パタゴニアフィヨルド遊覧

12月16日(木)

 ウシュアイアを出たトパーズ号は一路チリのバルパライソを目指していた。早朝、目が覚めて

室内のテレビを点けてみると既に船首デッキは明るくなっていた。大急ぎでパジャマから服に

着替え六階のレセプション前まで来ると、ピースボート事務局長であるN.Iさんが船内放送を

始めようとするところだった。

 既にトパーズ号はパタゴニアフィヨルドの第一番目の見所であるロマンシェ氷河近くの海域に

さしかかっていた。早朝の寒さにも関わらずデッキには数人の人が来ていた。そして、放送が終

わると大勢の人が出てきたが氷河の見える場所はすでに通り過ぎていた。私達夫婦もかろうじ

て近くの小さな氷河を見ただけだった。

 後で聞いた話だが、私達が見た氷河の前に、もっと大きな氷河が見えたとの事だった。その

後、外は激しい雨になった。この様子では夕方の氷河見物は雨の中かも知れなかった。また、

雨が降ったら視界も悪くなり、離れた氷河は見えないかも知れなかった。そんな事を考えながら、

いつも船外を映している室内のテレビ画面を眺めていた。

 今日は安息日になっていた。昨日のトレッキングの疲れが残っていて何となくけだるかった。

しかし、トレッキングの事だけは書いておかなければと思い朝食を食べた後、部屋に戻って書き

始めた。部屋の外では掃除が始まっていた。掃除の邪魔をしてはいけないと思いパソコンを七

階のパソコンコーナーまで持ち出し続きを書いた。

 途中、家内がヨットクラブでおいしい豚汁が出ていると呼びに来た。パタゴニアフィヨルド遊覧

中はシチューなど温かい飲み物や食べ物を準備してくれていたようだ。家内に誘われるまま書

きかけのパソコンをそのままにして、ヨットクラブで少し早めの昼食を済ませた。

 こうして午前中は終わってしまった。午後は洗濯の手伝いをしたり、少し昼寝をしたり、読みか

けの小説を読んだりして過ごした。久々にのんびりとした午後であった。こんな日も、たまには

あって良いのではないだろうか。

 そして夕方五時半頃、次の氷河を見るべく防寒対策を十分にして船首デッキに出てみた。風

が吹き、寒くて人はほとんどいなかった。船内放送があったのだろうか、しばらくすると大勢の

人が出て来た。そして、瞬く間にデッキの手すりの周辺には大勢の人だかりが出来てしまった。

船の右舷には次々と大きな氷河が見え始めた。

 海上にはこれら氷河から流れ出たと思われる流氷がたくさん見られた。地球温暖化により、

パタゴニアの氷河が危機的状態にあると言われていた。しかし、目にする限り未だ大きな氷河

であり、すぐ消えてしまうような事はないようだ。

 氷河特有の青い色が氷の裂け目から見えていた。もっと近くなると氷河の先端部分全体が青

く見え始めた。氷河は雪が固まって出来たものだ。南極大陸の氷も同じようにして出来ている。

この神秘的に見える青色が氷河の特徴だった。氷河は長い年月をかけて流れ下り海に至る。

その間、岩を削りその色が付いているため真っ白ではなかった。この日見た幾つかの氷河では

岩を削ったと思われる黒い帯が出来ていた。

 この氷河をアゴスティニ氷河といった。この氷河の景観は素晴らしく肉眼でもハッキリと氷河

の生の姿を見ることが出来た。写真にも氷河特有の美しいブルーが写っていた。トパーズ号は

湾内で一旦停止し、その後、大きく旋回して元来た航路に引き返した。従って、結果的には両

舷から氷河を見ることが出来た。

 現在航海中の狭い海域はパタゴニアフィヨルドと呼ばれていた。フィヨルドというところは世界

に三カ所しかないそうで、その一つがこのパタゴニアフィヨルドだった。船の両サイドからは数え

切れないほど大小の島が見え、その間の細い水路をゆっくりと縫うように航海をしていた。実は

この狭い海域も、かつては大きな氷河によって削り取られた跡であり、水深はあっても幅は狭

かった。海底は恐らくV字谷のようになっているのではないだろうか。

 私が持ってきた中学校用の地図からは複雑な地形を読みとることは出来なかったが、船で貰

った地図には詳細な地形が書かれていた。この地図からも海岸の複雑な地形を読みとることが

出来た。

 その後、ヘミングウエーバーに行った時、ジャパングレースのMさんがいたので、先ほど湾内

で大きく旋回したときのことを聞いてみた。狭い場所での旋回には船尾にある二つのスクリュー

の、それぞれを逆方向に回すと船は旋回するとの事だった。また、船首にも小さなスクリューが

あって、着岸や離岸の際に使っているとの事だった。大きな船だけに小回りが利くような構造に

なっているようだ。昨日のウスアイアを出るときにも小さなタグボートしかなかったので、これら

のスクリューをうまく使い離岸したとの事だった。

 夕食の後、ウインジャマールショーラウンジではステップ・バイ・ステップが演奏するロシアン

コンサートがあった。そして、トパーズダイニングルームでもロシア料理だった。何故、ロシアン

コンサートであり、ロシア料理だったのか理由は分からなかったが、この寒さに関係があった

のかも知れない。ロシアンコンサートは古くから歌われてきたロシアの歌ばかりを集めたもので、

私達日本人にも馴染みの曲が多かった。

 ステップ・バイ・ステップはトパーズ号専属のバンドで、ピアノ、ギター、ベースギター、ドラム、

管楽器(主としてサックス)の五人がメンバーだった。そして、ナターリヤという女性歌手がいた。

彼女は声量もありクラシックからジャズまでとレパートリーは広かった。私達はナターリヤから

クリスマスにちなんだ歌の歌唱指導を受けていた。

 ピアノのサーシャはキエフ国立音楽大学を卒業しているといい、歌も歌うし希望者にはピアノ

も教えていた。また、サーシャ以外のメンバーも色んな楽器の演奏が出来、歌も上手だった。

今回のロシアンコンサートに先だって開かれたビートルズ特集の時にもメンバーのそれぞれが

得意な歌を聞かせてくれた。(これはジョンレノン追悼で行われた)

 ロシアンコンサートが終わった夜十時頃、大急ぎで部屋に帰りカメラと双眼鏡を持ち出した。

フロワード岬が近くなっていた。外は薄暗く小雨で風が強かった。岬の先端の一番高いところに

十字架が立っていた。かつてローマ法王がこの地を訪れた時、記念に建てたものだった。双眼

鏡で見ると、十字架には何のためか横筋が何本もはいっていた。

 フロワード岬は南アメリカ最南端の岬だという船内放送があった。肉眼では比較的大きく見え

る十字架もカメラのファインダーを通してみると小さかった。これでうまく写っているのだろうか。

時計は夜十時を回っていた。この時間でも照明なしで周辺の景色を写すことが出来た。何かし

ら不思議な感じだった。この日は長い一日となってしまった。というのも、ホーン岬を見終わって

部屋に帰ろうと思っていたら、D.Sさんから波へいで一杯やろうという誘いがあった。

K.Sさん、D.Sさん、H.Iさんと私の4人で飲んでいたら、ピースボートスタッフをしているTの

お母さんとS君が来た。そして、少し遅れて家内が来て賑やかな席になった。にわか宴会も夜

十二時少し前にお開きにした。

第一日目  ロマンシェ氷河、アゴスティニ氷河、フロワード岬遊覧(写真説明)

 このツアーの目玉観光とも言うべきパタゴニアフィヨルドのクルーが始まった。地図を広げていただくと分かるように、

この海域は非常に複雑な地形をしている。かつて大氷河期と言われた時代の名残であろうか。巨大な氷河によって

削られたと思われる地形がこの当たり一帯に広がっており荒涼とした景色を作り出していた。そして開発の手が入った

事のないこの一帯は太古のままの大自然が残り、船旅をするものにとっては大きな魅力になっている。

 一方、複雑な地形と細い水路は至るところに暗礁があり、この海域を航海するものにとっては交通の難所となって

いた。かつて幾艘かの船が難破し赤錆た残骸をさらしていた。

この小さな地図(左も右も同じ地域を拡大したもの)を見ただけでもお分かりのように左側の方はギザギザの地形である。

ここがパタゴニアフィヨルドと言われているところだ。(写真上)

 

早朝、デッキに出てみると朝日の中で周辺の山々は先日ウスアイアで見た山と同じように白く光っていた。

また、氷河からは解けだした水が滝のようになって海へ流れ落ちていた。(写真左、右)

 

既に、一つ目の大きな氷河の前は通り過ぎたとの事であったが、それ以外にも大小さまざまな氷河が見られ山の斜

面に張り付くようにせり出していた。

これから向かう海の彼方には幾つもの切り立った雪山が白く光っていた(写真左)

山上に白い板のように見えるものも氷河の端のようだ。(写真右)

 

山上にも谷にも氷河があり、上空から見れば数え切れないほどあるのではないだろうか(写真左、右)

  

同じ山にあった氷河をコマ撮りしてみた。(写真上三枚)

  

寒いからこそ、これだけの氷河があるのだが、それにしても寒い。氷河が見えなくなってしまうとみんな急いで船内に

駆け込んでしまった。(写真右)

急峻な山と山の間を埋めるように氷河の先端が見えた。(写真右)

  

別にコマ撮りをするつもりはなかったのだが、後で見ると映画のコマ撮りのようになっていたので三枚の写真を並べて

みた。(写真上三枚)

  

これも同じ氷河だ。先端部の割れた氷の間から雪が固まって出来た氷特有の青い色が見えている。(写真上三枚)

  

これも別の同じ氷河を撮った写真だ。奥には高い山があったのだが雲に包まれて見えなくなっていた。(写真上二枚)

  

海は実に穏やかであった。湾内は比較的広く周辺の山には大小幾つもの氷河が海にせり出すように流れ下っていた。

(写真上二枚)

  

氷河は直接海に接しているものもあれば、流れ落ちる途中で途切れているように見えるものもあった。(写真上二枚)

トパーズ号はゆっくりと湾内を縦断しながら航海を続けていた。(写真上)

  

これも比較的大きな氷河だった。コマ撮りになっているので見比べて欲しい。(写真上三枚)

    

厳しい表情を見せる切り立った山ばかりではない。(写真左)

海岸近くの丸い山には、こんなに豊かな森林を育んでいる山もあった。(写真右)

  

大きな氷河の時にはみんな甲板へ出てきて大にぎわいだった。氷河を双眼鏡で見ているもの。氷河の写真を撮って

いるもの。氷河をバックに記念写真を撮っているものなど様々であった。(写真左)

家内とピースボートスタッフのG君。(写真中)

GET(語学の先生)の先生の中にはこんなパフォーマンスを見せてくれるものもいた。見ているだけでも寒かった。

                                                             (写真右)

  

寒ささえ我慢すれば見飽きることのない景色だった。私はこの景色にすっかり魅了されいつまでも甲板で写真を撮っ

ていた。そのために後日、体調を崩して寝込んでしまうことになるのだが。(写真上二枚)

    

この日、レセプションの前には近づくクリスマスにそなえツリーが飾られていた。(写真左)

また、空にはこんな三日月も出ていた。日本を遙かに離れた異国の地で夕月を見ようとは。(写真右)

    

二十二時近く、とは言ってもこんなに周辺は明るかったがフロワード岬が近くなったので外へ出てみた。

トパーズ号の向かう先には激しい雨が降っているようであった。黒い雲が低くたれ込め晩秋の空を思わせるような景

色だった。(写真左)

フロワード岬近くの山には雲が垂れ、まるで滝のように流れ落ちていた。(写真右)

    

フロワード岬の象徴とも言うべき大きな十字架が山頂に立っていた。こんな山にどのようにして立てたのだろうか。

                                                         (写真上二枚)

    

とにかく寒い、みんな持ってきた防寒具を総動員して羽織っていた。

色んな活動を通して親しくなったE.Sと家内(写真左)そして、E.Sと私(写真右)

夜は更けていくとは言っても白夜に近いこの海域ではいつまでも島影が見えていた。(写真上)

  

この日、船内の専属バンドであるステップ・バイ・ステップによるロシアンコンサートが開かれた。

専属歌手の歌あり、ギター演奏あり、美男子のドラマーによるマリンバの演奏があった。

マリンバによる演奏の中でも小鳥の鳴き声をマリンバで表現する演奏は素晴らしかった。(写真上三枚)

12月17日(金)

 ショアル海峡(朝六時半頃通過)とグレイ海峡通過(朝七時半頃通過)と相次いで二つの海峡

を通り抜けた。この海域は特に水路が狭く危険な海域だった。船の両サイドには大小の島や

岩礁がたくさんあった。

 これら島や岩礁には小さな灯台が設置され注意を促していた。途中、座礁した貨物船の残骸

があった。操船をひとつ間違うと座礁した貨物船と同じような運命をたどることになる。午前中

から午後にかけては大差ない同じような景色の連続だった。

 大半の島や岩礁は荒々しい岩肌を露出したままだった。そして、岩肌にへばりつくように自生

しているわずかばかりの植物、そんな景色がどこまでも続いていた。空はどんよりとした曇り空、

そして時折小雨が降った。とにかく寒かった。これがパタゴニアの自然なのだろうか。

 昼前に鯨が見えるという船内放送があった。大急ぎで上甲板に出てみたが既に姿はなかった。

デッキにいた人でさえ、あれが鯨だと分かっていた人は少なかったようだ。ほんのわずかな時間

海面に出て消えてしまったようだ。この海域は冬になるとたくさんの鯨が目撃されるという場所

だった。そんな場所だったが、さすがに今の時期は少ないようだった。

 やはりトレッキングの疲れからか、あるは風邪を引いたのか、何かをしようという意欲が湧か

なかった。午前中は船内で知り合いになったK.Oさんの部屋を訪ねた。一人部屋だと言うこと

だったが、我々の部屋くらいの大きさがあるように思えた。むろんバストイレ付きであった。

 O.Kさんは56歳で退職し、自分自身の人生を楽しむのだとニュージーランドへ語学留学を

したり、こうして船旅を楽しんでいるのだと話していた。彼の人柄だろうか船内でも多くの友達を

作っていた。家に帰れば世界中に友達がいるのだと話していた。しっかりした人生観を持った人

のようであった。

 昼食を済ませ部屋に帰ると家内も帰ってきた。パソコンに向かっていると睡魔に引き込まれ

そうになってきた。家内は早々にベッドに横になっていた。こうして午後二時過ぎまで昼寝をして

しまった。

 雑誌を読んでいると、上の階に上がっていた家内が流氷が見えると呼びに来た。先ほどまで

は雨が降っていたテレビ画面に点々と白いものが見えていた。いつの間にか流氷の海域にさし

かかっていたようだ。上甲板に上がってみると既に大勢の人が出てきていた。この流氷はどこ

から流れてきたものだろうか。どうやら源は、この船が向かっているアマリア氷河からのものの

ようであった。

 氷河が見え始めた頃からまた雨が降り始めた。氷河周辺にもガスがかかり船がUターンを

する頃にはまったく見えなくなってしまった。この氷河はかなり大きな氷河で奥も深そうだった。

幾筋かの氷河があり、これらの氷河が合流して海に達しているようだった。

 それにしてもおびただしい流氷だった。これがこの季節のいつもの姿なのか、それとも温暖化

の影響によるものなのか分からなかった。流氷は黒く薄汚れたものもあれば、表面は白く内部

は青く見えるものもあった。また、大きさも大小様々であった。

 海は心なしか白く濁っていた。氷河が運んできた土砂による濁りなのか、それとも氷が溶けて

比重の軽い水が表面近くにあるからだろうか。南極の氷がそうであるように、岩を削ったミネラ

ル分に富んだ氷は、植物プランクトンを発生させ多くの食物連鎖を生む元になっていた。そう言

った食物連鎖の頂点にいるのが鯨達であった。この海域に鯨が多いというのも彼らの餌が多い

からではないだろうか。

 再び船はもと来た航路に引き返した。気まぐれなお天気は、その頃になって雨も止み青空が

見え始めた。しかし、時既に遅くアマリア氷河は後方に遠ざかっていた。そして次第に島に隠れ

てしまった。氷河の後にある山の頂上は白く輝いていた。これらがアマリア氷河の源だろうか。

こうして、この日の最大イベントはあっけなく終わってしまった。

第二日目  海の難所であるショアル海峡、グレイ海峡通過(写真説明)

この海域は両脇に大小の島々が並び、航路は極端に狭かった。一つ間違うと暗唱に乗り上げて沈没という大事故も

想定される海域だった。両脇の要所要所には大小の灯台や標識が立てられていて航海の安全を守っていた。

  

島の小高いところや小さな岩場にはこのような標識がたくさん見られた。(写真上三枚)

黒い雲が切れ冬空のように澄んだ青空が見えた。(写真上)

  

防寒具を来ていても寒さは防ぎきれない。(写真左)

かつて氷河で削られた山々は小さな木々で覆われ山頂付近から長い長い滝が海に向かって流れ落ちていた。(写真中)

雨を降らした黒い雲からは幾筋もの光りが洩れ、遠くの島を明るく照らし出していた。(写真右)

  

寒冷なこの周辺一帯のお天気は安定せずいつも曇ったり晴れたりを繰り返していた。(写真上二枚)

かつては貨物船だったという難破船が赤錆びた船体を横たえていた。(写真上)

12月18日(土)

 今日はパタゴニア遊覧最後の日だった。朝五時頃アイル氷河を見て、その後、ペンギン氷河

を見ることになっていた。空は曇っていた。そのせいか外は暗く視界も十分ではなかった。一度、

下に降りて様子を見ることにした。

 再度、上甲板に出てみると海上には大きな氷塊が浮かんでいた。昨日見た流氷とは比較に

ならない大きさだった。その代わり数は少なかった。トパーズ号は氷が浮かんでいる海域では

スピードを落として航行していた。狭い湾内だという事もあるだろうが、スピードを落としていると

氷に当たったときの衝撃も小さいからだろう。

 従って、スピードを落としているという事もあって氷は船体の側をすり抜けるようにして後方に

流れていくようだ。

 周辺が明るくなるに連れて湾内の奥がハッキリと見え始めた。湾の奥にはたくさん白いもの

が見えた。どうやら氷河から流れ出した氷らしかった。そして、海上に浮かんだ氷の奥に巨大

な氷河があった。この氷河がアイル氷河だった。

 先端の幅からすれば相当大きな氷河らしかった。氷河特有の青みを帯びた氷の裂け目が印

象的だった。倍率の大きい双眼鏡で見ると一層、その巨大さが良く分かった。圧倒的な迫力を

持って目に飛び込んできた。非常に印象深い大氷河の姿だった。

 船はその場所から奥には行かずUターンを始めた。みんなから、ため息や残念がる言葉が

漏れた。航行時間は予定より約二時間近く遅れていた。早々に湾内を出て次のペンギン氷河

に向かった。しかし、航行途中船内放送があり、チリ沖の海が荒れているとの事だった。従って、

ペンギン氷河を見てからだと予定時間通りパルパライソには着けないとの事であった。

 そんなわけでアイル氷河を最後にパタゴニアの氷河見学クルーズは終了した。相変わらず

船外の景色はごつごつした岩山と岩山に着生したわずかばかりの緑という景色が続いていた。

岩山の表面が白く見えるのは雪だと思っていたが、どうやら岩肌がつるつるになっていて、そこ

に光が当たって光っているようであった。

 遠目には切り立ったように見えた岩山も近くに行くと表面は丸くなっていた。すべては氷河が

表面を削り取っていったからのようだ。

 パタゴニア遊覧は初日のわずかな時間を除けばほとんど曇りか雨だった。風は非常に冷たく、

ここが亜南極であることを改めて再認識した。元々、厳しい気象条件にあるところのようだった。

 こうして船は細い水路を抜け外海に出た。うねりが急に高くなってきた。そしてパタゴニア遊覧

中は、ほとんど感じたことのなかった激しい揺れを感じ始めた。事務局長からも外海は荒れて

いるという船内放送があった。この揺れとしばらくはつきあう事になるのだろうか。

 ここのところマジッククラブでは第二回の発表会へ向けての準備が忙しかった。出演希望演目

を出し、出演者を決めていた。今回は、第一回目の時オーバーラウンドツアーだった人も、新た

に入った人も、一緒に出演することになっていたので賑やかなマジックショーになりそうだった。

 私は風邪気味なのかトパタゴニアレッキングの疲れなのか、今ひとつ体がしゃんとしなかった。

第三日目  パタゴニアフィヨルド遊覧最終日(写真説明)

トパーズ号は大きな氷河に向かっていた。大幅な予定時間超過となっていたのでパタゴニアフィヨルド遊覧の最後に

なってしまった巨大な氷河見物であった。

  

  

トパーズ号はこの遊覧最後の氷河であるアイル氷河に向かっていた。氷河が近くなるに連れ夥しい流氷が船の行く

手を埋め尽くしていた。船は流氷にぶつかってもショックを感じないぐらいゆっくりと湾内を進んでいた。(写真上三枚)

  

こんな薄汚れた流氷がたくさん浮かんでいた。これは流れ落ちる途中で岩を削り周辺の土砂を巻き込んだもの。

                                                         (写真上二枚)

  

船の先端ぎりぎりのところをかすめていった大きな氷の固まり。出ている部分より水に隠れているいる方が大きい。

                                                         (写真上二枚)

  

湾内の奥の方に巨大な氷河が見え始めた。しかし、周辺には流氷が多く近づくことが出来なかった。(写真上三枚)

  

この氷河は一本だけでなく大小何本かの氷河が合流して巨大な氷河を作っているようだ。(写真左)

氷河の海域をバックに私。(写真右)

残念ながらトパーズ号は氷河の近くへは行くことが出来ず途中でUターンをした。

船は黒煙を上げもう一台のエンジンを起動させ船底のスクリューを回し、その場で百八十度の方向転換をした。

  

Uターン後の方が氷河はよく見え、その大きさを実感できた。倍率の高い双眼鏡で見ると目の前にあるようでより一層

の迫力が感じられた。(写真上三枚)

    

こうして三日間の氷河見物は終わった。この海域を抜ける頃にはお天気も良くなり遠くの山もはっきりと見え始めた。(写真左)

トパーズ号にはこの海域専属のパイロットが乗船していたようだ。その印が操舵室の上に立っているマストの旗だ。(写真右)

   

ここまで成長するのにどれくらいの時間を要したのだろうか。針葉樹に覆われた山が連なっていた。(写真左)

流氷が流れ落ちるこの海域は海の水が白かった。恐らく栄養豊かな海なのではないだろうか。

こんな大きな昆布のような海草が流れていた。(写真右)

12月19日(日)

 この船にいると曜日の感覚がなくなってしまう。日曜日は何もかも休みというのではなく、安息

日を除けば四六時中船内行事が行われているからだった。

 船は昨日パタゴニア遊覧を早めに切り上げてチリに向かった。パタゴニアのフィヨルドを抜け

ると、にわかに船が揺れ始めた。この海域が特別というわけではなく、概して外海というのは、

うねりが高く船は揺れやすいようだ。船内ではパタゴニア遊覧では何ともなかった人が船酔い

になってしまった。船の進行方向は晴れたり曇ったりを繰り返していた。

パタゴニアフィヨルドを抜け太平洋へ

船にとっては長い危険な海域を抜けやっと広い海へ出た。ほっとするとともに空の青さ、海の蒼さを久々に感じた。

  

パタゴニアフィヨルドの山々が次第に遠ざかっていった。(写真上二枚)

  

向かうのは太平洋の青い海。そして空は明るかった。船はチリの海沿いを航海していた。(写真上二枚)

この女性達三人は何をしているのだろうか。パタゴニアフィヨルドに名残を惜しんでいるのだろうか。それともこれから

向かうチリという国に思いを馳せているのだろうか。(写真上)

 しかし、寒さは次第に遠のきつつあるようだ。今向かっているチリはどんな国なんだろう。私の

乏しい知識では太平洋に面した細長い国である事と、この国が日本と同じように地震が多い国

といった事ぐらいだった。

 かつてチリで起きた大地震によって日本にまで津波が押し寄せ大きな被害をもたらした事が

あった。本日、そのチリに関する上陸説明会が行われた。その後、オプショナルツアーの説明

があった。私達が参加する予定だったのは首都サンチャゴ市内の観光だった。市内に一泊し

市内一円の観光や郊外のワイナリーへ行くようになっていた。

 また、寄港地バルパライソも世界遺産に指定されているような町なので、どんなに美しい町な

のか楽しみだった。ともすれば港町は雑然としていて、おおよそ観光地らしくないというイメージ

が強いのだが、今まで訪れたどの港町もそれぞれの特徴があり美しい町が多かった。

 ウスアイアの時は市内を歩いたときよりも湾内から眺めた景色の方が遙かに美しかった。

バルパライソはどんな装いで待っていてくれるのだろうか。

 浮き世のごたごたは御免だと思っていたのだが、どこまで行っても人間世界、どうもこればか

りは避けて通ることが出来ないものらしい。これも私自身の至らなさと反省をしていた。ともかく

長い船旅なので、これ以上のごたごたは避けたいと思っていた。(何かあったようなのだが忘れ

てしまった)

 写真展に出していた私の写真が賞の対象になっていた。ピースボートスタッフのS君から明日

の表彰式とスライドショーに来てくれるように話があった。その後、Oさんからも電話があった。

実に嬉しい知らせだった。出展した作品は自分自身も気に入っていただけに嬉しかった。

 また、本音で話し合おうという企画も生まれそうで、これも嬉しいニュースの一つだった。今ま

では水先案内人の一方的な話だけで、聴衆の中には自分の意見はこうだと言う人がいたはず

で、そんな人にも発言の機会が必要だと常々思っていた。そういう自分の思いが通じたのだろ

うか。

 今回、二度目の風邪を引いていた。どうも船内には風邪の菌が絶えることなく循環している

ようだ。先のパタゴニアトレッキングの後から急に骨の節々の痛みを感じ、昨日はほとんど部屋

に引きこもっていた。船内ではあれもしなければ、これもしなければと思う事なく、ゆっくり休息が

出来て良かった。ともあれ、早く治さないとバルパライソは目前に来ていた。

12月20日(月)

 相変わらず日没は遅かった。こんな状態がいつまで続くのだろうか。昨日、マジッククラブが

終わって外へ出てみると右舷側に島影があった。あの島の向こうに南米大陸があるに違いな

かった。そして、これから訪れようとしているチリもあるはずだった。

そう言えば今朝も右舷側に島影が見えた。どうやら海岸線に点々と島があるようだ。今朝は朝

焼けが一段ときれいだった。上甲板に出たときには時既に遅く、太陽は水平線を離れていた。

気温も少しずつ高くなってきたようだ。厚着をしていると汗ばむようになってきた。

 今朝、誰が作ったのか紙で作った小さな靴がドアに貼ってあった。みんなにクリスマスの贈り

物をと言う優しい思いが込められているようで嬉しかった。私はパタゴニアトレッキング以来、

体調を崩していた。軽い風邪を引いていた上に少しハードだったパタゴニアでのトレッキング、

そして連日、寒風の中での氷河撮影と、すっかり風邪をこじらせてしまったようだ。自主企画へ

の参加を出来るだけ控え、風邪薬を飲んで部屋で横になっていた。

 それでも「わくわく写真展の発表会」と「わくわく寄港地」には出席した。特に「わくわく写真展」

は自主企画としての担当であった事と表彰の対象者でもあった。十二時四十五分からシアター

で表彰式があった。

 初めにスライドショーがあって全応募作品の紹介があった。そして表彰式は投票で選ばれた

一位と二位の作品と特別賞として船長賞、事務局長賞、そしてステーシー賞があった。私は今

回の写真展の責任者であったステーシーが推薦してくれたステーシー賞に選ばれた。写真の

プロのようなステーシーに選んで貰った事は何よりの名誉であった。

 表彰式の後、ステーシーから私の写真を最初に取り上げ、この写真の良いところを紹介して

くれた。その写真は「マサイマラの夕焼け」と名付けた作品だった。マサイマラのツアーの時、大

草原の彼方に静に沈んでいく夕日を写したものであった。

 表彰式の後、知り合いの人ばかりでなく面識のない人からも良い作品でしたねと声をかけら

れた。大変名誉で嬉しいことだった。

 そして、翌日の船内新聞「四陸七海」の「しなちく」のコーナーには私の家内が紹介された。私

も以前紹介された事のあるコーナーだった。夫婦共々紹介されたのは、このクルーズでは私達

だけだったのではないだろうか。名誉な事でもあり気恥ずかしい事でもあった。

陽光きらめく船上風景

パタゴニアフィヨルドを抜けると一気に明るくなった。船はチリのサンチャゴを目指していた。

ラテンアメリカの光りとでも言うのであろうか。船上に降り注ぐ光も明るかった。

    

陽光きらめく太平洋上の景色(写真上二枚)

    

    

明るいプールサイドとヨットクラブ(喫茶)入り口と海上の景色(写真上四枚)

「ここがWOWだ。ニッポン!!」

この企画ではGETティチャーとして乗っている若い外国人の先生達。その先生達がニッポンという国に来て

驚いたこと、戸惑ったことなどを面白おかしく語ってくれた。

    

    

司会者二人(上二枚)と回答者として参加したGETティチャー達七人(下二枚)

    

洋上を照らす朝日と何一つ動くもののない水平線(写真上二枚)

「わくわく写真展」の表彰式

このツアーに参加したお客さん、そしてGETティチャー達も参加して写真展が開かれた。称して「わくわく写真展」

私は「マサイマラの夕焼け」と称する作品の外、何点かを出展した。写真展などに出展するのは初めての経験だった。

表彰式の司会二人

    

主催責任者はピースボートスタッフのステーシーというアメリカ出身の若者だった。

彼はプロではなかったがプロ並みの腕前を持っていた。表彰前に出展作品の批評を行うステーシー

左の写真が私の作品「マサイマラの夕焼け」

    

私の作品のお客さんからの投票数は少なかったが、特別賞としてステーシー賞という名誉な賞を受けた

    

そして、この企画を担当したメンバーとの記念撮影(写真左)

この写真展で見事最優秀賞を受けたのはこの二人の女性だった。(写真右)

    

彼女たちは今日の表彰式のことを忘れていたようで、

大急ぎで飛んできて遅ればせながらステーシーから賞が授与された。(写真上二枚)

    

クリスマスが近づいていた。私達の部屋のドアにもこんな小さなプレゼントが。

折り紙で作った小さなブーツ。ちゃんと小さな字でメリークリスマスと書いてあった。

    

太平洋の大海原と陽光が眩しい水平線(写真上二枚)

老朽船トパーズ号の航海しながらの修理は続いていた(写真上)

日が沈むとこんな下弦の月が(写真上)

    

水平線から日は昇り、そして一日が終わる頃、夕日は水平線の彼方に沈む。

その頃になると夕日を見ようとデッキに上がってくる人も増える。

夕日の中の船のシルエットも美しい(写真上三枚)

夕日の沈む瞬間をコマ撮りで捉えた

    

    

    

    

    

右の写真には小さく太陽の端が写っていたのだが、縮小すると消えてしまった

    

夕日が完全に没すると船は急に夕闇に包まれる。恋人達は何を語っているのだろう(写真上二枚)

    

おじさん達は恋人達の語らいを横目で見ながらデッキに立ってお互いの写真を写していた(写真上二枚)

    

夕月がデッキ上空にあった(小さな白いもの)、そして船のシルエット(写真上二枚)

                                  2006年8月7日写真掲載完了

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