この不況はどこかで歯止めをかけないと深刻さを増すばかりです。不況が不況を呼ぶといった悪循環を繰り返している

からです。昨年の暮れ忘年会の時、倉敷駅前周辺を歩いてみました。多くの商店が店を閉め貸店舗の張り紙が貼って

あるのです。倉敷の駅前商店街といえば、いわば倉敷の顔に当たる繁華街です。ところが忘年会シーズンだというのに

その賑わいはほとんど感じられません。私達が高度経済成長に浮かれていた頃、12月と言えば街には活気が溢れ、

買い物客がたくさん押し掛けていました。クリスマスそして正月と続くこのシーズンは消費が最高潮に達する時期です。

地方だけの現象かも知れませんが実に由々しき状態だといっても過言ではないような気がします。

 何故こうなるまで手を打たなかったのか、何故こうなるまで問題を先送りしてきたのか。悔やまれることばかりです。

みんな事の成り行きをあまり心配していなかったからかも知れません。どうにかなるだろうくらいにのんびりと構えて

いたのかも知れません。今は先の見えない暗闇の中にあります。

 では、この状況を解消する方法はないのでしょうか。物事に不可能ということは絶対にありません。必ず解決方法は

あるはずです。それは決断さえすれば簡単な事なのかも知れません。昔の生活を振り返ってみますと誠にシンプルで

質素でした。あの花のお江戸でさえ自給自足に近い生活をしていたのです。確かに地方からお米やその他の生活物資は

持ち込まれてはいましたが、今の東京に比べれば大きな隔たりがあります。江戸近郊の多くは農家であり、そこで作られた

野菜や生活必需品は、近くの大きな市場である江戸に運ばれていました。そして消費地の江戸で出てきた廃棄物は農村に

持ち込まれ消費されていました。人間の出す糞尿は農家の大切な肥料でした。かまどの灰でさえ様々に利用されたの

です。紙も何度も姿を変えて再使用されました。襖の下張りは手習いなどに使った和紙が大半でした。こうして捨てる

ことのない循環型の社会が出来上がっていたのです。

 地方はどうだったのでしょう。塩などの特定地域でしか作ることの出来なかった物は買っていましたが、その他は大抵

自給自足でした。味噌も醤油も豆腐もこんにゃくもみんな家で作っていました。私の母の実家は山間部の小さな村でした

から、つい最近までこんな生活でした。子供達のおやつはサツマイモを蒸かし輪切りにしたものを天日干しにして保存して

いました。「芋するめ」と言っていました。つい最近まで冬になると送ってきてくれていました。懐かしい味です。夏場は

獲れた鮎を焼いて藁づとにさして乾燥させ、必要なときにお汁のだしや煮物に使っていました。

 子供の頃には小さな店が近所にたくさんありました。薬屋さん文房具屋さん、八百屋さん、雑貨品店、化粧品屋さん、

傘屋さん、下駄やさん、酒屋さん、呉服店、洋品店、花屋さん、醤油屋さん、米屋さん等々です。全てが小さなお店で

したが、大抵の生活用品は近くの商店で買っていました。時々、福山の天満屋(地元における唯一の百貨店)に行くのが

ちょっとした贅沢な買い物でした。

 花屋さんは近所の八百屋で今晩のおかずを買います。八百屋さんは下駄屋さんで正月用の下駄を買います。こうして

持ちつ持たれつ、お互いの生活を支え合ったのです。お金は大半が地域で循環しました。お店を持たないものは地元の

織物工場や染工場で働きました。自分の家が工場だったところもありました。貧富の差はありましたが、今日と比べれば

大きな隔たりがあります。みんな似たり寄ったりのタケノコ生活だったのです。従って、助けたり助けられたりお互いが

地域にしっかりと根を下ろし地域に依存して生きてきたのです。

 絶対にこれが正しいとか、この姿に戻れ等というつもりはありません。しかし、閉鎖的な山間部や島の生活は今でも

この姿に近い生活をしています。高齢者の方達にとって困ることは何かと問えば、買い物に行くことやお医者通いと

答えられるかも知れません。事実その通りではないでしょうか。準都会的なところに住んでいれば、スーパーマーケットも

あるし、お医者さんも近所にあるかも知れません。しかし、一歩市街地から離れると途端に不便になってしまいます。足と

なるべきバスも満足に走っていません。こんなところでは自家用車以外に移動の手段がありません。どうすれば良い

のでしょうか。近くに商店でもあれば散歩がてらに出かけ、買い物を兼ねての世間話もして帰れます。気晴らしにも

なります。地域との交流にもなります。一人住まいの老人が孤独な生活を強いられなくても済むのです。

 あれこれと書いてきましたが、大型スーパーが地方に進出してくるたびに地域の小さなお店が姿を消していきます。

この状況をどう考えれば良いのでしょうか。消費者は若い人ばかりではありません。体の弱い人もいればお年寄りも

います。郊外にあるスーパーでは子供をお使いにやることも出来ません。地域の活性化こそ新たなる消費の喚起では

ないのでしょうか。行政についても同じ事が言えます。

 最早、国単位で何でもかんでもしなければならない時代は終わったのではないかと思っています。きめ細かい住民

サービスをやろうと思えば思うほど地方に財政権を持たせ、地方単位でのきめ細かい行政の取り組みが切望されます。

道路行政にしてもいっぱひとからげのやり方ではなく、道路がまだまだ必要なところもあれば、ある程度充足している

ところもあります。必要なところには金を使い、必要でないところにまであえて大金を投ずる必要はないのです。税金は

出来るだけ地方の業者や労働者に落とす。そうすればお金は何倍もの循環能力を持って地方の活性化に繋がって

いくのです。お金は循環してこそ価値のあるものなのです。

 そのお金が特定の個人や企業に偏ってしまったところに今日の問題があるのではないでしょうか。地方から活性化を

しない限り、底辺から活性化しない限り、絶対に日本経済の立ち直りは不可能だと断言しても良いのではないでしょうか。

高邁な経済論も経済の建て直し策も、この限りにおいては必要ないのです。

                                                       2002年2月26日掲載

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