大西洋の横断

11月27日(土)

 今日は安息日だった。安息日には船内行事はなく、みんな思い思いの事をしていた。船は

26日の夕方、ナミビアのウオルビスベイを出港し一路南アメリカに向かっていた。海の色が

また変化した。太平洋航海のときに見た色に似た濃いブルーだった。周辺に島影はなく波が

高かった。

大西洋の自然

    

いよいよトパーズ号は南アメリカ大陸に向けて出発した。

アフリカ大陸の西海岸ナミビアのウオルビスベイを出発し、ほぼ一直線に大西洋を横断する長い長い船の旅が始まった。

舳先をまっすぐに南米大陸に向けたトパーズ号。(写真左)

少し波の高い大西洋。しかし、海の色はインド洋で見た色と同じ紺碧に近かった。(写真右)

    

昼間の船首デッキは人影も少なく、穏やかな日射しの中でゆっくりと時間が流れていく。(写真左)

夕方になると美しい日没が見られた。この時間になると水平線の彼方に沈む夕日を見ようと人が集まってくる。(写真右)

日没後の空にはきれいな満月が出ていた。船の上での月見も良いものだ。

 今日一日はほとんど部屋にいた。そして、一生懸命ナミビアの旅行記を書いていた。夕方は

早めの夕飯をヨットハウスで済ませ、この船に乗って初めて映画に行った。映画が上映されて

いるのはシアターという部屋で研修も出来るように机も設置してあった。ステージ近くの三分の

一位のスペースは何もなく卓球等が出来るようになっていた。

 今日は安息日だということで、いつもよりはたくさん上映されていた。「アラビアのロレンス」

「風の谷のナウシカ」「猿の惑星」「トロイ」等だった。私達は「猿の惑星」を見に行った。この映画

には先日見たナビブのムーン・ランド・スケープが撮影場所として使われたと聞いたからだった。

確かに後半のシーンには似たような景色が写っていたが、それがムーン・ランド・スケープなの

かどうかは判断つかなかった。この映画は「猿の惑星」の第二作目で第一作目に感じたような

感動は少なかった。

11月28日(日)

 今日、早朝デッキに出てみた。既に東の空は明るくなり始めていた。大急ぎで寝ていた家内

を起こし再びデッキに出てみた。空には南十字座が残っていた。また、星座の角度もずいぶん

高くなっていた。海は昨日より穏やかになっていた。

 船の走行速度は時速30キロメートルであった。とは言いながら24時間走れば720KM進ん

だことになる。飛行機の旅では早すぎて時間を意識してしまうが、船の旅ではあまり時間を意識

しなくなった。一週間ぐらいの船旅でもあっという間に着いたような感じさえする事があった。時間

と人間の感覚が作り出す不思議な関係だった。

 昨晩の24時をもって時差は8時間となった。通常であれば24時であるはずの時間が23時

であった。これも地球という環境での移動と時間の作り出すパラドックスだ。

 船内にも私達とは異なる世界があることについては以前にも書いたことがあった。私達の部屋

へ続く通路の入り口左側にその出入り口があった。この通路から先がこの船で働いている人達

の生活の場のようだ。2階が男性、3階が女性の寝室になっているとか。食堂は食習慣の違い

もあって、一つはアジア系の人、一つはブルガリアなど白人系の人、そしてもう一つが日本人

専用になっているようだ。日本人スタッフはジャパングレースの社員だが、他の多くの人はお金

を払って就職希望登録をし採用された人だとか。彼らに対する勤務管理は厳しく、勤務状態が

悪かったり問題があったらすぐ解雇されるそうだ。これらスタッフの中には姉妹もいれば、単身

のものもいた。また、この船の中で夫婦になった人もいたようだ。

 今日から通常の船内活動が始まった。マジッククラブを初めとして中村さんのスロービジネス

スクールや「なるフォトザワールド」に参加し、探検物語やパニックアートなどにも顔を出してみた。

 また、思いがけないことから船内新聞「四陸七海」の「シナチク」というコーナーのインタビュー

を受けることになった。担当はすでに新聞社に就職が決まっているという才媛N.Iさんだった。

船内行事が一段落した21時過ぎから私の経歴や今考えていることなど短時間ではあったが

盛りだくさんの話をした。この話をどうまとめて書いてくれるのか楽しみだった。

船内新聞「四陸七海」

 一日の活動はこの新聞から始まると言っても過言ではなかった。この新聞の一面には先に

紹介した「シナチク」の他に、水先案内人の紹介記事や船内行事の特筆すべき大きなもの、

水先案内人が寄稿した記事などが書かれていた。そして、裏面には、その日一日の船内行事

がびっしりと書いてあった。これらの多くは自主企画と呼ばれ、乗船している私達が立ち上げた

活動であった。その他にピースボート側が準備した水先案内人による色んな行事が入っていた。

ここのところ一段と紙面が混雑してきた。それだけ自主企画が増えたようだ。

    

船内新聞「四陸七海」の表と裏面、表には色んな記事が書かれていて、裏にはその日のスケジュールが書かれていた。

11月29日(月)

 何となく体調が良くなかった。食欲もなかった。これが何に起因するものか良く分からなかった。

船に乗って二週間目にも一度同じような事があった。船酔いなのか、マラリア予防薬ラリアムの

影響なのか、それとも風邪がすっきりしていないのだろうか。常備薬の陀羅尼助丸などを飲んで

我慢をしていた。

 船はアフリカ大陸を離れた。今日ぐらいから太平洋を航海中の海の色に良く似た群青色に

なってきた。この色の変化は何によるものなのだろうか。

 今日もマジッククラブを手始めに行事盛りだくさんな一日が始まった。「シナチク」には私の

インタビュー記事が出たので色んな人から「出ていますね」「お宅でしょう」と声をかけられた。

実に面はゆい一日だった。ひと目を避けて通りたいような一日だった。

 それにしても菊千代さんの門下生にならなくて良かった。みんな色んな宿題を貰って手一杯

のようだ。手一杯と言えばGET(有料の英語、スペイン語教室)の生徒も同じような事を話して

いた。特に私達と同年輩の人は宿題に追われ、船内生活が十分楽しめないのだと嘆いていた。

 今は中村さんの水パをしていた。家内に誘われたからだった。ワークショップはヨットクラブで

スロー喫茶を開くためにスローに関する色んな企画を立てていた。その一つがスロービレッジ

だが私がリーダーになっていた。若い人にと言ったのだがぜひにと言われてしぶしぶ引き受けた。

 中村さんは九州の赤村に仲間と共にスロービレッジを作ろうとしていた。実に夢のある仕事で

今人手が足らなくて困っているのだと話していた。職探しやこれからの農業を目指している若い

人にはぜひ参加して貰いたい企画だった。

 今日は私達が呼びかけて広島県人と岡山県人の懇親会を開いた。先に一回開いたのだが、

オーバーラウンドツアーに参加していた人もいて集まりが悪かった。今回は大勢の人が参加し

てくれた。ありがたいことだった。懇親会は自己紹介が中心になってしまったが、これから徐々

にうち解けていくのではないだろうか。

11月30日(火)

 ここのところ憂鬱な毎日が続いていた。何となく体調がすぐれないのだ。頭が重くて食欲が

なかった。船内食が鼻についた感じだった。原因が分からないだけにやっかいだ。風邪のせい

なのか、それとも胃腸が弱っているのか、船酔いなのか。

 今朝、食事時間に若い女性からこんな話を聞いた。彼女は私達と同じようにピースボートが

どんな目的を持った船か知らずに乗り、色んな講座で南アフリカのソエトの実情などを聞いて

そこの人達の事がもっと知りたくなった。そして、ツアーではソエトの人達との交流会に参加した。

 交流会ではソエトでの生活の悲惨さを知って、見聞きしたことを私達と同世代の人に話した

ようだ。すると、その人から意外な言葉が返ってきた。南アの貧しい人達は自分たちの生活を

見せ物に稼いでいるとか、ピースボートがしている事は偽善的な活動だ等のことを言ったようだ。

その言葉に傷付いた彼女はブルーな気持ちになってしまったと涙ながらに話してくれた。心優

しい純粋な心の彼女としては、すっかり落ち込んでいた。

 世の中には色んな人がいる。同じ景色を見ていても見方は百人十色だ。何を見聞きしても

素直に受け入れる事が出来ない人は自分自身がそんな生き方をしてきた人だ。美しい景色を

見て素直に美しいと感じることが出来ない人は不幸せだ。そんな事を話して彼女を慰めた。

何故、若い人の感動や思いを素直に受け止めてやることが出来ないのだろうか。自分の考え

は考えとして、若い人が素直に感じたことを「良い勉強をしたね」と言ってやれないのだろうか。

 船内の大人と言われる人達の中には、俗な事しか考えられない人を時々見かけることがある。

何のために俗世間から離れて洋上生活をしているのか、世界旅行をしているのか良く分かって

いない人がいる。こんな人達は生涯救われない人達だ。

 今日も船内では色んな行事が行われた。その一つがこれから行くリオデジャネイロの治安の

問題だった。昨今は極度に悪化しているようだ。ピースボートサイドでもみんなの安全には気を

遣っていた。フリーで旅行をしたいと計画を進めていた若者グループにはクルーズディレクター

から計画を断念した方が良いのではないかというサデッションがあったようだ。

 この日、上映されたのは昨年、日本でも上映されたという「シティ・オブ・ゴッド」という題名の

ブラジルのスラム街ファベーラで日常繰り返されている暴力の実体を映画化したものであった。

ピースボートサイドが何の目的があってこの映画をこの時期に上映したのか良く分からなかった。

単にリオの実体を知ってもらいたいと言うことだったのか、それとも、この映画を見てファベーラ

の実体をもっと理解しようと言う目的だったのか。とにかくすさまじい暴力の実体を描いた映画

だった。

 今日、「わくわく寄港地」で、この旅行最後となるパプアニューギニアの「ラバウル」について

各種ツアー説明会があった。「ラバウル」と言えば戦前は歌にまで歌われ、日本軍が駐留して

いたところであった。また、私の父の兄弟の中でたった一人の戦死者となった武士おじさんが

亡くなったところだと聞いていた。そんな事もあって非常に興味のある寄港地だった。

 ここには戦前、日本人に教育を受けた人達もいると聞いていた。そんな人達と会うことが出来、

話をする機会があれば、どんなに楽しいだろう。

 船内の若者を紹介しておこう。この女性はいま一生懸命リオカーニバルの衣装を作っていた。

船内に一台しかないというミシンを使って自分がデザインした衣装を縫っていた。既に二十組の

衣装が完成に近づいていた。

 また、船内企画の「おかまバー」なるものが今夜開かれた。今夜はフォーマルディナーの日

でもあった。ディナーの後、ビンゴゲームがあったので、その帰りにここへ立ち寄った。女性は

男装し、男性が女装していた。むろん「おかまバー」だから女装の男性が中心の企画だった。

女装した若者がお客さんである私達にサービスしたり、ショーを見せたりと賑やかな事であった。

 それにしても色んな事を次々に考え出し楽しませてくれる若者達だった。先の音楽会でお琴や

フルートで「春の海」を演奏してくれた女性達や、一生懸命ミシンで衣装を縫っている女性や、

盆踊り大会で獅子舞を演じてくれた女性など、実に多彩な才能を持った若者達だった。こんな

若者達の姿を見ていると頼もしい限りだった。

 中村水パでは「洋上喫茶」を計画していた。六グループに分かれて色んな事を企画していた。

その一つが「スロービレッジ」だったが、今ひとつ良いアイディアが浮かんでこず悩んでいた。

他のグループでは面白い企画も生まれているようだ。 

12月1日(水)

 いよいよ12月に入った。国内では師走の慌ただしさが増しているのではないだろうか。先日、

ピーセン前の掲示板には、今年の紅白歌合戦の出場者名簿が貼り出されていた。こうして国

を離れて眺めていると、まるでよその国の事のように色褪せて見えてきた。

 さて、航海地図を見ると大西洋を半分以上横断したことになっていた。遅々としたスピードに

思えるが、確実に海を渡っていた。リオデジャネイロは目の前に来ていた。リオはどんなところ

なのだろうか。

 体調の方もやっと回復し始めた。食欲も出てきた。やはり寝不足や軽い風邪や胃腸が弱って

いたからだろうか。ともあれ、この体調不良は周期的に来ているような気がしてならなかった。

 マジッククラブでは以前からいた人は減って新人が増えたようだ。多少、参加者の交代時期

なのだろうか。午後からは凧作りに参加した。主催者は船で知り合いになったH.Iさんだった。

私は四角凧作りに挑戦した。希望者は二人だったが材料は二人分しかなかったので丁度良か

った。凧は瞬く間に出来上がった。日頃、何かとやっている者にとっては凧作りは簡単だった。

(しかし、後日この凧は寸法が違っている事が判明した。失敗。)

 先日、船内新聞のインタビュー記事の中で「人との出会いが楽しい」と書いて貰った。そんな

事が現実のものとなった。私達、中村水パのワークショップにH.Yさんという方が訪ねて来て

くれた。

 この人は戦時中、日赤の看護婦として陸軍で働き、戦後一時期は保健婦として働いていた。

その後、進駐軍の指導があって農村の生活改善普及員になった人だった。そして、村の職員

から県の職員となり、30年近く生活改良普及員を続けて退職をした。その後、東京で三年間

鍼灸師の勉強をして資格を取り、故郷に帰って鍼灸院を開業し20年になるという人だった。

 私達グループは理想のスロービレッジとは、どんなものが良いのか、高齢者の話を聞いて

みようということになっていた。そんな矢先の出来事だったので、H.Yさんは願ってもない人で

あった。とても偶然とは思えない出来事だった。H.Yさんは今の農村が抱えている高齢化問題

について、同じ高齢者として何か出来ることはないかと考えておられるようだった。実に意欲的

な人だと感心させられてしまった。

(故郷に帰られてからもお元気に鍼灸院の仕事を続けておられるという手紙を貰った)

12月2日(木)

 午前中穏やかだった海も午後になって荒れ始めた。これが海域によるものなのか、それとも

天候が悪化しているためなのか私達には分からなかった。国内では毎日、何気なく見ていた

天気予報だったが船の上では何の情報もなかった。また、必要もなかった。

 海が荒れると大きな船でも揺れ始める。従って、船内には足下注意の標識が設置され、通路

のあちこちには吐瀉物を入れるための袋が設置されいた。如何に船酔いに強い私達でも軽い

船酔いになった。頭が何となく重く食欲もなくなった。食欲がなくなったのは油濃い食事ばかりの

せいではないようだった。そんなわけで昨晩は二人とも早く寝た。この日は「なるほどザ憲法9

条」があり、その後、中村さんの誕生会があったのだが失礼をしてしまった。

 長い船内生活で楽しみの一つは食事だが、この食事がマンネリ化してくると憂鬱になってくる。

最近になって和食メニューも増えてはきたが、基本はコース料理だった。肉料理が基本であり

油をたくさん使っていた。特に体調が悪い時には国内で食べていたような食事が無性に懐かし

くなった。家内は自分が作らなくても良いだけ幸せだと言っていた。そんな事を言いながらも、

ほうれん草のおしたしが山盛り食べたいと言っていた。

 私達の年齢のものだけでなく、和食やカレーライスの時にはみんな喜んでいた。昨晩はマグロ

丼だった。さして上等なマグロとは思えなかったが、みんな嬉しそうに食べていた。

 寿司が食べたい、うどんが食べたい、サンマが食べたい、鍋物が欲しいと最近ではないもの

ねだりばかり言っていた。料理がまずいのは食材が良くないからだろうか。どのような保管が

なされているのか分からないが、すべての食材に食材本来の味がない。そんなことも食欲不振

につながっているのかも知れなかった。今はただ、おなかをすかしておくことが一番必要なこと

なのかも知れなかった。

 それに引き替え若者達はよく食べる。これが若さというものなのだろうか。沖縄返還前に沖縄

への長い船旅を思い出していた。あの時は今以上に船が揺れ、激しい船酔いだったにも関わ

らず、いっこうに食欲は落ちることなくがつがつと大きなにぎりめしを食べていた事を思い出して

いた。今となっては懐かしい思い出だった。

12月3日(金)

 夜、目を覚ますと船は激しく揺れていた。今まで経験したことのないような揺れ方だった。昨晩

はいささか船酔い気味で二人とも中村隆市さんの誕生会は失礼をして早くから寝てしまった。

船酔いと風邪の後遺症からか食欲がなかった。結局、昼は食べなかった。それにも関わらず

夜になっても食欲がなかった。いささか船内食が食傷気味になっているようだった。もったいない

とは思いながらもいつも半分くらいは残していた。

 それにしても食に選択肢がないのは、この年齢になると厳しかった。これだけ大勢の中高齢

者が乗っているのだから、それ相応の食事があっても良いのではないだろうか。私のような年

齢になると食に対する柔軟性がなくなっていた。

 さて、昨日は中村さんの最後の講座となった「スローでいいかげんな話、最終章」があった。

出会いは人生の宝物というサブタイトルが付いていた。本当に人生は人と人の出会いによって

作られていくようだ。中村さんの場合にも多くの出会いがあり、その出会いの結果、今日がある

ようだ。

 その一つが、カルロスさんというブラジルで有機栽培によるコーヒーを作っていた人との出会

いだったようだ。カルロスさんは先年亡くなられたようだが、長く有機と無農薬によるコーヒー

栽培を手がけられ、その上、ストリートチルドレン等の救済なども続けてこられた人であった。

世の中には尊敬すべき先覚者がたくさんおられる。そういった人に出会うことが出来れば人生

最大の喜びだ。

 今日は明後日になったリオデジャネイロへの上陸説明会があった。それに引き続きツアー

説明会もあった。私達は「絶景の丘コルコバード」というツアーに参加する事にしていた。リオで

気になるのは治安の問題であった。ひったくりやスリは日常茶飯事だというから注意が必要だ

った。身の回り品は必要最小限にとどめておく方が良いようだ。

 夜には菊千代さんが船内募集した南風亭一門会の発表会が行われた。本来なら私も一門の

端に名を連ねていたはずなのだが、厳しい修行と聞いて入門前から落ちこぼれてしまった。

それにしても短期間だったにも関わらず、みんなよく勉強していた。立派な舞台だった。

南風亭一門会発表

舞台には入れ替わり立ち替わり船の上だけの弟子が次々に登場し落語を披露した。

弟子になった皆さんは師匠から特徴ある芸名を貰っていた。

下の写真は出演者の皆さん。

南京玉すだれ(上の写真)に引き続いてリレー落語(下の写真)が始まった。

    

    

    

    

    

    

    

    

リレー落語に引き続いて、菊千代師匠を中心に大喜利が行われた。

男女5人ずつに分かれ軽妙、珍妙なやりとりが行われた。(写真下)

    

    

一門が揃っての記念写真(写真左)と入り口に掲げられた看板(写真右)

時には船内もディスコダンスで賑わうことも。

 体調が今ひとつと言うこともあってマジッククラブから帰って布団に潜り込んでいた。そして、

テレビを見ていた。この船に乗って、こんなにゆったりした気持ちでテレビを見たのは、初めて

のことであった。

 上映していたのはニコラス・ケイジ主演の「天使のくれた時間」という映画だった。面白くて

ついつい最後まで見てしまった。事業に成功したビジネスマンが平凡な人生にタイムスリップ

するという話だった。この映画を見終わったとき何かしら自分自身もタイムスリップして、この船

の中にいるような気がしてきた。

 私達の洋上ビジネススクールのワークショップが終わった途端、「あん」の周辺はにわかに

賑やかになってきた。何かと思えば昨晩行われたエイズキャンペーンの一つとして行われた

オークションでの売上金が予定金額を上回ったら、GETの先生やCC達が髪の毛を切るという

宣言をしていたようだ。

 嬉しいことであったが、予定金額を上回ったので約束通り、ここで断髪式が行われたのだ。

断髪をする人の中には女性もいて大騒ぎだった。そんなわけで船上にはにわか坊主や尼さん

が出来てしまった。

 先日来、募集中であった船内写真展の選考が終わったようだ。その中に私が出展した二点

が選ばれた。一人が二点も選ばれるとは名誉な事であった。一つは自分でも改心の作だと思

っていた「マサイマラの夕焼け」、もう一つは生後二週間だという「赤ちゃんライオンの親子」を

写した写真だった。両方とも私の自信作だった。

 本日は日本と11時間の時差が発生する事になっていた。思えば遠くへ来たものだ。

7階の混雑

7階にはピースボートセンターがあり、みんなが集まってくる場所だった。

そして、その横には「あん」とか「アゴラ」という小スペースがあった。

しかし、それだけでは足らないので廊下や「あん」と「アゴラ」の間のスペースでも色んな活動が行われていた。

    

アゴラで行われていた自主企画の凧作り講習会が行われた。マジッククラブに所属していH.Iさんが立ち上げた自主企画だった。

私も参加して写真のような憲法九条を守ろうという意味合いを込めて箱凧を作った。(写真右)

    

また、フォトパという写真展を開くための企画があり、フォトパに所属するメンバーによって船内からの応募作品の募集が行われた。(写真左)

一方、世界エイズデーにちなんでGETティーチャーによる募金活動が行われた。

私も募金をして手にヘナによるサインをして貰った。(写真右)

多くの国では戦争や内戦が終わった後からも地雷によって多くの犠牲者が出ている。

その地雷を撤去する費用を集めようとカンボジアの被害実体の報告会が行われていた。(写真上)

    

中村水パではスローカフェを開こうと準備が行われていた。私はスロービレッジの企画担当を任せられていた。

何人かの若者達と一緒にスロービレッジ構想なるものをまとめるのに四苦八苦していた。

というのも、この頃多くの若者が船酔いで体調が悪かったり、複数の色んな企画に参加していて集まりが悪かったからだ。

左の写真は構想を話し合っているところ。右の写真はその時のメンバー。

    

海は荒れていた。横揺れ縦揺れが激しい甲板上で憲法九条の写真撮影が行われた。(写真左)

みんな並んで数字の9を形作った。(写真右)

    

家内達三人のように体の形を9にしてみたり。(写真左)

また、Tシャツの裏側に9という数字を貼り付けて写真撮影をした。(写真右)

そして、みんなで中村さんを囲んで記念写真。

    

この間には次の寄港地リオデジャネイロの上陸説明会が行われた。

いつものようにクルーズディレクター(写真左)とジャパングレースのMさん(写真右)。

    

「あん」では冒険家ドンさんの南極に関する話も行われていた。捕鯨禁止に関しては賛否両論の話で盛り上がっていた。(写真左)

エイズに関するオークションでは予想以上のお金が集まった。

目的以上のお金が集まれば、その分だけGETティーチャーの有志が断髪をするという約束になっていたので、

約束通り断髪式が「あん」で行われた。この中には女性もたくさんいた。(写真右)

12月4日(土)

 今夜はサンバカーニバルが屋上デッキプールサイドであった。家内達も出場するというので

カメラマンとして会場へ行った。

 この日は知人からカラオケスナックを開くから来てくれるように頼まれていた。会場は七階の

スポーツバーだった。スポーツバーにはカラオケ設備があった。この日、ここでのカラオケ代は

全額寄付するという趣旨であった。ここで少し飲んでサンバカーニバルに行った。

 船内ではエイズ防止キャンペーンや地雷撤去等と言った、色んな趣旨での募金が行われて

いた。先の新潟地震の際も急遽募金が行われた。

 本日は中村さんがリオで下船すると言うこともあって、洋上カフェが開かれた。私達水パに

なったものが何日もかけて準備してきたカフェだった。カフェのコンセプトは「スロー」だった。

私の担当はスロービレッジだった。H.Yさんのような方とお会いできたのも、この活動を通じて

だった。

 また、スペイン語のCCとして乗船している女性とも知り合う事が出来た。彼女は単身でペルー

やチリに住んでいたことがあり、その時の体験談は後日聞かせて貰うよう約束をしていた。

 こんな活動をしていると、色んな人と出会うことが出来る事も楽しみだった。彼女はメキシコ

出身のゴンザロ君と一緒にサンバカーニバルの司会もしていた。

 サンバカーニバルが終わって中村さんの送別会が波へいであった。この頃から少し雨が降り

始めた。そして、震え上がるほどではなかったが少し寒かった。誰かが町明かりが見えると言

った。そう言えば船の進行方向右側に点々と町明かりが見えていた。船の明かりを遮ると町明

かりは、よりいっそう鮮明に見えた。南米大陸の近くまで来ていた。ブラジルは目の前だった。

小さなスナック

    

小さなスナックと称するものが開かれた。熟年女性二人による企画だった。売上金の全額を寄付金にすると言うことで

私も参加した。カラオケボックスのないこの船にあってはカラオケファンがたくさん集まった。

自主活動(Pボート・文クラブ)

    

    

上の写真は私が入っていたPボート・文クラブという旅行記を書こうというYさんの呼びかけで作られた自主活動。

そして、2005年10月完成したと送ってきてくれた皆さんの旅行記。

スローカフェ

水先案内人の中村さんが乗ってきて大勢の若者が集まった。

そこで開かれたのがスローを基調とする色んな講演や活動だった。

その中での最大のイベントとして開かれたのがスローカフェだった。トパーズ号後方デッキヨットクラブが会場だった。

スローカフェを作るために集まった仲間達。(写真左)

フェアトレードで売買している無農薬コーヒーなど、スロー商品の販売、憲法九条を中心とした護憲活動、

スロービレッジ構想、助け合いのためのさわさわ銀行などと言った分科会活動を展示してのカフェだった。

    

無農薬コーヒー、本などの販売。また、買ったけどいらなくなったお土産なども出して貰った。(写真上)

    

環境保護、護憲の取り組み。(写真上)

    

    

私はスロービレッジの分科会のまとめ役になっていたので若い人達と一緒に上の写真のような展示を行った。(上の写真4枚)

    

憲法九条をアピールしようと頭やほっぺたにペインティング。(写真上)

    

さわさわ銀行なる助け合いを目的とした銀行も開かれた。(写真左)

    

中村さん自らが無農薬コーヒーを入れてくれの大サービス。(写真左)

    

憲法九条をアピールしたシャツも店内の飾りとなった。(写真左)

    

スローツリーにはスローカフェを訪れた人に色んな思いを書いて貰い貼り付けた。(写真上)

そんなスローカフェの開かれていた午後、突然サンバチームがラテンカーニバルの前宣伝のため踊りながら入ってきた。(写真上)

ラテンカーニバル

リオデジャネイロ上陸直前ラテンカーニバルは開かれた。色んなコスチュームを身につけた男女が参加した。

老いも若きも一緒になって一晩を楽しんだ。

    

この日はスローカフェも開かれたが、その会場へもコスチュームを身につけた女性達が

賑やかなサンバのリズムに乗って現れた。晩に行われるサンバカーニバルの前宣伝だった。

スローカフェにも現れたサンバチーム。(写真左)

家内はアジアンコスチュームで参加した。(写真右)

    

アジアンコスチュームをまとった熟年女性チーム。(写真左)

本場ブラジルスタイルとでも言うのだろうか。今夜の主役だったサンバチーム。衣装は手作りだった。(写真右)

    

こちらはおじさんも加わった浴衣や法被による阿波踊りチーム。(写真左)

アフリカンスタイルとでも言うのだろうか。豹柄の衣装が目立つチーム。(写真右)

    

さあ、始まるぞ。本格的なサンバチームを先頭に各チームの入場が始まった。

    

引き続いてアジアンチームの入場。こちらも派手なパフォーマンスでは負けていなかった。

    

アフリカンチーム(写真左)そしてハワイアンチームなど色鮮やかで派手なコスチュームが目に眩しい。(写真右)

    

こちらは盆踊りならぬ阿波踊り、でもいつしか踊りはサンバに。

    

中にはこんな派手なコスチュームのおじさんもいた。何をイメージしているのだろう。(写真左)

舞台は最高潮。参加チームの全員が入場したところで総踊り。(写真右)

    

アジアンチームの登場。あでやかな衣装がなかなか良かったよ。

    

さすがハワイアンチーム(写真左)や本場ブラジルチーム(写真右)は若いぴちぴちギャルばかり。

    

これは地球一周というTシャツで統一した男性チーム。こちらは踊りで勝負か。(写真左)

何はともあれ賑やかなのが一番と阿波踊りで盛り上がる。(写真右)

    

こうして各チームが出たり入ったりと宴たけなわになりました。

    

こちらはお色気むんむんのサルサ。赤と黒のコスチュームが何とも妖しい雰囲気。でも踊りは練習不足が。(写真左)

こちらは審査員席、菊千代師匠、中村さん、マシューが舞台を見ていた。「みんな良くやるなあ」とあきれ顔?。(写真右)

    

舞台の上も客席も大いに盛り上がった。広い会場も一杯の人だった。(写真左)

そして、いよいよ菊千代師匠から審査結果が発表された。(写真右)

    

優勝は本場ブラジルスタイルのサンバチーム。おめでとう。商品は波へいのお食事券だったのかな。(写真左)

今夜の司会役だった二人。男性はメキシコ人のゴンザロさん、女性は南米滞在歴の長いTさんだった。(写真右)

    

そして、ブラジル人フランシスさんの指導を受けた楽団によるサンバの演奏が行われた。

    

サンバと言えばこのチーム、再び登場。(写真左)

そして記念写真タイム。菊千代師匠と中村さんと家内。(写真右)

まだまだ興奮の余韻が残る会場だった。

    

この日はアフリカから乗船してくれた水先案内人の送別会が行われた。

パートナーだったピースボートスタッフが水先案内人を贈る言葉を言って労をねぎらった。

古今亭菊千代師匠(写真左)、ミスターマシュー(写真右)

    

フランシスさん(写真左)、そして会場に残っていたみんなで記念写真(写真右)

夜更けて波へいでの中村さんの送別会

    

会場に集まった中村水パだった仲間達。

    

最後は全員で記念写真。本当はもっとたくさんいました。(写真左)

中村さんには感謝の気持ちを込めて寄せ書きのTシャツを贈った。中村さんとピースボートスタッフのAちゃん。(写真右)

                                            2005年10月25日写真掲載

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