人生に浮き沈みは付き物だ。相撲部屋を見ていると良くわかる。ほんの少し前までは二子山部屋が日の出の勢いだった。

しかし、若の花と貴の花兄弟の仲たがいが始まった頃から、かげりが見え始めた。そして若の花の引退。一時の勢いは影を

潜めてしまった。今は武蔵川部屋が上り調子だ。一横綱三大関というからすごい。

 相撲はスポーツと言うよりは歌舞伎などと同じようにショーに近い。だから勝った負けたと言うよりは、いかに人気力士を

たくさん作るかという事が、その部屋を大きくする。従って、人気力士をたくさん作るために競争しているわけだが、どんなに

勢力を張った部屋でも、いつかは必ず翳りがやって来る。

 何故だろうか。それは人間の集団であるからに他ならない。人間にはお互いに欲がある。欲があるから、妬みやそねみが

出てくる。人間関係がぎくしゃくしてくる。集団が保てなくなる。こんな図式でだんだんに集団は崩れていく事になる。

 陰があれば必ず陽がある。沈むものがあれば浮かぶものがある。じっと我慢して精進していると、必ず日の目を見る

時が来る。栄枯盛衰は世の習いなのである。

 さて、人間というものは欲の深いものである。一つの欲望が満たされると、次の欲望が頭を持ち上げてくる。果てのない

欲望との競争が始まる。こうなると正に地獄だ。お互いに程々ということを知らなければいけない。満たされるものがあれば

失うものも多い。人間という器が小さいからだ。金持ちにあこがれて金を握ると手放すのが惜しくなる。そして、更に金が

欲しくなる。

 金が縁で結ばれていたものは、金の切れ目が縁の切れ目となって離れていく。金に執着しすぎると、貧乏だった時には

仲の良かった友達も離れていく。金を得た代わりに、かけがえのない友達を失ってゆくのである。

 小渕さんの様に政治家としての最高位に上り詰めた人は、地位というものを手に入れて、自分というものをなくして

しまった。得るものがあれば必ず失うものもあるというのが、世の常なのである。貧乏だからといってくよくよすることはない。

それ以上失うものがないからだ。失うものがなければ、鍵を掛けて守る必要もない。貧乏人には何者にも拘束されない自由

がある。無位無冠のものには誰にも遠慮することのない自由がある。

 社長さんになると多くの社員の生活を支える義務があるから、片時もその任務をおろそかにすることは許されない。

地位ある立場に立てば、その責任は大変重い。しかし、その自覚のない人が大変多いのも今の世の中なのだが。

 クリントン大統領は世界最高位の地位を手に入れたが、モニカ嬢とのスキャンダルで、すっかり私生活を暴かれて

世界中に恥をさらした。一介の市井人であったら、何でもないことだった。せいぜい夫婦喧嘩くらいで済んでいた事だろう。

 人間は有史以来常に豊かさ、快適さを追求してきた。結果はごらんの通りである。豊かさを手に入れて、史上最大の

危機を目前にしている。豊かさ、快適さは追求すればするほど、その代償は大きい。最早、のっぴきならないところまで

来ていると言っても過言ではないのではなかろうか。

 アメリカは史上空前の好景気に沸いている。いつまで続くのだろうか。しかし、物事に終わりのないものはない。いつかは

終止符を打つときが来るはずだ。そのショックはとてつもなく大きいと言うことを覚悟すべきだろう。いつの時代も快楽の

代償は大きい。(2001年9月11日、同時多発テロという事件が起きた)

 心配性のものは常に周りに細心の注意を払いながら生きている。従って、大きな失敗や敵を作ることはない。その代わり、

大きな飛躍もなく、時には自分を激しくせめて、自分自身をもだめにしてしまうこともある。楽天的なものは周囲への配慮が

足らないから、敵を作ることも多い。楽天的な事は物事にこだわらないから、生きていくことが楽しい。常に前向きに生きて

いる。しかし、うっかりして落とし穴に落ちてしまうこともまた少なくない。

 人間というものに完全ということはない。いずれどちらかに偏っている。不完全なもの同士が寄り集まって不完全なところを

補い合って生きているのが人間社会である。何事にもとらわれず心豊かに自然のまま生きていけたら、どんなに幸せ

だろうか。欲を超越し、自分自身を客観的に見ることが出来るようになったら、生きてゆくことが、もっと楽になるのではない

だろうか。そんなとりとめもないことを考えながら生きている昨今である。

                                                  2002年2月11日修正掲載

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