ブエノスアイレスからウスアイアへ

12月11日(土)

 夜明け前の空は満天の星だった。水平線上はわずかながら明るくなり始めていた。もう少し

早い時間だったら、もっとたくさんの星が見えたと上甲板にいた人が話していた。南十字座は

かなり高い位置にあった。久々に見上げる夜空だった。

 船の前方を見ると昨晩同じ頃にブエノスアイレスの港を離れた船が小さく見えていた。また、

これから港に向かうタンカーだろうか、トパーズ号の横をすれ違って行った。

 日の出には少し早い時間だったので部屋へ戻り、もう一度上甲板に出てみた。船内新聞に

書いてあった日の出時刻だったが太陽は既に水平線を離れていた。残念な事をした。

 船は昼近くになってラプラタ川の濁った水と別れ大西洋に入ったようだ。午前中は絵画クラブ

とマジッククラブがあった。午後はアルゼンチン映画の特集があり、家内と二人で映画三昧の

一日となった。

 一本は「フィシャル・ストーリー」という題名のアルゼンチン映画だった。これはペロン大統領後

の軍事政権による粛正の犠牲になった若者と、その若者達が生んだ赤ちゃんの人身売買を

テーマにした映画だった。

 二本目は「タンゴ・レッスン」という名のイギリスとフランスによる共同製作の映画だった。題名

通りタンゴのレッスンをテーマにした恋愛映画だった。イギリスの女性脚本家がタンゴに興味を

抱き、タンゴを習う内にタンゴを教えてくれた男性と恋に陥るという話だった。

 三本目は「エビータ」というアメリカ映画だった。かのマドンナがエバ役を演じた事でも有名な

映画だった。エビータことエバ・ペロンはペロン大統領夫人として活躍し、33歳という若さでこの

世を去った。この女性の生涯を華やかなミュージカル仕立てにした映画だった。

 どの映画もそれなりに楽しめる映画だったが、さすがに一度に三本立てはいささか疲れた。

12月12日(日)

 日の出が早くなり日の入りが遅くなってきた。誰かが白夜に近づいたと話していた。それだけ

南極近くまで南下してきたということになる。海の色は、ほんの少し緑がかった淡いブルーに変

わってきた。この変化は南極からの寒流によるものだろうか。

 地図を見るとフンボルト海流(チリ海流)と書かれていた。船はアルゼンチンとチリが国境を

接する島、フエゴ島に向かいつつあった。この島に次の寄港地ウスアイアがあった。

 今日、アルゼンチンから乗船した水先案内人のミリアム・アンゲイラさんによるパタゴニアの

紹介があった。説明時間が短くて十分な話は聞けなかったが、美しい自然が期待できそうだ。

 この周辺には幾つかの先住民が住んでいたが、既に一部の先住民は絶えてしまったそうだ。

また、彼らは私達と同じモンゴロイドで、彼らの使っている言葉には、日本の古い言葉に良く似た

ものがあるそうだ。はるか昔、アジア大陸からベーリング海峡を渡ってきたのか、以前読んだ話

のように縄文人達がアウトリガー船に乗って来たことも考えられる。

 今日はSさんからバトンタッチされたディレクターズミーティングの司会の日だった。この船の

中ではディレクターズミーティングを簡略化してディレクミと呼んでいた。ディレクミでは船内新聞

の裏面に書かれている自主企画の場所と時間の打ち合わせを毎日行っていた。

 ディレクミの司会はこれまで若者が中心だった。従って、形式張ったものではなく、若者らしい

軽いのりでやってきた。それだけに中高年の私達には真似の出来ないところがあった。そんな

ディレクミの司会を中高年者にもやって貰おうという話があって、家内が最初のスタートを切った。

そして、Sさんにバトンタッチされ私へと続いた。私からはMさんに無理を頼んでバトンタッチした。

 軽いのりで司会をしてくれと言うことだったので、この日はかなりテンションを上げて司会した。

何とか無事役目を果たし、ほっと胸をなで下ろした。

 町の中を何の気遣いもなく歩ける、こんな幸せな事はない。比較的治安は良いと言われていた

アルゼンチンでさえもカメラを取られたとか、タクシーに乗って法外な料金を請求されたとかとい

う話を聞いていた。被害に遭った人は一人や二人ではなかった。

 私達日本人はもっとも狙われやすいらしい。それは単にお金持を持っているからというだけ

ではないようだ。安全な日本という国に住んでいて、日頃からそのような心構えが出来ていない

からではないだろうか。犯罪が増えたとは言え、まだまだ日本は安全な国なのだ。大都市は別

にして地方都市で持っているものを奪われたという話を聞いたことがない。

 自由に歩けない、常に周辺に注意しながら歩かなければならない。こんな不自由な事はない。

外国の町に来て何の憂いもなく自由気ままに歩けたらどんなに幸せだろうと考えるのである。

時にはこんなサービスも

ヘミングウエイバーではこの日、ドリンクの格安サービスがあった。

時には、若者達とこんなくつろぎタイムもあって。

    

そこに、こんなコスプレの三人組が現れて(写真上)

    

日本との時差が十二時間になったこの日(写真左)

この日はクリスマスを前にして免税店も開いていた(写真右)

ディレクミの担当になって

ディレクターズミーティングを略してディレクミと呼んでいた。

船内施設の使用予約はこの時間に行われ、翌日の船内新聞に掲載された。

    

私と担当スタッフのタム(写真左)

    

私からMさんにバトンタッチ(写真左)

家内は二日ほど前の担当だったが、その時写真を写していなかったので改めてオレンジシャツを着て記念撮影(写真右)

洋上の景色あれこれ

海は時によって様々な表情を見せてくれる。時化の日もあれば波穏やかな日もある。

あれほどの荒れ模様や濃い霧はどこへ消えたのだろう。

遅々として進まぬかに見える船も八時間も走れば八時間分の距離を移動する。いつしかウスアイアが近くなっていた。

    

見事な洋上の夕焼け。燃えるような赤が印象的だった(写真上二枚)

    

    

陸が近くなったからだろうか、こんな鳥たちが盛んに船の周辺を飛び回るようになった(写真上三枚)

雲ひとつない空と海、こんな日も珍しい(写真上右)

    

    

水平線の彼方に沈んでいく夕日。太陽は次第に水平線に吸い込まれていった(写真上五枚)

12月13日(月)

 いよいよ夜明けが早くなってきた。昨日のような事があったのでウオーキング中も常に外の

景色を見ながら歩いていた。もう一周しようと思っていたところ太陽が昇り始めていた。大慌て

で部屋に帰りカメラを持って上甲板に出た。太陽は今まさに水平線を離れようとしていた。

 何枚かの写真を大急ぎで撮った。少し遅れて家内が来た。どうやら目が覚めていたらしい。

私が大急ぎで部屋を出ていったので、何か変わった事があったのではないかと思い出てきた

ようだ。素晴らしい日の出だった。水平線には雲一つなかった。こんな日は珍しかった。昨日の

夕焼けも朝日が昇る前の朝焼けも空が澄んでいるせいか大変きれいだった。

 船上で親しくなった友人が次の寄港地ウスアイアで船を降りることになった。乗船前の病気が

十分回復していなかったようだ。その上、ツアーなどの無理も重なったようだ。ドクターストップが

あったとの事だった。とりあえず帰国をして養生をし、出来ればシドニー当たりで再び船に乗り

たいと話していた。私もそうなることを祈っていた。

 長いと思っていたこの旅行も半分以上が終わってしまった。過ぎ去ってみれば早いものだった。

カレンダーを見ると十二月も半ばだった。家にいれば年の瀬で何かと忙しくしている頃だった。

昨年は、まだラインの長として忙しく緊張した日々を過ごしていた頃だった。こうしてみると三ヶ月

どころか、一年があっという間に過ぎてしまった事になる。

 今日は次の寄港地であるアルゼンチンのウスアイアに着く予定だ。ウスアイアという町がある

フエゴ島はアルゼンチン側とチリ側に分かれていた。南アメリカの最南端だった。地図を見ると

南極大陸は非常に近い位置にあった。

 ツアーデスクのMさんの説明によると南アメリカ最南端の非常に美しい町だということで大変

楽しみだった。また、ウスアイアを出るとパタゴニアフィヨルドを航行する事になっていた。船上

からではあるが何カ所か大きな氷河を見ることが出来るそうでこれも楽しみだった。

 ウスアイアに着いたらパタゴニアのトレッキングに行く事になっていた。トレッキングの目的地

にはエメラルド色をした湖があるそうなので、どんな美しい湖なのか楽しみだった。ともあれ何事

もお天気次第だった。最高のお天気であることを祈っている。

 マジッククラブで教えて貰ったマジックが20を越えた。すごい数のマジックを習った事になる。

パソコンの中に忘れないようにメモしている。また、絵画クラブに入って久々に絵を描く楽しみを

味わっていた。残念なのは誘ってくれたSさんが船を降りてしまうことだ。基本的な事を教えて

貰えるという期待をしていた矢先の事だった。

 また、ゴンザロというGETの先生が粘土細工をやろうと呼びかけてくれた。そんな事もあって

やってみたいと思っていた粘土細工をするきっかけになればと思っている。すべてのことが良い

方向へ回転していた。ありがたいことだった。

パン粘土細工

粘土細工は船に乗ったらやってみたいと思っていた事の一つだった。

その思いが思いがけなく実現したのだが、この日だけに終わってしまい作品はついに完成しなかった。

    

私の作品(写真右)

これは完成品(見本)

12月14日(火)

 海水温が低いためか航行海域では濃い霧が発生していた。視界はゼロに近い状態だった。

船は何分おきかに警笛を鳴らしていた。

 明日はいよいよウスアイアに入港する。今日も盛りだくさんの行事の間に「わくわく寄港地」が

あった。ピースボートでは寄港前にはいつもツアーデスクから寄港地に関する説明をしてくれた。

 説明によるとウスアイアの中心街は端から端まで歩いても十五分位の小さな町だということ

だった。そんな小さな町だが、この海域を航海する船にとっては重要な補給港だった。

 最南端の港町だと言うことで、最南端とか最果てをネーミングしたお土産などもたくさん売って

いるようだ。切手もあると聞いていた。

 船外に出るととても寒かった。海水温が低いだけでなく大気の温度も下がってきているようだ。

午後から先日作ったたこ揚げがあったが、あまりの寒さに見物人も早々に引き上げてしまった。

これまで船内は冷房だったが今は暖房に切り替えているようだ。多くの人が冬物を出して着て

いた。私は普段着るような冬物を持って来なかったので売店で派手なピースボートのパーカー

を買った。

 ブエノスアイレスからは環境問題に取り組んでいる若者達が数人乗ってきた。昨日から彼らに

よる活動報告が行われてきた。昨日は近年発生頻度が多くなっているアルゼンチンでの大洪水

についての報告があった。そして今日はチリの若者から海水面が年ごとに上昇していると言う

話があった。いずれも地球温暖化によるもののようだ。海水面の上昇に関しては、私からも地球

の裏側である日本の瀬戸内海でも今年台風の際の高潮被害について話しておいた。

 このように、大きな環境汚染源を持たない国々でさえも環境保護に対する取り組みが行われ

ている。ましてや、日本やアメリカ等大量にエネルギーを消費している国では積極的に取り組ま

なければならない問題だ。京都議定書を未だに批准していないアメリカ政府はどう考えているの

だろうか。私からは京都議定書以降、企業が取り組んでいる実状を補足説明しておいた。

 私が説明する前に山梨県のある企業の人から近隣各社を巻き込んだ環境問題への取り組み

についての説明があった。各地へ行って講演もしておられるとのことで、良く整理された分かり

やすい説明だった。

 夜にはマジッククラブの新規加入者の歓迎会と仲間の誕生会があった。実施までには多少の

ごたごたもあったが楽しい夕食会だった。

 その他、「笑いの最果て大演芸会」と称するピースボートスタッフによる落語やコントや漫才

などがあった。日頃は大まじめに環境問題などを取り組んでいる女性スタッフが女学生姿に扮

して歌を歌ったりと会場を大いにわかせてくれた。みんな芸達者であり、私達を心から楽しませ

てくれようとする努力に頭の下がる思いであった。本当にありがとう。

船内企画あれこれ

    

討論企画である環境問題、南米各国からも異常気象現象など深刻な環境問題が提起されていた(写真上二枚)

パタゴニアという過酷な環境下にも人々は住んでいる。その地の子供達との生活記録が紹介された(写真上)

ある日の誕生会

    

    

船上で誕生日を迎える人は幸せだ。こうしてみんなから祝福されるからだ。

この日もマジッククラブに入っていたご夫婦の誕生祝いが行われた(写真上五枚)

笑いの最果て大演芸会

実に多彩な催し物が数々行われたが、これもその一つ。

日頃はまじめな環境問題などの企画を受け持っているスタッフ達の意外な一面も楽しませて貰った。

その努力には、ただただ頭の下がる思いであった。

    

この司会二人、やけに派手な衣装で(写真上二枚)

    

帰国子女三人組と称する彼女たちの歌は微笑ましくも爆笑ものであった(写真上二枚)

    

    

落語あり、コントあり、漫才ありと多彩な出し物でみんなを楽しませてくれた(写真上五枚)

    

スタッフの皆さんご苦労様、そしてありがとう(写真上二枚)

12月15日(水)

 早朝の上甲板に出てみた。船の両舷には島影がぼんやりと見えており寄港地の近いことが

感じられた。こうしている内にも空は明るくなり島影もハッキリ見えてきた。雪をかぶった山頂に

朝日が当たってとてもきれいだった。海は湖のように穏やかで鏡のような海面には周辺の景色

が映っていた。

 この分だと今日のお天気は心配なさそうだった。トレッキングではどんな景色や草花が待って

いてくれるのだろうか。

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