京都五条陶器祭り

8月7日 明石へ

 夏の京都は暑い。この土地特有のものであろうが、ここに長く都があったとは思えない暑さだ。その時代には

その時代なりの夏の過ごし方があったのかも知れない。

 さて、今回は京都の夏の風物詩「京都五条坂陶器まつり」があるというので家内と娘のお供をして行ってみた。

朝早く出発する予定だったので、前の日神戸に行き娘のところへ一泊した。

 今回の旅行では初めて青春十八切符なるものを使ってみた。家内は何度か使ったことはあったが、私は

初めての経験だった。青春十八切符では急行や特急列車には乗れないので、快速か普通列車を乗り継いでの

旅だった。

8月7日 明石から三宮へ

 瀬戸大橋線から山陽本線へと乗り継いで明石駅へ着いた。娘とは明石駅で待ち合わるようにしていたので、

その時間まで明石駅のコインロッカーへ荷物を預け入れ三宮に向かった。三宮は今年になって二度目だった。

一度は冬に「大英博物館の至宝展」が目的で、この地を訪れていた。

明石城である。この城も美しい。明石駅のプラットホームの真向かいに白壁の長い塀が見える。

 冬に来た時とは異なって、今の季節の旧居留地界隈は道べりの並木が大きな陰を作り、洗練された街の

雰囲気を醸し出していた。大きな銀杏(イチョウ)の木には都会の中とは思えないほどたくさん実を付けていた。

私達は予定通り、この一角にあるおしゃれな洋品店で私の夏服を買った。

神戸の旧居留地近くの街路樹の銀杏(イチョウ)の木には、ごらんのようにたくさんのギンナンが着いていた。

 そして、時間に余裕があったので神戸ハーバーランドへ向かった。買い物をした店からだとわずか一区間

くらいの距離だと言うことだったのでタクシーで行くことにした。しかし、大通りへ出てもタクシーは見つから

なかった。じっとしているのも暑いので歩きながら探すことにした。

    

さすがは旧居留地と思わせるような重厚な建物をあちらこちらに見ることが出来る。

 結局、タクシーは見つからないまま神戸ポートタワーが見えるところまで来てしまった。近くにはホテルオークラ

の大きな建物があった。この一帯は公園のようになっていて、こんな季節でなければ手頃な散歩道だった。

歩いていると、どこからか涼しい風が吹いてきた。どうやら港から吹いてくる風のようだった。

 こうして1キロぐらいの距離を歩いて、とうとうハーバーランドへ着いてしまった。ここからは観光船が次々に

出入りしていた。そして、この隣は巨大なショッピングエリアになっていた。港が見える場所には飲食店が

集まった大きな建物があった。適当な店で休憩をしようと思い探してみたが、港が見えるような店は食事をする

店ばかりで喫茶店が見つからなかった。

 仕方なく阪急デパートとダイエーの建物があるところまで歩いた。いささか歩き疲れていた。場所柄なのか、

この界隈の喫茶店は値段が高かった。結局、ダイエーの一階にあるロッテリアでジュースを飲むことにした。

ダイエーと阪急の間は大きなアーケードになっていて大勢の人が歩いていた。私達はダイエーの中で少し

買い物をして、ここを後にした。向かったのは神戸駅だった。ここからは、わずかな距離だった。

海峡を渡れば淡路雲の峰

    

    

風が運んでくる潮の匂い。それは神戸港からだった。シンボルタワーであるポートタワーの他、ごらんのような建物群が建ち並んでいる。

帰りの電車は神戸駅から乗った。プラットホームの向かいの高層ビルはまるで鏡のようだった。

この大きな鏡に夏の入道雲が鮮やかに映し出されていた。

明石城のお堀端にて

鳩群し駅前広場大西日

 そして、神戸駅から明石駅に向かった。明石駅ではコインロッカーから鞄を取り出し、駅向かいにある明石城

のお堀のそばで娘が迎えに来るのを待った。このお堀には水鳥や大きな鯉やミシシッピーアカミミガメが

たくさんいた。そして、お堀の手すりには驚くほどたくさんの鳩がとまっていた。

 後で分かった事だが、これら水鳥や鯉や亀や鳩たちは餌をくれるのを待っていたようだ。私達がベンチへ

腰を下ろしてしばらくすると中年の女性が来て餌をやり始めた。初めは食パンのようなものをちぎっては投げて

いたが、それがなくなると袋からお米と思われるようなものを取り出して撒き始めた。すると、お堀の上でも

お堀の中でも餌の奪い合いで大騒ぎが始まった。餌に飛びつくようにして鳩が群れ、おこぼれに預かろうと

池の中では鯉が大きな口を開けて待っていた。要領の良いアヒルは、おばさんが投げるパン切れのところで

待ちかまえていて、鯉や亀が食べる前に素早く拾って食べていた。その内、高い石垣をどのようにして

よじ登ったのか、小さな亀がおばさんの足下まで来て、おばさんが落とした餌を拾って食べ始めた。動きは

遅いけれど、その場所には競争相手もおらず独り占めだった。生物界の面白い一面を見たような気がした。

娘を待つ間まったく退屈をしなかった。その内、娘が来て娘の家に向かった。

    

鳩たちは良く知っていた。おばさんが来る時間になるとちゃんとこの場所に群れ集まるようであった。

鳩ばかりでなくお堀の中には白鳥や亀や鯉なども群れていた。

夜は娘夫婦が近くの居酒屋へ連れて行ってくれた。その途中で見かけた入道雲。

あまりにもきれいだったので思わずシャッターを切ってしまった。

京都の陶器市へ

陶器市抜けて鴨川風涼し

 翌朝は少し早めに準備をして明石駅から京都へ向かった。明石駅までは娘婿が送ってくれた。明石から

京都までは新快速だった。これぐらいの距離であれば新快速は非常に快適で便利な乗り物だった。京都駅

からはバスで五条坂まで行った。バスを降りると、そこには焼き物を置いたたくさんの露天が並んでいた。

 そんな露店とは別に以前からここで商売をしている店もたくさんあった。この通りを少し入ったところに清水焼

の卸をしている店があった。私はこの店で展示品の一つである、おかめとひょっとこの箸置きを買った。値札に

は2000円と書かれていたが1500円にまけてくれた。

超近代的な建物に変身をした京都駅のコンコース。

 ここは古い建物で一階が事務所で二階が展示室になっていた。本来は卸専門だそうで、二階には商談用の

スペースが作られていて展示ケースの他にソファーなども置いてあった。また、この通りとは筋違いの通には

若宮八幡宮があった。お宮の前には露店が並び、お祭りの準備中だった。このお宮は陶器神社とも書かれて

おり、陶器市は門前町としての行事でもあるようであった。

 「京都五条坂陶器まつり」は毎年開かれているようだ。大きな道路脇の歩道は、私達が歩き始めてから大変

な人出となってきた。歩道の両脇にはたくさんの露店が建ち並んでいた。その間を大勢の見物客や買い物客

が行き交っていた。夏の風物詩でもある浴衣姿の若い女性も見かけた。買い物に来た人は通りに面した店や

露店で熱心に品定めをしていた。気に入ったものがあれば次は価格交渉だ。お客さんを呼び込む声、お客さん

が安くしろと言って店の人に掛け合う声等が入り乱れ大変な賑わいだった。

これより東、五条坂という道標が立っている。

陶器市はこの周辺で開かれていた。

    

どうやら陶器市は若宮八幡宮のお祭りでもあるらしい。

陶器市の通りの一角を入ると大きな森の中に神社がある。

        

また、別の路地を入ると奥には古い建物があった。

この建物は焼き物の卸問屋だとの事で、たくさんの焼き物がガラスケースの中に展示されていた。

    

この建物は外観だけでなく中の装飾もおしゃれだった。階段の手すりにも意匠が凝らされていた。

五条坂にもいくつもの狭い通りがある。これもその一つ。狭い通りには鉢植えの植物が所狭しと並べられていた。

    

ずらりと並んだ露店、その露店で品定めをしている家内と娘。

 私は一足先にこの喧噪を抜け出して「ちゃわん坂」へ向かった。ここにも焼き物を売る店が建ち並んでいた。

その途中に京都の伝統工芸品を展示している建物があった。建物の入口では地元の人達が抽選券を持って

立っていた。工芸品には大変興味があったので抽選券を貰って中へ入った。一階から三階まで色んな伝統

工芸品が展示されていた。さすがは京都であった。これが伝統工芸のすべてではないのだろうが、とにかく

色んな工芸品が展示してあった。

 そして、三階は抽選会場にもなっていた。私は貰っていた抽選券でガラポン籤を引いてみた。すると青色の

玉が出てきた。どうやらあまり出たことのない当たりクジだったようだ。景品二品の内、私は能面の袋を貰った。

刺繍のあるきれいな着物地で作った袋だった。「ちゃわん坂」の下で、買い物が終わった家内や娘達と待ち

合わせ、京都駅まで引き返した。正午を少し回っていた。

喧噪を抜け道一つ隔てたところからちゃわん坂が始まる。

昼食後、東本願寺へ

 京都駅前の地下街で昼食にした。この店は結構有名な店らしく客足が絶えなかった。食事が終わって再び

家内や娘達と分かれて、私は東本願寺へ行った。浄土真宗大谷派の総本山であった。ずっと昔、一度だけ

来たことはあったが、その時の記憶はほとんどなかった。山門を入る前から中の大きな建物が見えていた。

阿弥陀堂であった。400畳敷きという巨大な建物であった。中ではお坊さんによる法話の最中であった。

天井が高く、三方から風が入ってくるので、じっとしていると暑さを感じなかった。現在、隣の御影堂は修理中

であった。大屋根の上に鉄骨の櫓が組んであり大修理が行われているようであった。御影堂の廊下続きの

奥には宿坊があった。先ほどの阿弥陀堂で法話を聞いていた人達の荷物だろうか、たくさんの手荷物が

片隅に置かれていた。

 私は改めてゆっくりと建物内を見物させて貰った。過去にも永平寺などいくつか大きな寺院は見てきたが、

大変印象に残る建物であった。

    

東本願寺は浄土真宗大谷派の総本山である。山門をくぐると実に巨大な建物が建ち並んでいる。

巨大な建物である阿弥陀堂は三方から風が吹き抜け暑さを感じなかった。

中ではお坊様による法話の最中であった。

    

この大きな修羅のようなものは橇だそうで、この建物の造営に当たって切り出された大木を運んだらしい。

また、長い渡り廊下にはこのような教えが張り出されていた。

はからずも私が訪れた時、阿弥陀堂でのお話はこの言葉に関するものであった。

    

一番奥にあった別の入り口、高貴な人が出入りの際に使った門であろうか。

阿弥陀堂の周辺は黒光りする長い廊下であった。廊下の端にある緑が夏の日差しの中でまぶしかった。

    

開祖、親鸞上人の御影堂は大改修中であった。大屋根の上には巨大な鉄骨が組まれていた。

右の写真は山門をくぐって正面に見える阿弥陀堂。

    

山門をくぐり通りに出ると堀が巡らされ長い大きな塀がある。

その塀に掲げられたお寺からのメッセージ。

立派な築地塀のそばは静かな通りになっていた。

 こうして暑い京都の夏の旅は終わった。何故かしら京都には夏に来ることが多い。もっと過ごしやすい季節に

来て、ゆっくりと町歩きを楽しみたい。京都は私の生まれた町でもある。それは戦時中のことで、一歳にも

ならない頃、神辺に疎開したので何の記憶も残っていない。しかし、自分が生まれた町だと言うだけで何となく

懐かしさを感じる町である。

        

翌日は、もう一つの目的であったピースボートの説明会へ行った。

大阪駅からの地下街と説明会のあったビルの中の大きなパイプオルガン。

                                            2004年9月13日掲載

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