動物王国マサイマラ自然保護区

11月14日(日)

今回の地球一周の旅南回りコースの中で楽しみにしている観光の一つがケニアだった。ケニアに関しては

けっこう、いろんなテレビ番組を見ていて良く知っていると思っていたが、ではどんなところなのと聞かれると

何となく漠然としていて感じが掴めなかった。従って、これは実際に我が目で見て、我が体で感じて見るしか

ないと思い、旅行前からこの日が来るのを待ち望んでいた。

ケニアのモンバサ港入港、そしてゲームサファリへ

    

ケニアのモンバサは古くからアラビア等との交易で栄えた港町である。

私達を乗せたトパーズ号は朝日を受け明るく美しい景色を両岸に見ながら静かにモンバサ港に入港した。

私達は岸辺に展開する南国らしい景色や遠く密林と思われる景色を眺めながら朝食を済ませた。(写真左)

私達を色んな催しで楽しませてくれたピーター達はここで下船しツアー客と一緒に自分の故郷へ旅だった。

ピーターとお別れの写真。(写真右)

    

久々の上陸であること、今まで経験したことがないゲームサファリとはどんなものだろうかという、それぞれの思いで朝から興奮していた。

私達を迎えに来たタグボート。(写真左)

港までの長い水路の両側に広がる景色。(写真右)

    

港に着岸すると、この国にあるサファリカーをすべて動員したのではないかと思われるような長い車の列が待っていた。(写真左)

そして、賑やかなジャンベの音や歌声が聞こえてきた。地元の人達が歓迎の歌や音楽を演奏していたのだ。(写真右)

    

次々に下船してサファリカーに乗り込んでいく。

トパーズ号から降りると歓迎の薔薇の花を一本ずつ渡してくれた。(写真左)

点呼を受け出発する準備が整ったサファリカー。(写真右)

 私達を乗せたバスはケニアの寄港地モンバサ港からモンバサ・キリンッジ空港へ向かった。

バスは港周辺の工場地帯から一般住宅地へと入っていった。車中から見る密集した住宅の姿

に異様さを感じた。それはベトナムにもフィリピンにもどこか共通する眺めだった。ガイドをして

くれた人の話では貧民層の住宅密集地との事だった。トタン葺きのみずからにみすぼらしい

住宅が山の斜面にへばりつくようにして建っていた。

 また、道路の両サイドには色んな商売の店がさしたる店構えもなく軒を連ねていた。それは

太平洋戦争後の闇市に似ていた。廃材でも何でも商売になるようであった。廃品を集めて他の

ものを作ったり、自動車の解体部品を山積みにしていた。乾燥した土埃がもうもうと舞立つ道

の両脇に人と物が溢れていた。置かれた品物の上には白い土埃がたまっていた。食べ物の店

でない事がせめてもの救いだった。中には大きな鏡一つを塀に立てかただけの散髪屋もあった。

 バスはこれらの町を通り過ぎて空港に着いた。空港は実にシンプルな作りの建物だった。申

し訳程度の通関の手続きや荷物検査があった。そして、ほとんど乗客らしき人を見かけないま

ま滑走路へ入った。滑走路には双発の小型機が三機、私達を待っていた。

    

私達は港からバスに乗って空港に向かった。ここから更に奥地のマサイマラまで行くことになっていた。

お客は少なく静かな空港だった。(写真左)

空港内の売店。私は貰った薔薇が枯れてしまうともったいないので店員にプレゼントした。

すると他の人も同じようにしたので薔薇の花束が出来るほどになった。(写真右)

これから乗っていく飛行機は二十人弱で満席になってしまうような小さな飛行機だった。三機に分乗して出発した。

 その内の一機に家内と乗り込んだ。乗客は全員あわせても二十人以下だった。乗客と荷物

を乗せると飛行機はあっけないほどあっという間に滑走を離れた。

 飛行機が高度を上げるたびに耳の奥が痛くなった。気圧の関係だろうか、今まで感じたこと

のない痛みだった。

 眼下に広がる景色は見る間に小さくなっていった。と同時に赤茶けた大地が展開し始めた。

決して地味豊かには見えない赤土の大地が延々と続いていた。空港周辺にいくらか見えていた

山も途切れてしまった。

 しばらくしてやっと、点々と盛り上がったところが見え始めた。山脈ではなく孤立した山であった。

こうして、単調な景色が一時間以上に亘って延々と続い後、あらかじめ機内放送であったキリ

マンジャロ山が進行方向左手に見え始めた。キリマンジャロをこんな形で見ようとは考えても

いなかった。標高5895メートルというキリマンジャロ山は赤道直下ではあったが根雪となった

雪が山頂に白く光っていた。

    

モンバサの空港から目的地マサイマラまでは約二時間の空の旅だった。

機内の写真。(写真左)

飛び立って間もなく眼下に見えたてきた大きな川。(写真右)

    

延々と続くアフリカの大地。総じて乾燥した気候のためか緑は少ないようだ。帯状に見える森は椰子林だろうか。(写真左)

上空の雲が点々と列になって並んでいた。従って、下に映った影も点々と列になっていた。(写真右)

    

これは農地のようであった。あまり肥沃とは思えないような赤土がむき出しになった農地が多かった。(写真左)

そして、一変して山岳地帯と思われるところ。ここは緑濃い場所だった。(写真右)

    

アフリカの大地と言えば大草原だ。

港から出発したグループはこんなところでゲームサファリをしているのだろうか。(写真左)

そんな景色がどこまでも続いていて、遙か彼方には地平線が見えていた。(写真右)

    

半砂漠のような草原地帯にくっきりと赤い線が見えていた。よく見ると何台もの車が走っていた。(写真左)

遠くには造山活動によって形作られたと思われる長い長い丘のような山が横たわっていた。(写真右)

    

飛行時はキリマンジャロ山のすぐ横を飛んだ。キリマンジャロ山は隣国タンザニアの領土内にあるアフリカでも有数の高山である。

キリマンジャロ山のすぐ横にも三角形の高い山があった。(写真左)

そして、広いすそ野には赤い大地が広がり、人々の生活の場所のように見えた。(写真右)

赤道直下に近いとは言え、この高いキリマンジャロ山(5895メートル)の山頂にはいつも根雪があるようだ。

    

いよいよ目的地が近くなったようで低空飛行を始めた。

空港近くの岩が裂けたようなところには川になっていた。雨季が始まったとは言え川の流れは細かった。(写真左)

二時間近くの飛行を終え、やっと空港に着陸した。日射しはきつかったがさして暑いとは感じなかった。(写真右)

 やがて飛行機はマサイマラ空港に着地した。とは言え空港らしき建物は何もない草原の中の

空港だった。あるものと言えば粗末な草葺き屋根の小屋一つだけだった。ここで先に飛び立っ

た僚機一機の到着を待った。

    

空港らしい設備は何もなく、滑走路も砂利を敷いただけの実に簡素なものだった。(写真左)

空港を飛び立ったのは三機だった。その内の一機が約三十分ほど遅れて到着した。(写真右)

 まさに周辺は大草原であり、後で知ったのだが、ここもマサイマラ自然保護区の一画だった。

従って、保護区の一部分を借りて滑走路を作ったようなものであった。周辺には点々と白い花

が咲いていた。離れたところからだと紙くずをまき散らかしたような感じだった。この花の名は

ティッシュフラワーと言い、その名の通り遠目にはティッシュペーパーを丸めて散乱させたよう

に見えた。

 遅れていたもう一機が到着し、全員が揃ったところで数台のサファリカーに分乗して出発した。

    

サファリカーには二種類あった。バン型のものとジープ型のような車。

その一つがこのジープのような車。見た目は良くないのだが、この方がゲームサファリには向いていた。(写真左)

ここもフィグツリーキャンプの一部なのだろうか。立て札には私達の宿舎となるキャンプの名前が書いてあった(写真右)

    

赤い大地の証拠はこの土の色だった。小石混ざりの土は赤い色をしていた。(写真左)

こんなにきれいな草原に誰がティッシュペーパーなどを捨てているのだろうと思っていた。

よく見ると草原に点々と白く散らばっていたのは紙くずではなく、この白い花だった。その名もティッシュフラワー。(写真右)

空港を離れるとまもなく野生動物に出会った。まさに感動ものだった。空港を出たばかりで動物

に出会うことなど考えていなかったからだ。しかし、本来はこれが当たり前の事だった。何と言っ

てもここは野生動物の自然保護区だった。

    

マサイマラでは雨期が始まったばかりであった。

雨季とは言え毎日降るわけではないようで、数日前に降った雨で道はぬかるんでいた。(写真左)

私達が乗ったサファリカーの運転手。片言の日本語と英語で説明をしてくれた。(写真右)

代表的なマサイマラの景色。草原とは言え草ばかりではなく、丈の低い木々もたくさん生えていた。

 私達は宿舎であるフィグツリーキャンプに着くまでに何度も車を止め運転手の説明を聞きな

がら動物を見た。そして、キャンプに着いた。ここは草原の中にあるオアシスのようなところで、

周辺は木々で囲まれた森のようになっていた。

 ここにバンガロー風の宿舎が何棟も建っていた。私達に割り当てられた宿舎は屋根のある

木造建築の下に大きなテントを吊ったものだった。ここに洗面所、トイレ、シャワー等の設備が

ある建物が併設されていた。テントは野外キャンプの雰囲気を出すための演出ではないかと

思われた。宿泊客は私達ピースボートツアーの者以外に白人やインド人家族などがいた。

フィグツリーキャンプ

私達は今晩宿泊することになっていたフィグツリーキャンプ着いた。

ここへ来るまでの途中でも色んな動物を見てきた。ここはそんな動物王国のど真ん中にあるキャンプ地だった。

木々に囲まれた緑豊かなキャンプ場ではブーゲンビリア等色鮮やかな花が咲き、大勢の人が働いていた。

自家発電だったので夜中にトイレに行くのが不自由だったこと、シャワーの水量が少なかったことを除けば

これがサバンナのど真ん中にある宿舎だとは思えなかった。

    

キャンプ場入り口に「フィグツリーキャンプ」と書かれた看板、そして敷地内にはこんなレリーフもあった。

看板(写真左)とレリーフの横で家内。(写真右)

    

キャンプ地の中にはこんな草葺きの建物が幾つもあった。これは受付横の休憩所になっていた。(写真左)

また、小鳥たちのための餌場が作られていた。(写真右)

    

草原では見かけることのなかった野生の猿(ベルベットモンキー)。翌日の朝、私達の前に姿を現し高い木の枝を行き来していた。(写真左)

受付に置かれていた木彫りの彫像。マサイ族を模したものだろうか。(写真右)

    

これが宿舎となった建物、屋根の下にテントが張ってあった。(写真左)

テントの前には川が流れていた。この川が野生動物たちと私達を隔てる掘りの役目をしていた。(写真右)

    

テントの中はベッドルームになっていて木製のベッドがあった。(写真左)

ベッドルームの奥には洗面所とトイレがあり、何もかも手入れが行き届き清潔だった。(写真右)

    

食事は屋外だった。木々の茂みの中にテーブルがセットされ大変なご馳走だった。(写真左)

夕食を楽しみながら家内と一緒に。(写真右)

    

翌日の朝は清々しい空気に包まれ、寒いくらい気温が低かった。(写真左)

その空を大きな熱気球が飛んでいた。このキャンプからツアー客を乗せて飛び立った気球だった。(写真右)

    

キャンプ地内には色んな色のブーゲンビリアがあった。(写真左)

宿舎の横には川が流れていた。そこに機織り鳥達が巣を作っていた。今にも折れそうな細い枝の先にたくさん巣があった。(写真右)

 昼食は屋外だった。野鳥の鳴き声を聞きながら木々に囲まれた庭での食事は最高だった。

昼食が終わるとオプショナルツアーであるマサイ族の集落訪問があった。このキャンプ地から

そう遠くない場所にマサイ族の集落はあった。一カ所固まっているのではなく広い範囲に数軒

ずつの集落が点在しているようであった。

 マサイ族の酋長の息子だという人が色んな事を説明してくれた。マサイ族は本来定住地を持

たず牛や羊といった家畜を伴って草地を求めて歩く遊牧の民だった。しかし、国境が出来、移

動する範囲も狭くなり今日のように定住生活をするようになったようだ。

 しかし、定住するようになっても身体的特徴は変わらず特に男性は手足が長く背が高かった。

男も女も赤系統の布を体に巻いていた。子供達は申し訳程度に衣服を身につけていたが、総

じて貧しい身なりだった。目やにをためた子もいれば洟を垂らした子もいた。

 貧しい身なりをしていたが、澄んだ目は美しかった。純真さが目に現れているようだ。貧しくと

も自然の中で心豊かに暮らしているように見えた。

 この子達と競争に追いまくられている日本の子供達と、どちらが幸せなのだろうか。一考を要

する問題ではないだろうか。

マサイ族

誇り高き戦士達。そのイメージとはほど遠い遠慮がちな人達だった。しかし、長い手足をした精悍な顔つきの男性が多く

彼らに陸上競技を教えたら瞬く間に一流選手になるのではないだろうかと思われた。

子供達の中には英語を理解できる子がいた。最近になって学校へ通うようになったらしい。

    

彼らは特徴的な赤い衣服をまとい裸足だった。私達を迎え歓迎の踊りを始めた。

その踊りは実に素朴で高く飛び上がるだけのものだった。しかし、我々にはとても真似の出来ないくらい

高く飛び上がる。天性のものなのか、それとも牛や羊を追う遊牧生活によるものか、いずれにせよ、

よほど足のバネが鍛えられているようだ。

    

子供達は大きな澄んだ目をしていて、とても可愛かった。初めは照れて遠巻きにしていたが慣れるに従って私達に近づいてきた。

一緒に写真を写そうと言うと喜んで被写体になってくれた。(写真左)

マサイ族の戦士達と一緒に踊っている私。(写真右)

    

大きな子供は小さな子供を抱いたり背負っていた。(写真左)

その内、家の中からは女性達も出てきた。(写真右)

    

いつの間にこんなに大勢の人が集まったのだろうか。この集落だけではなく隣の集落からも駆けつけたようだ。

こうして長い列が出来、やがて集団の踊りが始まった。

家内も列に加わって写真を写した。(写真左)

    

列の中に私と家内も入って。(写真左)

彼らの家は実に簡素だ。屋根や壁の材料はすべて足元にある牛糞だった。(写真右)

    

長い列はやがて大きな輪になった。(写真左)

踊りのあいだ中、準備していた土産物の展示場には灌木で作った素朴なテーブルの上に手作りの品々が並んでいた。(写真右)

    

デジカメがよほど珍しかったようだ。その場で写したものがすぐ見えるからだろう。何度も見せてくれとついてきた子供達。(写真左)

マサイ族の集落の横には、こんな放射状の道があった。恐らくこの道を通って色んな集落から集まってきたのではないだろうか(写真右)

    

どこまでも続く広い大地。こんなところに住んでいたら世の中の煩わしいことのすべてを忘れてしまいそうだ(写真左)

集落の囲いと言えばこんな木の枝を積んだだけのもの。夜になるとすべての家畜をこの中に入れてライオンなど肉食獣

から守っている。(写真右)

 私達はマサイ部落訪問から帰り、一休みして夕方のゲームサファリに出発した。キリンや象

と言った大型動物に出会ったのもこの時だった。キリンも象も草原ではなくブッシュの中にいた。

遠目には丈が低そうに見える木々だったが、これら大型動物を隠してしまうほどの大きさがあ

った。従って、ちょっと目には動物がいるとは気付かなかった。しかし、木の揺れを見て、そこに

何かがいると分かった。

 マサイマラという地名の意味は広いサバンナに点々と動物がいる景色を表しているのだという

話だった。マサイマラという語源がぴったりの場所をあちこちで見かけた。

 サバンナと呼ばれる草原は一皮剥けば痩せた土地のように思えた。マサイマラでは赤土の

ところもあれば黒い土のところもあった。大半は石英という小石混じりの土地だった。蟻塚の

あったところだけが草が密集し小さな木が根付いていた。

 空港に降り立った時から気付いていた事なのだが、石英の小石が異常に多かった。赤土と

石英、こんな地層にはダイヤモンドなどが含まれていると聞いた事があった。いずれにせよ

日本国内では見かけないような地層がケニア全土に広がっているようだった。

 フィグツリーキャンプの通路に敷石として使われていた板状の石も道路の所々に露出していた。

複雑な地層であることが感じられる土地だった。

 遠くにはなだらかな段丘が延々と続いていた。恐らく大陸を東西に分断する大地溝帯が作り

出したものではないだろうか。そもそも、このサバンナはこの大地溝帯が作り出した山脈が海

からの風を遮り、西側には大量の雨を降らせ、東側には乾燥した大地を作り出した。そのため

に森に住んでいた猿はサバンナに出てくるようになり、人間への進化の道をたどりだしたと推測

されていた。ここには人類発祥の起源となった大地のドラマがあった。

 帰りの飛行機から見下ろす景色は、壮大な大地のドラマを上空から垣間見るような眺めで

あった。中央になだらかな平地が広がり、その両サイドには切り立った長い壁が幾重にも連な

っていた。恐らく長い年月をかけて押し上げられたマグマが東西に長い長い山脈を形作ってい

ったのではないだろうか。

 痩せた大地に根を下ろしていたのは草だけではなかった。ブッシュと言われている灌木が低

地を中心に広がっていた。しかし、草原にも小さなブッシュが点在していた。よく見るとその場所

だけはは盛り上がっていた。どうやら蟻塚の跡のようだった。小さな蟻は集団で大きな蟻塚を

作る。蟻塚の跡は良く耕された小さな畑のようなものだった。柔らかいところには色んな植物の

種が芽吹くようだ。こうして痩せた草原にもブッシュが形作られていくようだ。小さな蟻による大

いなる営みであった。

 サバンナの夕闇は詩情豊かだった。大草原の遠い彼方に夕日は落ちていく。夕日は赤々と

空を染め、その中にアカシアの木が点々と黒いシルエットになって浮かび上がる。その美しさは

幻想的であり、神々しさすら感じる美しさであった。

 サファリカーのエンジンを止め、その場所にとどまっていると無音の世界に戻る。マサイマラ

の高原の風だけを感じながら、しばし呆然と夕日が没するのを見ていた。

(マサイマラは赤道直下のケニアにあって標高が高く気温が低かった。その上、湿度が低いの

で余計に涼しく感じられた)

マサイマラに立つ

マサイマラとは大草原にたくさんの動物たちを散りばめたような景色を表した言葉だとか。

その名の通り、これほどまでにたくさんの動物がいるとは想像もしていなかった。これだけでも来た価値があった。

その上、マサイマラは標高が高く、熱帯とは思えないほど気温が低くて吹く風も爽やかだった。

ジープ型のサファリカーに乗って大草原を走ると、それだけで心がうきうきしてくるようだった。

    

マサイマラの空。まるで日本の秋の空ようだ。(写真左)

草原には蟻塚が多く、蟻塚の跡にはこのような木々が根を下ろしていた。(写真右

    

草原は決して土ばかりではなかった。このように大きな岩盤が露出していた。

足元に散乱している小石のほとんどは石英だった。これを見ただけでも鉱物資源の豊かな大地であることが分かる。(写真右)

    

この地は今もなお活動を続けているアフリカ大地溝帯の一部である。

遠くにはかつての造山活動で出来たと思われる長い丘陵地帯が見えていた。(写真左)

私達がゲームサファリをしたときは数日前に雨が降ったばかりで土埃も少なく非常にラッキーだった。

普通ならこんな格好をしていても土埃が体に入って来るそうだ。私達夫婦のサファリスタイル。(写真右)

    

今もなお活動を続けている大地溝帯。

水のほとりが赤っぽく見えるのは火山活動により地下から吹き出したものだろうか。(写真左)

そして、大地の裂け目とも言うべき痕跡が現れている。(写真右)

マサイマラの動物たち

季節は雨季だった。久々に動物たちがこの草原に戻ってくる季節だった。

雨季は草食動物たちにとって食料となる草や木が勢いよく育つ季節だ。

この季節こそ、草食動物たちにとっては待ち望んだ繁殖期でもあった。

草食動物たちの繁殖期はまた、草食動物を餌とする肉食動物にとっても繁殖期だ。

こうして、多くの動物たちが親子連れ、あるいは雄雌が一緒に行動するハネムーンの時期でもあった。

    

ずれも雄雌であろうか。シマウマ(写真左)とイボイノシシ(写真右)

    

ライオンは繁殖期以外、雄と雌が一緒にいることはない。この時は昼寝から覚めた雄雌が私達の目の前で交尾を始めた。(写真右)

草食動物の群の遥か向こうには、かつての造山活動で出来たと思われる長い丘陵地帯が見えていた。(写真左)

    

姿形が非常に美しいトムソンガゼル。(写真左)

反対に姿形が非常に不格好なハイエナ。首には観察用の無線の発信器が取り付けられているようだ。(写真右)

    

こんなに背の高いキリンでもブッシュの中に入ってしまうとなかなか見つけにくい。

確か左の黒っぽいのが雄で右側の方が雌だと聞いたのだが。(写真左)

ブッシュの中から出てきたキリン。(写真右)

    

二週間ほど前に生まれたばかりだというライオンの赤ちゃんを連れた雌ライオン。

赤ちゃんライオンはミャオミャオと可愛い鳴き声をしていた。(写真左)

雌ライオンの一家であろうか、すぐ側の木の下で何頭ものライオンが寝転んでいた。(写真右)

    

草原を列をなして移動するヌーの大群。これこそアフリカの代表的な眺めだ。(写真右)

そして、もう一つの眺めはサバンナの中にぽつんぽつんと生えているアカシアの木。(写真左)

    

象たちの群もキリンと同じようにブッシュの中にいた。どうやらこれらの木々が彼らの食料のようだ。(写真左)

    

草原には動物ばかりではなく、こんな鳥もいた。これは養殖すれば食肉用にもなるという「ほろほろ鳥」。(写真左)

蛇食い鷲(セレクタりーバード)と名の付いた鳥(写真右)

     

毛並みが美しく後ろ足の付け根部分が黒くなっているのが特徴のトピ(写真左)

大抵、大きな群となって移動しているヌー(写真右)

    

いずれもアカシヤの木のてっぺんにいたワシ(写真左)とハゲワシ(写真右)

    

疎林の中に身を隠すようにしている小さな草食獣ディクディク。(写真左)

レイヨウの仲間、イランド(写真左)

    

マサイマラの空は美しい。日本の秋の空を思わせるような筋状の雲が放射状に広がっていた。

そして、夕方になり太陽が大きく西に傾くと急に気温が下がり爽やかな風が吹き抜けていく。

周辺に音のするものは何もない。まったくの静寂だ。まるで異次元の世界に飛び込んだような錯覚を覚える。

この様子をどのように言い表せば良いのだろう。その言葉が見つからない。

11月15日(月)

 翌日は更に別の場所に出かけた。早朝の空気は実にすがすがしい。上空は雲一つない真っ

青な空であった。日本の初秋を思わせるような清々しさであった。大草原の彼方をキリンの一

家がゆっくりと移動していた。また、ライオン一家がゆっくりとブッシュを目指して歩いていた。

私達のサファリカーは先回りをして彼らが来るのを待った。ライオン達にとっては実に迷惑な

話だった。別な場所では象のファミリーがゆっくりと草を食べていた。雌象はみんな子連れだっ

た。ひときわ大きな牙をもった象が、このファミリーを率いているようだった。どこを見ても絵に

なる景色ばかりだった。

 私達はこの後、川に向かった。ここで初めて車から降りた。草原は野生動物たちのものだ。

その中に私達が入らせて貰っている。従って、単に危険だと言うだけでなく、このような理由か

らも草原に降り立つことは出来ない。

 従ってここは唯一、私達がサバンナに降り立つことの出来た場所だった。カバ達は河の中に

いた。彼らは決してきれいとはいえない腐臭さえ漂うような泥水の中に潜っていた。十数頭は

いるのだろうか。カバは夜行性だと聞いていた。従って日中、川から上がって来るような事は

まずないようであった。私達は水面にわずかに顔を出したカバを見て満足する他はなかった。

 こうして二日間のゲームサファリは終了した。動物や鳥達にもたくさん出会った。これも有意

義な事には違いなかったが、何よりもこれら多くの動物を育んでいるアフリカの大地そのもの

に魅了されてしまった。それは言い換えれば貧しい生活を細々と続けている遊牧民マサイ族

の犠牲の上に成り立っていることではないだろうか。彼らは自然保護区の中にいて野生動物

達と草原の草を分け合うような形で生活していた。

翌日のマサイマラもまた素晴らしいお天気だった。そんな早朝の草原を列を作ってキリン達が移動していた。

まさに、絵になる景色だった。

    

ライオンは夜行性の動物だ。夜の間、一家でハンティングにでも行ったのであろうか。

朝日を受け明るく輝く大草原の中をライオン一家が昼寝の場所を求めて移動していた。

    

象の群はこれから朝食だろうか。幼い象を連れた群だった。

    

象の群に守られるようにして移動しているトムソンガゼル。(写真左)

レイヨウの雄同士が角付き合わせていた。背景にいる雌ばかりの集団の取り合いだろうか。(写真右)

    

やがて、闘いにやぶれた一頭が群から離れていった。(写真左)

レイヨウの親子のようだ。(写真右)

インパラの群(写真左)とインパラの雄(写真右)

    

草食動物の中では最もどう猛だと言われているバッファロー。じっとこちらを見ている。

    

ダチョウも草食動物たちと同じように恋の季節を迎えていた。盛んに左側の雄が右側の雌の気を引こうと求愛ダンスをしていた。(写真左)

一方、昨日も見かけた雄雌のライオンだろうか。相変わらず木陰で昼寝をしていた。

こう言った景色を「マサイマラ」と言うのだとガイドの運転手が教えてくれた。

    

雨季とは言いながら川の水は少なく、どぶ川のような臭いさえしていた。それにも関わらずカバたちは浮かんだり沈んだりを繰り返していた。

    

この川の側では車から降ろして貰った。

サファリスタイルの家内。(写真左)

ずっと車の上だったので久々に大地に降り立ったような感じがした。(写真右)

    

川の側から離れ帰途に着くサファリカー(写真左)

空港までの道の途中、私達が乗った車がパンクしてしまった。全員車から降りて修理が終わるのを待っていた。

開放感に喜んで飛び上がった家内とエリ。

 こうして二日間のサファリは終わった。私達を心から歓迎してくれたマサイ族の人達や多くの

野生動物たちに、心から感謝しながら機上の人になった。再び眼下には茫漠たるアフリカの

大地広がっていた。多くのことを学び本当に楽しい二日間であった。

    

モンバサの空港が近くなると民家が見え始めた。トタン葺きの粗末な建物が多かった。(写真左)

帰ってきたモンバサの空港。(写真右)

    

飛行機を降り、空港ロビーに向かった。(写真左)

空港からモンバサ港へ向かう途中見かけたバオバブの木。(写真右)

    

港近くには土産物屋がたくさん並んでいた。値切るのが楽しいと言うものや話をしていたら

断れなくて不要なものまで買ってしまったという気の弱い人もいた。(写真左)

モンバサ港に停泊中のトパーズ号。(写真右)

                              2005年3月16日掲載

                              2005年9月27日写真掲載

地球一周旅日記のページへ戻る

ホームへ戻る