太古のままの大自然パタゴニア

12月15日(水)

 早朝、上甲板に出てみると外はまだ薄暗く非常に寒かった。しかし、船はウッシュアイア近く

にまで来ているようで、両サイドには小さな島や目指す陸地の一部が見えていた。上甲板に出

ていた人もあまりの寒さに早々と引き上げてしまった。

 私もいったん部屋へ戻りシャワーをし、トレッキングの身支度を整えて再度上甲板に出てみた。

薄暗かった先ほどとは異なり、朝日に照らされたウッシュアイアの町並みが目の前に広がって

いた。

 上陸説明会でも大変美しい町だと聞いていたが、その通りだった。町を取り囲むように聳えて

いる山々には白く雪が光っていた。どうやら新雪のようで山の中腹近くの木々も白くなっていた。

先乗りのピースボートスタッフの話だと昨日までウスアイアは雨だったそうで、その雨が夜には

雪になったのではないだろうか。いずれにせよ季節はずれの新雪だったようだ。

 空は快晴に近く、きれいな青空が広がっていた。その青空の下にはカラフルな家並みが海に

せり出すように建ち並んでいた。ウスアイアは町の名前でもあり、町の前に広がる湾の名前で

もあった。この湾を取り囲むように町が形作られていた。

(写真説明)

早朝のウスアイアに到着

 12月10日の夜遅くアルゼンチンのブエノスアイレスを出発したトパーズ号は12月15日の早朝にウスアイアの沖合

に着いた。南米大陸の最南端に位置し南極大陸にもっとも近い島が「フエゴ島」だ。その島のアルゼンチン領にある

のがウスアイアという町だ。

 この一帯はパタゴニアと呼ばれ動植物が生きていく環境としては大変厳しいところだ。パタゴニアは私にとってあこ

がれの地であったが、とてつもなく遠い存在でもあった。そのパタゴニアが夜明け前の海の向こうにあった。

 アンデス山脈の最南端だという切り立った山々は白く雪化粧をして私達を迎えてくれた。この地方にしては季節外

れの雪だった。前日までは雨だったと聞いていた。その雨が夜になって雪に変わり、翌朝の空は青々と澄み渡って

この世のものとは思えないほどの美しさであった。暖房の効いた船内から一歩外へ出ると身を刺すような寒さだった。

  

夜明け前の海の彼方に見えたものは切り立った山々が雪を被っている姿だった。前もって非常に美しいところだとは

聞いていたが、こんなに素晴らしい景色が出迎えてくれようとはまったく予想だにしていなかった。夜明け前の空気は

冷え切っていた。その冷え切った空気が南極近くにまで来たことを強く感じさせた。

写真は早朝の薄明かりの中で見た海と山の景色。(写真左、右)

 

前日まで雨が降り続いていたと言うことで期待していたパタゴニアトレッキングも危ぶまれるような状態だった。

その雨が夜の冷え込みで雪に変わり季節外れの雪山となったのだ。

朝日の中で海も空も輝いていた。(写真左)雪を被った山頂付近が朝日に照らされ白く輝き始めた。(写真右)

  

空が明るくなるに従って遠くにウスアイアの街が小さく見え始めた。(写真左)

船はその街を目指してゆっくり近づいていった。(写真右)

 

遠目にも分かるほど美しい町だった。

本格的な雪山の美しさを知らない私達はただただ黙って見ているだけだった。(写真左、右)

  

穏やかな湾内だった。息を飲むような美しさにただただため息をつくばかりだった。

青く澄んだ海と切り立った白い山。どんな表現を使ってもこの美しさは言い表せないだろう。(写真左)

防寒服に身を包んで甲板の上で写真を写した。(写真右)

  

山の中腹から下は緑に覆われていた。中腹にはホテルらしき建物も見えていた。(写真左)

いよいよ港の岸壁に着岸だ。港には色んな船が入港していた。(写真右)

  

空気が澄んでいるからだろうか。全てのものが美しく見える。

そして小さな町のようだがカラフルな建物が多い。町を背景に写真を撮った。(写真左)

手前に低い山、その向こうには雪が積もった高い山、そして海岸には赤い瓦屋根の建物が何棟も並んでいた。

(これらの建物は軍の施設だという話だった)(写真右)

  

昨晩の雪雲の名残だろうか。低い雲がたなびいていた。

その下には美しい雪山とウスアイアの町並みがあった。(写真左)

この海は凍ることはないのだろうか。湾内の一方にはヨットがたくさん停泊していた。

豊かな生活をしている人が多いようだ(写真右)

  

港の左の方には民家らしい建物はほとんどなく通信施設のような建物が建っていた。(写真左、右)

  

家内とSさん。(写真左) 広い湾内は波穏やかで朝日がきらきらと輝いていた。(写真右)

  

そのまま絵になるような美しい色あわせだった。(写真左)

この双胴船はこれからピースボートのツアー客を乗せて出発するところ。(写真右)

    

港から町へ続く港の長い通路だ。片側には土産物を売る店が並んでいた。(写真左)

私達の出発は少し遅かった。バスが迎えに来るまでの間、トパーズ号を降りて周辺を歩いてみた。(写真右)

  

トパーズ号の船首部分と背後の美しい山並み。(写真左)

観光船である双胴船はトパーズ号の大勢のツアー客を乗せて出発した。(写真右)

 ウスアイアという港町はフエゴ島という南米大陸最南端の島にあった。フエゴ島を地図で見る

とアルゼンチン領とチリ領に分かれている。ウスアイアはアルゼンチン側にある。この地には

6000年ほど前からヤマナ族という人達が住んでいた。むろん、ダーウインやマゼランなどが

この地を訪れた時にもいたに違いない。彼らは漁業をして暮らしていたと伝えられていて、植物

すら十分には育たないこのような酷寒の地に、どのような経緯があって住み着いたのだろうか。

 ちなみにマゼラン海峡はフエゴ島の北にある水路で、太平洋と大西洋を結ぶ全長6000キロ

の海峡だ。1520年にマゼランによって発見された。また、フエゴ島とオステ島やナバリノ島とを

隔てる狭い海峡をビーグル水道といい、ここは太平洋と大西洋を繋ぐ320キロの水路となって

いる。また、ここはアルゼンチンとチリの国境でもある。進化論で有名なチャールズ・ダーウイン

が乗っていたビーグル号にちなんでビーグル水道と名付けられた。そう言う意味では歴史的に

意義の深い土地なのだ。

 着岸は予定より少し遅れたが、私達の出発は午前十時だったのでまったく問題はなかった。

出発までには少し時間があったので港内入り口まで歩いてみた。入り口周辺には小さな土産

物屋が並んでいた。また、土産物屋の周りには色鮮やかな季節の花が咲いていた。ルピナス

の花が多かった。

 私達が参加したパタゴニアトレッキングはキャンセル待ちが出るくらい人気のあるツアーだった。

港を出たバスは小さな町を抜け、この国の国道3号線に入った。この道は、北アメリカまで続く

パンアメリカンハイウエイの一部だった。

 国道に入って間もなくキエラデルフエゴというヒマラヤのように切り立った山が見え始めた。

日本で言えば富士山に当たるという、この地方の代表的な山だった。高さは1450メートルと

の事だった。これらの山は南アメリカの太平洋岸を南北に走るアンデス山脈の末端にあり、

ウスアイア近くで東西に折れ曲がっているようだ。

 道は両サイドの森林を切り開いて作られたらしく、道路脇には枯れた木々が折り重なっていた。

亜南極だと言われているこの地にあっては珍しく木々が密集していた。ガイドさんの話では植物

も動物も種類は非常に少なく、木々の大半はレンガというブナ科の木だった。

(写真説明)

いざ、出発

パタゴニアトレッキングは予約客がツアーデスクに押し寄せるぐらい人気のあるツアーだった。

一日コースと半日コースがあったが、私達は迷うことなく一日コースの方を選んだ。

希望者が多かったのも一日コースの方だった。足に自信のあるものばかりが参加した。

私はパタゴニアを歩く楽しみもさることながら、どんな景色が待っているのだろう、どんな可憐な花を見ることが出来る

のだろうと期待していた。

    

私達を乗せたバスは一路パタゴニアトレッキングの出発場所に向かった。

この日、ツアーリーダーでもあったクルーズディレクターの直さん。(写真左)

港を出るとすぐ山が間近に見え始め民家は少なくなった。(写真右)

  

船から見えていたなだらかな山はこの山だったようだ。この山には大きな木はほとんどなかった。(写真左)

途中までは緑に覆われているが中腹から上は岩がむき出しになった切り立った山だ。(写真右)

  

車窓には次々と切り立った山々が見えてきた。(写真左、右)

 周辺の景色を眺めている内に山小屋へ着いた。小さな山小屋だった。ここで履き物を履き替

えて出発した。大半の人はトレッキングシューズ程度の軽装だったので、借りた長靴に履き替え

た。私達は家から持ってきた登山靴に履き替えた。

 私にとって長くパタゴニアはあこがれの地だった。南米大陸の最南端近くにパタゴニアという

ところがあり、厳しい自然が残っているという事を知っていた。そのあこがれの地が目の前に

横たわっていた。これから行くところにはどんな自然が待っているのだろう。そんな思いで一歩

を踏み出した。

 山小屋周辺の土地は粘板岩層になっていて、この地層はこの周辺一帯に広がっていた。歩

き始めて間もなく湿地帯に入った。出発して間もなく見え始めた赤茶色の場所は泥炭だった。

泥炭は水苔などが分解することなく積み重なったもので、その厚さは6メートル近くもあるとの

ことだった。

 道の途中にはビーバーが作ったというダムがあった。溜まった水の中には小山のように盛り

上がったところがあり、これがビーバーの巣だとの事だった。ビーバーは元々この地方に住ん

でいた動物ではなく、毛皮を取るためにカナダから連れてこられたものだった。そう言えば山

小屋にも何枚かビーバーの毛皮が壁に貼ってあった。

 湿地帯には丈の低いニレ科の木や名前を知らない植物が生えていた。しかし、種類は少ない

ようだ。色んな高山植物を期待していたのだがタンポポ以外に見るべき花は咲いていなかった。

 湿地帯を抜けると山道に入った。起伏の少ない山道の両側には大きな木々が立っていた。

また、倒木もたくさんあった。これらは雪の重みで倒れたのだろうか。それとも老いて倒れたの

だろうか。木漏れ日が差し込む山中は岡山県の県北の山の中を連想させた。歩いていると温

かかったが立ち止まると寒かった。冷えた新鮮な空気を胸一杯に吸いながら歩いた。

 山を抜けるとまた湿地帯だった。かなり傾斜のある場所だったが足下は泥炭で、まるでスポン

ジの上を歩いているようにフワフワしていた。眼下にも湿地帯が広がっていて、小さな池がたく

さんあった。池の中には地塘のようなものが出来ていた。どこまで行っても分厚く泥炭が堆積し

た道であった。

 私達は深い谷間のようなところを歩いていた。今は一筋の川が流れていた。この周辺一帯は

約一万年前までは厚い氷に覆われていたそうで、周辺の山々の岩肌には氷河の名残があった。

そして、真正面の切り立った大きな岩山のすぐ下に、トレッキングの目的地エスメラルダ湖は

あった。エスメラルダとはスペイン語でエメラルドという意味で、その名の通り湖はエメラルド色

をしていた。

 湖は濃い青ではなく、ほんの少し白く濁っていた。いつもの事なのか、昨日までの雨で濁った

のだろうか。湖の周辺には小さくなった白い粘板岩が堆積してた。どうやら流れ込んだ水の中

には、これら白い粘板岩の微粒子がとけ込んでいるようだった。

 湖の奥では煙がたなびいていた。私達は写真撮影をした後、そこまで移動した。山腹が間近

に迫る狭い場所だった。ここでは私達より一足先に着いた山男達が食事の用意をして待って

いてくれた。まずは紅茶かコーヒーかワインかと問われ迷うことなくワインを注文した。赤ワイン

が何本か準備してあった。また、おつまみにサラミソーセージやチーズもあった。

 インスタントのシチューは三種類準備してあった。フランスパンで作ったサンドイッチがメイン

ディッシュだった。大きなフランスパンのサンドイッチが一つ半あった。サンドイッチだけでも腹

一杯だった。その上、デザートにはリンゴとパイが準備してあり大変贅沢な昼食だった。口に入

れるものだけでなく、周辺の美しい景色が何よりのご馳走だった。

 私達は昼食を終えて元来た道を引き返した。いつも感じることだったが同じ道でも景色は変

わって見えた。森に入ると来るときには閉じていた花が開いていた。これらの花は一日の内ほ

んの短い時間だけ開くようであった。

 途中、山中でピースボートの若者の一団に会った。彼らは個人行動で湖に行くのだと話して

いた。山にはガスがかかり始めていた。この時間から行って戻ってこられるのだろうかと少し

心配だった。また、山小屋近くまで戻ってきたときミニトレッキングツアーの一団に出会った。

(写真説明)

さあ、歩こう

山小屋近くでバスを降り、山小屋で身支度をした。長靴を持っていないものはここで借りた。私達夫婦は登山靴を持

ってきたのでそれを履いた。歩きやすかったのはどちらの靴だったのだろう。

ともかく、ここから非常に歩きにくい湿湿地帯のトレッキングが始まった。

  

着いた山小屋。簡素な作りの山小屋では出発前のトイレに長い列が出来てしまった。(写真左)

山小屋に貼ってあったウスアイアの地図。アンデス山脈の最南端だというこの一帯には切り立った山々が林立して

いるようだ。(写真右)

山小屋の壁に貼ってあったビーバーの毛皮。(写真上)

   

山小屋を出ると間もなく眼下には広大な湿地が広がっていた。私達はこの湿地を横切ってその向こうに見えている

切り立った山の近くまで行く予定だった。(写真左)

湿地の中には尾瀬で見たと同じような池塘がたくさんあった。(写真右)

   

赤いところは厚さが十数メートルもあるという苔が堆積したところ。亜南極という低温のこの地方では苔も腐ることなく

溜まっていくようだ。この上を歩くとフワフワとしてスポンジの上を歩くような感触だった。じっとしていると沈んでしまう

ので沈みかける前に一歩を踏み出さなければならなかった。中にはズボッと沈んでしまい長靴が抜けなくなった人も

いたようだ。(写真左) こんな道が延々と続くので普通の道を歩くより疲れてしまった。(写真右)

    

どうやら私の過剰な期待のし過ぎだったようだ。考えてみれば亜南極という厳しい環境では動植物が生きていくだけ

でも大変な事なのだ。木の種類も数種類しかなく、期待した花も大変少なかった。

    

それでも足元を見ると小さな花が幾つか咲いていた。(写真左、右)

    

唯一、名前を知っていたのはタンポポだった。湿地帯の中にはその部分だけ黄色く彩られた場所があった。

    

浅い池(写真左)と倒木の間に群生していたタンポポ(写真右)

    

少しは慣れたとは言え歩きにくい道の連続だった。みんな転ぶまいと必死だった。(写真左)

何故枯れたのだろうか。たくさんの木が立ち枯れた場所があった。(写真右)

    

花は小さく地味な花が多かった。それでもこれくらい群咲いているとふと足を止めてみたくなる。(写真左)

まだまだ先は長いが腰を下ろすような場所はなく立ったままでの休憩だった。後ろ姿はガイド嬢(写真右)

  

もともとここには動物はいなかったようだ。この地へ入植した人達がカナダからビーバーを持ち込んだ。

そのビーバーがこの当たり一帯に繁殖しているようだ。ビーバーが流れをせき止めて作った大きな池(写真左)

池の中程に作った巣のようだ(写真右)

    

湿地帯をやっとの思いで抜けると山道だった。数種類しかないとの事で同じような木がたくさん生えていた。(写真左)

細い木が多かったが中にはこんな大木もあった。ここまで大きくなるのにどれくらいの歳月を要したのだろうか。(写真右)

    

古い幹にはこんな白いヒゲのような苔も。(写真左)

苔と言えばコケモモという赤い実があった。この実で作ったジャムがウスアイアのお土産だという話だった。(写真右)

    

木々の間を埋めている丸い形をした葉が美しかった。(写真左)

この植物のものと思われる白い花の蕾がたくさん並んでいた。(写真右)

    

木々の枝も腐らずにそのまま残っていた。その中にこんなキノコが生えていた。(写真左)

長いなだらかな坂道が続く。(写真右)

    

山の中で一休み。(写真左)

この山道を抜けると再び湿地帯が広がっていた。(写真右)

   

湿地帯の中の長い坂道を下ると川が流れていた。どうやら目的地であるエスメラルダ湖はこの川の先のようだ。(写真左)

川の水は白く濁っていた。川の水を白く濁らせていたのは岩が削られてとけ込んだものだった。(写真右)

    

向かいの山の下にエスメラルダ湖があった。長いトレッキングだったがもう少しで目的地だ。(写真左、右)

 

やっとたどり着いたエスメラルダ湖、白く濁ってさえいなければ本当にエメラルドのように青々としていたのではない

だろうか。(写真左、右)

    

やっと着いたとカメラの前でガッツポーズをする家内。(写真左)

かつては氷河だったのではないだろうか。湖の目の前にあった山。(写真右)

 

湖の少し手前の高台から見た周辺の景色。(写真左、右)

    

山小屋の山男達は大きなリュックサックを背負い、一足先にここまで来て昼食の準備をしてくれた。

焚き火は疲れた私達を優しく迎えてくれた。(写真左)

ワインや大きなサンドイッチや温かいスープが空腹と疲れた体を癒してくれた。(写真右)

昼食が終わってくつろぎのひととき(写真上)

    

いったいコケモモの正体はどの植物なのだろう?。同じような赤い実が色んなところにあって、どれが本当のコケモモ

なのか分からなかった。(写真左、右)

    

休憩した池の周辺はこんな木々に覆われていた。(写真左)

その木の間からこんな可愛い小鳥が飛んできた。

私達を恐れる様子もなく食べこぼしたパンのかけらをつついていた。(写真右)

    

山に生えていたトゲのある木(写真左)や小さな笹の葉のような形の植物(写真右)

    

山小屋近くまで帰った頃、後ろを振り向くと山にはガスがかかっていた。

途中ですれ違った若者達は迷わずにエスメラルダ湖に着いただろうか。(写真左、右)

    

山の天気は変わりやすいと言うが、午前中はあんなに良いお天気だったのに。(写真左)

山小屋のすぐ下にあった大きな湿地帯。(写真右)

    

山小屋近くに咲いていた花(上の写真左)やシダ(上の写真右)や草(下の写真左)や木(下の写真右)

    

 山小屋に帰って来たときには、さすがに足も体も疲れていた。こんなに長時間歩いたのは久

しぶりの事だった。万歩計の数字は二万歩を越えていた。急な坂道こそ少なかったがぬかるん

だ道は歩きにくかった。そんな事もあって体よりも足が疲れていた。

 この日ガイドをしてくれたのは若い女性だった。彼女は港を出発する時から港に帰り着くまで

ガイドをしてくれた。また、重い荷物を運んで今日の昼食を準備してくれたのは、山小屋にいた

三人の男性だった。彼らに心から感謝しながらバスを降りた。

 この日は一度船まで戻り服を着替えて町に出た。疲れてさえいなければさしたる距離ではな

かったが、小さい町とは言え端から端まで歩くのはきつかった。目抜き通りだという道の両側に

は色んな店が並んでいた。土産物を売っている店もあれば町に住んでいる人達の生活用品を

売っている店もあった。ガイドさんの冗談話かと思っていたら町には本当に若者が多かった。

 カラフルな家の庭先にはきれいな花が植えてありどの一角を取り出しても絵になる景色だった。

私は最北端の地で発行されているという切手と土産にコケモモで作ったジャムが欲しかった。

しかし、いずれも売り切れなどで買うことが出来なかった。こんな訳で、目的のものを探し歩いた

ので余計に疲れてしまった。仕方なく本屋でパタゴニアのカレンダーと町はずれのスーパーマ

ーケットでシャンパンやボトル入りの水を買った。

 私達の通訳代わりだったSさんと私達は帰船リミットも近かったので手近にあるレストランに

入った。夕方の七時半を過ぎていたが太陽は西に傾いただけで町の通りは明るかった。中に

入るとピースボート仲間達が食事をしていた。レストランでは地元産だという鮭を注文した。驚く

ほど分厚く大きな切り身だった。ナイフを入れると中まで火が通っていなかった。もう一度火を

通してくれるように頼んだ。味は付いていなかったが地物だと言うだけ大変あっておいしかった。

こうして帰船リミットの夜九時少し前に船に着いた。それでもまだ周辺は十分明るかった。

 船の出港は夜十時だった。岸壁にはスーさんが立っていた。スーさんに、みんなの励ましの

声と紙テープが飛んだ。最南端のこの港からもスーさん以外にも何人かの人が下船した。下船

人を残して薄明かりの残るウスアイアを後にした。

 万歩計を見ると、この日の歩行数は35000歩近くになっていた。シャワーを浴びると倒れ込

むようにベッドに横になった。

(写真説明)

夕方のウスアイア

 南極に近いこの町の今の季節は夏だった。夕暮れは遅く二十一時近くまでは明るかった。私達は一度船に戻り服

を着替えて町に出た。目的はこの町で発行している切手を買うこととコケモモのジャムを買うことだった。しかし、どこを

訪ね歩いても両方とも売り切れになっていた。この町に早く来たピースボートの乗客達が買っていったようだ。

 がっかりしたのとトレッキングで疲れ切っていたので私は少し不機嫌になっていた。この季節、町の中にはいたると

ころにルピナスやエニシダやケシなどの色鮮やかな花が咲き乱れていた。

    

町の中心(写真左)と少し町はずれの通り(写真右)不思議に若者が多い町だった。

    

端から端まで歩いても三十分とかからないような小さな町だったが、けっこう人と車は多かった。(写真左)

この階段を上がると住宅の建ち並んでいる一段上の通りに出る。(写真右)

    

少し町はずれにあった教会。(写真左) その教会のところから見た大通り。(写真右)

    

スイスの建物のような形をした商店。(写真左) これは一目で本屋さんだと分かる建物。(写真右)

    

ここにもブラジルで見かけたような美しい石を加工したお土産が並んでいた。(写真左)

町の中にはこんな大きな二階建てバスも走っていた。(写真右)

    

町の向こうには美しい山が見えていた。家内とSさんと。(写真左)

何を売っている店(写真屋さん?)か忘れたが和服姿の看板が。(写真右)

    

エニシダ(写真上左)、ルピナス(写真上右)、ケシの花(写真下左)みんな色鮮やかな花ばかりだった。

    

夕食にと頼んだ大きな料理皿には、これまた大きな切り身の鮭が出てきた。(写真右)

    

遅い夕暮れだとは言いながら二十一時近くになるとさすがに周辺は薄暗くなってきた。

それでも高い山の頂きは十分に明るかった。(写真左、右)

    

この港は荷物の中継基地になっているようだ。一度下ろされた荷物は再び積み込まれてどこかへ運ばれて行くようだ。

大きなコンテナ用のトレーラー(写真左)と大きなコンテナ船。(写真右)

  

いつまでも明るいので帰船リミットの二十一時近くだとは思えなかった。ピースボートスタッフにせかされて大急ぎで

船に帰る乗客達。(写真左)

船に戻り、デッキに出てみるとデッキの手すりにカモメが一羽とまっていた。その向こうには夕闇迫るウスアイアの町

がいつも変わらぬ美しいたたずまいを見せていた。(写真右)

  

いくら日暮れが遅いとは言っても船が港を離れる頃になるとさすがに町は薄暗くなっていた。(写真右)

しかし、遠くの山々の頂き付近は夕日に照らされて十分に明るかった。(写真右)

  

明日からは長い長いパタゴニアフィヨルドの航海が始まることになっていた。トパーズ号は係留のロープがはずされ

岸壁を離れた。(写真左)

さようならウスアイア、再び私がこの地を訪れることはないだろう。空には急速に厚い雲が広がり始めていた。(写真右)

  

船が港を離れると急に寒くなってきた。日中の穏やかな温かさが嘘のようであった。(写真左)

薄暗くなったデッキの人影もまばらになってきた。(写真右)

桟橋には灯がともり私達の船に名残を惜しんでいるように見えた。ここで船を離れたスーさんの姿も次第に小さくなっ

ていった。お元気で。(写真上)

    

すっかり日が落ちてしまったデッキで家内と私はお互いの記念写真を写した。さようならウスアイア。(写真左、右)

                                      2005年12月18日写真掲載

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