友歩会常山登山

今回、同行した友歩会のメンバー、新しい仲間も三名加わった。

山頂の駐車場にて

 岡山県の灘崎町にある常山には、かつて山城があった。常山の標高はわずかに307メートルであるが孤立

峰である。それゆえに戦国時代にあっては堅固な山城であり重要な戦略的拠点でもあった。城主は上野肥前守

隆徳であった。上野隆徳の妻を鶴姫と言った。鶴姫は備中松山城主、三村元親の妹であった。従って、三村

元親と上野隆徳は義兄弟であり、常山城は三村一族にとって重要な前線基地であった。

 三村と毛利が敵対関係になったときに悲劇は始まった。毛利の小早川軍が常山城に迫ったとき、隆徳の妻

鶴姫と侍女34名が、死を覚悟して敵将浦宗勝に一矢むくいんとして戦いを挑んだ。しかし多勢に無勢、あえなく

全員が討ち死にをしたという逸話が残っている。この城は備中松山城主三村氏の最南端に於ける最後の城で

あったが、この城の落城をもって三村氏一族はことごとく滅んでしまった。時に天正三年六月のことであった。

 この戦いの悲哀と悲惨さは鶴姫伝説として後の世まで長く語り継がれた。その顛末は児島の郷土史家で

あった角田直一さんが備中兵乱「常山合戦」として書き残されている。けだし名文であるので単に歴史を知ると

言うだけでなく一読を勧めたい本である。

哀史秘め城の址なるこぼれ萩

離れたところから見た常山、山頂に鉄塔が立っている。

ファーマーズ・マーケット前から撮影

 さて、常山には実に三十数年ぶりに登った。三十数年前に登ったときは冬であった。道には薄雪が積もって

いた。雉が飛び立つ羽音に驚かされながら登った記憶がある。季節が冬だったせいもあって、山中は何となく

薄暗く陰鬱な感じであった。以来、霊気漂うような何となく近づきがたい感じがして登った事がなかった。

 今回は友歩会の企画として常山登山を計画した。標高は307メートルではあっても、緩やかな登山道は上り

下りを入れると優に一万歩を超える距離であった。駐車場から山頂に至る道にはたくさんの桜が植えられて

おり、花の頃にはさぞかし美しい景色ではなかろうかと推察された。

 今回の友歩会は9月26日であった。九月末とは言えたいへん蒸し暑い一日であった。山中はヤブ蚊が多く、

これにはみんな閉口してしまった。ヤブ蚊に悩まされながらも、時折、秋の訪れを教えてくれるかのような萩の

花やホトトギスの花等を見ながら山頂を目指した。山の斜面には秋の味覚であるアケビがたくさんぶら下がって

いた。私達の子供の頃は競って取りに行ったものであるが、今の子はそんな事はしないようだ。

石仏の赤きエプロン萩の風

    

登山道にはこのような石仏がたくさん祀られている

登山道途中で撮影した国道30号線方面

    

虫に食われた山柿がすでに赤く色付いていた。

登山道は舗装されたなだらかな坂道だ。

    

さして大きな山には見えないが、人工の杉林、そして雑木林や赤松林など色んな姿を見せてくれる。

    

イタドリの花と実、よく見ると結構きれいだ

    

ミヤギノハギとイヌタデの花、いずれも素朴で可憐な花である

    

千人岩と千人岩から眺めた景色

千人岩は常山合戦時城方の退路遮断のため敵方が千人の兵を配したと言われている

 山頂には大きなテレビ塔が二基立っている。周辺に電波を遮るようなものがない常山は、中継所としては絶好

の場所なのかも知れない。そして、今も地元の人達によって手厚く祀られている上野肥前守隆徳とその妻鶴姫、

そして一族郎党の墓があった。今も地元の人達によって手厚く祀られている。山頂の広場にも大木となった

染井吉野が大きく枝を広げていた。

    

登山道から山頂を仰ぐとこのような鉄塔が立っている

ネズミモチの実、これから冬にかけて濃い紫色になる

    

里に近い山には珍しいホトトギスの花

右の花はオトコエシ(男郎花)だろうか

    

山頂付近にはこのような石仏がたくさん立ち並んでいる

色んな形をした菩薩様である

    

上野肥前守隆徳とその妻鶴姫、そして一族や鶴姫に付き従った侍女や郎党の慰霊碑

霊を慰めるため地元の人達によって後の世に立てられた

山頂から少し下ったところにもこのような石仏が祀られていた

 私達はヤブ蚊の襲来を避ける意味もあって展望台で食事をとった。しかし、この程度の高さではヤブ蚊の襲撃

を避けることは出来なかった。手足をぼりぼり掻きながら弁当を食べた。

 この山は上野氏の霊を祀るだけでなく信仰の山でもあった。山道にはたくさんのお地蔵様が置かれていた。

そして小さな空き地には横一列に並んだ石造りの観音様が安置されていた。石仏のお顔は優雅であり身を

くねらせた横座りの姿は、なまめかしさすら感じさせるものであった。

 秋とは言え蒸し暑い一日だった。天気予報は雨だったが一日良い天気だった。みんな心地よい汗を流して

散会した。

    

昼食後、山頂の上野隆徳公の石碑の前で記念写真

右は隆徳公が切腹した場所で腹切岩と言われている

    

山頂にある展望台から遠く児島湖方面を撮影

かつて惣門丸という櫓があったところから眺めた景色

    

惣門丸址には水引草が生い茂っていた

この石仏の何というたおやかな姿だろう

    

小さい写真なので分かりにくいと思うが城跡の図面である。天守閣を中心に逆「く」の字形に櫓が建てられていた

右は秋の訪れを感じさせてくれる萩の花

    

左の花は今の季節よく見かける花である。花が終わると紫色の実を付ける。花には特有の芳香がある

右は俗にヤマゴボウと言われている草の花だ。この花も後には赤紫の実を付ける

    

山裾にある駐車場近くから眺めた景色

駐車場には大木となって大きく枝を広げた染井吉野が林立している


備中動乱「常山合戦」  著者 角田直一 発行所 山陽新聞社

常山城主  上野肥前守隆徳については残された書物によって様々に書かれている。ここでは城跡にある

石柱と同じ「上野肥前守隆徳」とした。角田さんは三村上野介高徳としておられる。

                                                2004年10月6日掲載

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