イースター島を目指して

12月23日(木)

 22日の夕方は重い荷物を持ってやっとの思いで船室にたどり着いた。まさに、たどり着いた

という言葉がぴったりするほど疲れていた。二日間良く我慢できたものだった。旅行中、体温を

測ったことはなかったが、平熱を超えていたのではないだろうか。

 どうやら本格的な風邪を引いてしまったようだった。やっとの思いで着替えをし、ベッドの中に

潜り込んだ。体温を測ると37度を超えていた。先日来、筋肉痛だったのはこの熱のせいだった

のだろうか。

 こうしてバルパライソの出港風景を見ることもなく翌日を迎えた。この日はクリスマス前で何か

と船内行事も多かったが、どれにも参加することなくベッドの中にいた。

 船の医務室での診察開始は午前九時半からだった。既に大勢の人が診察を待っていた。多

くは風邪ひきの人だったが、中には南極へ行っての帰りに船の中で躓いて捻挫した人もいた。

私の診断結果は気管支炎だった。抗生物質を飲んだら少し良くなったようにも思えたが、今ひ

とつすっきりしなかった。

 船内企画にはほとんど参加することなく23日、24日を過ごした。何としてもイースター島へ着

くまでには治しておきたいと思っていた。イースター島へは28日に入港する事になっていた。

12月24日(金)

 今日はクリスマスイヴだった。色んな船内行事が企画され七階フロアーは賑わっていた。若い

女性達は手作りの赤いミニスカートをはいて行ったり来たりしていた。今日はマジッククラブに

昼までいて、その後、しゃべり場の打ち合わせに出た。やはり何となくしんどかった。

 昼食もそこそこにして部屋に帰り寝ていた。いつになったら完治するのだろう。多少不安にな

ってきた。それにしてもクリスマスや正月は、あっという間に今年も終わってしまいそうだ。そう

なると、この船の旅も残すところ後一ヶ月になってしまう、この一ヶ月間が過ぎるのは相当早い

のではないだろうか。私達夫婦はニュージーランドではオーバーラウンドツアーになっていた。

それまでには何としても健康を取り戻しておきたいと思っていた。

12月25日(土)

 船内の主要な場所には何らかのクリスマスの飾り付けがなされていた。昨晩はイヴと言うこと

で抽選会なども行われ、船内の最上級の部屋に一泊が当たった幸運な人もいたようだ。食堂

もフォーマルディナーということで着飾った服装の人が多かった。メインディッシュにはチキンの

もも肉が出たが食欲がなく半分ほどしか食べられなかった。

 また、プールのある最上階ではGETの先生達が中心になって色んな企画をしていたようだ。

そんな行事にも参加出来ず、夕食もそこそこに部屋へ帰って寝てしまった。また、知り合いの

部屋では大勢が集まって賑やかだったという話を聞いた。家内は私がこんな状態だったので

自分だけが参加するのも悪いと思い、これらの行事に参加できなかったようだ。一番楽しい

時期に気の毒な事をしたと思っている。

 午前中はマジッククラブの打ち合わせと練習があった。熱のせいでぼっとしていたのか予行

演習では見事に間違えてしまった。その後、「百姓している人、したい人集まれ」と言う企画が

あったので参加してみた。大半は経験の浅い人ばかりで参考になるような話を聞くことは出来

なかった。

 その他、今日はニュージーランドのオーバーラウンドツアーやタヒチでのツアーの説明会があ

った。今回は同室希望を出すことが主な説明会だった。また、洋上音楽会があり、家内達が参

加しているオカリナグループも出演した。どんなにコンディションが悪くても船内行事の写真だけ

は欠かさず写すようにしていた。

 私はあまりにも熱が下がらないので終了間際の診察室へ行った。そして抗生物質を変えて貰

った。また、咳止めなども出して貰った。これで少しは良くなれば良いのだが。

 こうした船内での診療は、すべて現金支払いになっていて後日、保険請求を行うシステムに

なっていた。

 海の色は太平洋特有の濃いブルーに変わっていた。久々にこの色に出会ったような気がした。

 この日の晩は貰った薬を早めに飲まなければならなかったので、家内に頼んでカップ麺を貰

ってきた。カップ麺はEちゃんという女の子が持っていた。この麺を食べ薬を飲んで宵の口から

ベッドに横になっていた。

 食事に関しては波へいで夕食をという方法もあったがここは有料だ。また、メニューも少なく、

食欲のない時など困ることが多かった。あれを食べたい、これを食べたいと言うわけにはいか

ないからだ。そんなわけで売店で買ったインスタント食品が手軽な食事になってしまう。

12月26日(日)

 海は群青色をしていた。これがイースター島を囲む海の色なのだろうか。とにかく水に色を付

けたように青かった。

 船はバルパライソを出港し、はるか太平洋上にある海の孤島イースター島に向かっていた。

イースター島は空の色にも特徴があると聞いていたが、どんな空の色なのだろう。そんな事を

考えながらも、私自身は今ひとつ気分がすぐれず憂鬱な毎日を過ごしていた。

 食事に魅力がないのは最悪だった。これも回復を遅らせている原因なのではないだろうか。

目刺しが食べたい。鰹節のご飯が食べたい。しかし、船の上ではどこを探してもそのような

ものは見当たらなかった。

 また、気分転換を図ろうと思っても限られた空間ではどうしようもなかった。船を降りたいと思

う人の気持ちも分かるような気がした。

 体調の方は相変わらずだった。熱が平熱まで下がらなかった。そのせいか食欲もなく気力も

湧いてこなかった。本当に最悪の状態が続いていた。とは言いながら、昨日よりは今日と言う

ように熱もわずかながらも下がり始め、気分もほんの少し良くなったようなのでぼつぼつ活動を

再開していた。

 今日は第二回マジックショーの直前練習や打ち合わせがあった。その後、午後三時からイー

スター島の上陸説明会があった。イースター島には大きな港がなく、トパーズ号からいったんテ

ンダーボートという小舟に乗り換えて上陸する事になっていた。その方法について入念な説明

があった。気になるのはお天気だった。風がなく海が穏やかであることを願っていた。

 南極クルーズのスライドショーがあったが、今までにも何度かハイビジョン映像などを見ていた

ので感動は少なかった。おそらく生で見る景観はもっと素晴らしいものであったに違いなかった。

静止画像ではこの程度が限界なのかも知れなかった。

 マジックショーは日頃の練習の成果もあって成功だった。中にはいくらかの失敗もあったが、

これはこれで素人のマジックショーなのでご愛敬ではないだろうか。指導してくれたSさん達に

心から感謝したい。

 マジックショーが終わったらまた疲れが出てきた。部屋へ帰る前に家内から月がきれいだと

いう伝言があった。上甲板に出てみると人がたくさんいた。見上げると南十字座やオリオン座

が見えていた。

 知り合いの人が船の右舷に月が出ていると教えてくれた。月は水面からわずかに離れた位置

にあり満月だった。穏やかな海面に光の帯が出来、実に幻想的な景色を作り出していた。これ

に似た景色は瀬戸内海でも時々見かける事はあったが、こんなに美しい月夜を見るのは初め

てだった。この美しさをどのように表現すれば良いのだろうか。

 何故かこの景色を見ていて、月に照らされた海でイルカ達がいっせいに嬉しそうな声を出しな

がら跳ねているシーンを想像してしまった。そんな幻想的なシーンさえ連想させるような神秘的

な景色だった。いよいよ明後日はもっと幻想的な島、イースター島へ上陸する。

フォーマルディナーそしてクリスマス

船上で体調を崩してしまった。船内では風邪が大流行していた。

何しろ限られた空間を空気は循環している(船内は空調機で一定温度に保たれているため)

そのために一カ所で患者が出ると瞬く間に船内に広がるようだ。

船内でもマスクをした人を何人も見かけることがあった。そんな一人に自分がなろうとは。

一方、家内は元気だった。従ってクリスマス関連の写真も家内が写したものが多い。

    

この日は何度かのフォーマルディナーの日であった。こんな日はみんなそれぞれに着飾って

トパーズダイニングに集まった。(写真上二枚)

    

掲示板の中には皆さんが作ったクリスマス関連の作品が展示されていた(写真上二枚)

    

    

    

    

    

    

クリスマスイブの夜、プールサイドのデッキではかくも賑やかな催し物が。

残念ながらこの日私はベッドの中で風邪と闘いながら寝ていた(写真上十三枚)

    

    

    

クリスマス関連の折り紙などの作品(写真上六枚)

    

一方、翌日の新聞発行の準備や次の催し物などの準備も進んでいた(写真上二枚)

絵手紙の展示(写真上)

    

そして、こんな絵画展も(写真上三枚)

    

    

クリスマスの催し物(音楽の発表会)

家内などが出演したオカリナ演奏など(写真上四枚)

    

アナウンサーはA君と家内。

これは船内での催し物などをピーアールするトパーズテレビ(TV)

ここで収録されたものは船内のテレビに流される(写真上三枚)

自然の美しさ

    

    

海の蒼さは格別だった。アフリカに向かって航海中のインド洋と同じような色だった(写真上四枚)

    

    

空に浮かぶ雲の影さえ映すような穏やかな海と抜けるような空の青さ。

何といっても船旅の醍醐味はこんな空と海に出会うことではないだろうか(写真上四枚)

    

    

    

    

    

そんな大海原に太陽は沈んでいく。静かな海の夕焼けが全天を覆いとても幻想的な雰囲気となる(写真上十一枚)

マジッククラブの発表会

マジッククラブの人達はとても練習熱心な人が多かった。

マジックは自分で演じられるようになると見ているだけより遙かに面白い。

それだけに一度始めたらその魅力に取り憑かれる人が多いのではないだろうか。

    

    

マジッククラブの練習風景。午前中の大半はこの練習に明け暮れていた。

発表会を前に自分の演ずるマジックをみんなの前で披露(写真上四枚)

    

私のマジックはカレンダーの予告(写真上二枚)

    

そして発表当日。この発表会と以前に一回、しめて二回の発表会を行った(写真上二枚)

    

何かしらイルカが海面にまで出てきて歌でも歌いそうな幻想的な月夜だった(写真上三枚)

イースター島関連イベント(写真説明)

新たなる寄港地が近くなると、毎回、上陸説明会なるものが行われる。

また、それとは別に上陸地から水先案内人を招待して、このような学習会も行われる。

    

海の色はまさに紺碧だ(写真左、右)

    

    

イースター島の勉強の後は賑やかなダンスになった(写真上四枚)

果物について

 さて、昼食を抜きにした埋め合わせに先日チリで買ったリンゴを食べてみた。チリではリンゴと

ネクタリンをそれぞれ三個ずつ買ってみた。どこの国でも果物はすべて形も大きさも不揃いであ

った。また、甘みも酸味も少なく大味だった。チリの果物も種類は多かったが味は他の国のもの

と同じように大味だった。

 郊外をバスで走っていると、あちらこちらで果樹園を見かけた。ワインのブドウほど大々的に

作っているようには見えなかったが、広い畑に色んな果樹を植えているようだった。

 私は自分自身でも色んな果樹を作っているので、果樹に関することは何でも興味を持って見

聞きしていた。その一つがチリで見たブドウ畑の周辺にバラを植えている事だった。バラは比較

的色んな昆虫が好む植物だ。そのバラを植えて昆虫をおびき寄せ、ブドウへの被害を押さえる

という方法だった。これは我が家でも使えそうな害虫対策だった。

 話は横道にそれてしまったが、果物の品質に関しては日本が群を抜いると言っても過言では

ないだろう。一つの国で、こんなにもたくさんの種類があるというのも、日本が世界一ではないだ

ろうか。日本人の食に対するこだわりと、品質向上に対する飽くなき探求心が、これだけの種類

と高品質の果物を作り上げたのだ。少しぐらい価格が高いと言っても、その手間を考えれば我

慢しなければならない。

 海外では量り売りのところが多い。と言うのも大きさや形が不揃いだからではないだろうか。

かつて日本でも量り売りだった時代もあった。しかし、今はほとんど一個幾らで売られている。

店先に並んだリンゴやなしは大小の区別が難しいくらい大きさが揃っている。それは生産者が

形の悪いものや小粒なものは摘果し、出荷前には大きさを選別したり糖度を計り厳選して出荷

しているからだ。岡山県特産のブドウなどは房の大きさまで調整して出荷している。

 果物は総じて玉が大きいほど甘みも強く味も良い。従って、農家は競って大きな玉の物を作

ろうと日々努力している。果物一個と言えど大変な手間がかかっていることを忘れてはならない。

12月27日(月)

 久々にくつろいだ午前中を過ごした。マジッククラブは自主練習となったからだ。上甲板前の

デッキにはサンチェアが置かれていた。パタゴニアを通り過ぎ屋外が温かくなって再び置かれ

始めたものだ。プラスチック製の白い長椅子であった。

 この上に寝ころんでしばしうたた寝を楽しんだ。体全体に燦々と太陽の光が降り注ぎ心地よい

風が吹き抜けていく。こんなのんびりした時間を過ごしている時、家内の友達であるYちゃんが

来て世間話が始まった。その後、Yちゃんの友達も来て賑やかになった。身の上話や世間話の

ような、たわいのない話だった。

 そんな話の中でインドネシアで大地震があったという話が出た。初耳だった。ピーセン前に壁

新聞が張り出してあるという事だった。早速、壁新聞を読みに行ってみた。既に大勢の人だかり

がしていた。

 地震は26日(昨日)に発生したと書いてあった。マグニチュード9.1というとてつもない大地震

だった。スマトラ島沖だということだから海底で起きた地震ではないだろうか。ここは日本と同じ

ようにプレートが潜り込んでいるところだ。いわゆる地震の巣と言われている場所だった。

 恐らく過去にも何度も地震が起きているところに違いない。地震による津波はアフリカ大陸に

まで達したと書かれていた。私達が立ち寄ったケニアやシェーシェル諸島等も少なからぬ影響

を受けているようだ。

 今のところインドネシアや周辺諸国で一万数千人の死者が出ていると言うことだけで、詳しい

ことは分からないようだ。これから救援活動が本格化するに連れて、もっと詳しい状況が明らか

になるに違いない。

(この地震はその後未曾有の大災害となった。また、マグニチュードも9.2に修正された。)

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