シンガポールへの航海とシンガポール観光

11月1日(一路シンガポールへ)

 船はシンガポールに向かっていた。この航路はタンカーや貨物船など多くの船が行き交って

いた。朝は雨だったが朝食が終わる頃には良いお天気になっていた。明日はシンガポールだ。

朝はウオーキングで始まった。そして朝食、少し休んで今日から始まったGET無料講座に参加

した。良く工夫された講座だった。今日は二人が出会ったときの挨拶から。ゲーム感覚で学べ

る楽しい講座だった。

 そして、マジッククラブへ。ここで11時頃までマジックの練習をして昼食、久々にゆっくりとした

一日だった。

 14時40分から明日のシンガポールでの行動に関する説明会があった。また、寄港地事に

行われている「わくわく寄港地」という寄港地情報の説明会があった。

 今日のイベントは何と言ってもハロウイーンパーティだった。参加するかどうか直前まで決心

がつかなかった。というのも顔見知りは増えたとはいえ、中心になって企画しているのはGET

有料講座のみなさんだった。というわけで少し遠慮があったのだが、船のドクターと交わした

話に促されて参加する決心をした。

 夕方、仮装用衣装の貸し出しがあった。その中から家内は日本髪の女性、私は江戸時代の

町人の服装を選んだ。これを着て夜9時からのパーティに参加した。さすがGETの先生達の

の服装は奇抜だった。

 このパーティは参加費1700円を支払えば飲み放題、食べ放題だった。と言っても大したもの

はなかったが、飲み物はウーロン茶の他、ワイン、生ビール、梅酒、ウイスキーの水割りなど

だった。

 仮装コンテストが行われ、それぞれに工夫した衣装と演出で、いつこんな練習をしたのだろう

と思うようなものもあって会場を大いにわかせた。こうして、最後にはこの船で作成したという

ホラー映画の上映があった。アメリカの英語講師が演出したとのことだったが、とても素人の

演出や演技とは思えないような出来だった。それにしてもいつ撮影したのだろうか。

 この日の24時をもって時差を1時間戻した。日本との時差はフィリピンと同じ1時間となった。

    

大半の若者が初対面、それにも関わらずすっかりうち解けて楽しいハロウインパーティになった。

今も彼女が誰だったのか、彼が誰だったのか分からない。

    

私達夫婦はどんな仮装ににしようかと考えている暇はなかった。とりあえず手近にあった衣装を借りての参加だった。

私は旅の男、家内は旅の女のつもり。

キャットのメーキャップの女性達とパチリ。

11月2日(シンガポール市内観光)

 早朝、船はシンガポール沖合に着いた。入港するまでは時間を要し着岸したのは10時過ぎ

ていた。10時からパスポートの返却があった。その後、街へ出る支度をして舷門にならんだ。

今回は港側にきちんとした上陸設備があって、通路を通って行きさえすれば税関審査のところ

まで行けるようになっていた。さすがは国際港と言われるだけあって、今までの寄港地とは設備

の面も整っていた。

 船の真上近くをセントーサ島へのケーブルカーが行き来していた。船のデッキに立つとシンガ

ポールの高層ビルなど町の一部が見えていた。港からの景色も素晴らしかった。

 私達は自由行動にしていたので地下鉄利用の両替が必要だった。二カ所の両替所は長い

行列が出来ていた。ここでしばらく待たなければならなかった。

    

既に沖合からシンガポールの高層ビルが見え始めていた。

赤道直下に近いこの地域にこんな近代的な都市があるのはいささか不思議な感じがする。

着岸した岸壁の真上をケーブルカーが行き来していた。セントーサ島へ渡るケーブルカーだ。(写真右)

    

どこの港でも着岸前にはこんなタグボートが船を押したり引いたりしてくれる。

いよいよ着岸間近になった。白い建物がポートターミナルだ。(写真右)

    

岸壁には船に積み込む荷物を満載したトラックが待っていた。多くは食料のようだ。(写真左)

いつもの事ながら下船を待つ人達で出入り口は混雑していた。(写真右)

    

ポートターミナルに続く長い回廊からトパーズ号を撮影。青みがかっているのは窓の色。(写真左)

ターミナルビルの中では両替を待つ人達の長い列が出来ていた。(写真右)

中心街までは地下鉄で移動した。近代的な車両だった。

この日は自由行動にしていたので、朝になって作った予定表に従ってシティホールに向かった。

地下鉄の駅から地上に出ると小雨が降っていた。信号待ちをしていると傘を取り出した女性が

親切に中へ入るようにと傘を差しだしてくれた。一番に行く予定だったCHIJMES(チャイムス)

は信号を渡ったところにあった。隣には大きなショッピングセンターがあった。これが地図に

あるラッフルズ・シティ・ショッピングセンターだった。

 チャイムスは飲食店や民芸品などを売る店が中庭に面して並んでいた。後で気がついたの

だがここは大きなキリスト教会の敷地の一部のようであった。教会が経営しているのだろうか、

それとも教会が敷地を貸しているのだろうか。

 ハーバーフロントを出発した時間が遅かったので目的地に着いたときには正午近くになって

いた。私達は早めの食事を済ませる事にした。ここの中庭には緑の植え込みがありテーブル

やイスが置いてあり、ここでも食事が出来るようになっていた。

 私達は一番手前にあった達寿司という店に入った。いささか和食に飢えていたせいかも知れ

なかった。うどんとセットになった定食を食べた。刺身や茶碗蒸しや天ぷらが付いていた。店員

は日本人に見えたが、みんな現地採用の中国系の人のようだった。昼食時だったこともあり

次々にお客さんが入ってきた。繁盛しているようであった。ここのお客さんの中には中庭に面

したテーブルで食べている人もいた。

 昼食後、民芸品の店に入りメキシコ製の壁飾りを買った。この店には世界各国の民芸品が

置いてあった。

    

昼食時だったので、迷うことなく和食の店を選んだ。刺身と寿司と饂飩という奇妙な取り合わせがセットになっていた。

日本人に見えた店員さんは、すべてここシンガポールの人だった。(写真左)

店のある建物は大きな通りに面していた。その通りには派手な装飾の二階建てのバスが停まっていた。(写真右)

    

また、通りには美しい緑地帯があり、手入れが行き届いていた。(写真左)

道路を挟んで真向かいには巨大なショッピングセンター「ラッフルズ・シティ・ショッピングセンター」があった。建物の中庭。(写真右)

何という花だろうか。大きな豆がぶら下がっていた。どうやら豆科の植物らしい。

 私達はチャイムスを後にして、シンガポールの観光スポットであるシティホール・マリーナ地区

へ向かった。地下鉄シティホール駅で下車し、セントアンドリュース教会やシティホール、最高

裁判所、旧国会議事堂などの建物を写真に撮りながら歩いた。シンガポール川に面したこの

当たりは古くから開けた土地でシンガポールを代表する人物である英国人ラッフルズ卿の像

なども立っていた。

    

    

シティホール駅で下車、ここからは近代的な建物とは対照的な重厚な古い建物が続く。

セントアンドリュース教会等の建物。(写真上)

後ろを振り返ると近代的な高層ビルが建ち並んでいた。(写真下)

周辺には公園らしき緑地帯もたくさんあり、中にはこんな美しい花も咲いていた。

    

かつてジャングルだったこの町を開発したイギリス人ラッフルズ卿の立像。(写真左)

この国が古くから貿易で栄えたということを今に伝えている銅像、取引のための計量をしているところだろうか。(写真右)

    

シンガポール川には観光船がたくさん行き来していた。(写真右)

向かい側には市民の憩いの場である建物が並んでいる。(写真左)

この橋を船でくぐるとマーライオンが待っている。むろん橋を渡って歩いていくことも出来る。

 ここから川沿いにしばらく歩くと有名なマーライオンのある海岸に着く。ここはシンガポールを

代表する観光スポットで見学人が絶えない。この日も多くの観光客の中にピースボートの市内

観光ツアーの仲間が来ていた。ここでの出会いがきっかけでO.Kさんとも知り合いになった。

 上空は黒雲がかかったり消えたりしていた。蒸し暑いシンガポールだったが日射しがきつく

なかっただけしのぎやすかったかも知れない。

    

海岸には、こんな水を吐くマーライオンが立っている。(写真左)

そして、すぐ側にはこんな小さなマーライオンも立っている。(写真右)

 地下鉄を乗り換えて次に着いたのはリトルインディアだった。名前が示すとおりインド人が主

として住んでいる地域だった。通りに出たとたんに生臭い匂いやお香の匂いがしてきた。駅から

ほど遠くないところに大きなマーケットがあった。私達はここで船内で着る服をかった。家内は

2枚で10ドルというワンピースを買った。2枚も必要ないので、ここへ来ていた同じ船の女の子

と相談しお金を半額(5シンガポールドル)ずつ出し合って買っていた。私は少し高いようにも

思えたがインド麻で出来たシャツを一枚買った。15シンガポールドルだった。日本円に換算

すれば1000円程度の品物だった。

 インド人街も私達が最初に訪れた10数年前とは趣を異にしていた。あの時代も観光客は少

なくなかったはずだが人通りも少なくひっそりしていた。それに、こんなに大きなマーケットも

カラフルな建物も見かけなかった。道路にはきれいなイルミネーションが取り付けられていた。

何かイベントでもあるのだろうか。それとも、いつもこうなのだろうか。

    

リトルインディアに入るとお香の匂いが漂っている。本物のインドにさまよい込んだのではないかと錯覚を覚える。

シンガポールはどこへ行っても美しい町だ。ここにも広い公園があった。(写真左)

そして、マーケットのある大きな建物に入ると衣料品や日用雑貨の店が境もなく入っていた。(写真右)

    

町の通りには生鮮食料の店もたくさんあった。その中の果物屋さんの店頭。(写真左)

何かのお祭りだろうか、大きな自動車通りには美しい装飾がしてあった。(写真右)

かつて、この通りを歩いたときにはもっと雑然としていた。今はアーケードに覆われた整然とした通りに変身していた。

 私達はリトルインディアの幾筋かの通りを歩いて、次の目的地であるオーチャード通りへ向か

った。大きな街路樹と広い歩道、シンガポールを代表する大通りである。東京で言えば銀座で

あろうか。大きな通りなので人の多さを感じさせないが大変な人通りであった。ここには日本

から進出した大型店舗も幾つかある。

 町はクリスマスが近く装飾がきれいだった。大きなクリスマスツリーが歩道に設置され足場を

組んで飾り付けが行われていた。大きな街路樹の枝には装飾用の電球がぶら下がり、点灯時

の美しさが想像された。夕暮れには少し早い時間だったが、ここを後にした。いささか二人とも

歩き疲れていた。腰に付けた万歩計は二万歩を越えていた。

オーチャード通りはこの国を代表する近代的な美しいとおりだ。

大きな並木が歩道に陰をを作り、道のほとりには日本から進出したデパートなどが建ち並んでいた。

    

この国の代表的な乗り物は地下鉄だ。以前、この国へ来たときとは比較にならないくらい近代的になっていた。

壁面には抽象画のようなオブジェで飾られ、とても地下とは思えないような明るい雰囲気だった。

 この国には10年ほど以前に来たことがあった。既にオーチャード通りなどには大きなビルが

建ち並び洗練された国だという印象が強かった。

 しかし、チャイナタウンとかリトルインディアと言ったところには、それぞれの民族らしさが色濃

く残っていた。都会の中に取り残された田舎街のようであった。しかし、今回訪れたこの国は

計画的に整備された近代的な町へと変貌していた。住んでいる人達は以前と同じ人達だから

本質的なものまで変わってしまったのではないと思われるが、少なくとも表面的には超近代的

な国そのものだった。

 シンガポールはかつて東洋の真珠と言われた事もあった。今もその美しさには代わりはない。

しかし、かつては今以上に美しい町だったようだ。おそらくイギリス領としてイギリス人達が住み

やすいように計画的に作り上げた町だったのではないだろうか。しかし、当時の面影を偲ばせ

るようなものは少ない。今の姿を美しいと言うには多少無理があるように思える。今は巨大な

高層ビルばかりが目立つ町になっていた。彼らシンガポール人達が望んでいるのは、こんな町

づくりなのだろうか。

 シンガポールは小さな国である。総面積は日本の淡路島位しかない。土地の有効利用と言う

面から、こんな開発の方法しかないのかも知れない。この国はまた資源を持たない国である。

その国がここまで発展するからには商才に長けた国造りが必要だったに違いない。

 私が勤めていた化学会社もここに工場を建てている。このように他国の資本を導入し多くの

収入を得ている。その収入の大きさは地下鉄などの公共施設をみればよく分かる。東京の

地下鉄を超えるような洗練された超近代的な施設が作られていた。

 外国の企業誘致や貿易で得た国の収入は、十分に公共施設の整備に回されているようだ。

今もシンガポールは日に日に変貌を遂げている。多民族国家のシンガポールは少なくとも宗教

や人種的対立はないようだ。世界の人々が共存していくためのモデルを見るような国である。

 かつてのオアシス国家がそうであったように資源を持たなくとも生きていく道はあることを実証

している。そう言った意味合いにおいて、緑多きシンガポールは今も東洋の真珠、いや世界の

真珠なのかも知れない。

                                        2005年3月11日掲載

                                        2005年9月3日写真掲載

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