

へ引き返した。

タヒチの町を歩く(写真説明)

    

歩いたとは言っても連絡船から下りてほんの少しだけ。ガジュマルのようなこんな木も、そしてこんな通りも。(写真左右)

    

交通量の多い大きな通り、その通りには日産自動車の店も。(写真左右)

 

港近くにはこれから積み込む荷物だろうか。完熟のパイナップルが甘い香りを漂わせていた。(写真左)

ここの港は軍港でもあった。写真右側が軍港。(写真右)

 船に帰ると途端に疲れが出てとても眠かった。出港時間は夕方の六時だったので、それまで

はと思いベッドに横になった。そして、気が付いたら時計の針は夕方の七時少し前を指していて

船はとっくに港を離れていた。大急ぎで船上デッキへ上がってみると既に日は落ち左舷にタヒチ

本島と右舷にモーレア島が黒いシルエットになっていた。

 タヒチ本島の中心部は町明かりで明るく、その場所を目指して旅客機が大きく旋回し着陸態

勢に入っていた。一方、モーレア島は尖った山々が黒いシルエットになって本物のお城の姿を

見るような感じだった。確かに海の古城にふさわしい姿だった。

 ウッシュアイアの時もパタゴニアトレッキングで疲れてしまい、ついに出港風景を見ることが出

来なかったが、今回もまた同じような事になってしまった。この暗さでは写真を撮ることも出来な

かった。仕方なく部屋へ戻り、この旅の思い出をパソコンに入力していた。すると間もなく家内

も部屋に戻ってきた。家内は今までデッキにいて出港風景を見ていたようであった。

 

あわてて船上に出てみると船はタヒチ本島からもモーレア島からも遠く離れていた。(写真左右)

 今回、この船を降りたのはガビさんと若者達の一行だった。彼らはオーバーラウンドツアーで

ガビさんの農場に行くと言っていた。おそらく島の中心部近くのプランテーションに行くのではな

いだろうか。ここではバニラ等、タヒチの特産品を作っているとの事であった。

 余談になるがタヒチは物価が非常に高い。タヒチはかつて自給自足の島であった。少なくとも

ゴーギャンがこの島に住み着いた頃はそうだったのではないだろうか。しかし、その後フランス

政府の政策により住むところを追われ農業から離れる人が多くなった。更に原水爆実験が近く

で行われるようになると、軍事基地に雇われた島の人達には今まで手にしたこともないような

給料が支払われた。このようにして現金収入のあるものとないものの間に貧富の差が生まれ、

人々は島内の産物に依存する生活から、現金収入を選ぶようになったようだ。また、観光地化

する事により更に物価は上がっていった。

 今やこの島でゴーギャンの絵に見るような生活を探すことは難しい。時代の波が否応なくこの

島の生活を変えてしまったようだ。それでもなお自然だけは変わることなく昔の面影をとどめて

いる。陸上はともかく海や空は昔のままの姿ではないのだろうか。この美しい自然を汚すことな

く後世に伝えていきたいものである。

                                  2006年2月14日写真掲載

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