各駅停車の秋の旅(京都旅行2003)

出発、一路京都へ

 上の町発5時41分の電車に乗って旅は始まった。町はまだ眠っている時間だった。暖冬のせいか

寒さは感じなかった。さすがに、この時間、電車の中はまばらだった。岡山駅で山陽本線の普通電車

に乗り換えた。6時19分発姫路行きだった。

 新幹線を利用するようになって以来、在来線を利用する事はまったくなくなってしまった。山陽本線に

乗るのは何年振りだろうか。こんな駅もあったのか、あんな景色もあったのかと珍しい事ばかりだった。

岡山からの乗客は通勤者や学生が多かった。こんな早い時間、学生達は部活でもしているのだろうか。

 この日は久々に晴天が約束されていた。一日だけの晴天との事だった。上空を覆っていた雲が切れ

放射冷却のせいだろうか、熊山、和気を過ぎる当たりから霧が出始めた。霧は次第に濃さを増して、

山や畑など周辺の景色を包み込んでしまった。吉井川の堤防の近くを走る頃には、遠くの景色が

ほとんど見えなくなってしまった。自転車で堤防の上を走る女学生の姿が、黒いシルエットとなり映画の

シーンでも見ているようだった。川や池の辺は特に濃いようだ。朝の冷え込みによって霧が発生した

ようだった。

 その霧も三石まで来ると少しずつ晴れ始めた。朝日の中で山々の紅葉がとてもきれいだ。それも束の

間のことだった。山間部を走り始めると再び霧が濃くなり、上郡(かみごおり)当たりでは、再び周辺の

景色は閉ざされてしまった。こうして霧は濃くなり薄くなりを繰り返し、相生まで来てやっと霧は晴れた。

そして晩秋の清々しい青空が見え始めた。

 この頃から車内は混み始めてきた。通勤や通学の人が多くなったからだった。 姫路からは準急に

乗り換えた。既に社内は満席状態で座り場所がなかった。仕方なく席の空くのを待つため入り口から

奥の方に入っていった。私達の前の座席には学生風の若者二人と通勤客らしい人が座っていた。学生

だから、その内に降りるだろうと思っていたが、一人は三宮の先まで、もう一人は大阪まで席を立た

なかった。どうやら遠距離通学をしている学生達のようだった。そう言えば通勤客にも姫路から大阪まで

と言う人も少なくないようだ。

 私達二人が座席に座れたのは学生達が降りてしまった大阪駅からだった。ここまで来れば京都は、

あと一息だった。京都着9時20分、新しい京都駅は始めてだった。巨大な建物だった。古都とは、

おおよそ似つかないような超近代的な建物だった。

京都御苑

 京都駅からは地下鉄で京都御苑に向かった。今出川駅で下車し京都御苑まで歩いた。駅からは目と

鼻の先だった。私達は御苑の裏側から入ったようだった。鬱そうと茂った大木が空を覆っていた。さすがに

ここまでは手入れが行き届かないのか、木々の枝は伸びるに任せられていた。この一角を抜けると長い

御所の塀だった。高く長い塀はどこまでも続いていた。その塀のあちらこちらに閉ざされたままの門が

あった。

 その一つが見学者達の入場門となっていて皇宮警察官が立っていた。私達は入場券を持っていなかった

ので中へ入る事は出来なかった。

 この門の前の通りや庭園は観光客を意識してか、木々の手入れも良く行き届いていた。京都御苑

には皇宮警察だけでなく環境省の出先機関もあり、この広い庭園を管理している。

    

京都御苑の裏側になるのだろうか、巨木が自然のままに林立していた。右は御所の高くて長い築地塀。

    

観光客が行き来する道縁の木々は良く管理されているようだった。桜の紅葉と松の緑のコントラストが良い。

    

センダンの木が葉を落としてしまい実だけが残っていた。右は長い長い築地塀。

    

左はムクの木、黒く熟れた実がついている。右は御所の幾つかある門の一つ建礼門

   

御苑内の銀杏の黄葉は始まったばかり、右は松林の広がる芝生の庭園。

 京都御所から少し離れたところには、天皇を退位した上皇が住んでいたという大宮御所があった。退位後

の隠居屋敷とあって、塀の高さは御所には及ばないようだった。それでも地図で見ると屋敷の広さは御所と

あまり変わらない広さだった。京都御苑の感想はと聞かれたら、とにかく広いと答えるしかないほど実に広大

であった。

 私達は御苑の端にある拾翠亭に入った。わずか百円という入場料で入ることが出来た。九条家の遺構とか

で、手の込んだ数寄屋風の建物だった。一階からも二階からも池のある庭園が一望出来るようになっていた。

大変開放的な造りだった。二階から一階部分の屋根を見下ろすと屋根は木の板を何枚も重ね合わせたもの

だった。一見質素には見えるけれど大変贅沢な造りだった。

    

拾翠亭の広い縁側にて、縁側から見渡せる池のある庭園。

    

縁側から見た離れの茶室、右は二階から見下ろした一階の屋根、木の板を重ねた作った屋根は美しいカーブを描いていた。

    

二階の大きな部屋でのスナップ写真、右は玄関の土間。

 一旦、丸太町駅まで出たのだが、案内板に書かれていた蛤御門が見たくなって、疲れた足を引きずりながら

門まで行ってみた。ここには明治維新前の戦乱の歴史が刻まれていた。門はその当時のままで、門のあちら

こちらに点々と鉄砲傷が残っていた。

(「蛤御門の変」と言われたこの戦いは、一度敗退した長州軍が巻き返しをはかろうとして京都に進軍、しかし、

薩摩や会津等の圧倒的な兵力を誇る連合軍の前に破れてしまった。)

蛤御門にて、ここで幕末の戦乱があった。

毘沙門堂

 ここを後にして、再び地下鉄丸太町駅まで戻った。地下鉄は烏丸御池(からすまおいけ)で乗り換えて山科

に向かった。山科駅で簡単な昼食をとって一休みした。そして、駅の売店の人に聞いたとおり、線路沿いの

道を二百メートルほど歩いて毘沙門堂の参道に入った。参道とは言っても特別何があるというものでもなく、

閑静な住宅街の道だった。道の両側には古い建物や新しい建物などが建ち並び、高級住宅街といった感じ

だった。ただ、この道が古くからの寺に続く道であった事は道しるべに刻まれており、道のほとりの細い溝に

は清流が流れ下っていた。

 お寺は山近くの道が尽きるところにあった。多くはもみじの木だったが、色付きは今ひとつと言ったところ

だった。今年の紅葉はもう少し先のようだった。既に何組かの参拝者が来ていた。ご本尊を拝み見る事は

出来なかったが、毘沙門堂というからには毘沙門天がご本尊だろうか。境内ではもみじの紅葉を補うかの

ようにドウダンツツジが紅葉していた。

    

毘沙門堂への途中には豊かな流れの川があり、道縁にはこんな石柱が立っていた。

    

毘沙門堂への長い石段、そして境内へ、お堂の正面には大きな提灯が下がっていた。境内を彩るドウダンツツジの赤が鮮やかだった。

    

幾つかある山門の一つ、その山門の石段はモミジのトンネルとなっている。紅葉の時期はもう少し先のようだ。

 山科と言えば大石内蔵助が思い出された。討ち入り前の三年を、この山科で過ごしたと伝えられているが、

この地のどの当たりだったのだろうか。京都近くのこの閑静な地であれば情報を伺いながら身を隠すには

好都合だったのかも知れない。そんな事を考えながら山科駅に引き返した。

勧修寺

 私達は山科駅から勧修寺(かじゅうじ)へ向かった。地下鉄小野駅で下車し、地図を頼りに町のはずれに

向かった。地図上では確か、この当たりだと思うのだが、塀の中に見えるのは鬱蒼と木々が茂った森だけで

あった。お寺らしい建物が見えなかった。後で分かったことだが、どうやらお寺の裏側をうろうろしていたよう

だった。

 やっと入口を探し当て、山門をくぐった。ここも大きなお寺だった。古くは、皇族にゆかりのあるお寺だった

ようで装飾瓦には菊が使われていた。庭には京都の銘木に指定されているいうシンパクや梅の木があった。

また、シンパクの中には水戸黄門が寄進したという変わった形の灯籠があった。紅葉が美しい穴場だと聞い

てきたのだが、ここも紅葉はもう少し先のようだった。

    

勧修寺の中庭には京都の銘木と言われるものが幾つかある。その内の一つが左の写真のシンパク。地面を覆うように広がっている。その中に埋もれるように変わった形の石灯籠がある。水戸黄門でお馴染みの光圀公が寄贈したものと伝えられている。

訪れる人も少なく、ひっそりとした園内の片隅にある二重の塔、珍しいお堂だ。

   

本堂は立派な建物だ。装飾瓦には菊が使われている。皇族ゆかりの寺だという印だろうか。境内にある大銀杏、既に散り始めていた。

醍醐寺

 私達はかなり疲れていた。寺巡りもここまでにしようかと思ったのだが、せっかくここまで来たのだからと

もう少し元気を出して醍醐寺を目指す事にした。醍醐寺は秀吉が醍醐の花見と称して壮大な花見の宴を

開いたところだった。

 私達は地下鉄醍醐駅で下りた。醍醐駅と住宅地は隣接していた。この巨大な住宅地が先にあったのか、

或いは交通の便の良いところに住宅地を作ったのか、とにかく利便性を考えた住宅地だった。駅の一角は

ショッピングセンターになっていて、お年寄りにも日常生活に不便を感じないようになっていた。駅出口の

案内板には、醍醐寺までの道案内があった。お寺は地下鉄醍醐駅から公営住宅地の道を抜け、公道を

少し歩いた山際だった。

    

京都の地下鉄の一角、このようにホームと線路の間は壁とドアで仕切られている。電車が止まるとドアが開く。

広い団地の中を歩いていくと醍醐寺への道に繋がっている。お洒落な石畳の道となっている。

 住宅地の中の道を抜け、公道をしばらく歩くと巨大な山門が見えてきた。参道入口には巨大な菊と桐の

紋章が刻まれた木製の大扉があった。菊の紋章は天皇家の印だろうが、桐の紋章は誰のものだろうか。

山門の両脇には仁王像が立っていた。下醍醐仁王門だった。

 入場料を払って中に入ると道は次第に薄暗くなってきた。両脇には杉や椎といった大きな木々が空を

覆っていた。その薄暗い道を抜けたところに五重の塔が建っていた。京都では一番古い木造建築だった。

壮麗な建築物で951年に建てられたものだった。国宝とのことだった。境内では若いお坊さん達が掃除を

しているところだった。修行僧達だろうか、行きすぎる人ごとに両手を合わせて挨拶をしていた。気持ちの

なごむような光景だった。

 この寺の境内もとても広かった。境内の一番奥には弁財天を祀った小さな赤いお堂があった。その手前

には林泉と言われる池があり、池には赤い太鼓橋が懸かっていた。例年なら真っ赤に紅葉したもみじが池

に映えてとても美しいのだと茶店の人が話していた。紅葉は今ひとつだったが、お堂や太鼓橋の朱が池に

映えて素晴らしい眺めだった。

 林泉の手前にある金堂も国宝だった。この日は運良く中に入らせて貰う事が出来、ご本尊も見ることが

出来た。

    

仁王様が両脇に立つ大きな山門の手前には菊と桐の模様が刻まれた門がある。

そして広い参道を歩いていくと醍醐寺の入口である山門に至る。

    

とてつもなく広い境内の深い森を抜けると忽然と姿を表す五重塔、そして更に歩いていくと大きな金堂が左手にある。

    

山近く、境内の一番奥にある弁財天をお祀りした小さな赤いお堂、その手前にある赤い太鼓橋、これらが池に映りとても美しい。       紅葉はなくとも絵になる景色だ。

右の建物はお坊さん達の生活しているところだろうか、ここも手入れの行き届いた庭がきれいだ。

 早朝からの長い旅の一日目は醍醐寺で終わろうとしていた。醍醐寺前のバス停でバスに乗り京阪電鉄の

六地蔵駅に向かった。ここから電車で宇治まで行って下車した。京阪の宇治駅は閑散としていた。既に日は

西に傾き、周辺は薄暗くなり始めていた。駅からタクシーを飛ばそうかとも考えたが、結局歩いて旅館まで

行く事にした。

宇治そして旅館

 宇治川に懸かる橋を渡り、平等院の門前町に入った。さすがに宇治茶の本場だけあって、お茶を売る店が

道の両側にずらりと建ち並んでいた。夕闇迫る町には香ばしいほうじ茶の香りが流れていた。

    

夕闇迫る宇治川の流れ、豊かな流れが印象的だ。平等院へ続く門前町は香ばしいほうじ茶の香りが流れている。

   

私達が宿泊した静山荘の遠景、そして早朝のロビー。

 町を抜け旅館街に入った。本当に閑静な町だった。通りを抜けたところに今日の旅館があった。靜山荘と

いう旅館だった。以前、テレビの旅行番組で紹介していた旅館だった。私達はインターネットで調べ予約を

しておいた。古い旅館だった。インターネットやテレビでは良いところだけしか紹介しない。そんなわけで想像

していたほど立派な旅館ではなかった。少しがっかりしたが、 まあ、こんなものかも知れない。

 早速、浴衣に着替えてお風呂に行った。私が入ってから、ほとんどの人は上がってしまった。大きなお風呂

に一人だけだった。程良い湯加減が今日の疲れを癒してくれた。部屋へ案内をしてくれた仲居さんの話では、

ここのところお客さんが多くて休みなしに働いているとの事だった。不景気だとは言われていたが結構な話だ。

それだけ世の中の景気も回復してきたのだろうか。それともテレビで紹介されたり、インターネットでの宣伝

効果だろうか。

 食事は部屋食だった。最近の旅行は、ほとんどホテルだったので久々のことだった。部屋食の欠点は何も

かもが冷えてしまっている事だった。せっかくの料理の価値が半減だった。旅の疲れもあってかビール一本と

冷酒二合で二人とも程良く酔ってしまった。

 酔うと疲れがいっぺんに出てきて眠くなってしまった。仲居さんが蒲団を敷いてくれるのを待ちかねたように

蒲団に潜り込んでしまった。心地よい酔いと疲れが眠気を誘い一気に深い眠りに落ちてしまった。

 寝る前の天気予報では、明日は急速に下り坂となり、午後からは雨がぱらつくかも知れないという事だった。

翌朝、ふとんから抜け出し、そっと窓を開けてみた。薄雲は出ていたが急に雨が降り出すような様子はなかった。

    

向こう岸へは宇治川の中にある島を通っていく。その島にはこのような大きな石塔が建っている。そして川沿いには川船が停泊している。 鵜飼い見物の屋形船だろうか。

    

商店街の手前にある観光案内所のきれいな庭と、その裏にある石畳の散歩道。桜の頃はさぞかし賑わう事だろう。

平等院鳳凰堂

 とにかく平等院だけは早めに見ておこうと言うことになり、朝食もそこそこに旅館を出た。園内には既に大勢の

人が来ていた。修学旅行生だろうか、女子高生達の一団が賑やかにはしゃいでいた。どう考えても、この混雑

の中で平等院を背景に写真を撮ることは出来そうになかった。また、広角でもない私のデジカメでは正面から

鳳凰堂全景を写すのは無理だった。そんなわけで両サイドからの写真ばかりになってしまった。

 園内の一角にミュージアムがあった。ここには鳳凰堂の壁に掛けられていた雲中供養菩薩像を中心に何点

かが展示されていた。手の形など表現豊かな菩薩様達の姿だった。あるものは踊り、あるものは楽器を奏でて

いた。また、ガラスケースの中には一対の鳳凰が展示されていた。今も鳳凰堂の屋根にはこれと同じものが

取り付けられているので、これは何だろうか。まさかレプリカではないと思うが。

 私達はこれらの展示を大急ぎで見て回り、鳳凰堂の中を見学すべく園内にある受付に行った。考えていた

時刻の入場券はすでに売り切れていた。仕方なく次の順番を待ってお堂の中に入った。女性ガイドがお堂の

歴史やご本尊である阿弥陀如来座像などについて詳しく説明してくれた。阿弥陀様の体にはまだ金箔が残って

いた。創建当時、お堂は朱塗りであり、金色燦然とした阿弥陀様と一体となって壮麗な美しさであったであろう

事が想像された。

 私はここを訪れるまでNHKで放映された朱塗りの美しい鳳凰堂を想像していた。しかし、今のお堂は中も外も

色が落ち木肌がむき出しになっていた。お堂の中にも色んな絵が描かれていたと言うが、今は退色してしまい

何が描かれていたのか分からなくなっていた。

 あの放送はCG画像というものだった。わずかに残っていた塗料や顔料を調べて、往事はこんな色だったの

だろうという想像で再現したものだったようだ。今から、現代の技術を持って修復出来ないのだろうか。かつて

の姿を再現出来ないのだろうか。このまま何もせずに古い木造建築のままで置いておくのは惜しいような気が

してならなかった。

    

朱塗りの山門をくぐると手入れの行き届いた庭がある。山門の脇には平等院と書かれた石柱が立っている。

    

鳳凰堂はどの角度から写しても絵になる。それだけ均整がとれた建物だと言うことではないだろうか。

手前にある池に建物の影を落として静かに建っている。

    

左は鳳凰堂を裏側から見たところ、鳳凰堂を背景に記念写真。

興聖寺

 鳳凰堂の周辺を何回も行きつ戻りつしながら名残惜しんでここを後にした。そして宇治川の中にある小さな島

に渡り、更に橋を渡って向こう岸に渡った。そして訪れたのは興聖寺だった。琴坂という長い坂道を登ると竜宮

のような門があった。琴坂は宇治でも有名な紅葉の名所だった。地元の人の話では、今年は紅葉が遅いようだ

と気の毒そうに話していた。例年であれば紅葉のトンネルを登るような坂道だった。この寺は曹洞宗のお寺で

道元が開祖とのことだった。時を知らせる鉦を撞く時間だった。若いお坊様が鉦を撞いていた。その姿が珍し

かったので、ご本人にお願いして一枚撮らせて貰った。

    

琴坂の一段高いところに建っていた石塔、そして竜宮城を思わせるような山門、琴坂は紅葉には今少しと言ったモミジに覆われていた。

    

山門を境内側から見たところ、広々とした境内の風景。

    

時を知らせる鐘を撞く若いお坊さん、右は境内の片隅にあったユズだろうか。

宇治神社、宇治上神社

 ここを後にして宇治神社、そして、その奥にある宇治上神社に行った。この日は七五三の日だった。きれいに

着飾った子供達がお父さんやお母さん、そして、おじいさんやおばあさん達とお参りに来ていた。宇治上神社は

世界遺産の一つだった。写真のように檜皮葺の独特の形をした屋根を持つ建物だった。

 私達は山裾の道を歩いて源氏物語ミュージアムに行った。しかし、時間の都合で中には入らなかった。そして

帰りの駅であるJR宇治駅に向かった。駅にはお茶の町らしいユニークな茶壺型のポストが置かれていた。

    

これも世界遺産の一つに指定されている宇治上神社、この下にある宇治神社とともに、この日は七五三で賑わっていた。

      

宇治上神社から源氏物語ミュージアムまでは整備の行き届いた散歩道になっていた。

そして、源氏物語ミュージアムは近代的な建物でその庭には源氏物語ゆかりの草花が植えられていた。

    

宇治川をまたぐ大きな宇治大橋、そしてJR宇治駅、宇治駅の前にはこのようなユニークな形の郵便ポストが置かれている。         いかにも宇治らしいポストだ。

再び京都駅へ

 こうしてお昼過ぎJR京都駅に着いた。そして地下鉄で四条まで行った。そこで降りて錦市場に向かった。ここは

京都市民の台所であり、この日も大変な賑わいだった。野菜、魚、漬け物等の店が狭い道の両脇に並んでいた。

突き当たりは錦天満宮だった。ここにお参りをして、再び同じ道を引き返した。おみやげを探すためだった。こう

して二日間の旅はあっという間に終わってしまった。

 帰りは新幹線で一気に岡山へ帰るつもりだったが、次の日が休みだったので、在来線の乗り継ぎで帰ることに

した。かくして今回の京都旅行は行きも帰りも各駅停車の旅となったのであった。

    

新築の京都駅、大きな鉄骨の構造物が珍しい。そして錦市場、小さな商店が狭い道の両脇に建ち並んでいる。                  この日も大変な賑わいだった。

    

錦市場の店頭には京野菜や漬け物が置かれている。いかにも京都の市場らしい品々だ。

    

市場の一番端、というよりは市場はここから始まっているのだろうが、錦天満宮がある。きらびやかなお宮さんだ。

感謝

 今回の紅葉を訪ねての京都旅行は、家内がインターネットを通じて計画したものです。その手助けをして下さった

のが、あるタクシー会社の方でした。人が少なくゆっくりと紅葉が楽しめる場所という、妻の希望に当てはまるような

コースを紹介して下さいました。時期的には少し早かったようですが、コースとしては申し分のないものでした。この

ページを借りて感謝いたします。ありがとう御座いました。

                                               2003年12月15日掲載

あの町この町のページへ戻る

ホームへ戻る