バルパライソ・サンチャゴ観光

12月21日(火)

 早朝、チリのバルパライソに着いた。暗闇の中に点々と町明かりが見えた。ここは世界遺産

に指定された町だ。ウスアイアと同じように美しい町だと聞いていた。ネオンサインのようなもの

はまったく見られず、オレンジ色に統一された町明かりが見えた。港を見下ろすように小高い丘

が後にあり、その斜面の下から上まで軒を接するように家が建っていた。日本でもよく見かける

港町の景色だった。一番に思い浮かんだのは広島県の尾道市だった。

 一度部屋へ戻り、十分に明るくなるのを待って再び上甲板に出てみた。先ほどとは異なり朝日

が今まさに顔を出そうかと言うときだった。町には色とりどりの建物が立ち並んでおり、朝日の中

で建物の色がより一層鮮やかだった。

 港には貨物船などの他にチリ海軍の船も何艘か停泊していた。タグボートが巻き上げる海水

の中に餌となる魚でもいるのだろうか。カモメがたくさん群れていた。先ほど薄明かりの中で見

かけたすごい数の鳥はカモメだったのだろうか。カモメに混じってペリカンも飛んでいた。

世界遺産チリのバルパライソ着(写真説明)

 チリは南北に非常に細長い国だ。背後には脊梁山脈であるアンデス山脈が迫り南北には長くても東西は狭いとい

う独特の形をしている。日本ほど複雑ではないが、太平洋側からのプレートが南アメリカ大陸に潜り込んでいるために、

その皺がアンデス山脈になっている。

 従って、日本と同じように火山活動も活発で地震国でもある。その反面、地下資源には恵まれており銅鉱石などの

輸出国となっている。最近では鮭等もチリから輸入されていて遠く離れてはいても意外に近い関係にある国のようだ。

 かつてチリ沖で大地震が発生したとき、はるばる太平洋を越えて日本まで津波が押し寄せてきたこともある。そんな

国チリ、一度は行ってみたいと思っていた国の一つだった。

 私達を乗せたトパーズ号はまだ明けやらぬチリのバルパライソ港の沖合に着いた。バルパライソは世界遺産になっ

ている風光明媚な港町だった。沖合から見る港町は背後に小高い丘があり、その丘をオレンジ色の明かりが埋め尽

くしていた。今までの国で見てきたような派手なネオンサインらしきものはまったく見えなかった。

 

 

早朝のバルパライソ港、なだらかな丘はオレンジ色の照明で埋め尽くされていた。

港が近くなるに連れて周辺は明るくなってきた。(上の写真4枚)

 

 

トパーズ号が港に近づくと迎えのタグボートや税関の船が近づいてきた。(上の写真4枚)

 

港の向かい側の山からは朝日が昇り始めた。(写真左)

するとバルパライソの町はオレンジ色に染まっていった。(写真右)

 

バルパライソの町をバックに。(写真左)

向かい側の山もオレンジ色に包まれた。背後に見える高い山はアンデス山脈だろうか。(写真右)

 

朝日が顔を出す直前、空は神々しいまでの黄金色に染まった。(写真左)

そしてバルパライソの町は夜のオレンジ色から朝のオレンジ色へと変わった。(写真右)

 

熟年女性三人組、バルパライソの町をバックに。(写真左)

ここは軍港でもあった。こんな戦艦が何艘か停泊していた。(写真右)

 

近づく町を見ようと大勢の乗客が船首部分の甲板に集まってきた。(写真左)

海ではカモメやペリカンたちが船が巻き上げる海水の中にダイブしていた。餌になる魚でもいるのだろうか。(写真右)

 

トパーズ号のサイドデッキからバルパライソを写す。(写真左)

餌になる魚が多い海だろうか、海にも空にもカモメたちがたくさんいた。(写真右)

 今日も上天気のようだった。私達は貸し切りバス4台に分乗し首都サンチャゴ観光へ向かった。

バルパライソ市内を抜けると山道にさしかかった。植物が好きな私は山ばかりを見ていた。山

にはユーカリの木が多いようだ。そして松もあった。そんな中に椰子が点々と生えていた。後で

聞いた話だと椰子はチリ固有種だそうで、この幹を蒸して絞ると甘い汁が取れるという話だった。

メイプルリーフシロップのようなものだろうか。そんな事もあって乱伐されてしまい、今は貴重な

種類になっているとの事だった。果実もなかなか美味しいという話だった。

 チリは地中海性気候だとの事で年間降雨量は少ないようだ。松やユーカリなど乾燥に強い植

物が多いのもそのせいかも知れなかった。チリはワインが有名だ。このツアーでもワイナリーへ

行く予定になっていた。雨が少なく温暖で晴天が多いという気象条件は、ブドウ作りやワインの

製造には適しているようだ。

 私達のバスは延々と続く草原やなだらかな山並みを車窓に見ながら首都サンチャゴに向かっ

ていた。道の両サイドには牧草地とも思えないような乾燥しきったわずかばかりの草と灌木が

生えた荒れ地が続いていた。そんな場所に牛や馬や羊が放牧されていた。頭数は少なかった。

聞けば大半の食肉は隣国アルゼンチンから輸入しているとの事だった。こんな痩せた荒れ地

では多くの家畜を飼うことは無理かも知れなかった。

 荒れ地には大きなアザミが群生していた。また黄色く見えるのはポピーだろうか。元々草が少

ないからか花の種類も多くないようだ。サンチャゴ郊外の山には野生種と思われるサボテンが

たくさん生えていた。

 また、ところどころ木々が枯れている場所があった。松枯れによるものかと思っていたが、山

火事によるものだった。瀬戸内海と同じように乾燥気味の気候は頻繁に山火事を起こしている

ようだ。そんな中でもユーカリは火事に強いようで、焼けこげた幹の根元から新しい芽を出して

いた。

第一日目サンクリストバルの丘、コンチャ・イ・トロ・ワイナリー見学(写真説明)

 

いよいよ一泊二日のツアーが始まった。港の側には迎えの観光バスが何台も停まっていた。(写真左)

私達のガイドをしてくれたのは日系人の女性だったが通訳が必要な訛のある英語だった。

両サイドの女性はツアーリーダーと通訳のCCの女性。(写真右)

 

バルパライソの町にはいると露天商だろうか箱を並べて商売の準備をしていた。(写真左)

この町にとっては早い時間なのだろうか。車の通行量も少なく閑散としていた。(写真右)

 

バルパライソの町(写真左)を抜けると山あいの道になった。この当たりは緑豊かな山だった。(写真右)

 

意外に感じたのは山に椰子の木があったことだった。後で聞いた話ではこの国特有の椰子で甘い樹液が出る椰子だとの事だった。(写真左)

山を切り開いて作った道らしく、斜面の養生は何もなく地肌が露出していた。地震国らしく複雑な断層が見られた。(写真右)

 

何故だろう。日本の山と同じように枯れた松が目立った。(写真左)

山の裾には農家らしき集落があった。(写真右)

 

チリは地中海性気候だとのことでヨーロッパと同じようワイン作りが盛んだ。

郊外には見渡す限りのブドウ畑が広がり(写真左)、その畑の奥の方にはワイナリーらしき白い建物があった。(写真右)

 

山の斜面を利用したブドウ畑(写真左)と、枯れて水たまりとなった大きな川(写真右)。

 

どうも野菜畑のようだが何を作っているのかは分からなかった。(写真左)

広い国道の途中にあった料金所。(写真右)

 

この国も住宅の建設ラッシュのようだ。同じような形の一戸建ての家が建築中だった。(写真左右)

 首都サンチャゴは人口が650万人の大都会だった。チリの全人口が1600万人だとの事だ

から、その半数近くの人が首都圏に住んでいることになる。

 そのサンチャゴは周辺を山に囲まれた町だとかでスモッグがひどかった。私達が訪れた日は

晴天で無風状態だったからか、余計ひどかったように感じられた。また、子供達が休みに入った

ばかりでもありクリスマスも近いせいか市内は大渋滞をしていた。

 市中の主要な交通機関はバスであった。地下鉄もあるそうだが路線が少なくて多くをバスに

依存しているようだ。とにかく、すごいバスの数でこんなにたくさん走っている町を見たことがな

かった。バスの後ろに何台ものバスが並んでいた。

 そんなわけで市内の主要道路はどこも交通渋滞で、なかなか目的地であるサンクリストバル

の丘に着けなかった。この国では信仰の自由は保障されていて何を信仰しても良いが、多くは

カトリック教徒との事だった。

 

中国人のバイタリティには感心させられることが多い。どんな地の果てと言われるところにも華僑達の店があり、ここ

チリでも見かけた中国人の店。(写真左)

サンチャゴ市内が近くなると途端に激しい交通渋滞になってしまった。地下鉄もあるようだが市民の多くはバスを利

用しているようだ。この日も何台ものバスが列を作っていた。これでは先頭のバスに乗った人も最後尾のバスに乗っ

た人も着く時間は同じだ。(写真右)

 

サンチャゴ市内にはもっともっと古めかしい建物はあったのだが、この時は見る建物すべてが珍しく思えてやたら写

真を撮っていた。(写真左右)

 サンクリストバルの丘には大きなマリア像が建っていた。中南米諸国ではキリストよりマリアを

崇拝する傾向が強いようだ。今回はクリスマスが間近だと言うこともあって、市内のあちらこちら

には干し草が置かれキリストの生誕を祝う飾りものが作られていた。

 そして、町の中にはサンタクロースやクリスマスツリーが飾ってあった。人が集まる広場には

サンタクロースに扮した人がいて、この人と一緒に写真を写していた。これがこの人達の商売の

ようであった。

 繁華街の測道には小さな店が建ち並び、色んなものを売っていた。中にはクリスマスカードを

売る店もあった。サンチャゴからの帰りに寄った大型スーパーでもクリスマス向けの商品が並び、

プレゼント用の包装コーナーもあった。クリスマスの買い物だろうかシャンパンやワインが次々

に売れていた。クリスマスの日は近かった。

 サンクリストバルの丘は市中が一望できる場所にあった。時間がないのですぐに集合するよう

にと言われていたので私達はマリア像近くまで行かずに下の広場で待っていた。写真は木の間

から見えたマリア像を写しただけだった。また、市内も全体は見えなかった。聞けばほとんどの

人がマリア像近くまで行ったとの事だった。

 まじめに下で待っていて損をした。しかし、この様子では市内展望はスモッグで霞んでしまい、

リオデジャネイロの時のような素晴らしい展望は楽しめそうになかった。

サンクリストバルの丘(写真説明)

長い交通渋滞を抜けてやっと最初の観光地にたどり着いた。ここはサンクリストバルの丘といって丘全体が公園のよ

うになっていた。ここの丘の上には聖母マリア像が立っていた。この国も南米の多くの国がそうであるようにキリスト

より聖母マリアの方が信仰の対象になっているようだ

 

サンクリストバルの丘入り口、このゲートの中には動物園もあるのだろうか。それらしき看板が出ていた。(写真左)

山頂に着くとこんなお土産を売る店もあった。(写真右)

 

サンクリストバルの丘に登ると四方を見渡すことが出来た。この日だけのことなのか、あるいは慢性的な大気汚染が

あるのか市内はスモッグで霞んでいた。(写真左右)

    

山頂に立つ聖母マリア像(写真左)と南米各地で見てきた美しいジャカランダの花(写真右)

    

サンチャゴ市内を背景に家内(写真左)と山頂付近に植えられていた色んな植物の一つで紅葉でもないのに葉が真

っ赤な木だった。(写真右)

   

   

山頂の上で場所を変えて写したサンチャゴ市内。こうしてみると碁盤の目のように区画された街並みがきれいだった。

何しろこの国の半分近くの人がここサンチャゴ周辺に住んでいると言い、この町は大都会なのだ。(上の写真4枚)

    

私達がバスで着いたとき、既に先回に来ていた一団がいた。彼女たちは長い南極ツアーから帰ってきたばかりであ

った。(写真左)

この丘にはこのようなケーブルカーででも登り降り出来るようだ。(写真右)

 市内には街路樹など緑が多かった。これは空気の汚れを少しでも緩和したいと言うことから

植えているようだ。しかし、手入れが悪く枝が伸び放題だったり、枯れてもそのまま放置された

ものもあった。また、乾燥が激しいのか、緑地帯やサンクリストバルの丘では大々的に散水を

していた。

 この大量の水はどのように確保しているのだろうか。色んな河川を見かけたが、どの川も水量

は多くなかった。市内にも大きな水路があった。ここにもアンデスの雪解け水が流れていたが

濁流で水量は少なかった。ちなみに農業用水もアンデスの雪解け水を利用しているようだ。この

水をどんな方法で畑まで誘導しているのだろうか。飲料水はどのようにして確保しているのだろ

うか。この濁流では飲料水にはならないだろうと思われた。

ここからはサンチャゴ市内で見かけた何気ない風景

    

市内を走る大きな道路の周辺には道を覆うように大きな木の並木があった。(写真左)

道路を横断する人達。観光だろうか、それとも買い物だろうか。(写真右)

    

これは地下鉄入り口、この国の地下鉄は十分ではないようだが市内の大気汚染防止のためにも地下鉄の充実が

望まれる。(写真左) 古い形の建物である時計台。(写真右)

    

その時計台の横には近代的な高層ビルが建っていた。(写真左)

道路の傍らで店を出しているおじさん、何を売っているのだろ。(写真右)

市内を流れる川、水は雪解け水なのだろうか茶色く濁っていた。(写真上)

 私達は再び市中の渋滞に巻き込まれながら、やっと昼食会場である中央市場に着いた。ここ

は鉄骨作りの大きな建物だった。その中に野菜や果物、肉類、乾物などを売る店があった。そ

して、その一角に食堂がありここで食事をした。

 食前酒として甘くて飲みやすいピスコサワー出てきた。チリの代表的な飲み物だとの事だった。

ベースになっているのがピスコという非常にアルコール度の高いお酒だった。この酒にチリ特産

のカボスに良く似た小さなレモン汁を絞って入れる。そして、好みに応じて卵白やグラニュー糖

を混ぜて飲むという一種のカクテルだった。

 これを食前に飲んだので、みんないささかご機嫌になってしまった。ご機嫌になった頃を見計

らうように男女のペアがギター片手にベサメムーチョ等を歌いながら各席を回り始めた。私は

わずかなお金だったがチップとして渡した。周辺を見ると、みんな無視したように渡しているもの

はいなかった。すると歌い終わった二人は客席を回ってお客さんにお金をくれるように交渉して

いた。私のところへは来なかった。どうやらチップを渡したものは覚えているようであった。

 私達の後ろではブラジルから来たというアベックや、その後から来たチリ人のアベックがいた。

家内達は片言の英語で話しかけていた。その内に一緒に写真を写そうと言うことになったようだ。

元もと、ラテンアメリカの人は気さくで陽気だと聞いていたが実に人懐こい人達だった。

 私はすっかり良い気持ちになって、チリ料理の大半を残したまま知り合いのいるテーブルを

回って写真を写した。また、広いマーケット内を散策し色んな写真を写した。これらの店の中に

宝石やおみやげを売っている店があった。ここに小学生ぐらいのかわいい女の子がいた。店の

手伝いをしているようだった。写真を撮らせて欲しいと下手な英語とジェスチャーで話しかけると

快くOKしてくれた。すっかり気安くなった感じだった。

 その内、食事を終えたピースボートのツアー客がこの店におみやげを買いに集まってきた。

中には買いたくても価格交渉の出来ない人がたくさんいた。ここはスペイン語圏だった。そんな

わけで、私が仲立ちとなり価格交渉をしてあげた。チリでしか取れないと言うラピスラズリという

青い石で作られたモアイ像だった。さして高いものではなかった。私も私もと結局二、三人の人

に価格交渉をしてあげた。そんなわけで私自身がおみやげを買う時間がなくなってしまった。

サンチャゴ市内の昼食会場(写真説明)

    

ベトナムにもあったが市場と食堂が一緒になった建物。私達はこの建物の中で昼食を食べた。(写真左)

建物は鉄骨構造がむき出しのお世辞にもきれいな建物とは言えなかった。(写真右)

    

高い天井(写真左)と広い空間には食料品店や食堂などがたくさん並んでいた。(写真右)

    

乾物屋さんのようだ。私はここでアンチョビの瓶詰めを買った。(写真左)

グロテスクな顔をしたウツボなども並べられた食堂のショウウインドウ。(写真右)

    

色んなところから観光に来るらしく私達の隣にはブラジルから遊びに来たという若いカップルが座っていた。(写真左)

これが妖しくも美味しいピスコサワー、甘口でジューシーでとても飲みやすいカクテル、ぐいぐい飲んですっかり酔いが

回ってしまった。(写真右)

    

どうして、この国にはこんなに煮込み料理のようなものが多いのだろう。それも一人分と言うにはとてもボリュームが

あって食べきれなかった。

左はお粥のように見えるけれどけっこう重い料理、右はムール貝や魚などを煮込んだシチューのようなもの。

    

食事中にはこんなおデブさんのカップルがギターを弾きながらフォルクローレを歌い回ってきた。

私はポケットにあった一ドル紙幣をチップに渡した。(写真左)

ピスコサワーでいささか酔いが回った私と食欲のある家内。(写真右)

    

(1)                                  (2)

    

(3)                                  (4)

どうだろう、この品物の豊富さは、野菜や果物は日本に負けないくらいたくさん並んでいた。(写真1、2、3)

どうしても分からなかったのは写真4の束にした茶色の乾物。何だろう何かの皮のように見えるのだが。

 

ドライフラワーが下がっていた。このまま部屋を飾るものなのだろうか、それとも香辛料だろうか。(写真左)

魚の種類は豊富だった。この国は長い長い海岸線を持っており海の魚には不自由しない国のようだ。(写真右)

    

ピスコサワーには欠くことの出来ないピスコというレモンの一種。(写真左)

黒光りをしているトウモロコシ、どのようにして食べるのだろうか。(写真右)

    

私達と一緒だったOさんやYさん。(写真左)

ここでは各ツアーの者みんな一緒になった。ツアーリーダーやCCの皆さんのテーブル。(写真右)

    

お昼時だった事もあって建物の中は大変な賑わいだった。(写真左)

建物の中のお店の一つ、モアイなどの石の彫刻を売っているお店のお嬢さん。

小学校の高学年位だろうか、笑顔がとても可愛かった。(写真右)

    

出会った人達ともすぐに友達になれるのが外国旅行の良いところ。お別れ前の一枚。(写真左)

外に出ると真夏の太陽に照らされた大きなクリスマスツリーが立っていた。そうだ、もうすぐクリスマスなのだ。(写真右)

大きなクリスマスツリーの前で。(写真上)

 酒の酔いが眠気を誘い少し眠たかった。バスに揺られているとついつい居眠りをしそうになっ

てしまった。市内を抜けると高い山並みが見え始めた。山頂付近の白く見えるものは雪だろうか。

そして、近くの山は相変わらず禿げ山に近いような山が多かった。

 サンチャゴ市内を離れると大きな家が建ち並んでいた。塀囲いの中には大きな庭があり木々

が生い茂っていた。そんな広い庭の中に大きな建物が建っていた。そんな家があるかと思えば

レンガ囲いにトタン屋根だけの小さな家もあった。この国も貧富の差は大きいようだ。

これから郊外のワイナリーへ(写真説明)

    

バスは昼食会場を後にして再び市内を走り始めた。(写真左右)

    

これは建築中のビルのようだ。地震国チリにしては何かしら貧弱なように見えたのだが。(写真左)

郊外に出るとなだらかな山が見え始めた。ところが山の多くのは木が少なく、中にはこんな禿げ山もあちらこちらで

見かけた。(写真右)

    

道路も鉄道も良く整備されているようだ。(写真左右)

    

大きな川(写真左)と柱サボテンの生えている山。(写真右)

    

植生は貧弱でその中にこんな大きなアザミも生えていた。(写真左)

この山も禿げ山に近い山だった。山のすそ野の方には上で紹介した柱サボテンが群生していた。

大きな川の水も道路の側溝を流れる水もみんな茶色に濁っていた。(写真上)

そんなところを通り抜けるとワイナリーがあった。ワイナリーはコンチャ・イ・トロ・ワイナリーだった。

 ここのワインは、ラベルに悪魔の絵柄が印刷されている有名なワイナリーだった。このマーク

が使われ始めたのは、ワイナリーのオーナーが旅行から帰ってみると、大切な貯蔵中のワイン

が減っていた。誰かが留守中に飲んだに違いなかった。そのため貯蔵庫には悪魔が住んでい

ると噂を流して、その場所に誰も近づかないようにしたのだとの事だった。以来、ここのワインは

悪魔のマークがシンボルとなっていた。

 赤ワインの貯蔵室は、そんな悪魔が住んでいても不思議ではないような暗い地下室だった。

多くの人がここで買い物をしていた。船に帰る途中に立ち寄ったスーパーにも同じ銘柄のワイン

を売っていた。むろん価格はこちらの方が安かったので、私達はスーパーで買ったものを持っ

て帰った。

 ワイナリーの入り口や広い庭園には色んな木が植えられていた。このワイナリーの先祖が植

えたという木だった。その中にはスモモの原種に近いようなものがあった。枝が垂れるほどたく

さんの実がなっていた。大きさは三分の一位だったが、味は改良種と変わらないくらい甘かった。

 イギリス式の庭園で広大な庭には大きな池があり、池の近くにはワイナリーのオーナー一家

が住んでいたという立派な建物があった。建物の周辺にも珍しい木々や草花が植えてあった。

手入れの行き届いた美しい庭園だった。そして、庭園のはずれには広いブドウ畑があった。ブ

ドウは花が終わって小さな実が付いていた。

 私達はワインの試飲で心地よくなっていた。試飲に使ったグラスはおみやげに貰って帰った。

コンチャ・イ・トロ・ワイナリー見学(写真説明)

 ここはチリでも有名なワイナリーで「コンチャ・イ・トロ・ワイナリー」という。ワインボトルのシンボルマークが悪魔という

変わったものだ。昔、このワイナリーのオーナーが外国旅行をして帰ってみると、大切なワインボトルが少なくなってい

た。どうやら犯人はワイナリーで働いている従業員らしい。主人がいない間にこっそり飲んだものらしい。オーナーは

その対策として地下の保管室には悪魔が棲んでいると嘘の噂を流した。そのことが従業員の間に知れ渡って、以来、

地下の保管室には誰も近づかなくなったというお話。この話、どうも故意に作った話のようだが、それほど美味しいワ

インですよと言う宣伝だろうか。ともあれ埃が着いたワインボトルの置かれた地下室は如何にも悪魔が棲んでいそうな

雰囲気ではあった。

    

大きな門(写真左)を入るとポプラだろうかプラタナスだろうか、大きな並木(写真右)が通路の両脇にあり、如何にも

高級ワインを作る工場にふさわしい落ち着いた雰囲気だった。

    

門の中に更に門(写真左)があるという大きなワイナリーだ。庭木の下にはこんな大きな樽が並んでいた。(写真右)

    

その奥にワインの貯蔵用の建物があり(写真左)、更に奥は大きな広場になっていた。(写真右)

ここには昔使ったと思われる機械や道具が置かれていた。

    

この季節は乾期なのだろうか、園内の小さな溝には潅水用の水がとうとうと流れていた。(写真左)

ワイナリーの駐車場横にあったスモモ、小さな実だったがたわわに成って垂れ下がっていた。

私が一個口にするとみんなそれに習って口にした。甘酸っぱくて美味しかった。(写真右)

    

庭は手入れが行き届いてとてもきれいだった。並木の下の芝生には可愛い花が群生しており(写真左)庭内の至る

ところできれいな花が咲いていた。(写真右)

    

駐車場の端の方ではこれからワイナリーの中を案内してくれる人がテーブルの上にたくさんのワイングラスを並べて

待っていた。ワイングラスは一人にワンカップずつ渡され、試飲の際のマイグラスとなった。(写真左右)

ちなみにこのグラス割らずに家まで持って帰ることが出来、今も何かと役に立っている。

    

試飲をしている家内(写真左)、お揃いのグラスで「はい、ポーズ」(写真右)

   

ワインがいっぱい詰まった樽(写真左)、「コンチャ・イ・トロ」と表記された焼き印のある大きな樽。(写真右)

    

悪魔が棲んでいるという地下の保管室、かび臭くて暗い。(写真左)

ここは大きなホールになっていてお土産用のワインを売っていた。(写真右)

 

庭にはクリスマスのための飾りがあった。干し草の上に置かれた人形達はキリストの誕生を知って駆けつけた聖人達

を現しているようだ。(写真左) さすがは伝統あるワイナリー、オーナーの祖先が建てたというギリシャ建築を思わせ

るような豪華な建物があった。(写真右)

これは白木蓮の一種だろうか。大振りな花を付けていた。(写真上)

    

イギリス風の庭園だという手入れの行き届いた大きな庭園と白亜の建物、こんなところでワインを傾けながら

パーティーでも開けたら最高だろうな等と俗な考えも。(写真左右)

 

広い庭園の更に向こうにあったブドウ畑。何という広さだろう。(写真左)既に小さな実がたくさん出来ていた。(写真左)

    

これが有名な悪魔のマーク(写真左)、樽に使うオーク材の木だろうか。ドングリのような花が咲いていた。(写真右)

この日最後に立ち寄ったのは郊外の土産物店だった。ここにはツアーではなく、単独行動で遊

びに来たというピースボートの若者達がいた。彼らは私達のように時間から時間へと追い立て

られることもなくゆったりと時間を過ごしていた。

 ここは土産物店と言うよりは小さな観光地のような場所だった。門をくぐると小さな土産物店が

何軒も立ち並んでいた。

 予定時間を大幅にオーバーしていた私達は、買い物もそこそこにバスに乗って宿泊先に向

かった。相変わらずサンチャゴ市内は混雑していた。

 宿泊先のシェラトン・サンチャゴは郊外の小高い丘の下にあった。シャワーをして疲れをとる

間もなく食事時間だった。食前酒としてワインが準備されていたが、多少疲れていた事もあって

ジュースにした。

 食事は一階のプール横の芝生の上に準備されていた。涼しい風が心地よかった。どうも風邪

が十分に治りきっていなかったようだった。食事を終わるとホテル内の散策を楽しむこともなく

部屋に戻りバスタブにお湯をため疲れをとった。そして風邪薬を飲んで早めに寝てしまった。家

内は買ってきた絵はがきに近況を書いていた。そして、クリスマス用に発行されたきれいな切手

を貼って出した。

さあ、ホテルへ(写真説明)

ワイナリーの帰りにトイレ休憩を兼ねて立ち寄った土産物村、農家風に作られたこの一角は古き良き時代の田舎を

思わせるような雰囲気だった。ここにはグループを作ってきたのだというピースボートの若者達がいた。

  

    

店先に並んだ色んな民芸品の数々、そしてブドウ棚、心落ち着く雰囲気だった。(上の写真四枚)

    

(1)                                     (2)

    

(3)                                       (4)

紫のジャカランダの花(写真1)、真っ赤なブーゲンビリア(写真4)、そして何故か日本のポストと同じような

郵便ポスト(写真4)、色鮮やかな風車等(写真2)、こんな原色が似合うのもここがチリだからだろうか。

   

これはインディオが好んで使うデザイン、敷物だろうかそれとも身にまとうガウンだろうか。(写真左)

ここにもキリストの生誕を祝う飾り物が置いてあった。(写真右)

    

(1)                                 (2)

(3)

バスを停めた駐車場の横には古い教会(写真1)や田舎の民家を思わせるような建物(写真2)、

そして駐車場の前にはまっすぐな広い道路があった。(写真3)

ホテルにて(写真説明)

長い一日だった。バスは長い旅を終えて立派なホテルの前に止まった。早速、手渡されたのはワインだった。ワイン

はいささか食傷気味だったが、皮の固い餃子を思わせるようなつまみは美味しかった。

    

    

    

    

夕食はホテルの中庭、なかなかきれいな庭だったが目の前に削られたままの山があったのが少し雰囲気を壊した。

食事はビュフェ形式、色鮮やかな花も飾られ、ホテルのロビーにはこんなツリーも。(上の写真六枚)

    

    

ホテル周辺で見かけた木々や草花、名前の分かるのはジャカランダだけだった。(上の写真五枚)

私達が泊まったホテルの部屋、近代的で明るかった。(写真上)

    

朝食を食べたプールサイドの食堂。(写真左右)

12月22日(水)

 昨晩、十分睡眠をとった事もあってこの日の朝は比較的快調だった。服を着替えホテル周辺

を散策した。早朝だった事もあって人通りは少なかった。ホテルの玄関まで戻ってくると向かい

の山から後光が射しているように見えた。山並みの向こうに太陽があり、高い山が太陽の光り

を遮り、その光が山にかかった靄に反射して光りの帯のようになっているようだ。実に幻想的な

眺めだった。私達はしばらくその場所にいて太陽が顔を出すまで待っていた。

    

早朝、散歩を始めたときホテルの入り口で見た景色。アンデス山脈と思われる山の尾根から後光が差すように光り

の帯が走っていた。(写真左)やがて太陽が顔を出すと光りの帯は消え空全体が白く輝いた。(写真右)

ホテルの中庭には丸い大きなプールがあった。

この日は何かイベントでもあるのだろうか、正装した若い男女がたくさん集まっていた。(写真上)

 朝食を済ませバスに乗って向かったのはサンタルシアの丘だった。道路脇に木々の生い茂っ

た森があった。バスの中からだったので、これが丘だと言われても良く分からなかった。私達は

下車することもなく、その丘の側を通り過ぎただけだった。

 次に向かったのはモネダ宮殿だった。モネダ宮殿は大統領の執務に使われている建物だった。

建物の前は石畳の広い広場になっていた。私達が説明を聞いていたら警察官が来てこの場所

を移動するようにという指示があった。どうやらモネダ宮殿の警備に当たっている衛兵の交代式

が行われるようであった。交代式は二日に一回行われ、この後10時からの予定だとの事で非

常にラッキーだった。

 本来なら説明が終わったらすぐ出発の予定だったが、出発時間を少し伸ばし、交代式を見学

する事にした。初めに二組の衛兵が出てきた。その後、宮殿脇の道路から軍楽隊の音がして

騎馬兵を先頭に軍楽隊が出てきた。そして、私達の目の前で停まった。最初に出てきた二組の

衛兵の内、一組がこれから警備に当たる側で、もう一組は引継側だったようだ。サーベルを持

っていたのは将校で、銃に着剣をしたりはずしたりしていたのは兵士だろうか。

第二日目 サンチャゴ市内、ポマイレ村観光(写真説明)

さて、二日目の観光はチリの大統領が執務しているネモダ宮殿からだった。私達はここで思わぬ光景を目にすること

になった。王宮を警備する衛兵の交代式が行われたのだ。この交替式は二日に一回と言うことと時間が決められて

いて、この時間にこの場所にいたものだけが見学出来たという幸運に恵まれたわけである。

    

    

    

交替の衛兵だけでなく軍楽隊や騎馬兵なども参加するという実に大かがりなものであった。衛兵達の行進は足並み

もそろい実に整然としていた。何故かこの広場には野良犬がたくさんにて衛兵の行進の前になり後ろになってうろうろ

していたのが目障りでもあり滑稽でもあった。この一帯を警備していた警察官もさすがに野良犬だけは取り締まれな

かった。

    

いつまでもここにいるわけにはいかなかった。少し離れた場所に停まっていたバスも早く移動しなくてはならなかった。

私達を待っていたバスの近くにあった木にはこんなきれいな花が咲いていた。(写真左)

そして、この重厚な建物は銀行だろうか。入り口にあるレリーフが印象的だった。(写真右)

 残念ながら交代式の半ばで私達は次に移動することになった。そして、市内のマルサス広場

へ行った。ここで車を降り周辺の建物の説明を聞いてからほんの少し自由行動になった。ここ

は観光地なのか画家達が自分の描いた絵を売っていた。

 サンチャゴ市内には古い建物が多かった。多くはヨーロッパでよく見るような建物だった。中に

は崩れかけたような古い建物もたくさんあった。これらは歴史的な建築物なのだろうか。道路側

の壁だけを残し、その壁を支柱で支えているような建物もあった。多くは煉瓦造りの壁に漆喰を

塗って装飾を施したような建物だった。

 一般の民家も煉瓦造りの建物が多かった。この国は日本と同じように地震国なのだが、煉瓦

造りの建物で大丈夫なのだろうか。さすがに、今建築中のビルなどは耐震建築なのか鉄筋が

入っていた。サンチャゴ市内も建築ラッシュのようであった。いたる所に建設用のクレーンが立

ち工事が行われていた。

サンチャゴの繁華街見学(写真説明)

移動した先はサンチャゴ市の中心にある繁華街だった。ここには美しい建物が建ち並び、公園には歴史的な何かを

記念して立てられたと思われる銅像が立っていた。

    

(1)                                   (2)

    

(3)                          (4)

    

(5)                                   (6)

多くは教会の建物のようだったが、詳しいことは分からなかった。(3と4は同じ建物)

また、中には建物の壁だけを支柱で支えて残しているようなものもあった。(1の写真)

    

色んな銅像があったが、銅像の前でおどけてポーズをとる私達。(下の写真二枚)

    

(1)                                   (2)

       

(3)                                (4)

町はクリスマス色に包まれていた。デパートの前でクリスマスカードを売る人、(4)の写真のようにトナカイが引っ張る

橇を置いて写真を撮らせるおじさんなど商魂たくましい。

この公園は絵描きさん達の公園でもあった。たくさんの絵を並べて売っていた。(写真上)

 私達は急ぎ足で市内見学をし昼食会場になっていたポマイレ村に向かった。市内を抜けると

田園地帯だった。広いブドウ畑や野菜畑があった。麦の収穫期だろうか黄色く色付いた麦畑も

あった。こんな田園地帯の中にポマイレ村はあった。

 ここは陶器で有名な村であった。バス一台が通れる程度の細い道の両側に、これら民芸品を

売る店がたくさん並んでいた。その内の一軒が昼食会場であった。田舎風の建物の裏庭に屋

根を作っただけの広場があってテーブルやイスが置いてあった。

 ここでもピスコサワーが食前酒として出てきた。そしてバイ生地に包んで焼いた大きな餃子の

ようなものが出てきた。次に出たのは鳥のもも肉を野菜と一緒に煮込んだものだった。両方とも

ボリュームがあってとても全部は食べきれなかった。

 食事を済ませ残り少ない時間でおみやげを見て回った。ここには陶器に向くような土があるの

だろうか。窯はどこにあるのだろうか。ここの焼き物は赤土を焼き固めたようなもので、特徴の

ある陶器類だった。そう言えば先ほどの食堂でも食器として使われていた。実用品もあれば装

飾品もあった。私は素焼きの皿にインカ風の絵を描いたものを二枚を買った。家内は縞模様が

美しい緑色をした石のブレスレットを買った。

焼き物の里「ポマイレ村」訪問(写真説明)

私達を乗せたバスは焼き物の里ポマイレ村を目指していた。この村はサンチャゴ市内から遠く離れたところにあり、ここへ行くまで

限りなく続く田園地帯を車窓に見ながら走った。

 

(1)                                        (2)

    

(3)                                   (4)

(5)

広々とした野菜畑があり(写真1)、果樹園らしきものがあり(写真2)、その中を走っているまっすぐな国道を通った。(写真3)

大きな川の上も渡った。この川の水は濁った水と澄んだ水が混ざり合う事なく並行して流れていた。(写真4)

やはりこの山も山火事があったのだろうか。焼け跡が真新しかった。(写真5)

    

(1)                                     (2)

    

(3)                          (4)

    

(5)                                   (6)

いよいよポマイレ村に着いた。この村は焼き物で有名なところだ。いわゆる陶器で赤い色が特徴の素焼きのままの焼き物だった。

店では素焼きのままのものやこの上に絵を描いて売っていた。

こんな道路(写真1)の両側に如何にも田舎らしい建物(写真2)が並んでいて、何だか西部劇の一シーンを見ているような感じだった。

ところ狭しと民芸品を並べたお店、(写真3、4)家と家の間の路地にはアーケード替わりのブドウ棚もあった。(写真5)

村の外れにはタンポポのような黄色い花がいっぱい咲いた線路があった。(写真6)

    

(1)                                   (2)

    

(3)                           (4)

(5)

トタン葺きのような屋根の下にはテーブルがあった。ここでこの日の昼食を食べた。(写真1、2)

何パイと言うのだろうか。ここの昼食にも肉や野菜をパイ生地で包んで焼いた大きな餃子のようなものが出てきた。

これは何度食べても美味しかった。やはりここでもピスコサワーが出てきた。(写真3)

しかし、大きな鍋の煮込み料理はあまりにもボリュームがあってとても食べきれなかった。(写真4、5)

ここで使っている皿や鍋などがここで作っている焼き物。(写真3、4)

    

この食堂の裏庭にあったブーゲンビリア(写真左)とアンズ(写真右)

 こうして昼食と買い物を済ませ帰途についた。帰りは海岸の保養地ビーニャ・デル・マルを通

って帰った。ここは私達の船が停泊しているバルパライソまで続く海辺の一大保養地であった。

既にシーズン入りをしていることもあって、かつては河原であった場所に市が立ち、大勢の人で

賑わっていた。また、カジノやホテルが建っている場所は海に面した非常に景色の良いところ

だった。

 私達はこの町の郊外にある大きなショッピングセンターで買い物をした。食品売り場の一角に

あるワインコーナーにはチリ産の色んなワインが並んでいた。ここでおみやげ用のワインやピス

コを買った。また、リンゴも買った。小さなリンゴだったが味は良かった。果物は比較的たくさん

並んでいた。スモモ、ネクタリン、モモ、ピスコサワーに使う小さなレモンなどであった。

 しかし、アルゼンチンでも感じたことだが野菜類が非常に少なかった。作らないのか、作れな

いのか。野菜と言えばトマトくらいのものだった。日本は世界有数の野菜王国であり、野菜を色

んな形に料理して使う国のようだ。従って、チリの料理にバラエティさがないと言うのも無理から

ぬことであった。日本では、この時期ふんだんに野菜料理を食べることが出来るのにバラエティ

さのない肉料理しか食べることが出来なかった。

 ここの市内見物はバスの中から済ませて海岸づたいにバルパライソへ戻った。バスはバルパ

ライソの港内が一望に見下ろせる場所に登った。昔は海軍の学校だったという建物がある場所

だった。ここからの展望は掛け値なしに素晴らしいものだった。絵葉書にもなっている青い建物

を初めとして、色とりどりの建物が坂道の両側に建ち並んでいた。

 港内には私達が乗ってきたトパーズ号以外にも豪華客船が二艘停泊していた。いずれも窓が

大きくテラスのある新しいタイプの客船であった。この丘は私達の船が停泊した埠頭の前にあ

った。ここからの展望は絵になるような景色ばかりで、大勢の絵描きさんが色んな絵を描いて

売っていた。港の風景を描いたものもあれば周辺の家並みを描いたものもあった。

 帰船リミットが近づいていた。絵葉書の選定も慌ただしくここを後にした。

さあ船まで帰ろう(写真説明)

ボリュームたっぷりの昼食と二日間の旅の疲れでいささか眠くなってきた。心地よくバスに揺られている間に海岸の

保養地ビーニャ・デル・マルが近くなった。目を覚ますと山には乱伐で少なくなったと言われている砂糖椰子が生えていた。

    

(1)                                  (2)

(3)

幾つもの山を見て(写真1)、野菜畑やブドウ畑を見て(写真2)、山あいの道に入ると砂糖椰子の群生地(3)を見た。

    

バスはトイレ休憩と買い物のために大きなショッピングセンターに寄った。丁度、クリスマス直前だったので店内は買い物客で

大混雑だった。そんなわけでお目当てのワインなどの洋酒も売り切れのものがあった。(写真左右)

    

(1)                                   (2)

    

(3)                                         (4)

 

(5)                                                (6)

ビーニャ・デル・マルはチリ国内でも有数の保養地ということでカジノ(写真1)ありホテル(写真2)あり美しい庭(写真3)や公園や

椰子の並木があった。また、街角にはレンタル用の自転車も置いてあり観光客も多いようだ。(写真4)

海岸にずらりと並んでいるのはホテルだろうか、それともマンションだろうか。(写真5)

海岸の岩場には高い波が打ち寄せて砕けていた。やはり太平洋に面した海岸は波が荒いようだ。(写真6)

 

バスは海岸線に沿って走った。途中には駅がありこんな電車が停まっていた。(写真左)

また、広い砂浜では海水浴に来た人達だろうか。ビーチパラソルも立っていた。(写真右)

いよいよバスはバルパライソ港の近くまで戻ってきた。トパーズ号から見えていたのはこの丘だった。

船に戻る前にバスでこの丘に登った。この丘に登ると港が一望できた。

    

(1)                                     (2)

    

(3)                                     (4)

(5)

丘に登るとこの港が天然の良港だという事が良く分かった。この丘が湾を囲むように連なっていた。(写真1、2)

この丘には絵はがきにもなっている青い壁の家があった。この家は崖にせり出すように建っていた。

写真はその家(写真3)とその家の軒先にあった魔女がほうきに乗った看板(写真4)

たくさんのコンテナの向こうには私達のトパーズ号が停泊していた。(写真5)

    

青い壁の家の前で家内(写真左)と絵描きさん達が絵を売っていた丘の上の公園。(写真右)

    

同じく丘の上にあった白い建物は海軍の学校だった。(写真左)

公園のベンチで休んでいるのは観光客だろうか。(写真右)

                                          2006年1月21日写真掲載

地球一周旅日記のページへ戻る

ホームへ戻る