畑に立っていると不思議な充足感がある。何故だろうか。以前、農業の喜びについて書いた本を読んだことがある。

その本には、確か、こう書いてあったように思う。「農業は楽な仕事ではない。しかし、その苦しさも、日に日に成長する

作物を見ていると、少しずつ癒されてくる。やがて収穫の時が来る。収穫の時こそは農業をやっていて良かったと感じる

至福の時である。」本業でなく、農業を趣味にしていている私のような者でさえ、収穫の喜びは格別なものである。

ましてや、専業の農家にとっては、何ものにも替え難い喜びの時ではないだろうか。

 農業は、天災に泣かされることも少なくない。しかし、手を尽くせば尽くすほど、作物はきちんと応えてくれる。農業には

「足音が何よりの肥やし」だと言った人がいた。つまりは、畑に足繁く通い、手を尽くせば尽くすほど、作物は良く出来ると

いう事を言い表した言葉である。

 農業は一発勝負ではない。長い年月の積み重ねが、成果となって現れてくる。その点、漁業や狩猟は一発勝負に近い。

それは獲物である魚や動物が野生のものであるという事もあるだろう。運良く獲物である魚と出会えば、大漁間違い

無しだ。その代わり、当たり外れも多い。その場所へ行けば必ず獲物にありつけるとは限らない。俗な表現をするならば、

博打のようなところがある。

 よりどころとするところの生活の違いは、生活感にも決定的な差を生むことになる。誤解を恐れずに言うならば、狩猟民

や漁民は刹那的な生き方や、ものの考え方をするようになる。いきおい、気性も荒々しくなってくる。大漁に湧くときも

あれば、不漁に泣くときもある。一網何百万と言うような時もあるし、一匹のマグロが何百万という時もある。

 しかし、農業に一発勝負はあり得ない。辛抱に辛抱を重ねて、やっと収穫期を迎える。収穫だと言っても一攫千金

のような事はない。従って、農業に取り組むものは地味で我慢強い。梅雨の長雨、夏の日照り、秋の台風等、気象や

お天気に泣かされることも少なくない。それでも、へこたれることなく、辛抱強く頑張っている。その辛抱の先には、

収穫という楽しみが見えているからだ。自然は過酷ではあるけれど、反面、ほほえみや優しさを見せてくれる。

 農民には、どっかと大地に根を下ろした大木のような力強さと、ふてぶてしさがある。その自信はいったいどこから

来るものなのだろうか。私は、そのふてぶてしさこそ、大地に生きるものの力強さだと思っている。土に生き、土に

死んでいくものは、大地の匂いをかいだだけで、心が落ち着いてくる。何となく、心安まるからだ。今日も私は畑に

立っている。春の匂いが感じられ始めた畑に立つと、不思議な充足感を感じる。私自身も自然の子であり、生かされ

ているのだという思いを強く感じる。私も又、大地の子なのだと。


日本人は基本的には農耕民族ではないだろうか。国の四方を海に囲まれ、文献などによると

海部(あま)の末裔などとも言われているが、昨今の縄文遺跡等を見ると、単なる狩猟民族では

なかったことが良く分かる。彼等は定住し、食物を栽培し、それを生活の糧にしていた。従って、

狩りをしながら山野をさまようのではなく、一定の場所に定住し、半農半猟のような生活をして

いたのではないだろうか。従って、思想的にも古くから農耕民族の思想であった。自然を敬い

自然のあらゆるものを神として祀っていた。森の巨木や大きな岩は素朴な信仰の対象だった。

 こういった事を見てみると、家畜の餌を求めて、砂漠をさまよう遊牧民とも違うし、他のものを

略奪して生活の糧としてきたバイキング等とも異なる。ましてや、弓や槍を持って獣を追いかけ

る狩猟民とも根本的に異なる。土を耕し、土に依存して生きてきた農耕民族そのものの姿を

見ることが出来るのである。

 生活の基本が異なると、思想的にも大きな隔たりが出てくる。従って、政治や経済のあり方

にも違いがあって当然だと思われる。アメリカは農業国だと言っても、それは移民をしてきて

以来のわずかな歴史である。彼等の農業に対する考え方は、工場と同じような生産性を重視

するような考え方である。底流には狩猟民であった白人種の考え方が流れているように思わ

れる。ユダヤ人などの遊牧民には家畜の餌を求めて移動するという、一カ所に定住しないで

生きてきた生活スタイルが基本である。その生き方はやはり大地に根を下ろして生きてきた

私達農耕民族とは、どこか異なるところがあっても当然だと言える。その思想はユダヤ教や

キリスト教などの中に生きている。仏教は森の宗教だと言われている。不毛に近い草原地帯

や不毛の砂漠と異なり、緑豊かな大地である。自然崇拝が宗教であった日本人に、比較的

抵抗なく受け入れられたのは、思想的に、どこか共通する部分があったのではないだろうか。

いずれにせよ、私達は先祖代々、土に生まれ、土に生き、土に帰っていった民族である。

                                            2001年3月18日掲載

今の世を生きるのページへ戻る

ホームへ戻る