春の遺跡見学会(縄文から古墳時代へ)

 2004年5月9日、この日、家を出る頃には雨が降っていた。その雨も参加者の受付を済ませ観光バス

に乗る頃から小止みになり、笠岡に着いた頃にはやんでいた。その後、曇り空ではあったが雨には一度も

会わなかった。恵まれた遺跡巡りの日だった。

 いかに縄文時代が温暖で食べるものも多かったとはいえ、貧弱な狩猟具などでは獲れる獲物にも限度が

あったに違いない。食べるものにも事欠くような時、縄文人達はどんなにして飢えをしのいでいたのだろうか。

当時は採取生活が主であったから、タンパク源の多くを海に依存していたのではないだろうか。とは言え、

大量の魚を獲るには道具が貧弱であり、その点、貝は採取しやすかったに違いない。従って、多種多様な

貝が食べられていたようだ。

 それが各地に残る貝塚である。いずれの貝塚にも色んな種類の夥しい貝殻が捨てられている。その貝塚の

一つが、笠岡市にある津雲貝塚である。この貝塚のそばからは、当時としては珍しいほどたくさんの人骨が

発掘された。これら人骨がどのような経緯で同じ場所に葬られたのか、また、埋葬がどの時代からどの時代

までのものなのか定かではない。縄文人の人骨は全国的にも少なく、それだけに貴重な発見だった。

 今は畑として利用されている場所の道路縁に津雲貝塚の案内板が立っている。案内板には、この貝塚が

発見された経緯や発掘された際に掘り出された副葬品、人骨に見られる抜歯の習慣などについて書かれて

いる。

 この場所からそう遠くないところに海がある。その海は天然記念物で有名な笠岡湾である。当時はこの

場所のごく近くにまで海がせまっていた。江戸時代以降干拓され、今は畑や田んぼになっている。周辺は

山に囲まれていて、一方が海に向かって大きく開けた場所だった。彼ら縄文人が住む場所としては最適の

場所だったに違いない。

    

貝塚だった場所に散乱していた貝の一つ。

今は畑になっているが、この場所で人骨が発見された。

    

周辺を見回すと後ろが山、前は田んぼという地形であるが、古くは発掘場所近くにまで海だった。

この貝はモガイに似ているが、今、この近くの海にモガイ等はいない。

 私達はここで発掘された人骨や埋葬品を見るために再びバスに乗って笠岡市立郷土館へ行った。休館日

だったのか、私達が郷土館に着いてから管理人の人が戸を開けてくれた。これから行く予定である関戸廃寺

跡から発掘されたという瓦などとともに、津雲貝塚の人骨や埋葬品が展示されていた。また、珍しい展示品

として笠岡沖の海底から引き上げられた「戈=か」という武器や大飛島から発掘された祭祀品などがあった。

 ここを後にして次には関戸廃寺跡に行った。ここは周辺を田んぼに囲まれ、近くの山の麓には神社のある

ような場所だった。遺跡には境内に聳えていたであろう塔の礎石が残っていた。かなり大きな礎石だった。

発掘調査によると、たくさんの蓮華紋の瓦が発掘されたようだ。これらの発掘品から推定するとかなり規模

の大きい寺院であったようだ。

津雲貝塚から発掘された人骨や骨器が展示されている。

また、笠岡沖の海底から引き上げられたという青銅の武器(銅戈=どうか)

この武器は日本で作られたものではなく古代中国で作られた珍しい青銅器

    

関戸廃寺跡の遠景、今、周辺は田んぼになっている。

また、塔の芯柱の礎石(穴の中には仏舎利が入れられていたらしい)

 そして、次に向かったのは、かさおか古代の丘スポーツ公園だった。ここで昼食をとり、午後近くにある

長福寺裏山古墳群を見学した。食事を終わった頃から薄日も射し始めた。ここには6箇所の古代遺跡が

あった。手前から七つ塚古墳(現在確認されているのは4古墳のみ)、培塚を持っている双つ塚古墳、竪穴

住居跡、一つ塚古墳(小さな古墳)、仙人塚古墳(上下二段に埋葬された古墳)、東塚古墳(立て真二つに

断ち切られた古墳)と並んでいる。

 今は周辺の木々や竹が切り払われ道も整備されて見学しやすくなっている。これら多くの古墳はすでに

盗掘にあい多くの遺物を失っている。残念な事である。それでも何点かは現存しており貴重な学術資料と

して保管管理されている。

    

笠岡古代の丘スポーツ公園の中に立つ展望台にて。

公園の中央にある広い通り。

長福寺裏山古墳へと続く山道(きれいに整備されていた)

古墳群の位置と古墳の名前を書いた看板

    

まず最初にあったのが七つ塚古墳(発掘調査されたのは4基で他は不明)

そして右の写真は比較的大きな双つ塚古墳

竪穴式住居跡(維持管理が大変なので建物は再現されていない)

発掘調査時の様子と復元図

仙人塚古墳とその入口(この古墳は上下二層という珍しい構造だった)

東塚古墳(この古墳は縦方向にばっさり削られていた。今は元の姿に復元されている)

仙人塚古墳の手前にあった一つ塚古墳(小さな古墳だった)

古代の丘スポーツ公園から見下ろした笠岡の盆地

そして公園全景

 真備町の天狗山古墳にもいく予定であったが、昨夜の雨で足下が悪くなっているのではないかということで

中止になった。その代わり鴨方郷土資料館を見学して帰った。ここには土器などの発掘品とともにかつての

重要な地場産業だった麦旱真田の製造工程やそうめんの製造工程などの展示があった。

麦旱真田作りはこの地方の重要な産業だった。

こうして農家の庭先で手内職が行われていた。

また、この地方は古くからソーメンの産地でもあった。

                                                 2004年7月13日掲載

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