黒潮洗う小さき島「初島」

船は次第に熱海を離れていく

  静岡県熱海市の沖合12キロメートルに浮かぶ小さな島が初島である。私達家族4人(私、家内、娘と息子)の4人は

初島のリゾート施設「エクシブ初島」に向かっていた。さほど大きくはない連絡船は小雨に煙る熱海港を後にした。熱海が

遠く小さくなった頃から海は少し荒れ始めていた。弱い低気圧が通過中であったためだが、いつも瀬戸内海の池のように

穏やかな海しか経験のない私達にとっては、少しの揺れでも恐怖を感じてしまう。

 家内は私の腕をしっかりと掴まえて恐怖に耐えていた。長女は吐き気におそわれたまりかねて甲板に這い出していた。

完全な船酔いであった。そう言えばこんな思いをしたことが、かつてあった事を思い出していた。それはアメリカ旅行での

経験だった。観光地プロビンスからプリマスへ帰る途中のことだった。行きがけの穏やかさは打って変わって大波が

容赦なく船の前に立ちはだかり、さほど大きくはない連絡船はしばし立ち往生することが何度もあった。初めての経験で

生きた心地がしなかった事を思い出す。今回の揺れは、その時に比べれば「月とスッポン」と言っても良いくらいの差で

あった。

船から一望できる小さな島「初島」

 こんな思い出をたどっていると、やがて船の前には初島が見え始めた。小さな島である。この島は江戸時代から住民の

数を厳しく制限していたようだ。そのいきさつは港の待合所の側に立っている記念碑に書かれていた。この碑には本土

から水を引いた事績について詳しく書かれてあった。わずかばかりの井戸と雨に頼ることしか水を得る方法のなかった

この島では島民を養いうる水の量が島の人口を決めていた。

 島は元々漁業を生業とする生活であった。島の中央部の高台付近にはわずかばかりの耕地はあるが、とても全てを

賄うのに足りる量ではなかった。従って、アワビや伊勢エビと言った高級なものからテングサに至るまで多くの収入を

海に頼っていた。そして、近年になってリゾート地として再開発が行われ、民宿等へと姿を変えていったようだ。そうなると

水はますます大量に必要となる。静岡県はこの小さな島に、はるばる本土から水道を引いた。清流柿田川の水である。

 私達は港に着くとホテル差し回しのマイクロバスでホテルに向かった。ホテルは港からほんのわずかな距離のところに

あり、島の何分の一かを占めるような広大な敷地を要していた。中央の棟を中心に両翼を広げたような形で客室が

作られていた。私達は中央の建家の両サイドにあるエレベータ脇の部屋であった。中央の部屋が大きく両サイドに

広がる建家内の部屋は少し作りが小さいようだった。私達が二日間宿泊した部屋は独立したベッドルームが一部屋と

リビング兼ベッドルームとなった部屋がもう一部屋あるという、なかなか贅沢な作りの部屋だった。

   

エクシブ初島の正面建家、広々とした天井まで吹き抜けのロビー、周辺に部屋がある

 建物の中央棟は真ん中が大きな吹き抜けとなっていた。部屋は全てから海が見えるようになっていた。何度か食事を

した部屋は8階にあった。目の前には広々とした太平洋が広がっていた。私達の部屋には独立したバスルームとトイレ、

そして洗面所があった。しかし、部屋の風呂よりは大浴場の方ががぜん人気があった。ここは一千メートルの地下から

海洋深層水だという温泉を汲み上げていた。大浴場も8階にあり海に面していた。露天風呂もあって海からの風が大変

心地よかった。露天風呂に入っていると潮騒の音が後ろのガラス戸にぶつかって背中から聞こえてくる。この方向には

あの三宅島も伊豆大島もあるというのだが、遙か彼方で島影を望むことは出来なかった。

「初島」の生活と自然

 二日目の朝、露天風呂で見た日の出は海と空を真っ赤に染めて美しかった。この日が素晴らしい天気であることを

予感させていた。朝風呂を浴びて部屋に戻るとベランダで息子達が富士山が見えると言っていた。熱海市の背後にある

山の上にくっきりと雪を頂いた富士山が朝日を浴びて白く光っていた。この島に住んでいても何度も経験することはないと

いう富士山の美しい姿だった。私は早速カメラを持って富士山を撮影すべく島の中を撮影スポットを探して歩き回った。

ホテルの庭の小高いところが一番良い撮影スポットだと分かったのは、島内をさんざん歩き回ったあげくの事だった。

早朝の富士山、完全な雪化粧、この日は終日見えていた

 何枚か写真を撮ってホテルに帰り朝食をとった。朝食は二日とも8階の海が見える部屋であった。こういう時、人間は

どん欲になるものだ。みんな普通の日の朝食では絶対に口にしないほどの量を食べた。私は前日の夕食で食べたものが

応えたようであまり食欲がなかった。家内と子供たちは結局食べ過ぎで昼食は抜きだった。ちなみに夕食は第1日目が

日本料理、第2日目が創作料理(洋食)だった。

   

パターゴルフに興じた家族、夕食時の一こま

 朝食後再び散歩、私は途中で三人と別れて、もう少し島の中を歩いてみることにした。港のある側を表とすれば、この

表側には島の斜面を埋めるように民家や民宿が軒を連ねていた。港から左側には観光客相手の土産物屋や食堂が

ずらりと並んでいた。これらの店先には水槽が置いてあり、生きた魚が客を待っていた。食堂街の先には、これから

スキューバーダイビングをする大勢の人で賑わっていた。どうやら素人相手の教室があるようだ。港の中の水は澄んで

いた。その中を熱帯魚と思われるような魚がたくさん群れていた。この当たりは黒潮が入ってくるようで外洋の魚も

いるらしい。格好のダイビングスポットなのかも知れない。

ずらりと並ぶ観光客相手の魚料理を専門とする食堂

 島の裏側には私達が宿泊しているホテルがあり、初島灯台があり、放送中継用の大きなアンテナが立っていた。

灯台の周辺は初島バケーションランドといいゴーカートや熱帯植物園がある。園内には自生種だという見上げるような

ビロウジュが立っており、ブーゲンビリアや竜舌蘭、蘇鉄といった植物から、ゴムの木、ユッカ、カポック、沖縄の代表花

でもあるデイゴ、カナリー椰子、巨大な団扇サボテンや柱サボテンが所狭しと植えられていた。

    

11月だというのにブーゲンビリアが咲いている、熱帯植物園の風景、海岸の松林(石蕗の花が満開)

 先に帰った三人と合流しパターゴルフに興じた。ホテル関連の施設としてはジョギングコースやテニス、クルージング

などが出来るようになっている。クルージングは希望すれば船を出してくれるし、魚釣りも出来るようだ。但し有料では

あるが。

 私は午後も島内を散歩した。先程の熱帯植物園を抜け、島内の唯一とも言える畑のほとりに立っていた。畑には

大根や蕪と言った野菜が葉を茂らせていた。しかし、多くは収穫し終わった後だった。畑の周辺には自生に近いような

アロエをたくさん見かける。温暖な気候のせいか全てが蕾を付けている。畑にいる老婆に声をかけてみた。聞くところに

よるとアロエはもう何年も前に買い取る業者があって、島内一斉に栽培していたことがあったとのことだった。その業者

がどうなったのかは分からないが、今は引き取り手もなく放っておかれたものが生き残り、野生のようになっているとの

事だった。その名残が島内のあちらこちらに蕾を付けているのだ。

松林の中には石蕗の花や菊科の花が咲き乱れていた

   

道ばたの石垣に垂れ下がるアロエと林の中で見つけたアシタバの花

   

それぞれに名前はあるのだろうが、色とりどりの実が美しく珍しい

 老婆の話によると、この島では二月にわずかばかりの霜の降りる日があるくらいで、周辺を流れる黒潮により亜熱帯

に近いような気候らしい。島は石蕗の花盛りだった。野菊に似た可憐な花も咲いていた。赤い大きな実は何の木だろう。

さらば「初島」

 帰る日には再び雨が降り始めた。息子を東京に送り返した後三人でMOA美術館に行った。実に壮大な建物であった。

館内には能舞台があり、秀吉が作ったという金の茶室が再現されていた。丁度、特別展と称して琉球王朝の尚家に

伝わる品々の展示会があった。美術館を外に出ると目の前に熱海の海が広がり彼方に初島が小さく見えていた。

美術館の横には美しい日本庭園があり、吾妻家風の茶室や日本料理の店があった。MOA美術館をあとにする頃には

雨も上がり、晩秋の柔らかい日差しが差し始めていた。

 わずか二泊三日の短い旅であったが、久々に親子四人が揃っての楽しい旅であった。

    

長い階段を上りきるとMOA美術館の大きな建物がある、美術館に至る長い長い階段、幻想的な照明が印象的だ

    

美術館の脇にある緑美しい日本庭園、紅葉はこれからのようだ

あこがれていた「柿田川」

   

柿田川の清流と園内の貴船神社に立っていた「水五訓」

 ここで第1日目の旅を少しだけ振り返っておこう。私達は新幹線で三島に着いた。三島駅からバスで柿田川に向かった。

ここは富士山に降った雨や雪が長い時間をかけて湧きだしているところである。おびただしい水量の水がこんこんと

湧きだしていた。井戸がいくつかあるのだが、水の色とはこんな色だったのかと思わせるような青く澄んだ神秘的とも

思えるような色であった。私達がのぞき込んでいる源流付近にはたくさんの魚が群れていた。全てが鮎だとの事だった。

柿田川と繋がっている狩野川から上ってきたものだいう話だった。一年の内、数日しか見られないという珍しい出来事

だったようだ。鮎はここでつがいとなるべき相手を見つけ川を下って卵を生むのだという話だった。

   

水とはこんな神秘的な色をしているのだろうかと、それくらい青く澄んだ水、源流に集まってきた無数の鮎たち

 園内の食堂で昼食を食べ、北斎展を開いている佐野美術館に向かった。この頃から雨は少し激しくなってきた。タクシー

の運転手さんは九州から出てきたという女性だった。この周辺も随分変わったと話していた。しかし市内も少し郊外に

出ると田圃が残っている。

 佐野美術館の入り口は立派な日本庭園となっていた。時間がなかったので通り過ぎただけの庭園だった。庭園の裏は

美術館の建物だった。葛飾北斎は十九歳で勝川春章に師事し、以来、九十歳で亡くなるまで絵筆を持ち続けた絵師だ。

描いた絵の中には代表的な「富嶽三十六景」をはじめとして、多くのシリーズものを残している。また「北斎漫画」として

知られている身近にあるあらゆるものを絵の対象として残し、飽くなき絵への執着心を生涯持ち続けた絵師でもあった。

北斎の絵は国内だけでなく多くは海外にも持ち出され、ヨーロッパの絵画史上にも大きな影響を与えたと言われている。

今回の特別展は「画狂人北斎」と名付けられ、東海道400年祭を記念する特別展でもあった。

 絵画展を見終わった私達は大急ぎで熱海に向かった。息子との待ち合わせの時間が迫っていたからだ。


初島の概要

熱海市の沖合12キロにある東西1.2キロ、周囲約4キロ、定期船で25分

黒潮の影響を受け亜熱帯性気候、自生の亜熱帯植物、近隣の海には熱帯魚も

民宿は39軒、観光と漁業の島

観光は初島灯台、初島バケーションランド等

あの町、この町のページへ戻る

ホームへ戻る