南米初めての寄港地リオデジャネイロ

12月5日(日)

絶景の丘コルコバード(リオデジャネイロ市内観光)

 船は危うく岸壁に衝突するかに見えた。それほどまでに舳先は真っ直ぐ岸壁に向かっていた。

あわてて普通の着岸では使用されない碇が投下された。ところが一方の碇にロープがからみ

ついてしまった。従って、碇が効いたから停船したのかどうか分からなかった。とにかく碇の錆

が激しい粉塵となって空中に舞った。安全な着岸風景ばかりを目にしてきた私達には肝を冷や

すような出来事だった。慣れた着岸とは言え油断は禁物であった。

    

私達を乗せたトパーズ号は大西洋を一気に横断し、早朝のリオデジャネイロに到着した。

港にはどこから来た船だろうか、大型の客船が停泊していた。(写真左)

見たことのない町であったが町のシンボルである大きなキリスト像があの山頂に立っている像であることは

おぼろげながら確認できた。(写真右)

    

着いた港は古い港でありブラジルにとっても重要な港だった。

また、町もブラジル開拓の歴史を物語るような町であり、リオデジャネイロがブラジルの首都であったこともあったようだ。

港の遠景(写真左)とキリスト像が立つコルコバードの丘(写真右)

    

トパーズ号は船首を岸壁にまっすぐ向けて進んでいた。(写真左)

このまま進めばあわや岸壁に衝突するのではと思われたとき緊急に碇が投入された。(写真右)

    

やっと船首を左に切り(写真左)やがてタグボートが船腹を岸壁に向けて押し始めた。(写真右)

港近くにはこんな長大橋が湾内を横切っていた。

 さて、着岸前には遠くにコルコバードの丘が見えていた。この丘の象徴は何と言っても、あの

大きなキリスト像ではないだろうか。山頂からリオの町並みを見下ろすように立っていた。

 今日は「絶景の丘コルコバード」と言う企画のリオの市内観光の日だった。ツアーに参加しなく

ても行けるような観光場所だったが、治安が悪く慣れない土地だったのでツアーを申し込んだ。

このツアーの参加者は乗客の半分近い四百人だった。第47回クルーズとしては最高の人数

だった。それというのも選択肢が少なかった事と、私と同じ理由から申し込んだ人が多かった

からではないだろうか。

 リオデジャネイロという町の名前は、この地に上陸したポルトガル人が名付けた。リオは川と

いう意味、ジャネイロは一月という意味だそうだ。彼らがこの海域に入ったとき、潮の流れが川

のように見えたらしい。従って、訪れたのが1月だった事から1月の川と名付けたようだ。

 私達は初めて南米の大地を踏みしめた。港のはずれの広場には観光バス10台が来ていた。

四百名は十台のバスに分かれて乗った。この内の二台のバスが昼食にシェラスコという肉料理

を選んだツアー客用だった。大半の人は魚料理のツアーコースを選んでいた。日本のような魚

料理を期待していたようだ。

 初めに行ったのはコルコバードの丘だった。標高が700メートルというこの山の山頂にはリオ

のシンボルである大きなキリスト像が立っていた。この像は1922年にブラジルの独立を記念

して立てられた。1921年に着工し1931年に完成した鉄筋コンクリート製の像であった。

 山頂までは登山電車が走っていた。登山電車は箱根の登山電車に良く似ていた。急勾配の

鉄道が下の駅と山頂の駅との間を結んでいた。山頂までは20分くらいだった。従って、走って

いる時間よりも待ち時間の方が長かった。

 線路の両サイドには木々が生い茂り蝉が鳴いていた。この木々の様相が日本のものに似て

いた事もあって、夏の盛りに日本の山中を走っているような錯覚を覚えた。むろん、ここは熱帯

に近い森なので日本の山中にある木々とは種類も異なっていた。

 外見がドリアンに良く似たジャックルーツという珍しい果物をたくさん見かけた。植物の中に

は 、日本で観葉植物や改良種が花として売られているものなどがあり、やはり、この地が日本

から遠く離れた異国の地であることを感じさせた。

 山頂駅からは徒歩で階段を登った。一歩高くなるに連れ眼下の展望は大きく開け、雄大な

海と美しい町並みが見えた。この山もそうであったが周辺には奇妙な形をした山が多かった。

山が丸ごと大きな岩であった。

 ここへ来る途中に見かけたスラム街も山頂から眺めると、赤い屋根瓦がモザイク模様に見え

て美しかった。

 この山のシンボルは何と言っても巨大なキリスト像だった。晴れわたった大空を背に両手を

広げて立った姿は、あまりにも巨大で少し離れないと視覚には治まりきらないほど大きかった。

キリスト像を背景にして写真を写した。ツアー説明会では山頂に雲がかかって見えにくい時も

あると聞いていたので、この日は本当にラッキーだった。

 しかし、今までのツアーの時と同じように、ゆっくり景色を楽しんでいるような時間はなかった。

待ち時間ばかりが長い電車に乗るために、先ほど下車した駅へ引き返した。

    

港の中には観光客向けだろうかリオのカーニバルに使用する衣装などを売る店もあった。(写真左)

港の端の方には、この日のツアー客である私達を迎えに何台もの観光バスが来ていた。(写真右)

    

港内には幾本もの鉄道が敷設され、この港から多くの品物が輸出入されているようだ。(写真左)

私達が乗ったツアーリーダーのH君と端の方にツアーガイドの日系女性の顔が。(写真右)

    

さすがブラジルでも有数の大都会だけあって、私達のバスが走っている道路とクロスするように大きな道路が走って

いた。(写真左)

ブラジル人のサッカーに対する熱狂ぶりは誰でも知っているが、その国立のサッカー場がバスの窓から見えた。

(写真右)

    

一見どこにでもあるような風景であるが最下層に住む人達(彼らもリオの市民であり、ここからもサンバカーニバルには

多くの人が参加する)

の住宅地(このスラムはファベーラと呼ばれている)。ここには無計画に家が次々と建てられ重なり合うようになって

いる。(写真左)

今回、私達を案内してくれた日系の現地ガイド(写真右)

    

コルコバードの丘に登るにはケーブルカーを使う。駅構内にはこんな車両やクリスマスツリーが飾られていた。

(写真左、右)

    

駅の外にはマンゴーの木がたくさんの実を付けていた。(写真左)

そして、入り口通路にはこんなパフォーマーが身動き一つせず立っていた。(写真右)

    

私達が乗る予定のケーブルカーがやっと入ってきた。左の女性は駅員さん。(写真左)

駅近くの広場には多くの観光バスや観光客が行き来し賑わっていた。(写真右)

このような混雑するところは、ひったくりなどに注意が必要だ。

    

ケーブルカーの路線の両側は鬱蒼とした森で、線路際にはこんな可愛い花(原種のインパチェンスのようだ)も咲いて

いた。(写真左)

ジャックフルーツと呼ばれていた木の実は太い幹から、そのままぶら下がっていた。

枝になる果樹ばかりを見慣れている私にとっては不思議な眺めだった。(写真右)

やがて丘の頂上にある駅に近づくと車窓にリオ市内の景色が飛び込んでくる。感動の一瞬だ。

    

丘の頂上に着くと階段があり、この階段を上るたびに眼下に見る景色が変わり遙か彼方の大西洋まで見渡せる。

写真の手前にあるのは一部が海に続いている湖だ。(写真左、右)

    

上の写真を望遠で更に拡大して見ると、より一層一軒毎の家がはっきりと見えてくる。(写真左、右)

    

いよいよ山頂だ。ここは大勢の観光客が上り下りしていて大混雑だった。

リオ市内を背景に私。(写真左)

そして、巨大なキリスト像をバックに家内と私。(写真右)

    

大西洋側が見える方向と反対側の景色。(写真左)

写真中央に見える丸いものは途中車窓から見たサッカー場。(写真右)

    

キリストは両手を広げた格好で立っていた。この前では多くの観光客が記念写真を写していた。(写真左)

私も外人観光客に頼まれて一枚写してあげた。

山頂から見下ろしたリオとその向こうに広がる大西洋。(写真右)

    

一部が海に続いている湖はこのような形をしている。湖の中にはクリスマス用のイルミネーションが灯されるという

大きな鉄塔が立っていた。(写真左)

丘の上まではこのようなエスカレーターも動いていた。しかし、気まぐれなエスカレーターはしばしば止まってしまうと

言う話だった。(写真右)

    

丘の至るところにきれいな花が咲いていた。(写真左、右)

    

ケーブルカーを上から見下ろしたところ。(写真左)

すぼんだままのハイビスカス、咲き終わったものだと思っていたが、どうやらこのハイビスカスはこれが咲いている

状態らしい。(写真右)

    

丘の上の駅にいた女性駅員、カメラを向けるとこんな笑顔を返してくれた。(写真左)

ケーブルカーは急な坂道をあえぎながら登っていく。そして上りと下りがすれ違うところがところでは線路がクロス

していた。(写真右)

コルコバードの丘の下の街角。伝統ある古い建物が多い。(写真上)

 朝食を簡単に済ませていた事もあっておなかがすいていた。久々に感じた空腹だった。観光

と共に楽しみなのは行く先々の食事であった。いささか船内食に食傷気味だった私にとって、

体調が良くなった事もあって、昼食のシェラスコは大変楽しみだった。

 ツアー後に聞いた話では、リオに来たら何にも優先して食べるべき料理はシェラスコだとの事

だった。店内の別室に私達ツアー客用のテーブルが準備してあった。席に着いた後、飲み物の

希望を聞かれた。そして隣室に準備された野菜などを取りに行った。一品ずつ取ったのだが

大きなお皿はたちまち満杯になってしまった。

 テーブルに着くと早速、大きな剣や棒に串刺しにして焼いた各種の肉料理が運ばれてきた。

シェラスコの特徴は何と言っても串刺しにされた肉をお皿に切り落として貰いながら味わうこと

にあった。焼きたての温かい肉の味は何とも美味で、こんなに食べて大丈夫だろうかと思う位

たくさん食べた。トパーズの船内ではけっして味わうことの出来ない肉のうまさだった。

    

ブラジルでの名物料理と言えばシェラスコという肉料理だ。私達は迷うことなくこの肉料理の観光コースを選んだ。

多くの人は長い船内生活の肉料理に飽きて魚料理がメインの観光コースを選んだ。しかし、一般にブラジルの魚料理

は大味で失敗だったようだ。「郷に入りては郷に従え」と言うことだろうか。肉料理はすごく美味しかった。

入ったレストランの一室。ここでは私達ピースボートのツアー客ばかりだった。(写真左)

カウンターの上には色んな料理が並んでいて、私達日本人観光客のためか寿司まで準備されていた。(写真右)

    

大皿に欲張って載せた料理の数々。ここの料理は何もかも美味しかった。(写真左、右)

    

そして、肉料理は大きな串に刺したソーセージのような加工品から各種の肉料理が

次々に運ばれてきて、希望する肉料理を大きなナイフで切り落として貰う。(写真左、右)

    

私達のあくなき食欲は、このような空の大皿となって残り、それを運ぶウエイター達も大忙しだ。

それにしても実に上手に載せて運んでいく。(写真左)

大きなレストランの入り口にはこんなクリスマスツリーが飾られていた。(写真右)

 こうして腹一杯になり、酒の酔いもあって眠気が催すままにバスに乗った。次に向かったのは、

コルコバードの丘と向かい合わせに立っているボン・ジ・アスーカルの観光だった。砂糖パンの

山という意味だそうで、言われてみればなるほどと思うような丸い形の山だった。

 この山も周辺の山と同じように岩山だった。町の中から二カ所のケーブルカーを乗り継いで

山頂に着いた。海にせり出すような位置にある山で、コルコバードとはまた異なる展望だった。

大西洋が眼下にせまりヨットがたくさん浮かんでいた。そして、コパカバーナビーチが間近に見

えていた。

 山頂の上空には大きな鳥が群をなして舞っていた。上昇気流にでも乗っているのだろうか。

サギのように首の長いスマートな鳥達だった。

 この日の観光は何よりもお天気が良かったことが幸いだった。昨晩は小雨が降っていたので

心配だったし、午後からは雨になるかも知れないと言うことも聞いていた。しかし、その心配は

全くなかった。

    

大きなレストランから少し離れたところで私達の観光バスは待機していた。

その近くには本を中心に色んな物を売っている売店があった。(写真左)

私達の団体は三台のバスに分乗して再出発した。(写真右)

    

ボン・ジ・アスーカルという山はコルコバードの丘からも見えるところにあった。

そこへ行く途中、通りに面したところで見かけたトヨタの看板。(写真左)

大きな広場の一角にケーブルカーの乗り場があり、なるほどそう言えば「砂糖パンの山」に見えなくもない岩だけの

丸い山が聳えていた。(写真右)

    

ケーブルカーは広場を挟んで向かい側の岩山に一気に登っていく。(写真左)

ケーブルカーから広場を見下ろすと大きな闘牛の絵があった。何かイベントでもあったのだろうか。(写真右)

描いてあると思っていた闘牛の絵だが大きなシールであり、私達が帰る頃には剥がされていた。

    

山頂に降り立つと結構広い公園になっていて、その一角にはこんな大きなモーターが展示されていた。

私は元の職業が電気屋なので妙に気になった。ケーブルカーに使われていたモーターだろうか。(写真左)

山頂からはコルコバードの丘が見え、山頂には小さくキリスト像が見えていた。(写真右)

    

ここからはコカパバーナビーチだけでなく、他のビーチも見られた。(写真左)

そして、午後からはコルコバードの丘の下にあった湖にもたくさんのヨットが浮かんでいた。(写真右)

    

見下ろす住宅地は整然と建てられていて緑も多い。一般住宅地だろうか。(写真左)

左上の方に弧を描くように白く見えている海岸が有名なコカパバーナビーチだ。(写真右)

    

この観光地は二つの山を結んで出来ている。山と山の間にもケーブルカーがある。(写真左)

二つ目の山の頂上の展望台で。(写真右)

    

二つ目の山の頂上には宝石や貴石で作った彫刻を売る店があった。女性店員は日系の二世か三世だろうか、

流暢な日本語を話す人だった。(写真左)

上空には大きな鳥がゆっくり輪を描きながら飛んでいた。どうやらこの山からは強力な上昇気流が生じているようだ。

(写真右)

    

この方向から見ると砂糖パンの山だと言うのが良く分かる。一番目の山。(写真左)

この山から一気にケーブルカーの駅に降りていく。(写真右)

    

このハイビスカスは良く見る普通の花のようだ。(写真左)

観葉植物として輸入されている蔦のような植物。ここのものは実に巨大だった。(写真右)

国際エイズデーをアピールする大きなリボンのような飾りが建物に下げられていた。(写真上)

 次に行ったコパカバーナビーチに長くいるような時間的余裕はなかった。バスを道路に横付

けしたまま下車し、大急ぎで写真を写して引き返した。この日、海岸ではトライアスロンの大会

が行われていた。そう言えばコルコバードの丘もコースになっていたようだった。

 ビーチボールバレーがあり、トライアスロンがあり、日光浴を楽しむ人がいて、広く長い海岸

は大変な賑わいだった。さすが外洋に面した海岸なので波は大きかった。この波では瀬戸内海

のように海水浴を楽しむのは無理かも知れなかった。白い砂は肌理が小さくさらさらしていた。

    

この日の観光は終わった。時間がないと言うことでコカパバーナビーチへはほんの短時間立ち寄った。(写真左)

大西洋に面した海岸だけあって打ち寄せる波は大きく荒い。海の中に入っている人は少なかった。(写真右)

 リオデジャネイロ市内のサンバ会場ではカーニバルに向けて早くもリハーサルが始まっていた。

昔は道路上で行われていたが、今はその道路の脇にサンバ会場のスタジアムが作られていた。

 リオは古い建物と新しい建物が混在する町だった。そして緑が多く美しい町だった。この町の

欠点は何と言っても治安の悪さだ。私達と一緒だった観光客の一人も被害に遭い掛けたそうだ。

そんな事もあって私達夫婦は持ち物を出来るだけ小さくし、カメラもコンパクトカメラ一台にした。

 治安の悪さは貧困から来ているようだ。アジアやアフリカで見てきた国々でもそうであったよう

に、この国も貧富の差が大きいようだ。貧困の根底にあるのは教育が十分ではないからでは

ないだろうか。この地では教育は義務教育ではないようだ。従って、教育を受けるより手っ取り

早く仕事をする方が良いという考えが強いようであった。

 仕事がないことは貧困と犯罪を生む原因になっていた。貧困をなくすには産業を活性化する

事が必要だ。そして、産業を活性化するためには何よりも教育が必要ではないだろうか。この

ように、この国では悪循環が続いているように思えてならなかった。また、多民族国家である

こともあって、国民を一つにすることは大変難しいようだ。

 お国変われば品変わるというが日曜日は商店も休みのようであった。私達が着いた日は日曜

だった。従って、オフィスだけでなく商店街も多くが店を閉めていた。日曜日は一番の稼ぎ時だ

と思うのだが、みんな店を閉めて休日を楽しんでいるようだった。

 こんな人達の車が主要道路のいたるところに置いてあり交通を妨げていた。私達ツアーの

大型バスが交差点を回りきれず、交差点に駐車していた車をみんなで抱えて移動させるという

こともあった。

 私達のツアーが最後に立ち寄ったのは宝石店だった。アフリカもそうであったが、この国も

鉱物資源は豊富だった。中でも宝石と言われるものは多種多様に産出するようだった。そんな

宝石が原石のまま、あるいはネックレスやペンダントや指輪などに加工され展示されていた。

私は原石に興味があったくらいで他の土産物に関心はなかった。

 こうして、この日の観光は終わった。一度、船に戻り、町で買った絵はがきに旅の便りを書い

て送った。この日トパーズ号は給油が長びき、本来の出港時間を大幅に遅らせて出港した。

 私達は中村水パだったので中村さんに別れの挨拶をしようと思いトパーズダイニングへ行っ

てみた。しかし、ここで船を降りる予定の中村さんも菊千代さんもミスターマシューも来ていなか

った。出港が遅くなる事を知っていて中村さんも菊千代さんもヘミングウエイバーにいたようだ。

 ここで別れの挨拶に言って夜も遅かったので失礼をした。船が何時に出港したのか知らなか

った。翌朝の船内放送で三時間半遅れで出港したことを聞いた。

キリストの見上げる高さ夏の空

密林の昼なお暗き蝉の声

日本の夏にも似たるリオの町

                                       2005年11月28日写真掲載

地球一周旅日記のページへ戻る

ホームへ戻る