慣れてきた船内生活

10月25日(月)

 狭いと感じていた船内生活にも何とか慣れてきた。狭い船室でも私達にとっては大切な部屋

であった。船は昨晩沖縄本島の沖合を通過し、更に南下を続けている。張り出された海図には

フィリッピンが現れた。いよいよ初めての寄港地が近くなってきた。こうして見るとフィリッピンは

日本に意外に近いことが分かる。

 今日も6時前に起床。急いで着替えを済ませ上甲板へ出てみた。適温に保たれていた室内

とは異なり、むっとするような蒸し暑さを感じ眼鏡が一瞬白く曇ってしまった。湿度が高いようだ。

空には明けの明星だろうか星が光っていた。

 ラジオ体操、柔軟体操に続いて太極拳に移った。家内は柔軟体操が終わったら歩きに行くと

いってここで分かれた。太極拳が終わってから待ち合わせ場所で一緒になり朝食に行った。

朝食へ行く途中、神戸からのバスの中で知り合いになったMさんと一緒になり、朝の楽しい

食事を済ませた。

 いったん部屋に帰ったが休む間もなくGET無料オリエンテーションという英語とスペイン語の

講座が開かれるというので、その説明会に参加した。大勢の外国人講師達が壇上にあがり、

色んなパフォーマンスを交えての英語やスペイン語教室の説明があった。みんな底抜けに

明るい若い講師ばかりで大変賑やかだった。

 その後、昨日連絡があったマジッククラブの集まりがあり、T−CLUBへ直行した。ここで

今後のスケジュール説明を受け、その後、二、三マジックを教えて貰い部屋に帰った。パソコン

に画像を取り込んだり、ホームページの記事を書くことも大切な事なのだが、今のところ行事

への参加が多く、なかなかゆっくり出来ないのが実状だった。従って、家内とは行動も別々で

昼食も分かれて済ますことが多くなってしまった。

 今日は元図書館司書の仕事をしていたという男性と相席になり、児島周辺の事を聞かれる

ままに話し込んでしまった。こうして、人的な広がりが次第に出来つつあるようだ。午後は15時

20分から私達が参加するフィリピンでのツアー説明会があり、それに参加した。

 その後、Pポート文クラブという紀行文などを書いてみようと言う集まりがあり参加した。ここ

でも今後の会の運営と次回の集まりや自己紹介などがあった。私は水パの集まりがあった

ので途中で失礼してしまった。(この後も他の行事と重なることが多く満足に参加できなかった)

 水パ(講師やパフォーマーとして乗船してくる水先案内人と一緒になって企画をする)の方は

明日開く「いまODAを考える」という水先案内人の越田さんらの講座準備に関する打ち合わせ

に出席した。

 通りがかったウインジャマールラウンジでは生バンドの演奏でダンス教室が開かれていた。

みんな一生懸命ステップの練習をしていた。ダンスはしばらく遠ざかっていたが、踊っていれば

感を取り戻すのではないかと思い中に入ってみた。そばにいた女性に少し教えてあげたり、

若い子が教えて欲しそうにしていたので一緒に踊ろうと誘ってみた。こんな若い子達でも社交

ダンスに興味があるのかと意外な感じだった。その内、家内が来たので一緒にジルバを踊り、

一汗かいて夕食に行った。

 いつものことだが少し遅い食事を終わると8時半を過ぎていた。その足で「波へい」に飲みに

いった。船内では一番殺風景な酒場だが安いのが良い。屋外で海風に吹かれながら飲むのは

開放感があって最高だった。連日大勢の客で賑わっている酒場だったが、この日は意外に客

が少なく空席がたくさんあった。船内のこんな場所にもアルバイト募集の紙が貼ってあった。

船上でアルバイト募集とは面白い。

 また、この日は一時間の時差が生ずる日だった。従って、腕時計の針を一時間遅らせた。

その後、部屋に帰りパソコンへ画像を取り込んだりしながら遅い床に就いた。

10月26日(水)

 いよいよ、陸地が近くなったとみえ、背黒アジサシが船の周辺を飛びながら水しぶきを上げて

海に飛び込んでいた。餌になる魚でもいるのだろうか。そして、遠くに富士山の形をした島が

小さく見えていた。ヨットクラブ(食事やアフタヌーンティをするところ)の外人ウエイターが島を

指さし笑いながら富士山だと言って話しかけてきた。確かに彼が言うように富士山のような形

をした島だった。

 マジッククラブへ行く途中、海面を見るとたくさんのトビウオが船の舳先を飛んでいた。こんな

状態がしばらく続いていた。海の豊かさを感じる光景だった。かなりの群がいるようだ。

 船の左側に大きな島影が見え始めた。海図を見るとルソン島沖を航行しているように表示

されていた。これがこの日の正午頃のことであった。

 今日は「わくわく寄港地」(以後、寄港地毎に寄港地や寄港地周辺の観光案内、注意事項の

説明会が開かれた)という、昨日行われたオプショナルツアーの説明会の続きのような話が

あった。

 これが終わって一人で昼食を食べに行った。相席だったのはPポート文クラブの発起人のH

さんだった。食事の後も室外に出てから、あれこれと話し込んでしまった。

 Hさんと別れ、いったん部屋に戻ってパソコンに昨日あった事を入力していた。そして時間が

来たのでOさん夫妻の送別会に出席した。Oさん達はご主人の定年退職を契機にかねがね

計画中だったフィリッピンへ移り住むとの事だった。インターネットで知り合った人の隣に家を

建てたのだと話していた。

 送別会の方は途中で失礼し「いまODAを考える」というKさんの第二回目の講座の準備に

いった。この日も講座の参加者は多かった。途中抜け出して夕日を見に上甲板に出てみた。

多くの人が集まっていた。いよいよ寄港地は間近になったようで陸地が大きく見えてきた。

 夕食後は一休みする間もなく次の講座である「海から繋ぐ人と物」というSさんの話を聞きに

いった。SさんとはKさんの水パの活動を通じて知り合いになった。そんな事から、資料配り等

のお手伝いをさせて貰った。(SさんとはKさんが船を降りてからも親しく話をするようになった)

 その後、大勢の参加者と一緒に映像を交えての話を聞いた。Sさんは主に東南アジアを中心

にNGO等の活動をしている人で、アジア各国が抱えている問題点や実状を映像にして紹介を

していた。一例を上げると、日本などへの輸出用の炭がマングローブの林の伐採よるものだと

いう事や、日本人が昔からボタン用の夜光貝を捕りに来ていた事など、アジアの現状や歴史的

関係について話してくれた。私達の身近な事でありながら意外に知られていない話だった。

    

こんな朝日や夕日をこれからずっと見ることになった。しかし、一日として同じ眺めではなかった。

一日の始まりはラジオ体操からだった。

クルーが富士山に似ていると言った薄い島影。

    

マジッククラブはフィリピンへ移住するという夫妻も参加して賑やかにスタートした。

そして、フィリピンが近くなった日、ヨットクラブでは夫妻と親しくなったもので送別会を行った。

右の写真は水先案内人Kさんの講座、毎回満席の大盛況だった。

太陽は当然の事なら大海原から出て、大海原へと沈んでいく。

                                    2005年3月7日掲載

                                    2005年8月27日写真掲載

地球一周旅日記のページへ戻る

ホームへ戻る