初夏みちのくの旅

八甲田車窓の景なる谷卯木

旅宿の慣れぬ枕の明易し

万緑や裾野は広き岩手富士

芭蕉句碑楓若葉の傘の下

 みちのくには自然が満ちあふれています。その形容がけっして誇張ではなく、どこへ行っても緑一色

でした。みちのくは紅葉の季節も良いけれど、新緑の季節もまた素晴らしいところです。今回は梅雨入り

間近な2004年6月9日〜12日、東北地方をツアー旅行しました。仙台空港を起点にして次のような

コースでした。

第一日目 岡山空港発  伊丹空港着  仙台空港着  田沢湖高原温泉宿泊(プラザホテル山麓荘) 

第二日目 きりたんぽ工房  世界遺産「白上山地」  城ヶ倉大橋(八甲田眺望) 奥入瀬渓流(石ヶ戸)

       十和田湖畔温泉宿泊(ホテル十和田荘)

第三日目 平塚果樹園  十和田南駅発(みちのく昔話列車)湯瀬温泉駅着  南部鉄器工場(昼食)

       中尊寺  松島(瑞巌寺・五大堂・かまぼこ本店)  蔵王高原温泉宿泊(蔵王アストリアホテル)

第四日目 蔵王高原出発 仙台空港発  岡山空港着

 このコースからもお分かりのように仙台空港から再び仙台空港へ戻って来るという、まさに東北縦断

往復の旅でした。こうしてみますと北海道のバス旅行でも広く長い旅に感じますが、東北旅行もまた実に

広く長い旅でした。

第一日目 岡山から田沢湖高原温泉へ

 第一日目は仙台空港に降りたってバスに乗り、ただひたすら田沢湖を目指して走りました。高速道路

の沿線には広々とした平野が広がっていました。前回来た時にも感じた事ですが、高速道路を行き交う

車はあまりありませんでした。貸し切りの道路を走っているような感じでした。

    

あいにく席が予約出来なかったとの事で、急遽、伊丹空港発となった。

従って、岡山空港経由の貸し切りバスで伊丹空港まで行き、仙台空港に着いた。

飛行機はジャル、仙台空港ロービーでの様子。

    

仙台空港は近代的でモダンな建物である。

空港に着いて間もなくガイドさんが迎えに来てくれた。

バスに乗ると早速、道路地図で今回の観光コースの説明があった。

 

仙台空港を出ると間もなく広々とした仙台平野が車窓に飛び込んできた。

そして、遠くには仙台市内のビルなどが見えてきた。

    

途中、トイレ休憩をした前沢サービスエリアと今回お世話になった観光バス。

 紫波サービスエリアを過ぎたあたりから前方に岩手山が見え始めました。そして盛岡インターチェンジ

から国道46号線に入ると、いっそう岩手山が近くなりました。岩手山は標高2038メートルの活火山です。

円錐形の山にはところどころに雪が残っていました。富士山にも似た岩手山は岩手県のシンボルとも言う

べき山です。

    

そして岩手県に入ると有名な岩手山が見え始めた。山頂当たりには、まだ雪が残っていた。

右は岩手県の穀倉地帯

 山麓には有名な小岩井牧場などがあります。進行方向の右手に岩手山を見ながら走りますと、やがて

田沢湖が見えてきました。田沢湖は日本でも有数の水深を持つというカルデラ湖です。この日、私達は

田沢湖から更に奥に入った田沢湖高原温泉に宿泊しました。有名な乳頭温泉はすぐ近くです。宿泊した

田沢湖高原ホテルの脇を流れる川底も白くなっていました。恐らく乳頭温泉と同じ泉質の水が流れて

いるものと思われます。

    

そして、目的の田沢湖温泉近くの山や白樺林。

この辺はスキー場がたくさんあるようだ。

 私達は暮れなずむ田沢湖温泉周辺を歩いてみました。一帯は観光のための大工事中でした。何年か

すれば元に戻るのでしょうが、あちこちの緑が削られ火山灰土が露出していました。ホテルから少し下った

ところの駐車場から田沢湖がよく見えました。夕暮れ近い逆光の中で湖面が白く光っていました。

   

少し夕方の逆光の中で田沢湖の湖面が白く光っていた。

この当たりの山々にも雪が残っていた。

    

ホテル周辺の散策途中で見かけたタンポポの綿帽子やレンゲツツジ。

    

なだらかな丘にはレンゲツツジや小さな黄色い花がたくさん咲いていた。

    

澄んだ青空と緑の山々、素晴らしい景観だった。

右の花はキンポウゲ。

    

そして、こんな野草や谷ウツギ(右の写真)などの花が。

さすが東北の山である。さして高い山ではなさそうであるが、たくさん雪が残っていた。

そして麓にはスキー場が。

 夜は宿泊客を歓迎してみちのく民謡ショーがありました。女性二人、男性二人が津軽三味線の演奏と

民謡を聞かせてくれました。30分あまりのショーでしたが、みちのくならでは旅情を味わう事が出来ました。

ショーの最後にリクエストの時間がありました。私はすぐに頭に浮かんだ「秋田大黒舞」をリクエストしま

した。みちのくの旅先で聞くリクエスト曲の味わいは格別でした。

    

民謡や踊り、そして三味線の演奏など

第二日目 世界自然遺産「白上山地」・奥入瀬渓谷

    

早朝の山からは盛んに霧が上がっていた。この黄色い花は何だろう。

    

私達が一泊した田沢湖温泉山麓荘とホテルの庭にあったトチノキの花

ホテルの脇を流れている川の底は温泉のせいだろうか白かった。

 翌朝はホテルを出発し国道341号線を北上しました。鎧畑ダムを過ぎ、玉川ダムで堰き止められた

宝仙湖の湖岸道路を通りました。この水系は温泉の影響で酸性が強く魚が住めない川や湖だそうです。

その代わり水は澄みきっており、太陽の光でエメラルドグリーンに輝いていました。ガイドさんの話では

酸度調整をしていても、なお酸性が残っているのだと話していました。そう言えば河原の石も酸化され

赤くなっていました。

    

ダムで堰き止められた水は大変透明度の高い水で、太陽の光が当たると、このようにエメラルドグリーンに光っていた。

    

又、流れる水の酸が強く河原の石は鉄錆で赤くなっていた。

山の中からは温泉の湯煙が上がっていた。

    

周辺の山や道路沿いにはたくさんニセアカシヤがあり、丁度、花のシーズンで薄黄色に染まっていた。

    

道路標識にあるように大鰐、弘前インターチェンジで一般道路に下り、右の写真のように広大なリンゴ畑の中を走った。

 バスは鹿角八幡平インターチェンジから再び高速道路に入り、大鰐弘前インターチェンジで一般道に

下りました。山間部に入ってから道は急に狭くなりました。途中、何カ所もの橋は何度も切り返しをしなけ

れば渡れないようなところでした。やっとの思いでここを抜けると山中に新しい建物が見えてきました。

世界自然遺産の「白上山地」の入口に着いたのです。この頃から雨が激しく降り始めました。周辺は高い

山ばかりです。雨が多くぶな林がもっとも成長しやすい環境のようです。

 ここの山小屋が昼食場所でした。火の気がない山小屋は肌寒く感じました。雨はますます激しさを

増していました。昼食が終わると津軽三味線の演奏が始まりました。三味線を聞かせてくれたのは

地元出身だという若い女性でした。玉川ダムの更に上流にダムが建設される事になっており集落全体

が移住したそうです。そこの集落で生まれ育ったのだと自己紹介をしてくれました。地元ではラジオや

テレビでも活躍している人だそうです。

 屋根を叩く激しい雨音と三味線の撥音の競演になりました。それほど三味線の音も雨音も激しいもの

でした。その雨も演奏が終わる頃になって小やみになりました。私達数人は雨合羽を借り、長靴を借りて

教えて貰った白神山地の入口当たりまで歩いていくことにしました。近くを流れている川は水嵩が増し、

ごうごうと音を立てて流れていました。

 歩き始めた途端、再び雨が激しく降り始めました。小さな折りたたみ傘ではとても防げるような雨では

ありませんでした。やむなく途中のトイレの軒先で雨宿りしました。20分くらい待ったでしょうか。再び雨が

小止みになり歩き始めました。?林の入口には湧き水がありました。私達は帰りに汲むことにして山中に

入りました。

 ここは入山禁止になっている場所ではありませんでしたが、それでも?の大木が林立していました。

お天気さえ良かったら存分に山歩きを楽しむ事が出来たのですが、この雨では無理でした。残り時間が

少なくなってきましたので大急ぎで山を下りました。その頃から雨は止み空も明るくなってきました。

    

山間部に入ると道路はますます狭くなり、細い橋の手前では何度も切り返しをしなければ渡れなかった。

    

地元で活躍している若手の女性演奏家、力強いバチさばきだった。

    

白神山地はあいにくの大雨だった。少し小止みになって歩き始めた。

    

この川の上流に暗門の滝があるとの事だったが、この雨では断念せざるを得なかった。

オオカメノキの白い花が印象的だった。

    

フキ等に混じってヤグルマソウもあった。葉の大きさにも驚かされた。

ぶな林の中で傘をさして。

    

登山道入口には名水を汲めるところも。右は暗門ぶな林散策歩道と書かれた標識。

    

そして世界史全遺産に関する説明板。

至るところに、こんなフキがたくさん茂っていた。

    

川のほとりに露出した地層、激しく隆起したことを物語るように縦になっていた。

右の花は名前を聞いたのだが忘れてしまった。

    

ロッジ風の土産物屋や宿泊施設などがあり、今も新しい建物を建設中であった。

    

左はまたぎ小屋を再現したもの、そして世界遺産に指定したという事が刻まれたプレート。

 バスは再び狭い道を引き返しました。そして大鰐弘前インターチェンジからほんの少し高速道路に入り、

黒石インターチェンジでまた一般道に下りました。ここら当たりの山中はニセアカシヤの花盛りでした。

全山薄黄色になるほど山々を覆っていました。これらニセアカシヤと濃い緑が織りなすコントラストが

東北の初夏の山々を特長付けていました。

 道路は次第に山中に入り、道のほとりの湿地帯では水芭蕉なども咲いていました。そして大小たくさん

の温泉がありました。ここら一帯は十和田八幡平国立公園の中にあって有名な温泉地帯のようでした。

山頂付近になって急に霧が濃くなりました。視界が十数メートルになってしまい城ヶ倉大橋からの八甲田

眺望は絶望的でした。大橋の下からは、かすかに音はするのですが、川の流れを見ることは出来ません

でした。ここでトイレ休憩を済ませ大急ぎでバスに戻りました。気温も低くなっていました。山の天気は

変わりやすいと言いますが典型的な例でした。

    

リンゴ園を後にして八甲田に入った。途中から急に霧が濃くなり始めた。

    

そして、八甲田の展望を楽しみにしていた城ヶ倉大橋では御覧のような濃い霧に閉ざされてしまった。

周辺のぶな林さえもこんなに霞んでいた。

 そして山頂を越え太平洋側に入ると一挙に霧は晴れ素晴らしい青空が待っていました。日本海側は深い

霧、太平洋側はからりとした晴天でした。青空から降り注ぐ日の光が眩しく感じられます。そして、ぶな林

の樹間を明るくしていました。表現のしようがないくらい美しい景色でした。バスはこのぶな林の中を走り

抜けていきました。しばらくぶな林を走り続けると、やがて景色は一変しました。目の前には広大な牧場

が広がっていました。 

 ところどころ、背中に大きな数字を付けられた牛達が草を食んでいました。振り返ると先ほど通り抜けて

きた八甲田の山並みが小さくなっていました。気温が低かったのも無理はありません。山肌にはたくさん

雪が残っていました。道は下り坂になりました。いよいよ奥入瀬が近くなったようです。

    

峠を越えると霧は次第に薄くなってきた。この霧は、このような残雪によって湿った空気が冷やされて出来るようだ。

    

そして、山を下るに連れて霧はなくなり、ぶな林では木洩れ日が新緑の森を照らしとてもきれいだった。

このぶな林は戦時中一度伐採され、その後成長したという二次林だそうだ。

    

ぶな林を抜けると広大な牧場が広がっており、背番号を付けられた牛たちが草を食べていた。

 車窓の右側には奥入瀬の清流がとうとうと流れていました。私達は渓流の石ヶ戸というところで下車しま

した。ここには女盗賊が住んでいて旅人をだましては殺して金品を奪っていたというところです。自然石で

出来た大きな岩屋がありました。残念ながら時間がなく、わずかに近辺を散策し数枚の写真を写しただけ

でバスに戻りました。いつ来てもツアー旅行では時間がなく十分な散策を楽しむことが出来ません。

    

いよいよ奥入瀬の渓流のそばに出た。そして石ヶ戸で下車してしばし周辺を散策した。

    

絵はがきでお馴染みの奥入瀬渓流、代表的な川の流れだ。

滔々たる川の流れが白く泡立ち美しい景観を作りだしていた。

 奥入瀬を後にするといよいよ十和田湖畔に出ました。十和田湖畔を通り抜け湖の南側にある十和田

湖畔温泉に着きました。時間も早く十分に明るい時間でした。食事時間までには十分時間がありました。

私達は部屋に荷物を置いて湖畔まで行きました。この日はことのほか風が強く、岸辺には大きな波が

打ち寄せていました。観光船も港に停泊したままでした。早々に宿へ引き返しました。

    

この日の十和田湖周辺は強い風が吹き大荒れだった。観光船はすべて港に係留されていた。

強い風の中で家内の髪の毛も御覧のように。

    

高い波が岸辺に打ち上げていた。近くで見かけた珍しいツルアジサイの白い花

 宿泊したホテルは大変大きなホテルで調度品にも立派なものが多く、ロビーには立派な「ねぶた」が

飾ってありました。この日はと言うべきなのか、この日もと言うべきなのか大勢の観光客で賑わって

いました。中国からの観光客でしょうか。賑やかに大きな声で話していました。ずいぶん日本の観光も

国際的になってきました。特に最近では韓国や中国からの観光客が増えてきたようです。食事の時に

出たものでしょうか、手に手に大きなリンゴを持っていました。

    

ホテル十和田湖荘の玄関とロビーに展示されていた大きなねぶた。

第三日目 みちのく昔話列車・中尊寺・松島

 翌朝は少し薄曇りでしたが雨が降る心配はなさそうでした。ホテルの人の見送りを受けながら出発

しました。昨日はあれほど大荒れだった十和田湖も今朝は穏やかな湖面に戻っていました。十和田湖

に別れを告げ平塚果樹園に向かいました。こうした観光バスには必ず立ち寄る土産物店があります。

平塚果樹園もその一つでした。果樹園までの道の両脇にもニセアカシアがたくさん咲いていました。

 平塚果樹園では試食コーナーがあり、リンゴやジュースの試食をさせて貰いました。秋に収穫した

リンゴです。どのように保管しているのでしょうか。シーズンのリンゴには劣りますが、十分甘みも酸味

も残っていました。お店の裏側には小さなリンゴ園がありました。袋は掛けてありませんでした。小さな

実をたくさん着けていました。

    

翌朝の十和田湖は昨日の大荒れが嘘のように静まりかえっていました。

その十和田湖に別れを告げ平塚果樹園へ向かいました。

果樹園ではリンゴの実の間引きが終わったばかりでした。

果樹園の庭にはこの地方では珍しくないと言われていますが大きなフキが植えられていました。

 平塚果樹園を後にして昨日も通り抜けたリンゴ畑を抜けて十和田南駅に向かいました。道の両脇

には延々とリンゴ畑が続いていました。遠くが霞んで見えるほど広大なリンゴ畑でした。花の咲く頃、

実が赤く色付く頃、それぞれに素晴らしい景観となるのではないでしょうか。後ろには青森県のシンボル

である岩木山が聳えていました。

 十和田南駅は鹿角市にありました。鹿角市を通っている鉄道の利用振興を計るため、町の有志が

企画したのが「みちのく昔話列車」です。十和田南駅から湯瀬温泉駅までの間、列車の中でこの地方

に伝わる昔話を聞かせてくれるのです。

 会長さん自らがスピーカーやマイクを設置し慌ただしく昔話が始まりました。私と同年輩くらいの女性

が東北弁で話してくれました。東北地方特有の方言ですから全てを理解することは出来ませんでしたが、

面白おかしく話してくれました。短い時間でしたが思い出深い列車の旅になりました。お二人にお礼を

言って湯瀬温泉駅から再びバスに乗りました。

    

いよいよ、みちのくむかし話列車に乗る十和田南駅に着きました。

駅では地元の方が二名待っていてくれました。

    

早速、みんな記念写真を撮らせて貰いました。

ホームで待っていると私達がこれから乗る列車が入ってきました。

    

東北地方の方言のすべてが理解できたわけではありませんが、聞いていると何となく分かってきて面白かったです。

そして、あっという間に時間が過ぎ、お別れの時が来ました。お二人に感謝しながら湯瀬温泉駅でお別れしました。

再び岩手山に出会いました。これで、この山ともお別れです。

 鹿角八幡平インターチェンジから高速道路に入りました。そして一気に南下し南部鉄器工場に向かい

ました。南部鉄器工場は「岩鋳」と言い盛岡市内にありました。「岩鋳」という字からもお分かりのように

鉄器はすべて鋳造品です。昔から鉄瓶や鉄鍋など生活用品を作っていました。今もこの工場では鉄瓶

を製造販売しています。工場の中は製造工程が見学できるようになっていました。

 工場の奥には食堂がありました。観光客用の大きな食堂でした。私達はここでこの地方の名物料理

「はっと定食」を食べました。「はっと」とは、きしめんのような幅広の麺を野菜と一緒に鍋で煮たものです。

食堂の横には売店があり、色んな鉄器とお土産を売っていました。「岩鋳」で昼食と買い物を済ませ再び

バスに乗って中尊寺に向かいました。

    

バスは一気に南下し、盛岡市内にある南部鉄器の製造販売をしている「岩鋳」に着きました。

「岩鋳」の入口にあった大きな鉄瓶と「チャグチャグ馬っこ」が展示されていました。

工場の中では三人の若い職人さん達が鉄瓶作りに汗を流していました。

 中尊寺のある平泉は毛越寺など藤原氏ゆかりの遺跡がたくさんあるところです。来年、大河ドラマに

なる源義経や弁慶のゆかりの地でもあります。義経伝説に出てくる金売り吉次の話は有名ですが、この

地方一帯から産出した金によって、都にも負けないような仏教文化を花開かせたのが、藤原三代と言わ

れる藤原氏一族です。

 その代表的な建物が中尊寺の金色堂です。今は大きな鉄筋コンクリートの建物の中にありますが、

松尾芭蕉がこの地を訪れた時には雨ざらしになっていたようです。金色燦然たる建物からは藤原氏の

栄華が偲ばれます。

 芭蕉はこの地に立って何を感じたのでしょうか。西行にも似た諸行無常の感を抱いたのかも知れません。

栄華の絶頂にあるものもいつか滅びる時がある。それは義経を死に追いつめ藤原一族をも殺してしまった

義経の兄頼朝も同じ事でした。兄頼朝も自分一代であえなく嫁の里である北条氏に実権を奪われてしまい

ました。

 芭蕉はここでこう詠んでいます。「夏草や兵どもが夢の跡」。芭蕉像が金色堂の下に佇んでいました。

そして傍らに句碑が建っていました。私は物言わぬ芭蕉の像と句碑をみて「芭蕉句碑楓若葉の傘の下」

と詠んでみました。人の世の移り変わりはあっても何も変わらないのは自然の佇まいだけです。すべては

移ろいやすく時代とともに変わって行くものばかりなのです。

    

いよいよ観光も終盤近くなりました。久々の中尊寺でした。

前回は秋真っ盛りの時に来ました。今回はモミジの新緑がとてもきれいでした。

    

お馴染みの松尾芭蕉の銅像が私達を迎えてくれました。

その横に真新しい「五月雨の降り残してや光堂」という句碑がありました。

芭蕉がこの地を訪れた時、金堂は雨ざらしのままだったようです。

    

境内に咲いていたエゾギクと芭蕉像

    

今、金堂は鉄筋コンクリート製の建物の中にあります。新緑のモミジに囲まれたお堂の一つ。

    

中尊寺本堂とその山門

    

彫刻が見事だと言われているお堂の一つ。

これはまた珍しい夫婦松ならぬ夫婦杉と言うべきか。それも二本並んで立っている。

中尊寺の展望台から弁慶ゆかりの場所を臨む。

 中尊寺をあとにして更に南下しました。そして次に訪れたのは日本三景の一つ「松島」でした。空は

今にも降ってきそうな位に曇っていました。私達は松島湾の観光は諦めて伊達家ゆかりの寺である

「瑞厳寺」に行きました。山門をくぐると今まで見たこともないような光景が広がっていました。境内は

鬱蒼とした杉木立で一方の岩壁には大小の洞窟がうがたれていました。洞窟は穴だけのものもあれば

壁に石仏が彫られているものもありました。煤ぼけた洞窟は線香の煙や蝋燭の煤の跡でしょうか。

薄暗い境内がより一層不気味に見えました。黄泉(よみ)の世界があるとすれば、こんな景色なのかも

知れません。岩はこの当たり一帯を覆い尽くしている砂岩のように見えました。松島の島々と同じもの

です。従って、比較的人の手で掘りやすいのかも知れません。それにしても尋常な数ではありません

でした。

    

ここはかの有名な松島。八角堂を背にして記念写真。

瑞巌寺へ行く途中にあった和紙で作られた芭蕉像、実に良くできている。

    

瑞巌寺山門からは鬱蒼とした杉林の中を歩いていく。

そしてその脇にはたくさんの洞窟があった。薄暗い境内の中で異界へ迷い込んだような錯覚を覚えた。

    

洞窟群の前にて撮影。洞窟には長年月の線香や蝋燭の跡が黒く残っていた。

 私達は瑞巌寺の境内だけを見て隣にある伊達政宗の嫡孫「光宗」の菩提寺「圓通院」に入りました。

ここには国指定の重要文化財「三慧殿」がありました。この中に納められた大きな厨子にはヨーロッパ

に渡った支倉常長が持ち帰った品々がデザイン化され描かれていました。また、この寺は薔薇の寺と

しても有名で、庭の一角には薔薇が植えられ異国情緒さえ感じました。

 一度、海岸近くまで戻り、指定されていたかまぼこの販売店に入りました。ここでお茶を飲みながら

色んな練り製品を試食しました。中でも有名なのは笹かまぼこですが、それ以外にもおみやげとして

買って帰りました。

    

圓通院の境内に置かれた野点の傘の下で。

「光宗公」の霊をまつった絢爛豪華な厨子。厨子にはヨーロッパから持ち帰った文物の意匠が取り入れられていた。

    

厨子が置かれていた三慧殿と、ここにもたくさんの洞窟があった。

    

支倉常長ゆかりの薔薇の園、美しい薔薇の花がたくさん咲いていて異国情緒を感じさせた。

    

薔薇の園とは対照的な日本庭園。

    

また、こんな石庭もあった。圓通院の山門。

圓通院からほど近いところにこんなシンバクの大木があった。

よじれた枝が絡み合って不思議な形を作りだしていた。

 空は今にも降ってきそうなくらい暗くなっていました。大急ぎでバスに戻り、蔵王高原に向かいました。

蔵王高原は山形県にあります。山形県も今まで通ってきた他県に負けぬ位山深いところでした。バス

は仙台市を大きく迂回して高速道路に入りました。そして高速道路は途中から山形自動車道になり

ました。山形市の手前から西蔵王高原ラインを通って蔵王温泉に着きました。

 途中の杉林では、たくさんのマタタビを見かけました。マタタビは花の頃から実が出来る頃にかけて

、葉の一部が白くなると言う不思議な植物です。従って、この時期良く目立ちたくさん見かけるのです。

それにしてもたくさんありました。環境が適していることと、自然が荒れていないからではないでしょうか。

 ホテルに着くとすぐ準備して希望者は大露天風呂に行きました。大露天風呂のあるところは湯ノ花を

作っていたところだそうです。従って、まったくの天然温泉でした。深い谷の一部を何段にも堰き止めて

湧きだしてくるお湯を溜めていました。女性の方は谷の上手にあり浴槽が三つだったそうです。男性の

方は二つでした。竹囲いをしただけの本当の露天風呂でした。泉質は硫黄泉で硫黄の臭いがしていま

した。お湯から出た後も体に硫黄の臭いが染みついていました。

 浴槽とは言え大きな石を並べただけで底には砂が溜まっていました。石は滑りやすく注意しながら

歩かなくては転んでしまいそうでした。照明は脱衣場にしかありませんでした。従って、周辺が暗くなったら

閉店をするそうです。それがまた露天風呂らしさでもありました。限られた時間でしたので、大急ぎでホテル

が準備してくれた送迎用の車に乗りました。蔵王は名だたる温泉地であり有名なスキー場でもあります。

行き帰りの道の両側には、たくさんのホテルや旅館が並んでいました。そしてシーズンを終えたリフトが

幾本も並んでいました。

 私達が泊まった蔵王アストリアホテルは温泉地の一番奥にありました。質素なホテルでした。ホテル内

にはあちこちに大きな部屋がありピアノがありました。ロビーにもピアノがありました。研修などに使われる

施設なのでしょうか。この旅行最期の夜でした。山形の名物料理である「いも煮」やこんにゃくの刺身が

付いていました。「いも煮」は、山形市内で催される「いも煮会」で知られている料理です。里芋や

こんにゃくを肉と一緒に煮た鍋料理です。

蔵王は有名なスキー場である。私達が泊まったホテルの裏山もスキー場だった。

第四日目 仙台空港から岡山へ

 翌朝は朝から本格的な雨が降っていました。しかし、一時小止みになり青空が見えましたので外に出て

みました。すると急に霧が濃くなりまた降り始めました。山の天気は変わりやすいようです。散歩を諦めて

朝食にしました。そして荷物をまとめ帰り支度をしました。

 こうして三泊四日の旅は終わりました。ホテルを後にして元来た道を引き返し仙台空港に着きました。

蔵王を下りた頃から雨は止み、仙台空港へ着いたときには太陽が顔を出していました。この季節にして

はお天気には恵まれていました。この4日間、お世話をしてくれたガイドさんと運転手さんにお礼を言って

別れました。すべてに感謝です。

    

いよいよ東北ともお別れの時が来た。再び仙台空港へ。

    

そして飛行機は一気に岡山空港へ。

途中で撮影した富士山と雲の上の青空。

今回のツアーメモ

 今回は阪急交通社の「白神山中で聴く津軽三味線とみちのく昔話列車4日間」という企画であった。この

旅行はツアーの題名にもあるように、世界自然遺産の「白上山地」へ行くことと、その場所で「津軽三味線

の演奏」を聴くことと、バス旅行ながらほんの少し鉄道に乗って「みちのくの昔話」を聞くことが企画の目玉

になっていた。

バスに取り付けられていたツアー案内

    

バスの中に貼ってあった今回のツアーコース

 そして、おまけとして第一日目の夜はプラザホテル山麓荘で「東北民謡」を聴かせて貰った。また、最期

の夜となった蔵王温泉ではまさに天然温泉ともいうべき「大露天風呂」に入れた事であった。これで一人が

5万円とは格安の料金であった。岡山空港から仙台空港まで往復の飛行機代、そこから貸し切りバスで

青森まで行き、また、仙台空港へ引き返すという旅行であり、これで採算がとれるのだろうかと心配をする

ほどの内容であった。

 出発日については、幾つかの候補日があったのだが、結局、梅雨入りした6月9日になってしまった。

同行した人の大半は岡山市周辺の人であったが、大佐町から来た人もいて総勢34名であった。また、

家族連れと中高年夫婦だけという珍しいツアーであった。

 4日間の間に東北地方を縦断し、宮城県、山形県、岩手県、秋田県、青森県と東北五県を走り

回ったわけである。なかなか厳しい日程であった。それだけに観光地から観光地へと走り回り、一ヶ所

の滞在時間がきわめて短いというツアー旅行の欠陥とも言うべき旅行であった事は否めない。

 岡山からは大月さんという若い男性が添乗員として同行してくれた。仙台空港からはチャーターした

観光バスとガイドさんが一緒であった。北海道旅行と同じように今回の旅もバスの中が多かった。その間、

ガイドさんは話し続けていたわけであり、その話題の豊富さにおいては北海道の観光バスガイドに決して

負けてはいなかった。

                                             2004年7月19日掲載

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