旅立ち

 

10月22日(金)

 10月22日、ピースボート主催による第47回クルーズの乗客を乗せた客船トパーズ号は

地球一周の旅へと東京晴海埠頭の岸壁を離れた。今回のツアーに参加した人は880名位

だと聞いていた。最高齢者は94歳、一番小さな乗船者は1歳の男の子だった。それに関係

スタッフが330名、総勢1200名近くの人を乗せての旅立ちだった。

 午前中は私達神戸から来たものだけであったが、午後からは東京へ集まった人達が乗って

きた。そして、向かい側のポートターミナルの屋上には見送りの人が大勢集まってきた。大半

は若者達であった。大阪から来たピースボート関連の若者、東京周辺の若者と二手に分かれ

船と岸壁とのにぎやかなエールの交換となった。お互いの名前を呼ぶと言うよりはまさに絶叫

に近い声だった。中には私達の隣に立っていたご婦人のように東京に住んでいる娘さん二人

が見送りに来ているような人もいた。

 また、船上と岸壁では出港式のリハーサルが行われていた。こうして約二時間近くが過ぎた

頃、出港式は始まった。見送る側、見送られる側、それぞれの代表が挨拶し、今回の航海の

紹介が行われ乾杯となった。事前に配られた紙コップにはシャンパンが入っていた。それを

高く掲げ大きな声で乾杯をした。また、挨拶途中からターミナルビルの屋上に向け船上から

盛んに紙テープが投げられていた。しかし、残念ながら大半は相手に届かないまま下へ落ちて

しまった。

 やがて銅鑼の合図とともに船はいよいよ岸壁を離れ始めた。これで三ヶ月間、日本から離れ

るのかと思うと、隣で涙ぐんでいた女の子ならずとも少なからず何かしら胸にこみ上げてくるもの

があった。

 この船のタグボートはベイブリッジの下をくぐる頃までついてきた。そしてUターンをして帰って

いった。遠く夕闇にかすむビルの向こうに富士山のシルエットがぼんやりと見えていた。着陸

態勢に入った飛行機が何機も羽田空港目指して船上を横切っていった。船のデッキに係留

されているボートの横には半月が光っていた。東京の灯はいよいよ小さくなった。それとともに

横浜と思われる町明かりが見えてきた。きれいな夜景だった。風も冷たくなってきた。私達は

小さくなっていく夜景に別れを告げ船内に入った。

 気がかりな事が一つあった。今日の10時からのオリエンテーションでもクルーズディレクター

の井上直さんが話していた台風24号の動向であった。何とかうまくやり過ごすことが出来れば

良いのだが。船は安全第一であるから、場合によっては日程変更になるかも知れない。また、

海が荒れると船酔いも心配だった。

 私達が出てくる前は台風23号で大変やきもきさせられた。と言うのも移動日に台風が通過

する恐れがあったからだった。しかし、神戸の娘夫婦のところを宿にさせて貰ったので大変

助かった。博多の方から来た人は岡山で足止めをくったと話していた。

 それにしても児島でも玉野でも土砂崩れがあり犠牲者が出たとか、心からご冥福を祈る。

もうこれ以上の台風被害はたくさんだった。

 東京湾を出た頃から船は揺れ始めた。私達の食事が始まった午後7時頃からだった。小さな

揺れは次第に大きな揺れに変わっていった。

 夕食後は今回の南回りコースの見所についての説明会があった。今回のツアーの責任者で

あるクルーズディレクターの井上直さんからの挨拶を兼ねた大まかな説明があった。引き続い

て各セクションの責任者が前に出てアジア、アフリカ、南米、南太平洋の島々を含むオセアニア

の紹介があった。また、同時に今回のツアーを陰で支えてくれるスタッフ達の紹介もあった。

 彼ら若者の姿を見ていると櫃石島で毎年開いていた平和友好祭を思い出した。家内も同じ事

を考えていたようで、自分たち夫婦はどちらかというと行事の参加者ではなく、行事を作っていく

立場の方が似合っているような感じがして、何かをやってみたいという思いに駆られていた。

 締めくくりは井上直さんの和太鼓の演奏だった。彼が最初にこの船に乗ったときには和太鼓

の奏者としてだったとのことで、その腕前はなかなかのものだった。彼らスタッフはまさに寝食を

忘れてこのツアーを盛り上げようと一生懸命だった。単なる仕事としてではなくツアーそのもの

の演出者でありボランティア活動家だった。

 この後、場所を変えてスポーツバーに行った。この時間はここの飲み物が半額との事だった。

既に先ほどの和太鼓が運ばれ歓迎会の準備が整っていた。私達が入ったときには既に若者達

のグループで盛り上がっていた。私達が飲み物の注文が終わった頃からどっと若者が入って

きて大変な混雑が始まった。音楽と若者達の話声や熱気でムンムンしていた。初めに井上直

さんから話があって踊りの時間になった。私達夫婦は若者に場所を譲るべくここを後にした。

 ツアーに参加している若者は積極的に自己紹介をしていた。そのためにニックネームや名前

を書いた名札とメモ帳を首に下げていた。また、一緒にお酒を飲んだ女の子は自己紹介のため

の名刺を持っていたので私達の名刺と交換をした。一人は京都から来たというC・Tというニック

ネームの女性だった。

 夜中に目を覚ますとわずかながらのエンジン音と大きな船の揺れを感じた。狭い船室では

あったが、少しずつこの部屋にも慣れてきた。既に何度かの食事をしたが、朝は簡単な和食

と洋食のバイキング、昼は正規のランチと一品だけの軽食が選択できるようになっていた。

 夜は前半食と後半食に分かれての食事だった。洋食は若者にも満足出来るようなメニューで

ボリュームもあり、少し食べ過ぎると体重がすぐに増えてしまう恐れがあった。ただ、家に居た

ときのように間食をしなくなったのは良かった。また、酒類の値段も安くはないので出来るだけ

飲まないようにしようと思っている。そんな事もあってなのか、今のところ乗船前の体重を維持

していた。

    

台風23号が行きすぎた後、神戸港に集結。ポートターミナルの待合室の中には大勢の人がいた。

ここで受付の後、バスに分乗して一路東京晴海埠頭に向かった。

    

バスの中では自己紹介があった。私達は「むっちゃん、かっちゃん」と自己紹介した。

後に、この中で知り合いになった人達と船の中でも仲の良い友達になった。

途中、昼食、夜食を食べ船に着いたときは暗くなっていた。

    

早速ここでも受付が始まり、船の中のレセプションではボーディングカードなどの発行手続きがあった。

    

船の中から見た東京の夜景は大変きれいだった。

翌朝から早速、船の中での食事が始まった。東京湾の景色を見ながらの食事は気分爽快だった。

    

東京に集結する人達より一足早く、昨日バスで来た私達の通関手続きが始まった。

一度船から出て再度乗船した。

    

船とターミナルは移動式の通路で接続されていた。

初めて船をバックに記念撮影した。

    

若者が中心の見送りの人達、東京と大阪のそれぞれのグループがお互いに負けないように大きな声を張り上げていた。

    

船内の長い廊下、この廊下を何度も行き来することになるのだが。

東京ベイブリッジの下をくぐる頃、大きな汽笛が何度もなった。いよいよ、これから長い旅が始まるのだ。

                                    2005年3月7日掲載

                                    2005年8月21日写真掲載   

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