2002年冬季オリンピックを振り返って

 アメリカのソルトレークシティで開かれた冬季オリンピックが終わりました。色んなところで取り上げられていますように

多くの問題を露呈したオリンピックでした。

 さすがに日本選手団は長野オリンピックの時のように、多くのメダルを手にすることは出来ませんでした。メダルは銀と

銅の各一個でした。それでも多くの種目で入賞を手にしました。長野の栄光を頼みに新人の発掘や養成が少なく、どちら

かというと受け身の体制であったことも、メダルを逸する原因だったのではないでしょうか。

 何人かの外国の選手が薬物検査でメダルを剥奪されたり、日本や韓国のスケートの選手が妨害もしていないのに失格

にされたり、フュギアスケートでは外部圧力で採点に手心を加えたりと色んな事がありました。そんな中での入賞はメダル

には届かなかったとはいえ立派な事です。まずは日本選手団の皆さんに、ご苦労さんと申し上げておきたいと思います。

 オリンピックへは政治を持ち込まないと言うのが大原則でしたが、開催地がアメリカであり、かつ同時多発テロ後という

特殊な事情もあって、非常に政治色の濃いオリンピックになったのは大変残念な事です。まして冬季オリンピックの参加国

は非常に偏っています。ただでさえ選手を養成し送り出すのには大変な費用がかかります。特に練習という面から見れば

雪や氷のない国では実質練習すら出来ないのですから参加自体が無理な話なのです。今日、日本国内では選手を養成

するために、スポンサーとしての企業の支援なしには不可能です。また、個人的にも大きな経済的負担が必要です。日本

も豊かな国になったからこそ出来ることではありますが、開発途上国等はどうあっても無理な話ですから、不平等な大会

だと言わざるを得ません。その意味から言えば、オリンピックを提唱したクーベルタン男爵の理想とは、ほど遠いものに

なってしまったと言わざるを得ません。

 スポーツですから、まるきり分や秒を競わないというのは面白くありませんが、だからといって今のままで良いとも言え

ません。人間の持つ能力には自ずと限界があります。また、白人と黄色人種である私達とは体力という面から基本的な

差があります。体力の差を埋めるものは技量でしょうが、タイムがここまで肉薄してくると、なかなか技量で体力の差を

埋めるというのは難しいようです。最終的には体力に勝るものの方に利があると言うことになります。 その点、スピード

スケートの清水選手の記録は大変立派という他はありません。彼のたゆまざる努力のたまものだということが出来ると

思います。里谷選手のモーグルの銅メダルも立派なものです。技量が体力を上回った結果と言うべきでしょうか。

 そして、ジャンプ競技のように本人の技量や努力だけではなく、着ている競技用のスーツにも関連してくると言います

から、選手達を支えるスタッフやその周辺にまで厚い層が出来ていなければ、良い記録は生まれないと言うことになり

ます。選手の養成すら出来ない国々では、とうてい参加は無理だということになってしまいます。

 外国の選手の中には筋肉増強剤や持続力を増す薬を使っているものもいるようです。今回の大会でも金メダリスト

の中にそんな人がいて、金メダルを剥奪されてしまいました。何故そこまでしなければならないのでしょうか。金メダル

を取れば英雄になり将来の生活が保障されたり、アメリカのフィギアスケート選手のようにコマーシャル代だけでも何億

という収入が保証されるといった、商業主義にスポーツが乗っかっているような事情もあるようです。

 そのことが良いことなのか悪いことなのか判断に苦しむところですが、それがために薬物まで使用するとなると何が

オリンピックかと、本来のオリンピック精神を疑いたくなるのも事実です。もっとスポーツを楽しむようにはいかないので

しょうか。そして、スポーツこそ何ものにもとらわれることのないよう常にフェアであるべきです。フュギアスケートのペア

で意図的な採点が行われたり、走行妨害もしていないのに失格にされたり、その上、抗議を無視し、ビデオ画像すら

はねつけるようでは決してフェアだとは言えないのではないでしょうか。とにかく、今回のオリンピックはソルトレークの

名前そのままにからくほろ苦いものであった事は間違いないようです。

                                                  2002年3月17日掲載

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