ブエノスアイレスという町

12月10日(金)

ブエノスアイレス市内観光とガウチョショー

 心地よい旅の疲れと昼食時の酒の酔いとが眠気を誘い、ベッドに横になったままいつの間に

か寝込んでしまっていた。その間に船は港を離れていた。昼間には水深が浅く船底近くまで見

えていたが、出港できるように水かさは増したのであろうか。

(写真説明)

ブエノスアイレスを出港した翌朝

翌朝、目が覚めるとトパーズ号は既にブエノスアイレスを出港し、再び海のように広い川を流れに沿って下っていた。

    

空には雲らしい雲もなく水平線上は夜明け前の太陽で赤く染まっていた。(写真左)

空には一羽の鳥が船の周辺を飛んでいた。(写真右)

    

やがて水平線上に朝日が顔を出した。(写真左)

トパーズ号の遙か彼方には先に出港した船だろうか三隻の大型船が航行していた。(写真右)

 ラプラタ川を遡ったところにあるこの港は海に面した港ではなく、茶色く濁った水の決して美し

いとは言い難い港であった。川の名称であるラプラタとは、この川の上流から銀が産出したこと

から銀の川、ラプラタ川と名付けられたようだ。

 この川はアルゼンチンの首都であるブエノスアイレスの町のはずれを流れていた。川幅が広

く対岸は見えなかった。従って、水の濁りさえなければ海だと言われても、そうかと思うような大

きな川であった。ちなみに、この町の水道はこの水を利用していた。

 ブエノスアイレスは大変美しい町だった。ハンガリーのブタペストの町を思い出させるような古

い建物がたくさんあり、町には緑がいっぱいだった。私達が訪れた季節は晩春から初夏に当た

るのだろうか、この町の代表的な花であるハカランダ(藤の花に似た紫色の花)やティーバ(ア

カシアに似た黄色い花・正しい名前かどうか不明)が町のあちらこちらに咲いていた。

 この国の人は花好きなのだろうか、一戸建ての家にも、また庭のないマンション風の建物に

も庭木や鉢植えがいっぱいだった。澄んだ青い空と緑あふれる町並み、そして初夏を感じさせ

る爽やかな風は、この町にずっと前から住んでいたような親しみを感じさせてくれた。

 今日はガウチョショーがメインのツアーだったが、私達は郊外の牧場へ行く前に市内観光を

した。港からバスに乗り週末で渋滞の多い道路を走り官庁街へ出た。官庁街にはヨーロッパの

町を連想させるような古い建物がたくさんあった。今も国民的英雄として人気の衰えないペロン

元大統領夫人だったエバ(エビータ)で良く知られている大統領府の建物も当時のままだった。

周辺は歴史的にも有名な場所で五月広場と呼ばれていた。

 この国の歴史には軍事政権によって血塗られた不幸な時代もあり、軍事政権下では多くの

若者がテロリストだとして逮捕された。そして未だ行方不明のままになっていた。そうした若者

の母親達が消息を明らかにするようにと政府に抗議を続けてきた。その母親達が抗議行動の

シンボルにしていたのが白いネッカチーフだった。そのネッカチーフが目の前の長いロープに

たくさんぶら下がっていた。

 この国の国旗は青と白を基調にしていて、旗の中心には太陽がデザイン化されて描かれて

いる。青は空の青さを表しているとの事で、いかにもアルゼンチンにふさわしい色だった。旗は

五月広場に立っていて、初夏の爽やかな風の中でなびいていた。

 私達は市内の繁華街であるフロリダ通り前で自由行動になった。ここは東京で言えば銀座の

ようなところであろうか。この町にしては比較的細い通りの両脇に色んな店が並んでいた。この

国の特産品である革製品や宝石、おみやげ物屋等であった。私はこの国でしか産出しないと

言う磨けば宝石となるピンクの石を買った。インカのバラと言われている半輝石だった。家内

に革製品をと思ったのだがサイズが合わないのであきらめた。

 私達はプエルトマデーロ地区、5月広場、7月9日通り、裁判所、そして世界三大劇場の一つ

だと言われているコロン劇場などを車中から見学した。そして、高速道路に入り郊外に向かった。

(写真説明)

ブエノスアイレス市内観光は五月広場から

アルゼンチンと言えばブエノスアイレス、私の中では長くあこがれの町であった。ヨーロッパの町よりあこがれていた

のは何故だろう。一つにはヨーロッパを思わせるような重厚な建物が林立する町、そしてその魅力を更に高めるものが

アルゼンチンタンゴだった。

ブエノスアイレスは南米のパリとも言われている町だけあって町の中には古く重厚な建物が多く、まるでヨーロッパの町

を見ているような錯覚を覚えた。

    

港を後にして通勤ラッシュの車で混雑する通りを抜けた。(写真左)

やがて、官庁街と言われている場所に着いた。写真の左側にはブルーを基調にした国旗が写っている。(写真右)

    

ブエノスアイレスの主要な建物が集まっているこの周辺は時間の都合で下車できずバスの中からの観光になった。

大きな建物の中央には五月広場と呼ばれている広場がり大勢の人で賑わっていた。

    

建物の色から「ピンクハウス」と言われている大統領府。正面の赤い建物。(写真左、右)

見分けにくいと思うが、写真手前の白いハンカチが軍事政権下で拉致され、行方不明となっている若者達の

母親が下げた抗議のハンカチ。((写真左、右)

    

カテドラルと呼ばれている大聖堂。(写真左)

この重厚な建物は最高裁判所。(写真右)

    

観光バスは五月広場を中心に周辺を何度か廻って見せてくれたが、説明も十分聞き取れなくて写真だけの掲載で勘弁願いたい。(上三枚の写真)

七月九日通りからフロリダ通りへ

    

私たちを乗せた観光バスは七月九日(アルゼンチンの独立記念日)通りという大きな通りを走った。往復十車線という大通りだ。

また、道路周辺には大きな街路樹が多く、この町に落ち着いた景観を作り出していた。(写真左、右)

古い重厚な建物には不釣り合いな青い大きな看板が取り付けられていた。(写真上)

    

七月九日通りとコリエンテス通りの交差点には、これら大通りのランドマークとも言うべきオベリスコが立っていた。(写真左)

オベリスコ周辺は大勢の人や車で混雑していた。(写真右)

    

世界三大オペラ座と言われているコロン劇場。七月九日通りから見たところ(写真左)とその反対側から見たところ(写真右)

    

実に木々が多い町だ。これらの木々はブエノスアイレスという町が作られたときから計画的に植えられたようだ。

従って、こんな巨樹もある。右側に小さく写っている赤い服の女性と比べて見ると木の大きさが分かる。(写真左)

この木の枝先にある白い綿毛のようなものは何だろう。木の実がはじけ中から出てきたもののようだ。(写真右)

    

花の季節は終わったとの事だったが遅咲きの花も残っていた。これはこの国を象徴するような花でジャカランダ

と言う桐の花に似た筒型の花だ。(写真左)

フロリダ通りと言えばさながら東京の銀座と言ったところだろうか。私たちを乗せた観光バスはフロリダ通り近くの

公園の横に停車した。(写真右)

    

フロリダ通り(写真左)と通りにあった店の中。クリスマスの飾りだろうか。(写真右)

市中にはマンション風の建物が多かったが、郊外には一戸建ての住宅地が広がっていた。

 この国の貧しい人達は信号待ちの車のフロントガラスを磨いて代金を受け取っていた。また、

ある人達は手に手に玩具や凧等を持って売り歩いていた。経済危機は生活にどんな影を落と

しているのかとガイドさんに聞いてみたが、日本で聞いていたほど深刻なものではないとの事

だった。日本の経済危機と同じようなものなのかも知れなかった。個々人の生活はそれなりに

維持されているようで、以前と変わらず週末には郊外の別荘地で過ごす家族も多いようだ。

(ただ、経済危機後は犯罪が増えているようで、私達ピースボートの仲間でも市内観光で被害

にあったという人も多かった)

    

この国の経済は落ち着きを取り戻しつつあるとは言いながら完全に経済危機を脱したとは言えない。

従って、犯罪も多いし、この写真のように定職もなく車のフロントガラスを掃除して小銭を貰ったり(写真左)、

止まっている車の間を行き来しておもちゃなどを売っている人を見かけた。(写真右)

 この国では、これからが夏休みとかで子供達は約三ヶ月という長い休みが始まる。また、途中

で見かけた大学では学年末なので卒業式が行われていた。大きな建物の前は大勢の学生や

その家族で賑わっていた。この夏休みを利用して長期休暇をとり旅行に出かける家族も多い

のではないだろうか。この国では有給休暇が30日もあるとのことで、ヨーロッパ諸国と同じよう

にバカンスを楽しむ人も多いようだ。

 高速道路は市街地を抜けると別荘地、そして、その先にある工場地帯を通り抜けた。ガイド

さんの説明では都市計画に基づいてブエノスアイレス市内にあった工場を全部郊外に集めた

との事だった。この工場地帯の中にはトヨタなど日系企業もたくさんあるようだ。

 大都市であるブエノスアイレスはパンパと言われている草原地帯に作られた町だった。あふ

れるほどの木々も町作りと共に植えられてきたものだ。従って、市内にも郊外にも山のような

ものは何もなかった。平坦で広大な大地が延々と広がっていた。

(写真説明)

ブエノスアイレス郊外を走りガウチョショーへ

ブエノスアイレスは市街地に集中していた工場などを郊外に移転させ都市の再開発を行っていた。

日本とは異なり広大な土地をもっているこの国では移転先に困るような事はないようだ。

日本などから進出している自動車工場なども郊外に移転していた。

国内線の空港だろうか、小型機がたくさん停まっていた。(写真上)

アルゼンチンは隣の国ブラジルと同じように熱狂的なサッカーファンの多い国だ。ご覧のように立派なサッカー場が郊外にあった。

 

観光バスは市街地を抜け郊外に入った。道路の片側には塀を巡らした住宅地や木々に囲まれた住宅地が延々と続いていた。(写真左、右)

    

これはお寺だろうか。日本のお寺に良く似た大きな立派な建物であった。(写真左)

また、ボーリング場かレジャー施設のような派手な建物もあった。(写真右)

この黄色い派手な建物はスーパーマーケットだとの事だった。

日本人はどこへ行っても勤勉だ。従って、成功者も多い。これは日本人が経営する園芸店だとの事だった。

 

今まで見てきたような建物が途切れてしまう頃、広大な牧場や畑が道の両サイドに見え始めた。(写真左、右)

 工場地帯を抜けると農業地帯になっていた。これらは広大なトウモロコシ畑や牧場であった。

そんな牧場地帯の一角にガウチョショーを見ながら食事が出来る牧場があった。入り口には

大きなユーカリの木が聳えていた。

 私達は入り口でプラスチックコップに入ったワインを手渡され、パイ生地に挽肉を詰めて唐揚

げにした大きな餃子のようなものを手渡された。食事の準備が出来るまでしばらくお待ち下さい

と言うことであったが、ワインを飲み干す間もなく大きな食堂に案内された。

 食堂はむき出しの木組みで作られていて、この国の開拓時代を思わせる建物であった。中央

には舞台があり、ここでショーが行われるようであった。

 昼食は昨晩に引き続きアサードという肉料理だった。アサードのメインは何と言っても大きな

ステーキだが、その前に出てきたソーセージ類もおいしかった。嬉しいことにこの日も飲み放題

と言うことでワインもビールも次から次へと出てきた。そのビールビンの大きかったこと。こんな

に大きなビールビンは見たことがなかった。

 ここには色んな国の人が来ていた。私達もこれら何カ国かの一つとして紹介された。私達の

船の隣にも客船が止まっていたので、この船の人達もいたのではないだろうか。

 食事が一段落すると舞台ではショーが始まった。タンゴがあり、ガウチョの踊りがあった。また、

ギターとバンドネオンによる歌も良かった。心地よい酒の酔いが、ことさら異国情緒を感じさせ

てくれた。

(写真説明)

昼食とガウチョショー

ガウチョとはアメリカで言うカウボーイの事だ。牧場で牛を追いながら生活している人達の事だ。

    

そんな人々の生活は質素で、その頃の生活を再現したかのような建物の中でアサードを食べビールやワインを飲んだ。

梁がむき出しになった建物(写真左)と、その梁に立てかけられていた鍋の蓋。(写真右)

  

アルゼンチンタンゴは非常に情熱的な踊りだ。そしてセクシーである。(写真左、中、右)

踊りの紹介や各国の観光客の紹介をしながら演奏をしていたギターとバンドネオンの奏者。(写真上)

    

ダンサーは二人は衣装を変えてガウチョの踊りを見せてくれた。(写真左、右)

    

次はガウチョが牛を追うときに使う鞭を使っての踊りだった。(写真左、右)

  

可愛い少年もなかなか巧みな鞭さばきを見せてくれた。(写真右、左)

 屋内でのショーが終わると外では乗馬によるショーが始まった。舞台でも演技してくれた少年

が巧みに集団の馬を操っていた。また、馬に乗ったままで吊り下げられた小さなリングを取る

のは至難の技ではないだろうか。

 ショーが終わった後、広い庭にあった小さな博物館に入ってみた。一見、田舎の農家にも見

える建物の中には、この国の開拓時代の部屋を再現したものやペロン大統領夫人のエバ(エ

ビータ)が身につけていた服や写真などが展示されていた。こうして、楽しいひとときを牧場で

過ごし、ここを後にした。

(写真説明)

乗馬ショーの始まり

食事が終わると早速屋外でのショーが始まった。

ガウチョは馬を巧みに乗りこなせなくては一人前とは言えない。そんなガウチョの腕前を見せてくれたのがこのショーだった。

  

空はどこまでも青く澄み風は爽やかだった。

ブラシの木に良く似た赤い花(写真左)と広大な畑。レストランの外はこんな景色だった。(写真右)

  

馬の毛の色で幾つかのグループを作り、カウボーイ達がそれぞれのグループを自由自在に動かしていく。

先ほど舞台で見事な鞭さばきを見せてくれた少年も一人前のガウチョだった。(写真左)

牧場内を走り回って整列をした馬達。(写真右)

馬という動物は実に賢く従順だ。主人が号令を発するまで整列して立っていた。(写真上)

    

乗馬の最大のイベントは写真のように、ぶら下がった小さなリングを走り抜けながら指先に通す競技だ。(写真左)

写真の少年は見事にリングを自分の指先に通した。(写真右)

  

ショーが終わってガウチョ達が勢揃いして挨拶。会場からは拍手喝采だった。(写真左)

ゆっくり草を食む馬達。(写真右)

    

開拓時代の再現だろうか錆びた手こぎ式のポンプが花に囲まれていた。(写真左)

レストラン入り口にあった大きなユーカリの木。(写真右)

    

開拓時代の農家の台所を再現したところ。(写真左)

ここの管理人だろうか、家内と一緒の写真に入って貰った。(写真右)

  

エビータことエバ・ペロンの生涯は波乱に富んだものであった。人気女優からペロン大統領夫人となり若くして癌で亡くなるまで

国民的英雄として慕われた。亡くなった今も彼女の人気は衰えていない。

その遺品を展示していた。遺品の数々(写真左)とエバの写真(写真中、右)

    

緑の芝生と咲き乱れる花の数々、最高に幸せなひとときだった。レストラン前の広場で私(写真左)と私と家内(写真右)

    

草原の中にもこんな可憐な美しい花が咲いていた。(写真左)

これは花石榴だろうか、緑の中のオレンジ色が鮮やかだった。(写真右)

港に帰って

    

港の中は専用バスで移動した。(写真左)

そして、港内の風景。よその国の客船が近くに停泊していた。(写真右)

    

港の中はラプラタ川の水だ。従って、いつも茶色に濁っていた。(写真左)

みんなの帰りを迎えてくれたジャパングレースの女性職員達。(写真右)

 12月10日は日帰りでのイグアスの滝の見学、そして、今日は市内見学とガウチョショーと二

日間の楽しい旅行は終わった。梅雨がないというこの国は実に爽やかな季節であった。また、

この国には台風も地震もなく、霜は降りても雪は降らないという話であった。

 また、この国ではアメリカよりも早く奴隷解放をしたとのことで黒人の姿を見なかった。南北

両アメリカを通じて白人が大半を占める数少ない国であった。貧困層による多少の治安の悪さ

を除けば大変住みやすい国ではないだろうか。

                                 2005年12月2日写真掲載

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