沖縄に於いて歴史的な遺産と言えばこの守礼の門が一番に浮かんでくるのではないだろうか

 1999年5月27日から29日までの3日間、私達夫婦は沖縄にいた。沖縄はアメリカの

軍事基地の島という印象が強く、長い間、好んで行こうという気持ちになれなかった。

 私が初めて沖縄を訪れたのはアメリカの領土であった頃、かれこれ30年近く前のことになる。

その時は、広島の宇品港から「沖縄の船」として貸し切り船での旅だった。船中泊を2泊しての

長旅だったことを記憶している。当時の沖縄は正にリトルアメリカといったところで、那覇市内には、

やたら横文字の看板が多かった。道路は左側通行。軍事基地周辺は常にMPが巡回パトロールを

しており、物々しい雰囲気に包まれていた。もちろん買い物は、すべてドルであり、慣れない

円ドル換算をしながら土産物を買ったことを覚えている。その頃は1ドルが360円だった様に

記憶している。本来は明るい南国でありながら、沖縄全体が暗い基地の街といった印象が強かった。

 そんな思い出があって返還後の沖縄が大きく変わったことも分かっていたが、なかなか旅行

する気になれなかったのが正直な気持ちだった。沖縄がサミットの会場に選ばれたことや、

近年リゾート地として大きく変わりつつあること等もあって、盛んに沖縄旅行のチラシが入って

おり、チャンスがあればと思っていた矢先、生協の広告に格安の沖縄旅行があるのを知った。

そして、南国の島「沖縄」に行ってみようということになった。

 27日沖縄は那覇空港到着直後から雨になってしまった。バスガイドがお客さん達が雨を連れて

きたと言って笑っていた。前日までは沖縄は梅雨入り宣言をしていながら、雨らしい雨は降って

いなかったという。なんということだろう。運の悪さを思わざるを得ない。

 県北の戦跡地をまわる頃には、本格的な雨になってしまった。ある時は激しく、ある時は薄日が

射すくらい明るくと、南国の梅雨らしい変化の激しい空模様だった。「ひめゆりの塔」では、雨にも

関わらず多くの人達が訪れていた。ガジュマルの木の下に、さして防御のためになるとは思えない

ような、珊瑚礁で出来た大きな洞穴が何カ所か口を開けている。この中で女学生達が激しい飢えと

乾きの中で、傷病兵達の看護をしていたのだ。アメリカ軍が上陸してきた時には、自らの命を絶ち

亡くなっていった。いまでも彼女たちの事を考えると涙を抑えることは出来ない。

太平洋戦争に於ける沖縄の悲劇は数多くあるが、わけても姫百合の塔の建つ

この場所は多くの女学生達が傷病者と共に命を絶った場所として忘れる事は出来ない

 次に訪れた平和の礎(へいわのいしじ)では、ほとんど人影はなく、私達一行だけであった。

激しく降りしきる雨の中を、石碑に刻まれた戦没者の名前を読んだり、公園の先端部まで行って、

鉛色に沈む沖縄の海と空を眺めて、そうそうに観光バスに引き上げた。同行した人の中には、

岡山県の石碑の中に近所の人の名前を見つけたと言っている人もいた。当時、内地からも

沖縄戦に動員された人が多かったようだ。かつての激戦地も今は公園の緑が実に美しく、

広い芝生の緑が色鮮やかだった。この横に二十数年前に訪れた事のある摩文仁の丘がある。

沖縄戦は敵味方多くの犠牲者を出した

ここ平和の礎にはこれら全ての人の名前が刻まれている

 この日は、この一帯もかつての激戦地だったというサトウキビ畑の中を通り、沖縄の代表的な

産物である泡盛やビン型、琉球焼きやガラス工芸等と言った工場を見物した。こうしてみると、

さして産業らしい産業のない沖縄が、いかに観光に力を入れているかが良く分かる。 とにかく、

この日は一日中降ったり止んだりの天気で、とうとう沖縄の明るい太陽を目にすることは出来な

かった。

  

現在沖縄は観光に力を入れている

観光の目玉は伝統的な芸能やこういった手工芸品ではないだろうか

左は紅型染め、右は琉球絣

 今回の沖縄で何よりも思い出として残ったのは、この日の晩のことだった。この日は那覇市内

の宿泊で、食事は各人が自由にということで、旅行前から計画をしていた沖縄でしか口にすること

の出来ない料理を食べようというわけで、那覇市内へ出かけた。しかし、いざ外に出てみると行く

宛などはなく、何処に入ろうかと迷うばかりで、雨は益々激しく降り出すし、二人思案にくれていた。

そんな時、沖縄観光の案内所が目に入り、これ幸いと飛び込んだところ、そこにいたのが、今回

お世話になった城山さんだった。彼女は丁度帰り支度をしていたところで、帰りに寄ろうと思って

いるなじみの店があるから、よかったら一緒に来ないかと誘ってくれた。

 その店が「あずみの」という一杯飲み屋だった。おなじみさん達が会社の帰りに気軽に立ち寄って

いくような、小さな飲み屋で、酒の肴はもっぱら沖縄の家庭料理が中心だった。マスターが私達の

口にも合いそうなものを見繕って作ってくれた。カウンターに並んで座ったお隣さんとも意気投合して、

とりとめもない話に花が咲く。良い店に連れて来てくれたと城山さんに、ただただ感謝あるのみ。

隣の席の当山さん兄弟も大変話し好きの人で、沖縄県民は初めての人でも気持ちよくもてなすのが

沖縄流の礼儀だといって、気楽に話し相手になってくれ、たちまちの内に旧知の間柄のようになって

しまった。心温かい沖縄の人達に囲まれて、程良く酔いが回り始めたところで店に別れを告げた。

宿泊先のホテルは道を挟んで向かい側。「あずみの」からほど近い、便利の良いところだった。

  

観光の途中立ち寄った泡盛の工場でのひとこま

右は島内至る所に見られるあだんの実や南国の花々

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沖縄旅行記その2へ続く

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